大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

福岡高等裁判所 平成26年(ラ)155号 決定 2014年6月06日

当事者の表示は別紙当事者目録記載のとおり

主文

一  本件抗告を棄却する。

二  抗告費用は抗告人の負担とする。

理由

第一抗告の趣旨及び理由

一  抗告の趣旨

(1)  原決定を取り消す。

(2)  本件申立てをいずれも却下する。

(3)  抗告費用は相手方らの負担とする。

二  抗告の理由

抗告の理由は、別紙「執行抗告理由補充書」(写し)に記載のほか、原決定添付に係る抗告人作成の「意見書」と同一であるから、これを引用する。

第二事案の概要(略称等は原決定の例による。)

本件は、相手方らが、本件確定判決に基づき、抗告人に対し、防災上やむを得ない場合を除き、本件潮受堤防の本件各排水門の五年間にわたる開放を求め、抗告人がその義務の履行をしないときは、主位的に一日につき一億円、予備的に一人当たり一日につき二〇四万〇八一六円の割合による金員の支払を求めている間接強制の事案である。

原審は、抗告人に対し、原決定の送達を受けた日の翌日から二か月以内に、防災上やむを得ない場合を除き、本件各排水門の五年間にわたる開放及び上記期間内に抗告人がその義務を履行しない場合、相手方一人当たり一日につき一万円の割合による金員の支払を命じた。

そこで、これを不服とした抗告人が、上記第一記載のとおり抗告した。

第三当裁判所の判断

一  間接強制は、作為又は不作為を目的とする債務で代替執行による強制執行ができない場合のほか、債権者の申立てがあるときに行う強制執行である(民事執行法(以下「法」という。)一七二条一項、一七三条一項)から、本件申立てが認められるためには、まず、強制執行の一般的要件を満たす必要がある。

本件記録等によれば、相手方らについては、いずれも、抗告人は、相手方らに対する関係で、判決確定の日の三年を経過する日までに、防災上やむを得ない場合を除き、本件潮受堤防の本件各排水門を開放し、以後五年間にわたってその開放を継続せよとの確定判決である債務名義が存在すること、本件確定判決のうち、佐賀地裁判決は平成二〇年六月二七日に言い渡され、同日抗告人に送達され、福岡高裁判決は平成二二年一二月六日に言い渡され、同日抗告人に送達され、同月二〇日の経過で確定し、その後三年経過したこと、上記債務名義について、平成二五年一二月一九日に執行文が付与されたことが認められるから、本件申立てについては、強制執行の要件である執行力ある債務名義が存在し、その他執行開始の一般的要件(債務名義の送達(法二九条)、確定期限の到来(法三〇条一項))を満たしているということができる。

二(1)  そこで、進んで、間接強制の要件についてみるに、間接強制は、債務不履行に対する制裁の告知により債務者に履行を動機づけるものであるから、債務者が自己の意思のみで履行することができる債務であることを要し、第三者の協力又は同意を要するため債務者の意思では排除することができない事実上の障害のある債務は、間接強制の対象とすることができないと解される。

これを本件について検討するに、本件確定判決の内容は、前記のとおり、本件各排水門を開放することであって、後記のとおり開門についての管理は抗告人から長崎県に委託されているものの、抗告人の意思のみで開放することができ、第三者の協力又は同意を要するものではないから、債務者である抗告人が自己の意思のみで履行することができる債務であることは明らかである。

(2)ア  これに対し、抗告人は、まず、本件関係自治体及び本件地元関係者が本件各排水門の開放自体に反対しており協力又は同意が得られないため、本件対策工事を実施することができず、また、本件各排水門の開放の際に必要な管理規程の作成及び管理等が行えないとして、債務者の意思では排除することができない事実上の障害がある旨主張する。

しかし、本件確定判決の内容は、本件各排水門を開放することであって、対策工事のための期間を考慮して三年後の期限が定められたものの(福岡高裁判決三七頁)、対策工事の実施自体をその内容とするものではないし、対策工事の実施を条件とするものでもない。そして、本件各排水門については、現在、抗告人が管理規程を定めて長崎県に管理を委託していることが認められるが、長崎県の協力が得られない場合は、管理委託契約を解除し(抗告人も法的に解除し得るものであることについて争うものではない。)、抗告人自身が管理を行うなどして自ら開門することは可能である。そうすると、対策工事がなされていないとしても、また、長崎県の協力が得られないとしても、本件各排水門を開放することは可能であるから、上記抗告人の主張は失当というほかない。抗告人の主張が開門自体に対する事実上の障害の主張を含むものであるとしても、本件関係自治体及び本件地元関係者の反対等は開門自体に対する事実上の障害足り得ないというべきであるから、いずれにしても理由がない。

抗告人は、当審においても、本件関係自治体等の反対により対策工事の実施はもとよりそれ以外の代替工事の実施の検討もできない旨主張するが、以上のとおり、同主張は、債務者が自己の意思のみで履行することのできる債務に該当するか否かといった本件確定判決の債務自体の性質に関わらない事由を主張するにすぎないから、これを採用することはできない。

イ  また、抗告人は、別件仮処分決定により、抗告人は本件各排水門を開放してはならない旨の義務を負ったことから、債務者の意思では排除することができない事実上の障害がある旨主張する。

そして、確かに、抗告人が、別件仮処分決定によって本件各排水門を開放してはならない旨の義務を負ったことは認められるが、この事由も、本件確定判決の債務自体の性質に関わらない事由であるし、同決定は、抗告人と相手方ら以外の者との間に効力を生じるにすぎないから、これによって本件確定判決の債務の性質が変化したということもできない。

