福岡高等裁判所 平成3年(ラ)123号 決定 1991年12月27日
抗告人(事件本人養子となる者の母)
甲野花子
相手方(申立人 養父となる者)
乙川勝
相手方(申立人 養母となる者)
乙川光江
事件本人(養子となる者)
甲野太郎
主文
本件抗告を棄却する。
理由
一本件抗告の趣旨及び理由は別紙記載のとおりである。
二本件記録によれば次の事実が認められる。
1 事件本人甲野太郎(以下「太郎」という。)の実母である抗告人(昭和三二年三月一日生)は、名古屋市内の××高校音楽科を卒業後、名古屋市内のクラブでホステスをしたりして働いていたが、昭和五三年二月会社員の甲と知り合って結婚し、昭和五三年四月長男Aを、昭和五七年二月長女Bを儲けた。
しかし、昭和六一年に甲は愛人をつくり、また暴力団との付き合いがあり、覚醒剤所持等で逮捕されたりしたことで、抗告人は甲と昭和六二年一月協議離婚し、子供二人を引き取り、クラブのホステスやパチンコ店の店員として勤務しながら子供二人を養育していたが、同年初めころ、妻子のある丙山二郎(以下「丙山」という。)と情交関係を結んで妊娠し、同年一二月七日太郎を出産した。
2 抗告人は、太郎出産直後の同年一二月一二日、丙山とともに○○○市児童相談所を訪ね、余所での養育の可否について相談し、同月二八日に再度同相談所を訪ねて太郎を里子に出すことを希望したので、○○○市養護施設「△△寮」(乳児部)への入寮措置がとられた。
3 その後抗告人は、昭和六三年一月七日丙山を相手方として名古屋家庭裁判所に太郎の養育費等を請求する調停の申立てをなし、かつ、その立場上、○○○市児童相談所に太郎の里子希望を取り消して同人を将来引き取る旨電話したものの、別段太郎を養育する具体案があった訳ではなかった。一方、丙山は抗告人と結婚する考えは全くなく、抗告人に対し慰謝料五〇万円を支払ったほかは太郎を里子に出すことを強要するだけで、太郎の認知を拒絶して養育費の支払を免れる態度に終始し、右調停は同年五月一九日不成立に終わった。なお、長男Aは同年八月に甲の実家に引き取られ、抗告人はBだけを養育することとなった。
4 相手方らは昭和四六年八月二六日に結婚した夫婦であるが、子に恵まれないでいる間に、相手方光江が子宮摘出手術を受け子供ができない身体となったことから、何とかして子供が欲しいと思っていたが、相手方勝の友人の従姉妹Cを通じて太郎を紹介され、平成二年二月二〇日ころ、抗告人と会ってその了承の許に△△寮に赴いて太郎に会い、抗告人との間で太郎を引き取ることについて具体的な話を進めるとともに太郎との接触を深めた。
太郎は、かねてから他児の面会を知るといつも自分の母親のことを尋ね求める子であったが、相手方らとの接触が深まるにつれて、次第に相手方との面会を心待ちにするようになった。一方、抗告人は、いずれ里子に出す日のことを思って面会を差し控え勝ちであったが、それにしても太郎の安否について△△寮の職員に電話で問い合わせることも少なかった。
5 そして同年三月五日、抗告人と相手方らとの間で、次の内容の念書が取り交わされた。
「甲野太郎と乙川勝の養子縁組の件
甲野太郎と乙川勝の養子縁組の条件は下記のとおりです。
(一) 特別養子縁組が前提なので、これが成立するように両家とも所在を明確にし連絡がとれるようにする。
(二) 特別養子縁組が前提なので、これが成立するように両家とも協力しあう。
(三) 問題が発生した場合、両家の話合いで問題解決にあたる。
(四) 乙川太郎として立派な社会人となるように育てる。
(五) 養子縁組成立後はこれを遵守し、破棄しない。
以上の条件で養子縁組に同意します。」
そこで抗告人は、同年三月一二日△△寮を訪ね、相手方らに養育を依頼するので明日太郎を引き取りたいと申し出て、職員から家庭裁判所での手続の指導を受け、翌日、相手方らが△△寮から太郎を引き取り、同年四月二日本件申立てをし、現在まで相手方らが太郎の監護養育に当たっている。
6 相手方勝(昭和二二年四月三日生)は、昭和四九年に大学を卒業し、以来◎◎◎株式会社に勤務し、月収五〇万円で、預金四〇〇万円余、時価一六〇万円相当の株券を所持しており、相手方光江(昭和二一年四月二六日生)は、短期大学を卒業し、結婚後は専ら家事に従事し、太郎を引き取った後はその養育に当たり健康状態も良好である。そして夫婦仲は円満であり、家庭的にも経済的にも安定し、太郎に対する監護養育状況は良好で、太郎も相手方らによくなついており、相手方らの親族からも可愛がられている。
7 他方、抗告人は本件申立て当時は名古屋市に居住していたが、甲の連帯保証人となっていたことで借金取りに困り、同年八月二八日、住民票上の住所は名古屋市に残したまま、姉を頼ってBとともに福井市に移り住み(平成三年五月二七日転入届出)、友達夫婦と家賃を出し合って借家し、姉の夫の会社「□□□食品」に勤めさせて貰い、デパートやスーパーマーケット等に出店して漬物等食品販売の仕事に従事しているが、仕事は不規則で午前七時ないし九時ころから午後の八時ないし九時ころまで勤務し、Bは抗告人の姉に面倒をみて貰っているのが実情であり、Bは甲姓のままで国民健康保険にも入れておらず、児童扶養手当ての受給手続もとっておらず、見るべき財産はなく、むしろ前夫のための連帯保証債務がある状態である。
三以上の事実によれば、実母である抗告人による太郎の監護は著しく困難であって養子となる太郎には要保護性があり、養親となる相手方らにその適格に欠けるところはなく、また、養親となるべき相手方らと養子となるべき太郎との適合性についても格別の問題はないといえる。
