福岡高等裁判所 平成22年(う)403号 判決 2011年2月23日
主文
本件控訴を棄却する。
当審における未決勾留日数中150日を原判決の懲役刑に算入する。
理由
本件控訴の趣意は,弁護人赤木孝旨提出の控訴趣意書に記載されたとおりであり(なお,弁護人は,控訴趣意書において経験則違反を指摘しているが,控訴趣意は事実誤認の主張に尽きる旨釈明した),これに対する答弁は,検察官秤屋雄一提出の答弁書に記載されたとおりであるから。これらを引用する。論旨は,事実誤認の主張である。
そこで,記録を調査し,当審における事実取調べの結果を併せて検討する。
第1事案の概要等
1 原判決が認定した罪となるべき事実の要旨は以下のとおりであり,訴因変更後の本件公訴事実と同旨である。
「被告人は,営利の目的で,みだりに,覚せい剤を本邦に輸入しようと企て,氏名不詳者らと共謀の上,平成21年8月17日(現地時間),マレーシアのクアラルンプール国際空港において,a航空第b便に搭乗するに当たり,覚せい剤であるフエニルメチルアミノプロパンの塩酸塩の結晶約1188.47グラム(以下「本件覚せい剤」という)を隠匿したソフトスーツケース(以下「本件スーツケース」という)を機内預託手荷物として運送委託し,シンガポール・チャンギ国際空港で同航空機からa航空第c便に積み替えさせた上,同月18日午前7時55分ころ,福岡空港に到着させ,情を知らない同空港関係作業員らをして,本件覚せい剤を同航空機から搬出させて本邦内に持ち込んで輸入するとともに,同日,同空港内の門司税関福岡空港税関支署入国旅具検査場(以下,単に「旅具検査場」という)において,携帯品検査を受けるに際し,本件覚せい剤を隠匿していることを申告しないまま旅具検査場を通過して輸入してはならない貨物である本件覚せい剤を輸入しようとしたが,税関職員に発見されたため,その目的を遂げなかった」
2 原審において,被告人は,本件スーツケースに本件覚せい剤が隠匿されていることは全く知らなかった旨供述し,弁護人らも,被告人には覚せい剤取締法違反(覚せい剤の営利目的輸入罪)及び関税法違反(輸入禁制品である覚せい剤の輸入未遂罪。以下,併せて「覚せい剤営利目的輸入罪等」という)の故意はなく,したがって,氏名不詳者らとの共謀も営利の目的もなかったから,被告人は無罪であると主張した。
3 原判決は,「事実認定の補足説明」の項において,本件覚せい剤の発見状況及び旅具検査場における被告人の言動等を認定するとともに,被告人の弁解は総じて不自然かつ不合理であるなどと判示した上で,「被告人の税関での言動に加え,被告人が運び屋となる動機の存在,被告人の弁解状況などの諸事情を総合的に勘案すれば,被告人が本件スーツケース内の覚せい剤を含む違法薬物について認識していたことを推認することができる」上,被告人には,氏名不詳者らとの共謀も営利の目的も認められる旨説示して,被告人に覚せい剤営利目的輸入罪等の共同正犯の成立を認めた。
4 これに対し,被告人が控訴した。
第2控訴趣意の要旨
被告人は本件スーツケースに本件覚せい剤が隠匿されていることを知らず,被告人には氏名不詳者らとの共謀も営利の目的もなかったから,被告人に覚せい剤営利目的輸入罪等の共同正犯としての責任を認めた原判決には,判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある。
第3当裁判所の判断
被告人に覚せい剤営利目的輸入罪等の共同正犯としての責任を認めた原判決は,「事実認定の補足説明」の項で説示するところも含めて正当であるから,原判決に事実の誤認は認められない。以下,所論に鑑み,補足して説明する。
1 関係証拠によれば,以下の事実が認められる。
(1) 被告人は,平成21年8月18日午前7時55分ころ(以下,同日については時間のみを表示する),a航空第c便で福岡空港に到着した後,旅具検査場6番免税検査台において,税関職員A(以下「A」という)による本件スーツケースの開披検査に応じた。
(2) その際,Aは,本件スーツケースの両側面に異常な厚みを感じるとともに,外布を通して「ジャリジャリ」という異物感に気づいたことから,本件スーツケースのX線検査を実施することにし,被告人もこれに応じた。すると,本件スーツケースの両側面に異影が確認されたことから,Aは,被告人に,本件スーツケースのX線検査の写真に映った異影を示しながら,「これは何ですか」と尋ねると,被告人が「分からない」と答えたので,「異影を確認したいので一緒に来てください」と言って,午前8時25分ころ,被告人とともに第2検査場に移動した。
