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福岡高等裁判所 平成4年(う)283号 判決 1993年3月18日

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役二年六月に処する。

原審における未決勾留日数中二五〇日を右の刑に算入する。

本件控訴事実中、平成三年一月二八日付起訴にかかる建造物侵入及び窃盗の点については、いずれも被告人は無罪。

理由

本件公訴の趣意は、弁護人廣瀬哲夫提出の控訴趣意書(控訴趣意書訂正申立書を含む(及び被告人提出の控訴趣意書、控訴趣意補充書(二通)に記載されているとおりであるから、これらを引用する。

一  被告人の控訴趣意中、原判決犯罪事実一覧表番号11ないし13の各事実に対する事実誤認の論旨について

所論は、要するに、原判決は、平成二年八月二四日付及び一一月二日付起訴にかかる公訴事実(犯罪事実一覧表番号11ないし13の各事実)について、被告人の犯行と認定したが、被告人はこれらの犯行をおこなつていないから、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある、というのである。

しかしながら、原判決挙示の関係各証拠によれば、被告人が右犯行に及んだことを優に認めることができ、原判決が「事実認定の補足説明等」の項の一において認定、説示しているところもすべて正当として是認することができる。

すなわち、被告人は、右犯行日時の直前に盗難場所のビルに入るのを警察官に目撃され、同ビルから出てきたところを職務質問されたものであるところ、被害金額に見合う多額の小銭を携帯していたこと、被害場所のスナック等の出入口のドアの施錠が壊され、カラオケ料金箱から多額の小銭を含む現金が盗まれていたこと、犯行現場に遺留されていた足跡が被告人の靴と合致ないし類似すること、被告人は、犯行直後これらの犯行を自白していたことなどを総合すると、右各犯行が被告人によつてなされたものであることは明白というべきであつて、合理的疑いを入れる余地はない。

これに対し、被告人は、右犯行現場に行つたことは認めるが、既に何者かが侵入していたなどと主張しているが、前記認定の事実に照らせばその可能性はないというべきであり、また、自白調書にいわゆる秘密の暴露がないからといつて、自白の信用性に疑問を入れる余地はない。論旨は、理由がない。

二  弁護人及び被告人の控訴趣意中、訴訟手続の法令違反の論旨について

所論は、要するに、原判決が平成三年一月二八日付起訴にかかる公訴事実(原判決犯罪事実一覧表番号1ないし10記載の各事実)を認定した証拠として挙示する被告人の検察官及び司法警察員に対する各供述調書(原審検乙一六、一八ないし二四号)については、捜査官の事件の不送致を含む便宜供与の約束、利益誘導などに基づいてなされた自白であつて任意性がないから、証拠排除決定をすべきであるのに、これをしなかつた原審の手続きには、 判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令の違反があり、また、証拠排除決定をしなかつたことが違法でないとしても、任意性に疑いがあり証拠能力を欠く前記被告人の供述調書を証拠とした訴訟手続には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違反がある、というのである。(なお、弁護人の控訴趣意中、事実誤認をいう部分は、つまるところ前記訴訟手続の法令違反の主張と解される。)

そこで先ず、本件の捜査、公訴の提起及びその公判審理の経緯について検討するに、記録によれば、被告人は、平成二年八月七日、原判決犯罪事実一覧表番号12の事実(以下、「別表12の事実」のようにいう)により、逮捕、拘留されて、平成三年二月一九日に京町拘置支所に移監されるまでの間約六か月に亘り熊本北警察署に留置されていたこと、被告人は、逮捕直後には、別表12の事実及び同日に敢行された別表11及び13の事実について犯行を認め、平成二年八月七日から同月二三日にかけて、これらの事実についての自白調書が作成されたこと、ところが、被告人は、同月末ころから一転して右各事実を否認し始め、同年九月二六日の第一回公判期日において、別表12の事実について否認する旨供述したこと、しかし、その直後の同年一〇月初めころになつて、再び右事実について犯行を認める旨供述をなし、そのころから、取り調べられていた余罪である別表1ないし10の事実についての自白を始め供述調書が作成されたこと、同年一一月一五日の第二回公判期日において、被告人は別表12の事実につき、前回の否認の供述を撤回し、同年一一月二日付起訴事実(別表11及び13の事実)も含めていずれも認める旨供述し、平成三年二月七日の第四回公判期日において、同年一月二八日付起訴事実(別表1ないし10の事実)についても認める旨の供述をなして供述調書などの証拠調べがおこなわれ、同年三月一五日の第五回公判期日において弁論を終結したこと、しかし、その後、被告人が自白は利益誘導によるものだなどと主張したため弁論が再開され、同年四月一九日の第六回公判期日において、被告人は起訴された全部の事実につき否認するに至つたことがそれぞれ認められる。