したがって、別件仮処分決定は、本件確定判決の債務を間接強制の対象とすることを妨げる事由になるものではない。

ウ  そうすると、抗告人の主張はいずれも採用できない。

三(1)  抗告人は、①相手方らの漁業行使権は財産的権利にすぎず、具体的な財産的被害の程度も明らかではないのに対し、本件対策工事を実施せずに本件各排水門を開放すれば、営農や漁業だけでなく地域住民の財産、生命、身体に重大な被害が及ぶおそれがあること、②抗告人は、本件確定判決を受けて、本件対策工事への理解を求めたり、本件対策工事を実施するために必要な手続を進めたりしたが、本件関係自治体及び本件地元関係者の反対に遭い、さらに別件仮処分決定により、本件各排水門を開放してはならない旨の義務を負ったために本件対策工事を実施することを見合わせざるを得ない状況になったこと、及び③相手方らは、抗告人が本件対策工事に着手できない状況にあることや、本件対策工事を実施せずに本件各排水門を開放すれば上記の重大な被害が及ぶおそれがあることを知っており、あるいはこれを容易に知り得たにもかかわらず、本件間接強制の申立てをしていることから、本件間接強制による執行は、公益ないし公共上の利益を著しく害する行為であって、その具体的な執行処分の方法や時期が権利の濫用又は信義則違反となり、許されないと主張する。

(2)  ところで、強制執行は執行力のある債務名義に基づいて実施され、実体上の事由により強制執行の不許を求める債務者は、請求異議の訴えを提起することができ、執行停止文書・執行取消文書を提出することにより、強制執行を阻止することが予定されている(法二二条、二五条、三五条、三九条、四〇条参照)ことに鑑みると、債務者は、強制執行申立事件において、直接、実体上の事由を主張して、その執行不許を求めることはできず、これにより執行の迅速化・能率化が図られていると解するのが相当である。また、請求異議の訴えにおいては、債務名義が確定判決の場合、既判力の効果により、口頭弁論終結後に生じた異議事由に限り主張できることになっている(法三五条二項)が、この理は強制執行申立事件においても同様であって、確定判決に基づく強制執行申立事件において、債務者は、口頭弁論終結前に生じた事由に基づいて執行不許を求めることはできないと解すべきである。

そうすると、①債務名義が確定判決の場合、債務者は、口頭弁論終結前に生じた事由に基づいて権利の濫用又は信義則違反を主張することはできず(最高裁判所昭和四〇年一二月二一日第三小法廷判決・民集一九巻九号二二七〇頁参照)、また、②実体上の事由に基づき権利の濫用又は信義則違反を主張する場合は、請求異議の訴えで主張することができても、強制執行申立事件において主張することはできないというべきである。

そして、請求異議の訴えにおいては、確定判決に基づく権利行使であっても、その権利行使が著しく信義誠実の原則に反し、正当な権利行使の名に値しないほど不当なものと認められる場合に、権利の濫用又は信義則違反に該当して、請求異議の事由になると解される(最高裁判所昭和六二年七月一六日第一小法廷判決・集民一五一号四二三頁参照)ところ、この理は強制執行申立事件においても同様であるから、③強制執行申立事件において権利の濫用又は信義則違反を主張できる場合であっても、確定判決に基づく権利行使が著しく信義誠実の原則に反し、正当な権利行使の名に値しないほど不当なものと認められる場合に限って、権利の濫用又は信義則違反に該当すると解すべきである。

(3)  これを本件についてみると、抗告人の権利の濫用又は信義則違反の主張は、具体的な執行処分の方法や時期が権利の濫用又は信義則違反に当たるものとして主張されているが、実質的にみれば、①後記アのとおり、口頭弁論終結前に生じた事由に基づいて主張するものであるし、②後記イのとおり、実体上の事由に基づいて主張するものであるから、いずれにしても本件申立事件において主張することはできず、また、具体的な執行処分の方法や時期の観点からして、本件申立事件において権利の濫用又は信義則違反の主張ができるとしても、③後記ウのとおり、本件申立ては著しく信義誠実の原則に反し、正当な権利行使の名に値しないほど不当なものとは認められないから、権利の濫用又は信義則違反に当たらないというべきである。

ア 抗告人は、上記(1)①に記載の各事由に基づき、本件対策工事を実施せずに本件各排水門を開放すれば重大な被害が発生するので、同開放を求めることは公益ないし公共上の利益を著しく害し、権利の濫用又は信義則違反になると主張する。

しかしながら、上記(1)①に記載の各事由は口頭弁論終結前に生じた事由であるから、これらの事由に基づき、上記主張をすることはできないというべきである。

すなわち、同主張は、本件確定判決に係る審理の中で主張及び立証されるべきものであり、本件確定判決は、対策工事のための期間を考慮して三年間の猶予期間を置いたものの、三年間の猶予期間が経過した後は、対策工事が実施されたと否とに関わりなく、防災上やむを得ない場合を除き、本件各排水門を開放するように命じたものであるから、三年の期限を定めて本件各排水門の開放を命じた本件確定判決の結論を争い、対策工事の実施を条件として本件各排水門の開放を命じるべきであると主張するに等しい抗告人の上記主張は、本件確定判決を実質的に変更するよう求めるものであって、蒸し返し以外の何ものでもなく(環境アセスメントの評価書(乙一二)が本件確定判決後の平成二四年一一月に作成されているとしても同様である。)、抗告人は、既判力の効果により、上記各事由に基づいて、権利の濫用又は信義則違反を主張することはできないというべきである。

なお、抗告人の権利の濫用又は信義則違反の主張には、口頭弁論終結後に生じた事由として上記(1)の②、③の各事由に関する主張が含まれているが、これらの主張は本件対策工事を実施できなかったことにつき抗告人に帰責事由がないこと及び相手方らが抗告人主張の事由を認識していること等の付随的な事由を主張するにすぎず、上記(1)①に記載の各事由を前提にしない限り、抗告人の権利の濫用又は信義則違反の主張が成り立たないことは明らかであるから、抗告人の権利の濫用又は信義則違反の主張は、主張全体としてみても、実質的にみれば、口頭弁論終結前に生じた事由に基づく主張として許されないというべきである。

