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福岡高等裁判所 平成22年(う)320号 判決 2011年4月13日

主文

被告人を懲役4年6月に処する。

1審における未決勾留日数中320日をその刑に算入する。

理由

第1  弁護人の控訴理由(事実誤認)及び事実取調べの結果に基づく弁論

本件ガス爆発による火災は,被告人が自殺するためにビニール袋を頭にかぶって流出させたガスを吸っていたところ,気を失って倒れたため,右側頭部がガスコンロのスイッチに当たった結果,ガスに引火,爆発したもので,放火行為もなければ放火の故意もない,また,控訴審での事実取調べの結果によると,本件火災の原因は,冷蔵庫の部品から出る火花その他の火源によるものである可能性があり,火源が特定できないのに,被告人の捜査段階の自白に信用性を認め,被告人が故意にガスに引火,爆発させたと認定した1審判決には明らかな事実の誤認がある。

第2  検察官の答弁及び事実取調べの結果に基づく弁論

被告人が故意に頭部でガスコンロの点火スイッチを押し,流出させていたガスに引火,爆発させたという被告人の捜査段階の自白は信用できるし,被告人方の冷蔵庫の部品の構造や本件火災後の冷蔵庫の損傷状況からして,冷蔵庫からの火花が火源であるとは考えられず,1審判決に事実誤認はない。

第3  控訴理由に対する判断

1  事案の概要及び1審判決の概要

本件公訴事実は,「被告人は,借金苦等からガス自殺を企て,平成20年12月27日午後6時10分ころから同日午後7時30分ころまでの間,長崎市深堀町<番地略>所在のAらが現に住居に使用する木造スレート葺2階建ての被告人方(総床面積88.2平方メートル)1階台所において,戸を閉めて同台所を密閉させた上,同台所に設置されたガス元栓とグリル付ガステーブルを接続しているガスホースを取り外し,同元栓を開栓して可燃性混合気体であるP13A都市ガスを流出させて同台所に同ガスを充満させたが,同ガスに一酸化炭素が含まれておらず自殺できなかったため,同台所に充満した同ガスに引火,爆発させて爆死しようと企て,同日午後7時30分ころ,同ガスに引火させれば爆発し,同被告人方が焼損するとともにその周辺の居宅に延焼し得ることを認識しながら,同ガステーブルの点火スイッチを作動させて点火し,同ガスに引火,爆発させて火を放ち,よって,上記Aらが現に住居に使用する同被告人方を全焼させて焼損させるとともに,別紙記載のとおり,Bらが現に住居に使用する木造スレート葺2階建て居宅(総床面積約84.93平方メートル)の軒桁等約8.60平方メートル等を焼損させたものである」というものである。

被告人及び1審弁護人は,公訴事実にあるガス爆発が起き,被告人方を焼損するとともに,近隣の居宅3軒を一部焼損したことは間違いないが,被告人が,故意に頭部でガスコンロのスイッチを押し込んで点火し,ガスに引火,爆発させた旨の捜査段階の自白は,任意性,信用性がなく,被告人に放火の実行行為はないし,放火の故意もない,仮に被告人の故意による放火行為であるとしても,被告人は,当時うつ状態のため,心神喪失又は心神耗弱の状態にあり,完全責任能力がない,などと主張した。

これに対し,1審判決は,被告人の捜査段階の自白に任意性,信用性を認め,放火行為について,被告人が故意にガスコンロの点火スイッチを頭部で押し込み,作動させて点火し,ガスに引火,爆発させたとしたほかは,ほぼ公訴事実どおりの事実を認定し,被告人に完全責任能力も認められるとして,現住建造物等放火罪の成立を認めた。

2  当裁判所の判断

被告人が故意にガスコンロの点火スイッチを頭部で押し込み,ガスに引火,爆発させたなどという被告人の捜査段階の自白は,明らかに不合理な放火行為の態様であるのに,1審判決が,その自白に信用性を認めて,そのような態様の放火行為を認定した点は是認することができず,弁護人の主張は,この限度では理由がある。他方,本件ガスの引火,爆発の原因が偶発的な事故によるものであるという被告人の1審公判供述もまた,客観的な事実に反するものであって信用することができず,この点に関する弁護人の主張は採用することができない。しかし,1審で取り調べられた関係証拠のみならず,控訴審における事実取調べの結果も踏まえると,本件火災の原因は,偶発的な事故や失火によるものとは考えられず,被告人の意図的な行為によるものであることが推認でき,被告人が,何らかの方法により放火したことを認定することができる。1審判決は,被告人に現住建造物等放火罪が成立するとの結論は正当であるものの,放火行為の態様の事実認定を誤っているから,判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認があるというべきである。以下,理由を説明する。

