福岡高等裁判所 平成4年(ネ)384号 判決 1994年11月28日
控訴人
国
右代表者法務大臣
前田勲男
右指定代理人
菊川秀子
外一名
控訴人
大分県
右代表者知事
平松守彦
右指定代理人
近藤和夫
外四名
被控訴人
甲野太郎
右訴訟代理人弁護士
柴田圭一
同
安東正美
主文
原判決中控訴人ら敗訴部分を取り消す。
被控訴人の各請求を棄却する。
訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
事実及び理由
第一 控訴人らの控訴の趣旨
主文同旨
第二 事案の概要
本件は、誣告罪で逮捕・送致、起訴され、無罪判決が確定した者が、大分県別府警察署(以下「別府署」という。)司法警察員のした逮捕・送致、大分地方検察庁(以下「大分地検」という。)検察官のした公訴の提起・追行が、いずれも違法であるとして、国家賠償法一条一項に基づき、それぞれ、その責任の帰属主体である大分県、国に対し、損害賠償を求める国家賠償請求事件である。
一 基本的事実(争いのない事実を含む)
1 交通事故の発生
乙山二郎(以下「乙山」という。)は、昭和五六年一二月二〇日、大分県別府市若草町一三四番地所在のパチンコ店ジャンボタイホー前国道一〇号線路上において、運転中の普通乗用自動車(以下「乙山車」という。)を、別府観光交通株式会社(以下「観光交通」という。)のタクシー運転手として、被控訴人が当時使用していた普通乗用自動車(以下「本件タクシー」という。)に追突させるという交通事故(以下「本件事故」という。)を起こした。乙山車には乙山の四男乙山弘(以下「弘」という。)及び弘の家庭教師の安部慶子(以下「安部」という。)が同乗していた。
被控訴人は、本件事故時に同人がタクシーに乗車しており、本件事故により身体に傷害を受けたと主張したのに対し、乙山がこれを否定し、被控訴人は本件タクシーの車外にいたから受傷する筈はないと主張したため、双方間に争いが生じた。
2 被控訴人による告訴
別府署は、乙山に対する道路交通法違反、業務上過失傷害罪容疑で捜査を継続していたところ、被控訴人は、昭和五七年二月一〇日、別府署に対し、本件事故について、乙山を業務上過失傷害罪で告訴した。
3 誣告罪による逮捕・送致
本件事故の捜査を担当していた別府署交通課の司法警察員一宮敬司(以下「一宮」という。)は、被控訴人が本件事故時に本件タクシーに乗車しておらず、負傷もしていないのに、乙山を業務上過失傷害罪に陥れようとして虚偽の告訴をしたとして、昭和五七年三月八日、被控訴人を誣告罪の容疑で逮捕し、同月一〇日、右誣告被疑事件を大分地検へ送致した。
証拠(乙二〇)によれば、大分地方裁判所(以下「大分地裁」という。)裁判官は、同月一一日、大分地検検察官がした被控訴人に対する誣告被疑事件の勾留請求を却下した。大分地裁は、同月一二日、「罪を犯したと疑うに足りる相当の理由があるが、勾留の必要性がない。」として、同検察官のした準抗告の申立を棄却したことが認められる。
4 公訴の提起と公訴事実
大分地検検察官は、昭和五七年七月二〇日、次の公訴事実(罪名・誣告罪)で、被控訴人を大分地裁に起訴した。
「被告人は、乙山二郎(当四一年)が、昭和五六年一二月二〇日、大分県別府市若草町一三四番地パチンコ店ジャンボタイホー前路上で、自動車を運転中追突事故を起こした際、追突された自動車に自己が乗車していなかったのに、乙山二郎をして刑事上の処分を受けさせる目的で、昭和五七年二月一〇日、大分県別府市大字南石垣六二三番地の五一別府警察署において、同署司法警察員警部一宮敬司に対し、弁護士柴田圭一を介して『被告訴人乙山二郎は、昭和五六年一二月二〇日午後八時五分ころ、別府市若草町パチンコ店ジャンボタイホー前路上において、自己が運転する普通乗用自動車を告訴人が乗車運転する普通乗用自動車に追突させ、同人に頸椎および腰部捻挫の傷害を負わせた。』旨虚偽の事実を記載した告訴状を提出するとともに右一宮に対し同趣旨の申告をし、もって右乙山を誣告したものである。」
5 公判の裁判
右誣告被告事件を審理した大分地裁は、昭和五九年六月一九日、被控訴人に対して無罪の判決をした。判決理由の要旨は「本件事故の際本件タクシーに乗車していた旨の被控訴人の供述の信用性を否定するのは困難であり、他方、本件事故の際本件タクシーには誰も乗車していなかった旨の乙山、安部、丙川の各供述の信用性には疑いがあるとした上、本件事故の際被控訴人が本件タクシーに乗車していなかったと認めるに足る証拠はなく、結局、公訴事実は犯罪の証明がない。」というものであった。
この判決を不服とする大分地検検察官から控訴がなされ、右事件は、福岡高等裁判所に係属した。同裁判所は、昭和六一年一月二八日、右一審判決の証拠評価及び事実認定を結論において支持し、検察官の控訴を棄却する旨の判決を言渡し、検察官が上告しなかったことにより、被控訴人が無罪であるとする判決は昭和六一年二月一三日確定した。
二 争点
本件の争点は、被控訴人に対して、別府署司法警察員のした逮捕・送致、大分地検検察官のした公訴の提起・追行が、国家賠償法一条一項の違法となるかどうかにある。
そして、争点に関する双方の主張は、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。
第三 証拠関係
証拠関係は、原審・当審の記録中の証拠目録に記載のとおりであるから、これを引用する。
第四 争点に対する判断
一 逮捕、公訴の提起・追行の違法性の判断基準と判断手法
刑事事件において無罪の判決が確定したというだけで直ちに当該刑事事件についてなされた逮捕、公訴の提起・追行が国家賠償法上違法となるものではなく、逮捕はその時点において犯罪の嫌疑について相当な理由があり、かつ、必要性が認められるかぎり適法であり、公訴の提起・追行はその時点において収集された証拠資料及び通常の捜査を行っていれば収集し得たと認められる証拠資料を総合勘案し、合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑があれば、当該公訴の提起・追行は適法である。また、その違法性判断においては、単に裁判所の証拠評価と結論を異にするだけではなく、右判断資料をもとに検討して、証拠の評価についての個人差を考慮にいれても、警察官・検察官のした判断が行きすぎであって経験則・論理則に照らして到底その合理性を肯定できない場合に当該逮捕、公訴の提起・追行は違法となると解するのが相当である。そして、本件では、誣告被疑・被告事件の中心的争点である本件事故時に被控訴人が本件タクシーに乗車していたのか、あるいは本件タクシーを停車させて車外にいたのかについての司法警察員・検察官のした判断について、右の点が問われることとなる。
これに反し、被控訴人は、刑事事件において無罪の判決が確定したことにより、当該刑事事件についてなされた逮捕、公訴の提起・追行は、結果的に正当性を失い、国家賠償法上当然に違法評価を受けるものであり、そうでないとしても、違法性が推定され、控訴人らにおいてそれぞれ、その合理性の立証をしない限り、その違法性の推定は破れないと主張するが、右主張は採用しない。
二 司法警察員のした誣告罪容疑による逮捕の違法性について
1 逮捕容疑と逮捕の理由
別府署交通課の司法警察員一宮は、被控訴人が本件事故時に本件タクシーに乗車しておらなかったのに、乙山を業務上過失傷害罪に陥れる目的で虚偽の告訴をしたとして、被控訴人を誣告罪の容疑で逮捕したものであるところ、同容疑が成立したかどうか、ひいて逮捕の理由があったかどうかは、被控訴人が本件事故時に本件タクシーに乗車していなかったと疑うに足りる相当な理由があったかどうかにかかるものであり、右逮捕が国家賠償法上違法となるのは、右の点を肯定して逮捕状の請求をした一宮の判断が前記判断手法に照らし到底その合理性を肯定できない場合に限られる。
2 容疑に関する証拠の状況
弁論の全趣旨によれば、右逮捕の時点で司法警察員が収集していた証拠のうち、乙山車を運転していた乙山(乙山の司法警察員に対する昭和五六年一二月二〇日付供述調書丙一、昭和五七年三月一日付供述調書丙二、以下、検察官に対する供述調書を「検面調書」、司法警察員に対する供述調書を「員面調書」、司法巡査に対する供述調書を「巡面調書」と略称し、末尾に書証番号を「丙一」のように記載することがある。)、乙山車に同乗していた安部(昭和五六年一二月二〇日付巡面調書丙四)、弘(同月二四日付巡面調書乙一六)、本件事故を目撃していたという丙川三郎(以下「丙川」という。昭和五七年一月一三日付員面調書丙五)は、いずれも、本件事故の際本件タクシーには誰も乗車していなかったと供述(以下、乙山・安部・丙川の以上の供述を一括して「乙山らの供述」ということがある。)し、被控訴人(昭和五六年一二月二〇日付員面調書甲七、昭和五七年二月一〇日付員面調書甲八)は本件タクシーに乗車していたと供述(以下「被控訴人の供述」という。)していたのであって、両者の供述内容は相反し、右乙山らの供述を除くその余の証拠によっては、被控訴人が本件タクシーに乗車していなかった事実を認めることができない状況にあったことが認められる。したがって、結局、右逮捕容疑の存否は右乙山らの供述の信用性を肯定できるか否かによって決せられる関係にあったものである。
3 乙山らの供述の信用性
(一) 本件事故をとりまく客観的事実
前記争いのない事実及び別府署が逮捕までに収集した左記各項末尾記載の証拠、原審・当審証人一宮敬司、原審証人藤井啓明、同白石安男、同後藤博幸の各証言によれば、次の事実が認められる。
(1) 本件事故現場の状況
本件事故現場は、日出町方面から大分市方面に走る国道一〇号線(ほぼ直線で平坦なアスファルト舗装道路、歩車道の区別あり、車道幅員22.1メートル、片側三車線(各歩道端から幅員0.7メートルの外側線、次いで、幅員3.1メートルの第一車線、幅員3.2メートルの第二車線、幅員3.3メートルの第三車線)が順次標示され、道路中央には幅1.5メートルのグリーンベルト地帯があり、制限時速四〇キロメートル、駐車禁止の各交通規制があり、東側車線側に幅員3.6メートルの、西側車線側に幅員3.8メートルの歩道がある)の東側車線の第一車線(以下「本件第一車線」という。)上である。本件事故現場は、市街地であり、照明のため明るい(甲一〇)。
