福岡高等裁判所 平成19年(ネ)718号 判決 2009年2月09日
別紙一の当事者目録記載のとおり
(以下、原告番号が付された当事者を「一審原告」といい、三菱重工業株式会社を「一審被告」という。)
主文
一 下記一審原告らの控訴に基づき、原判決中同一審原告らに関する部分を次のとおり変更する(当審における訴訟承継による変更を含む。)。
(1) 一審被告は、一審原告X4に対し一三七五万円、同X5、同X6、同X7及び同X8に対し各三四三万七五〇〇円並びにこれらに対するいずれも平成一六年一月六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
(2) 一審被告は、一審原告X9に対し、一四三〇万円及びこれに対する平成一六年六月二九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
(3) 一審被告は、一審原告X10に対し、一四三〇万円及びこれに対する平成一六年六月二九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
(4) 上記一審原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
二 一審原告X11、同X12、同X13、同X14、同X15及び同X16に対する一審被告の控訴に基づき、原判決中同一審原告らに関する部分を取り消す。
上記一審原告らの請求をいずれも棄却する。
三 一審原告X17に対する一審被告の控訴に基づき、原判決中同一審原告に関する部分を次のとおり変更する。
(1) 一審被告は、一審原告X17に対し、四九五万円及びこれに対する平成一六年一月六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
(2) 上記一審原告のその余の請求を棄却する。
四 上記一を除くその余の一審原告らの控訴、上記二、三を除くその余の一審被告の控訴及び一審被告の附帯控訴をいずれも棄却する。
ただし、原判決中下記一審原告らに関する部分を、当審における訴訟承継により下記のとおり変更する。
(1) 一審被告は、一審原告X18に対し七一五万円、同X19、同X20及び同X21に対し各二三八万三三三三円並びにこれらに対するいずれも平成一六年一月六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
(2) 一審被告は、一審原告X22に対し、二四二〇万円及びこれに対する平成一六年六月二九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
(3) 一審被告は、一審原告X23に対し七一五万円、同X24、同X25及び同X26に対し各二三八万三三三三円並びにこれらに対するいずれも平成一六年六月二九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
(4) 上記一審原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
五 訴訟費用につき
(1) 主文第一項(1)の当事者間に関する訴訟費用は、第一、二審を通じこれを五分し、その一を同一審原告らの、その余を一審被告の各負担とする。
(2) 主文第一項(2)の当事者間に関する訴訟費用は、第一、二審を通じこれを五分し、その三を同一審原告の、その余を一審被告の各負担とする。
(3) 主文第一項(3)の当事者間に関する訴訟費用は、第一、二審を通じこれを五分し、その三を同一審原告の、その余を一審被告の各負担とする。
(4) 主文第二項の当事者間に関する訴訟費用は、第一、二審を通じ同一審原告らの負担とする。
(5) 主文第三項の当事者間に関する訴訟費用は、第一、二審を通じこれを二〇分し、その一七を同一審原告の、その余を一審被告の各負担とする。
(6) その余の当事者間に関する控訴費用及び附帯控訴費用は、それぞれ各申立人の負担とする。
六 この判決の主文第一項(1)ないし(3)及び同第四項(1)ないし(3)は、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一申立
一 一審原告ら
(1) 原判決を次のとおり変更する。
一審被告は、別紙二の請求額一覧表記載の各一審原告に対し、同表「請求額」欄記載の各金員及びこれに対する同表「遅延損害金起算日」欄記載の日から各支払済みまでいずれも年五分の割合による金員を支払え。
(2) 一審被告の控訴を却下する(当審における本案前の答弁)。
(3) 一審被告の控訴及び附帯控訴をいずれも棄却する。
(4) 訴訟費用は、第一、二審を通じ一審被告の負担とする。
(5) 一項につき仮執行宣言
二 一審被告
(1) 原判決中一審被告敗訴部分を取り消す。
(2) 一審原告らの請求をいずれも棄却する。
(3) 一審原告らの控訴をいずれも棄却する。
(4) 訴訟費用は、第一、二審を通じ一審原告らの負担とする。
第二事案の概要
一 本件は、一審被告が経営していた三菱長崎造船所(以下「一審被告長崎造船所」という。)において稼働した従業員及びその遺族が、一審被告の安全配慮義務違反によってじん肺に罹患したとして、一審被告に対し、債務不履行に基づく損害賠償を請求した事件である(附帯請求は、各訴状送達日の翌日から民法所定の年五分の割合による遅延損害金)。
原審は、一審原告X3(一―一一)、同X27(一―一三)及び同X9(二―二)の請求をいずれも棄却し、その余の一審原告らの請求をいずれも一部認容したところ、一審原告ら全員が控訴し、一審被告は敗訴部分について控訴及び附帯控訴したが、亡X37(以下「亡X37」という。)の相続人である一審原告X28、同X29及び同X30(原判決別紙一の当事者目録二―九―一ないし三)は控訴を取り下げたため、同一審原告らについては請求を一部認容した原判決が確定している(以下、一審原告らを姓のみ又は姓と原告番号のみで表記することがある。)。
二 前提事実
次のとおり付加訂正するほか、原判決の「事実及び理由」の「第二 事案の概要」欄の一ないし四のとおりであるから、これを引用する。
(1) 原判決三頁八行目から同頁一〇行目まで(亡X37に関する部分)を削除し、同頁一九行目の次に改行して次のとおり加える。
「エ 原審口頭弁論終結日(平成一九年三月二六日)後の訴訟承継
(ア) 亡X38(一―七)は、平成一九年八月二四日死亡した。X18はその当時の妻であり、X19、X20及びX21はいずれも子である(一―七―一ないし四)。
死亡診断書によれば、亡X38(一―七)の死因はじん肺(石綿肺)による右腎細胞癌である(甲一一〇七の九)。
(イ) 亡X39(一―一四)は、平成二〇年二月一六日死亡した。X4はその当時の妻であり、X5、X6、X7及びX8はいずれも子である(一―一四―一ないし五)。
死亡診断書によれば、亡X39(一―一四)の死因はじん肺による急性肺障害である(甲一一一四の一九)。
(ウ) 亡X36(二―三)は、平成二〇年六月一一日死亡した。X22はその子である(二―三―一)。
死亡診断書によれば、亡X36(二―三)の死因は陳旧性心筋梗塞によるうっ血性心不全である(甲一二〇三の六)。
(エ) 亡X40(二―一一)は、平成二〇年九月四日死亡した。X23はその当時の妻であり、X24、X25及びX26はいずれも子である(二―一一―一ないし四)。
死亡診断書によれば、亡X40(二―一一)の死因は胃癌である(甲一二一一の九)。」
(2) 同九頁一〇行目の「同表証拠欄記載の証拠」の次に「〔枝番を含む。〕」を加え、原判決別紙五のX31に係る「決定・認定等の内容及びその年月日」欄の「昭和六一年一〇月二五日」を「昭和六一年一一月二五日」と改める。
(3) 同九頁一三行目の次に改行して次のとおり加える。
「 ただし、X9(二―二、管理二)は、原審口頭弁論終結日後の平成一九年六月四日、合併症(続発性気管支炎)により労災支給決定を受けた(甲一二〇二の二八ないし三二)。
また、X10(二―五、管理二)は、原審口頭弁論終結日後の同年一二月二七日、合併症(続発性気管支炎)により労災支給決定を受けた(甲一二〇五の一五ないし一八、二〇)。」
第三争点及び当事者の主張
一 次のとおり当審における主張を付加するほか、原判決の「事実及び理由」の「第三 争点及び当事者の主張」欄記載のとおりであるから、これを引用する。ただし、以下の訂正がある。
(1) 亡X37の相続人の関係では前記のとおり控訴取下により訴訟が終了しており、また、X9(二―二)の関係では一審被告は当審において消滅時効の主張を撤回したので(一審被告の控訴審準備書面(1)第五の三)、前記引用に係る部分は、亡X37に関する部分及びX9(二―二)の消滅時効に関する部分を除いたものである。
(2) 原審口頭弁論終結日後の当事者の死亡、その死因、その相続関係及び合併症の認定については前提事実のとおりである。
(3) X32(二―一二)の就労状況に関し、原判決一一頁一〇行目の「X33(二―八)」の次に「、X32(二―一二)」を加え、原判決別紙六の概要一覧表(争点等)の「争点」欄の「就労の事実につき争いがある者」欄(X32部分)が空欄であるのを「全て不知」と、同別紙七の概要一覧表(判断等)の「裁判所の判断等の概略」欄の「就労の事実等」欄(X32部分)の「争いがない」を「別紙のとおり」と、同別紙一三の職歴等(当事者の主張)一覧表の「被告の認否欄」(X32部分)が空欄であるのを「不知」とそれぞれ改める(別紙三の六〔一審被告の控訴理由書(2)第三の七(1)〕)。
二 当審における主張の付加
(1) 一審原告らの当審における本案前の答弁
一審被告は、何らの合理的な理由もなく、提出期限までに控訴理由書を提出しなかったから、その控訴は却下されるべきである。
(2) 一審原告等の就労の有無・期間・内容等、一審被告の安全配慮義務の存否及び違反の有無
(一審原告ら)
ア X27(一―一三)について
原審は、X27の従事した作業は規則所定の粉じん作業には該当せず、X27のじん肺の原因が一審被告関係の職場で稼働したことにあると推認することもできないとして、X27について一審被告の安全配慮義務違反を否定した。
しかし、原審も認定するとおり、X27が就労現場で扱った物品の中には石綿が含まれており、造船所関係の倉庫業務等においては一定程度の粉じん飛散・曝露があると推認できること、一審被告関係の職場以外のX27の職歴が主婦と保険外務員に過ぎないこと等からすれば、一審被告が粉じんの飛散などを防止する安全配慮義務を尽くさなかったため、X27がじん肺に罹患したことは明らかであり、原審の判断は誤りである。
イ 下請・孫請企業(下請会社等)の従業員たる一審原告等について
一審被告は、X1(一―一)、X34(一―一二)、亡X35(一―一五)、X10(二―五)、X33(二―八)及びX32(二―一二)(以下「一審原告六名」ということがある。)について一審被告の安全配慮義務違反を争うが、一審原告六名の個別事情は別紙三の「一審原告らの主張」欄のとおりであり、一審被告の主張は失当である。
(一審被告)
ア X27(一―一三)について