(1)関係証拠によれば,以下の事実が認められる。

ア 被告人は,自殺を企て,平成20年12月27日午後6時10分ころから同日午後7時30分ころまでの間,自宅の1階リビングダイニングにおいて,ガス元栓を半開状態にして,約1時間20分にわたり都市ガスを流出させたが,同ガスは一酸化炭素を含んでいなかったため,自殺することができなかった。

イ 同日午後7時30分ころ,上記リビングダイニング内に拡散し,爆発限界に達したガス(控訴審職1)に引火,爆発して火災が発生し,その結果,被告人宅が全焼し,周辺の居宅も一部燃えた。

ウ その際,被告人は,自宅から脱出し,その後,意識を失って救急車で病院に搬送された。被告人は,顔面や両上肢等に深度Ⅱ度の熱傷を負っていたが,気道熱傷や口腔内熱傷はなかった。被告人が,ガス爆発の現場におり,顔面の比較的広い範囲に上記のような熱傷を負っている一方,気道や口腔内に熱傷もないことから,被告人が,爆発時の熱風や,その後の火災に伴う高温の空気を吸い込んでいないといえるが,その理由が,意識的に呼吸を止めていたからであるとまで断定することはできない(控訴審弁6,7)。

エ 平成21年1月18日,被告人は,消防署員の質問に対し,自殺を企てたことを隠した上,ラーメンを作ろうとしてガスコンロの点火スイッチを押したところ,爆発した,と答えた(建物火災調査書写し(控訴審検1)添付の被告人に対する質問調書写し)。

オ 同月21日,被告人は,長崎県大浦警察署に任意同行され,事情聴取を受けたが,当初は,ラーメンを作ろうとしたら爆発したと供述し,次に,自殺するためにガスを流出させたが,ガス台の側に座った姿勢でふらついて倒れたときに頭がガスコンロの点火スイッチに当たったと供述し,最終的には,故意に頭でガスコンロの点火スイッチを押したと自白し,同日午後8時,通常逮捕された。

カ 被告人は,逮捕・勾留中の警察官の取調べにおいて,同月23日までは,上記自白を維持していたが,同月24日,自白を翻し,再び,ふらっとして頭がガスコンロの点火スイッチに当たったという供述をしたものの,同月29日,元の自白に戻った。

キ 被告人は,検察官に対し,同月22日の弁解録取,同年2月6日,9日及び10日の取調べにおいて,いずれも上記の自白を維持していた。

ク 被告人は,1審公判において,捜査官に対する上記自白は,押し付けないし長時間の取調べによる疲労などから来るあきらめによるものである,爆発当時,ビニール袋を頭にかぶっていたという新たな事実を供述したほか,ふらっとして頭がガスコンロの点火スイッチに当たったのは自分の想像であり,爆発したときに,カチッという音と走る炎を見た,などと供述した。

ケ 本件現場に駆け付けて被告人の救護に当たった消防署員らが見たときには,被告人の頭部にビニール片が付着していた事実はなネく(控訴審検11,12),その後,医師のCが被告人を治療した際には,髪の毛が焦げたような臭いがしていたが,ビニールやナイロンが溶けたりしたときに出る臭いはなかった(控訴審検10)。

コ 長崎市消防局調査課消防司令補D作成の火災原因判定書写し(控訴審検1)によると,本件ガスの引火,爆発の火源については,被告人がラーメンを作ろうとしてガスコンロのスイッチを押したときの火花による可能性,タバコの火による失火の可能性,テレビ,冷蔵庫等の電気製品の火花による可能性があるが,いずれの可能性についても否定できないことから,火源は特定できない,とされている。

