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福岡高等裁判所 平成25年(ネ)537号 判決 2014年3月13日

控訴人兼附帯被控訴人(以下「控訴人」という。)

学校法人Y大学

同代表者理事長

同訴訟代理人弁護士

三ツ角直正

加茂雅也

徳川泉

被控訴人兼附帯控訴人(以下「被控訴人」という。)

同訴訟代理人弁護士

石井将

水野幹男

主文

1  控訴人の控訴に基づき、原判決中控訴人敗訴部分を取り消す。

2  被控訴人の請求をいずれも棄却する。

3  本件附帯控訴を棄却する。

4  訴訟費用は、第1、2審を通じ、被控訴人の負担とする。

事実及び理由

第1当事者の求めた裁判

1  控訴の趣旨

主文第1、2、4項同旨

2  控訴の趣旨に対する答弁

(1)  本件控訴を棄却する。

(2)  控訴費用は控訴人の負担とする。

3  附帯控訴の趣旨

(1)  原判決を次のとおり変更する。

(2)  被控訴人が、控訴人に対し、労働契約上の権利を有する地位にあることを確認する。

(3)  控訴人は、被控訴人に対し、801万4752円及びこれに対する平成20年6月28日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

(4)  控訴人は、被控訴人に対し、4541万6928円及び平成26年1月1日から本判決確定の日まで毎月20日限り月額66万7896円の割合による金員を支払え。

(5)  控訴人は、被控訴人に対し、1606万7449円及びこれに対する平成25年11月28日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

(6)  訴訟費用は、第1、2審とも、控訴人の負担とする。

4  附帯控訴の趣旨に対する答弁

(1)  本件附帯控訴を棄却する。

(2)  附帯控訴費用は被控訴人の負担とする。

第2事案の概要(略称は、本判決において特に記載しない限り、原判決の例による。)

1  本件は、控訴人の設置する大学b学部の助教授であった被控訴人が、平成17年12月27日に硬膜動静脈瘻による脳内出血(本件疾病)を発症したことについて、心身の故障による長期休養に基づく休職期間が満了したため労働契約が終了したと主張する控訴人に対し、控訴人における過重な業務に起因して発症したものであるから、この契約終了が労基法の解雇制限に反している旨、民法536条2項にいう控訴人の責めに帰すべき事由により被控訴人が労務を提供できなかった旨を主張して、①労働契約上の地位の確認を求めたほか、②未払給与(平成19年5月1日から平成20年4月30日まで12か月分及びこれに対する遅延損害金並びに同年5月1日から本判決確定日まで毎月95万9008円)の支払を求めたものである。

原審が、上記①の請求を認容し、②の請求を一部認容したので、控訴人がこれを不服として控訴を提起し、被控訴人も上記のとおり附帯控訴を提起した。なお、被控訴人は、原審では、給与月額66万7896円と年間賞与349万3346円を合算した年収の1か月平均額である95万9008円を1か月分とし、平成20年4月30日まで12か月の未払分と本判決確定までの将来分の支払を求めていたが、当審では、給与(上記12か月分並びに平成20年5月1日から平成25年12月31日まで68か月分及び平成26年1月1日から本判決確定の日までの給与の請求(附帯控訴の趣旨(3)、(4))と賞与を区分し、賞与は、平成19年6月20日から平成25年6月20日までの未払分に限定して請求した(附帯控訴の趣旨(5))。

2  前提事実、争点及び争点に関する当事者の主張は、3ないし6のとおり当審における主張を付加するほかは、原判決の「事実及び理由」中「第2 事案の概要」1ないし3に記載のとおりであるから、これを引用する。ただし、原判決7頁8行目の「週2回」を「週1回」と改める。

3  争点(1)(被控訴人の業務と本件疾病との因果関係)について

(控訴人の主張)

(1) 業務の過重性について

ア 量的過重性について

(ア) 発症2か月前(平成17年10月28日から同年11月26日まで)

a 平成17年11月2日から同月6日までの上海出張について

原判決は、出張業務に従事した日について、被控訴人の出張先での行動が明らかである場合は、業務に従事したと評価できる時間について労働時間として計上し、被控訴人の行動が必ずしも明らかでない場合は、一般的に所定労働時間とされることが多い、午前9時から午後6時まで労働したものと扱うのが相当であると判示して、これに基づく出張中の労働時間の算定を行っている。

しかし、出張伺いを提出して控訴人の承認を得た出張命令に基づく出張の場合であれば格別、私事旅行願を提出して私事旅行として承認されたにすぎない場合や無届の旅行(出張)まで含めている点で明らかに不合理である。

上記出張の私事旅行願の旅行目的欄には、「上海廃棄物最終処分場の見学および情報交換」と記載されている(書証<省略>)が、私事旅行として承認されたものにすぎず、同行者はおらず、出張中の具体的行動が把握できる客観的資料はない。そうすると、この5日間については全く労働時間として計上する余地はなく、一律8時間もの労働時間を計上した原判決は誤りである。

仮に、業務として評価される余地があるとしても、往復の移動時間は労働時間として計上すべきではない。

b 平成17年11月10日から同月12日までの東京出張について

上記出張は完全に無届の出張であるから、労働時間として計上する余地はない。初日の11月10日は、始業時刻は9時30分とみて、3限と4限の授業があるが、飛行機の出発時刻(16時35分)から逆算して、終業時刻は15時とみた上、1時間の休憩時間を控除した4時間30分を労働時間として計上し得るにとどまる。

仮に、出張期間中のCとの面接時間と廃棄物問題に関するフィンランド・日本技術交流会出席に要した時間を労働時間として計上するにしても、移動時間は労働時間として計上すべきではないから、11月10日に追加計上できるのはCとの面接時間である1時間にとどまり、同月11日については、シンポジウム受付開始が9時、1時間の昼食時間をはさみ、17時に閉会であるから(書証<省略>)、7時間を計上できるにとどまる。同月12日については、会議受付開始が9時で、12時までのプログラムの後、12時から13時は昼食となっており、移動時間を計上すべきでないから、労働時間としては3時間を計上できるにとどまる。なお、控訴人は、同月11日につき8時間、同月12日につき5時間の労働時間を計上していたが、これは甲96が提出される前に労働時間の集計がされていたことに起因し、甲96提出後もそのままにしているのは、時間数の食い違いは大きくなく、業務過重性の判断に影響を及ぼすことがないためである。

c 発症2か月前の時間外労働時間数と業務の量的過重性

以上述べたことを前提とすれば、平成17年10月30日から同年11月5日まで、同月6日から同月12日までの時間外労働時間数はいずれも0時間であり、発症2か月前の時間外労働時間数は43時間28分にとどまる。

