福岡高等裁判所 平成5年(行コ)7号 判決 2000年10月06日
控訴人
大分県教育委員会
右代表者委員長
新堂英夫
右訴訟代理人弁護士
俵正市
同
苅野年彦
同
小川洋一
右指定代理人
緒方末弘
外三名
被控訴人
瑞木啓司
外二二名
右訴訟代理人弁護士
立木豊地
同
佐伯仁
同
岡村正淳
同
市川俊司
右立木豊地訴訟復代理人弁護士
古賀康紀
主文
一 原判決を取り消す。
二 被控訴人らの請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人らの負担とする。
事実及び理由
第一 当事者の求めた裁判
一 控訴の趣旨
主文と同旨
二 控訴の趣旨に対する答弁
1 本件控訴をいずれも棄却する。
2 控訴費用は控訴人の負担とする。
第二 当事者の主張<省略>
第三 <省略>
第四 当裁判所の判断
一 請求原因(被控訴人らの地位、本件各懲戒処分、審査請求前置)及び抗弁
(被控訴人らの争議行為、同人らの各行為と懲戒処分の理由)についての判断は、次のとおり補正するほかは、原判決理由欄中の三八枚目表二行目から四三枚目表九行目までに記載のとおりであるから、これを引用する。
1 原判決三八枚目表九行目を「二 抗弁について」と改め、末行目の「別表(二)」を「原判決別表(二)」と改め、それより後の「別表(二)」を同様に読み替えるものとする。
2 同三八枚目裏九行目の「別表(一)」を「原判決別表(一)」と改め、それより後の「別表(一)」を同様に読み替えるものとし、同行目の「一番ないし三番」を「二番、三番」と改め、末行目の「県教組が」の次に、「昭和五八年四月五日の本件ストライキにかかるスト方針に関する日教組全国戦術会議の決定を受けて同月二八日に開催された県教組中央委員会において本件ストライキにかかるスト方針を決定し、」を加える。
3 同三九枚目表七行目の「一二番ないし二三番」を「一二番ないし一八番及び二〇番ないし二三番」と、四〇枚目表一ないし二行目の「二四番ないし二七番」を「二五番ないし二七番」と、末行目の「成立に争いのない」から同裏三行目の「各証言及び」までを「証拠(乙四、五の各1、2、九、一〇、一九ないし二一、三九、四〇、原審証人江藤匡一、同吉山和人、同岡村憲次、同嶋津文雄、同手島誠一)並びに」とそれぞれ改める。
4 同四二枚目裏四行目の「一番ないし三番」を「二番、三番」と、六ないし七行目の「一二番ないし二三番」を「一二番ないし一八番及び二〇番ないし二三番」と、一〇行目及び四三枚目表七行目の各「二四番ないし二七番」を「各二五番ないし二七番」とそれぞれ改める。
二 憲法二八条違反の主張について
被控訴人らは、地公法三七条一項は、憲法二八条に違反する旨主張するので判断する。
地方公務員も、自己の労務を提供することにより生活の資を得ているものであるから、憲法二八条の勤労者として、同条の規定する労働基本権の保障を受けるものというべきであるが、地方公務員は地方公共団体の住民全体の奉仕者として、実質的にはこれに対して労務提供義務を負うという特殊な地位を有し、かつ、その労務の内容は、公務の執行すなわち直接公共の利益のための活動の一環をなすという公共的性質を有するものであって、地方公務員が争議行為に及ぶことは、右のようなその地位の特殊性及び職務の公共性と相容れず、また、地方公務員の勤務条件が法律及び地方公共団体の議会が制定する条例によって定められ、その給与が地方公共団体の税収入等の財源によってまかなわれるところから、専ら当該地方公共団体における政治的・財政的・社会的その他諸般の合理的な配慮によって決定されることなどからすれば、私企業における勤労者の場合のように団体交渉による労働条件の決定という方式が当然には妥当せず、争議権も団体交渉の裏付けとしての本来の機能を発揮する余地に乏しいものである。これらの見地からすれば、地方公務員の労働基本権が一般の私企業における勤労者とは異なる制約に服すべきであることは当然であり、地方公務員に争議行為を禁止することは、その制約に見合う適切な代償措置が講ぜられている限り、憲法二八条に違反するものではないというべきである。そして、地公法には、地方公務員について、勤務条件の保障(同法二四条、二五条)、身分保障(同法四九条等)、勤務条件に関する措置要求制度(同法四六条等)等利益保障の詳細について定めがなされ、また人事院制度に対応する中立的な立場から地方公務員の利益を保障すべき機構として必要な職務権限を有する人事委員会ないし公平委員会の制度(同法七条、八条)が設けられ、制度上、右代償措置は講じられているというべきである(最高裁大法廷昭和五一年五月二一日判決、刑集三〇巻五号一一七八頁参照)。被控訴人らは、現行の人事委員会制度などは、機関の構成、当事者参加、勧告の拘束力などの点において、右にいう適切な代償措置とはなっていない旨主張するが、これらは地方公務員に対し勤労者にふさわしい生活利益を擁護するに足りるものと考えられるから、右主張は採用しない。
以上のとおりであるから、地公法三七条一項が憲法二八条に違反する旨の前記被控訴人らの主張は理由がない。
三 憲法九八条二項違反の主張について
被控訴人らは、地公法三七条一項は、ILO条約八七号及び九八号に抵触し、よって憲法九八条二項に違反する旨主張するが、これが理由がないことは、原判決五〇枚目表八行目の「成立に争いのない」から九行目の「証言」までを「証拠(甲一八〇、一八一の10ないし12、原審証人中山和久)」と改めるほかは、原判決理由欄中の五〇枚目表一行目から五一枚目表五行目までに記載のとおりであるから、これを引用する。
四 適用違憲(再抗弁1、再々抗弁)の主張について
1 被控訴人らは、代償措置が迅速公平にその本来の機能を果たさず、実際上画餅に等しいとみられる状態が生じた場合には、公務員が制度の正常な運用を求めて争議行為を行っても、それが相当な手段・態様によるものである限り、憲法二八条によって保障された正当な争議行為として容認されると解すべきであり、本件ストライキは、当局側が人事院勧告実施の見通しや将来への明確な展望を示さないままに人事院勧告の凍結をしたうえ、さらに大幅な不実施を計画し、かつ、勧告実施のための最大限の努力を尽くしたとはいえないという、代償措置が実際上画餅に等しいとみられる状態において実施されたのであるから、これに参加した者を懲戒処分に付することは、地公法三七条一項の適用上憲法二八条に違反する旨主張する。
