福岡高等裁判所 平成27年(ネ)115号 判決 2015年5月29日
控訴人
X
同訴訟代理人弁護士
荒牧啓一
同
縄田浩孝
被控訴人
有限会社Y
同代表者代表取締役
A
同訴訟代理人弁護士
菅藤浩三
主文
一 本件控訴を棄却する。
二 控訴費用は控訴人の負担とする。
事実及び理由
第一控訴の趣旨
一 原判決を取り消す。
二 被控訴人は、控訴人に対し、二二〇〇万円及びこれに対する平成二二年一〇月一九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え(主位的請求)。
三 被控訴人は、控訴人に対し、二二〇〇万円及びこれに対する平成二二年一二月二五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え(予備的請求)。
第二事案の概要
控訴人の母であるB(以下「B」という。)は、被控訴人が運営するグループホーム「a」(以下「本件施設」という。)の入居者であったところ、平成二二年一〇月一九日、Bは夕食後に心肺停止状態となり、救急搬送されたが、翌一〇月二〇日、誤嚥による急性呼吸不全のため死亡した(以下「本件出来事」という。)。
本件は、Bの子であり、かつ、本件出来事に関するBの損害賠償請求権を相続した控訴人が、被控訴人に対し、主位的に不法行為を理由とする損害賠償請求権に基づき損害金合計二二〇〇万円及びこれに対する平成二二年一〇月一九日(本件事故の日である。)から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を、予備的に債務不履行を理由とする損害賠償請求権に基づき損害金合計二二〇〇万円及びこれに対する平成二二年一二月二五日(賠償金の支払を求める旨の書面が被控訴人に到達した日の翌日である。)から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。
原判決は、控訴人の請求をいずれも棄却したので、これを不服として控訴人が控訴した。
一 前提事実及び争点並びに当事者の主張は、原判決を次のとおり補正し、当審における控訴人の補充主張を後記二のとおり付加するほかは、原判決の「事実及び理由」中の第二の二及び三並びに第三に記載のとおりであるので、これを引用する。
(1) 四頁一三行目の「田川消防本部」を「田川地区消防本部」に改める。
(2) 五頁一四行目の「「開口するが」から一五行目の「でき」ない状態であり」までを「開口はするが、口を動かすことができないため、口腔内から食べ物が流れ出し、ほとんど摂取できない、という状態であり」に改める。
(3) 一二頁二行目の「間隙」を「間隔」に改める。
二 当審における控訴人の補充主張
一般的に、高齢者の誤嚥は窒息の危険と結びついている現象である。よって、「誤嚥」という現象と「窒息」という現象とを区別し、窒息に至るような誤嚥の有無や、そのような状態についての予見可能性を中心として注意義務を検討するのは相当でなく、誤嚥それ自体の有無や、誤嚥が生じた場合の即時の対応を中心として注意義務を検討すべきである。
本件では、夕食時にBは食物を口に含んでもこれを摂取できず、食物が口腔内から流れ出てくる状態にあった上、誤嚥の苦しみから「あー」という語を発している。加えて、夕食時または食後に左手に振戦も出現している。これらはBに誤嚥が生じ、異常な状況にあったことの徴候とみるべきであるが、Bの食事を介助したE、そして、他の本件施設の職員は全くそのことに気付かずに誤嚥の解消に向けた対応を採らなかった。
さらに、Eは、食後にBの口腔内に食物が残存していることを認識しつつ、直ちに口腔ケアをせず、しかも、車いすを移動させて、Bの正面を本件施設で稼働する職員からは顔色を確認し難い方角に向け、その結果、誤嚥状態を悪化させた。
よって、被控訴人には賠償義務がある。
第三当裁判所の判断
一 当裁判所も、控訴人の請求はいずれも棄却すべきものと判断する。その理由は、次のとおり補正し、当審における控訴人の補充主張に対する判断を後記二のとおり付加するほかは、原判決の「事実及び理由」中の第四に記載のとおりであるから、これを引用する。