ところで、抗告人は前記認定のとおり、本件申立て前、相手方らに対し、特別養子縁組の成立について同意を与え、念書においてその意思を明確にしていたものであるが、本件記録によれば、抗告人は本件申立て後、福岡家庭裁判所小倉支部より調査嘱託の依頼を受けた名古屋家庭裁判所調査官からの再三、再四の調査呼び出し(同年五月九日、同月一七日、同月三〇日、同年七月三日)に対し、何の連絡もせずに出頭せず、不出頭の理由を尋ねられると身体の具合が悪かったとか仕事の都合とか曖昧な返答をするだけで、別段の理由もなく時日を遷延させたばかりか、同年七月二六日ころに至り相手方らに対し、「借金が多く債権者に返済を迫られ金が必要である。太郎を引き取り太郎の実父に養育費の請求をし、その金で借金の返済にあてたい。今回の特別養子の話は撤回してもらいたい。」趣旨の、更に、同月二八日、「借金で困っている。金を貸して欲しい。金を貸してくれれば裁判所に出頭して、自分の意思を担当者に話してもよい。」趣旨の電話をし、相手方らが抗告人から、特別養子縁組の同意を得たいのであれば、あたかも金銭の貸与か支払が必要であるかに受けとれる言動に及び、これが拒否された後になって、家庭裁判所調査官に対し、これまで調査呼び出しに応じなかったのは太郎にとって一生の問題なので急いで結論を出したくなかったからで、太郎を自分で養育する気持ちに変わったと電話で回答し、結局同年一〇月二日、福井家庭裁判所まで出張調査に赴いた福岡家庭裁判所小倉支部家庭裁判所調査官の面接調査において、同意撤回の意思を明確にするに至った。
四特別養子縁組の成立には養子となる者の父母の同意がなければならないが、父母による虐待、悪意の遺棄その他養子となる者の利益を著しく害する事由がある場合は、家庭裁判所はその同意がなくとも特別養子縁組を成立させることができる。
そこで検討するに、抗告人は右面接調査前の平成二年八月二四日の福岡家庭裁判所調査官の照会事項に対し、同意を撤回した経緯について、「私の軽はずみから、大変な、一生苦しまなくてはいけない事にはどうしてもしたくありません。私からあの子を奪わないで下さい。」「今私は生きております。死んで親がいなくなった訳ではありません。必ずきちんと育てていきます。」との回答をしている。しかし、一件記録によれば、
1 抗告人は、先夫との間のB一人でさえ姉の援助を受けてようやく養育している始末であり、独力で太郎を引き取る余力はなく、太郎を引き取りたいといいながら、未だ最も身近な姉やBにも太郎の存在さえ打ち明けていない。
2 現実問題として、太郎を直ちに引き取れる生活環境に無く、現に家庭裁判所調査官の再三の調査呼び出しにも無断で不出頭を繰り返し、あとで仕事の都合や身体の具合が悪かったと回答するなど、いたずらに月日を遷延させている。
3 抗告人は相手方らが嫌気がさして太郎を手放してくれるかも知れないと思ったなどと事後釈明しているが、相手方らに電話で、抗告人から特別養子縁組についての同意を得るには、金銭の貸与ないし支払が必要であるかに受けとれる趣旨を申しむけ、その拒否にあった後同意の撤回の意思を明確にしている。
4 福岡家庭裁判所小倉支部の審判呼び出しにも無断で不出頭を繰り返し、担当書記官からの電話による問い合わせに対しては、抗告人との関係を明らかにしないTと称する男性が「伝えておく。」と回答するだけであり、この点について、抗告人は、家庭裁判所に出頭しても今すぐに太郎を育てられるかと聴かれたとき、今は育てられないというのが嫌で出頭しなかったと釈明しているに止まる。
以上1ないし4の事実が認められるところ、これらの事実に、真実、太郎を引き取りたい意思があれば、言葉で太郎の一生の問題という抗告人にとって、仕事に藉口して家庭裁判所への出頭ができないとは考えられないこと、抗告人が太郎出産後、早々に太郎を○○○市養護施設「△△寮」に入寮させて里子に出すことを希望し、以後、特別養子縁組に同意して相手方らに太郎を引き渡すまでの間においても、「△△寮」に太郎の安否を気遣った電話をすることも少なかったこと、同意の撤回についても、太郎が相手方らに対して実の親のように親しみ馴染み、これを引き離すことは太郎に混乱と打撃を与えるだけでその福祉に沿わない状況に立ち至った後なされたものであること及び抗告人が現在においても、太郎を引き取って養育できない状況にあることは、特別養子縁組を成立させることが太郎の福祉に叶うとして念書を取り交わして相手方らに太郎を引き渡した当時と変わりがないことなど、前示諸般の事情を総合考慮すれば、生みの母としての抗告人の心情には酌むべきものがあるとしても、前記回答の真意とその決意の程度と持続性については大いに疑問を挟む余地があるといわなければならない。同意とその撤回を巡る以上の事実関係は、これを要するに、養子となる太郎の福祉という観点から客観的にみれば、本件の場合養子となる太郎の利益を著しく害する事由がある場合に該当すると認められる。
そうすると、本件申立てについては、抗告人の同意なしに特別養子縁組を成立させるのが相当である。
五よって、原審判は結論において相当であるから本件抗告を棄却することとして主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官鍋山健 裁判官松島茂敏 裁判官中山弘幸)
別紙<省略>