公務員の労働基本権を制約するに見合う代償措置は、争議行為を禁止されている公務員の利益を現実的に保障しようとする制度であり、公務員の争議行為の禁止が違憲とされないための論理的な前提ないし重要な条件ともいうべきものであり、このような重要性に鑑み、その制度上一般的な要件を充たしているのみならず、実際上も相応の機能を果たしていることを要するものと解されるから、それが迅速公平にその本来の機能を果たさず、実際上画餅に等しいとみられる状態が生じた場合には、公務員がその機能を正常に果たさせるよう求めて争議行為を行っても、それが相当と認められる範囲を逸脱しない手段・態様によるものである限り、例外的に許容される余地があるものというべきである。しかし、公務員の争議行為を制約するに見合う代償措置としては制度としての人事院ないし人事委員会による勧告(以下「人事院勧告等」という。)に限られないのであり(地方公務員に関する制度については前記二のとおりである。)、代償措置がその本来の機能を果たしているといえるかについては、それら代償措置を総合して検討すべきであるが、以下においては、被控訴人らの主張に鑑み、本件ストライキ当時において代償措置としての人事院勧告等が本来の機能を果たさず実際上画餅に等しいとみられる状態に至っていたかについて判断する。
ところで、公務員の給与は、経済的、社会的、政治的諸情勢を考慮し、当時の財政事情の下で公共的要請と調和を図った上で、国会ないし地方議会で決定され、実施されるべきものであるから(地方公務員については、生計費並びに国及び他の地方公共団体の職員並びに民間事業の従事者の給与その他の事情を考慮して、条例で定める旨規定されている(地公法二四条三、六項)。)、人事院勧告等の不実施が代償措置としての本来の機能を果たさず実際上画餅に等しいとみられる状態を生じているかについては、当局側が、合理的な理由がなく、将来への明確な展望がないままに実施しないでいるなど、勧告実施のため誠実に最大限の努力を行わないような事態が生じたときは、右の状態が生じたものということができるが、当局側において、合理的な理由により勧告を実施することができず、将来への明確な展望がないままに実施しないでいるものではないことが認められる場合には、未だ右制度が本来の機能を果たしていないということはできない。
なお、本件ストライキは、前記認定のとおり、県人事委員会勧告が出される前の段階で、人事院勧告の完全実施を求めてなされたものであって、人事院勧告制度は、本来は、一般職の職員の給与等に関する法律(改正前)の適用を受ける一般職のうち、非現業国家公務員を対象にするものであり、地方公務員である被控訴人らを直接対象にするものではない。しかし、地方公務員の給与は、国の職員の給与等の事情を考慮して定めるものとされる(地公法二四条三項)ほか、被控訴人らの公立学校の教育公務員についても、当分の間国立学校の教育公務員を基準にする(教育公務員特例法二五条の五)ものとされ、実際にも県職員の給与についての県人事委員会の勧告は国家公務員に関する人事院勧告に準じた内容で行われ、その実施についても国に準ずる取扱いがされていることから、人事院勧告及びその実施状況が被控訴人らの給与などの勤務条件に直接結びつく結果となっているのであって、このような人事院勧告等の実施状況等に照らすと、被控訴人ら地方公務員が、県人事委員会勧告の完全実施の前提として、人事院勧告の完全実施という目的で運動を行うことは、それ自体はその目的が直ちに正当でないということはできない。
2 人事院勧告制度とその実施状況、本件ストライキに至る経過、その態様等は、次のとおり補正するほかは、原判決理由欄中の五四枚目裏五行目から七三枚目裏九行目までに記載のとおりであるから、これを引用する。
(一) 原判決五四枚目裏六行目から一〇行目の「及び」までを「前記争いのない事実及び証拠(甲一九、一〇五、二三二、二三四ないし二三八、二五二、二五三、二五六、二六〇、二六二、二八〇の1、二八一の7ないし10、二八八、乙一〇五ないし一一〇、一三四、一三五、原審証人槇枝元文、同佐藤英善、当審証人小谷喜富)並びに」と改める。
(二) 同五六枚目表一一行目の「対応」を「適応」と改め、同裏七ないし八行目の「給与法」の次に「、改正前」を、五七枚目表三行目の「場合、」の次に、「給与、勤務時間その他の勤務条件は、条例で定められ、給与は、生計費、国及び他の地方公共団体の職員、民間事業の従事者の給与その他の事情を考慮して定められ、それ以外の勤務条件については国及びその他の地方公共団体の職員との間に権衡を失しないように適当な考慮が払われるべきものとされ(地公法二四条)、これらが社会一般の情勢に適応するように、随時適当な措置が講じられることとされた(同法一四条)。」をそれぞれ加え、同八行目の「地公法」を「同法」と、同末行目の「採決」を「裁決」とそれぞれ改め、同裏一行目及び二行目を削除し、五八枚目表一行目の「また、」の次に「義務教育にかかる」を加える。
(三) 同五八枚目裏九行目の「実施時期を」の次に「一ないし五か月」を、五九枚目表六行目の「実施され、」の次に、「同年一二月三日、衆議院において、当時の佐藤栄作内閣総理大臣は、今回ようやくにして実現をみた完全実施の建前を今後とも実施していくと述べるとともに、」をそれぞれ加え、同九行目の「明らかにしたい」を「明らかにした」と、同裏四行目の「管理職員」を「指定職の他管理職員」と、同六行目の「管理職」を「右」とそれぞれ改める。
(四) 同六〇枚目表七行目の冒頭から同裏一行目の「及び」までを、「前記認定の事実(争いのない事実を含む。)及び証拠(甲九、一〇、六八、七〇、七五の2ないし4、七六、七七、一〇五、一五五、一八一の1、2、一八四の1ないし3、二三二、二四〇、二八〇の1、二八七、二九〇、乙四六ないし五三、六二ないし七一、七七、八三、八四、原審証人槇枝元文、原審・当審証人小谷喜富)並びに」と改める。
(五) 同六〇枚目裏七行目の「一般職」から六一枚目表一行目の「る」までを「前記のとおり、指定職及び管理職員の俸級改定の実施を一年間遅らせたほか、これら以外の職員についても期末・勤勉手当の算定を旧ベースで行う」と改める。
(六) 同六一枚目表四行目の「衆議院」を「参議院」と改め、同裏四行目の「九月一六日」の次に、「、財政の現状は、九〇兆円を超える国債の累積を抱え、その利払等に必要な経費は昭和五七年度予算で七兆八〇〇〇億円で、これは公共事業費の六兆七〇〇〇億円を上回り、政府の歳出削減努力にもかかわらず、約二兆五〇〇〇億円の歳入欠陥があった前年度に引き続き五兆円から六兆円の税収不足が予想され、そのため、国債や公務員の給与改定などについて、異例の措置をとらざるをえないと国民に理解を求める旨の」を、同五行目の「政府は、」の次に、「未曾有の危機的な財政事情の下において、国民的課題である行財政改革を担う公務員が率先してこれに協力する姿勢を示す必要があることにかんがみ、また、官民給与の格差が一〇〇分の五未満であること等を総合的に勘案して、その改定を見送るものとして、」をそれぞれ加える。
(七) 同六四枚目裏七行目の「改定について、」の次に、「現下の経済社会情勢、異例に厳しい財政事情、国民的課題である行財政改革が推進されているなかにおける国民世論の動向等を総合的に勘案したとして、」を加え、一一ないし一二行目の「昭和五七年九月二四日、自治給第四八号」を「昭和五八年一〇月二一日自治給第七一号」と、六五枚目裏三行目の「二」を「二・〇二」とそれぞれ改める。