(2) 本件事故態様、事故後の車両の位置関係、本件タクシーの損傷状況
乙山車は日出町方面から大分市方面に向けて本件第一車線上を走行し、自車左前部を本件タクシーの右後部に追突させた。本件タクシー(車幅1.64メートル)は、本件事故後、東側歩道端から1.46メートル離れた場所(第一車線上のほぼ中央付近)に停止していた。本件タクシーは、右テールランプ付近が凹損した程度であり、タコグラフチャート紙に衝突の衝撃を示す異常は認められなかった(甲一〇ないし一二、丙九)。
(3) 本件事故直後の被控訴人と乙山の会話
本件事故直後、本件タクシー及び乙山車の車外で、被控訴人と乙山は顔を合わせ、互いに顔見知りの間柄であることがわかり、乙山は被控訴人に全面的に弁償する旨をいい、被控訴人は乙山に免許証の点数は大丈夫かと聞き、乙山は点数は満点であると返事するなどの言葉を交わし、同時に、乙山は被控訴人に対し、対人、対物の保険に入っており、保険で処理したいから、被控訴人の勤務先の事故係に電話して欲しいといった(甲七、八、丙一、二)。
(4) 被控訴人と乙山との間に言分の対立が生じるまでの経過
① 被控訴人は、本件事故現場から大分市方面寄りに約97.2メートル離れたラーメン店別府十五万石本店(以下「十五万石」という。)内にある公衆電話まで歩き、同電話を使用して、勤務先の観光交通配車指令係の今村政治(以下「今村」という。)に本件事故の発生を通報して本件事故現場に引き返した。被控訴人は今村に対し、本件事故現場で追突事故にあった旨報告しただけで、傷害を負ったとは話していない。
② 観光交通配車指令係の奈須君登(以下「奈須」という。)は、同配車指令室長佐藤幸雄の指示を受けて、指導車で現場に駆けつけた。奈須は、本件タクシーの後方で乙山車との間に散らばっていたガラスの破片を片づけていた乙山を見やりながら、タクシーの運転席に戻っていた被控訴人のところへ行き、被控訴人から、腰や首が痛い旨の報告を受けたので、交通事故として警察署に届け出た方がよいと考え、指導車の無線で観光交通に警察署への交通事故の届出を依頼した。佐藤幸雄は、直ちに、本件事故を別府署に届け出た。別府署は同日午後八時一三分頃右届出を受理した。
③ 奈須は、乙山が観光交通の得意先であることから、本件事故を示談で片づけようと考え、乙山に、被控訴人が腰や首が痛いといっている旨を告げると、乙山が、本件事故の際被控訴人は本件タクシーに乗っていなかったと主張し、被控訴人との間で、被控訴人が本件タクシーに乗っていたかどうかで口論となったので、その内容を観光交通に連絡して応援を求めた。そこで、配車指令係の佐藤弘治が右応援要請に応じて本件事故現場に駆けつけた。
④ 別府署交通課の警察官三名(藤井啓明、白石安男、和田誠治)が本件事故現場に到着し実況見分を開始したが、本件事故時、被控訴人が本件タクシーに乗っていたかどうかで、乙山と被控訴人の指示説明が対立し、激しい口論になった。そこで、警察官白石安男は、実況見分場所で、乙山車の助手席にいた安部、後部座席にいた弘に尋ねると、二人とも、衝突時には本件タクシーに誰も乗っていなかったと答えた(甲七、八、一四、一七、乙一、二、丙一、六、七)。
(5) 右実況見分における両者の指示説明
被控訴人は、本件第一車線上を時速三ないし五キロメートルで進行中突然追突されたと指示説明し、乙山は本件第一車線上を先行車の後方9.2メートルを進行中、12.4メートル前方に停車中の本件タクシーを発見し、急ブレーキをかけ、右にハンドルを切ったが間に合わず、本件タクシー右後部に自車左前部を追突させたと指示説明した(甲一〇)。
なお、乙山は本件事故時運転免許証を携帯していなかった。
(6) その後、別府署司法警察員が被控訴人を誣告罪で逮捕するに至るまでの別府署の捜査の概要
別府署は、乙山に対する道路交通法違反、業務上過失傷害罪容疑で捜査を継続して大略次の捜査をした。
① 事故当日の昭和六五年一二月二〇日、乙山(員面調書丙一)、被控訴人(員面調書甲七)、安部(巡面調書丙四)から事情聴取をして各供述調書を作成した。さらに、本件タクシーの破損状況に関する写真を撮影し写真撮影報告書(丙九)を作成し、被控訴人から本件タクシーのタコグラフチャートの任意提出を受けて領置し、その際、タコグラフの時刻は九分進んでいることを確認した(乙一一)。また、被控訴人の供述にある二人連れが乗ったとみられるみなとタクシー、泉都タクシーの配車係に手配をして、二人連れを乗せた事実の有無を照会したが、いずれもその事実はないとの回答を得(乙一四、一五)、その点を同月二一日警察官が両タクシー会社の運転日報で調査してもその事実は認められなかった。
② 同月二一日、被控訴人が本件事故により負傷したとして治療を受けた内田孝医師から、「警察が交通事故と認定しなければ診断書の発行はしない。」旨の電話連絡を受けた(乙六)。警察官が内田医師に面接して事情聴取した結果によると、「昨夜、被控訴人を診察したが、本人が痛いというだけで他覚的症状はなかった。交通事故によるものかどうかわからないので診断書は書かない。被控訴人は診断書を長く書いて下さいといっていた。」との供述を得た。
③ 同月二一日から三日間、二班四名の専従班が本件事故現場付近で被控訴人の供述にある二人連れや交通事故の目撃者の有無の聞き込みをしたが発見に至らなかった。また、専従班は、情報収集の一環として観光交通を訪れ、本件事故通報に至る経過に関し、係員から事情を聴取した。その際、被控訴人から最初に事故の報告を受けた配車指令係の今村は「被控訴人の報告は、追突事故にあったという簡単な報告だけであり、簡単な物損事故位に思った。」と供述した。事故現場に赴いた奈須は「被控訴人について病院にも行った。被控訴人は内田医師に診断書を長く書いて下さいといっているのを聞いた。」と供述した。本件事故後に偶然現場を通りかかった指令室勤務の山口征一は「被控訴人に怪我はないの、人身はないのと尋ねたら、被控訴人は今のところはわからんと答えた。」と供述した。
さらに、同月二二日大分県警本部にタコグラフチャートの鑑定嘱託をした(甲一一)。
④ 本件事故後の経過に関し、同月二三日奈須(員面調書乙一)、佐藤弘治(巡面調書乙二二)、同月二四日弘(巡面調書乙一六)から事情聴取をし、各供述調書を作成した。
事故現場に赴いた奈須は、右事情聴取に対し、「私がすぐ被控訴人に事故状況を聞いたところ、被控訴人は『私が止まっているのにぶっつけられた。』と答えた。」と供述した。
奈須の応援要請に応じて本件事故現場に駆けつけた佐藤弘治は、右事情聴取に対し、「現場に着いた際、被控訴人が乙山車の助手席にいた安部のところに行って『衝突時に自分がタクシーに乗っていなかったことを知っているか。』と尋ねたのに対し、安部が『お宅は歩道上に立っていた。事故車に乗っていなかった。』と答えたのを直接聞いている。本件タクシーが本件第一車線のほぼ中央にとまっていたのは、客と思われる人に声をかけるために急に車を降りて行ったのではないかと思われる。」と供述し、さらに奈須と被控訴人の会話に関し、奈須からの伝聞内容を「奈須は被控訴人に『駐車違反じゃなあ。』と聞くと被控訴人は『駐車違反だけは認めなしょうがないのう。』と答えたそうです。それで、私は、普通、運転手は車から降りないと駐車違反にかからないと思っているので、被控訴人が事故の時、車から降りていたと思った」と供述した。
乙山車に同乗していた弘は、右事情聴取に対し、「僕は、小学校三年生です。僕は、昭和五六年一二月二〇日、とうちゃんの運転する自動車の後部左側席に乗っている時、タクシーに衝突する事故になりました。僕は、後部座席に乗っていたので詳しいことは覚えていませんが、とうちゃんの車が急ブレーキをかけたと思った瞬間、ボカンと何か物にあたる音を聞いたと同時に車が急停止しました。すると、とうちゃんはタクシーの運転席へ歩いて行きました。この時、僕も左前に停止している屋根にみどり色のついたタクシーを見ると、誰も乗っていませんでした。この後のことについてはよく覚えておりません。しかし、とうちゃんがタクシーに衝突した直後、タクシーの中には誰も乗っていなかったことについては、僕がはっきり見ていますので間違いありません。」と供述した。
⑤ 昭和五七年一月九日、乙山から本件事故を目撃していた丙川という人物がいる旨の通報を受けた。それによると、乙山と丙川が偶然に、日時、場所を異にして、西村義信運転の観光交通のタクシーに乗り、それぞれの話から西村を媒介として、丙川が本件事故を目撃していることが判明したというものであった。そこで、同日事情聴取のため自宅へ赴いたが留守であったので、同月一三日再度赴き丙川から事情聴取をして供述調書(員面調書丙五)を作成し、翌一四日、乙山が目撃者として丙川を知る契機となった観光交通のタクシー乗務員西村義信の運行記録報告書を閲覧した。さらに、本件事故と同時間帯である同日午後八時過頃、丙川が本件事故を目撃したという位置からの事故現場の状況、事故現場に駐車中の自動車内の人影の有無、東側歩道上の人の往来の有無・挙動等の視認可能性について現場見分をして、丙川の供述にあるようにいずれも視認可能であると確認した。なお、丙川は「追突した車の男は赤いハンテンを着ていた。」と供述していたことから、着衣の色についても見分した。それによると、ライトがぱっと照らされた時には、赤か黒かのある程度の識別はできるが、同系列の赤と茶色の識別は困難であった。しかし、本件事故の日時には、ジャンボタイホーの照明が明るかったので、この点についても丙川の供述にある視認可能性に疑いを持たなかった。
⑥ 同月一一日、被控訴人の申込みにより大分合同新聞の「読者の広場」欄に、目撃者としてパチンコ店付近を歩いており、十五万石ラーメン店前からタクシーに乗った二人連れとタクシー運転手を探している旨の記事が掲載されたことを確認し、捜査報告書を作成した(甲九)。
⑦ 同月一八日大分県警本部からタコグラフチャートの鑑定結果報告を受けた。別府署は、事故当日の午後八時一三分頃本件事故の届出を受理し、通報がなされた経過をたどり、通報までの所要時間を検討して、事故発生の時刻は午後八時〇五分頃と見て矛盾はないと判断していたところ、右鑑定結果は、「記録紙上、午後八時〇五分頃の速度は時速〇キロメートルと認められるが、車が完全停止状態であったかどうか断定できない。」とするものであった。そして、添付された記録紙の拡大写真によれば、午後八時〇五分の約八分前から時速〇キロメートルを表示していることが認められる(甲一一)。