(2)放火事件においては,まず,火災の原因が放火によるものか,自然発火,漏電等の事故によるものか,失火によるものかという火源の特定が重要であり,次に,放火であるとされた場合に,被告人の犯人性が検討されることになる。しかしながら,本件では,被告人が自殺をしようとしてガスを流出させたため,そのガスに引火,爆発して火災が発生したものであること,客観的な証拠による火源の特定はできないこと,被告人は,本件ガスの引火,爆発当時,その現場にいたのであるから,最もよく火災の原因を知り得る立場にあったことなど,上記(1)の事実関係を前提とする限りにおいては,1審判決が,本件の争点である点火行為と放火の故意についての判断の分岐点を,被告人の捜査段階の自白の信用性としたことについては,是認することができる。そこで,以下においては,まず,被告人の捜査段階の自白の信用性について検討することとした。

(3)被告人の捜査段階及び1審公判段階の供述の信用性

ア 1審公判段階の供述

被告人の1審公判供述は,被告人の頭部にビニール片が付着していなかったという客観的事実(上記(1)ケ)とは符合しないこと,捜査官に対する否認供述と比較しても,頭からビニール袋をかぶっていたかどうかや頭がガスコンロのスイッチに当たったかどうかなどの重要部分で変遷しており,一貫したものではないことからして,到底信用することができない。

弁護人は,被告人が耳の裏側から頭部にかけての後頭部に熱傷を負っているところ,その熱傷は,被告人が頭からかぶっていたビニール袋内に充満していたガスが燃焼したことによるものであるとして説明できるので,ビニール袋をかぶっていたという被告人の1審公判供述が信用できると主張する。しかし,医師Eの警察官調書(1審甲17)添付の人体図のみならず,外来診療録写し(控訴審検8)によっても,被告人の後頭部には弁護人が主張するような熱傷は認められないのであるから,弁護人の主張は,前提となる事実を欠いており,失当である。むしろ,被告人は,本件ガスの引火,爆発当時,顔の正面方向から爆風を受けたため,頭部の中では顔面一面にのみ熱傷を負ったと考えるのが自然であり,被告人が頭からビニール袋をかぶっていたのであれば,ビニール袋が同時に溶けて顔面を含む頭部に何らかの痕跡を残していたはずであるにもかかわらず,そのような痕跡がないことからして,被告人はビニール袋をかぶっていなかったということができる。

イ 捜査段階の自白

1審判決は,被告人の捜査段階の自白について,ア情況事実として,①ガスコンロのスイッチは,通常,一定程度の力を加えて押し込むことにより点火するもので,身体が偶然当たっただけで点火する構造にはなっていないところ,被告人がガスコンロの前に座っていたという姿勢からガスコンロに倒れ込む状況を再現した実験でも,被告人と同じくらいの体格の警察官の頭部は,ガスコンロには当たらず,被告人より身長が高い警察官の頭部は,5,6回中1回はガスコンロのスイッチに当たったが,その場合でも力を込めてスイッチを押し込まなければ点火しないこと,②被告人は,顔面一面に深度Ⅱ度の熱傷を負っていたにもかかわらず,気道内には全く熱傷が生じていなかったのであり,ガス爆発の瞬間を予測して息を止めていたと見られること,③被告人は,ガス自殺を決意してガスを室内に充満させていたのであるから,自殺するためにガスコンロのスイッチを意図的に頭で押し込むことは不自然とはいえないことからすると,被告人がガスコンロのスイッチを意識的に押し込んで点火したものと認められる,イ被告人の捜査段階の自白は,①ないし③の情況的事実と整合しており,これらによってその信用性を支えられている上,④被告人を取調べた警察官であるFらの1審公判供述によって認められる,被告人が余りの被害の大きさに驚愕し,怖くなって,当初故意にガス爆発を起こしたことを否認したが,捜査官に矛盾点をつかれ,あるいは,嘘ばかりの人生でよいのかなどと諭され,泣き出しながら本当のことを話そうと思い自白したという供述の経緯は自然なものであること,⑤自白内容の概要はほぼ一貫しているし,その際の心理状態,点火の仕方等に関する供述内容は,具体的である上,点火方法は特異なものであって,実際に実行した者でないと語り得ない迫真性もあり,被告人が1時間以上もガスコンロの前に座っているにもかかわらず,死ねないという状況下で,スイッチが視界に入り,とっさに最も近くにあった身体の部分でスイッチを押すという行動に出たというのも十分あり得るといえることからして,信用することができる,としている。