(八) 同六六枚目表一〇ないし一一行目の「国家公務員におけるのと同様に、」を削除し、一一行目の「六・四四」を「六・四三」と、同裏一行目の「三・三七」を「三・三六」と、同二行目の「六〇年度」から四行目の「実施されなかったが」までを、「昭和六〇年度は、平均5.02パーセントの勧告に対して実施時期を七月一日に延期した他、勧告どおりに実施され」とそれぞれ改め、六行目の末尾に「なお、国及び県ともに、昭和六〇年度までに昭和五七年度の凍結分及び昭和五八年度、五九年度の一部不実施分は回復された。」を加える。
(九) 同六六枚目裏八行目の冒頭から六七枚目表六行目の「本人尋問の結果」までを、「前記認定の事実(争いのない事実を含む。)及び証拠(甲二〇ないし三〇、三二ないし三五、四三、八〇、九五の1、2、九八の1ないし4、九九の1、2、一五九、一八七ないし二二〇、三五六、三五七、乙三、六ないし二一、三九、四〇、七二ないし七六、八六、八七、八八の1、2、原審証人中小路清雄、同江藤匡一、同吉山和人、同中島和貴、同土谷登章、同麻生由美、同那須利恵子、同工藤光子、同大城正二、当審証人石川ちえみ、同足立哲範、原審・当審証人小谷喜冨の各証言、原審被控訴人土谷桂山、同梶原悟、同古庄千秋、当審被控訴人上田正夫、原審・当審被控訴人南征一郎)」と改める。
(一〇) 同六八枚目表八行目の「五月二六日」を「五月一六日」と改め、同裏五行目から六九枚目表九行目までを削除し、同一〇行目の「(4)」を「(3)」と改め、同裏五行目の冒頭に「(4)」を加え、七一枚目表四行目の「日教組」から六行目末尾までを削除する。
(一一) 同七三枚目裏三行目の「県教組」から五行目の「伴わず、」までを「県下の教職員数の78.4パーセントに当たる九二六九名の者が参加し(参加学校は99.4パーセント)、早朝勤務時間開始後の二時間、近くの教育会館、公民館等の施設、あるいは所属学校の正門付近に集合し、本件ストライキの意義を確認し、経過報告等を行う集会をもって、集団的に職場を離脱し職務を放棄する形態で行われたが、暴力などの違法行為を伴うことはなかった。また、」と改め、九行目の末尾の次に「保護者、生徒等からは本件ストライキに対する抗議などは特になかった。」を加える。
3 本件ストライキ当時の国家財政及び県財政の状況
前記認定の事実、後掲の各証拠及び弁論の全趣旨によれば、本件ストライキ当時の国家財政及び県財政の状況について次のとおり認められる。
(一) (国家財政)
(甲一五六、一五七、一八二、三〇九、三一八の1、2、三二一ないし三二九、三三一ないし三三三、三三七、三四三、三四四、三四七、三五五、乙一二二、一二三、一四六、一四七、一五〇ないし一五九、一六一、一六九、原審証人鷲見友好、当審証人保母武彦)
(1) わが国の財政は、昭和五六年度末当時、八二兆円を越える公債の累積を抱え、公債の償還及び利払に充てられる公債費は、同年度当初予算で六兆七〇〇〇億円(うち利払費五兆六〇〇〇億円)に達していた。
公債発行額の一般会計歳出額に対する比率(決算額)である公債依存度は、昭和五〇年度以降急激に増加し、昭和五四年度には34.7パーセントにまで達し、その後減少したものの、昭和五六年度には27.5パーセントを占めていた。また、公債発行額(決算額)は、昭和五〇年度に特例公債(赤字公債)の発行が昭和四六年度以来再び行われるようになると急激に増加し、昭和五五年度の一四兆二〇〇〇億円をピークに昭和五六年度には一二兆九〇〇〇億円であった。
(2) 政府は、このような累積した赤字公債からの脱却を図るため、既に、歳出の削減を中心とする増税なき財政再建のもと、昭和五九年度の赤字公債発行零を目標に掲げ、また、昭和六〇年度からの赤字公債の償還を控え、昭和五七年度は、予算の概算要求基準を対前年度伸び率をゼロパーセントとするいわゆるゼロシーリングのもとに予算の編成を行い、予算の伸び率を前年度比1.8パーセント増に押さえるとともに、公債の当初発行額を前年度(一二兆三〇〇〇億円)よりも二兆円減額した。
ところが、政府の予期に反し、経済成長率が落ち込み(名目8.4パーセント、実質5.2パーセントの見込に対し、それぞれ4.9パーセント、3.2パーセント)、そのため、国税収入が政府の当初見込みを大きく下回り、税収が五、六兆円程度(決算では、三〇兆五〇〇〇億円で六兆一〇〇〇億円減少)減少することが予想されるようになった。
そこで、当時の鈴木首相は、昭和五七年九月一六日、これを背景に、記者会見において、財政の現状は、九〇兆円を超える公債の累積を抱え、政府の歳出削減努力にもかかわらず、約二兆五〇〇〇億円の歳入欠陥があった前年度に引き続き五兆円から六兆円の税収不足が予想される等と述べ、前記事実上の財政非常事態宣言を行い、公債や公務員の給与改定などについて、異例の措置をとらざるをえないと国民に理解を求める発言をし、当初予算額よりも、右国税減収額につき歳出を二兆一二〇〇億円減じるとともに、公債の追加発行三兆九〇〇〇億円(うち特例公債三兆四〇〇〇億円)などによって補てんすることにし、同年一二月二四日、この旨の補正予算が成立した。
同年度の公債発行額は、結局のところ、一四兆円となり、公債依存度は29.7パーセント、公債費は、当初予算で七兆八〇〇〇億円(うち利払費は六兆五〇〇〇億円)、同年度末のその発行残高は九六兆五〇〇〇億円(うち特例公債が四〇兆三〇〇〇億円)であった。
(3) 政府は、昭和五八年度の予算の概算要求基準をマイナス五パーセントとして、予算編成に当たりさらなる支出の圧縮削減に務め、その結果、一般会計の予算規模は前年度当初対比で1.4パーセントの伸びに抑制され、税収見込みは三二兆三〇〇〇億円と前年比四兆三〇〇〇億円の減(前年比11.8パーセント減)とされた。なお、税外収入として前記昭和五六年度決算不足補てん繰戻のための特別対策費として二兆一五〇〇億円が計上された。
同年度においては、景気は緩やかな回復基調を示し始め、同年度の決算は、税収が当初予算より四三〇億円増加し、税収の欠陥はなく(前年度決算より一兆七〇〇〇億円程度増加)、一兆〇一七六億円の剰余金(歳入五一兆六五二九億円、歳出五〇兆六三五三億円)が生じたが、右剰余金があることが判明したのは、翌年の七月以降であった。
同年度の公債発行額は、一三兆五〇〇〇億円となり、公債依存度は26.6パーセント、公債費は、当初予算で八兆二〇〇〇億円(うち利払費は七兆九〇〇〇億円)、同年度末のその発行残高は一〇九兆七〇〇〇億円(うち特例公債が四七兆円)にものぼった。こうしたなか、昭和五九年度の赤字公債発行零の目標は昭和六五年度達成に向けて延期されることになった。
なお、同年度の人事院勧告は完全に実施されなかったが、完全実施のためには追加財源三一〇〇億円を含め四五〇〇億円の財源が必要とされ、他方、その後の補正予算では一五〇〇億円の所得税減税がされ、昭和五九年度の当初予算でも九三〇〇億円の減税の予算措置がとられた。