一審原告らはX27が石綿の吸入によって石綿肺に罹患したと主張するが、石綿肺に罹患するには大量の石綿を吸入することが必要であるというのが現在の一般的な医学知見である。
X27は、一審被告関係の職場で稼働したとされるころ、一四歳ないし一七歳であり、作業経験や体力等が劣っていたため、その主な担当作業は雑用であり、規則二条、同別表で定められた粉じん作業には該当しない。X27が石綿にかかわったのは、一時的に石綿を切りそろえる作業に従事したり石綿を運搬したりしたことだけであり(X27の本人尋問の結果や陳述書)、X27が石綿肺に罹患するほどの大量の粉じんを吸入したとは認められない(X27は作業を行っていた倉庫内に石綿の粉じんが浮遊していたかのようにも供述するが、それが、単なるホコリではなく、石綿であることを示す証拠は何ら提出されていない。)。
X27について一審被告の安全配慮義務違反を否定した原審の判断は妥当である。
イ 下請会社等の従業員たる一審原告等について
原審は、一審被告の本工であった経験を有しない一審原告六名について、個別事情を認定しないまま一審被告の安全配慮義務違反を認めたが、不当である。
一審原告六名の個別事情は別紙三の「一審被告の主張」欄のとおりである。
(3) 一審原告等のじん肺罹患の有無ないし損害
(一審原告ら)
ア X41(一―五)、X47(一―八)、X3(一―一一)、X48(一―一八)及びX17(一―二二)(以下「一審原告五名」ということがある。)について
(ア) 一審原告五名は、じん肺法のじん肺管理区分認定制度でじん肺(管理二)と認定されており、同認定制度ではじん肺の異常所見があるとする胸部X線写真の映像をCT画像のみによって否定し「じん肺所見なし」とすることは認められていないから、(一審被告主張のように)CT画像によってじん肺罹患を否定することはもとより、(原審がX41、X47及びX48の一審原告三名についてしたように)賠償額を減額することも許されない(特に、X17については、後記(イ)の意見書でじん肺の可能性があると指摘されていることに留意すべきである。)。
(イ) 当審で一審原告らが依頼した医師も、本来、じん肺の有無及びその程度の判断は、胸部レントゲン背腹像を撮影し、じん肺標準X線フィルムと比較して判定することになっているのであり、胸部CT写真のみではじん肺の判断をすることは不可能であること、その根拠として、粉じん巣の線維化が弱い、珪肺以外の「その他のじん肺」(じん肺審査ハンドブック指摘の低濃度珪酸珪肺、炭素系じん肺、珪酸塩肺、金属肺等のじん肺)の診断においては、CTはむしろ診断能力が劣っている場合があることも留意する必要があることを指摘し、胸部レントゲンでⅠ型とされたものがCTで異常なしとされた例を多数挙げている(別紙四の一(5)、以下、同二(3)と併せ「B意見書」ということがある。)。
イ その余の一審原告等について
(ア) 亡X39(一―一四)
原審は、亡X39(管理三・合併症)について慰謝料一八〇〇万円、弁護士費用一八〇万円の合計一九八〇万円の賠償を認めたが、亡X39は当審で死亡したところ、その死亡はじん肺死であるから、賠償額は増額されるべきである。
(イ) X42(一―二一)
一審被告は原審が肺癌を理由にX42(管理二・合併症)の賠償額を増額したことが不当であると主張するが、肺癌については、日々悪化していくその病の苦しみと将来に対する不安の他に、手術の苦痛と恐怖感、それに抗癌剤を使う時はその副作用による苦しみがあり、他の合併症とは比較にならない重大な精神的・肉体的損害があるから、他の合併症の患者より大きな賠償が認められなければならない。
(ウ) X43(三―二)
一審被告はX43の健康状態等を理由に賠償額が減額されるべきと主張するが、X43がじん肺に罹患していることはCT検査の結果からも明らかであり(別紙四の二(2)(3))、賠償額を減額すべき理由はない。
(エ) X44(三―四)
一審被告は、X44が高齢であることを理由に賠償額を減額すべきと主張するが、高齢でじん肺に罹患した者は、若年者より体力が弱っているため、病に対する抵抗力は若年者より弱く、また、病がもたらす苦痛は若年者より大きいのであるから、一審被告の主張は理由がない。
(一審被告)
ア 一審原告五名について
一審原告五名については、じん肺法のじん肺管理区分認定制度でじん肺(管理二)と認定されているものの、CTでは線維化した結節は認められないから、じん肺に罹患したとはいえない。
(ア) 原審は、X41、X47及びX48(以下「一審原告三名」ということがある。)につき、原審の医師七名の意見書〔原判決別紙一〇の四〕に従い、CTでは線維化したじん肺結節が存在しないことを認めながら、「粉じん作業に従事したことにより将来線維結節性変化に発展する可能性のある肺内変化」が生じており、それは法的に救済すべき損害であるとして、管理区分二に相当する損害の二分の一の限度で賠償請求を認めた。
(イ) しかし、一審原告三名の肺内の結節等が粉じん作業に従事したことによって生じたことの因果関係は立証されていない(医師七名の原審の意見書〔原判決別紙一〇の四〕、うち医師一名の当審の意見書〔別紙四の二(1)〕)。また、当該結節が将来線維結節性変化に発展する可能性のあることも立証されていない〔医師一名の前記意見書〔別紙四の二(1)〕)。
そして、当審において、一審原告三名の別のCTでも線維化した結節は認められず、X3及びX17のCTでも同様であることが新たに判明した(医師七名の当審の意見書〔別紙四の二(2)〕)。なお、B意見書(別紙四の二(3))は、X47以外の、X41、X48、X3及びX17の四名に胸膜肥厚斑が認められるとしているが、胸膜肥厚斑は経過観察の対象となるにとどまり、現時点で直ちに損害賠償の対象となる健康被害の発生を認めることはできない。
現時点では胸部単純X線写真によって胸部疾患の有無が疑われる場合は、確定診断のためにCTを利用することが臨床現場の常識となっている。訴訟の場でも医学の進歩に応じて、健康被害の有無を認定するための立証方法は、より真実に近づくものに改善されなければならない。より正確な診断方法であるCTが実用化されているにもかかわらず、精度の低い胸部単純X線写真に基づく診断を金科玉条のものとし、じん肺法の管理区分によってじん肺罹患を推認することは失当である(当審の文献及び意見書〔別紙四の一(1)ないし(4)〕)。
一審原告らは、じん肺ありとする行政認定の結果を覆してじん肺の事実を否定することは許されないと主張するが、行政上の認定結果は、診断方法を法的に制限しているため、医学的な正確さの追究には限界があり、純粋な医学的立場からじん肺に罹患しているか否かを判断するにあたっては、行政上の認定結果に何ら拘束されるものではなく、より精度の高い検査結果に基づいて診断することが当然である。
(ウ) 以上によれば、一審原告五名の請求は(X3についての消滅時効の成否について判断するまでもなく)認められない。
イ その余の一審原告等について
(ア) 亡X39(一―一四)
a 亡X39の死亡がじん肺死であるとの一審原告らの主張は、時機に後れたものであり、却下されるべきである。
b 亡X39の死亡がじん肺死であることは争う。
亡X39の死亡診断書によると、亡X39は、死亡する二年前に多発性骨髄腫を発症しているところ、多発性骨髄腫を発症すると、抗体の製造能力が低下し、免疫不全が引き起こされるため、肺炎等の呼吸器感染症を招くとされており、亡X39は、じん肺が原因で急性肺障害となって死亡したのではなく、多発性骨髄腫によって肺炎となり、それが原因で急性肺障害に陥って死亡するに至った可能性が高いから、じん肺死とは認められない。
(イ) X42(一―二一)
原審は、肺癌に罹患したX42(管理二・合併症)について、じん肺死と同じ区分として二三〇〇万円の賠償額を認定した(他の合併症に罹患した者は一三〇〇万円)。
しかし、肺癌は、医療技術の進歩により、癌の摘出や投薬等によって克服することが不可能ではなくなってきており、現在では、肺癌に罹患したからといって直ちに死亡する訳ではないため、肺癌に罹患した者が死亡する可能性と肺癌以外の合併症の者が死亡する可能性との間に、賠償額に一〇〇〇万円もの多額の差を設けなければならないだけの違いは認められない。
(ウ) X43(三―二)
X43は、じん肺に罹患しているものの、肺機能検査の検査数値は、概ね正常で、じん肺による肺機能障害は存在しないのであり、その年齢に照らせば、今後肺の線維化が進行し、肺機能障害を生じ、死亡に至る可能性は極めて低いのであるから、損害額は相当程度に低額でなければならない。
(エ) X44(三―四)
原審は、七七歳時に初めて管理二の認定を受けたX44について、「同人の年齢の一事をもって、これを減額することは相当とはいえない」と判断したが、じん肺に初めて罹患した時点の年齢は将来の進行の可能性に大きく影響する事情であるため、年齢を無視して慰謝料額を定めることは失当である。
(4) 消滅時効
(一審原告ら)
ア X3(一―一一)について
(ア) 原審は、X3が昭和五六年一〇月以降粉じん作業であるトレーラー助手及び配材係の仕事に従事していたことを理由に同月が消滅時効の起算点であると判断した。
しかし、トレーラー助手や配材係の仕事は、経理や総務といった事務方の仕事とは異なり、粉じんに曝露する機会があった(甲一一一一の三第二項)。
そして、じん肺は、肺内に粉じんが存在する限り進行するが、それは肺内の粉じんの量に対応する進行であるという特異な進行性の疾患であることに鑑みると、X3は退職時まで継続的に粉じんに曝露する状況にあったというべきであるから、退職時が「粉じん作業への従事が終了した時」なのである。
したがって、消滅時効の起算点は退職時である平成一〇年三月三一日であるから、本件提訴までに消滅時効の期間は経過していない。
(イ) 原審は、X3について一審被告の消滅時効の援用を認めた。
しかし、一審被告は、X3の職場について形式的には非粉じん職場となってはいるものの、経理や総務等の事務の仕事に移す時、粉じんの曝露を完全に避けることができるような職場への配置転換をしていないのであり、一審被告の配慮が不十分であることは明らかである。
また、X3のじん肺罹患は、一審被告の長年にわたって続けられた重大な安全配慮義務違反により惹起されたものであること、その被害は、極めて長期にわたり、重篤であり、X3はそのような被害に耐えながら生活している。これに対し、一審被告は、十分なじん肺対策を施さなかったことによる設備投資の省略などにより利益を受けているだけでなく、日本が世界に誇る技術力を持つ日本を代表する大企業であって、強大な資本力を持つ大企業である。
以上によれば、仮に本件提訴までに消滅時効の期間が経過しているとしても、X3について一審被告が消滅時効を援用して損害賠償義務を免れることは、著しく正義に反し条理に悖るものであり、権利濫用であって許されない。
イ 亡X45(一―一七)について
亡X45の関係で提訴が遅れたのは、一審被告のじん肺教育が不十分であったため、亡X45が「結核が治り管理区分も軽くなっている」との認識しか持ち得なかったためであるから、亡X45についての一審被告の消滅時効の援用は認められない。
(一審被告)
ア X3(一―一一)について