しかしながら,②は,被告人の治療に当たった医師であるEの警察官調書(1審甲17)の「爆発事故の現場に居たにもかかわらず,気道内に熱傷を負っていない理由としては,爆発時に,Xさんが呼吸をしていなかったということが考えられます」という供述部分及び同Gの検察官調書(同意部分,1審甲23)の「Xさんが,爆発のとき意図的に呼吸を止めていたのであれば,気道熱傷や口腔内の熱傷が起きていないことは全く不自然ではない上,むしろ呼吸を止めていた可能性は高いとすら思います」という供述部分に依拠したものであると考えられる。しかしながら,Eの回答書(控訴審弁6)では,Eは,「調書に一部受傷機転について断定したかのような記載がありますが,気道熱傷が結果的になかったということは,爆発の程度や暴露の時間,患者さんの呼吸の様態など,様々な側面から考える必要があるかと思われます。供述調書の際は,患者さんが呼吸をしていたかどうかについてのみ焦点をしぼり,質問をうけた印象があります。しかし,長時間意識的に呼吸を止めていたかどうかを,これだけで判断するのは難しいと考えます」と答えており,また,Gの回答書(控訴審弁7)では,Gは,「私の調書ではXさんに気道熱傷がなかった理由を推測するのにひとつの仮定を述べたにすぎません」「「意識的」に息を止めたと断定している訳ではありません」と答えているのである。そうすると,本件ガスの引火,爆発当時,被告人が呼吸をしていなかったという可能性はあるが,意識的に呼吸を止めていたとまで認定することはできない。そして,①の事実からは,ガスコンロを点火するためには,点火スイッチを意識して押し込まなければならないと認めることができるに止まり,③の事実は,被告人に犯行の動機があるというに過ぎないのであるから,その推認力は弱く,これらを併せ考慮しても,本件ガスの引火,爆発の原因は,被告人がガスコンロのスイッチを頭で意識的に押し込んで点火したことによるものであるとまで認定することはできないといわなければならない。また,被告人の捜査段階の自白は,①ないし③(ただし,②は可能性に止まる)の事実と矛盾しないということができるが,1審判決が説示するように,これらの事実によって信用性を支えられているとまで評価することはできない。

被告人は,1審公判において,平成21年1月21日に警察官から取調べを受けたときに,最初は,自殺しようとしたことを家族に隠すため,ラーメンを作ろうとしてガスコンロのスイッチを押したら爆発したという嘘の供述をしたところ,警察官が「のぼせるな」と言って握り拳で机を叩いて怒り出したので,嘘を言ってしまった自分のことが情けなくなって号泣した,その後,近隣住民の被害者に迷惑をかけているので正直に本当のことを話そうと考え,自殺するためにガスを流出させ,ガス台の側に座った姿勢で意識を失って倒れたときに右前額部がガスコンロのスイッチに当たったという供述をしたが,警察官から,違う,ガスに火をつけて爆発させて自殺しようとしたんだろうと否定され続けたため,疲れてもういいやなどというなげやりな気持ちになり,警察官が言うとおりに頭で意識的にガスコンロのスイッチを押して点火したことを認める自白をした,その後,逮捕・勾留されて取調べを受けたが,警察官に対して一時期否認したことがあるだけで,警察官・検察官に対しては自白を維持した,と供述している。1審判決が指摘する⑤の自白の一貫性,具体性,迫真性などは,抽象的,一般的なものであって,本件引火,爆発当時,被告人は,両手が使用でき,その手でガスコンロの点火スイッチを押し込むことが容易にできたはずであるにもかかわらず,頭でこれを行ったなどというのは極めて不合理な内容であること,当初,ガスコンロのスイッチに偶然頭が当たったという供述をしたが,警察官から受け入れてもらえないばかりか,故意にガスに火をつけて爆発させたと強く言われたため,頭がガスコンロのスイッチに当たったという点は維持したが,偶然頭が当たったという供述部分を変えて,故意に頭でガスコンロのスイッチを押し込んだという供述をすることにより,警察官の厳しい取調べから逃れるということは,あり得ない事態ではなく,そのために放火方法が特異なものになっていると考えれば,納得できることなど,見方を変えれば反対の解釈を容れる余地があるのであるから,自白の信用性を判断する上では決め手とはならない(なお,被告人の検察官調書についての録音・録画状況等報告書謄本(1審甲25)は,被告人の上記公判供述の信用性を判断する上では,役に立たない)。また,被告人を取調べた警察官であるFらの1審公判供述によって認められる⑤の供述経緯の自然性については,他方で,その経緯を否定する上記の被告人の1審公判供述が存在するところ,被告人の上記の1審公判供述は,客観的証拠に反して虚偽であるとして一概に否定することができず,また,その内容にも明らかに不自然かつ不合理な点は見当たらないのであるから,信用性をたやすく排斥することができない。