⑧ 同月二一日、被控訴人の供述にある被控訴人の本件事故後の行動に関しラーメン店十五万石の店長溝口昇治(巡面調書甲一五)から、同月二二日に前記西村義信(巡面調書乙五)から事情聴取した。
西村は、右事情聴取に対し、「私は、観光交通のタクシー運転手をしている。被控訴人が一二月二〇日に追突されたということは同僚から聞いて知っていましたが、事故の詳しい内容までは知りませんでした。私は、事故から二、三日して、御幸橋から大分市内まで乗せた客から『こまってしもうちょる。実はあんたの会社に勤めている甲野さんのタクシーにジャンボタイホー前でぶっつけてしもうた。事故の後、タクシーのところへ行くとタクシーには誰も乗ってなく、あれーと思っている時、誰かおれのタクシーにぶっつけたのはと歩道から声がかかり、振り向くとタクシーの運転手さんと思われる人が出てきた。警察が実況見分にきたら急に腕やら痛いといいだしたので困っている。タクシーに乗っていないのに怪我がでるのはおかしい。』と話しかけられた。乙山という人でした。この後、二、三日して、別府駅前から新宮通りまで乗せた客から『あんたとこのタクシーがジャンボタイホー前で追突されたろうがえー。こん時に、パチンコが休みで、帰る途中、交通事故を見た。』と話しかけてきた。私は、『相手の人が事故を起こした時、タクシーの運転手さんがタクシーに乗っていないのに乗っていると申し立てたので、相手の人が困っている。』というと、客は『相手は誰かえ。』と聞いたので、私は『朝見の乙山塗装の人じゃあ。』というと、客は『ああ乙山塗装の人か。』といっていました。」と供述した。
⑨ 同年二月一〇日、被控訴人から、医師野上義雄作成の診断書を添付した、乙山を業務上過失傷害罪で告訴する旨の告訴状を受理(甲五、六)し、被控訴人(員面調書甲八)から事情聴取し、同年三月一日乙山(員面調書丙二)から事情聴取し、各供述調書を作成した。別府署は、事故発生の当日からの経過に照らし、医師野上作成の診断書をもって直ちに本件事故による受傷と判断しなかった。
⑩ 同月一日頃一件記録を持参して大分地検と被控訴人に対する誣告罪の立件につき協議した。検察官は、参考人を直接取り調べることを希望し、同月二日乙山(検面調書甲三六)、安部(検面調書甲二二)、丙川(検面調書甲三九)から事情聴取して、各供述調書を作成し、別府署に「乙山、安部、丙川の取調べの結果、被控訴人の誣告罪の成立について心証は非常によろしい。」と連絡してきた。
⑪ 別府署は、同月八日、被控訴人につき誣告罪容疑で逮捕状を得て逮捕した。別府署は、同日、逮捕に引続き、医師野上義雄宅を捜索して被控訴人に関する診療録を差押えると共に、同医師(員面調書乙八)から事情を聴取し、供述調書を作成した。同医師は、「被控訴人は昭和五六年一二月二一日に頸部痛、腰部の圧痛・運動痛を訴えて来院したので治療し、翌日入院させた。私としては、入院を必要とする病状ではないと判断したが、本人が強く入院を希望するので入院させた。翌年二月四日退院を勧めて退院させた。被控訴人については、問診と触診の結果、頸部・腰部の捻挫と診断したもので、他覚的所見はなかった。」と供述した。
同日内田医師からも事情聴取をし、翌九日再度事情聴取をして、供述調書(員面調書乙六)を作成した。
逮捕状請求者である司法警察員一宮は逮捕の理由と必要性を肯認した理由につき、原審証人として、「乙山の供述及び供述態度は一貫しており、同乗者の安部、弘の供述に虚偽の入る要素はなく、目撃者丙川の出現も西村の供述、西村のタクシーの運行記録によって裏づけられていて作為の余地はなく、各供述は相互に補強し合って信用性が高かった。乙山が多数の人を巻き込んで嘘をいう動機も見当たらなかった。タコグラフチャートの鑑定結果によると、本件事故発生の時刻として双方の供述が一致していた午後八時〇五分の前数分間にわたって時速〇キロメートルと表示していて、本件事故時に本件タクシーが停止していたことを推認できた。被控訴人の供述は、それ自体、供述の変更、矛盾が多いほか、観光交通の係員の心証や被控訴人の治療経過、医師に対する診断書作成要請の経過等に不審を抱かせるものがあって、信用性は低かった。本件タクシーの停止位置等の現場の状況も、被控訴人がタクシーに乗っていなかったと考えて矛盾はなかった。証拠湮滅・逃亡のおそれがあった。」等による旨の供述をしている。
⑫ 乙山は、同月九日、別府署に対し、被控訴人を誣告罪で告訴した(丙三)。
(二) 被控訴人の供述の概要
(1) 被控訴人の本件事故当日である昭和五六年一二月二〇日付員面調書甲七における供述の概要
私は、昭和五六年一二月二〇日午後八時五分頃、本件第一車線上を本件タクシーを流し運転して、乗客を探しながら時速三〇ないし四〇キロメートルで進行中、本件事故現場付近にさしかかった際、左前方歩道上に老夫婦を発見し、乗客になるかもしれないと思い、ブレーキペダルに足を乗せて時速三ないし五キロメートル位に減速したところ、突然追突され、一、二分して、車から降り、乙山車から降りていた乙山と顔を合わせたが、顔見知りであった。乙山は、「私が悪いから全部弁償する。乗っているのは女房と子供じゃあ。客が乗っていなくてよかったな。客からムチウチといわれたら困るんじゃったになあ。」といった。私は、電話してくるといって、近くのラーメン店に会社への電話をかけに行った。老夫婦は他のタクシー(みなとタクシーか泉都タクシー)に乗って京町方向に立ち去った。
(2) 被控訴人の告訴当日の昭和五七年二月一〇日付員面調書甲八における供述の概要
乙山は、私が車に乗っていなかったなどといって、相手にしないので、私は本日乙山を業務上過失傷害罪で告訴した。私は、事故当日午後四時頃乗務につき、午後七時過ぎ頃夕食のため自宅に帰り、午後八時前頃家を出て再び乗務についた。私は、本件第一車線上を時速四〇キロメートル位で運転し、本件事故現場にさしかかったところ、左前方歩道上に二人連れを発見し、乗客になるかもしれないと思い、ブレーキを踏んで人が歩く程度の速度に減速して二人連れに近づき様子を見たが、乗りそうにないので、また流し運転に入ろうとした瞬間、後方から急ブレーキのかかる音がしたと思った直後、ドーンという音がしてぶっつけられた。私は、衝突のショックで腰と後頭部に一瞬痛みがあったので、七ないし八秒位車内にいた。相手はぶっつけておりながら、断りにもこないので、車から降りて一、二歩行きかけたところ、相手は私のところにきて「俺がぶつけたんじゃから弁償する。」「他にも乗っとる。俺の女房じゃ。風呂の帰りじゃ。」といっていた。その男は色物の綿入れを羽織っていた。私が「免許証は大丈夫か。」と聞くと、相手は「満点じゃ。」といっていた。私は、十五万石の公衆電話から会社に事故を報告し、外に出ると、先刻の二人連れに出会った。私は「お客さん達が私の車に乗ってくれていたら事故にあわなかったかも知れんのになあ。」というと、二人はキョトンとしていたので、私が「さっき追突された運転手じゃ。」というと、二人は「ああ、ああ。」といっていた。……私と二人連れが話し終わったころ通りがかったタクシーに二人連れは乗り、別府市街地方面に行った。このタクシーは、天井灯の白地に字がごちゃごちゃ入っており、泉都別府タクシーか大分双葉タクシーと思う。
(三) 乙山らの供述の概要
(1) 乙山の供述の概要
① 乙山の本件事故当日である昭和五六年一二月二〇日付員面調書丙一における供述の概要
私は、昭和五六年一二月二〇日午後八時五分頃、本件第一車線上を乙山車を運転して、時速四〇キロメートルで先行する白色の自動車の後を追従し、本件事故現場に至ったところ、先行車が方向指示もせず突然第二車線に進路変更したので、変な運転をするなと思いながら更に6.5メートル進行したとき、前方一一メートルの地点に停車している本件タクシーの後部があるのを発見し、とっさにブレーキをかけ、ハンドルを右に切ったが間に合わず、自車左前部をタクシーの右後部に追突させた。私は、大変なことをしたと思い、すぐドアを開けて謝りに行こうと三メートルばかり歩いて、タクシーの中を見たところ、誰も乗っていなかったので、運転手は客を呼びに行っているのだろうと思っていたところ、歩道上に立っていた男が、「あっ、ぶっつけたな。」と大声でいったので、そちらへ行き「私が全部弁償します。」といったところ、男は、「あんたの車の前を走っていた車が急に進路変更するのも悪いわな。」といった。男は、顔見知りであり、私を知っていた。そして、三、四分立話をした後、男は、「このまま立っていると寒いから。」といって、タクシーの運転席に乗り込み、私は、自車を五、六メートルバックさせ、ガラスの破片を片づけていたところに観光交通の事故係が来て、その直後、警察官三名がやって来た。実況見分が始まると、男は、本件事故時、タクシーに乗っていたと言い始めたので、私は嘘をいうのに腹が立ち、「何あんた嘘をいうのかえ。」といって、大声で口論となった。
② 乙山の被控訴人から告訴を受けた後である昭和五七年三月一日付員面調書丙二における供述の概要