(二) (県財政)
(甲七五の4、一〇六ないし一一一、一一三の1、2、一一四、二七二の1ないし3、二七六の1ないし3、二九二ないし二九六の各1、2、二九八の1、2、二九九ないし三〇二の各1ないし4、三〇九、三一四ないし三一六、三一七の1ないし5、乙五四ないし六一、一二二ないし一二六、一二九、一三一の1ないし8、一三二、一三六の1ないし3、一三七、一三八の1、2、一四一、一四二の1、一四四、一四五、一六五、一六六の1、原審証人福田正直、当審証人宮入興一)
(1) 昭和五七年度の地方財政は、年度途中において地方税で一兆二〇〇〇億円の減収、前記国税の減収に伴い国税三税(所得税、法人税、酒税)でまかなわれる地方交付税で一兆七〇〇〇億円の減収、あわせて三兆円に近い巨額の地方財政不足が見込まれ、これに対処するために減収補てん債(地方税の収入が標準税収入額を下回る場合、その減収を補うために発行が許可される特例地方債)の発行、交付税特別会計の借入による交付税総額の確保などの措置が講じられ、右借入金の償還経費のうち元金の二分の一は地方公共団体の負担とされた。
県は、昭和五七年度の当初予算における、一般会計の歳入額は三六〇一億三六〇〇万円で、歳入のうち、県税を六一五億円(構成比17.1パーセント)、地方交付税を一一二四億円(31.2パーセント)、地方交付税を一一二四億円(31.2パーセント)と見込んだが、全国的な景気の低迷の影響を受けて県税などの減少が見込まれることになった。そのため二六億七七〇〇万円の県税の減額補正が行われるとともに、減収補てん債三五億円が発行された。
同年度の特別会計を含む普通会計決算においては、歳入が三七六三億三七〇〇万円、歳出が三七四七億六九〇〇万円、歳入のうち、県税が五八九億五八〇〇万円、地方交付税が一一五六億八六〇〇万円であった。
右歳入と歳出の差額である形式収支は、一五億六七〇〇万円黒字で、次年度に繰り越すべき財源を控除した実質収支も六億四四〇〇万円黒字となったが、その幅は前年度(八億五八〇〇万円)に比べ狭くなり、実質収支から前年度の実質収支を控除した単年度収支では二億一三〇〇万円の赤字となった。同年度末の県債の残高は、二〇六六億円に達し、その償還、利払費は三一二億円にものぼった。
同年度の当初歳入予算に占める一般財源(県税、地方交付税、地方譲与税など使途が限定されていないもの)の割合は、53.2パーセントであり、また自主財源(県税、分担金など県が自主的に財源を調達できるもの)は28.1パーセントであった。
県は、前記のとおり、当初予算に一一億円の財源を職員給与の改定分として計上していたが、昭和五七年度の県人事委員会勧告を実施しなかったため、この財源は使用されなくなった。なお、同年度の県人事委員会勧告を実施するためには五一億円の財源が必要であった。
(2) 昭和五八年度の地方財政計画でも、三兆円の財源不足が見込まれ、地方財政が引き続き厳しい財政環境にあることから、歳入面の強化とあわせて歳出面における経費全般の徹底した削減合理化を行うとともに、限られた財源の重点的配分と経費支出の効率化に徹し、節度ある財政運営を行うこととされた。
これを受けて、同年度の県の予算編成は、地方交付税などの依存財源の占める比率の高い財政体質を踏まえて自主財源の確保を図る一方、行財政の合理化にさらに積極的に取り組むなど財政の健全化に格段の努力を払う中で、増大する県民からの行政需要に対処していくという方針に基づき編成された。
昭和五八年度の一般会計における歳入歳出予算の規模は、当初予算で、歳入額及び歳出額はともに三二三六億八七〇〇万円であったが、数回にわたる補正がなされた。
同年度の決算状況は、歳入三七二四億六四〇〇万円、歳出三七〇八億四二〇〇万円(いずれも特別会計を含む。)で、形式収支は、一六億二二〇〇万円の黒字で、実質収支も五億三七〇〇万円、前年度に引き続き黒字となったものの、その幅は前年度に比べ減少し、単年度収支では、前年度に引き続き一億〇六〇〇万円の赤字となった。同年度末の県債の残高は、二二三九億円に達し、その償還、利払費は三二八億円にのぼった。
同年度の当初歳入予算に占める一般財源の割合は、52.6パーセントであり、また自主財源は27.5パーセントであった。
なお、同年度の人事委員会勧告を完全に実施するためには七四億円の財源が必要であり、不実施分の実施のためには五一億円が必要であった。
(3) 昭和五三年度から昭和六〇年度までの実質収支、単年度収支、実質単年度収支、財政調整基金残高、県債残高、経常収支比率、実質収支比率、公債費比率、財政力指数に関する県における財政状況の推移は別紙「大分県の財政状況」のとおりである。
昭和五七、五八年度の実質収支の黒字額は、昭和五三年度から昭和五五年度までの三分の一程度に減少し、単年度収支は、昭和五五年度から連続した赤字が続き、実質単年度収支(単年度収支から基金への積立額、基金取崩額などの実質的な黒字、赤字要素を控除したもの)は、昭和五六年度は八億二〇〇〇万円の赤字、昭和五八年度は六億九一〇〇万円の赤字であり、昭和五七年度は九八〇〇万円の黒字であったものの、黒字幅は、昭和五三年度から昭和五五年度に比較して大幅に減少している。
経常収支比率(義務的経費を構成する人件費等のように政策的に変化させにくい経常的経費の総額が地方税等自由に使える経常一般財源に占める割合をいい、財政構造の弾力性を示す指標)は、昭和五七年度が76.6パーセント、昭和五八年度が81.7パーセントで、全国平均の75.7パーセント、79.3パーセントに比較して高かった。
公債費比率(義務的経費のなかでも特に裁量の余地のない公債費に支出された一般財源が一般財源総額に占める割合)は、昭和五〇年度からほぼ一貫して上昇し、昭和五七年度が10.8パーセント、昭和五八年度が11.0パーセントであり、全国平均の8.5パーセント、9.5パーセントに比較して高く、前記のとおり公債費残高は昭和五八年度末には二二三九億円にのぼった。
財政力指数(地方交付税法の規定により算定した基準財政収入額を基準財政需要額で除して得た数値の過去三か年間の平均値をいい、地方公共団体の財政力を示す指標)は、0.32で0.48の全国水準を大きく下回るものであった。
財政調整基金(地方公共団体における年度間の財源の不均衡を調整するため、地方自治法二四一条に基づいて設けられる基金)の残高は、昭和五六年度から五八年度までの各年度末で、一一三億七〇〇〇万円、一一六億八〇〇〇万円、一一一億円であり、昭和五九年度ないし六一年度の積立額が八億三〇〇〇ないし七〇〇〇万円であったのに対し、昭和五九年度から六一年度までの取崩額が四億六〇〇〇万円、二七億三〇〇〇万円、二一億四〇〇〇万円であった。
減債基金(公債費の償還を計画的に行うための資金を積み立てる目的で地方自治法二四一条に基づいて設けられる基金)の残高は、昭和五七年度末で六〇億八四〇〇万円、昭和五八年度末で六八億二二〇〇万円であった。