以上からすると,被告人の捜査段階の自白は,信用性に乏しいというべきであり,弁護人の主張は,その限りでは理由がある。

(4)火災原因

上記のとおり,本件の火災原因については,被告人の捜査段階の自白,及び,1審公判段階の供述のいずれも信用できないことになり,種々の可能性を考えるべきことになるが,その可能性としては,①冷蔵庫の圧縮機始動装置の作動時の火花等による偶発的な事故,②タバコの火の不始末等による失火,③放火に大別できるところ,②は,そもそも被告人自身がそのような主張をしておらず,また,被告人が自殺するためにリビングダイニング内にガスを流出,充満させていたところに,何らかの事情で誤って引火,爆発させたことをうかがわせる証拠も皆無なのであるから,この可能性は否定することができる。①の偶発的な事故の可能性のうち,建物火災調査書添付の火災原因判定書写し(控訴審検1)によると,冷蔵庫の圧縮機始動装置の作動時の火花による引火,爆発から火災に至った例があるとされ,被告人も「カチッ」という音がしたなどと述べているので,この点を特に検討するに,控訴審で取り調べた証人Hの供述によれば,被告人方にあった冷蔵庫の圧縮機及びこれと関連する部品は,外気に触れるような形で火花が出ることはない構造になっていることが認められるのであるから,これが原因でガスに引火,爆発させたとは考えられず,冷蔵庫の圧縮機始動装置の作動時の火花による引火,爆発の可能性は否定することができる。もっとも,冷蔵庫以外の電気製品やコンセント等の不具合等の火源になるものがあって,これが引火,爆発を引き起こした偶発的な事故である可能性が全くないとは言い切れない。

しかし,そのような偶発的な事故の可能性は,抽象的なものであり,あり得ないとまではいえないという程度の可能性であること,本件のガスの引火,爆発が起こった際に,その現場にいた被告人は,出火原因,すなわち,ガスに引火,爆発が生じた原因について,自己の行為によるものか否かを最もよく知り得る立場にあることからして,そのような偶発的な事故であるとした場合,被告人は,当初から,本件火災の原因は分からない,自殺しようとしてガスを出していたところ,突然爆発したなどと供述するはずである。そうであるのに,被告人は,ラーメンを作ろうとしてガスコンロの点火スイッチを押した,などという自らも認める明らかな嘘はもとより(なお,被告人が意図的にガスを流出させていたことは,ガスの元栓が不自然な半開状態にあり,ガスコンロとガス元栓をつなぐガスホースも外されていたことから明らかであって,そのような状況下で,ラーメンを作るためにガスコンロを点火させようとすること自体到底考えられない),上記のとおり,1審公判では,頭からビニール袋をかぶってガスを吸っていたときにカチッという音がして引火,爆発した,などという客観的な事実と整合しない供述をしているのであって,極めて不合理かつ不自然な供述態度であることからすると,出火原因が,電気製品の不具合等の偶発的な事故によるものであるという可能性は否定することができる。

そして,被告人は,自殺をしようとしていたのであるから,ガスを吸引することで死ぬことができない以上,ガスに引火,爆発させて死のうとするのは自然な成り行きであり,その動機はあること,上記のとおり,被告人が,明らかな嘘の供述や客観的な事実に反する供述をしていることからして,被告人は,自らの罪を免れるため,本当は知っているはずの真相を隠そうとしているものとしか考えられない。そうすると,本件の出火原因は,被告人の意図的な行為,すなわち,何らかの方法による放火であると推認することができる(なお,被告人が,自宅1階のリビングダイニングの周囲にある戸を閉めたにせよ,さらに目張りするなどして密閉したとまでは認定できず,換気を困難にしたとの認定にとどめるのが相当である)。