(1) 一四頁五行目から六行目にかけて、八行目から九行目にかけて、二一行目から二二行目にかけて、二四行目、二五行目の「食べもの」をいずれも「食べ物」に改める。
(2) 一七頁六行目の「変化」を「変色」に改める。
(3) 一七頁一七行目の「呼吸の状態は、」を削る。
(4) 一七頁二四行目の「田川消防本部」を「田川地区消防本部」に改める。
(5) 二〇頁一九行目の「夕食後」を「夕食時もしくは夕食後」に改める。
(6) 二〇頁二五行目から二六行目にかけての「認められる。」の次に「なお、控訴人は、左手に振戦が出現した時間帯が夕食中であったとしても、その時、Eは食事介助を中断して他の作業をしていてこれに気づかなかった旨主張するが、的確な裏付証拠もない本件では、採用できない。」を加える。
(7) 二一頁一行目の「食べもの」を「食べ物」に改める。
(8) 二一頁一〇行目の「左手の色もどす黒く変化」を「左手もどす黒く変色」に改める。
(9) 二二頁二〇行目、二三頁一二行目の「食べもの」をいずれも「食べ物」に改める。
(10) 二四頁二四行目の「背中をとんとんと叩くなど」を「背部を叩くなど」に改める。
(11) 二五頁四行目の「Bの夕食後相当程度時間」を「Bが夕食を終えてから相当程度の時間」に改める。
二 当審における控訴人の補充主張について
(1) 本件では、Bの死因である誤嚥による急性呼吸不全の回避が問題となるところ、証拠<省略>によると、誤嚥から窒息に至るのは極めて稀であり、それゆえ、誤嚥が直ちに窒息という結果と結びつくものではないことが認められる。したがって、本件出来事に直面した本件施設の職員が負うべき注意義務も、誤嚥の有無に着目するのではなく、窒息の有無すなわちBの呼吸状態等に焦点を当てて検討を進めるのが相当である。
よって、誤嚥自体の有無、そして、誤嚥が生じた場合の即時対応を中心として注意義務違反の有無を検討すべきであるとする控訴人の主張は、前提を異にするものであり、採用できない。
(2) 前記引用に係る原判決の認定のとおり、夕食時のBには、食物を口に含むが摂取することができず、口から食物が流れ出るとの状況が出現していたところ、証拠<省略>によると、この状況は誤嚥の徴候と評価することができる。しかし、上記(1)の検討を踏まえ考察すると、原判決が認定するとおり、食事後となる午後五時前ころから口腔ケアを行ったころまでの間、E及びDがBを観察しても、むせ込みや顔色の変化など、呼吸状態等の悪化を示す徴候が確認できなかった本件では、夕食中のBに誤嚥の徴候が出現していたからといって、本件施設の職員の注意義務違反を認めることはできない。
また、原判決の認定によると、夕食中にBの左手に振戦が出現し、「あー」という語が発せられている。しかし、証拠<省略>を踏まえると、左手の振戦を誤嚥と結びつけて評価することは困難である上、そもそもこの事象を呼吸状態等の悪化を示す徴候と評価することはできない。また、原判決の認定によると、「あー」という語を発した時のBの様子はいつもと変わらなかったというのであるから、控訴人が主張するように、誤嚥の苦しみを伝える趣旨の発語であったとみるのも困難であるので、これらの事情は本件施設の職員の注意義務違反の有無の判断に影響しない。
(3) 最後に、控訴人は、Eが、食後に直ちに口腔ケアをせず、しかも、職員からは顔色を確認し難い方角にBの正面を向けたとして、この点を非難するが、上記のとおり、E及びDが夕食後のBを観察しても、呼吸状態等の悪化を示す徴候は確認できなかったというのであるから、控訴人指摘の点は、本件施設の職員の注意義務違反の有無の判断にやはり影響を及ぼさない。
(4) よって、控訴人の主張はいずれも原判決の認定・判断を左右しない。
第四結論
以上の次第で、本件控訴は理由がないからこれを棄却することとして、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 大工強 裁判官 府内覚 篠原淳一)