所論は、被告人は、平成二年八月末ころ、いつたん認めた犯行を否認していたところ、同年九月初めころ、熊本北警察署の取調べ担当警察官であるAから、被告人が平成元年一二月ころ、福岡市において、当時交際中であつたB子の部屋からダイヤの指輪などを窃取した事件(以下、福岡事件という)について尋ねられ、被告人が自己の犯行であることを認めると、Aは、熊本の事件を全部素直に認めれば、福岡事件は被害届をこちらに取り寄せて握りつぶしてやると持ちかけてきたこと、被告人は、かつてB子と情交関係があり、高価なダイヤの指輪などを無断で持ち出して入質しているので、被害届が出されているのであれば、被害額が大きいため相当の刑が免れないところ、被告人には当時C子という婚約者がおり、そのため一日でも早く社会に復帰したかつたうえ、被告人は、B子との交際期間中に同女から種々の世話をうけて恩義を感じていたし、同女から二人の関係が表沙汰になるようなことは避けてほしいといわれていたので、福岡事件が公になれば、自分にとつて不利益なばかりでなく、同女にも迷惑を及ぼす結果になりかねず、そのような事態はどうしても避けたいという思いから、どうせ懲役に行くならAの勧めを受け入れ、被害金額の少ない熊本の事件を認めて、福岡事件を握りつぶして貰つたほうが得策と考えて、熊本事件認める旨申し出たところ、Aから、被告人に対し熊本以外の窃盗の余罪を自白するように迫られ、余罪を自供すれば、<1>自供件数の三割程度しか送検しない。<2>取調べ室内での煙草、飲料の購入代金は被告人に負担させない、<3>取調べのない日でも、毎日被告人を留置場から出し、煙草を吸わせる、<4>現場引当のとき、手錠、腰縄ははずす、<5>仮出獄の取消により服役すべき残りの日数を留置場で消化させる、<6>婚約者とすぐに電話連絡をとるなどの便宜を図つてやるともちかけられて、平成二年一〇月上旬ころ、Aとの約束を信じ、福岡事件を検察官に送致しないことなどの条件と引き換えに、熊本の事件のほかにも余罪を自供したものである、というのである。

そこで、まず、福岡事件の捜査及び送致に関し検討する。

当審における事実取調べの結果によれば、福岡事件の被害者のB子は、平成元年一一月一〇日付でダイヤの指輪などの盗難被害届を福岡県南警察署に提出しているほか、被害状況や被告人が犯人と思うとの供述調書が作成され、更に平成二年一月六日付で追加被害届を提出していること、一方、被告人は、平成三年一月一一日付で福岡事件についてこれを自己の犯行と認める趣旨の供述書を作成し、Aら捜査官に提出していたところ、福岡県南警察署は、熊本北警察署からの要請により、同月二一日付で福岡事件を同署に引き継ぎ、被害届等の関係書類を全て送付したこと、ところが、福岡事件については、遂に、熊本北警察署から検察官への事件送致がされないまま放置されて、同事件は、結局、同所で握りつぶしたと同じ結果となつていることがそれぞれ認められる。

そして、関係証拠によれば、被告人は、Aら捜査官から取調べ時に飲むコーヒーや煙草等の代金についてかなりの金額を負担して貰い、現場引き当たりの際、手錠や腰縄をされないことが多く、また、捜査官からトレーナーや石けん等の物品を貰うなどの便宜を受けていたことが窺われるばかりか、被告人が警察の留置場から京町拘置支所に移監される際に所持金が増えていることに徴すると、捜査官から餞別として若干の現金供与まで受けた旨の被告人の供述もあながち否定し難いものがある。

これに加えて、被告人は平成二年八月二二日から同三年二月五日まで前刑の仮出獄取消による残刑執行の期間中であつたところ、Aら捜査官は、平成二年一〇月以降休日も返上して連日のごとく被告人に対する取り調べを続行し、結局、被告人は、警察の留置場内で右残刑の執行を終えているものである。しかし、かかる長期間に及ぶ被告人の取り調べが本当に必要なものであつたか、些か疑わしいものがあり、そうすると、これも、Aら捜査官と被告人との間に交わされた前示の約束にしたがい、被告人に対する便宜供与の一つとして、捜査官により殊更なされたものである旨の被告人の主張も、にわかに退け難い。

そして、Aら捜査官が、福岡県南警察署から引継ぎを受けた福岡事件の関係書類は,、被害者B子作成の被害届二通及び同女の司法巡査に対する供述調書からなつていて、同調書によれば、被害者宅に外部から侵入された形跡がなく、家の中を荒らされた様子もないのに、整理タンスの戸袋棚内に置いていた、手提げバッグの中から、指輪、ネックレス等が盗まれているものであつて、当時、同女と親密な交際があり、同女方の鍵の所在を熟知していた、被告人の犯行である疑いが強いものであつたのである。そして、Aら捜査官は、既に、被告人から平成三年一月一一日付で自己の犯行であることを認める旨記載した供述書を徴していたのであるから、被告人から供述調書を取る等の然るべき捜査を遂げたうえ、福岡事件を検察官に送致する手続を執るべきものであつたということができる。しかるに、Aら捜査官がかかる措置に出た形跡は全く窺われず、福岡事件は、そのまま放置されていたのである。右の経緯に鑑みると、Aら捜査官の福岡事件に対する処置は、些か理解し難いものがあり、これに関し同事件を担当した捜査官の一人であるDが当審証人として、事件不送致にした理由として述べるところも納得の行かないものである。