(3) 第2検査場において,Aは,空の状態の本件スーツケースのX線検査を実施し,被告人に異影の映ったモニター画面を確認させたところ,被告人は,「映っているのは分かるが,それが何かは分からない」と答えた。そこで,Aは,被告人に対し,本件スーツケースの解体検査を求めたところ,被告人は急に怒り出し,「スーツケースは私のものだ。解体検査には応じない。私は,何も同意しないし,何も話さない」と強い口調でまくし立て,Aが何度説得しても,弁護士を呼ぶように求めて,解体検査に応じようとはしなかった。
その後,税関職員D(以下「D」という)が,Aに代わって被告人に応対し,「X線検査で異影が映っていたでしょ。中に何が入っているか確認したい」などと説得に努めたが,被告人の拒否の姿勢は変わらなかったので,「中に何が入っているか分からない限り,通関の許可はできない」と話すと,被告人は,「許可しなくていいから,このまま私をマレーシアへ返せ」と言い返した。さらに,被告人は,「私は,何も話さない。弁護士を呼べ。このスーツケースの中に非合法な物が入っているかどうかは裁判で話す」と言ったので,Dが,「非合法な物とは何ですか」と尋ねると,被告人は「答えたくない」と返事した。その後,被告人は,午前9時21分ころ,「異影は見ていないし,分からない」と言い出し,下を向いてDの質問にも全く答えなくなった。
(4) ところが,被告人は,午前11時25分ころ,突然,「麻薬探知犬に嗅がせればいい」「麻薬探知犬がかきむしったら,解体検査の同意書にサインしてもいい。反応しなかったら私を自由にして欲しい」と発言したので,Dは,「入っているものが何かを確認するまでは検査は終われない」旨応じた。
(5) その後,Dは,本件スーツケースのことには触れないで,旅行日程や被告人の生活状況等について,被告人としばらく雑談をした後,供述調書を作成するため,供述拒否権を説明した上で,人定事項や渡航目的等について質問したが,被告人は,過去の処罰歴と航空券の手配状況については回答しなかった。そして,午後1時59分ころ,Dが供述調書を作成する準備をしていたところ,被告人は,突然,ニヤニヤと笑いながら,「もし,スーツケースの中にドラッグが入っていたとして,自分は何も知らず,ただ誰か別の人物からスーツケースを日本の友達に渡すよう頼まれただけだった場合には,有罪になるのか」と尋ねてきたので,Dは,「私たちは有罪か無罪かを決める立場にない。私たちは証拠を収集し,有罪か無罪かを決める人達に判断材料を渡すだけだ」と答えると,被告人は,「仮定の話だが,このスーツケースの中にドラッグが入っていたとしても,私が指示したわけではなく,利用されただけだから,私ではなく,指示を出した黒幕を捕まえるべきだ」と言った。これに対し,Dが,「黒幕がいるなら協力してくれないと捕まえられない」と切り返すと,被告人は,笑いながら,「あくまでも仮定の話だ」と述べた。
(6) 午後2時24分ころ,被告人は,用意された軽食を摂ったが,その後,供述調書を作成していたDに対し,「さっきから言うように,私はスーツケースのことは何も知らない。もし,スーツケースを運んで50万円貰えるとしても,そんなお金は必要ない。私は運び屋ではない」などと言い出し,その後,「日本でも薬物で得た利益は没収されるのか」と質問したり,マレーシア等における薬物事情を話すなどした。
(7) 午後4時2分ころ,Dは,ようやく到着した福岡簡易裁判所裁判官発付の差押許可状を被告人に提示した上でその内容を説明し,本件スーツケースの解体作業に取り掛かった。そして,本件スーツケースの内張をはがすと,左右の側面の枠と外張りの間に,白色結晶入りの透明チャック付きポリ袋が4袋ずつ,合計8袋が収納されているのが発見され,仮鑑定の結果,覚せい剤を示す反応が出た。その後,被告人は,事情聴取を受けてから,午後8時6分,本件覚せい剤の営利目的輸入の被疑事実で緊急逮捕された。