(三) 以上の事実によれば、昭和五七年当時の国の財政は、公債の発行残高が九〇兆円(うち赤字公債が四〇兆円)を越え、依存度も約三〇パーセントにも達し、しかも約六兆円にのぼる巨額の歳入不足の問題が生じる等危機的な状況にあったものということができ、昭和五八年度も依然として大幅な収支不均衡の状態にあり、公債発行残高も一一〇兆円(うち赤字公債四七兆円)にも達するという厳しい財政事情にあったものということができる。このような赤字公債への高度な依存が膨大な公債の利払、償還に追われ、財政の硬直化を招き、国民生活の安定と経済の発展のため貢献するという財政本来の役割が果たせない等の弊害があることは明らかであり、一刻も早くこのような高度な赤字公債への依存から脱却し財政を再建することは当時の緊急な国民的課題であったというべきである。また、当時の地方財政も地方税や国から交付される地方交付税の減収等であわせて三兆円に近い巨額の財政不足が見込まれ、これに対処するために減収補てん債の発行、交付税特別会計の借入による交付税総額の確保などの措置が講じられる等厳しい財政事情にあったものである。そして、自主財源に乏しく財政基盤の弱い県においても、事情は同様であり、実質単年度収支が一部黒字であるなど、他の年度に比較して財政状況を示す指標のすべてにおいて財政事情の悪化を示すものではないものの、単年度収支は連続した赤字で、経常収支比率、公債費比率とも全国平均より高く、財政の弾力性を欠くとともに、県債の累積も昭和五八年度末で二二三九億円にも達し、財政力を示す指数である財政力指数に至っては、全国水準を大きく下回る等その例外ではなかったというべきである。
(四) 被控訴人らは、昭和五七年度の約六兆円にのぼる巨額の歳入不足は、税収を意図的に過大に予測した人為的に作られた虚像にすぎないと主張し、当審証人宮入興一はこれに副う証言をするが(甲三五三も同旨)、元来税収予測は、経済情勢の変動などにより困難であるうえ、昭和五七年度当初予算案が国会に提出される昭和五七年一月の時点で確定している税収は昭和五五年度分であり、このときの税収は前年比13.23パーセント増であり、税収の大幅減収を予測できる状況ではなく、また、このような食い違いは過去においてもしばしば生じたものであること(甲三三二、三三四、三三七、乙一四六、一四七、一五三、弁論の全趣旨)に照らせば、右証言等はにわかに採用できないし、他に、右主張事実を認めるに足りる的確な証拠はない。
また、被控訴人らは、県債の償還には、国が相当程度の責任を負っているのであるから、県債残高、その負担率の増大は、決して県財政を圧迫するものではなかった旨主張するが、県では、社会資本の整備状況が他県に比較し遅れていたため、普通建設事業費への支出の割合が高く、そのための県債の発行高も増大していたところ(乙一三八の1ないし3、一三九の1、2、一四〇、一六六の1、2、当審証人保母武彦、弁論の全趣旨)、このような公共事業債の場合は、地方交付税交付の際には原則として考慮されない(乙一三〇)うえ、前記のとおりの国の厳しい財政事情に照らせば、右主張は、失当というほかない。
4 以上の事実関係に基づき、代償措置としての人事院勧告等制度が迅速公平に本来の機能を果たさず実際上画餅に等しいとみられる状態が生じたかについて検討する。
(一) 確かに、人事院勧告が昭和五七年度にはその実施が見送られ、昭和五八年度にはその一部が実施されるに止まったことは、財政非常事態宣言等前記二度にわたる鈴木内閣総理大臣の発言にみられるように、それ自体極めて異例の事態であったということは否定することはできない。
しかし、人事院勧告は、当初はともかく、昭和三五年度から昭和四四年度までは、実施時期が一ないし五か月遅れたことがあるものの、実施がされ、昭和四五年度から昭和五三年度までは完全に実施され、「慣熟した慣行」と評されるまでに至っていたこと、昭和五四年度から昭和五六年度までも前示のような一部実施時期の遅れ等の事情もあったが、完全実施に準じ実施されていたということができること、昭和五七年度には完全凍結されるに至ったが、このような事態について、前記のとおり鈴木内閣総理大臣は、今後もこのような措置が繰り返されないように努力をする旨の談話を発表し、政府として人事院勧告制度を今後共に尊重し、堅持することを明らかにし、現に、昭和六〇年度までには、前記のとおり、右凍結分、不実施分についても既に回復され、昭和六一年度以降は完全実施されており、これらの事情は県人事委員会の勧告についても同様であったことは前記認定のとおりである。
そして、昭和五七年度当時の国の財政は、前記のとおり、公債の発行残高が九〇兆円(うち赤字公債が四〇兆円)を越え、依存度も約三〇パーセントにも達し、しかも約六兆円にのぼる巨額の歳入不足の問題が生じる等危機的な状況にあったものであり、昭和五八年度も依然として大幅な収支不均衡の状態にあり、公債発行残高も一一〇兆円(うち赤字公債四七兆円)にも達するという厳しい財政事情にあったものである。このような、財政事情及び財政の赤字公債依存体質から脱却し、財政再建を図ることは当時の焦眉の国民的課題であったということができることに照らせば、そのためには負担の適正化とともに歳出規模の抑制を図る必要があり、その一環として、国民の理解を得るためにも、公務員の給与の抑制を率先して行うことは真にやむを得なかったというべきである。また、前記認定の県の財政状況に照らすと、国以上に財政基盤の弱い県においても基本的にはその事情は異ならなかったものというべきである。
以上の諸点からすれば、右両年度において人事院勧告等を凍結ないし修正したことはやむを得なかった事態であり、合理的な理由があるというべきである。
(二)(1) 被控訴人らは、本件ストライキ当時、人事院勧告等の実施については将来への明確な展望がないままに昭和五八年度の人事院勧告も実施されない状況にあった旨主張する。
しかし、人事院勧告等の実施状況は前示のとおりであるところ、昭和五七年度の人事院勧告の凍結に際しても、内閣総理大臣は、政府として人事院勧告制度を今後共に尊重し、堅持することを明らかにし、現に、昭和六〇年度までは、右凍結分、不実施分についても既に回復され、昭和六一年度以降は完全実施されており、これらの事情は県人事委員会の勧告についても同様であったことは前記認定のとおりであること、昭和五七年度及び昭和五八年度の人事院勧告等の凍結ないし一部不実施にはやむを得ない合理的な理由が存することなどからすれば、被控訴人らが主張するように、昭和五八年度勧告の実施の具体的内容については交渉過程において結局明らかにされなかったような経緯があるとしても、本件ストライキ当時において人事院勧告等の実施について将来への明確な展望のないままに放置されたものと認めることはできず、人事院勧告等が実施されないことをもって代償措置が本来の機能を果たさず、実際上画餅に等しいと見られる状態にあったとの主張は採用できない。