被控訴人は運転席に乗っていて追突されたといって私を業務上過失傷害罪で告訴した。私は、昭和五六年一二月二〇日午後八時五分頃、本件第一車線上を乙山車を運転して、時速約四〇キロメートルで、先行する白色の自動車の後を追従し、本件事故現場に至ったところ、先行車が突然第二車線に進路変更したので、更に6.5メートル進行したとき、前方一一メートルの地点に停車している本件タクシーの後部があるのを発見し、とっさにブレーキをかけ、ハンドルを右に切ったが間に合わず、自車左前部をタクシーの右後部に追突させた。私は、車から降りて、相手のタクシー運転手に断りに行きました。私が衝突してからタクシーの運転席の外側まで行く間、時間にして七、八秒でした。タクシーには誰一人としていませんでした。私は「こんなところにとめる人もとめるもんじゃ。」と独言をいってしばらく立っていると、歩道上に男が立っていて、「あっ、ぶっつけたな。」というので、私は「この車は誰のかな。」といったところ、その男が「わしの車じゃ。」といった。見ると、競輪場でよく見かける男で知らぬ仲でもないので良かったと思った。これが被控訴人であった。私は「全面的に弁償するけえ、こらえてくれんな。」といったところ、被控訴人は、「対人、対物に入っとるか。」「点数はなんぼあるか。」と聞くので、私は「対人、対物に入っているし、点数もある。」と答えた。被控訴人が電話をして観光交通の事故係がきた。交通妨害にならぬように乙山車を後方にさげ、道路左側に寄せた。観光交通の人が「寒いから車の中に入っておらんですか。」といってくれたが、私は道路上のガラスの破片を紙袋に拾い集めていたところ、警察の方が来た。警察の実況見分が始まると、被控訴人は「腰が痛え。頭が痛え。」などといいだしたので、私はびっくりして「何をいいよるんかな。」というと、被控訴人は「何すらとぼけよるんか。」「痛いけえ入院するちゅうんじゃ。このこじきみたいなことをいうな。」というので、私は「あんた乗っとりもせんのに何故そんな大嘘をいうんか。全面的に弁償するといいよるじゃねえか。乗ってないのに乗っているなどいわれるのは納得できない。」といい、口論となった。先程、被控訴人の告訴状と診断書を見せて貰いましたが、私はあきれてものがいえない。
③ 乙山の昭和五七年三月二日付検面調書甲三六における供述の概要
私は、昭和五六年一二月二〇日午後八時五分頃、本件第一車線上を乙山車を運転して、時速約四〇キロメートルで、先行する白色の自動車の後を五、六メートルの車間距離をとって追従し、本件事故現場に至ったところ、先行車が突然第二車線に進路変更した直後、目の前に本件タクシーがとまっているのを発見し、とっさに急ブレーキをかけ、ハンドルを右に切ったが間に合わず、自車左前側部をタクシーの右後部に追突させた。私は、七、八秒位は事故を起こしたショックでボーッとなった感じでしたが、気をとりなおして助手席の安部、後部座席の弘に大丈夫かと聞いてから車から降り、タクシーの運転手に謝りに行きました。タクシーには誰も乗っていませんでした。それで、私は、一旦、自分の車に戻り、運転席側ドアを開けて安部に「誰も乗っていない。」といい、再度、タクシーの運転席側に戻り周囲を見回していた。すると、歩道上の街路樹の所に男が立っており、「あっ、ぶっつけたな。」というので、私は「運転手は知らんな。」といったところ、その男は「わしの車じゃ。」といった。私は、タクシーの前を通って、街路樹の所に歩いて行った。見ると、競輪場で時々顔を見る人で、事故後被控訴人であることを知った。被控訴人は「あんた乙山マンションの乙山さんじゃろう。」というので、私は「ああそうです。私がぶっつけたんです。私が全面的にわるいのですから弁償します。こらえて下さい。」といいました。被控訴人は、「対人、対物に入っとるかえ。」「幾ら程かえ。」「点数は何点あるかえ。」と聞くので、私は「対人、対物に入っている。」「保険金額ははっきりわからない。」「点数は満点あります。」と返事した。つづいて被控訴人は「事故にするかな。」というので、私は「いいですよ。事故にした方が保険が使えるから。」と返事をした。警察の方が来て実況見分が始まると、被控訴人は「腰が痛い。頭が痛い。」などといいだしたので、私は何をいっているのかと思い「どうしたんですか。」というと、被控訴人は「お前ぶっつけて何をいいよるんか。ぶっつけられて頭や腰が痛くなるのはあたりまえじゃ。」というので、私は「何え、あんた乗っちょらんじゃったじゃないな。乗っとらんのに頭や腰が痛くなるはずはねえじゃねえな。」といった。被控訴人は「何、お前ぶつけちょっちこじきみたいなこというな。」と怒鳴るので、私は「車の補償は全面的にするが頭や腰のことは知らん。」といってやった。
(2) 安部の供述の概要
① 安部の本件事故当日である昭和五六年一二月二〇日付巡面調書丙四における供述の概要
私は、別府市議会事務局に勤務するかたわら乙山の四男弘の家庭教師をしている。私は、昭和五六年一二月二〇日午後八時五分頃、本件第一車線上を走行する乙山車の助手席に同乗して本件事故現場に至った。すると、約八、九メートル前方の先行車が急に第二車線に進路変更した。乙山は急ブレーキをかけ、ハンドルを右に切ったが間に合わず停車していた観光タクシーに衝突した。乙山は車から降りタクシーの運転席まで行った。このとき、私は助手席に乗ったままでした。すると、パチンコ店ジャンボタイホーの方向から歩いてくる年齢五〇歳位、黒色のような背広にズボンをはき、メガネをかけた男が歩道の植木の陰から出てきた。乙山は植木の方に行き男と何か話していた。男は再びパチンコ店方向へ行ったが、しばらくしてまた本件事故現場に戻ってきて乙山と二人で話していた。そこへ、観光交通の事故係がきた。その後、男と乙山が口論になった。警察の実況見分が始まると、男はタクシーに乗っている時衝突されたと嘘の申立てをしていた。私の見ていた限り、乙山車が衝突した時、タクシーには誰も乗っていなかった。
② 安部の昭和五七年三月二日付検面調書甲二二における供述の概要
私は、昭和五六年一二月二〇日午後八時五分頃(調書には「五〇分頃」と記載されているが、誤記と認める。)、先行車に追従して本件第一車線上を走行する乙山車の助手席に同乗して本件事故現場に至った。すると、先行車が急に右にハンドルを切ったのでどうしたのかと思った直後、目の前に観光タクシーが目に入り危ないと思った。乙山は急ブレーキをかけ右にハンドルを切ったが、間にあわず、タクシーの右後部に乙山の車の左前側部を衝突させて停止した。乙山は車から降りタクシーの運転席側に行った。私は、タクシーの中に誰か乗っているのだろうかと思い中をみたが、誰も乗っていなかった。ジャンボタイホーの方向から割と急いでくる濃紺と思われる服を着た男の人が目に入った。乙山はタクシーの前を通って助手席側に来ており男と出会うような状態となった。男は歩道上で乙山と話しをしていたが、ジャンボタイホーの方に行き、まもなく戻ってきてまた歩道上で乙山と話しをしていた。警察の実況見分が始まると、男と乙山はタクシーに乗っていた、乗っていなかったといって言い争いになった。なお、私は、事故後、男がジャンボタイホーの方向から急いで出てきた頃、歩道に近い所に六〇歳位の男女がいるのに気づいた。この男女もやはりジャンボタイホーの方から来たような気がする。この男女はどこから来たタクシーか知らないがそのタクシーに乗って去って行った。
(3) 丙川の供述の概要
① 丙川の昭和五七年一月一三付員面調書丙五における供述の概要
私は、昭和五六年一二月二〇日は休みだったので錦水園で夕食を食べた。若草町に住んでいる釘宮さん宅へ行ったところ留守だったので、観光港近くの旭会館でパチンコをしようと思って歩いていた。しかし、同パチンコ店の時間も閉店まで二時間しかないので、行きつけの秋葉通りにあるミリオン会館でパチンコをしようと思い、午後八時頃、本件事故現場付近の西側歩道を大分市方面から日出町方面に向けて歩行中、パチンコ店ジャンボタイホー前にスモールランプをつけたまま駐車している観光交通タクシーを発見し、同車に乗ろうかと思って見ていたら、本件第一車線上を日出町方面から大分市方面に進行する白い乗用車が急に進路変更してタクシーを避けて行き、すぐ後の乗用車はタクシーを避けきれず、右後部に追突した。赤いハンテンを着た男がすぐ車から降りてタクシーの運転席の側に行き、中を覗き込んでいたが、自分の車の方を見て、右手を左右に振って誰も乗っていないことを示すようなジェスチャーをしていた。やがて、東側歩道上から歩いてきた観光交通の運転手らしい空色の制服を着た男が、「俺の車にぶっつけた。」と声をかけていた。追突した車の運転手はタクシーを一周する格好でタクシーの前を通って歩道の方に歩いて行き、二人で立話をしていた。言い争っているような気配ではなかったので、私は別のタクシーに乗って帰った。その後、四、五日たってから、観光交通のタクシーを利用した時、なにげなく運転手に二〇日の事故のことはどうなったか聞いたら、追突されたタクシーの運転手が事故の際車に乗っていたかどうかで問題になっているということであった。私は、あの事故は見ている、タクシーの運転手が乗っていなかったのは事実だから、そのことだけはいってあげようといって、私の名前と電話番号を教えた。私の乗ったタクシーの運転手の名前は西村といっていた。私は、被控訴人は顔見知りであり、乙山は知らない。知っている者の味方をするのが人情だが、事実は一つです。被控訴人はタクシーに乗っていませんでした。
② 丙川の昭和五七年三月二日付検面調書甲三九における供述の概要
私は、昭和五六年一二月二〇日、南的ケ浜町の錦水園へ夕食に行ったが混んでいたのでコーヒーだけ飲んで店を出て、若草町にある釘宮ビルの友人宅へ行こう、友人がいなければ観光港の旭パチンコに行こうと思って、タクシーを探しながら歩いているうちに釘宮ビルまできてしまった。ところが、友人がいなかったし、時間も大分過ぎていたので、末広町の自宅近くのミリオンパチンコ店で遊ぼうという気になり、大分市方面に行くタクシーを探しながら、西側歩道を大分市方面から日出町方面に向けて歩いていると、ジャンボタイホー前付近に観光交通のタクシーがとまっているのに気がついた。私は、乗れるなら乗ろうと思って見るとタクシーには誰一人乗っていなかった。すると、本件第一車線上を日出町方面から大分市方面に進行する白い乗用車がタクシーの横をすりぬけて行った直後に、ガチャンという音がして、後続の乗用車がタクシーの右後部に追突した。私は、やったなと思って注目していると、追突した車の運転手の男が出て来てタクシーの運転席の側に行き窓ガラスを叩くようにして中を覗き込んでいたが、すぐに顔をあげて自分の車の方に向かって手を横に振って人がいないという素振りをしていた。その時、タクシー左後方の歩道上の街路樹付近から「こら」とか「俺が」という怒鳴るような声が聞こえた。追突した車の運転手がタクシーの前を回って歩道上に歩いて行き、話合っていました。私は別のタクシーを拾って帰った。数日後、観光交通のタクシーを利用した時、運転手にこの事故のことはどうなったか聞いたら、追突されたタクシーの運転手が事故の際車に乗っていて怪我をしたということであった。私は、あの事故は見ている、タクシーの運転手が乗っていなかったのは事実だ。そんな嘘をいって相手の人に罪を作ることになるのはいけないと思う。
(四) 乙山らの供述の信用性の検討