(ア) 一審原告らは、X3が昭和五六年一〇月以降、配置転換されたトレーラー助手及び配材係の仕事中に粉じん作業を行っている場所に立ち入ることがあり、一審被告の安全配慮義務違反が継続し、消滅時効の進行は開始しないと主張する。
しかし、じん肺は短期的に少量の粉じんを吸入することで罹患する疾患ではないため、使用者が安全配慮義務を負うには、長時間継続的に粉じんに曝露する作業に従事させることが前提となる。特に酸化鉄粉じんについては、大量の粉じんが長期間肺内に滞留することによって線維化が生じることは原審も認定しているところであり、一時的に粉じん作業の近辺に立ち入ることによるじん肺罹患への危険性は無視することが可能である。
法が健康診断の実施を求めているのは「常時粉じん作業に従事する労働者」であり(法七条、八条一項他)、粉じん作業への従事が「常時」でなければ、健康診断の対象としていない。また、規則別表の二〇号ただし書は、屋内での溶接作業でも自動溶接作業は粉じん作業から除外しており、同じ溶接作業であっても曝露する可能性のある粉じんの量によって取扱いを異にしている。このような法、規則の取扱いからしても、トレーラー助手及び配材係の仕事は、仮に粉じん作業を行っている作業場所に立ち入ることがあったとしても、常時粉じんに曝露するものではないため、一審被告が安全配慮義務を負担することにはならない。
X3が配置転換後の昭和五六年一〇月以降においても一時的に少量の粉じんに曝露する可能性があったことを理由に一審被告が安全配慮義務を負担していたとする一審原告らの主張は失当である。
(イ) 一審原告らは、X3の配置転換先は粉じんへの曝露を完全に避けることができない職場であり、配置転換に対する一審被告の配慮が不十分であると主張するが、X3の配置転換先は前述のように非粉じん職場であり、実際にも、X3の管理区分は平成六年に管理三から管理二に低下し、その後も管理二が継続していることからしても、配置転換の実施状況は管理三の決定を受けた者に対する配慮として十分なものである。
また、一審原告らは、X3の症状は重篤であり、その被害に耐えながら生活していると主張するが、X3は平成一〇年五月ころにじん肺健康診断を受けたのを最後に、その後は健康管理手帳を取得して定期的に健康診断を受けることがないのであるから、健康診断の必要性を感じない程度の健康状態であり、重篤な健康被害を被っている訳ではないし、万が一将来合併症の認定を受けた場合には、一審被告の社内補償制度による補償の対象となり、補償金の支払いを請求することが可能であるため、将来の症状の進行によって過酷な立場に置かれることにはならない。
以上によれば、X3について一審被告が消滅時効を援用することは、信義則に違反せず権利の濫用にも該当しない。
イ 亡X45(一―一七)について
原審は、亡X45についての一審被告の安全配慮義務違反の程度が重大であることを理由に、亡X45についての一審被告の消滅時効の援用を認めなかった。
しかし、亡X45は、昭和三六年、肺結核に罹患したため、当時のじん肺法に基づき管理四とされたものの、昭和三八年二月に復職可能と診断され、同年三月から復職し、同年一一月、当時のじん肺法の規定に基づき管理三の決定を受けたものであるところ、その際のじん肺管理区分の決定通知書の「療養の可否」の欄には、斜線が記載されていて、「療養の必要あり」又は単に「あり」という記載は存在せず、療養の必要がないことが長崎労働基準局長によって確認されている(乙一一一七の一の三頁。なお、甲一一一七の一の「療養の可否」の欄に、薄く「あり」の記載が見えるのは、甲一一一七の一と甲一一一七の二を二枚重ねてコピーをとったことによって、甲一一一七の二「療養の必要あり」の「あり」の部分が写っているためである。このことは、甲一一一七の二の「X45」の氏名の上に記載された「太田組」の記載が、甲一一一七の一の枠外に薄く写っていることからも確認できる。)。
そして、じん肺法によって非粉じん作業への配置転換が求められるのは管理三以上であるところ、その後、亡X45は、昭和三九年に管理一の決定を受け(乙一一一七の一の四~五頁)、昭和四〇年六月から昭和四二年二月にかけては管理二の決定を受けたものの、結核の治癒により同年一〇月の健診後は昭和五七年まで継続して再び管理一となり(同六~一三頁)、昭和六一年四月に再び管理二の決定を受け、その後は管理二のまま退職に至っている(同一四頁)。
この間、一審被告は、亡X45について、昭和四六年一〇月まで継続して半年に一回の割合で定期的に結核の診断を行い、経過観察を行っていたが、結核の診断の際の問診では「苦訴なし」という回答が大半であり、亡X45がじん肺による健康被害に苦しんでいたという事実は認められない(乙一一一七の二)。
以上によれば、亡X45は粉じん作業から非粉じん作業への配置転換が必要な状態にはなかったから、一審被告が前記の配置転換をせずに粉じん作業に従事させ続けたことは正当であり、亡X45の健康状態も遺族が主張するような重篤なものとは認められないから、一審被告の安全配慮義務違反の程度が重いとすることは失当であり、一審被告が消滅時効を援用することは何ら信義に反するものではない。
第四当裁判所の判断
一 一審原告らの当審における本案前の主張について
一審被告が本件控訴を提起したのは平成一九年八月一〇日であり(控訴状に控訴理由の記載なし。)、控訴理由書を提出したのは同年一一月一日である(当裁判所に顕著な事実)から、一審被告が民訴規則一八二条に違背したのは明らかであるが、同規定はいわゆる訓示規定であるから、上記事実をもって一審被告の本件控訴を却下することはできない。
したがって、一審原告らの上記主張は採用することができない。
二 一審原告等の就労ないし粉じん作業歴
次のとおり付加訂正するほか、原判決の「事実及び理由」第四の「一 原告等の就労ないし粉じん作業歴」欄のとおりであるから、これを引用する(ただし、「被告長崎造船所」は「一審被告長崎造船所」と読み替える。)。
(1) 原判決二七頁一八行目の「製灌工場」を「製罐工場」と、同頁二三行目の「長崎造船所水の浦地区」を「長崎研究所水の浦地区」と、同二八頁一七行目の「一三一三〇四の四」を「一三〇四の四」と、同二九頁一一行目の「形或」を「形成」と、同三二頁三行目の「圧縮空気」を「圧縮空気の使用に」と、同四一頁一八行目の「発生じ」を「発生し」と、同四七頁七行目及び同四八頁八行目の各「鋏鉄工(カジメ職)」を各「鉸鋲工(カシメ職)」と、同四七頁九行目の「塵肺」を「じん肺」と、同四八頁二行目の「多かった同原告は」を「多かった。亡X38は」と、同四九頁二〇行目の「X46」を「亡X46」と、同五〇頁二四、二五行目の「一三〇三の四」を「一三〇三の二」とそれぞれ改める。
(2) 同五一頁一六行目の「(別紙八の個人別説明に、各概要を記している。)」を削除し、同行の次に改行して次のとおり加える。
「 なお、個人別の説明は、以下のとおりである。
a X1(一―一)
原判決別紙八の個人別説明のとおりであるから、これを引用する。
ただし、同別紙一頁五行目の「約二六年九か月」を「約二五年八か月」と、同二頁七行目の「約四年一月間」を「一審被告の構内で勤務していたのは約二年間〔甲一一〇一の一四〕」とそれぞれ改める。
b 亡X35(一―一五)
原判決別紙八の個人別説明のとおりであるから、これを引用する。
ただし、同別紙四頁八行目の「一一」の次に「・一二」を加え、同行の「原告X1」を「一審原告X1」と、同頁一〇行目の「約二一年四か月」を「約二〇年九か月」と、同五頁二行目から同頁一一行目までにある「⑤」「⑥」「⑦」「⑧」を順次「⑥」「⑦」「⑧」「⑨」と、同頁一一行目の「約四年三か月」を「約三年八か月」とそれぞれ改める。
c X10(二―五)
原判決別紙八の個人別説明のとおりであるから、これを引用する。
d X33(二―八)
原判決別紙八の個人別説明のとおりであるから、これを引用する。
なお、X33は、昭和二八年一一月から昭和三六年七月まで(約七年九か月)、九州無煙坂瀬川炭鉱で採炭等の粉じん作業に従事していたところ、同人の供述によっても、同炭鉱で働いていた際は防じんマスクは使われていなかったから(原審の平成一七年六月一四日付け尋問調書二項)、同炭鉱での稼働がX33のじん肺発症に影響を及ぼしている可能性は否定できないが、X33が一審被告の下請あるいは孫請会社の従業員として粉じん作業に従事した期間(約三二年九か月)は、同炭鉱での稼働期間に比して相当に長いから、X33が一審被告の下請あるいは孫請会社の従業員として粉じん作業に従事したこととじん肺罹患との因果関係を認める妨げとはならない(民法七一九条一項後段の類推適用)。
e X32(二―一二)
別紙五の個人別説明のとおりである。
なお、X32は、陳述書(甲一二一二の一)において昭和四七年から昭和五八年まで三光工業有限会社で稼働していたと述べているところ、同社に昭和四五年から平成元年一〇月まで稼働していたX33の退社時期をX32の退社時期よりだいぶ前だったとしており、X33の実際の退社時期と相違している。
しかし、X33は同社に稼働していた期間のうち合計二年間ほど他県の造船所に出張しており、これによる不在をX33が退社したものとX32において誤解した可能性もあるから、X33の実際の退社時期についての前記の誤りは、X32自身の稼働期間についての陳述書の信用性を左右するものではない。」
(3) 同五一頁二〇行目の次に改行して次のとおり加える。
「 一審原告らは、X27に対する一審被告の責任について、造船所関係の倉庫業務等においては一定程度の粉じん飛散・曝露があると推認できること、一審被告関係の職場以外のX27の職歴が主婦と保険外務員に過ぎないこと等からすれば、一審被告が粉じんの飛散などを防止する安全配慮義務を尽くさなかったため、X27がじん肺に罹患したことは明らかであると主張する。
しかし、一審被告の一審原告等に対する安全配慮義務が認められるのは、一審原告等が従事する労務が粉じんを多量に発生させ、粉じん曝露及びじん肺罹患の危険がある労務であることや、じん肺あるいは粉じん発生職場に関する事業者の義務規定の存在などによるものであり(後記三で引用した原判決の説示参照)、粉じん作業に従事している者と非粉じん作業に従事する中で一定程度の粉じん飛散・曝露がある場所に立ち入る機会があった者とでは、粉じん曝露及びじん肺罹患の危険に大きな差があることは明らかであるから、一審被告のX27に対する安全配慮義務違反を認めることはできず、一審原告らの前記主張は採用できない。」
三 一審被告の安全配慮義務の存否及び違反の有無
次のとおり付加訂正するほか、原判決の「事実及び理由」第四の「二 被告の安全配慮義務の存否及び違反の有無」欄のとおりであるから、これを引用する。
(1) 原判決五二頁一五行目の「最高裁平成三年四月一一日第一小法廷判決」を「最高裁平成三年四月一一日第一小法廷判決・裁判集民事一六二号二九五頁」と、同五三頁三行目、同頁一三行目、同五五頁一六行目及び同五七頁一八行目の各「憎悪」を各「増悪」と、同五四頁一四行目の「昭和五三年三月一日」を「昭和五三年三月三一日」と、同頁二六行目から五五頁一行目にかけての「同法二条二項」を「同法二条三号」と、同頁一四行目の「原告」を「一審被告」と、同五六頁二一行目の「当該原告ら」を「当該一審原告等」と、同五八頁九行目の「ふん塵」を「粉じん」と、同六〇頁一二行目の「粉じんの」を「粉じんを」とそれぞれ改める。