(2) また、被控訴人らは、人事院勧告等を実施するに足りる財源は存したとか、次のような財政上の措置を講ずれば、その完全実施は可能であったにもかかわらず、国ないし県はそのための最大限の努力をしなかったために、代償措置がその本来の機能を果たすことができなかった旨主張する。
先ず、被控訴人らは、昭和五八年度は、税収の欠陥はなく、国において、約一兆円の剰余金があったから人事院勧告の実施は可能であったと主張し、原審証人鷲見友好及び当審証人宮入興一はこれに副う証言をするが、前記認定のとおり、税収自体は当初予算よりわずかに増加するに止まったばかりでなく、右剰余金(会計年度の歳入歳出の決算上生じる剰余の金額、財政法四一条)が判明したのは、翌年の夏以降であったもので、年度途中で、ある程度の剰余金が生じることがありうると予想できたとしても、確定的なことは明らかではないのであるから、右主張は結果論ともいうべきものであり採用の限りではない。
また、被控訴人らは、年度途中でも前記特別対策費二兆一五〇〇億円の一部など他の財源を充てるなどのやりくりが可能であったとも主張し、これに副う前記証人鷲見友好らの証言が存するが、右特別対策費は赤字補てん対策のためであるから、これを人事院勧告実施の財源とすることができないことは明らかであり、他にも財源はあった旨の主張の点については、これを認めるに足りる的確な証拠はない。また、公債の発行でまかなうべきであるとの主張は、当時の赤字公債依存体質から脱却し、財政再建を図ることが緊急の国民的課題であった経済的、社会的、政治的情勢の下において、他の公共的要請に優先させて公務員の給与改善を図るために公債を発行することが有効、適切な方策であるとは到底解し得ないのであって、これが理由がないことはいうまでもない。
被控訴人らは、県人事委員会の勧告を完全実施するためには、昭和五七年度では約二八億円、昭和五八年度には約三九億円を追加しなければならないところ、この程度の額は、予算科目の款、項から流用して補正することは困難なことではないし、また、一般財源に繰り入れることができる財政調整基金(昭和五七年度約一一六億円)や減債基金(同約六〇億円)からの繰り入れによっても十分に対処することが可能である旨主張し、これに副う甲三一四、三一五、当審証人保母武彦の証言が存する。しかし、右流用の点は、予算の執行の原則からはずれるものであるし(地方自治法二二〇条二項)、議会の議決があれば可能であるとしても、当時の県議会の状況等に照らせばその可能性はほとんどなかったものというべきであるし(弁論の全趣旨)、減債基金については、もともと公債の償還等に充てられるものであってこのような目的で取り崩すことはできない性質のものであり(地方自治法二四一条三項、大分県減債基金条例、乙一一七)、財政調整基金も県財政の健全な運営に資するため将来の予測しがたい歳出に備え、その処分も県財政調整基金条例により厳格に制限されている(乙一一六)ものであるうえ、昭和五七年度、昭和五八年度の人事委員会勧告を完全に実施するためには約九〇億円の追加財源を要するところ(乙一六六の1、弁論の全趣旨、計六七億円の追加で足りる旨の前掲甲三一五等は、義務教育にかかる教職員の給与などの二分の一を国庫負担とするが、国立学校教員の給与水準のもとにその最高限度を政令で定めるとしている義務教育費国庫負担法との関係で、県独自に勧告の実施を行ったとしても、この分が国庫負担となるのか疑問であるから、採用することはできない。)、これを右財政調整基金から繰り入れたとすれば、前記の積立額、取崩額に照らし、昭和六一年度途中でその残高は零となってしまい、直後の財政運営が破綻する結果となってしまうことになる。
そして、前記のとおり、昭和五七年度、昭和五八年度における人事院勧告等の凍結ないし一部不実施は、当時の国や県の財政事情等からやむを得ないものであったというべきであるから、財政上も人事院勧告等の実施が可能であるにもかかわらず、当局側がそのための最大限の努力を行わなかったから、代償措置が本来の機能を果たさず、実際上画餅に等しいと見られる状態にあったとの右主張は採用できない。
なお、被控訴人らは、県が昭和五七年度及び昭和五八年度の県人事委員会勧告についてその凍結ないし一部不実施の対応をしたことは、専ら国の財政上の圧力によるものである旨主張するが、県が右の対応をせざるを得なかったのは、前記認定のとおり、県自身の厳しい財政事情によるものであってやむを得ないことであったばかりでなく、地方公務員の給与は、地公法上、生計費並びに国及び他の地方公共団体の職員並びに民間事業の従事者の給与その他の事情を考慮して、条例で定める旨規定され(同法二四条三、六項)、被控訴人らの公立学校の教育公務員の給与の種類及びその額は、当分の間、国立学校の教育公務員を基準として定めると規定されている(教育公務員特例法二五条の五)という点からしても、県が国の人事院勧告の実施状況を考慮することが不当であるということはできないし、他に被控訴人らが主張する国による財政上の不当な圧力によるものであると認めるに足りる証拠もない。
(三) 以上のとおり、人事院勧告等が昭和五七年度では凍結され、昭和五八年度には一部実施に止まったことをもって、労働基本権制約に見合う代償措置としての人事院勧告等が本来の機能を果たさず実際上画餅に等しいとみられる状態が生じたものということはできない。
したがって、右の状態が生じたことを前提とする被控訴人らの適用違憲の主張は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。
五 懲戒権の濫用(再抗弁2)の主張について
1 公務員に対する懲戒処分は、単なる労使関係の見地においてではなく、公務員が国民(住民)全体の奉仕者として公共の利益のために勤務することをその本質的な内容とする勤務関係の特殊性の見地から、公務員としてふさわしくない非行がある場合にその責任を確認し、公務員関係の秩序を維持するために科される制裁であるところ、地公法は、同法所定の懲戒事由(二九条)がある場合に、懲戒権者が懲戒処分をすべきか、また、懲戒処分をするとしていかなる処分を選択すべきかについては具体的な基準を設けていないので、懲戒権者は、懲戒事由に該当すると認められる行為の原因、動機、性質、態様、結果、影響のほか、当該公務員の右行為の前後における態度、懲戒処分などの処分歴、選択する処分が他の公務員及び社会に与える影響など、諸般の事情を考慮して、懲戒処分をすべきかどうか、また、懲戒処分をする場合にいかなる処分を選択すべきか決定できるものと考えられるから、その判断は、平素から庁内の事情に通暁し、部下職員の指揮監督の衝に当たる懲戒権者の裁量に委ねられていると解するのが相当である。したがって、裁判所が右処分の適否を審査するに当たっては、懲戒権者と同一の立場に立って懲戒処分をすべきであったかどうか又はいかなる処分を選択すべきであったかを判断し、その結果と現実に科せられた懲戒処分とを比較してその適否を論ずるものではなく、懲戒権者の裁量権の行使に基づく懲戒処分が社会観念上著しく妥当を欠き、裁量権を濫用したものと認められる場合に限り違法と判断すべきものである(最高裁第三小法廷昭和五二年一二月二〇日判決、民集三一巻七号一一〇一頁参照)。