2 原判決は,これらの事実を前提にして,上記のとおり,被告人は,本件スーツケース内に覚せい剤を含む違法薬物が隠匿されていることを認識していたと推認することができるとした上で,大量の覚せい剤を海外から日本に持ち込むという本件の犯行態様,被告人自身が背後の黒幕の存在をほのめかす趣旨の発言をしていること,被告人は犯行当時金銭的に困窮していたことなどにも照らすと,被告人は,氏名不詳者らと共謀の上,報酬を得る目的で,本件犯行に及んだと認めることができると判示して,被告人に覚せい剤営利目的輸入罪等の共同正犯の成立を認めているところ,所論は,①本件スーツケースに禁制品が入っていることを認識していなくても,税関でX線検査までされ,異影が映し出されれば,一般人でも,本件スーツケースの中に禁制品である麻薬等の違法薬物が入っていると疑われていると考えるのが通例であるから,被告人が,本件スーツケース内の異影が違法薬物であることを前提に発言したのは極めて自然であって,一連の被告人の言動から,被告人が本件スーツケース内に違法薬物が隠匿されていると認識していたと推認することはできない,②被告人が,本件スーツケースの解体検査を拒んだのは,食事もろくに与えられず,弁護士の立会いを要求しても聞き入れてもらえなかったことから,税関に対して怒りの感情を抱いたからであるし,本件スーツケースが解体されると,日本にいるCの知人に本件スーツケースを渡すというCとの約束が果たせなくなるからである,③被告人が本件スーツケース内に大量の覚せい剤が隠匿されていることを認識していたのであれば,「麻薬探知犬に嗅がせろ」と発言することは自殺行為に等しく,この被告人の発言は,むしろ被告人が本件スーツケース内に違法薬物が隠匿されていることを認識していなかったことを推認させる,と主張して,原判決を批判している。
3 そこで検討するに,まず,所論①についてみると,たしかに,税関における携帯品検査の際,X線検査まで受けて異影が確認され,税関職員から「これは何か」と質問されれば,所論が指摘するように,スーツケース内に違法薬物が入っていると疑われていると危惧することがないとはいえないものの,そのとき,スーツケース内の異影に全く心当たりがないのであれば,まずその異影が何であるのかを確認しようとするのが自然な行動であるし,ましてや,それが違法薬物であると確認されたときは,そのスーツケースを携行するに至った事情やそのような違法薬物が隠匿された可能性等について具体的に説明して疑惑を晴らそうと努めるのが自然かつ合理的な行動であると考えられる。ところが,被告人は,本件スーツケースに対するX線検査で異影が映し出されるや,「それが何かは分からない」と答えただけでなく,本件スーツケースの解体検査を頑なに拒み続けるとともに,日本に到着したばかりなのに「このまま私をマレーシアへ返せ」と発言したり,また,X線検査では異影が何かさえ判明していないのに,「このスーツケースの中に非合法な物が入っているかどうかは裁判で話す」とか,「麻薬探知犬に嗅がせればいい」「麻薬探知犬がかきむしったら,解体検査の同意書にサインしてもいい」とか,「もし,スーツケースの中にドラッグが入っていたとして,自分は何も知らず,ただ誰か別の人物からスーツケースを日本の友達に渡すよう頼まれただけだった場合には有罪になるのか」,「ドラッグが入っていたとしても,私が指示したわけではなく,利用されただけだから,私ではなく,指示を出した黒幕を捕まえるべきだ」とか述べて,X線で映し出された異影が違法薬物であると分かっているかのような発言を繰り返すなどしていたのであって,このような被告人の一連の言動は,本件スーツケースに本件覚せい剤が隠匿されていたことを全く知らなかった者の行動としては極めて不自然であることは明らかであり,かえって,被告人が本件スーツケースには覚せい剤を含む違法薬物が隠匿されていることを知っていたと強く推認することができることは,原判決が正当に指摘するとおりである。さらに,被告人は,本件スーツケース内から本件覚せい剤が発見された後も,本件スーツケースを携行するに至った経緯やその中に本件覚せい剤が隠匿された可能性等について全く説明しようとはしていないことも併せ考えると,むしろ,被告人は本件スーツケース内に本件覚せい剤が隠匿されていることを知っていたと認めることさえできるといえる。
次に,所論②についてみると,被告人は,Aから本件スーツケースの解体検査を求められるや,急に怒り出し,「スーツケースは私のものだ。解体検査には応じない。私は,何も同意しないし,何も話さない」と強い口調でまくし立て,当初から解体検査を拒んでいたことに照らすと,被告人が解体検査を拒んだ理由が,所論のように,被告人が,食事を与えられなかったり,弁護士の立会い要求を聞き入れてもらえなかったことで,税関に対して怒りの感情を抱いたからであるとは到底認められない。また,被告人が本件スーツケースの解体検査に応じなかったのは,日本にいるCの知人に本件スーツケースを渡す約束をしていたからであるとの主張は,被告人の原審公判供述に依拠するものではあるが,それが信用し難いことは後述するとおりである。