(1) 乙山らの供述相互の相違点について
① 乙山は、本件事故後タクシーの運転席側に行くまでの時間の経過につき、「すぐドアを開けて行った。」(丙一)、「時間にして七、八秒でした。」(丙二)、「七、八秒位は事故を起こしたショックでボーッとなった感じでしたが、気をとりなおして助手席の安部、後部座席の弘に大丈夫かと聞いてから車から降りて行った。」(甲三六)と供述しており、その供述に変遷があるとみれないことはなく、その供述の信用性を減殺すると評価できないわけではない。
② 乙山は、タクシーに人がいないことを確認してこれを自分の車の同乗者に伝えたかどうかに関し、丙一及び丙二ではこの点に関しいずれもなにも供述していないのに、甲三六では「自分の車に戻り運転席側ドアを開けて安部に『誰も乗っていない』と伝えた。」と供述しており、その供述に変遷があるとみれないことはなく、安部はこの点に関しなにも供述していないので、乙山の供述の信用性を減殺すると評価できないわけではない。
③ 丙川は、事故後の乙山の挙動につき、「乙山は自分の車の方を見て右手を左右に振って誰も乗っていないことを示すようなジェスチャーをしていた。」(丙五)、「乙山は自分の車の方に向かって手を横に振って人がいないという素振りをしていた。」(甲三九)と供述しており、真実乙山がそのような挙動をしたのなら、乙山、安部の記憶に残ってもいいはずであるといえないではないから、乙山、安部の供述に乙山のこの挙動のことがあらわれそうでもあるが、乙山、安部とも乙山の事故後のこのような挙動について何ら供述していないので、乙山の供述の信用性を減殺すると評価できないわけではない。
④ しかし、乙山、安部の各供述は、乙山車が本件タクシーに追突した際、タクシーに被控訴人が乗車していなかったという本質的部分を含む追突前後の状況の重要部分において符合しており、本件事故直後から一貫してなされているものであるから、一般に信用性が高いと考えることもできる。①の乙山の時間的経過についての供述の変化は時を異にして供述を求めた場合に起こりがちなわずかな供述の変化に過ぎないと解することもできる。また、安部は自らの認識した事実に基づきタクシーに誰も乗っていなかったと供述しているのであり、他人の言動を介してタクシーに誰も乗っていなかったと認識した訳ではないのであるから、安部の供述に、タクシーに誰も乗っていなかったことを意味する他人の言動があらわれないこともあり得ることであり、また、捜査官の発問がなかったから答えなかったということもありうる。さらに、乙山の手を振る動作は言葉と前後してタクシーに誰も乗っていなかったことを同乗者に伝える無意識の挙動であったと見ることもでき、それ故に乙山の銘記するところとならず、その供述にあらわれなかったとしても異とするに足りないということもできる。そうすると、丙川は第三者であること、その供述は乙山、安部の本質的部分の各供述と符合していることに照らすと、乙山、安部が乙山の手を振る挙動について何ら供述していないからといって、直ちに丙川の目撃状況に関する供述の信用性が減殺されるものではないということもできる。
(2) 丙川の供述の経緯と信用性について
前記認定事実及び弁論の全趣旨によれば、乙山は、昭和五六年一二月二六日頃観光交通のタクシーに乗った際の乗務員西村との会話により、丙川という目撃者のいることを知ったことが認められるところ、乙山としては、被控訴人の供述と相反する自己の供述の信用性を裏づける証拠として、なにをおいても丙川という目撃者のいることを警察に通報するのが普通であるのに、ようやく翌年一月九日に至ってはじめてこのことを警察に通報したのは不自然であり、丙川の人物・素行(甲二五、四四によれば暴力団組織の関係者)と相俟って、そこに何らかの作為があるのではないかとの疑いを入れる余地がないではなく、また、丙川の供述と西村の供述との間には微妙な相違があり、殊に、本件事故当日パチンコ店ジャンボタイホーが開店していたことは明白であるのに、西村は「丙川から『あんたとこのタクシーがジャンボタイホー前で追突されたろうがえー。こん時に、パチンコが休みで、帰る途中、交通事故を見た。』と聞いた。」と供述(乙五)しており、丙川が虚偽の供述をしていることがはしなくもあらわれたものとして、その信用性が減殺されると評価できないわけではない。現に、西村は刑事法廷で証人として「丙川から『わしはパチンコ店へ行ったんやけど、ジャンボタイホーがちょうど休みだったから、またどこか行こうかなと思って出た時に、その目の前でやった。』と聞いた。」と証言(甲二九)し、この点が被控訴人につき無罪判決が下された有力な理由の一つとなっている(甲一、二)。
しかし、前記のとおり、乙山が丙川という目撃者のいることを知る契機となった西村運転のタクシーへの乙山、丙川の乗車の事実については乗務員西村義信の運転記録報告書によって確認されていること、丙川が西村に話した内容についての西村の供述は、前記法廷証言に比して、同人の員面調書(乙五)の記載は簡潔に過ぎる憾みがあるが、ここでの供述は『ジャンボタイホー前で追突されたろうがえー。こん時に、パチンコが休みで、帰る途中』と聞いたというのであって、『ジャンボタイホーが休みだった。』とはいっていないのであり、当日は日曜日で休日であったこと、事故現場はジャンボタイホー前路上であったことから、西村が舌足らずの丙川の話を混同して法廷証言のような趣旨にとり違えたとみる余地もあること(この点につき、丙川は、「旭会館でパチンコをしようと思って歩いていた。しかし、同パチンコ店の時間も閉店まで二時間しかないので、行きつけのミリオン会館でパチンコをしようと思い歩行中」(丙五)、「釘宮ビルの友人宅へ行こう、友人がいなければ旭パチンコに行こうと思って……歩いているうちに釘宮ビルまできてしまった。ところが友人がいなかったし、時間も大分過ぎていたので、自宅近くのミリオンパチンコ店で遊ぼうという気になり……歩いていた。」(甲三九)と供述している。)、さらに、本件事故と同時間帯である昭和五七年一月四日午後八時過頃、丙川が本件事故を目撃したという位置からの事故現場の状況、事故現場に駐車中の自動車内の人影の有無、東側歩道上を往来する人の有無・挙動等の視認可能性については、現場見分により、丙川の供述にあるようにいずれも視認可能であることが確認されていること等に照らすと、丙川の供述は相応の証明力を有していたと評価できないわけではない。
(3) 被控訴人の供述の信用性の検討
① 被控訴人の供述はほぼ一貫しており、大分合同新聞に目撃者探しの記事の掲載を申し込んでいることからも、一応信用性は高いと評価できないではない。しかし、以下のことも指摘できる。
② 被控訴人は、本件事故の時の本件タクシーの状態につき、「時速三ないし五キロメートルで進行中突然追突された。」(甲一〇)、「追突された時は減速してほぼ停止状態ですが完全な停止ではなく、人の歩く程度で時速三ないし五キロメートルです。」(甲七)、「人が歩く程度の速度に減速して二人連れに近づき様子を見たが、乗りそうにないので、また流し運転に入ろうとした瞬間、ぶっつけられた。」(甲八)とのべ、終始本件タクシーはとまっている時ではなく、多少動いている時に追突されたと供述している。
しかし、事故現場に赴いた奈須は、「私がすぐ被控訴人に事故状況を聞いたところ、被控訴人は『私が止まっているのにぶっつけられた。』と答えた。」(乙一)と供述し、奈須の応援要請に応じて本件事故現場に駆けつけた佐藤弘治は、奈須と被控訴人の会話に関する奈須からの伝聞内容を「奈須は被控訴人に『駐車違反じゃなあ。』と聞くと被控訴人は『駐車違反だけは認めなしょうがないのう。』と答えたそうです。それで、私は、普通、運転手は車から降りないと駐車違反にかからないと思っているので、被控訴人が事故の時、車から降りていたと思った。」(乙二二)と供述しているのであり、本件事故直後に被控訴人と接触した観光交通従業員が被控訴人の言動から推察して被控訴人の車が停止しているときに事故になったものと受け止めていることを勘案すると、被控訴人の供述の信用性に疑いを入れたとしても不合理ではない。
③ 被控訴人は「二人連れを発見し、乗客になるかもしれないと思い、人が歩く程度の速度に減速して二人連れに近づき様子を見たが、乗りそうにないので、また流し運転に入ろうとした瞬間、ぶっつけられた。」「十五万石の公衆電話から会社に事故を報告し、外に出ると、先刻の二人連れに出会った。『お客さん達が私の車に乗ってくれていたら事故にあわなかったかも知れんのになあ。』というと二人はキョトンとしていたので、『さっき追突された運転手じゃ。』というと、二人は『ああ、ああ。』といっていた。」(甲八)と供述しており、安部は「事故後、男がジャンボタイホーの方向から急いで出てきた頃、歩道に近い所に六〇歳位の男女がいるのに気づいた。この男女もやはりジャンボタイホーの方から来たような気がする。この男女はどこから来たタクシーか知らないがそのタクシーに乗って去っていった。」(甲二二)と供述しており、別府署の聞き込み等の捜査結果を勘案しても、現場にこの二人連れがいなかったという事実はいまだ確定されていなかったとみるべきであり、安部の右供述は被控訴人の供述を裏づけるものと評価できないではない。