2 ところで、前記認定の事実、証拠(甲三六、四二、四四ないし四七、四九、五〇、五二ないし六一、七一、七二の1ないし3、七三の1、2、七九、八三、九七の1、2、一六七、一七〇ないし一七七、一七八の1、2、一七九、二二三、二二六、二二八、二八六、乙二三ないし三六、四二ないし四五、九〇ないし九二、九五ないし一〇二、一一九、一七三、原審証人江藤匡一、同吉山和人、同高山三雄、同岡村憲次、同嶋津文雄、同手島誠一、原審・当審被控訴人南征一郎)及び弁論の全趣旨によれば、本件各懲戒処分に至る経過等について次のとおり認められる。
(一) 県教組及び高教組の両教組は、昭和四一年以来、ほぼ毎年度人事院勧告完全実施、春闘、主任制度化阻止等を目的として、ストライキを行ってきたが、控訴人は、従来、同一年度の数回のストライキに対し、年度末にまとめて一括処分をするとともに、基本的には、懲戒処分は執行部責任にとどめ、いわゆる単純参加者は文書訓告にすることを通例としていた。
昭和五三年ころから、自民党等の与党議員をはじめとして県議会でストライキに対する批判が高まるようになったため、控訴人は、昭和五六年四月ころ、九州各県の処分基準の調査に基づいて、従来の基準を見直し、個々のストライキごとに処分をするとともに、一時間以上の単純参加者についても文書訓告にとどめず、懲戒処分の対象とすることを決め、同年四月二三、二四日に予定されたが実行には至らなかったストライキに先立ち、事前に両教組の執行委員長宛の警告書に、争議行為を行った者については厳正な措置をもって臨む旨付記し、以後も同様とした。
控訴人は、同年六月四日の始業時から一時間のストライキ(公務員二法阻止目的)に対し、年度内である同年一〇月一一日、減給九名(四か月一名、三か月、一か月各四名)、戒告二八七名、計二九六名の懲戒処分(他に文書訓告八一四五名)をし、年度末の一括処分方式の慣行は改められたものの、懲戒処分の対象は、本部・支部役員にとどまった。これ以来、訓告書中にも前記警告書同様の警告文が記載されるようになった。
控訴人は、指定職等を除く一般職についても期末勤勉手当が旧ベースで支給され人事院勧告完全実施がなされなかった昭和五六年一一月二五日の人事院勧告完全実施を求める終業時二時間のストライキ(参加者九〇六三名)に対し、昭和五七年三月三一日、減給一一名(四か月一名、三か月四名、一か月六名)、戒告八九六名の懲戒処分をし、その対象者の範囲を分会長クラスまで拡大したものの、それ以外の単純参加者に対しては処分は保留した。
控訴人は、昭和五七年一二月一六日の同年度の人事院勧告凍結反対の始業時二時間のストライキに対し、昭和五八年六月三〇日、減給五名(三か月三名、一か月二名)、戒告八八六名の懲戒処分をし、その他八一四四名に対し、文書訓告をした。右処分に際しては、再三の警告を無視して実行されたのであるから、単純参加者に対しても厳しい基準を適用すべきであるとの意見も強かったが、両教組執行委員長及び控訴人委員長、教育長との間で、今後ストライキについては慎重に対応していく旨の確認が得られたうえ、同年四月一五日に予定されていたストライキが中止されたことから、前回処分が保留されていた昭和五六年一一月二五日のストライキへの単純参加者についても文書訓告とされるにとどめられた。
ところが、同年七月一八日、一九日に開催された県議会において、右各ストライキの参加者全員に対し処分をしなかった点について、当時の髙野控訴人委員長が、両教組との関係などから両執行委員長との間の右確認事項には触れずに、大分県の事情を考慮して独自の判断で行ったものである旨弁明したところ、この発言を巡って、髙野委員長は、辞意を表明するとともに、一九日夜、従前の経過及び右議会の経緯を踏まえ重ねてストライキを行った者に対しては従前より厳しい措置をもって対処していく旨答弁し、事態は収拾された。
同年一〇月七日に本件ストライキが実施されたが、控訴人は、これに先立ち、前記と同様の警告書を交付した。
本件ストライキ後、各校長及び県内の市町村教育委員会(以下「地教委」という。)は、両教組の強力な要請行動に基づき、同年度の人事委員会勧告の完全実施等とともに、処分を強行しない旨の具申書及び内申書を、地教委ないし控訴人に提出した。
控訴人は、その後、地教委に対し改めて右とは異なる内申書の提出を求め、それが提出された後の昭和五九年一月一五日、教育委員会を開催し、前記県議会の委員長答弁を受けて、本件ストライキに参加した九二八七名を対象とし、九一二〇名に対し懲戒処分(減給六名、戒告九一一四名)、一六七名に対し文書訓告(児童生徒との直接接触のない用務員等の現業職員が大半であり、教員については概ね参加一時間以内のもの)を、同月一七日付で行うことを決定した。
なお、右本件ストライキとの統一ストライキには日教組関係で、一四道県教組、一四都県高組(高校単独参加を含めると二一都道県)が参加したが、これらのストライキに対する処分として、単純参加者をも対象に処分まで行った都道府県は、沖縄県を除く九州各県以外では、石川県、広島県で、その他は幹部処分にとどまった。
(二) 県においては、人事院規則にならい、いわゆる勤務成績判定期間中に、停職、減給又は戒告の処分があった者については、勤務成績について監督する地位にある者の証明が得られないものとして取り扱われ、そのことから、結果的には、懲戒処分には昇給時期の延伸が伴うことになる。
本件各懲戒処分は、昭和天皇の崩御に伴う大赦令及び復権令の公布施行により、将来に向かって免除されたが、平成元年二月一四日付の文部省教育助成局長の通知により、懲戒処分に伴い昇給が延伸された者の給与上の取扱については、一切影響を与えないものとされたため、被控訴人らに対する昇給延伸の効果は存続している。
3 そこで、本件各懲戒処分が社会通念上著しく妥当を欠き、裁量権を濫用したものと認められるかどうかについて判断する。
(一) 先ず、被控訴人らは、本件ストライキは、労働基本権制約に見合う代償措置としての人事院勧告が実施されず、その機能を果たしていないことに対して実施されたものであること、しかも、被控訴人らは、本件ストライキの態様が単純な不作為にとどまり、その影響も、被控訴人らによるその防止のための努力により殆ど皆無であり、保護者らからも抗議などもなかったこと、さらに、被控訴人らは、本件各懲戒処分により昇給延伸となり、相当程度の経済的不利益を被るのであるから処分は苛酷であることからすれば、本件各懲戒処分は、比例原則、公正原則ないし信義則に反する旨主張する。