(2) 同六三頁一四行目の次に改行して次のとおり加える。
「 なお、甲一一〇四の一四、一一一八の一八、一三〇一の一五及び後記の各証拠によれば、一審原告六名の個別事情について、以下のとおり認められる。
(ア) X1(一―一)
a X1は、一審被告の下請である洲﨑工業において、昭和五四年四月から平成一二年九月まで(うち約一七年六か月)、粉じん作業(溶接)に従事していた。
X1は、一審被告の本工と共同で作業をし、作業指示や安全上の注意についてのミーティングも一審被告の本工と共同で行い、一審被告従業員から作業上の指示を受けていた(甲一一〇一の五及び一四)。
これによれば、一審被告は、X1の労務につき、その人的側面について、一定の支配を及ぼしていたと認められる。
b 一審被告が平成六年五月二七日付けで洲﨑工業と締結した工事基本契約書には、以下の条項がある(乙一一〇一の七一)。
第三条(法令の遵守)
乙(洲﨑工業)は、労働基準法、労働安全衛生法、職業安定法、労働者災害補償保険法その他法令を遵守し、その責を負う。
第二二条(安全衛生管理)
乙(洲﨑工業)は、労働基準法、労働安全衛生法、その他安全衛生関係法規ならびに甲(一審被告)の安全衛生に関する諸規定を遵守するとともに安全衛生責任者を選任し、文書により甲(一審被告)に届出たうえで工事現場に常駐させなければならない。
第二八条(第三者損害)
乙(洲﨑工業)は、個別契約の履行に関連して、乙(洲﨑工業)の従業員、乙(洲﨑工業)の下請人、その従業員、他の請負人、甲(一審被告)の従業員その他一切の第三者の生命、身体、財産等に危害が発生した場合または第三者との間に紛争が生じた場合、すみやかにその状況を甲(一審被告)に通知するとともに乙(洲﨑工業)の責任と負担とにおいてその処理、解決にあたり甲(一審被告)に不利益をおよぼさない。
そして、第二二条の「安全衛生責任者」の選任については、洲﨑工業において、「洲﨑工業現場体制組織図」を作成し、一審被告に届け出ている(乙一一〇一の七二)。
さらに、洲﨑工業が、一定限度、安全教育を自らの責任で実施したり、従業員の健康を維持する義務を自ら履行していたことは、一審原告らも認めている。
しかし、前言引用に係る原判決説示のとおり、一審原告等の作業場所ないし設備は一審被告がこれを管理し、作業現場の換気等を含め、作業全般における物理的な環境は、一審被告がほぼ全面的にこれを設定・変更する立場にあるといえるから(一審被告が作業場所に大型の換気装置を自ら設置するとともに必要に応じて下請会社等に小型の換気装置を貸与していたことは、一審被告の自認するところである〔控訴理由書(2)第二の一(3)〕。)、前記の事実は、一審被告が、X1の労務につき、その物的側面の多くを直接支配していたことを否定するものとは認められない。
c 以上によれば、一審被告のX1に対する安全配慮義務違反を認めることができるというべきである(前記契約書第二八条は、一審被告と洲﨑工業との間の責任分担について定めたものであり、第三者の一審被告に対する損害賠償を妨げるものとは解されない。)。
(イ) X34(一―一二)
a X34は、一審被告の下請である吉本ハイテック(旧商号・吉本協運)において、昭和三〇年六月から平成五年八月まで(約三八年二か月)、粉じん作業(電気溶接及びグラインダー工事)に従事していた。
X34は、一審被告の本工と同じ作業班に入って仕事をしたことはなかったが、一審被告従業員から作業の内容や手順について指示を受けていた(甲一一一二の六)。
これによれば、一審被告は、X34の労務につき、その人的側面について、一定の支配を及ぼしていたと認められる。
b 一審被告が平成一一年六月付けで吉本ハイテックと締結した工事基本契約書の内容は、X1に関し洲﨑工業について述べた部分と同一であり、第二二条の「安全衛生責任者」の選任については、吉本ハイテックにおいて、「(株)吉本ハイテック(船舶部工作課)組織図」を作成し、一審被告に届け出ている(乙一一一二の四四及び四五)。
しかし、これらの事実は、一審被告が、X34の労務につき、その物的側面の多くを直接支配していたことを否定するものとは認められない(前記(ア)b)。
c X34は、昭和四〇年代の半ばころから、粉じん防止のためにフィルターの付いたマスクを使用するようになったが、マスクは従業員が自らの費用負担で購入しなければならず、フィルターも一定枚数以上の使用については自ら費用の一部を負担しており、吉本ハイテックの安全対策は十分なものではなかった(一審被告の本工は、マスク及びフィルターとも一審被告から支給を受けていた。)(甲一一一二の六、平成一七年四月二六日付け尋問調書一二四項ないし一二六項)。
d 以上によれば、一審被告のX34に対する安全配慮義務違反を認めることができるというべきである。
(ウ) 亡X35(一―一五)
a 亡X35は、吉本ハイテックないしそのグループの属する林田実男工業において、平成七年六月から平成一一年八月まで(うち合計約三年八か月)、粉じん作業(溶接)に従事していた。
亡X35は、一審被告の本工と共同で作業をし、作業指示や安全上の注意についてのミーティングも一審被告の本工と共同で行い、一審被告従業員から作業上の指示を受けていた(甲一一一五の四)。
これによれば、一審被告は、亡X35の労務につき、その人的側面について、一定の支配を及ぼしていたと認められる。
b 一審被告は、前記のとおり吉本ハイテックと工事基本契約を締結し、吉本ハイテックは「安全衛生責任者」を選任して一審被告に届け出ていたが、これらの事実は、一審被告が、亡X35の労務につき、その物的側面の多くを直接支配していたことを否定するものとは認められない(前記(ア)b)。
c 以上によれば、一審被告の亡X35に対する安全配慮義務違反を認めることができるというべきである。
(エ) X10(二―五)
a X10は、吉本ハイテックにおいて、昭和四三年七月から昭和四八年五月まで(約四年一〇か月間)、粉じん作業に従事していた。
X10が主として従事していた修繕船の塗装(サンダー作業〔錆落とし〕・塗装)は、酸欠や火災の危険を伴うものであったため、一審被告従業員は、常に吉本ハイテック従業員の作業場所及び作業状況を確認するとともに、作業上の指示も行っていた(甲一二〇五の一〇)。
これによれば、一審被告は、X10の労務につき、その人的側面について、一定の支配を及ぼしていたと認められる。
b 一審被告は、前記のとおり吉本ハイテックと工事基本契約を締結し、吉本ハイテックは「安全衛生責任者」を選任して一審被告に届け出ていたが、これらの事実は、一審被告が、X10の労務につき、その物的側面の多くを直接支配していたことを否定するものとは認められない(前記(ア)b)。
c 以上によれば、一審被告のX10に対する安全配慮義務違反を認めることができるというべきである。
(オ) X33(二―八)
a X33は、一審被告の下請会社等の従業員として、昭和三七年七月から平成九年六月まで(うち合計約三二年九か月)、粉じん作業(溶接及びグラインダー作業)に従事した。
X33は、一審被告の本工と共同で作業をし、作業指示や安全上の注意についてのミーティングも一審被告の本工と共同で行い、一審被告から下請会社への出向者等を介して一審被告から作業上の指示を受けていた(甲一二〇八の八)。
これによれば、一審被告は、X33の労務につき、その人的側面について、一定の支配を及ぼしていたと認められる。
b X33は、昭和五〇年ころから、粉じん防止のためにフィルターの付いたマスクを使用するようになったが、フィルターの支給が十分でないなど、下請会社等の安全対策は十分なものではなかった(甲一二〇八の八)。
c 以上によれば、一審被告のX33に対する安全配慮義務違反を認めることができるというべきである。
(カ) X32(二―一二)
a X32は、洲﨑工業において、昭和五九年一月から平成一三年一月まで(約一七年)、粉じん作業(溶接及びグラインダー作業)に従事した。
X32は、一審被告の本工と共同で作業をし、教育や訓練も一審被告の本工と共同で受け、一審被告から洲﨑工業への出向者を介して一審被告から作業上の指示を受けていた(甲一二一二の一)。
これによれば、一審被告は、X32の労務につき、その人的側面について、一定の支配を及ぼしていたと認められる。
b 一審被告は、前記のとおり洲﨑工業と工事基本契約を締結し、洲﨑工業は「安全衛生責任者」を選任して一審被告に届け出ていたが、これらの事実は、一審被告が、X32の労務につき、その物的側面の多くを直接支配していたことを否定するものとは認められない(前記(ア)b)。
c 以上によれば、一審被告のX32に対する安全配慮義務違反を認めることができるというべきである。」
四 一審原告等のじん肺罹患の有無ないし損害
次のとおり付加訂正するほか、原判決の「事実及び理由」第四の「三 原告等のじん肺罹患の有無ないし損害」欄のとおりであるから、これを引用する。
(1) 原判決六四頁一行目の「乙二一・七七頁」を「乙二一・一八頁」と、同頁八、九行目の「一九三七年」を「一九三八年」と、同六五頁二一、二二行目の「じん肺ハッドブック」を「じん肺診査ハンドブック」と、同六六頁二三行目の「エックス線」を「X線」と、同七一頁一三行目の「第二の(2)のア」を「第二の二(2)のア」と、同七二頁二行目の「第二の(2)のエ」を「第二の二(2)のエ」と、同七五頁一一行目の「炎症性」を「気道の慢性炎症性」と、同七七頁一七行目の「労働基準法(以下「労基法」ともいう。)」を「労基法」と、同八一頁二五行目の「Welders'」を「Welder's」と、同八三頁一三行目及び同一〇五頁二四行目の各「貧食され」を各「貪食され」と、同八三頁一九行目の「対応しようとする。」を「対応しようとする。フェリチンが過剰になると変性、崩壊が起こり、」と、同八三頁二四、二五行目、同八五頁五行目、同頁八、九行目、同頁二六行目、同九九頁二一行目、同一〇一頁二一、二二行目及び同一〇六頁五、六行目の各「ヘモジデリン貧食マクロファージ」を各「ヘモジデリン貪食マクロファージ」と、同八三頁二五行目の「肺胞内から」を「肺胞内から細気管支血管周囲間質へと運ばれ沈着する。その後、」と、同八四頁九行目の「粉じん対策」を「防じん対策」と、同頁二三行目の「炭鉱」を「炭坑」と、同八八頁二行目の「病理的には」を「病理学的には」と、同九〇頁一一、一二行目の「血管、気管支周囲間質」を「血管気管支周囲間質」と、同九一頁一四行目の「Diog」を「Doig」と、同頁二一行目の「肺胞内塵肺」を「肺胞内型塵肺」と、同九二頁一〇行目、同一〇四頁一八行目、同一〇七頁一〇行目、同一二〇頁一一、一二行目及び同一二一頁一五行目の各「線維性移行」を各「線維性肥厚」と、同九九頁一七行目、同一〇一頁一八行目、同一〇三頁一七行目、同一〇七頁一六行目及び同一二〇頁一行目の各「粉じん貧食マクロファージ」を各「粉じん貪食マクロファージ」と、同一〇二頁一四行目の「pathologic」を「pathologic」と、同一〇四頁八、九行目の「間質の背に」を「間質の線維」と、同一〇六頁六行目の「細気管支血管周囲結合織内」を「細気管支血管周囲間質へと運ばれ沈着する。その後、細気管支周囲」と、同一一〇頁一行目の「わかるか」を「わかるか?」と、同頁七行目の「軟部固有組織」を「軟部組織」と、同一一九頁一一行目の「高来」を「後来」とそれぞれ改める。