しかして、当審証人Dの証言によれば、Aら捜査官は、平成二年一〇月ころには、福岡事件の存在を知つていたことが認められ、これと前示の本件捜査の経緯、特に被告人が捜査官から種々の便宜を得ていたことなどを併せ考えると、被告人は、Aら捜査官から福岡事件を検察官に送致しないことやその他前示の便宜を図つてもらう約束に基づいて、余罪である別表1ないし10の事実等の自白をした疑いが極めて強いといわざるをえない。

およそ、被告人の自白で任意性に疑いがあるものは証拠能力が認められないが、その判断にあたつては被告人の供述の自由を妨げる違法な圧迫の存否(人権擁護)ないし虚偽自白を誘引する状況の有無(虚偽排除)を検討すべきところ、取調べ中に煙草やコーヒーの提供を受けたことや餞別として多少の金品を受領したことなどの利益供与は、いわゆる世俗的利益であつて、人権擁護の面は考慮する必要はないし、定型的に虚偽の自白がなされる状況にあつたとみることもできない。しかしながら、他の事件を自白すれば福岡事件を送致しないという約束は、いわゆる不起訴の約束に等しいものであつて、福岡事件を起訴してもらいたくないという被告人の弱みにつけこんだもので、到底許容される捜査方法ではない。そうすると、右捜査官の約束に基づいてなされた疑いのある平成二年一〇月以降の被告人の自白は、すべて任意性に疑いがあるものとして、その証拠能力を否定すべきであり、したがつて、これに反し、これらの証拠を有罪の認定に供した原判決には訴訟手続の法令違反があるというべきである。論旨は、理由がある。

よつて、刑事訴訟法三九七条一項、三七九条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により、更に判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は、

第一  平成二年八月七日午前六時一五分ころ、熊本市《番地略》五階飲食店「甲野」出入口ドアの施錠をドライバーでこじ開けて故なく同店内に侵入し、同店経営者E子管理に係る現金約二万二六〇〇円を窃取し

第二  同日午前六時四〇分ころ、同市《番地略》(乙山)ビル二階飲食店「スナック・丙川」出入口ドアの施錠をドライバーでこじ開けて故なく同店内に侵入し、同店経営者F管理に係る現金約一万六三〇〇円を窃取し

第三  同日午前六時五〇分ころ、右乙山ビル地下一階飲食店「スナック・丁原」出入口ドアの施鍵をドライバーでこじ開けて故なく同店内に侵入し、同店経営者G子所有に係る現金約八万四五〇〇円を窃取したものである。

(証拠の標目)《略》

(累犯前科)

被告人は、昭和六〇年二月二七日東京地方裁判所で有印私文書偽造、同行使、詐欺、窃盗罪により懲役一年四月に処せられ、昭和六一年四月二九日右刑の執行を受け終わつたものであつて、右事実は検察事務官作成の前科調書及び右裁判の判決謄本によつてこれを認める。

(法令の適用)

被告人の判示所為中、建造物侵入の点はいずれも行為時においては、平成三年法律第三一号による改正前の刑法一三〇条前段、同罰金等臨時措置法三条一項一号に、裁判時においては刑法一三〇条前段に、窃盗の点はいずれも同法二三五条にそれぞれ該当するところ、右建造物侵入については犯罪後の法令により刑の変更があつたときにあたるから同法六条、一〇条により軽い行為時法の刑によることとし、右の建造物侵入と窃盗との間には手段結果の関係があるので、同法五四条一項後段、一〇条により一罪として重い窃盗罪の刑で処断することとし、前記の前科があるので同法五六条一項、五七条により再犯の加重をし、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により、犯情の最も重い判示第三の罪の刑に同法一四条の制限内で法定の加重をした刑期の範囲内で、被告人を懲役二年六月に処し、同法二一条により原審における未決勾留日数中二五〇日を右の刑に算入し、原審及び当審における訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項但書により被告人に負担させないこととする。

(一部無罪の理由)

平成三年一月二八日付起訴に係る公訴事実は、「被告人は、平成二年三月三日ころから、同年七月一八日ころまでの間、別紙犯罪事実一覧表記載のとおり、前後一〇回にわたり山口県《番地略》の飲食店「スナック戊田」ほか八か所の同店経営者Hほか八名の看守する各飲食店内に、金員窃取の目的で各店舗出入口ドアの施錠をドライバーでこじ開けるなどして故なく侵入した上、右Hほか八名の所有若しくは管理に係る現金合計約四〇万九〇〇円を窃取したものである。」というのであるが、前記認定のとおり、これらの事実について作成された被告人の自白調書及びそれに基づいてなされた引き当たり捜査報告書は、任意性に疑いがあり、証拠にすることはできないところ、これらを排除すると、右公訴事実に関する証拠は、被害届や実況見分調書があるのみで、犯行と被告人を結び付ける証拠がなく、右公訴事実については、その証明が十分でないから、刑事訴訟法三三六条により、無罪の言渡しをする。

(裁判長裁判官 金沢英一 裁判官 川崎貞夫 裁判官 長谷川憲一)

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