イ 抗告人は、本件申立ての具体的な執行処分の方法や時期が権利の濫用又は信義則違反になると主張しているが、抗告人の主張を実質的にみれば、本件確定判決による請求権の行使が権利の濫用又は信義則違反によって制約を受けるというものであるから、実体上の事由に基づき権利の濫用又は信義則違反を主張するものであって、そのような事由に基づき権利の濫用又は信義則違反を主張する場合は、請求異議の訴えで主張すべきであって、本件申立事件において主張することはできないというべきである。

ウ さらに、具体的な執行処分の方法や時期の観点からみても、本件申立ての具体的な執行処分の方法は間接強制の申立てにとどまっているし、抗告人の主張によれば、三年間の猶予期間内に本件対策工事が実施できなかったのは、本件関係自治体及び本件地元関係者が反対し、別件仮処分決定が出されたためというのであるから、そこに、相手方らの帰責事由はなく、また、本件記録によれば、相手方らは、不履行によって生活の基盤に関わる漁業行使権の侵害を受け続けているため、三年間の猶予期間後に即時の本件各排水門開放を命じた本件確定判決に基づいて本件申立てを行ったものであるから、まさに正当な権利行使ということができ、本件申立てが著しく信義誠実の原則に反し、正当な権利行使の名に値しないほど不当なものとは認められず、本件申立てが権利の濫用又は信義則違反になるということはできない。

四  以上によれば、本件における間接強制の申立ては理由があるので、次に、間接強制金の額等について検討する。

(1)  間接強制における強制金は、債務不履行に対する制裁を告知することによって、履行命令に対する違反を阻止し、債務名義上の執行債権を実現させるための心理的強制を目的とするところ、これを決定する際には、不履行によって債権者が受ける損害、債務者の不履行の態度、履行の難易等を考慮して決すべきである。

(2)  そうすると、相手方らは、不履行によって生活の基盤に関わる漁業行使権の侵害という損害を受けているところ、抗告人は、本件確定判決によって既に三年間もの猶予期間を与えられていたこと、そして、本件確定判決が、三年間の猶予期間経過後は、即時の本件各排水門開放を命じていること等の前記認定の各事実及び本件に顕れた諸般の事情を考慮すると、抗告人主張の事情を斟酌しても、本件における間接強制金は、相手方一名につき一日当たり一万円をもって相当と認め、その履行猶予期間は、原決定送達の日の翌日から二か月間とするのが相当である。

抗告人は、当審において、二か月間の猶予期間は短いし、上記間接強制金の金額は過大である旨主張するが、採用の限りではない。

五  よって、本件申立てを上記の限度で認容した原決定は相当であり、本件抗告は理由がないから、これを棄却することとして、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 一志泰滋 裁判官 金光健二 裁判官 小田島靖人)

別紙 当事者目録

抗告人 国

同代表者法務大臣 A

同指定代理人 乙部竜夫<他29名>

相手方の表示 別紙相手方目録記載のとおり

上記相手方ら49名代理人弁護士 馬奈木昭雄 堀良一 吉野隆二郎 後藤富和 塩澄哲也 髙橋謙一 富永孝太朗 縄田浩孝 紫藤拓也 知名健太郎定信 溝口史子 髙峰真 桑原義浩 中原昌孝 榮京子 椛島隆 市橋康之 山本哲朗 池永修 丸山明子 仁比聰平 國嶋洋伸 鍋島典子 河西龍太郎 東島浩幸 力久尚子 甲木美知子 稲村蓉子 山口修 熊谷悟郎 塩塚節夫 森永正之 魚住昭三 板井優 板井俊介 菅一雄 大倉英士 尾崎俊之 田上尚志

別紙 相手方目録

X1<他48名>

別紙 執行抗告理由補充書

抗告人は、佐賀地方裁判所平成二五年(ヲ)第二〇号間接強制の申立事件につき、同地方裁判所が平成二六年四月一一日付けでした間接強制決定(原決定)について不服であるため、同日、執行抗告をしたが、本書面において、執行抗告の理由につき補充する。

なお、略語等は、本書面で新たに用いるもののほかは、従前の例による。

第一 本件対策工事等の措置を講じる余地がないと認めるに足りないとした原決定の判断が誤っていること

一 原決定の判示内容

原決定は、一般論として、第三者の協力又は同意を要するため債務者の意思では排除することができない事実上の障害のある債務は間接強制の対象とすることはできないことを認めた上で(二ページ)、本件においてそのような場合に該当するか否かの争点に関し、「当該義務(引用者注:本件開放義務)を履行するために、本件関係自治体及び本件地元関係者の協力及び同意が得られるように誠実に交渉を継続するのみならず、他の代替工事を検討するなど信義則上可能な限りの措置を講じるべきであるところ、債務者が上記措置を講じる余地がないと認めるに足りない」(三ページ)、「また、本件各排水門の管理規定の作成及び管理等についても、長崎県等の協力が得られるように誠実に交渉を継続するのみならず、債務者自身が管理及び連絡調整を行うなど信義則上可能な限りの措置を講じるべきであるところ、債務者が上記措置を講じる余地がないとは認めるに足りない」(三ページ)と判示する。