(イ) 発症3か月前(平成17年9月28日から同年10月27日まで)

サルディニア出張中も2日は観光に充てられていた。また、原判決は、平成17年9月29日から同年10月10日にかけてのサルディニア・ロンドン出張について、移動時間を労働時間として計上している。サルディニア・ロンドン間の移動について、仮に労働時間を計上するとしても、せいぜい1、2時間にとどまるべきである。そうすると、発症3か月前の時間外労働時間数は50時間前後にすぎない。

(ウ) それ以外の出張について

a 発症直近の中国出張初日(平成17年12月21日)は業務実態がなく、移動だけであるから、同日の労働時間は0時間とすべきである(ただし、時間外労働時間数には影響しない。)。

b 平成17年7月4日の函館出張初日は、出張先での労働実態がなく、移動時間も労働時間に計上すべきでないので、計上できる労働時間は午前中の出勤にかかる2時間半にとどまる(ただし、時間外労働時間数には影響しない。)。5日間の旅程のうち半分以上が観光に充てられている。同月17日から21日にかけての上海出張についても、移動時間を要することは自明であるから、初日と最終日についてそれぞれ4、5時間程度は移動時間として控除すべきである。

イ 業務の質的過重性について

(ア) 後任者であるCが担当しきれなかったことについて

原判決は、被控訴人は後任者であるCが1人では担当しきれないほど多くの授業を担当していたなどとして、暗に量的過重性とも関連させて労働密度の高さを認めるような判示をしているが、被控訴人の学部、大学院を通じた担当授業数は他の教育職員と比較しても多くはないこと、Cが被控訴人からの引継を受けることができないまま着任後の業務をこなさなければならなかったことや学生相手に教鞭をとるのは初めての経験であったことなどの事実を考慮していない。

(イ) 教育に関する業務について

原判決は、被控訴人の主たる業務の1つである学部生及び大学院生に対する授業及び卒業論文・博士論文の指導等について、高度に専門的な知識を学生に教授するという業務の性質からすれば、その準備及び実践等のために相当程度の肉体的・精神的負荷を伴うものであるといえるとした上で、被控訴人が民間企業から大学の助教授に転職した教員であり、転職からさほど期間が経過していなかったことを踏まえると、肉体的・精神的負荷は、長年大学等において授業等に携わってきた研究者に比し、より一層大きかったことが推測されると判示している。

しかし、まず、民間企業から大学の教育職員に転職した職員だからといって、それのみの理由で、長年大学等で教育にも携わってきた研究者より肉体的負荷が大きいことはあり得ない。もちろん、教育に関する業務がない環境から、それがある環境に変わったことに伴う精神的負荷はそれなりにあったかもしれないが、それはあくまで環境の変化に伴う過渡的かつ一時的な精神的負荷であり、発症時には転職から既に4年半以上が経過していたのであるから、環境変化に起因する精神的負荷は相当程度減少していたはずである。

業務の性質からくる精神的負荷については、たとえ長年大学等で教育に携わってきた研究者であっても、教育が苦手な研究者はそうでない研究者よりも強い負荷がかかるであろうし、逆に民間企業からの転職者であってもそれほど教育に関する業務を精神的負担と感じない者がいてもおかしくはないのであって、一律に原判決のようにいえるはずはない。そもそも、どのような職種であっても、その職種なりの肉体的・精神的負荷は必ず存在する。大学教育に関する業務が他の職種に比べて明らかに著しい肉体的・精神的負荷を伴うものであるというのであれば格別、そうでない限り、ここにいう肉体的・精神的負荷が、血管病変等をその自然経過を超えて増悪させるほどの有意性ある過重負荷であるはずがない。

(ウ) 種々雑多な業務について

どのような職種であっても、多かれ少なかれ何らかの雑務をこなさなければならないことは自明であり、種々雑多な業務に従事していたことが、直ちに労働密度の高さを肯定する理由とはならない。

原判決の指摘する学内の各種会議への出席、各種委員としての業務、インターンシップ担当者としての業務等は、それらに割かれる労働時間はそれほど大きくなく、業務の量的過重性判断に影響を与えるようなものではないし、業務内容も相当程度の定型化・マニュアル化がなされて事務手続の大部分は教育技術職員にまかせることができたり、担当者以外の職員も業務を分担したりしていたのであって、質的な過重性をもたらすものではない。

(エ) 出張業務について

原判決は、発症前3か月間に合計5回27日間にわたり出張したことに伴う肉体的・精神的負荷も小さくなかったと考えられるとしている。

しかし、出張に伴う肉体的・精神的負荷が小さくなかったということと、これが過重であったということは全く別次元の問題である。

被控訴人の出張は、概して過重な肉体的・精神的負荷がかかるようなものではなかった。すなわち、移動時間の長さや時差などにより比較的負荷が高いと考えられる出張はサルディニア・ロンドン出張のみであり、これ以外の出張では移動時間も長くはなく、時差や寒暖差などの環境の変化も小さい。いずれの出張でも移動の大部分は飛行機によるものであり、移動中に仮眠を取ったり、リラックスしたりすることも可能であるし、出張先での労働密度も高いわけではなく、観光をしたり友人に会ったりと業務以外に割く時間も相当多かったのである。

(2) 業務上の過重負荷と脳内出血発症との間の因果関係について

被控訴人が脳内出血を発症する前から出血部位に存在していた硬膜動静脈瘻は、動脈と静脈が毛細血管を介さずに短絡し、動脈血が直接静脈に流れ込む病態であり、動脈圧が直接薄い静脈壁にかかるというそのこと自体、すなわち、硬膜動静脈瘻の病態そのものが脳内出血を惹起する確たる要因なのである。

また、動脈圧が直接薄い静脈壁にかかるというそのこと自体が脳内出血を引き起こす危険因子であるならば、被控訴人の高血圧が軽症の部類に属するからというだけの理由で、被控訴人の長期にわたる未治療の高血圧を脳内出血の発症因子として認めないという判断をしながら、業務上の負荷については逆の判断をしたことも不合理である。少なくとも、業務上のストレスと高血圧のいずれについても硬膜動静脈瘻の発生及び破綻との関係が医学的に十分解明されていない状況において、業務上の過重負荷を脳内出血発症の要因として認定しつつ、高血圧をその要因から排除する理由が軽症の部類に属するということだけというのは明らかにバランスを失している。高血圧であろうとなかろうと、動脈圧はもともと静脈壁にとって高すぎる圧力なのであるから、一般に軽症の部類に属する高血圧であり、血圧の上昇が比較的小さなものにとどまっていたとしても、それが硬膜動静脈瘻を自然経過を超えて増悪させ、脳内出血の発症に至らせる可能性は否定できないはずである。それにもかかわらず、軽症の部類ではあるものの長期にわたり未治療であった被控訴人の高血圧を脳内出血の要因として認めないというのであるならば、それと同じく、業務上の負荷も被控訴人の脳内出血の要因として認めるべきではない。