さらに,所論③についても,覚せい剤の塩酸塩の結晶はもともと無臭であって,麻薬探知犬でも発見できない可能性がある上,被告人はマレーシア等における麻薬事情にも詳しかったことなどにも照らすと,被告人は,このような知識に基づき「麻薬探知犬に嗅がせればいい」などと発言し,本件スーツケースの解体検査を回避するための取引を持ちかけてきたとみることもできるから,所論のように,被告人が麻薬探知犬に嗅がせることを要求したことが,被告人が本件スーツケース内に違法薬物が隠匿されていることを認識していなかったことを推認させるとはいえない。
以上のとおり,所論①ないし③はいずれも採用できない。
4 さらに,所論は,④被告人は,以前ビジネスをしていたときの蓄え等で何度も海外旅行に行っており,被告人が金銭的に困窮していたと認めるに足りる証拠はない上,そもそも金銭的に困窮している者が違法薬物の運び屋になるわけではないから,被告人が運び屋となる動機は存在しない,⑤「買ったばかりの本件スーツケースをCの知人に無償で譲り渡す理由として,2つのスーツケースを持ち帰るのが困難だから」という被告人の説明は何ら不合理ではないし,被告人の供述は変遷していない,⑥ショッピングと観光の目的で来日したとの被告人の原審公判供述は何ら不自然ではない,と主張して,原判決を批判している。
5 しかしながら,所論④についてみると,被告人も,本件当時無職であったことは自認している上,被告人が所持していた携帯電話機には,平成21年3月ころ,被告人に対して借金の返済を迫る複数の着信メールがあったことが認められる(原審甲22)から,被告人が「金銭的にかなりの困窮状態にあった」と認定した原判決に誤りはない。また,原判決は,被告人が金銭的にかなりの困窮状態にあったことは「被告人が違法薬物の運び屋となる動機にはなり得る事情といえる」と指摘するにとどまるから,金銭的に困窮している者が違法薬物の運び屋になるわけではないとの所論は的を射ない主張である。
次に,所論⑤についてみると,被告人は,原審公判廷において,「本件スーツケースは,日本に出発する1週間前ころ,クアラルンプールのショッピングセンターで購入した。友人のCから,日本製のタソーというブランドのスーツケースを買ってきてほしいと頼まれた。そして,Cは,もしタソーのスーツケースを買うと,私は2つのスーツケースを持って帰ることになるが,2つのスーツケースを持って帰るのは不便なので,本件スーツケースを友人に渡せば,2つ持って帰らなくてもいいと提案してきたので,これに応じた」旨供述しているが,2つのスーツケースを持ち帰ることがそれほど困難であるとも考えられないことからすれば,被告人が購入したばかりの本件スーツケースをCの知人に渡す予定だったとの説明は必ずしも説得的であるとはいえない。加えて,被告人は,他方において,本件スーツケースを渡す予定にしていたCの知人について,「Cに尋ねていない。Cの友達というだけで十分だった」と答えるだけであり,また,連絡方法についても,「知らない。私の携帯電話かホテルに電話が掛かってくることになっていた」と曖昧な供述に終始している。さらに,被告人は,タソーのスーツケースを購入する理由について,当初は「Cが日本にあるタソーというブランドのスーツケースが非常に欲しいと言っていた」旨供述しながら,Cから本件スーツケースの代金を受け取る約束はなかったのかと質問されると,「買って帰ったタソーのスーツケースは,Cが私にプレゼントしてくれるのではないかとも思っていた」と供述するに至っており,その間の供述には変遷があると見ざるを得ない。これらに照らすと,本件スーツケースを日本にいるCの知人に渡す予定だったとの被告人の上記供述は到底信用し難いというほかない。
また,所論⑥については,被告人は,上記のとおり,「金銭的にかなりの困窮状態にあった」と認められるのに,平成20年8月から平成21年1月までの半年弱の間に4日から6日間の短期滞在で7回も来日していること(原審甲21)や,今回来日した際の航空券等の手配はすべて知人に頼んでいて詳しい旅行代金等さえ確認していないと述べていることなどに照らすと,ショッピングや観光の目的で来日したとの被告人の原審公判供述は到底信用し難いといわざるを得ない。
以上のとおり,所論④ないし⑥も採用できない。
6 その他,所論はるる主張するが,いずれも上記判断を左右するものではない。以上によれば,事実誤認をいう論旨は理由がない。
第4結論
よって,刑事訴訟法396条により本件控訴を棄却し,刑法21条を適用して当審における未決勾留日数中150日を原判決の懲役刑に算入し,当審における訴訟費用は刑事訴訟法181条1項ただし書を適用して被告人に負担させないこととして,主文のとおり判決する。