しかしながら、この原決定の判示には、以下のとおり、重大な事実誤認があり、また、民法四一四条、民事執行法一七二条の解釈を誤った違法がある。

二 原決定の事実誤認及び法令解釈の誤り

(1) 本件関係自治体及び本件地元関係者の反対は、そもそも本件開放自体に対するものであること

抗告人が平成二六年三月二四日付け意見書(2)(以下「原審債務者意見書(2)」という。)でも詳述したとおり、本件確定判決に対する長崎県内の本件地元関係者や本件関係自治体の強烈な反対は、「本件開放義務を履行するために、本件関係自治体及び本件地元関係者の協力及び同意が得られるように誠実に交渉を継続するのみならず、他の代替工事を検討する」ことが可能な程度のものではなく、そもそも、上記の反対は、本件開放自体に対するものであるから、本件開放に向けた対策工事は全て反対の対象となっているのである。したがって、抗告人において「他の代替工事」を検討したところで、それらが本件開放に向けた工事であることに変わりはない以上、現状においては、上記のような強烈な反対に遭うことは必至であるというほかない。結局のところ、原決定の判示するような「誠実に交渉を継続」することや、「他の代替工事を検討」したからといって、「本件関係自治体及び本件地元関係者の協力及び同意が得られるよう」な「他の代替工事」なるものはおよそ想定することはできない(疎乙八五号証の一及び二)。

このことは、本件関係自治体及び本件地元関係者の抗議書にも現れている。すなわち、抗告人が平成二六年一月二四日付け債務者意見書(以下「原審債務者意見書(1)」という。)第二の四(二二ないし三五ページ)でも詳述したとおり、抗告人は、本件確定判決後、同判決によって命ぜられた本件開放を履行するために、本件関係自治体及び本件地元関係者との協議や本件対策工事の実施への取組み等、様々な履行に向けた努力を行ってきたところである。しかしながら、本件関係自治体及び本件地元関係者は、その都度、抗告人に対して抗議書を提出し、それらの抗議書においては、「国は、諫早湾干拓事業の事業主体であることを十分に認識し、この問題の根本原因に立ち返り、福岡高裁判決以前の状況に戻って、今回の仮処分決定や環境アセスの結果等の科学的知見を踏まえ、責任を持って、開門の問題点を明らかにした上で、開門方針を白紙撤回し、真の有明海再生につながる抜本的な対策について早急に取り組むべきである」(疎乙第八六号証の二)などと述べ、個別の対策工事等の取組みに反対するだけでなく、開門方針の白紙撤回そのものを繰り返し求めているところである(疎乙第八六号証の一ないし二二)。したがって、現状においては、本件関係自治体及び本件地元関係者の協力と同意を得られる見込みのある、本件開放に向けた「代替工事」なるものがおよそ想定できないことは明らかである。

また、仮に、原決定が、抗告人に対し、本件関係自治体及び本件地元関係者の協力と同意を得ることなく実施することが可能な「他の代替工事」の検討を求めているものであるとすれば、原決定には、甚だしい事実誤認がある。すなわち、そもそも、本件対策工事は、開門による被害や影響を被るおそれのある本件地元関係者等に対して、被害や影響を緩和・軽減、排除するために行うものであって、本件地元関係者等の理解がなければ、完成した施設の利用・活用、効果の発現は期待できないのであるから、抗告人としても、できる限り、本件地元関係者等の意見を踏まえる必要があるのであって、本件地元関係者等の協力と同意を得ることなく実施することが可能な「他の代替工事」はおよそ想定し難い。

原決定は、「他の代替工事を検討するなど信義則上可能な限りの措置を講じるべき」などと抽象的かつ曖昧な理由により、「債務者が上記措置を講じる余地がないと認めるに足りない」と認定しているが、上記のとおり、原決定は、抗告人に対し、現状では事実上不可能な対策工事を行う義務を課しているにほかならないというべきである。このことは、現実的に可能な「他の代替工事」なるものが、原決定において特定されていないことからも明らかで、原決定は、抗告人がいくら誠実に対応を重ねても「他の代替工事」を行うことが不可能であることを認識しているのである。結局のところ、現状において、抗告人が、原決定に基づき本件開放を実施するためには、対策工事をすることなく本件各排水門を開放し、原審債務者意見書(1)第二の五(三五ページないし四二ページ)で詳述したような甚大な被害を生じさせるか、間接強制金を支払い続けるかを選択せざるを得ないこととなる。

原決定が不当であることは明らかである。

(2) 抗告人は、本件対策工事以外の他の代替工事の実施を検討できず、本件対策工事の実施も見合わせざるをえないこと

ア 前記(1)のとおり、そもそも原決定が判示するような本件開放に向けた「他の代替工事」は想定することができないものであるが、この点をおいても、本件関係自治体や本件地元関係者は、同人らの意見を踏まえて抗告人が追加・変更した対策工事に対しても強硬に反対しているのであって、このことからしても「他の代替工事」を想定することができないことは明らかである。