財団法人三友堂病院脳神経外科のI医師(以下「I医師」という。)の意見書(書証<省略>。以下「I意見書」という)における硬膜動静脈瘻(DAVF)の拡張、進展、出血機序に関する見解は、明確なエビデンスのないI医師独自の見解にすぎないほか、同意見書では、DAVFとは全く病態の異なる脳動脈破裂によるくも膜下出血を引き合いに出し、更にはDAVFとは直接関連しない心血管疾患に関する論文を持ち出して業務とDAVF破綻の関係を論ずるなどしており、その見解の合理性には多大な疑問がある。

(被控訴人の主張)

(1) 業務の量的過重性について

ア 時間外労働時間数を重視すべきかについて

控訴人が主張する業務過重性判断の枠組は、量的過重性に偏倚している。時間外労働時間が、平成13年12月12日付け基発第1063号における認定基準(以下「認定基準」という。)を下回った場合であっても、相当の時間外労働時間数や業務内容及び作業環境といった質的労働の過重性からみて、業務起因性を認めるべきである。認定基準によれば、発症前2か月間ないし6か月間にわたって、1か月当たりおおむね80時間を超える時間外労働が認められる場合は、業務と発症との関連性が強いと評価できるとされているが、原判決は、被控訴人の時間外労働が1か月当たり80時間を下回るとの認定をしながら、業務起因性を認めたものである。これは最近の裁判例の傾向に沿うものであり、認定基準において業務と発症との関連性が弱いとされる1か月45時間を下回った場合にも、業務起因性が認められている。労働基準監督署長による認定段階においても、1か月平均の時間外労働時間が60時間以上80時間未満であっても、年間20件前後の事案が業務上災害と認定されており、ごく少数であるが、45時間以上60時間未満でも、業務上災害と認定されている事例もある。

イ 出張について

原判決は、出張のための移動に要した時間については、出張業務の質的過重性の点で評価すれば足りるのであって、実作業という点での労働時間として計上することはできない旨を判示しているが、これは不当である。出張中の旅行時間は、実作業に必ずしも従事しているわけではないから、賃金支給の対象となる労働基準法上の労働時間とはいえないとしても、業務を遂行するために必要な時間であることに変わりはなく、だからこそ出張中の旅行時間中に生じた災害についても労災補償給付の対象となり得るのである。特に、海外旅行の場合は、移動距離との関係や交通機関による拘束時間の長さからいっても、業務遂行中の労災かどうかという点では労働時間とみるべきである。出張が業務に当たるかどうかは、賃金支給の対象になる業務より広く、労働契約に基づく使用者の明示、黙示の実質的支配下にあれば足りるというべきである。

原判決も指摘するように、出張承認の有無といった形式的なことではなく、被控訴人のする教育・研究とどのような関係に立つのかという実質的内容が重要であり、これをもって業務か否かを判断すべきである。

控訴人は平成17年11月2日から同月6日までの上海出張と、同年12月21日から同月26日までの上海出張を特に問題としている。

もともと、被控訴人が当初所属したq研究室は、産業廃棄物最終処分場の研究では全国でも著名で、その業績評価も高かったことから、福岡市から産業廃棄物の管理型最終処分場の研究委託を受けていたほどであった。したがって、被控訴人も、控訴人に勤務するようになった当初から、産業廃棄物最終処分場の研究に従事してきたものであって、中国出張もこの経過を無視して論じることはできない。特に、控訴人が福岡市と共同研究開発してきたごみ最終処分場(埋立地)建設工法(準好気性埋立構造。「○○方式」と呼ばれる。)について、s本部が、比較的簡易でコストが安く、かつ環境への影響が小さい工法であることに着目し(書証<省略>)、同本部と福岡市、控訴人及び民間企業との間でチームを作り、○○方式の効果実証のため中国山東省ほか3か所で試験的に導入したことがあった(書証<省略>)。そのことが契機となって、被控訴人は、発症直前まで頻繁に中国出張をすることとなったのである。

s本部が中国で○○方式の効果実証のためごみ最終処分場を建設するに際し、s本部の下に、福岡市、控訴人及び民間企業との三者によるチームが編成され、被控訴人は、当初から廃棄物最終処分場の専門家として参画していたのである。そして、被控訴人は、s本部の上記チームの業務が終了した後(平成17年には終了していたと思われる。)、中国での○○方式の普及と山東省青島や雲南省蒙自のパイロット実験サイトをフォローするために中国訪問を続けていた。

さらに、中国杭州の天子file_4.jpgに極めて大規模なごみ処分場の建設計画が持ち上がっており、n大学のJ教授と共に、建設計画地4区画のうち1区画の割当を受け、そこで、被控訴人が研究してきた埋立方式の実証工事をする運びになっていたのである。なお、このときに、福岡市内の民間会社に就職していた研究者もこのチームの一員となり、その後ずっと被控訴人と共に何度も中国を訪問し、研究・開発に携わってきた。平成17年11月2日から同月6日までの上海出張には、この研究者も同行していた(書証<省略>)。被控訴人らはJ教授と会って情報を交換し、かつ杭州の処分場建設計画現場に赴き、埋立ての責任者と会って今後の建設について打合せを行ったのであって、したがって、このときの私事旅行願(海外)(書証<省略>)に「上海廃棄物最終処分場の見学および情報交換」と記載したのは真実に合致している。

なお、平成17年12月21日からの上海出張における私事旅行願(海外)(書証<省略>)には、旅行目的として「n大学J教授訪問および情報交換」とされているが、同行した学部生・大学院生;r株式会社関係者と別れた後、杭州の前記工事現場に行ったものと容易に推測される。杭州の埋立建設計画現場では既に設計が終了しており、J教授や被控訴人が担当する区画においても実証工事に着手する段階に至っていたから、被控訴人がこの機会に合わせて現場を訪れたとみるのが最も自然であり、かつ、合理的である。おそらく、このとき上海出張に同行した者たちが見学を希望しても、国情もあるから直ちに同行して現場に入るということはできないため、あえて「友人と会う」(友人は工事の責任者か)と言ったにすぎないのである。