第4  破棄自判

以上のとおりであるから,1審判決には,判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認がある。そこで,刑訴法397条1項,382条により,1審判決を破棄し,同法400条ただし書を適用して,被告事件について,更に判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は,自殺しようと考え,平成20年12月27日午後6時10分ころから同日午後7時30分ころまでの間,長崎市深堀町<番地略>所在のAらが現に住居に使用する木造スレート葺2階建ての当時の被告人方(総床面積88.2平方メートル)1階リビングダイニングにおいて,周囲の戸を閉めて同リビングダイニング内とその外部との換気を困難にした上,同リビングダイニングの台所に設置されたガス元栓とガスコンロを接続しているガスホースをガスコンロから取り外し,同元栓を開栓して可燃性混合気体であるP13A都市ガスを流出させて同リビングダイニングに同ガスを充満させたが,同ガスが無害で,これを吸入するだけでは自殺できなかったことから,自殺を果たすために同ガスに引火,爆発させることを企て,これにより上記被告人方や周辺の居宅に着火するかもしれないことを認識しながら,同日午後7時30分ころ,何らかの方法により,同リビングダイニングに充満した同ガスに引火,爆発させ,上記被告人方に火を放ち,上記被告人方を全焼させるとともに,別紙記載のとおり,上記被告人方周辺のB方等の居宅3軒の各一部を燃焼させ,それぞれ焼損させたものである。

(証拠の標目)<省略>

なお,1審弁護人は,本件当時,被告人がうつ状態のため,心神喪失又は心神耗弱の状態にあり,完全責任能力がなかった,と主張する。

しかしながら,被告人には,本件犯行前から犯行後に至るまで,抑うつ的な気分が見られるが,特定の精神疾患と診断されたことはなく,通常の社会生活を営むことが可能な状態であったこと,自殺のためという本件犯行の動機は了解可能であること,被告人が流出させたガスに点火した手段,方法は不明であるが,自殺目的で何らかの方法によりガスに引火,爆発させたという犯行態様は合理的であって,異常な点は見られないこと,犯行直後から責任回避のために虚偽の弁解をすることができたこと,本件犯行の直前までの被告人の記憶に著しい欠落はないことからすると,被告人の事理弁識能力及び制御能力に著しい減退はなかったとした1審判決の結論は,正当としてこれを是認することができる。

(法令の適用)

「未決勾留日数算入」とあるのを「1審における未決勾留日数算入」と,「訴訟費用の不負担」とあるのを「1審及び控訴審における訴訟費用の不負担」に改めるほか,1審判決記載のとおりである。

(量刑の理由)

本件は,被告人が,自宅リビングダイニングで,ガスの元栓を半開し,ガス吸入による自殺を図ったが,死ぬことができなかったことから,爆死することを考え,ガスが充満している同ダイニング内で,何らかの方法によりガスに引火,爆発させ,当時の被告人方を全焼させるとともに,周辺の居宅3軒の一部を燃やした,現住建造物等放火の事案である。

被告人方周囲は住宅地であるにもかかわらず,被告人は,自宅リビングダイニング内に流出させていた多量のガスに,何らかの方法により,引火,爆発させたものであり,本件の犯行態様は,極めて危険なものである。その結果,被告人方は全焼し,妻子が住む家はもとより,家財等もほぼすべて焼損させてしまっている。また,一部を焼損した周辺の居宅3軒も,その焼損面積こそ少ないものの,爆発の衝撃や消火活動に伴う放水により,家屋や家財道具が損壊するなど,高額の損害を被っており,周辺住民に与えた影響も大きい。被告人が自己の不甲斐なさから自殺を考えるまでに追いつめられていたにせよ,そのような事態に至った経緯には,被告人の不適切な行動の積み重ねが影響していたといわざるを得ないし,そもそも,そうであるからといって,本件のごとき公共の危険を害する行為について,酌むべき事情ということはできない。加えて,被告人が,放火行為を否認しており,真摯な反省がみられないことも併せ考慮すると,被告人の刑事責任は相当に重いというべきである。

そうすると,被告人が,周辺住民に対し,妻とともに謝罪していること,本件当時,被告人が抑うつ状態にあり,多少なりとも判断能力が低下していたといえること,前科はないことなどの一般情状を併せ考慮しても,酌量減軽を施すべき事案とはいえないが,刑訴法402条により,酌量減軽の上,1審判決の刑を超えない限度で,主文の量刑をした。

よって,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 陶山博生 裁判官 溝國禎久 裁判官 岩田光生)

別紙<省略>

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