すなわち、原決定は、抗告人に対し、本件関係自治体及び本件地元関係者の協力と同意が得られるような「他の代替工事」の検討を求めているものと解されるが(三ページ)、原審債務者意見書(2)の第二の二(六、七ページ)で述べたとおり、本件対策工事の内容は、本件環境アセスメントに基づいて客観的に検討されたものであり、本件環境アセスメントのとりまとめに当たっては、調査・検討結果を公表してパブリックコメントを求め、本件関係自治体や、関係する漁業団体、農業団体、住民団体、さらには、大学、地域住民の方々から提出された意見をできる限り反映した上で、修正を加えるなどして完成されている。さらには、本件環境アセスメントの手続後も、本件関係自治体や本件地元関係者の意見を踏まえて、当初抗告人が計画していた対策工事をその後変更したり、追加したりしてきたところであり、抗告人が現時点において計画している本件対策工事の一部には、既に、本件地元関係者らの意見を踏まえた対策工事が含まれている。具体的には、本件環境アセスメントの手続の過程において、①地元関係者らの防災上の懸念を踏まえ、排水門や排水樋門の操作及び状況の常時監視を抗告人が二四時間体制で実施することや、開門方法をケース三―二開門として防災水準を変えない旨を明言するなどしたり、②農業上の懸念を踏まえて、代替水源について地下水案から海水淡水化案に変更したり、塩害を防止するために、塩水浸透が大きいと観測された箇所に、地下四メートルまで鋼矢板を打設したり、潮遊池水位を現況よりも三〇センチメートル低く管理するなどし、③漁業上の懸念に応えて、濁りの増加を防止するために、開門当初の六日間に、少量の塩水を導入し懸濁物の凝集沈殿を行ったり、排水門の開度を九〇センチメートルから六〇センチメートルに抑制するといったゆるやかな排水門操作を行うことや、汚濁防止膜を排水門の前面に設置したりするなど、更なる対策・対応を計画した(疎乙八七号証、疎乙八八号証及び疎乙八九号証)。また、本件環境アセスメント後においても、①防災上の懸念に応えて、調整池内の波浪の影響を踏まえ、常時閉門する樋門を一六か所から二一か所に増加したり、②農業上の懸念に応えて、潮風害対策として、畑作物の付着塩分に対する耐塩性試験を追加で実施するなど、更なる対策・対応を計画したところである(疎乙九〇号証、疎乙九一号証及び疎乙九二号証)。それにもかかわらず、本件関係自治体や本件地元関係者らは、それらの変更・追加された対策工事に対しても、依然として、強硬な反対姿勢を示しているのである。したがって、仮に、抗告人が、本件関係自治体や本件地元関係者らの意見を踏まえて「他の代替工事」を検討したとしても、現状においては、いかなる内容の対策工事であれ、それが本件開放に向けられたものである以上、同人らが依然として強硬に反対し続けることは明らかである。少なくとも原決定が猶予期間として定めた二か月以内に、本件関係自治体及び本件地元関係者の協力と同意が得られるような「他の代替工事」を計画し、それらを実施して被害の発生を防止する準備を整えた上で本件開放を実施することは、現状では事実上不可能といわざるを得ない。

イ また、抗告人は、本件環境アセスメントにおいても、考え得る代替工事について詳細に検討を加えた上で、その実施の当否を検討し、更に本件関係自治体や本件地元関係者らとそれら代替工事に関する説明を重ねるなどしていたのであって、原決定が、そのような抗告人における検討の経緯やその結果、それら代替工事に関する本件関係自治体や本件地元関係者の強硬な反対活動の状況について、十分に考慮することなく、安易に代替工事の可能性に言及しているところ、その判断は失当というほかない。すなわち、例えば、抗告人は、代替水源について、現在計画している海水淡水化案、本件関係自治体や本件地元関係者らの強硬な反対を受けた地下水案以外にも、本明川余剰水案、近傍中小河川案、下水処理水案を検討していたところである。

しかしながら、本明川余剰水案は、河川の中で最も水量の豊富な本明川の降雨時等の余剰水を上流の堰で取水するものであるが、市街地の工事を含む長大管水路となり、用地確保、工事に長期間を要するし、取水に関する既得水利権者との調整などにも長期間を要するため、地下水案や海水淡水化案に比べて合理性、実現可能性において劣るという難点があった。また、近傍中小河川案は、地区近傍の中小河川の表流水を利用するものであるが、河川の流量が少なく、不安定であり、既得水利権等で余剰水が見込めず、同様に合理性、実現可能性に劣るという難点があり、さらに、下水処理水案は、下水処理場で処理した水を利用するものであるが、窒素濃度が高いため、希釈する水が必要となる上、作物生育上の問題も懸念され、施肥技術の確立が必要であり、また、消費者の嗜好や風評被害の問題もあり、農業者の同意を得る必要があるため、同様に合理性、実現可能性において劣るという難点があった(疎乙一三号証八三ページ)。そのため、抗告人は、それらの代替案について、その実施の可否等を詳細に検討した上、地下水案を採るべきとしたものの、本件関係自治体や本件地元関係者らの強硬な反対を受けるなどしたため、それら諸事情を勘案した上で、結局、海水淡水化案を採るべきものと判断し、予算を講じるなどの措置を執ったものである。

このように、抗告人は、本件確定判決後、採り得べき代替案についても、相応の期間をかけつつ十分な検討を加えるなどした上で、本件対策工事の内容を確定させ、その実施を試みていたのであって、そのような抗告人の従前の努力の経過を無視し、容易に代替工事の可能性に言及する原決定の判断は債務者に不可能を強いるものにほかならず、不当である。

ウ また、抗告人は、本件対策工事の実施に当たって、前記アで述べたような計画のみに固執していたわけではなく、本件確定判決によって命じられた履行期限である平成二五年一二月二〇日までに対策工事を完成すべく、応急的な措置も含めて更なる代替案を検討するなどしてきた。すなわち、①代替水源は、淡水化施設の設置が一部しか期限に間に合わない場合であっても、農業用水が必要でない夜間も含めて二四時間稼働させ、仮設のため池にその水を貯めることによって対応したり、最終的には、移動式の淡水化施設や給水車で対応することも検討し、また、②常時排水ポンプの代わりに、災害用の応急ポンプで対応することなどの応急的な措置も検討してきたところである(疎乙第九三号証)。しかしながら、結局、本件関係自治体や本件地元関係者の強硬な反対によって、それら応急的な代替案の実施すら行えなくなったものである。

この点につき、原決定は、「債務者は、債権者らに対し、平成二五年一一月七日に、対策工事を実施した上で本件各排水門の開門が可能である旨説明していたこと」(六ページ)を間接強制金の履行猶予期間に関する基礎事情として考慮した上で、二か月間しか履行猶予期間を認めなかったが、上記のとおり、上記説明は、応急的な代替案についても地元関係者らの了解が得られることを前提としているのであるから、原決定が不当であることは明らかである。その不当性については、後記第三で改めて詳述する。