また、翌平成18年1月のスケジュールは一杯であり、上海出張の日程が容易にとれなかったことも、12月に訪問した一因と考えられる。なお、被控訴人の資料の中から、平成17年6月8日付けの「第12回○○方式中国プロジェクト ワーキンググループ会議」の資料(書証<省略>)が発見された。これによっても、中国プロジェクトについて継続的にミッションが計画されていたことは疑いを入れない。そして、同資料に「本年(平成17年)12月を目途に技術評価書を作成しなければならない」との記載があるが、これも12月の上海旅行を裏付けるものである。

さらに、大学総務課に出張の都度出張申請書(書証<省略>)が提出され、その承認が得られたとしても、実際に旅費支給がされるのは年2回分(東京3泊4日)が認められているにすぎない(書証<省略>)。そして、同申請書に「□ 私費出費(旅費不要)」の欄が設けられていることからすると、大学人事課に提出される私事旅行願とほとんど変わりなく、結局「私事」はせいぜい「私費」の意味でしかない。したがって、被控訴人の正式の出張手続がとられていたかどうかは、当該出張が業務に当たるかどうかの判断基準には到底なり得ない。

(2) 業務上の過重負荷と脳内出血発症との間の因果関係について

ア 硬膜動静脈瘻の疾患を有するからといって、必ずこれが破綻し、死亡するものではない。身体的・精神的な疲労、ストレスの蓄積による血圧の昂進は動静脈瘻の増悪及び破綻の原因になり得ることは、硬膜動静脈瘻と基本的に同じ病態である動静脈奇形についての裁判例がこれを肯定していることからも肯定できる(書証<省略>)。

イ 被控訴人の硬膜動静脈瘻(DAVF)は、長期間にわたり破裂しないまま経過したものであること、硬膜動静脈瘻は自然消失するケースがあることを考えれば、被控訴人の硬膜動静脈瘻をその自然経過を超えて破綻させた原因の考察が重要である。

I医師は、この点について、「本件被災者の質的、量的な過重労働に加えて、発症直前の中国出張は、過密なスケジュールと低温の気象条件などによる過重性の増大を介して、脆弱化していた被災者のDAVFに対する血行力学的負荷となって破綻の直接的要因となったものと考えられる」と述べ(書証<省略>)、脳内出血発症前の質的及び量的に過重な労働と発症直前の中国出張による心身の負荷が硬膜動静脈瘻の破綻の原因であると結論づけている。

ウ 基礎疾病を有する場合の判断基準について

被災者が基礎疾病を有している場合には、控訴人は、自然経過を超えて著しく増悪させることが客観的に認められる負荷といえるか否かによって決定するのが相当であると主張しているが、最高裁判例は、当該業務が被災者の有する「基礎疾病の自然経過を超えて増悪させた場合」には、業務起因性を認めている。

業務上外の認定における過重負荷の判断に際しては、平均人ではなく、本人を基準に判断すべきである。

4  争点(2)(民法536条2項所定の債権者の責めに帰すべき事由又は安全配慮義務違反の有無)について

(控訴人の主張)

控訴人に民法536条2項の責めに帰すべき事由はなく、仮にこれがあったとしても、被控訴人の労務の提供不能との間の因果関係はない。

仮に、被控訴人の業務と脳内出血発症との間に因果関係ありとの判断がなされるとすれば、そうした判断は、一般職員の業務上出張とは異なり、形式面はともかく実質的には控訴人の指揮命令に基づくとはいえない教育職員たる被控訴人の学会出席や施設見学等のための旅行(出張)におけるかなりの労働時間を計上し、業務の量的過重性を肯定した上でなければ成り立ち得ないと考えられる。

無届の旅行(出張)においても、使用者である控訴人が、私事旅行の目的などからその内容を察し、実質的には業務上の出張であると判断した上、過重労働とならないように私事旅行を許可しないという扱いをすること、すなわち、教育職員個人の学問研究の自由を侵害する形で介入することは非現実的であり不可能であるし、手続的には出張申請、出張下命を経て行われる学会出張等であっても、その実質はもともと一般職員に対する業務上出張のように強制力を伴った命令に基づくものではないのであるから、過重労働の可能性を考慮して出張させないということは、私事旅行同様、非現実的であり不可能である。

(被控訴人の主張)

被控訴人は、争点(3)において主張するように、労基法19条1項本文の手続によらない以上、休職期間満了退職扱い(解雇)は違法、無効であるから、民法536条2項にいう債権者の責めに帰すべき事由に該当すると主張するものであるが、判例法理に従って、安全配慮義務違反の有無によって使用者の帰責を導くことも可能である。

この場合、民法536条2項にいう債権者の責めに帰すべき事由は、故意、過失又は信義則上それと同視すべき場合という民法上の一般理解よりも広い概念とされている。本件においては、①大学教員としての業務は、複雑、多岐、多方面にわたり、それに従事する疲労や心理的負担は大きかったこと、②すなわち、被控訴人は、民間企業から大学教員に転職したものであり、就任後直ちに他教員より相当多い授業時数を持たされ、そればかりか、学部生、大学院生の教育指導や学内外の行事にも参加し、かつ、自己の研究にも従事するということで、大幅な超過労働を強いられていたこと、③本件疾病の発生した平成17年の4月に新たに研究室を独立させたという心理的負担が大きかったが、その研究室は学部生・大学院生と同居するという貧弱な設備で、休息の物理的余裕さえなかったこと、④しかるに、控訴人にあっては、大学教員の労働時間管理は全くされず、助手、助教授等適切なスタッフの支援も得られていないという原判決も指摘した諸点に照らすと、優に安全配慮義務違反が認められ、したがって、民法536条2項にいう債権者の責めに帰すべき事由が認められる。

5  争点(3)(本件退職の有効性)について

(被控訴人の主張)

本件疾病が業務上のものである以上、本件退職は効力を生じないものであり、それにもかかわらずなされた退職扱いは解雇とみなすほかないはずである。

労基法19条1項本文の手続によらない休職期間満了退職扱い(解雇)は違法、無効であるから、民法536条2項にいう債権者の責めに帰すべき事由に該当する。また、本件疾病が控訴人の故意、過失又は信義則上これと同視できる事由による場合、安全配慮義務違反により発症した場合はもとより、控訴人の指揮命令下にあって業務と因果関係がある場合、これに該当するのであり、控訴人は、被控訴人に対し、解雇した平成20年5月1日以降の賃金支払義務を負う。