また、原判決別紙一〇の三頁一八行目の「接種」を「摂取」と、同頁二三行目の「細胞性分」を「細胞成分」と、同頁二六行目の「細胞内」を「細胞量」と、同五頁五行目の「加わった」を「加わって」と、同頁一九行目の「肺胞内塵肺」を「肺胞内型塵肺」と、同頁二八行目の「ある。」を「ある。』」と、同頁三五行目の「Mclaulin」を「McLauhlin」と、同六頁二二行目の「ない。」を「ない。』」と、同頁三四行目の「凝縮」を「凝集」と、同頁三五行目の「吸入量」を「吸入塵」と、同行の「線維化肥厚」を「線維性肥厚」と、同七頁三二行目の「線維性移行」を「線維性肥厚」と、同八頁二、三行目の「わかるか」を「わかるか?」と、同頁一五行目の「軟部固有組織」を「軟部組織」と、同頁三一行目の「異常に」を「以上に」と、同一一頁一三行目の「病理的にはMixed Dust Eibrosis(MDE)とされる」を「病理学的にはMixed Dust Fibrosis(MDF)とされる」と、同頁二二行目の「じん肺呼吸器」を「CTは呼吸器」と、同一七頁五行目及び六行目の各「線上影」を各「線状影」と、同頁一〇行目の「中心性粒状」を「中心性結節」と、同一八頁一六行目の「肺野末梢性」を「肺野末梢」と、同頁二一行目の「有意」を「優位」とそれぞれ改める。
(2) 同一一三頁一七行目の次に改行して次のとおり加える。
「(エ) 菅沼成文「意見書」(乙二五〇の一・二)
一審被告長崎造船所から、じん肺の画像診断に関する現代の一般的な医学的知見の取り纏めを依頼されたとして作成された書面であり、一審被告の主張に沿う意見書である。
胸部単純エックス線写真によるじん肺診断では、いわゆる一二階尺度の1/0以上が「じん肺有所見」、0/1以下が「じん肺無所見」とされるが、胸部単純エックス線写真は、重なり像であり、かつ濃度分解能(コントラスト分解能)が高くないため、じん肺有所見とじん肺無所見の境界領域での判定結果は、胸部単純エックス線写真の読影経験が豊富な専門家の間でもばらつきが生じること、これに対し、CTは、スライス像であり、胸部単純エックス線写真と比較して濃度分解能も高いこと、特に高分解能CT(HRCT)は、通常のCTと比較して空間分解能が高く、病理像をほぼ反映した所見が得られるため、臨床においては、特に良性疾患について、病理検査の代用として受け入れられていること、HRCTの開発と臨床応用によって、胸部単純エックス線写真では専門家の間でもばらつきが生じるじん肺有所見とじん肺無所見の境界領域において、CTあるいはHRCTによる検診によって、より正確な診断が可能となっていること、じん肺有所見とじん肺無所見の境界領域では、胸部単純エックス線写真でじん肺の所見が認められない場合でも、CTあるいはHRCTではじん肺の所見が認められる例や、逆に胸部単純エックス線写真でじん肺の所見が認められる場合でも、CTあるいはHRCTではじん肺の所見が認められない例が少なくないが、いずれの場合も、胸部単純エックス線写真による所見よりもCTあるいはHRCTによる所見の方が正しいといえ、前者は偽陰性であり、後者は偽陽性であることを指摘している。」
(3) 同一一四頁六行目の「との指摘」の次に「や粉じん巣の線維化の弱いじん肺の診断においてはCTは診断能力が劣っている場合があるとの指摘」を加える。
(4) 同一一五頁一七行目の次に改行して次のとおり加える。
「(ウ) さらに、B意見書(甲六二)にも、胸部CTは、肺癌の早期発見や肺気腫の診断などに有効であることは確実であり、また、じん肺の診断においては、合併する肺癌の診断、合併する肺気腫の診断および吸入した粉じんによる肺の線維化が強い珪肺などの診断や塊状巣の早期診断などに有効性が確認されているが、一型ないし二型のじん肺、特に粉じん巣の線維化の弱い、珪肺以外のじん肺(低濃度珪酸珪肺、炭素系じん肺、珪酸塩肺、金属肺などのじん肺で溶接工肺を含む)の診断においては、CTはむしろ診断能力が劣っている場合があることも留意する必要があること、胸部レントゲン写真でじん肺所見を指摘された例で、胸部CTを実施した結果「じん肺所見なし」と診断される例は少なくないこと、その要因としては、胸部レントゲン写真では幾つかの小さな所見が肺の厚さに対応して重なって陰影として構成されるのに対し、CTでは薄い肺組織を見ているため重なりの効果が少ないために異常所見が出現しにくいことによるとの研究結果があること、粉じん巣の線維化の強い、結晶質シリカの曝露を受ける作業者でも、こうした診断の違いが生じているので、その他のじん肺では、より一層の注意が必要となること等の記載がある。」
(5) 同一一五頁一八行目から同一一七頁一五行目までを次のとおり改める。
「(5) 一審原告五名のCT
【一審被告が原審及び当審で提出した意見書】
一審被告が、以下の七名の医師ら(以下「七名の医師」とも称する。)に対し、一審原告五名のCTに関し、①CTに線維化した結節は認められるか、②CTに酸化鉄粉じんによる陰影は認められるか、③CTに上記以外に認められる所見はあるか、について意見を求めたところ、七名の医師が提出した意見は原判決別紙一〇―四及び別紙四の二(1)(2)記載のとおりである。概要は次のアないしオのとおりである。そして、前記日下は、意見書(乙五七)において、これらを踏まえ、読影結果が、管理区分二の決定を受けているX41、X47及びX48についてじん肺陰影が全く認められない「0=明らかな所見なし」であったから、「偽陽性」であり、胸部単純エックス線写真で繰り返しじん肺有所見と判断された者でも、CTではじん肺無所見と診断される可能性が小さくないとの意見を述べている。
・ C・産業医科大学名誉教授(乙二五の一・二、二五五の一・二)
・ D・産業医科大学医学部教授(乙二六の一・二、二三八、二五六の一・二)
・ E・近畿中央胸部疾患センター放射線科部長(乙二七の一・二、二五九の一・二)
・ F・長崎労災病院院長(乙四二の一・二、二五四の一・二)
・ G・福井大学副学長(乙四三の一・二、二六〇の一・二)
・ H・神戸労災病院副院長(乙四四の一・二、二五八の一・二)
・ I・福井大学医学部教授(乙五六の一・二、二五七の一・二)
ア 一―五・X41(平成一二年四月五日、平成一六年三月一一日及び平成一七年三月二八日撮影のCT)
いずれの意見も、①CTにびまん性の粒状影、結節影が認められず、②酸化鉄粉じんによると見られる陰影も見られないとした。③それ以外に認められる所見として、(各人の表現にはばらつきがあるが)概要、右中肺野に小結節が一個認められるが、「炎症性の瘢痕の可能性が高い」、「肺内リンパ節や炎症後結節などが考えられる」、「じん肺結節としての特徴に乏しく」、「溶接、石綿その他の職業性吸入物質とは無関係と思われる」、「『線維結節性変化に発展する可能性のある肺内変化』であるともいえない」といった意見が出されている。
イ 一―八・X47(平成一六年八月一八日及び平成一八年一月二三日撮影のCT)
いずれの意見も、①CTにびまん性の粒状影、結節影が認められず、②酸化鉄粉じんによると見られる陰影も見られないとした。③それ以外に認められる所見として、(各人の表現にはばらつきがあるが)概要、左肺尖部及び左上肺野に小結節影と左肺底部に複数の線状陰影が認められるが、「陳旧性肺結核の所見と考えられる」、「炎症性の瘢痕と考えられる」、「『線維結節性変化に発展する可能性のある肺内変化』であるともいえない」といった意見が出されている。
ウ 一―一一・X3(平成一八年一月一日撮影のCT)
いずれの意見も、①CTにびまん性の粒状影、結節影が認められず、②酸化鉄粉じんによると見られる陰影も見られないとした。③それ以外に認められる所見として、(各人の表現にはばらつきがあるが)概要、両側上葉背側の葉間胸膜下にそって帯状のすりガラス影が認められるが、「急性肺炎を疑う所見である」、「肺炎などの炎症性病変と考えられるが確定診断には細菌学的・組織学的な検索が必要である」といった意見が出されている。
エ 一―一八・X48(平成一六年四月六日、平成一七年三月四日及び平成一八年二月六日撮影のCT)
いずれの意見も、(表現等に若干の違いがあるが)①CTにびまん性の粒状影、結節影が認められない、右中肺野に数個の小結節影が認められるが、「限局性で」あるいはその分布から「じん肺による可能性は低い」、「じん肺によるものとはみとめがたい」などとしている。また、いずれも、②酸化鉄粉じんによると思われる陰影は認めないとの意見である。そして、③それ以外に認められる所見として、両側壁側胸膜に一部石灰化を伴った板状の肥厚が認められる(あるいは「肥厚が多発している」など)とし、「石綿曝露による胸膜プラークの所見である」、「石綿粉じん曝露による影響と思われる」などとする一方、「肺野に石綿肺を示唆する所見は認められない」、「肺内には石綿肺を疑わせる網状の陰影を認めない」、「胸膜肥厚斑は微量の石綿曝露でも生じるのに対し、石綿肺は大量の石綿曝露によって引き起こされるというのが一般的な知見であるため、胸膜肥厚斑が認められることから直ちに将来石綿肺に罹患する可能性があると診断することはできない」といった意見となっている。
オ 一―二二・X17(平成一六年一一月三〇日撮影のCT)
いずれの意見も、①CTにびまん性の粒状影、結節影が認められず、②酸化鉄粉じんによると見られる陰影も見られないとした。③それ以外に認められる所見として、(各人の表現にはばらつきがあるが)概要、両側肺尖部に軽度の胸膜肥厚を伴う小結節影が、右下葉には微少な小低吸収域(のう胞)がそれぞれ認められるが、前者については、「炎症性瘢痕である」などの、後者については、「軽度の肺気腫ないし気腫性変化である」、「粉じんが原因であるとは考えられない」、「臨床的意義は無い」などの意見が出されている。
【一審原告らが当審で提出した意見書】
一審原告らが、以下の医師に対し、一審原告五名の前記CTに関し、意見を求めたところ、同医師が提出した意見は別紙四の二(3)記載のとおりである。概要は次のアないしオのとおりである。
・ B・職業性疾患・疫学リサーチセンター(甲六二)
ア 一―五・X41
肺野にはじん肺を示唆する粒状影は認めない。右中肺野に陳旧性の小結節影を認め、左肺門部リンパ節の石灰化を認めるが、いずれも粉じん暴露によるじん肺の所見ではない。
右肺背部の壁側胸膜に、小さな範囲であるが石綿暴露と関連する胸膜肥厚斑を認める。しかし、肺野には石綿肺の所見は見られない。
イ 一―八・X47
微細粒状影などじん肺を示す所見を認めない。また、石綿暴露と関連する胸膜肥厚斑および石綿肺を示す所見も認めない。
左肺尖部に小結節影を認めるが、陳旧性の炎症と思われる。
ウ 一―一一・X3
両側の広い範囲に気腫性変化が認められ、左中肺野背部および右肺下肺野背部には比較的大きな気腫性のう胞が形成されている。気腫性変化とは別に、左肺背部には間質のレントゲン的な濃度が増加し、左肺背部肋骨に沿って線状の陰影が認められる。この所見は石綿暴露と関連する胸膜肥厚斑と考えられ、本例は軽度の石綿肺に罹患していた可能性は考慮されるべきであろう。
エ 一―一八・X48