エ なお、原決定は、本件各排水門の管理について、「債務者自身が管理及び連絡調整を行うなど信義則上可能な限りの措置を講じるべきであるところ、債務者が上記措置を講じる余地がないとは認めるに足りない」(三ページ)とも判示している。しかしながら、仮に国が長崎県との本件各排水門の管理委託契約を解除すれば、国と長崎県との間で回復不可能な関係悪化が生じるとともに、その後の長崎県側の一層激しい抵抗が予想されるため、本件対策工事の実施はもとより、諫早湾干拓事業に関わる諸問題についての解決が更に困難なものとなることは明らかである。

オ さらに、平成二五年一一月一二日の別件仮処分決定後には、長崎県議会は、「原点に戻って、司法判断並びに議会や地元が繰り返し指摘してきた開門の問題点を踏まえ、直ちに、開門方針を白紙段階から見直すこと、更に、開門することなく、有明海再生に向けた道筋を示すとともに、開門に要する三三〇億円もの巨費は、効果的な水産振興策や環境改善策に集中的、重点的に投入するなど、真の有明海再生につながる対策を進めることを強く要請する」との地方自治法九九条に基づく意見書を提出するなど(疎乙第八六号証の三)、本件関係自治体及び本件地元関係者は、本件開放の実施に対する反対姿勢をより強固なものとしている。そのため、抗告人は、本件対策工事の実施を見合わせざるを得ない状況となっているのであり、原決定が、「本件関係自治体及び本件地元関係者の協力及び同意が得られるように誠実に交渉を継続する」ことや「本件各排水門の管理規定の作成及び管理等についても、長崎県等の協力が得られるように誠実に交渉を継続する」ことを求め(三ページ)、しかも、本件間接強制についてわずか二か月の猶予期間しか認めていないことは、原決定が、上記のような本件関係自治体や本件地元関係者の反対の強硬さについて、全く理解をせず、抗告人に事実上不可能を強いるものであり、不当である。

カ そして、抗告人は、別件仮処分決定によって、本件開放禁止義務を負うに至り、抗告人が本件確定判決に基づく本件開放義務を履行しようとすれば、別件仮処分決定によって命じられた本件開放禁止義務に違反することとなるのであって、抗告人としては、別件仮処分決定が現在申し立てられている保全異議等によって取り消されない限り、本件開放に向けた取組み(本件対策工事及び他の代替工事を含む。)を進めることが困難な状況にある。

なお、このように、抗告人は、本件開放義務と本件開放禁止義務の相反する義務を負っており、本件開放を目的とした取組みを進めることが困難な一方で、本件開放禁止義務の履行だけを目的とした取組みを進めることも困難なのであるから、このような板挟みの状況を打開するために、本件各排水門の開放を求める者及び開放禁止を求める者の双方の共通する目的である有明海再生に関する話合いを端緒として、関係者の話合いによる問題解決を模索しているところである(疎乙九四号証参照)。

しかるに、原決定は、そのような抗告人の置かれた極めて困難な状況等を十分に検討することもなく、間接強制という手段を用いて二か月以内という短期間での本件開放の実施を命じているのである。その判断が不当であることは明らかである。

キ 原決定が言い渡された後の報道等によれば、原決定に対し、長崎県の地元関係者からは、「(国は)開門すると地元に甚大な被害が生じることを念頭に、しっかりと主張、立証を進めてほしい」、「開門すべきでないという姿勢にいささかも変化はない」、「国や佐賀県と訴訟以外の場で話し合いを持つことはない」(長崎県知事発言)、「国は承服できないはずだ。われわれの開門反対の意志は変わらない」、「一日一万円だろうと、支払うこと自体が不合理」、「今回の決定は不当だと思うが、反対活動の方針は今まで通り変わらない」(諫早湾防災干拓推進事業連絡本部本部長発言)、「納得できない」、「干拓地では営農が始まっており、今さら開門できるはずがない。反対の姿勢は変わらない」、「簡単に開けられるものじゃない、私たちもここで営農する権利がある」、「司法もあてにならん、でも司法に頼るしかない」(営農者発言)などの声が寄せられるなど(疎乙第九五号証の一ないし八)、原決定が言い渡されたことにより、むしろ本件関係自治体や本件地元関係者の間では開門に対する反発が更に強まっており、地元関係者の理解と協力の下で開門に向けた対策工事を実施することはおよそ現実的でない状況に至っているといわざるを得ない。

第二 原決定が、別件仮処分決定が本件確定判決に基づく債務を間接強制の対象となることを妨げる理由となるものではないとしたことの不当性

原決定は、「仮処分決定に対しては保全異議の申立てをするなど法律上の措置を講じることが可能であることからすると、別件仮処分決定が本件確定判決に基づく債務を間接強制の対象とすることを妨げる理由となるものではない」(四ページ)と判示する。

しかしながら、別件仮処分決定に対しては、補助参加人から現に平成二五年一二月一六日付けで保全異議の申立てがされ、抗告人も、現に、保全異議手続において必要な主張立証を行い、別件仮処分決定の取消しを求めているところであり、原決定のいう「法律上の措置」は講じられているのである。しかるに、保全異議申立て等の手続によって同決定が現に取り消されるまでの間は、別件仮処分決定によって抗告人は本件開放禁止義務を負っているのであって、保全異議等の法的措置を執っただけでは、上記義務から解放されるものではない。もとより、本件確定判決に基づく原決定と別件仮処分決定は、債権者を異にする別個の裁判ではあるが、抗告人からすれば、原決定に従って、本件各排水門を開放することは、別件仮処分決定が命ずる本件開放禁止義務に違反することとなるのであるから、同決定が取り消されるまでの間は、抗告人には事実上の障害があると解すべきである。実際に、別件仮処分決定の債権者からは、同決定の執行力に基づき、本件各排水門を開放した場合には二五〇〇億円の間接強制金を支払うよう求められているところであり、抗告人は、本件開放義務と本件開放禁止義務を課され、いずれも間接強制の申立てによりその履行を迫られるなど、正に両者の法的効力の間で板ばさみの状況にある。仮に原決定による間接強制がその効力を生じた場合、抗告人は、原決定が取り消され、あるいは請求異議の訴え等が認められない限り、期限の定めもなく、相手方らに対し、二か月間の猶予期間経過後は間接強制金を毎日支払い続けることを強制されることになる一方、別件仮処分決定による間接強制がその効力を生じた場合、原決定に従って本件開放をしたとしても、やはり間接強制金の支払を強制されることとなる。法は債務者に不可能を強いるべきではないから、現状ではいずれの間接強制も認められるべきではない。