(控訴人の主張)

被控訴人の主張は争う。

6  争点(4)(請求し得る給与の額)について

(被控訴人の主張)

賞与請求の基礎となる算定基準額は、本俸、扶養手当、暫定手当及び調整手当の合算額である。これを被控訴人の本件疾病発症前3か月の給与の明細(書証<省略>)から算定すると、算定基準額は57万7966円となる。もとより、上記賞与には特別加算額は含まれていない。また、賞与は、年2回に分けて期末手当、勤勉手当として支給される。これを平成19年6月20日から平成25年6月20日まで、実際に支給された率(書証<省略>)に基づいて再計算すると、別紙1<省略>のとおり、合計1606万7449円となる。

よって、被控訴人は、控訴人に対し、①平成19年5月1日から平成20年4月30日まで12か月分の給与801万4752円及び遅延損害金、②同年5月1日から平成25年12月31日まで68か月分の給与4541万6928円、③平成26年1月1日から本判決確定の日までの間、毎月66万7896円の給与、④上記賞与合計額1606万7449円の各支払請求権を有する。

なお、原判決は、被控訴人の本件疾病発症前3か月間の平均給与(賃金)額には法内超過勤務手当が含まれているのでこれを除外すべきと判示している。しかし、大学教員の勤務時間が算定できないところから、法違反を免れるため法内超勤と名称をつけただけと解されるのであって、学校法人Y大学給与規程(書証<省略>)32条で、最高3万5400円と定額になっているのもそのためである。このように定額化されている以上は、平均給与(賃金)額算定の基礎に組み込むべきで、これを控除すべきでない。そうすると、被控訴人の給与月額は66万7896円となる。

(控訴人の主張)

被控訴人の主張は争う。

第3当裁判所の判断

当裁判所は、被控訴人の請求にはいずれも理由がないと判断する。その理由は次のとおりである。

1  争点(1)(被控訴人の業務と本件疾病との因果関係)について

(1)  事実の認定

ア 本件疾病に関連する医学的知見、イ 平成13年11月16日付け「脳・心臓疾患の認定基準に関する専門検討会報告書」において示されている医学的知見、ウ 上記専門検討会報告書の要旨については、原判決17頁16行目から同22頁22行目に記載のとおりであるから、これを引用する。

エ 被控訴人の業務の内容等

次のとおり付加訂正するほかは、原判決22頁24行目から同28頁19行目に記載のとおりであるから、これを引用する。

(ア) 同26頁23行目の次に改行して次のとおり加える。

「 控訴人が福岡市と共同研究開発してきたごみ最終処分場(埋立地)建設工法(準好気性埋立構造)は、s本部が、比較的簡易でコストが安く、かつ環境への影響が小さい工法であることに着目し、同本部と福岡市、控訴人及び民間企業との間でチームを作り、その効果実証のため中国山東省ほか3か所で試験的に導入したことがあった。s本部が中国で上記工法の効果実証のためごみ最終処分場を建設するに際し、s本部の下に、福岡市、控訴人及び民間企業との三者によるチームが編成され、被控訴人は、当初から廃棄物最終処分場の専門家として参画していた。そのため、被控訴人は頻繁に中国出張をすることになった。

上記工法が「○○方式」と呼ばれて新聞紙上に報道されるなどし(書証<省略>)、控訴人も学内広報誌等で取り上げて控訴人の宣伝に利用した(書証<省略>)。」

(イ) 同27頁1行目の「28日」を「23日」と改める。

(ウ) 同27頁5行目の末尾に「130ないし133、」を加える。

オ 被控訴人の労働時間

次のとおり付加訂正するほかは、原判決28頁21行目から同34頁19行目に記載のとおりであるから、これを引用する。

(ア) 同30頁3行目に「同月6日」とあるのを「同月5日」と改める。

(イ) 同頁26行目から同31頁3行目までを次のとおり改める。

「 なお、同月21日の気温は、福岡市博多が最高7.4℃、最低-0.9℃であったのに対し、上海は最高2.1℃、最低-2.9℃であった。その後、上海の気温は、同月22日は最高4.5℃、最低-2.1℃、同月23日は最高12.8℃、最低1.8℃、同月24日は最高7.7℃、最低5.9℃、同月25日は最高12.9℃、最低5.1℃、同月26日は最高7.2℃、最低5.6℃であり(書証<省略>)、帰国した同月26日の福岡市博多は最高8.6℃、最低4.5℃であった(書証<省略>)。」

(ウ) 同31頁20・21行目の別紙2<省略>「労働時間集計表」の2枚目を「別紙2労働時間集計表(2)」<省略>に改め、同頁25行目の「83時間48分」を「75時間48分」、同32頁4・5行目の「70時間06分」を「66時間06分」、同頁5行目の「70時間27分」を「67時間47分」、同頁5・6行目の「63時間37分」を「61時間37分」、同頁6行目の「57時間29分」を「55時間53分」、同頁6・7行目の「62時間54分」を「61時間34分」とそれぞれ改める。

(エ) 同33頁15行目の次に改行して次のとおり加える。

「 控訴人は、出張における移動時間を労働時間から控除すべきであると主張する。しかし、被控訴人の出張は飛行機による遠隔地の移動であり、それなりの負荷がかかること、移動中も出張先における会議や打合せの準備をしていた可能性があること等を考慮すると、当然にこれを控除すべきものとはいえず、移動時間も含めて午前9時から午後6時まで労働したものとして扱うことに合理性がないとはいえない。」

(オ) 同34頁19行目の次に改行して次のとおり加える。

「 控訴人は、前記(イ)b(e)(平成17年11月2日から同月5日の上海出張)、同(h)(同年12月21日から同月26日の上海出張)及び同(f)(同年11月10日から同月12日の東京出張)について、労働時間として計上すべきでない旨を主張する。

しかし、まず、同(e)(平成17年11月2日から同月5日の上海出張)にはKが同行し、当時計画中の杭州天子嶺埋立場予定地をその実証試験実施を検討するため視察し、n大学のJ教授や現場責任者に会って調査活動を行ったことが認められる(書証<省略>)。その旨のKの陳述書は、出張に先立つメール(書証<省略>)の裏付けもあり、信用性が高い。被控訴人の上記行動は、被控訴人の上記研究活動に直結するものであり、校務として労働時間に計上すべきものである。もっとも、上記陳述書では、同月2日にJ教授と会い現地に出かけ、現場責任者と会い、宿泊をしたというのであり、被控訴人作成の手帳(書証<省略>)には、同月4日付け、同月5日付けで、J教授から聴取するなどした上記埋立場に関するデータ等の詳細な記載がされているから、被控訴人が同月5日まで上記調査活動に従事したものと認められる。しかしながら、同月6日の行動は明らかでなく、同日が日曜日であることや上記活動が上記埋立場の調査というにすぎないことを考え合わせると、同日も調査活動に当たったと考えることはできない。