(1) 確かに、人事院勧告制度は、前記のような労働基本権制約に見合う代償措置としての諸制度の中で重要な位置を占めているのであるから、その機能が十分に果たせるように運用されるべきである。しかし、前記のとおり、地公法は争議行為を禁止し、また、昭和五七年度及び昭和五八年度の人事院勧告の凍結ないし一部実施は、財政事情というやむを得ない合理的な理由によるものであり、本件ストライキ当時、地方公務員に対する代償措置がその本来の機能を失っていたとまではいうことはできないのであるから、本件ストライキは違法な行為である。
(2) 本件ストライキは、参加教職員数は当時の教職員数の78.4パーセントに当たる九二六九名に上り、参加学校の割合は99.4パーセントにも及ぶ規模で、前記認定の時間帯で行われたもので、学校教育の正常な運営が阻害され、公立学校の児童生徒の教育を受ける権利が侵害されたことは明らかであり、前記四2で認定したように、自習等により授業の遅れは回復でき、保護者らからの抗議などはなかったとしても、本件ストライキによる一時的な教育の停滞が児童生徒に与えた教育上ないし精神的影響は否定できないのである。したがって、本件ストライキの影響を殆ど皆無ないし軽微であったということはできない。
(3) また、被控訴人らは、本件各懲戒処分により昇給延伸の措置により、その試算では、四〇歳の教員が三か月間昇給を延伸された場合、退職時まで約一〇〇万円の損失が生じることになり、退職手当、年金などを含めるとさらに右損失は拡大する旨主張するのであるが、職員が当然に昇給する権利を有しているわけではなく、また、懲戒処分の一種である戒告自体について昇給時期の延伸がその効果として当然に伴うものでもなく、給与制度上の措置にすぎず、しかも、被控訴人らは、控訴人によるストライキ参加の場合に単純参加者といえども処分を行う旨の警告を事前に受けていたのである。したがって、本件各懲戒処分が苛酷な処分であるということはできない。
以上の諸事情を考慮すれば、被控訴人らの比例原則違反、公正の原則ないし信義則違反の主張はいずれも採用できない。
(二) 被控訴人らは、本件各懲戒処分に際しては、他からの圧力があり、控訴人はそれによって本件各懲戒処分をした、他事考慮の違法がある旨主張する。
しかし、控訴人は、前記2(一)認定のとおり、昭和五六年ころから、九州各県の処分基準等を調査し、既に単純参加者をも含めた処分方針を策定していたが、両教組との信頼関係やその他の諸般の事情を考慮してその実施にまでは至っていなかったというべきであるから、突然他からの圧力によって処分基準を変更して本件各懲戒処分を行ったものと認めることはできない。したがって、被控訴人らの右主張も採用できない。
(三) 被控訴人らは、本件ストライキが代償措置である人事院勧告が実施されないという異例な事情の下で行われたものであるから、仮に本件ストライキが地公法三七条に違反するものであるとしても、このことは、懲戒処分に際しては、懲戒権を抑制すべき要素として慎重に考慮されるべき事項であるところ、本件各懲戒処分に際しては、右の事情は何ら考慮されていない違法がある旨主張する。
(1) 先ず、別紙被控訴人目録番号二番ないし一八番、二〇番ないし二三番、二五番ないし二七番の被控訴人らについて検討する。
前記のとおり、労働基本権制約に見合う代償措置がその本来の機能を失っていたとまではいえず、本件ストライキは違法な行為であること、本件ストライキは、当局の事前の警告を無視して、県下の教職員数の78.4パーセントに当たる九二六九名の者が参加し(参加学校は99.4パーセント)、極めて大規模に実施されたものであり、その与えた影響も決して軽視できないものであることに加え、右被控訴人らは、原判決別表(一)、(二)記載のとおり、県教組、高教組の本部執行委員会の役員ないし県教組の支部書記長として本件ストライキの実施に際し、それぞれの立場で実行を計画し、右ストライキに向けて各組合員に対し、指示、オルグ活動などにより、働きかけるなどして積極的に関与し、指導的役割を果たしたもので、その行為は、地公法の禁止する争議行為を共謀し、そそのかし、又はあおったものとして、刑事処罰の対象ともなりうるもので、単純参加者に比較してその責任は明らかに重いことなどを考慮すると、なるほど人事院勧告が「慣熟した慣行」ともいわれるほどの定着し、その勧告どおりに給与が改善されるものとの期待は、それ自体合理的なものであるといえ、本件ストライキがそのような人事院勧告が実施されないという異例な事情の下で、その完全実施を求めて行われたものであること、被控訴人らにおいては本件ストライキの授業への影響を少なくする努力をしていたことなどの事情を考慮に入れても、控訴人が右に掲記の被控訴人らの地位、役割に応じ、減給三か月から戒告までの同人らに対してなした本件各懲戒処分が社会観念上著しく妥当を欠いて裁量権の範囲を逸脱し、これを濫用したものとまで断じることはできない。
(2) (1)掲記の被控訴人らを除く被控訴人らについて検討する。
前記のとおり、労働基本権制約に見合う代償措置がその本来の機能を失っていたとまではいえず、本件ストライキは違法な行為であること、本件ストライキは、右のとおり極めて大規模に実施されたものであること、右被控訴人らは、いわゆる単純参加者として処分を受けているものであるが、前記2(一)認定のとおり、控訴人は、昭和五六年には、ストライキに対しては、単純参加者をも含めて処分する旨の基準を策定し、両教組及び教職員に対してはストライキが行われる都度その旨の警告をしていたが、昭和五六年一一月二五日及び昭和五七年一二月一六日に行われた人事院勧告の不実施に対するストライキに際しては、結局単純参加者に対しては文書訓告に止め、地公法上の処分を行わなかったことなど、従来のストライキに対する処分がかなり謙抑的に行われていたのであるが、被控訴人らにおいては、控訴人から改めて単純参加者も処分の対象となる旨の事前の警告や職務命令を受けながら、これに反して、職場を離脱し、職務を放棄し本件ストライキに参加したこと、その与えた影響も軽視できないものであること、右被控訴人らに対する本件各懲戒処分は懲戒処分の中で最も軽い戒告に止まっていることなどの諸事情を総合考慮すると、人事院勧告制度の重要性及び本件ストライキが「慣熟した慣行」といわれる人事院勧告が実施されないという異例の事情の下で、その完全実施を求めて行われ、右被控訴人らは右ストライキに基本的には単純に参加したにすぎないことなどの前記事情を考慮に入れても、その処分が社会観念上著しく妥当性を欠くものとまでは認めることはできない。
(3) 以上のとおりであるから、被控訴人らの要考慮事項不考慮の主張も採用できない。
六 以上によれば、被控訴人らの請求はいずれも理由がない。
第五 よって、被控訴人らの請求を認容した原判決は不当であるから、これを取り消し、被控訴人らの請求をいずれも棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官・吉原耕平、裁判官・石村太郎、裁判官・金光健二)