したがって、原決定が、「仮処分決定に対しては保全異議の申立てをするなど法律上の措置を講じることが可能である」との形式的な理由によって、別件仮処分決定が事実上の障害には当たらないと判断したことは、重大な事実誤認があり、民法四一四条、民事執行法一七二条の解釈を誤った違法がある。

第三 原決定が、過去の抗告人担当者の説明内容を間接強制金の履行猶予期間に関する基礎事情として考慮した上で、二か月間の履行猶予期間しか認めなかったことが不当であること

一 原決定は、「債務者は、債権者らに対し、平成二五年一一月七日に、対策工事を実施した上で本件各排水門の開門が可能である旨説明していたことなどの諸般の事情を考慮すると、……その履行猶予期間は、本決定送達の翌日から二か月間とするのが相当である。」(六ページ)と判示する。

この点、平成二五年一一月七日に相手方らと抗告人担当者との間で行われた意見交換会の状況が記載された甲第五九号証に、抗告人担当者が、「そこは、まだこれから工事のやりようがありますので、今私どもが考えているところであれば十分間に合うということでありますし」(同号証五ページ)、「淡水化施設についても、今申し上げるのはなかなかあれ(難しい)ですけれども、例えば、東北大震災なんかで、応急的に使われたような、臨時の移動式の淡水化施設等々をお借りしてくるということ等も含めて、そういう対応は取れると考えております」(同号証六ページ)とそれぞれ発言をした状況が記載されている。

しかしながら、上記意見交換会で抗告人担当者が上記のような発言をした趣旨は、福岡高裁確定判決による開門期限が同年一二月二〇日であり、その開門期限直後が冬期にあたることから、その時期の農業の必要水量も少ないため、当面は最小限の応急的な措置での対応が可能であることを前提として説明したにすぎないものであり、そのことは、上記意見交換会の場でも抗告人担当者により明言されている(疎乙九三号証三ページ)。そして、夏期における農業の必要水量は、冬期のそれと比べ極めて大きいため(疎乙第九六号証の一及び二)、現時点においては、平成二五年一一月七日の時点で想定していた最小限の応急的な措置では、農業における必要水量を確保することは到底できず、原決定の認めた二か月程度の猶予期間において、農業用水を確保するための措置を執ることなどできないのであるから、そのような措置を執ることなく、原決定に従い、本件開放を実施すれば、直ちに農業上の甚大な被害を生じさせることとなる。

二 加えて、平成二五年一一月七日に説明した応急的な措置であっても、その実施には本件関係自治体及び本件地元関係者の理解と協力が不可欠であることには何ら変わりがなく、上記意見交換会において抗告人担当者が上記のように説明した趣旨も、本件関係自治体等による理解と協力が得られることを前提とした発言である。このことは、相手方らも、「物理的に可能だということはとてもよく分かりました」と発言し、応急的な措置が、本件開放期限までに「物理的に可能か」どうかという観点から説明したにすぎないことは理解していたところである(甲五九号証五ページ)。さらに、上記意見交換会における抗告人担当者の説明は、抗告人が平成二五年一一月一二日に別件仮処分決定により本件開放禁止義務を負うに至る前の状況を前提としての発言である。しかしながら、実際には、その後別件仮処分決定が出されたことにより、本件関係自治体や本件地元関係者らの反対はますます強硬となっているところであるから、上記説明における応急的な措置であっても、現状においてはその実施はますます困難な状況となっている。

三 以上のように、特に本件開放及びそれに向けた対策工事に対する本件関係自治体及び地元関係者の強硬な反対がある現状においては、原決定の送達を受けた日の翌日から二か月以内に、本件開放による甚大な被害を防止するのに必要な対策工事を全て終えた上で本件開放を実施することが事実上不可能であることは明らかである。

したがって、原決定が、「債務者は、債権者らに対し、平成二五年一一月七日に、対策工事を実施した上で本件各排水門の開門が可能である旨説明していたこと」を取り上げて、この点を重視して本決定送達の翌日から二か月間という履行猶予期間を設けたのであれば、上記のような発言の趣旨や前提、発言のされた時期やその後の事情変更について全く考慮しないまま、およそ現実的ではない履行期限を定めたものであって、明らかに不当である。

第四 その他の原決定の判断の不当性

一 原決定が権利の濫用又は信義則違反に関する評価を誤っていること

この点、前記第一のとおり、原決定が、「債務者は本件各排水門の開放義務を履行するために信義則上可能な限りの措置を講じるべきであり、その余地がないとは認められない」(五ページ)としたことは誤りというべきであるが、さらに、原決定は、相手方らの漁業行使権が生活の基盤にかかわる重要な権利であることや福岡高裁判決を抗告人が上告することなく同判決を確定させたことなどの事情をも根拠事情として、相手方らの本件確定判決に基づく権利行使が権利の濫用又は信義則違反となるとは認められない旨判示している(五ページ)。

しかしながら、相手方らが本件開放により保護される漁業行使権は、五年間という限定された期間における財産的権利にすぎず、しかも、本件潮受堤防の締切りによって相手方らが具体的にどの程度の財産的被害を被ったのかは、本件確定判決の判示によっても明らかではない。