そして、同(h)(同年12月21日から同月26日の上海出張)における同月24日から同月26日の被控訴人の行動は明らかでない。Kは、同年11月の上海出張の直後から、12月に再び杭州の天子嶺埋立処分場の建設スケジュール等の打ち合わせの目的で上海に出張することを被控訴人に提案されたが、仕事の都合で同行できなかった旨、被控訴人は同年12月24日から同月26日はこの目的のために杭州に行ったことが推測される旨を供述する(書証<省略>)。しかし、そうであれば、同行者にその旨を告げるのが自然であるし、J教授等による裏付けが不可能ではないと考えられるが、裏付けはない。また、被控訴人は、平成17年6月8日付けの「第12回○○方式中国プロジェクト ワーキンググループ会議」の資料(書証<省略>)に、中国プロジェクトについて「本年(平成17年)12月を目途に技術評価書を作成しなければならない」との記載があることを指摘するが、上記資料には杭州天子嶺埋立場に関する記載はなく、上記技術評価書が杭州市の事業に関するものであるかは明らかでない。杭州市は浙江省に属し、上海から赴いた可能性があるとしても、この間の行動は不明であるといわざるを得ず、労働時間として計上することはできない。

次に、同(f)(同年11月10日から同月12日の東京出張)のうち同月10日については、被控訴人は、同日、福岡空港を16時35分発の飛行機で東京に出張し、同日19時30分、助手に採用する予定のCと新橋で会って打ち合わせをし、同日22時54分から翌11日1時31分にかけてモバイルパソコンを使用し、7時3分から7時54分にかけても使用していた(書証<省略>)。これは、11日に被控訴人が行った研究発表(書証<省略>)の準備である可能性もある。同日23時37分から翌12日2時34分まで、7時48分から9時02分にかけてもパソコンを使用して、フィンランドセミナーに出席し、16時55分発、18時40分着の飛行機で東京から福岡に帰った。学会出張は校務として扱われているが、控訴人の旅費規程においては、学会の出張は年2回までで、支給額も東京を基準として支給の上限を決めている。旅費支給がなくとも校務出張であれば出張申請をすることになっている(書証<省略>)が、旅費支給がない以上、出張申請を怠ることも考えられ、出張申請がなくとも、校務に属する学会発表を行ったことは明らかであり、これを労働時間として計上しない理由はない。Cとの打合せも校務であるということができ、同(f)について、別紙2<省略>労働時間集計表(2)記載のとおり労働したものと認めるのが相当である。」

カ 被控訴人の健康状態等

原判決34頁21行目から同35頁23行目に記載のとおりであるから、これを引用する。ただし、同35頁22行目の次に改行して、「被控訴人は、平成17年9月29日、サルディニアに向けて出発した飛行機の中で、頭痛と悪心を訴え、冷や汗をかいていた。」を加え、同頁23行目の「乙9(書証<省略>)の」の次に「62頁(乙の9の12(書証<省略>))、」を加える。

キ 業務起因性に関する医師の意見

原判決35頁25行目から同43頁2行目に記載のとおりであるから、これを引用する。ただし、同43頁2行目の次に改行して次のとおり加える。

「(オ) I医師の意見

I医師は、被控訴人の本件疾病の発症と業務との因果関係等に関し、要旨、以下のとおりの意見を述べている(書証<省略>)。

硬膜動静脈瘻が後天的に発症するものであることは明白である。

E医師、F医師、G医師及びH医師は、硬膜動静脈瘻の病態の進行に対して、「成長」という呼称を用いているが、この呼称は到達点への接近を指すものであり、硬膜動静脈瘻は多様性に富み種々の経過をたどる病態であることから、この呼称は適当でなく、病巣の拡大するものについて「拡張、進展」という呼称を用いる。

全身の血圧の上昇は、硬膜動静脈瘻の拡張、進展を促進する重要な要因である。

硬膜動静脈瘻からの出血すなわち硬膜動静脈瘻の破裂が流出静脈側で起こることは疑いの余地がない。したがって、硬膜動静脈瘻の破綻に関与する要因として、流出静脈壁の構造的脆弱化を促進し、流入動脈圧を増大させる血圧の上昇が重要である。

被控訴人の硬膜動静脈瘻は、両側の中硬膜動脈、右浅側頭動脈を流入動脈として、右上矢状静脈洞近傍の架橋静脈に流入し、varix様の拡張部を経由した後、右頭頂葉皮質静脈を経て上矢状静脈洞に流出するものであったと考えられる。H医師は、被控訴人の血管造影では静脈瘤は指摘されていないとして、出血源としての静脈瘤の役割を指摘することを批判するが、上記varix様の拡張部が静脈瘤であることは明らかである。

また、平成18年1月18日に施行された外減圧術の際、骨弁の内板には拡張したMMA(中硬膜動脈)に伴う血管溝が確認されており、そうすると、被控訴人の硬膜動静脈瘻は骨の変化を伴っていたことになるから、発生してから出血に至るまでにある程度の長い期間、破裂することなく無症状のままで存在していたことを示唆する。

硬膜動静脈瘻の自然経過に関する知見は極めて乏しく、現時点においては不明と言わざるを得ない。

被控訴人の血圧は、Ⅰ度高血圧に分類されるものであり、高血圧症の中でも軽症の部類に属する程度のものであった。しかし、血管に対する血行力学的負荷は、随時血圧ではなく血圧変動の様態、特に夜間睡眠時の血圧の低下度が重要である。被控訴人の従事していた業務が量的にも質的にも過重であり、高緊張群に属するもの(精神的な要求度が高く、裁量権が小さいもの)であったことから、夜間の睡眠中の血圧低下度の減少を惹起して、硬膜動静脈瘻に合併した静脈瘤壁の脆弱化を促進した可能性は十分に医学的根拠を有する。発症直前の中国出張は、過密なスケジュールと低温の気象条件などによる荷重性の増大を介して、脆弱化していた被控訴人の硬膜動静脈瘻に対する血行力学的負荷となって、破綻の直接的要因となったものと考えられる。」