肺野にはじん肺を思わせる粒状影は認められない。前胸部の壁側胸膜に石灰化した胸膜肥厚斑が認められる。また、傍脊椎域および背部の壁側胸膜は主気管支の分岐部から下方の両側に胸膜肥厚斑が認められ、左横隔膜面胸膜にも石灰化した胸膜肥厚斑が認められる。石綿暴露による典型的な所見であるが、肺野に石綿肺所見は認められない。
オ 一―二二・X17
肺野に明確な粒状影は見られないが、限定された範囲であるが、両側の中肺野から下肺野の背部および前胸部に部分的に小葉中心性の気腫性変化を認める。
粉じん巣の線維化が強い珪肺症以外のじん肺の場合には粒状影がCTにても判別できず、こうした所見のみを呈することが少なくない。その意味で、上記のCT所見はじん肺所見を示している可能性は否定できない。
両側背部の壁側胸膜に、線維化は軽度ながら石綿暴露と関連する胸膜肥厚斑を認める。しかし、肺野には石綿肺の所見は見られない。」
(6) 同一二二頁二五行目の「との指摘」の次に「や粉じん巣の線維化の弱いじん肺の診断においてはCTは診断能力が劣っている場合があるとの指摘」を加える。
(7) 同一二三頁八行目から同一二五頁八行目までを次のとおり改める。
「 以上によれば、じん肺法の管理区分決定を受けた一審原告等は、その管理区分に相当する損害が生じていると推認することができる。
もっとも、一審原告五名については、医師七名及びB医師の意見書によれば、CT画像所見上、じん肺結節の存在及び酸化鉄粉じんの陰影の存在も否定されていることから、管理区分二に相当する損害が発生していることについて合理的な疑いを容れる余地があるといわざるを得ない(B意見書は、X17のCT画像で認められた気腫性変化についてじん肺の可能性を指摘するが、同意見書によっても肺野に明確な粒状影は見られないとしていること、前記医師七名は気腫性変化とじん肺との因果関係について消極の意見であることに照らすと、X17についても、前記の合理的な疑いが解消されたとすることはできない。)。
しかし、上記の各意見書でも、CT画像上、小結節影(X41、X47、X48、X17)又は胸膜肥厚斑(X41、X3、X48、X17)は認められるとされていること、このうち胸膜肥厚斑は石綿曝露によって生じた可能性が高く、現時点では将来石綿肺に罹患するかどうかは不確定であるものの(乙二三八)、胸膜肥厚斑を有する者は中皮腫や肺癌のリスクが高いとの報告があることから十分な経過観察が重要であるとの指摘がなされていること(甲六二)、また、小結節影については、炎症性の瘢痕(細菌、タバコの粉じんなどの様々な炎症を惹起する原因物質が吸入され、肺組織に組織反応が生じ、それが治癒し、瘢痕〔傷跡〕を残した状態)であるとして、粉じん作業との因果関係及び「線維結節性変化に発展する可能性」につき消極の意見が出されているものの(乙二三八)、一審原告五名の粉じん作業歴が相当長期間に及んでいることからすると、炎症の原因物質に粉じんが含まれないとまで断定できるかは疑問であり、炎症の原因物質に粉じんが含まれている可能性を否定できない以上、小結節影が「線維結節性変化に発展する可能性」を否定することもできない。そして、一審原告五名のうちX3及びX17以外の三名については、上記各意見書の基となったCT画像が撮影された以後においても、更に新たに管理区分二の決定がされており、その際にはその時点でのエックス線所見でじん肺陰影が認められている。
以上によれば、一審原告五名については、粉じん作業に従事したことにより、少なくとも線維結節性変化に発展する可能性のある、又は、中皮腫や肺癌のリスクを念頭に置いた経過観察を要する肺内変化が存在することが認められるというべきである。そして、現時点ではこのような肺内変化が具体的に健康に対する悪影響を与えるまでには至っていないとしても、このような人体被害は、法的に救済すべき損害ということができる。そして、これを評価すれば、管理区分二に相当する損害の二分の一と考えるのが相当であると解される(民訴法二四八条参照)。
これ以外の一審原告等の損害額については、じん肺法の管理区分決定を損害賠償額の重要な指標とするのが相当である。そして、これまでに述べたじん肺の基本的な病像、特に線維増殖性変化に伴う病変は進行性、不可逆性のものであって、それが重篤化して死に至る転帰を辿る場合もあること、その精神的・肉体的苦痛の大きさに鑑みると、溶接工肺に関する指摘を踏まえても、一審原告等の損害額は、その管理区分に応じて次のとおりと評価すべきである(なお、佐野も指摘するような、溶接工肺の場合、そのエックス線造影剤的特徴から、肺内変化よりもエックス線写真所見が進行しているとの指摘は、じん肺法の管理区分決定を損害賠償の重要な指標とする立場からこれを考慮することとするが、じん肺ないし溶接工肺の病像にそもそも未解明な部分が多いことに照らし、その考慮の程度を大きいものとすべきものではないと判断したものである。)。
(1) 管理二で合併症がない場合 九〇〇万円
(2) 管理二で合併症がある場合 一三〇〇万円
(3) 管理三で合併症がない場合 一四〇〇万円
(4) 管理三で合併症がある場合 一八〇〇万円
(5) 管理四の場合 二二〇〇万円
(6) じん肺死(管理二、三非合併じん肺死及び共同原因死)、又は肺癌の罹患 二三〇〇万円
(7) じん肺死(管理二、三合併、管理四でのじん肺死、肺癌での死亡を含む。) 二五〇〇万円
なお、問題となる一審原告についての補足説明は、以下のとおりである。
(1) 亡X39(一―一四)
前提事実のとおり、亡X39(一―一四)の死因はじん肺による急性肺障害であるから、じん肺死と認めるのが相当である。
一審被告は、亡X39の死がじん肺死であるとの一審原告らの主張立証が時機に後れたものと主張するが、亡X39は当審係属中に死亡したもので、死亡後しばらくの間和解協議がなされていたこと(当裁判所に顕著な事実)に照らし、一審原告らの主張立証が時機に後れたものとは認められない。
また、亡X39に係る死亡診断書(甲一一一四の一九)には、「直接には死因に関係しないが(直接死因及びその原因に)影響を及ぼした傷病名等」として、多発性骨髄腫との記載があるところ、多発性骨髄腫の臨床所見の一つとして易感染性があり、病初期には肺炎等の呼吸器感染症が多いとされているが(乙二六二)、この事実のみでは、亡X39の急性肺障害の主たる原因がじん肺であるとの認定を左右するに足りないというべきであり、他にこれを左右するに足りる証拠はない。
(2) X42(一―二一)
一審被告は、肺癌に罹患したX42の賠償額をじん肺死と同額の二三〇〇万円とするのは他の合併症に罹患した者の賠償額(管理二では一三〇〇万円)に比して高額に過ぎると主張するが、肺癌に罹患した者と、それ以外の合併症に罹患した者とでは、現時点においても、死亡の可能性の点で大きな差があるといわざるを得ないから、じん肺死と同額の賠償額を認めても不当とはいえず、一審被告の主張は採用できない。
(3) X43(三―二)
一審被告は、X43の肺機能検査の検査数値が概ね正常であることを根拠として同人の賠償額を減額すべきと主張するが、同人がじん肺に罹患していることは、当審で提出された前記医師七名及びB医師の意見書によっても明らかであり(別紙四の二(2)(3))、肺機能検査の検査数値を根拠としてじん肺管理区分に応じて算定された賠償額を減額することは相当でなく、一審被告の主張は採用できない。
(4) X44(三―四)
一審被告は、七七歳時に初めて管理二の認定を受けたX44について、高齢であることを理由に賠償額を減額すべきと主張するが、若年者について若年であることを理由にじん肺管理区分に応じて算定された賠償額を増額しないこととの均衡からしても、高齢であることを理由に同賠償額を減額することは相当でなく、一審被告の主張は採用できない。」
五 消滅時効
本件において、一審被告から消滅時効を援用するとされたのは、X3(一―一一)及び亡X45(一―一七)の二名である(なお、一審被告は、当初X9(二―二)及びX33(二―八)についても消滅時効を援用していたが、同一審原告らに対する消滅時効の援用は撤回された。)。
(1) 起算点等
このうち、X3については、じん肺管理区分が管理三イから管理二ヘと変わり、更に管理三イ、管理二と変わっている(そして、その後に一審被告を退職した。)。
一審被告は、このような場合、最初に管理二の決定を受けた時点か、仮にそうでないとしても管理三イの決定を受けた時点から消滅時効が進行を開始すると解するべきであり、X3については時効期間が経過したと主張している。これに対し、一審原告らは、継続的な安全配慮義務の不履行による損害賠償請求権の時効起算点は退職時であると主張するなどし、X3についてはいまだ時効期間が経過していないと主張している。
ア 使用者の安全配慮義務違反によりじん肺にかかったことを理由とする損害賠償請求権の消滅時効の起算点
(ア) 安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求権の消滅時効期間は、民法一六七条一項により一〇年であり(前掲最高裁昭和五〇年二月二五日第三小法廷判決)、その起算点は、民法一六六条一項により、損害賠償請求権を行使し得る時から進行するものと解されるが、一般に、安全配慮義務違反による損害賠償請求権は、その損害が発生した時に成立し、同時にその権利を行使することが法律上可能になると考えられる(最高裁平成六年二月二二日第三小法廷判決・民集四八巻二号四四一頁参照)。
しかし、じん肺は、肺内に粉じんが存在する限り進行するが、それは肺内の粉じん量に対応して進行するという特異な進行性の疾患であって、しかも、その病状が管理二又は管理三に相当する症状にとどまっているようにみえる者もあれば、最も重い管理四に相当する症状まで進行する者もあり、また、症状が進行する場合であっても、その進行の有無、程度、早さは、患者によって多様である。このようなじん肺の病変の特質に照らすと、行政上の各管理区分決定に相当する病状に基づく各損害には、質的に異なるものがあるといわざるを得ず、したがって、重い決定に相当する病状に基づく損害は、その決定を受けた時に発生し、その時点からその損害賠償請求権を行使することが法律上可能となるものというべきであり、使用者の安全配慮義務違反によりじん肺に罹患したことを理由とする損害賠償請求権の消滅時効は、最終の行政上の決定を受けた時から進行するものと解するのが相当である(前掲最高裁平成六年二月二二日第三小法廷判決)。
(イ) 原判決別紙五の管理区分等一覧表のとおり、X3はかつてはいったん管理三イの決定を受け、また、亡X45は旧管理四(後に旧管理三)の決定を受けたが、最終の管理区分決定はいずれも管理二となっている。
前記のとおり、じん肺の病像の特質から、重い管理区分決定に係る損害は、それ以前に受けたより低い区分に係る管理区分に係る損害とはいわば質的に異なるものとして、重い管理区分決定を受けた時に発生し、したがってその時から時効期間も進行を開始するものと解される。しかし、上記の者らに関しては、重い管理区分決定を受けた後に軽い管理区分決定に変更となっており、このような場合に最終の軽い管理区分決定を受けた時から当該管理区分に係る損害が発生し、消滅時効の起算点もその時から進行を開始すると考えることはできない。すなわち、現在の医学では、じん肺に関する最初の軽い行政上の決定を受けた時点でその病状の予後を予測することはできないのであって、管理二の行政上の決定を受けた時点で、管理三又は管理四に相当する病状に基づく各損害の賠償を求めることはもとより不可能であるが、上記のようにその反対の場合は、重い管理区分決定を受けた時点で当該病状に基づく損害の賠償を求めることは可能であり、仮に訴訟係属中に軽い管理区分決定に変更された場合は、請求を減縮することによってこれに対応すれば足りることである。管理区分によって損害の質が異なるというのも、じん肺の病像に基づく権利行使の可能性の観点からの評価であって、それ以上にその損害の内容が全く異なることを意味するものではない。