しかし、ア 被控訴人が二人連れに話しかけたという前記言葉の内容が本件事故発生の経過に鑑みていかなる意味か不可解なものが残る。イ また、被控訴人は、再度二人連れに出会い、話しかけ、また二人連れがタクシーに乗り込んだ場所はラーメン店の近くであるというのに対し、安部は、二人連れをみかけ、二人連れがタクシーに乗り込んだ場所は本件事故現場付近であるというのであって、この点に関して安部が嘘をいう理由はないことに照らすと、被控訴人の前記供述の信用性は減殺され、ひいては、本件事故前に被控訴人が、二人連れが客になるかも知れないと思って減速して走行したという供述自体の信用性も減殺されるとみる余地がある。ウ 更に、被控訴人は昭和五七年三月二六日の実況見分(甲一七)においては、「ラーメン店で電話をかけた後付近歩道を事故現場へ向けて歩行中、老夫婦は事故現場付近から他のタクシーに乗ろうとしていた。」と説明しており、これは被控訴人の前記供述と食い違うものであり、しかも、これによれば被控訴人が二人連れに話しかけたことはないことになり、被控訴人の供述の信用性を減殺するものといえる。エ そして、以上によると、被控訴人が申し込んだ目撃者探しの新聞記事の実効性もしくは仮に二人連れが現れても、被控訴人の供述をどの程度裏付けることになるのか元来余り期待をもてなかったものともいえる。オ 以上の点を措いて、被控訴人の供述内容に従って検討すると、被控訴人と二人連れの挙動の意味は次のように考えられる。a 被控訴人は事故前に二人連れに乗客となるように勧誘する何らかの声をかけていた。そこで、被控訴人は事故後二人連れに『お客さん達が私の車に乗ってくれていたら事故にあわなかったかも知れんのになあ。』と話しかけた。しかし、二人連れは咄嗟に声の主が誰であるか解らずキョトンとしていた。b 被控訴人は事故前に二人連れを発見し、乗客になるかもしれないと思ったが、声をかけるには至っていなかった。そこで、被控訴人は事故後その内心の気持ちを『お客さん達が私の車に乗ってくれていたら事故にあわなかったかも知れんのになあ。』と話しかけた。しかし、二人連れは初めての人に声をかけられたためキョトンとしていた。そして、aの場合がより自然である。そうすると、被控訴人が走行中の運転席に乗車したまま二人連れに乗客となるように勧誘する声をかける運転態様は通常考え難いから、被控訴人は降車している時に勧誘したと考え、被控訴人の供述にある被控訴人と二人連れの挙動は「被控訴人は本件事故後、歩道の方にいた。」という乙山らの供述と一致するとして、乙山らの供述の信用性を高め、被控訴人の供述の信用性を減殺すると評価しても不合理とはいえない。
④ 被控訴人は、本件事故に因り負傷したとして、内田医師及び野上医師の診断、治療を受けているが、別府署は、内田医師から「昭和五六年一二月二〇日夜、被控訴人を治療したが、警察が交通事故と認定しなければ診断書の発行はしない。本人が痛いというだけで他覚的症状はなかった。交通事故によるものかどうかわからないので診断書は書かない。被控訴人は診断書を長く書いて下さいといっていた。」との供述を得(乙六)、更に、逮捕に近接して野上医師から「被控訴人は一二月二一日に頸部痛、腰部の圧痛・運動痛を訴えて来院したので治療し、翌日入院させた。私としては、入院を必要とする病状ではないと判断したが、本人が強く入院を希望するので入院させた。翌年二月四日退院を勧めて退院させた。被控訴人については、問診と触診の結果、頸部・腰部の捻挫と診断したもので、他覚的所見はなかった。」との供述(乙八)を得ていたであり、これによれば、被控訴人は、事故当日内田医師の診断、治療を受けているのに、翌日には野上医院に転院しており、内田医師には診断書の要治療日数を長く書くように要請し、野上医師には強く入院を希望していたこと、本件タクシーの損傷はテールランプ付近が凹損した程度であり(甲一〇、丙九)、タコグラフチャートに衝突の衝撃を示す異常も認められなかった(甲一一、一二)程であるから、本件事故に因り被控訴人が重い傷害を負うことはないと判断しても不合理であるとは考え難いのに、被控訴人は本件事故に因り傷害を負ったとして昭和五六年一二月二二日から翌年二月四日までの約一か月半の長期入院をしていること(甲六)、これよりさき、被控訴人は、昭和五四年一〇月以来別府市内の三恵医院で気管支炎、昭和五五年三月結合組織炎の診断を受け、本件事故直前の昭和五六年一二月一五日まで、腰痛、肩痛を訴えて昭和五六年度に三三回も治療を受けていた(乙二一)のであるから、内田、野上各医師に訴えた腰痛、肩痛は本件事故によるものと断定することはできないと判断しても不合理ではないこと、被控訴人は本件事故後公衆電話を使用して勤務先の指令係今村に本件事故を通報しているが、その際被控訴人は今村に対し追突事故にあった旨報告しただけで傷害を負ったとは一切話していないこと、被控訴人は本件事故後現場に通りかかった指令室勤務の山口征一から怪我の有無を尋ねられて「今のところわからん。」と答えていることを考え合わせると、被控訴人の右治療経過は不自然であると評価したとしても不合理とはいえない。
(4) 動機について
本件事故の際被控訴人が本件タクシーに乗車していたか否かについて、被控訴人と乙山らは相反する供述をし、したがって、いずれかが虚偽の供述をしていることになるから、各供述の信用性を検討するに当たっては、いずれかに虚偽の供述をする動機となるものがないか否かも検討する必要がある。この点につき、被控訴人には、本件タクシーに乗車していたと供述することによって、駐車違反による行政処分を免れ、乙山に対し損害賠償を請求できるという軽視できない利益があり、他方、乙山には、被控訴人が本件タクシーに乗車していなかったと供述することによって、業務上過失傷害罪による訴追を免れる利益があり、いずれにも肯定的動機があるといえる。
(5) タコグラフチャートについて
前記のとおり、被控訴人及び乙山は、本件事故の発生時刻を午後八時〇五分頃と一致して供述していた(甲七、丙一、丙二)ところ、タコグラフの時計は九分進んでいたので、これを約一〇分とし、タコグラフの時計の午後八時一五分を本件事故の発生時刻の午後八時〇五分に相当するとして、タコグラフチャートを解析したところによると、「午後八時〇五分頃の記録紙上本件タクシーの速度は時速〇キロメートルと認められるが、車が完全停止状態であったかどうか断定できない。」というものであったが、他面、記録紙上午後八時〇五分の約八分前から時速〇キロメートルを表示しているのであり、通常、タクシーが幹線道路で約八分間にわたって低速度で進行を続けることは考え難いから、司法警察員が、逮捕段階で、本件タクシーは本件事故発生時には停止していたとして、乙山らの供述の信用性が高められ、被控訴人の供述の信用性が減殺されると判断したとしても不合理とはいえない。
(6) 本件タクシーの停止位置・態様について
前記のとおり、本件タクシーは、本件事故後、東側歩道端から1.46メートル離れた第一車線上のほぼ中央付近に停止していた。右停止位置・態様は、「老夫婦を発見し、乗客になるかもしれないと思い、ブレーキペダルに足を乗せて、時速三ないし五キロメートル位に減速したところ、追突された。」(甲七)、「二人連れを発見し、乗客になるかもしれないと思い、ブレーキを踏んで人が歩く程度の速度に減速して二人連れに近づき様子を見たが、乗りそうにないので、また流し運転に入ろうとした瞬間、ぶっつけられた。」(甲八)との被控訴人の供述に沿うもののようである。
しかし、タクシーは、客を乗車させる左後部ドアの開閉のため車道の端によらず、歩道との間にゆとりを持って停車することが多い上、本件歩道上には高さ約0.6メートルの植込みがあって客の乗降に支障となることが考えられること、また、乗務員が急に客引のため、このような位置に車を停車させて車を離れることもあり得ないではなく、被控訴人と同僚のタクシー運転手佐藤弘治は、被控訴人が「知合の人か、客と思われる人に声をかけるために、急に車をとめ、車から降りたのではないかと思われる。」(乙二二)と供述しており、当時の別府市には客引のためこのような位置に車を停車させるタクシー運転手もいたことが窺えることなどに照らすと、本件タクシーの停止位置であっても、被控訴人が車外にいたこととは必ずしも矛盾しないと判断したとしても不合理であるとはいえない。
(五) 以上検討したところによれば、被控訴人の供述の信用性には疑いを入れる余地があり、乙山らの供述も相応の信用性と証明力を有していたと解することができる。そして、右乙山らの供述によれば、被控訴人は逮捕容疑の誣告罪の嫌疑について相当な理由があったと解される。そして、前記検討結果により認められる逮捕容疑の罪質、被控訴人の供述内容、被控訴人と関係者との身分関係等に照らすと、被控訴人につき明らかに逮捕の必要がなかったとは認められない。
4 逮捕の違法性
そうすると、被控訴人を誣告罪で逮捕した司法警察員一宮の行為は、国家賠償法一条一項の違法となるものではない。
三 司法警察員のした誣告罪容疑による送致の違法性について
被控訴人は、被控訴人に対する誣告罪の嫌疑の不存在、ひいては逮捕の違法を理由に、別府署司法警察員が大分地検検察官にした誣告被疑事件の送致も違法となると主張するが、司法警察員は、犯罪の捜査をした時は、犯罪の嫌疑の有無にかかわらず、その事件がいわゆる検察官指定の微罪事件にあたる場合を除き、速やかに当該事件を検察官に送致しなければならず(刑事訴訟法二四六条)、また、前記のとおり、本件の場合、別府署司法警察員が被控訴人を逮捕した行為は違法であるとはいえないのである。したがって、別府署司法警察員が大分地検検察官にした誣告被疑事件の送致が、違法となることはないというべきである。
四 検察官のした公訴の提起・追行の違法性について
1 事件送致後の捜査の概要
左記各項記載の証拠によれば次の事実が認められる。
(一) 別府署の捜査
別府署は検察官への事件送致以後次のような捜査をした。
(1) 事件送致当日の昭和五七年三月一〇日今村政治(員面調書丙六)、同月一一日佐藤幸雄(員面調書丙七)から事情聴取をして、被控訴人から観光交通に本件事故発生の報告があってから、別府署に事故の通報がされるまでの経過について供述調書を作成した。
(2) 同月一一日、観光交通から、目撃者として丙川が出現するに至った契機となった西村運転のタクシーの運転記録報告書の任意提出を受けて領置した(丙八)。
(3) 同月一一日乙山(員面調書丙三)、丙川(員面調書乙三)(同年一月一三日付であるが原審証人藤井の証言により同年三月一一日作成と認める。)、西村義信(員面調書丙八)から、乙山が西村運転のタクシーに乗った際の会話の内容等について事情聴取し、目撃者として丙川が出現するに至った経緯を確認し、供述調書を作成した。
乙山は、右事情聴取に対し、「私は、昭和五六年一二月二四日午前九時四〇分頃自宅を出て、自宅近くの御幸橋から大分署まで観光交通のタクシーを利用した。私の子供が同月二三日に大分市内で交通事故を起こし、私も呼出を受けたのでタクシーを利用して一人で大分署に行ったのです。私は、本件事故の時のタクシーも観光交通であったことから、車内で運転手に『あんたところの運転手に甲野ちいうおじんがおるなあ。』『私が追突事故をしたけど、その時乗っていなかったのに乗っていたといって病院に入院した。』『乗っちょねぇのに乗っちょったとか荒木虎美みたいなやっちゃあ。』『いや荒木虎美以上のやっちゃあ。』『言語道断なやっちゃあ。』等といった。運転手は『見たわけではないけど乗っちょらんのに乗っちょったとかいうのなら悪いな。』等とあいづちをうっていた。私が『子供の交通事故のことで大分署に呼ばれて行くところだ。』というと、運転手は『運が悪い時は重なるなあ。』等といってくれた。午前一〇時少し過ぎた頃大分署についた。乙山塗装のタクシーチケットで代金を支払った。」と供述した。
