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福岡高等裁判所 平成19年(医ほ)2号 決定 2007年3月30日

主文

原決定を取り消す。

本件を長崎地方裁判所に差し戻す。

理由

本件抗告の趣旨及び理由は、検察官野田洋平が提出した抗告申立書に記載のとおりであり、これに対する付添人の意見は、付添人弁護士林和正が提出した「付添人の意見書」と題する書面に記載のとおりであるから、これらを引用する。

論旨は、要するに、対象者には、対象行為を行った際の精神障害を改善し、これに伴って同様の行為を行うことなく、社会に復帰することを促進するため、入院をさせて法による医療を受けさせる必要があるのに、精神保健及び精神障害者福祉に関する法律(以下「精神保健福祉法」という。)による入院をすることにより、精神障害を治療して社会復帰することが可能であり、法による医療を行うまでの必要はないとして、医療観察法による医療を行わないとした原決定には、決定に影響を及ぼす重大な事実誤認及び法令違反がある、というのである(なお、付添人は、原決定と同旨の主張をするほか、本件では、法42条1項1号ないし2号による医療を受けさせる旨の決定を行うには、「同様の行為を行う」具体的・現実的な可能性が必要であり、その決定に当たっては鑑定を基礎とすべきとされているところ、鑑定人A医師作成に係る医療観察法精神鑑定書(以下「鑑定書」という。)には、対象者が対象行為と同様の行為を行う具体的・現実的な可能性があるとの判断は示されていないから、検察官の事実誤認の主張は失当である旨主張している。)。

そこで、記録を調査して検討する。

1  原決定の要旨

原決定は、概略、(1)対象者は、原決定別紙記載の「対象行為の要旨」のとおり、法2条2項1号の対象行為に該当する行為(刑法108条)をしたが、その行為当時、妄想性障害に罹患し、幻覚・妄想に支配されて対象行為に及んでおり、心神喪失状態であったと認められるところ、現在もなお、妄想性障害は継続しているものの、治療反応性もあるため、治療を行う必要があり、それについては、病識に乏しいため入院治療の継続が必要である、(2)しかし、対象者は、精神科病院に対する拒否感がなく、服薬や処置等には抵抗を示しておらず、今後の治療の進展により病識が得られ問題の認知を得ることは可能であるから、法による枠組みでの治療は必ずしも必要ではなく、通常の病院での入院治療継続が適当であることなど、原決定「理由」第2の3で判示する諸点から、対象者は、一定期間、精神保健福祉法による入院をすることにより、精神障害を治療して社会復帰することが十分可能であり、医療観察法による医療を行うまでの必要性はない、というものである。

2  しかし、原決定中、上記(1)の点は是認できるが、(2)の点は是認できない。理由は以下のとおりである。

(1)医療観察法は、精神障害による心神喪失等の状態で重大な他害行為が行われた場合、被害者に深刻な被害が生ずるだけではなく、そのような行為を行った者が有する精神障害は、一般的に手厚い専門的な医療の必要性が高く、同人が、精神障害を有していることに加えて、重大な他害行為を犯したという、いわば二重のハンディキャップを背負ってしまうとともに、そのような精神障害が改善されないまま再びそのために重大な他害行為が行われることとなれば、そのような事実が本人の社会復帰の大きな障害となることは明らかであることから、対象者に必要な医療を確保して不幸な事態が繰り返されないようにしつつ、その社会復帰を図るため、精神障害による心神喪失等の状態で一定の重大な他害行為(対象行為。法2条2項)を行った者(対象者)に対し、医療を受ける機会を与える目的等から制定されたものである。したがって、同法は、検察官に原則として申立義務を認め(法33条)、ひとたび法42条1項1号ないし2号の決定がなされた場合には、対象者に法による医療を受ける義務を課するとともに、対象者に必要な医療を受けさせることを国の責務とし(法81条)、また、対象者の社会復帰を円滑にするため、保護観察所に社会復帰調整官を置き、生活環境の調整等や医療機関との協力体制を整備している。

以上のような法の趣旨等に照らせば、裁判所は、検察官からの申立てに対し、対象者に、法42条1項1号ないし2号の要件が認められるか否かを審査し、対象者がその要件を充足すると認められる場合には、同条項に定められた入通院の決定をすべきであって、そのような場合に、入退院の手続・要件、持続的かつ専門的な医療体制の整備、医療等の実施機関あるいは強制力といった点で、大きな違いのある精神保健福祉法による医療が可能であるからといって、同条1項3号の医療を行わない旨の決定をすることは許されないというべきである。

3  そこで、本件において、対象者に法42条1項1号ないし2号の要件が認められるか検討する。

対象者は、対象行為当時、妄想性障害に罹患し、被害妄想、迫害妄想に強く支配された状態にあり、対象行為もそのような対象者の精神障害及び精神状態によって引き起こされたものであって、対象者は対象行為時に心神喪失の状態にあったものである。そして、鑑定書によれば、対象者は、自分が病気であることを否認するなどしていて病識がなく、治療プランについても同意せず、服薬や処置等に抵抗感を示していないものの、治療に積極的ではなく、心理検査についてはこれを拒否したこと、対象者が上記疾患を発症した背景には、原決定が「理由」第2の3で指摘するようなストレス状況があり、精神症状は改善傾向にあるものの、将来も強いストレス状況にさらされた場合、症状の再燃が予想されるところ、対象者は、原審審判廷において、(対象行為は)やむを得ずにやった、子供たちと一緒に死のうと今でも思っている、(医師に指示されている)薬は飲んでいない(したがって、原決定や鑑定書が、対象者が服薬や処置等に対し抵抗感を示していないというのは、審判時においては当を得ないものとなっている。)などと陳述している。

そうすると、対象者の上記病状は未だ十分に改善されているとはいえず、対象者に病識が乏しく、今後服薬を拒否する事態も考えられ、対象者には、症状を再燃させて、放火等の同様の行為に及ぶ具体的・現実的な可能性があると認められる。そして、対象者の従来の住居は放火によって焼失し、現在同人に帰るべき住居はなく、本件対象行為時に対象者と同居していた長女は統合失調症で入院し、孫も知的障害者入所更生施設に身を寄せている状況であり、他の家族・親族等に対象者の適当な引き受け先は見当たらない。そこで、対象者に対し、通院によって継続した治療を確保するのは困難であって、対象者に対しては、対象者が対象行為を行った際の精神障害である妄想性障害の症状を改善し、これに伴って同様の行為を行うことなく、社会に復帰することを促進するため、入院をさせて法による医療を受けさせる必要があると認められる。

以上のような鑑定書や対象者の原審審判廷における陳述、対象者の生活環境等を考慮すると、対象者に対し、法42条1項1号の医療を受けさせるために入院をさせる旨の入院決定をすべきであったのに、同条項3号の医療を行わない旨の決定をした原決定は、重大な事実誤認をしたか、法令の解釈・適用を誤ったものであって、それが決定に影響を及ぼすことは明らかである。

論旨は理由がある。

第3 結論

よって、本件抗告は理由があるから、法68条2項本文により、原決定を取り消し、本件を長崎地方裁判所に差し戻すこととし、主文のとおり決定する。

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