また、抗告人が福岡高裁判決を上告することなく確定させたことは事実であるが、そもそも、抗告人のこのような行動が、相手方らの本件確定判決に基づく権利行使が権利の濫用又は信義則違反となるかの判断に当たって考慮要素となり得るとする理由が不明である。原審債務者意見書(1)の第二の四及び五(二二ないし四二ページ)で詳述したように、福岡高裁判決の確定後、同判決も想定していた対策工事の実施が本件関係自治体及び本件地元関係者の強硬な反対により事実上不可能な状況となり、対策工事を実施せずに本件開放を行うと、本件潮受堤防の防災機能が損なわれ、農業上の甚大な被害が生じ、漁場環境に影響を及ぼすことが本件環境アセスメントの結果によっても改めて明らかとなっているのであるから、福岡高裁確定判決を確定させた当時とは、前提となる事情が変更しているというべきである。したがって、抗告人が対策工事を実施した上で本件開放を実施する方針の下で同判決を上告することなく確定させたからといって、その後の事情により、現に対策工事を実施することが極めて困難な状況に陥った状況下において、上記事実を間接強制申立ての判断をするに当たり抗告人に不利益な事情として斟酌することは極めて酷な判断というべきである。

そして、原審債務者意見書(1)の第二の七(四六ないし四八ページ)で詳述したとおり、相手方らは、抗告人が本件対策工事に着手できない状況にあること、現状のまま本件開放を行えば、地域住民の生命、身体に危害が及び、その住居等のほか本件干拓地の農地等に甚大な被害が及ぶおそれがあることを知っており、あるいは、これを容易に知り得たものである(相手方らのうち、X2ら八名は、別件仮処分決定にも補助参加人として関与している。)。それにもかかわらず、相手方らが、上記のとおり具体的にどの程度の財産的損害を被ったのか明らかではない自らの漁業行使権の回復のためだけに、本件確定判決に基づき本件開放の強制執行を断行することは、公益ないし公共上の利益を著しく害する行為であって、権利の濫用に当たり、信義則に反するというべきである。原決定は、上記のような本件対策工事を実施しないまま本件開放を行った場合の被害の程度については、一切考慮をしておらず、権利の濫用又は信義則違反という法的評価の対象となるべき事情の把握を明らかに誤っているというべきである。さらに、原決定に従えば、仮に原決定による間接強制がその効力を生じた場合、抗告人は、原決定が取り消され、あるいは請求異議の訴え等が認められない限り、期限の定めもなく、相手方らに対し、二か月間の猶予期間経過後は間接強制金を毎日支払い続けることを強制されることになるのであって、このような事態は、余りにも抗告人にとって酷いというべきであり、この点からも原決定の上記判示は誤りというほかない。

二 間接強制金の金額が過大であること

原決定は、間接強制金の金額について、相手方らが不履行によって生活の基盤に関わる漁業行使権の侵害という損害を受けていることなどを根拠として、その金額を相手方一名につき一日当たり一万円をもって相当と認めている(六ページ)。

しかしながら、原審債務者意見書(1)の第三(四八ないし五〇ページ)でも詳述したとおり、長崎地方裁判所平成二三年六月二七日判決は、諫早湾近傍で漁船漁業を営む漁業者に生じた漁業被害による損害額について、それぞれ一年当たり五〇万円と認めるのが相当である旨判示しているところ、この金額自体過大というべきものである。その点をおいて、ひとまず同判決に基づいた場合であっても、本件の相手方ら四九名について予想される損害額は、せいぜい、一名につき一年当たり五〇万円、四九名につき一年当たり二四五〇万円にすぎないのに対し、原決定の金額は、四九名について一年当たり一億七八八五万円に上る。そして、実際の損害が一年あたり五〇万円を上回ることは立証されていない。なお、この点に関し、相手方らは、原審における二〇一四(平成二六)年二月二四日付け意見書第六の三(2)(七四ページ)において、上記長崎地裁判決は、一部請求の金額をそのまま認容したにすぎず、「実際の損害は一年あたり五〇万円を圧倒的に上回る。」と主張している。しかしながら、上記長崎地裁判決は、相手方らの損害額を適切に認定することは困難であるから、民事訴訟法二四八条により認定するとして、大浦漁協の漁業生産額又は水揚高の推移から五〇万円と算出したのであるから、一部請求の金額をそのまま認容したにすぎないとの相手方の上記主張は失当である。

執行債権の性質を考えても、相手方らは金銭の受領によって実質的な満足が得られるものであり、他方、抗告人による履行は、前記第一のとおり事実上不可能な状況にあることなどからすると、上記のように実質的損害を大幅に超える強制金によって抗告人に対し強制を加えることは極めて酷であり、原決定における間接強制金の金額は過大であって不当というほかない。

第五 結語

以上のように、現状においては、本件関係自治体及び本件地元関係者が本件開放及びこれに向けた対策工事全てに対し強硬に反対しているため、福岡高裁判決が確定して三年が経過した時点においても本件対策工事は全く実施されておらず、その見込みも全くない以上、本件開放に当たっては抗告人の意思では排除することができない事実上の障害があり、また、本件確定判決に基づく間接強制の申立ては権利の濫用に当たり、信義則に反するというべきであり、これに反する原決定の判断には、重大な事実誤認がある。

殊に原決定が、抗告人に対し、二か月以内に事実上不可能な対策工事を行う義務を課し、結局、抗告人が、原決定に基づき本件開門を実施するためには、対策工事をすることなく本件各排水門を開放し、防災上、営農上の甚大な被害を生じさせるか、期限の定めもなく、二か月間の猶予期間経過後は毎日間接強制金を支払い続けるかを選択せざるを得ない状況に追い込んだことは、正に抗告人に不可能を強いるものであって、明らかに不当であるというほかない。

したがって、速やかに原決定は取り消され、相手方らによる間接強制決定の申立ては却下されるべきである。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例