以上をまとめると、管理区分が軽いものに変更された場合の消滅時効の起算点は、それ以前にされた最も重い管理区分決定の時と解するのが相当ということになる。
イ 在職中に管理区分決定を受けた被用者が退職した場合
(ア) ところで、被災労働者が最終の管理区分決定を受けた以後も特段の措置もないまま粉じん作業に従事している間は、使用者の被災労働者に対する安全配慮義務違反は継続して存在している。仮に、このような場合も、管理区分決定を当初に受けた時点が消滅時効の起算点となるとする考え方を貫くと、安全配慮義務違反が継続して存在していたとしても、それに基づく損害賠償請求権が時効消滅する事態が生じ得ることになる。
また、じん肺は、肺内に粉じんが存在する限り、肺内の粉じんの量に対応して進行する特異な進行性の疾患であり、一審原告等が粉じん作業に従事している間、一審原告等が吸入した粉じんの総量ないし一審原告等の肺内に滞留等する粉じんの総量は増しているのであるから、一審原告等のじん肺の被害が、少なくとも観念的には増大ないし拡大していると見ることもできる。
したがって、このような場合の、安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求権の消滅時効の起算点は、当初の管理区分の決定後にそれと異なる(より進行した)管理区分の決定を受けるなどしていない場合には、粉じん作業の終了時と解する余地がある。
(イ) しかし、被災労働者が、その後粉じん作業を離れ、その後も当該使用者との間で雇用関係が継続した後に退職した場合に、その退職の時点(雇用関係の終了時点)を損害賠償請求権の消滅時効の起算点と解することはできない。安全配慮義務とその義務の違反に基づく損害賠償義務とは法的には別個の義務であり、使用者が被災労働者の職場を非粉じんのものに転換した場合には、他に特段の事情のない限り、これによって安全配慮義務に違反する状態は、解消されたものというべきであり、それにもかかわらず、その後も安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求権の消滅時効が進行しないと解すべき理由はないからである。
ウ まとめ
以上を要するに、使用者の安全配慮義務違反によりじん肺に罹患したことを理由とする損害賠償請求権の消滅時効は、「最終の行政上の決定を受けた時」から進行すると解するのが相当である。
ただし、上記決定後も被用者が粉じん作業に従事し、安全配慮義務の違反が継続している間は、消滅時効が進行しないと解する余地があるが、そのように解した場合でも、遅くとも「粉じん作業への従事が終了した時」が消滅時効期間の起算点となると解するのが相当である。その後の粉じん作業の従事に関わりなく、消滅時効期間の起算点を退職時点であるとする一審原告らの主張は採用できない。その後、当初とは異なる(より進行した)管理区分の決定を受けた時、法定合併症の認定を受けた時、じん肺によって死亡した時はもとより別論である。
そうすると、X3については昭和五三年五月二二日に最初に管理三イの決定を受け、昭和五六年一〇月以後は非粉じん作業に就いているから、遅くとも同月が、亡X45については昭和三六年一一月八日に最初に旧管理四の決定を受け、退職した平成四年まで粉じん作業に就いていたから、遅くとも同年年末が、それぞれ一審被告に対する安全配慮義務違反による損害賠償請求権の消滅時効の起算点となり、本訴の提起時点では、いずれも時効期間が経過していたものというべきである(なお、一審被告は、X3に係る消滅時効の起算点について、「最初に管理二の決定を受けた時点か、仮にそうでないとしても管理三イの決定を受けた時点」と主張するところ、後者は、前者〔昭和五五年八月一九日〕の後に改めて管理三イの決定を受けた昭和五六年七月一五日を指すものと解され、いずれの時点も、最初に管理三イの決定を受けた上記昭和五三年五月二二日より後の日であるが、上記のとおり消滅時効の起算点を昭和五六年一〇月と解する以上、弁論主義に違背するものではない。)。
これに対し、一審原告らは、X3が配置転換後に従事していたトレーラー助手や配材係の仕事は、粉じんに曝露する機会があったから、一審被告の安全配慮義務違反は継続しており、退職時である平成一〇年三月が消滅時効の起算点となると主張し、X3がトレーラー助手や配材係の仕事をしていた際に粉じん作業が行われている場所に立ち入る機会があったことは後記(2)エ(ア)のとおりである。
しかし、一審被告の一審原告等に対する安全配慮義務が認められるのは、一審原告等が従事する労務が粉じんを多量に発生させ、粉じん曝露及びじん肺罹患の危険がある労務であることや、じん肺あるいは粉じん発生職場に関する事業者の義務規定の存在などによるものであり(前記三で引用した原判決の説示参照)、粉じん作業に従事している者と非粉じん作業に従事する中で粉じん作業が行われている場所に立ち入る機会があった者とでは、粉じん曝露及びじん肺罹患の危険に大きな差があることは明らかであるから、X3がトレーラー助手や配材係に配置転換された後においては、一審被告のX3に対する安全配慮義務違反を認めることはできず、一審原告らの前記主張は採用できない。
(2) 援用の可否(信義則違反又は権利濫用該当性)
ア 一審原告等のうち、X3及び亡X45の二名については、雇用者の安全配慮義務違反によりじん肺に罹患したことを理由とする損害賠償請求権の消滅時効期間が経過しており、一審被告は、消滅時効を援用するとの意思表示をした。
イ これに対し、一審原告らは、一審被告の時効援用が、著しく正義・公平・条理に反し、権利の濫用として許されないと主張している。その根拠として、一審原告らは、①じん肺被害が重篤であり、救済の必要が高いこと、一審被告は生産性向上や合理化のためにあえてじん肺対策を懈怠し、労働者の生命・健康を犠牲にして、多数のじん肺患者を発生させ続けており、その義務違反の態様が著しく悪質であること、一審原告等がじん肺に罹患する一方で、一審被告は巨額の利益を得てきたこと、一審被告が、自社のじん肺補償制度においては時効を問題としないにもかかわらず、本件では時効を援用していることに照らすと、時効援用の結果が著しく正義に反する旨、②じん肺の進行は予測不能で、損害の全容把握が困難である上、安全配慮義務違反の責任追及は、複雑困難なもので、専門家の助力なしに権利行使をすることが困難であることに照らすと、一審原告等が権利の上に眠っていたとはいえない旨、③一審被告のじん肺教育等の杜撰さから、一審原告等において、じん肺の理解と被害認識の形成がなされなかったもので、権利不行使の一因に一審被告の責に帰すべき事情が存する旨、④一審原告等の権利不行使の継続の事実を尊重すべき理由や、立証の困難を救済する必要性はなく、一審被告には時効制度の保護を受ける適格も必要もない旨を主張している。
さらに、⑤亡X45の個別事情として、同人が、息苦しさや胸痛を訴えるようになりつつ仕事を続け、体調を悪化させながら退職し、胸痛を訴えるなどその後も体調不良が継続した後死亡しており、じん肺との共同原因死である可能性もあること、同人ないしその遺族の本訴提起が遅れた原因として、一審被告の杜撰なじん肺教育が、同人らの権利意識形成を妨げたことを挙げることができることを主張している。
ウ 時効制度の機能ないし目的については、①長期間継続した事実状態を維持することによって法律関係の安定を図ること、②権利の上に眠る者は法的保護に値しないこと、③債務者の立証の困難性を救済することなどと説明されているところ、消滅時効の援用は債務者の権利であるが、かかる権利行使も無制約に許されるものではないことは当然であり、債務者が債権者の権利行使を妨げたり、債務発生に至る債務者の行為の内容や結果、債権者と債務者の社会的・経済的地位や能力、その他当該事案における諸般の事実関係に照らして、時効期間の経過を理由に債権を消滅させることが著しく正義・公平・条理等に反すると認めるべき特段の事情があり、かつ、援用権を行使させないことによって上記時効制度の目的に著しく反する事情がない場合には、時効の援用は権利の濫用として許されないというべきである。
エ そこで、一審被告が時効を援用する一審原告等の関係で、これが信義則に違反し、権利の濫用として許されないものであるか否かを検討する。
まず、上記一審原告等に関しては、いずれも前記の行政上の決定を受けた時点では、自らがじん肺に罹患していることを認識していたと認められるから、先に認定したじん肺に関する知見や管理区分とその決定手続(粉じん職歴を記載した上、エックス線撮影や肺機能検査等の医師の診断を受ける。)等に照らせば、その時点において、粉じん作業に従事していたことによりじん肺に罹患したことを知り得る可能性があり、そのことによって企業の責任を認識する機会がなかったとはいえない。しかし、一審被告のじん肺教育に不十分な点があり、上記一審原告等がじん肺罹患の原因が自らにあると考え、あるいはじん肺を軽視したため、一審被告に対する責任追及に思い至らなかったことにも相応の理由がある。
また、使用者に課される安全配慮義務が、契約当事者間における本来的な義務とは異なり、必ずしも一義的に明確な内容をもつものではない上、特に、被用者が使用者の安全配慮義務違反によりじん肺に罹患したことを理由として損害賠償を求める場合においては、使用者に安全配慮義務として課されるじん肺対策の内容等を具体的に主張、立証しなければならないのであるから、実際に訴訟を提起するとしても、事実的にも法的にも極めて困難な問題があり、法律専門家の積極的な助力がなければ、その権利を訴訟上行使することは著しく困難であったということができる。したがって、本訴の提起が遅れたことについて上記一審原告らに多大の責任があるということはできない。他方、権利行使可能な時期から長期間を経過した後に損害賠償請求権の行使を許せば、義務者(一審被告)の当時における安全対策等の立証が困難とはなるが、最終の行政区分決定時が時効期間の起算点と解するとすれば、問題となる就労時期から相当期間経過後の提訴も十分あり得ることになるから、この点に関する一審被告の利益を重視する必要性は減少しているともいい得る。
しかし、本件においては、上記一審原告らが権利を行使しなかったことについて、一審被告が権利の行使を積極的に妨害したというような事由があったことを認めるに足りる証拠はなく、上記のような一般的な事情だけで一審被告による時効の援用が信義則に違反し、権利の濫用であるというには足りないというべきであって、なお、上記一審原告らに関する個別的な事情を検討する必要がある。
(ア) X3(一―一一)について
《証拠省略》によれば、以下の事実が認められる。