(2)  争点に対する判断

ア 本件疾病が控訴人における業務によって生じ、被控訴人が労基法19条1項の「業務上」疾病にかかるといえる場合、本件退職は上記規定による解雇制限に違反し、無効とすべきであり、そのようにいえるためには、被控訴人の業務と本件疾病の発症との間に相当因果関係が認められることが必要である。そして、被控訴人には硬膜動静脈瘻の基礎疾患があり、これが破綻して出血したものであるから、この基礎疾患の内容、程度、被控訴人の本件疾病発症直前の業務の内容、態様、遂行状況に基づいて、①被控訴人の基礎疾患の進行の程度が、確たる発症因子がなくてもその自然の経過により発症する寸前にまで至っていたかどうか、②上記業務による精神的・身体的負荷が、被控訴人の基礎疾患をその自然の経過を超えて増悪させる要因となり得る性質・程度のものであったかどうか、③上記業務以外に確たる発症因子が存在することがうかがわれるかどうかを検討する必要がある。

イ 基礎疾患について

本件疾病は硬膜動静脈瘻が破綻して出血したものであるが、硬膜動静脈瘻はその発生後すぐに破綻するものではなく(証拠<省略>)、相当以前から何らかの原因で形成されていたものと考えられる(証拠<省略>)。I医師は、被控訴人の硬膜動静脈瘻が相当長期間にわたって破裂することなく無症状のままで存在していたことを示唆するものとして、手術によって除去された骨弁の内板に認められた流入動脈である中硬膜動脈の血管溝の拡大という所見を指摘する(証拠<省略>)。しかしながら、硬膜動静脈瘻については発生の機序が明らかではなく、被控訴人は本件疾病発症前に脳血管の検査を受けていないから、被控訴人の硬膜動静脈瘻がいつから存在していたか、おおよそ控訴人と労働契約を締結する前であるか後であるかも明らかでない。

また、硬膜動静脈瘻は、発生の機序だけでなく、成長(I医師によれば、拡張、進展)、破綻の機序も明らかではない。

被控訴人は、前記(1)カ(イ)(原判決35頁)のとおり、平成13年5月7日に立ちくらみや悪心を訴えて病院を受診し、高脂血症であるとの診断を受けたことがあること、平成16年1月19日には、動悸等を訴えて病院を受診し、高血圧症、高血圧性心臓病であるとの診断を受けたことがあること、平成17年9月29日にサルディニアに向かう機内で頭痛や悪心を訴えるなどしたことは認められる。しかし、これらが硬膜動静脈瘻の初発症状(乙24(書証<省略>)によると耳鳴り、乙26(書証<省略>)によると拍動性耳鳴り、他覚的な雑音、乙27(書証<省略>)によると、侵攻性では頭蓋内高血圧(頭痛、悪心等々)、非侵攻性では頭痛、雑音、眼科症状等)であることを認めるに足りる的確な証拠はない。一方、硬膜動静脈瘻は無症状のまま破裂に至ることが少なくないとされている(書証<省略>)。

したがって、被控訴人の硬膜動静脈瘻については、その発生、成長(I医師によれば、拡張、進展)、破綻に至る機序が明らかでなく、本件疾病は、発症因子が何であるかも明らかでないから、業務以外の確たる発症因子が存するとはいえないし、硬膜動静脈瘻が高い出血リスクを伴った病変であり、それ自体が脳内出血の危険性を有しているから、その危険性が現実化して本件疾病が発症した可能性も否定できないのであって、確たる発症因子がなくてもその自然の経過により発症する寸前にまで至っていた可能性も否定することはできない。

なお、本件疾病の発症について、E医師、F医師、I医師らは高血圧が関係すると述べ、仮に、高血圧が発症因子であるとすれば、その高血圧が業務上のものであるか、業務外のものであるかについても問題になる。しかし、高血圧症の患者で硬膜動静脈瘻からの出血発生のリスクがやや高い傾向が見られたが、統計学的有意差はなかったする研究があり(書証<省略>)、上記各医師の見解を直ちに採用することはできない。また、被控訴人の高血圧は業務上のものであるということは困難である。すなわち、前記(1)カ(ア)(原判決34・35頁)のとおり、被控訴人は健康診断において高血圧を指摘されているが、被控訴人が控訴人と労働契約を締結する8年前の平成5年8月から既に収縮期血圧が144、拡張期血圧が84となっており、控訴人と労働契約を締結して以降、拡張期血圧は一貫して90台であるが、収縮期血圧は平成5年当時と大差なく、140前後で変動し、本件疾病発症の約2か月前には120に改善されている。このような血圧値の推移からは、被控訴人の高血圧が被控訴人の業務に起因するものとは考え難い。また、被控訴人は、平成17年12月21日から同月26日にかけての上海出張における寒冷曝露の影響を指摘するが、前記(1)オ(イ)b(h)(原判決30、31頁を当審で補正)認定の気温によれば、同月22日の上海の気温は最高4.5℃、最低-2.9℃とかなり低かったことが認められるが、同日はn大学において研究発表や情報交換が行われたものであること、上海観光をした同月23日の気温は最高12.8℃に上っていることからすると、高血圧を昂進させるような寒冷曝露があったとは直ちには認め難いし、同月24日以降の中国滞在は業務とは認められないから、同日以降に受けた寒冷曝露は業務によるものとはいえない。

ウ 業務による身体的・精神的負荷(業務の過重性)について

(ア) 被控訴人の業務の量的過重性についてみるに、前記(1)オ(ウ)(原判決31頁を当審で補正)のとおり、本件疾病の発症前6か月間(平成17年7月29日から同年12月26日まで)における被控訴人の1か月当たりの平均時間外労働時間数は61時間34分であり、発症前3か月間(同年9月28日から同年12月26日まで)は1か月当たり67時間47分である。もっとも、発症前1か月間(同年11月27日から同年12月26日まで)の時間外労働時間数は56時間24分に止まるものの、発症前2週間から4週間(同年11月27日から同年12月19日まで)は、それぞれ1週間当たり17時間23分、18時間34分及び16時間54分の時間外労働時間数となっている。さらに、発症前6か月の同年6月30日から7月29日の1か月当たりの時間外労働時間が90時間に及んでいる。