丙川は、右事情聴取に対し、「私は、昭和五六年一二月二〇日は休みだったので、午後銀天街にある共栄会館でしばらく遊び、午後七時三〇分頃錦水園へいった。夕食時間帯で客が多く、コーヒー一杯飲んで一〇分か一五分位いて店を出、若草町にある釘宮ビル二階の江口宅に話に行こうとしたところ、駐車場に車がないので外出していると思ってそこにはよらずに、旭会館でパチンコをしようと思ったが、二時間位しかないので、いつもいく銀座街の共栄会館でパチンコをしようと思い、西側歩道を大分市方面から日出町方面に向けて歩きながら、いつも利用する観光交通のタクシーはいないかと注意していると、反対車線のジャンボタイホー前にスモールランプをつけたまま駐車している空車の観光交通タクシーを発見した。その後の経過は一月一三日に話したとおりである。私は、事故を目撃してから六日後の一二月二六日、観光交通のタクシーを利用した。私は、運転手に『ジャンボタイホー前でお宅のタクシーが追突されたが、人が乗っていないのにあれは駐車違反になるんじゃないかえ。』といった。運転手は『実はあの時タクシー運転手が乗っている乗っていないということで大事になっている。』というので、私が『事故を目撃している。』というと、運転手が名前を聞いたので丙川と教えた。運転手の名前は西村といっていた。本日、別府署で顔を見ましたが、この人がその時の西村に間違いない。今回の事故で私の見た範囲内で観光交通タクシーの運転手が乗っていないことは事実です。」と供述した。
西村は、右事情聴取に対し、「私は、本件事故から二、三日して、追突した車の運転手を私のタクシーに客として乗せたことがある。客は本人から聞いて乙山ということがわかった。私は、一二月二二、三日頃の午前一〇時前頃、御幸橋で客待ちをしていると、乙山が『大分まで。』といって乗って来た。乙山は『あんた方の甲野という運転手は悪い人じゃなあ。荒木虎美のごとあるで。』『わしが甲野の車に追突した事故を起こしたんじゃけど、こまってしまっちょる。』『事故の時、追突したから悪いことをしたと思って謝るため甲野の車のところにすぐ降りていったのに、誰も乗っていなかったので、人に怪我をさせずに済んだとほっとしていたら、歩道の方から甲野が戻って来て、警察の人が来る頃になって、首が痛いなどといって車に乗っていたといいはって困っている。』と真剣に腹をたてて話していた。私は『見ちょったわけではないからようわからんけど乗っちょらんのに乗っちょったと嘘をいうのなら悪いなあ。』とあいづちをうっておいた。乙山は『まんの悪い時は重なるもので今度は子供が交通事故を起こしてしまってこれから大分署にいかんならん。』といっていた。今、私の運転記録報告書を見せてもらったが、それによると一二月二四日御幸橋で乙山を乗せ午前一〇時五分に大分署前で降ろし、代金一九九〇円を乙山塗装のチケットで貰っていることがわかった。また、今、私と同じように別府署で事情を聞かれている人の面通しをしたが、その人がこの時の乙山である。この後、二、三日して、別府駅前のユニード前から富士見通り経由で新宮通りの共栄パチンコの横まで丙川という客を乗せた。その人が丙川という名であることは先日警察の人に聞いて知った。今、運転記録報告書を見せてもらったが、それによると、一二月二六日に丙川をユニード前で乗せ、午後一時一〇分降ろし現金七三〇円の支払を受けていることがわかった。また、今、私と同じように別府署で事情を聞かれている人の面通しをしたが、その人がこの時の丙川である。丙川は、タクシーの中で、『あんた方のタクシーがこの前ジャンボタイホーの前で追突されたろうがえ。あれはどうなったかえ。』と聞いた。私が二四日に乙山から聞いた話をすると、丙川は『なにえー。わしは目の前であの事故を見たんじゃが、そんな馬鹿なことがあるか。タクシーの運転手は事故の後から出て来たんじゃ。乗っちょらせんじゃった。』と驚いた様子で話してくれた。私は『あなたが見ていたんですか。追突した乙山も困っているようでした。』といった。丙川は『乙山というのはどこの乙山か。』と聞いたので、私は『朝見の乙山塗装の乙山です。』といった。私は、甲野が委員長をしている全自交の組合で甲野と一緒に活動したことがあるが、甲野と特別親しい関係ではないし、恨んだり恨まれたりすることもない。乙山、丙川とは何のつきあいもない。」と供述した。
(4) 昭和五七年三月一一日午後九時四五分から丙川立会のうえ、丙川が本件事故を目撃した位置からの目撃状況についての実況見分(甲一三)、同月二〇日観光交通指令室が被控訴人から本件事故発生の報告を受けてから、別府署に事故の通報がされるまでの経過時間についての実況見分(甲一六)、同月二六日被控訴人の立会のうえ、被控訴人が本件事故発生の報告のために行ったラーメン店までの所要時間等の実況見分(甲一七)をした。
(二) 検察官の補充捜査
検察官は別府署から事件送致を受け、同月三一日被控訴人(検面調書甲一八)を被疑者として取調べたほか、同月一七日奈須君登(検面調書乙二)、西村義信(但し、検面調書は提出されていない)(乙一八)、同月二四日丙川(検面調書甲四〇)、同月二六日安部(検面調書甲三八)、同年六月三〇日乙山(検面調書甲三七)、同年七月一四日野上義雄医師(検面調書乙九)、同日内田孝医師(検面調書乙七)から事情聴取して、各供述調書を作成した。
奈須は、右事情聴取に対し、「私が現場について被控訴人に『どういう事故か』と聞くと、被控訴人は『停っているのに追突された。』といった。」と供述した。
内田医師は、右事情聴取に対し、「一二月二〇日に被控訴人を診察した。被控訴人は追突されて首と腰が痛いと訴えたので、触診、腱反射、X線撮影等の検査をしたが、他覚的に異常は認められなかった。鞭打症の場合他覚的に異常がなくても、首等が痛いということはありうる。被控訴人は治療を受けにきたというより診断書を早く書いてくれとせかせている態度であった。そして、相手が悪いやつだから診断書の期間を長く書いてくれという依頼もあった。会社の人から被控訴人が車に乗っていなかったという人もいるので慎重に診断して欲しいとの依頼も受けていたので、警察の事故証明が出たら書くといって診断書の作成を断った。」と供述した。
野上医師は、右事情聴取に対し、「一二月二一日、前夜追突されたといって首と腰が痛いと訴えたので、触診、自動・他動の頸部運動、X線撮影等の検査をしたが、他覚的に異常は認められなかった。しかし、本人の訴えに基づき、湿布、投薬等の治療をした。翌日、被控訴人が入院を希望してきたので、特に入院が必要だと考えたわけでもないけれど、安静にこしたことはないと思って入院を許可した。」と供述した。
2 検察官に対する被控訴人と乙山らの各供述の概要
(一) 被控訴人の昭和五七年三月三一日付検面調書甲一八における供述の概要
私は、事故当日午後四時頃乗務につき、午後七時か七時二〇分頃夕食のため自宅に帰り、午後八時少し前頃家を出て再び乗務についた。私は、本件第一車線上を時速四〇から五〇キロメートル位で進行し、本件事故現場にさしかかったところ、ジャンボタイホーパチンコ店とその手前のガソリンスタンドとの間付近に男女二人連れを発見し、乗客になるのではないかと思い、急ブレーキもかけずにすーと停まれる位の位置から減速して停まろうとした。その際軽四輪か何かが右の方を走り抜けたような気がした直後に追突されて直ぐに停車した。追突された時は停車寸前で人の歩く速度かそれ以下位であった。追突された瞬間に腰から首筋にずんとした痛みがあったので、運転席に座ったままであった。後ろを振り向くと、追突した車はバックしていた。私が車から降りて行くと追突した車の運転手も降りてきた。見ると、競輪場で顔見知りの男であった。後でその名前は乙山と知った。乙山は「俺がぶっつけたからすぐに弁償する。」といつた。私が「免許証は大丈夫か。」と聞くと、乙山は「満点じゃ。」といっていた。乙山は車の中を見て「お客が乗っとらんでよかった。」というので、私は「俺が一人乗っとった。」といった。私は、十五万石のピンク電話から会社に追突されたと連絡した。その時は追突されたことをいっただけで怪我をしていることはいっていない。十五万石を出て事故現場に戻る途中先刻の二人連れがタクシーに乗ろうとしていたので、私は「あんた達が乗ってくれてたら追突されんですんだのになあ。」というと、二人はキョトンとしていたので、私は「さっき追突された運転手ですよ。」というと、二人は「ああ。」というようなことをいってタクシーに乗って行った。自分の車に戻ると、会社の山口が食事の帰りといって通りかかったので、私は「はやく会社の者をやってくれ。」といった。少しして会社の奈須君がきた。奈須君は「病院に行かんで良いのか。」といっていた。私は「病院に行かないかんが事故係や警察は何しよるんかな。」といった。実況見分が始まると、乙山は「空車にぶっつけた。」といいだしたので、私は「何を馬鹿をいうのか。」といったが、乙山は「お前は乗っとらんかったじゃないか。」といって口論になった。
(二) 乙山らの供述の概要
(1) 乙山の昭和五七年六月三〇日付検面調書甲三七における供述の概要
私が追突したタクシーの運転席まで行き誰も乗っていないことを確認した後、私の車に乗っていた安部、弘に、乗っていないという意味で手を振ったことがないかとお尋ねですが、その点は良く覚えていない。私が被控訴人から点数を聞かれた時「満点じゃ。」といったのは、一年位前に違反して何点か引かれていたのは知っておりますが、もう切れていると思ったからです。
(2) 安部の同年三月二六日付検面調書甲三八における供述の概要