① X3は、昭和三一年一月に一審被告長崎造船所に臨時工として入社し、船殻工作部溶接課で溶接工として稼働し、昭和三七年に一審被告の正社員となり、その後組立溶接工場、昭和四七年にはドック外業課に配属され、主として溶接作業に従事していたところ、昭和四五年二月七日に最初の管理二の決定を受けたのをはじめ、昭和四〇年代に六回にわたって管理二の決定を受け(ただし、昭和五〇年一一月二〇日には管理一とされている。)、昭和五三年五月二二日に管理三イの決定を受けて内業課に配置転換された。配置転換後は、後記の約一年間を除いて非粉じん作業である変更図処理作業やトレーラーの助手、配材係などの仕事をし(もっとも、トレーラー助手や配材係の仕事をしていた際には、粉じん作業が行われている場所に立ち入る機会があった。)、平成一〇年三月三一日付けで一審被告を定年退職した。
X3のこの間の管理区分の決定の推移は原判決別紙五管理区分等一覧表に記載のとおりであり、昭和五四年八月一六日にも管理三イの決定を受けたが、昭和五五年八月一九日に管理二とされ、昭和五六年から平成五年まで毎年管理三イの決定を受け、平成六年以後は平成一〇年まで三回にわたって管理二の決定を受けている。なお、昭和五五年八月に管理二の決定を受けたため、X3は、同年から昭和五六年八月までの約一年間は、非粉じん作業から再びグラビティ溶接の後の手直し処理溶接等の溶接作業に従事したが、同年七月に管理三イの決定を受けたことから、再び非粉じん作業に従事することとなった。その粉じん作業歴は約二六年に及ぶ。
② X3は、四〇歳半ば過ぎころから、坂道や階段を上ることに苦痛を伴い、また、冬場は風邪を引きやすく咳と痰が絶えず出るようになった。現在では通常人のペースで歩くことができない状況となり、平成一七年末に転倒し、体動困難となって社会福祉法人十善会病院に入院し、平成一八年一月には肺炎、COPD(慢性閉塞性肺疾患)、腰部打撲の診断を受け、胸部のCT所見では、両側に軽度の胸膜肥厚、両側肺野胸膜下にブラが見られ、右下葉気管支壁は肥厚し浸潤影が認められた。同月二七日に退院したが、その後も体調が優れない。
③ X3は、本訴と同種の訴訟(三菱長崎造船じん肺訴訟第一陣)が提訴された際に、参加を呼びかけられたが、一審被告に籍がある以上は参加できないという遠慮から同訴訟には参加せず、その後自らの体調の悪化により、じん肺の症状の進行に対する不安がつのる中で本訴の一審原告となることとした。
④ 以上のとおり、X3は、早くから管理三イの決定を受けていたが、X3がその当時においてじん肺の病像をよく把握し、作業に関する会社の義務違反等を明確に認識することは容易ではなかったと考えられる。また、前記した訴訟を提起した場合の法的、事実的な問題や、自らが一審被告の被用者であるという立場から、その権利行使をすることには、なお困難な問題があったというべきである。
しかし、他方で、一審被告は、X3が昭和五三年五月に管理三イの決定を受けたことから非粉じん作業に配置転換し、昭和五五年八月に管理二の決定を受けたことから再び粉じん作業に従事させたものの、昭和五六年七月に管理三イの決定を受けたことから、同年一〇月に再び非粉じん作業に配置転換をし、定年により退職するまでの約一七年間は非粉じん作業に従事させていたものであって、X3のじん肺管理区分に応じてそれなりの配慮をしていたと評価することができる。そして、X3のじん肺管理区分が平成六年に管理三イから管理二に好転し、その状態が退職まで継続していたことは先にみたとおりである。
このような事情に加え、一審被告がX3の権利行使に関して意図的であるか否かに関わらず何らかの妨害をした事情は認められないことを考えると、一審被告におけるじん肺教育が不十分であったこと及びX3が配置転換後も粉じん作業が行われている場所に立ち入る機会があったという点において一審被告の配慮が不十分であったことを考慮しても、一審被告がX3に係る消滅時効を援用することが信義則に違反し、権利の濫用に当たるということはできない。
(イ) 亡X45(一―一七)について
《証拠省略》によれば、以下の事実が認められる。
① 亡X45は、昭和三一年一月に一審被告長崎造船所に入社し、以来三七年間勤務して、平成四年九月三〇日に一審被告を退職した。同人の職歴を明確にする客観的な証拠はないが、おおむね、入社時は「船殻工作部溶接課」に配属され、以後、勤続期間の大半を、建屋外の般体ブロックの中や、建造船の中の作業を中心にする外業職場で作業に従事し、船台やドック、あるいは総合組み立て場、建造船進水後の艤装船などが作業現場で、電気溶接、ガス切断、グラインダーなどの粉じん作業に就いた。昭和六二年から平成四年の退職までの約五年間は三菱長崎造船香焼工場の中にあった関連会社(三共工業)に出向して働いたが、作業内容はそれまでと同様建造船や船体ブロックの中の溶接作業及びグラインダー作業であった。
② 亡X45は、昭和三六年一一月八日に旧管理四(PR2、tb(+)、療養の必要あり)の決定を受け(なお、決定通知書の欄外には「S35―8―25にさかのぼり業務上疾病扱い」(甲一一一七―二)と記載されている。)、昭和三八年一一月一一日にも旧管理三(PR1、F1、tp(±))決定を受けた。その際のじん肺管理区分の決定通知書の「療養の可否」の欄には、斜線が記載されており、療養の必要があるとの記載は存在しない(乙一一一七の一の三頁。なお、甲一一一七の一の「療養の可否」の欄に、薄く「あり」の記載が見えるのは、甲一一一七の一と甲一一一七の二を二枚重ねてコピーをとったことによって、甲一一一七の二「療養の必要あり」の「あり」の部分が写っているためと認められる。)。同人は、昭和三五年八月に会社の検診により結核の疑いがあるとされ、喜々津にあった国立病院に昭和三七年三月まで入院し、退院後三か月自宅で療養した後一審被告長崎造船所に復帰した。同人は、その時点では非粉じん作業に従事したが、収入が減ったことや溶接作業に従事したいとの希望を有していたため、復職して六か月後には再び溶接作業に従事するようになり、一審被告長崎造船所が活況を呈していたことから、長時間の残業もこなすなどして粉じん作業に従事していた。しかし、五〇歳になる前後(昭和五七年ころ)から風邪を引きやすく、痰がよく出る等体調の変調を覚え、年毎に歩行もきつくなり、特に坂道などは息が切れるため休み休み歩くようになっていき、平成四年に退職した後、平成七年五月二九日に心筋梗塞により死亡した(心筋梗塞とじん肺罹患との因果関係を認めるに足りる証拠はない。)。
もっとも、この間のじん肺管理区分の推移をみると、昭和三九年に管理一の決定を受け、昭和四〇年六月から昭和四二年四月にかけては管理二の決定を受けたものの、同年一〇月の検診で再び管理一となり、昭和六一年四月に再び管理二の決定を受け、その後は管理二のまま退職に至っている(乙一一一七の一)。
③ 同人も、その妻である二江も、じん肺の危険性に関する認識が低かったため、在職中はもとより退職したあとも、亡X45がじん肺に罹患したことについて一審被告に対して損害賠償を請求するなどということは思いもつかなかった。また、その後じん肺や訴訟に関する情報に接したりもしたが、「五人の子供と祖母を養ってこれたのは、いろいろあったものの会社のおかげ」だという考えもあり、一審被告に対し損害賠償を請求することを考えもしなかった。しかし、本訴提起前に、「三菱じん肺患者会」の会長や弁護士から話を聞く等して本訴の提起に及んだものである。
④ 以上のとおり、亡X45は、昭和三〇年代に結核に罹患して旧管理四、旧管理三の決定を受けていたが、同人がその当時においてじん肺の病像をよく把握し、作業に関する会社の義務違反等を明確に認識することは容易ではなかったと考えられる。そのことは、上記のような重い決定を受けながら、結核の療養から復職してわずか六か月で再び粉じん作業である溶接作業に従事していることからも明らかである。また、前記した訴訟を提起した場合の法的、事実的な問題や、自らが一審被告の被用者であるという立場から、その権利を行使することには、なお困難な問題があったというべきである。さらに、亡X45が昭和三八年に旧管理三の決定を受けた後、昭和六二年に関連会社である三共工業に出向するまで粉じん作業である溶接作業に従事していたことは前記のとおりであり、この間は一審被告の安全配慮義務違反は継続していたことになる。
しかし、亡X45が昭和三八年に旧管理三の決定を受けた際には、療養の必要がないことが確認されており、その後の同人のじん肺管理区分の推移も、昭和四二年から昭和五七年までは継続して管理一であり、昭和六一年四月から平成四年に退職するまでは管理二にとどまっていることに鑑みれば、一審被告の安全配慮義務違反の程度が重いとまでは認められない。
このような事情に加え、一審被告が亡X45及びその相続人の権利行使に関して意図的であるか否かに関わらず何らかの妨害をした事情は認められないことを考えると、一審被告におけるじん肺教育が不十分であったこと及び亡X45が退職まで粉じん作業に従事していたこと(一審被告の安全配慮義務違反が継続していたこと)を考慮しても、一審被告が亡X45に係る消滅時効を援用することが信義則に違反し、権利の濫用に当たるということはできない。
六 結論
以上によれば、一審原告らの請求は、別紙六の当審認容額一覧表の「当審認容額」欄記載の限度で理由がある(なお、当審で認容額が変更された一審原告らに係る認容額の内訳は、亡X39(一―一四)相続人については合計で慰謝料二五〇〇万円・弁護士費用二五〇万円であり、X17(一―二二)については慰謝料四五〇万円・弁護士費用四五万円であり、X9(二―二)及びX10(二―五)についてはそれぞれ慰謝料一三〇〇万円・弁護士費用一三〇万円である。)。
しかし、X3(一―一一)、X27(一―一三)及び亡X45(一―一七)の相続人の請求はいずれも理由がない。
よって、これと一部異なる原判決を変更し(訴訟承継の関係を含む。)、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 石井宏治 裁判官 太田雅也 澤田正彦)
別紙一 当事者目録
控訴人・被控訴人 X1(原告番号一―一)<他18名>
控訴人・附帯被控訴人 X2(原告番号一―二)<他44名>
控訴人 X3(原告番号一―一一)<他2名>
控訴人ら訴訟代理人弁護士 熊谷悟郎 横山茂樹 福崎博孝 永田雅英 古原進 小野正章 川端克成 原田直子 山本一行 下田泰 山崎あづさ 宮原貞喜 山下登司夫 土田庄一 森永正之 塩塚節夫 森本精一 小林正博 石井精二 岩永隆之 梶村龍太 馬奈木昭雄 深堀寿美 松岡肇 河西龍太郎 古川武志 井上聡 横山聡 原章夫 柴田國義 高尾徹 迫光夫 小林清隆 横山巌 岩城邦治 小宮学 稲村晴夫 椛島敏雅 東島浩幸 小野寺利孝 鈴木剛 佐々木良博
控訴人・附帯被控訴人X23、同X24、同X25及び同X26訴訟代理人弁護士 中村尚達
同 山本高行
被控訴人・控訴人・附帯控訴人 三菱重工業株式会社
同代表者代表取締役 A
同訴訟代理人弁護士 木村憲正
同 羽尾良三
同 山下俊夫
同 藤原正廣
別紙二 請求額一覧表《省略》
別紙三 一審原告六名の個別事情《省略》
別紙四 文献の引用・抜粋等《省略》
別紙五 個人別説明《省略》
別紙六 当審認容額一覧表《省略》