業務による精神的・身体的負荷が、被控訴人の基礎疾患をその自然の経過を超えて増悪させる要因となり得る性質・程度のものであったかどうかは、当該基礎疾患の種類や病態に応じて判断すべきものであるところ、上記のとおり、硬膜動静脈瘻については、その発生、成長(又は拡張、進展)、破綻に至る機序が明らかでない。そこで、脳内出血を含む多くの脳・心臓疾患についての専門的知見である専門検討会報告書の示す基準(前記(1)イ、ウ)に照らすと、被控訴人の時間外労働時間数は、被控訴人に相当程度の疲労の蓄積を生じさせるものであったということができるが、「業務と発症の関連性が強いと評価できるとされる労働時間」である「発症前1か月間におおむね100時間」及び「発症前2か月間ないし6か月間にわたって1か月当たりおおむね80時間」をいずれも下回っていることが明らかである。

そうすると、被控訴人の時間外労働時間数をもって、直ちに被控訴人の業務が過重であったとは認められず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

(イ) 次に、被控訴人の業務の質的過重性についてみるに、被控訴人の業務の内容及び実態は前記(1)エ、オ(原判決。当審補正)のとおりであるところ、被控訴人の主たる業務の1つである学部生及び大学院生に対する授業及び卒業論文・修士論文の指導等は、高度に専門的な知識を学生に教授するものであるという業務の性質からすれば、授業内容や教授方法の決定、その準備及び実践等のために相当程度の肉体的・精神的負荷を伴うものであるといえる。また、被控訴人が民間企業から大学の助教授に転職した教員であり、転職からさほど期間が経過していなかったことからすると、被控訴人が受けた授業等による上記肉体的・精神的負荷は、長年大学等において授業等に携わってきた研究者に比して大きかったことが推測される。

また、前記(1)エ(イ)及び(ウ)(原判決)のとおり、被控訴人は、平成17年度の控訴人の学部及び大学院において、後任者であるCが一人では担当しきれないほど多くの授業を担当していた上、授業以外の時間にも、学生からの授業に関する質問等への対応、学部生に対する卒業論文指導、大学院生に対する修士論文及び学会発表のための指導等を熱心に行っている。被控訴人の熱心さは、そのノート(書証<省略>)に「教授の生き方から、自分の生き方を学べ」などと、平成17年6月22日の手帳(書証<省略>)に「どんな人間でも知的好奇心はある 好奇心をくすぐるような授業をすること」、「一生懸命勉強をしている学生にわからない授業だと教える方が悪い」などと記載していることからもうかがわれる。

そのような中で、被控訴人は、前記(1)エ(エ)a(原判決。当審補正)、(オ)及び(カ)(原判決)のとおり、自らの研究活動にも精力的に取り組んでいた上、学科会議及び教授会への出席、施設検討委員や学科入試委員等の学内の委員会の委員としての業務、インターンシップの担当者としての業務、日本技術者認定機構への申請に関する業務並びに研究室の立ち上げ及びその人的・物的設備の充実のための業務等といった雑多な業務に従事していたことからすると、被控訴人の労働密度は相当に高かったというべきである。また、自らの研究が「○○方式」として注目され、控訴人においてもその宣伝に利用し、新聞紙上にも報道されて世間の注目を集めたことは、かえって、被控訴人に、その研究を発展、成功させ、社会で実現させなければならないとの精神的負荷を与えたことも想像に難くない。

さらに、前記(1)オ(イ)b(原判決。当審補正)のとおり、被控訴人はその教育・研究活動のための国内又は国外への出張を行っているが、特に本件疾病の発症前3か月間(平成17年9月28日から同年12月26日まで)は、サルディニア及びロンドン、上海並びに東京へ合計5回(27日間(うち20日間業務に従事))にわたり出張しており、このような出張業務に伴う肉体的・精神的負荷も小さくなかったと考えられる。

しかしながら、前記(1)エ(イ)b及び(エ)b(原判決)のとおり、被控訴人の授業等について教育技術職員や大学院生が一定程度補助していたことや、被控訴人の教育・研究活動について控訴人から干渉されたり、ノルマ等が課されたりすることはなかったことなどの事情も存するところである。さらに、被控訴人の労働のうち調査研究活動は、被控訴人の自由な活動領域に属する労働であり、ゆとりを持って計画することもでき、中には適宜な休息を交えながらでも行えた事務を含むものであることからすれば、上記時間外労働時間数を考慮しても、これが被控訴人の心身に過大な負担を及ぼしたということは困難である。

(ウ) 以上によれば、被控訴人が従事した業務は、客観的にみて、社会通念上、被控訴人が有していた血管病変等をその自然経過を超えて増悪させ、本件疾病の発症に至らせるほど量的及び質的に過重なものであったと直ちに認めることはできない。

エ したがって、①被控訴人の基礎疾患である硬膜動静脈瘻が、確たる発症因子がなくてもその自然の経過により発症する寸前にまで至っていた可能性を否定することができないこと、②被控訴人の業務が客観的にみて、硬膜動静脈瘻をその自然の経過を超えて増悪させ本件疾病の発症に至らせるほど過重なものであったとは認め難いこと、③硬膜動静脈瘻自体の有する危険性が現実化して本件疾病が発症した可能性を否定できないことを総合すると、被控訴人の業務と本件疾病の発症との間に相当因果関係を認めることはできない。

2  争点(2)(民法536条2項所定の債権者の責めに帰すべき事由又は安全配慮義務違反の有無)及び(3)(本件退職の有効性)について

以上のとおり、被控訴人の業務と本件疾病の発症との間には相当因果関係は認められないから、被控訴人は、業務外の事由に基づき、心身の故障のため長期の休養を要することになり、給与規定に従い休職中の1か年は80パーセントの給与の支給を受け、休職期間が満了し退職になったものであり、本件退職が労基法に違反するとはいえない。したがって、本件退職は有効であり、被控訴人は、労働契約上の権利を有する地位にはなく、未払の給与債権を有するものではない。

被控訴人は、本件疾病により労務を提供できなかったことにつき、民法536条2項が適用できると主張するが、上記認定の本件疾病の発症経緯、被控訴人の業務の内容、態様、遂行状況からすると、控訴人の責めに帰すべき事由によるものではないことが明らかであり、本件疾病が被控訴人に対する安全配慮義務に違反した結果であると認めることができないことも明らかである。

そうすると、被控訴人が労務を提供できなくなったことについて、控訴人に民法536条2項にいう責めに帰すべき事由があるということはできず、被控訴人は給与債権を有するものではない。

第4結語

以上の認定、判断によれば、その余の点について判断するまでもなく、被控訴人の請求はいずれも理由がないから、原判決を取り消して被控訴人の請求をいずれも棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 犬飼眞二 裁判官 青木亮 裁判官 清野英之)

別紙<省略>

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