私は、乙山車の助手席に同乗していてタクシーに追突した時、タクシーに乗っている人に怪我をさせているのではないかと思い、ガラス越しにタクシーの中をのぞきこんだところ、後部座席、前部座席共に座席の黒い影が見えるだけで、人間が座っている様子は見えず、その時誰も乗っていなくて良かったなとほっとした感じでした。私がこのように判断したのは、もし人が乗っておれば座席の背もたれから肩や頭が見えるはずなのに、それが全く見えなかったからです。乙山はすぐに車から降りタクシーの運転席側に行きましたが、左手のパチンコ屋の方から人声が聞こえてきて、乙山はそちらに歩いて行った。そして、二人で話をしていたが、相手の人はジャンボタイホーの少し先の方に行った。それまでは二人の話し声は聞こえなかったが、身振りからみて穏やかな話し振りのようであった。その後タクシー会社の人が来た頃は二人は言い争いをしていた。警察官が来た時は、二人共興奮して激しく言い合っていた。そうしている時に、誰か私のところに事情を聞きに来た人がいたかどうかは覚えていない。
(3) 丙川の同年三月二四日付検面調書甲四〇における供述の概要
私が本件事故を目撃したことは観光交通タクシーの運転手二、三人に話している。最後に話した運転手は事故のことを知っており、その前に話した運転手は事故のことを知らなかった。最後に話した運転手から事故を目撃しているなら証言してやってくれといわれ、その時にぶっつけた人が乙山塗装の乙山であると教えてもらった。運転手に乙山の電話番号を聞いたが、知らないということで一〇四番で聞けばすぐわかるということであった。それでその日か次の日くらいに乙山に電話し事故を目撃しているので証言してやっても良いと連絡した。そして、流川通りの喫茶店で会ったが、乙山は見たままを証言してくれという話であり、私もそれは良いですよといって、私の名前と住所を教えておいた。乙山はこれを控えていたので、警察に知らせたのではないかと思う。
3 事件送致後の捜査を加味した乙山らの供述の信用性の検討
(一) 乙山らの供述相互の相違点について
乙山が本件事故直後に本件タクシーをのぞいて誰も乗っていないことを確認した後、安部らに手を振って合図したかどうかに関し、検察官は、乙山から「その点は良く覚えていない。」(甲三七)との供述を得ており、前記のとおり、この挙動に関する供述が逮捕前後の司法警察員に対する供述にあらわれていないのは、乙山の手を振る動作が言葉と前後してタクシーに誰も乗っていなかったことを同乗者に伝える無意識の挙動であったからであると見ることもでき、それ故に乙山の銘記するところとならず、その供述にあらわれなかったものと解する可能性はなお否定しえない。そして、事件送致後の乙山らの供述によっても、乙山らの供述相互の間に、あるいは各人の供述の間にも、子細に検討すると供述の相違点が認められるが、それらは時を異にして供述を求めた場合に起こりがちな付随的部分のわずかの供述の変化であったり、あるいは複数の関係人に供述を求めた場合に起こりがちな程度のくいちがいに過ぎないとして、そのことの故に、乙山らの供述の本質的部分の信用性を減殺させるようなものではないと評価しても不合理ではない。
(二) 丙川の出現の経緯と供述の信用性について
丙川が目撃者として出現した経緯中の作為の余地の有無、その供述の信用性の有無の観点から、事件送致後、司法警察員により乙山、丙川、西村の事情聴取が行われ、その過程で別府署が領置した西村運転のタクシーの運転記録報告書の記載と西村の供述を照合し、西村がその供述にあるように時を異にして、乙山、丙川を客としてタクシーに乗せたこと、面通しの結果、その客がそれぞれ乙山、丙川であることが確認され、その各供述内容にも相互に本質的な齟齬は認められず、丙川立会のうえ、丙川が本件事故を目撃した位置からの目撃状況についての実況見分によっても、丙川の供述にある視認可能性が認められた。丙川が西村に「ジャンボタイホーが休みで、出た時に、目撃した。」と供述したかどうかについては、事件送致後の乙山、丙川の供述からは、丙川が西村に対し右のように供述した形跡は認められない。さらに、検察官は、乙山と丙川の関係からの作為の余地の有無の観点から乙山、丙川から事情聴取をしているが、丙川から「乙山に電話をかけ事故を目撃しているので証言してやっても良いと連絡した。そして、流川通りの喫茶店で会ったが、乙山は見たままを証言してくれという話であり、私もそれは良いですよといって、私の名前と住所を教えておいた。乙山はこれを控えていたので、警察に知らせたのではないかと思う。」(甲四〇)との供述を得ており、そこに作為を窺わしめる具体的な事情は認められない。このように見てくると、事件送致前後の丙川の供述は信用できると評価したからといって、不合理であるとはいえない。
4 事件送致後の捜査を加味した被控訴人の供述の信用性の検討
被控訴人の供述は、事件送致後の捜査から直接その信用性を高めたり、減殺したりする事情は発見されていない。しかし、被控訴人の供述と乙山らの供述は、いずれかが真実でいずれかが虚偽であるという関係にあり、一方の信用性が高まれば、逆に他方の信用性は減殺される関係にあるから、検察官が、事件送致後の捜査を加味し、乙山らの供述の信用性が高められ、被控訴人の供述の信用性が減殺されたと評価したからといって、不合理であるとはいえない。
5 動機について
動機に関連する事実で事件送致後の捜査で明らかになった点は、乙山の検察官に対する「私が甲野から点数を聞かれた時『満点じゃ。』といったのは、一年位前に違反して何点か引かれていたのは知っておりますが、もう切れていると思ったからです。」(甲三七)との供述内容である。これは、一面、「満点」ではなかったのであるから、乙山としては行政処分を免れるため、被控訴人が本件タクシーに乗車していなかったと供述する動機が増強されたようでもあるが、乙山は、事故直後から、被控訴人が本件タクシーに乗車していなかったと供述していたのであり、「満点だと誤解していた」のであるから、検察官が、このように軽微な事故について、乙山が嘘をついてまで行政処分を免れようとする動機がないと評価したからといって、不合理であるとまではいえない。また、人はそれぞれ価値観を異にするのであるから、本件において被控訴人と乙山の嘘をつくことによる利益の軽重を計ることはできないが、いずれかが嘘をいっていることの明らかな本件のような事案にあっては、証拠上嘘をつく動機が確定されないからといって、その供述の信用性が高められたり、減殺されたりするものではない。そうすると、この観点から、検察官が、被控訴人の供述の信用性が高められもしないし、乙山の供述の信用性が減殺されもしないと評価したとしても、不合理であるとはいえない。
6 タコグラフチャートについて
被控訴人及び乙山は、本件事故の発生時刻を午後八時〇五分頃と一致して供述していた(甲七、丙一、丙二)。タコグラフチャートの解析結果によると、「午後八時〇五分頃の記録紙上本件タクシーの速度は時速〇キロメートルと認められるが、車が完全停止状態であったかどうか断定できない。」というものであったが、他面、記録紙上午後八時〇五分の約八分前の午後七時五七分頃から時速〇キロメートルを表示しているのである(甲一一)。別府署が事故の通報を受理したのは午後八時一三分頃である(甲一四)。午後七時五七分頃から午後八時一三分頃までは一六分である。
事件送致後、被控訴人の観光交通への本件事故発生報告があってから別府署に事故の通報がされるまでの経過に関し、今村(丙六)、佐藤幸雄(丙七)からの事情聴取、被控訴人が本件事故発生の報告のために行ったラーメン店までの所要時間(甲一七)、観光交通の今村が被控訴人から本件事故発生の報告を受けてから佐藤幸雄によって別府署に事故の通報がされるまでの経過時間についての実況見分(甲一六)が行われた。これによると、被控訴人が本件事故発生の報告のために行ったラーメン店までの所要時間は一分二七秒、今村が被控訴人から本件事故発生の報告を受けてから、別府署が事故の通報を受理するまでの経過時間は七分二六秒であり、合計八分五三秒である。これに、被控訴人の供述にある事故後運転席から車外に出てくる時間と被控訴人が乙山と会話していた時間の合計数分間を加算した時間は、少なくとも本件タクシーは停止していたことになる。そうすると、タコグラフチャートの時速〇キロメートルの表示を停止状態と仮定してみても、右加算すべき時間をどの位とみるか、各実況見分による所要時間の誤差をどの位とみるかによって状況は異なってくることになり、捜査段階におけるタコグラフチャートの解析結果のみでは、本件事故発生の時刻及び本件事故時に本件タクシーが停止していたか走行していたかを確定することはできず、被控訴人の「本件タクシーは本件事故時に『時速三ないし五キロメートル位』(甲七)、『人が歩く程度の速度』(甲八)、『人の歩く速度かそれ以下位』(甲一八)で進行していた。」との供述を排斥できないが、他面、乙山らの「本件タクシーは本件事故時停止していた。」との供述も排斥できない関係にあったといえる。そして、元来、右タコグラフチャートの解析結果は「時速〇キロメートルと表示していても、車が完全停止状態であったかどうか断定できない。」程度のものであるから、検察官が他の証拠から乙山らの供述の信用性を吟味して、被控訴人につき嫌疑ありの判断をしたとしても、この判断過程が不合理であるとはいえない。
7 本件タクシーの停止位置・態様について
本件タクシーの停止位置・態様に関連する事実で、事件送致後の捜査で明らかになったものはない。しかし、検察官が、事件送致前の捜査結果に基づき、前記二3(四)(6)のように、本件タクシーの停止位置であっても、被控訴人が車外にいたことと必ずしも矛盾しないと判断したとしても不合理であるとはいえない。
8 以上検討したところによれば、被控訴人の供述は虚偽であって、乙山らの供述は真実であるとした検察官の判断が、行きすぎであって到底合理性を肯定できないというものでないことは明らかである。そうすると、被控訴人には誣告罪の公訴事実について有罪と認められる嫌疑があったのであるから、検察官のした公訴の提起が違法となることはなく、したがって、公訴の追行も違法となることはない。
第五 結論
以上の次第であるから、被控訴人の控訴人らに対する本訴請求はいずれも理由がないから棄却すべきところ、これと結論を異にする原判決を取り消し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官佐藤安弘 裁判官宮良允通 裁判官川久保政徳)