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福岡高等裁判所 平成8年(う)346号 判決 1997年12月04日

主文

本件控訴を棄却する。

理由

一  本件控訴の趣意は、検察官後藤雅晴作成名義の控訴趣意書に記載されたとおりであり、これに対する答弁は、弁護人一瀬悦朗提出の答弁書に記載されたとおりであるから、これらを引用する。

本件は、被告人が、平成五年二月一四日午前三時三〇分ころ、被告人方自宅において、その妻A子(当時四三歳)、長女B子(当時一七歳)及び長男C(当時一〇歳)に対し、それぞれその頭部を金属バットで数回殴打する暴行を加えて気絶させたうえ、その身体付近に灯油を撒いてこれにライターで点火し、そのころ右三名が現に住居に使用する自己所有の木造セメント瓦葺二階建居宅(床面積合計約七六・七一平方メートル)を全焼させて焼燬するとともに、妻子三名を焼死させて殺害したという事犯であるところ、所論は、要するに、原判決は、検察官が死刑を求刑したのに対して被告人を無期懲役に処したが、本件事案の内容に照らせば、被告人に対しては死刑をもって臨むのが相当であるから、原判決の量刑は軽すぎて不当である、というのである。

二  先ず、本件犯行及びこれに至る経緯の概要について、関係証拠によれば、次のとおり認められる。

1  被告人は、佐賀県武雄市の県立高校を卒業後、証券会社、土木建築会社、ボイラー修理・販売会社に勤務したのち、昭和四七年ころ独立してボイラーの修理、販売業を始め、昭和四八年秋妻A子(昭和二四年九月一二日生)と結婚し、昭和五〇年九月二三日長女B子を、昭和五七年八月二七日長男Cをもうけたが、Cは妊娠七か月の未熟児として生まれた。

2  被告人は、Cが、二、三歳になっても言葉をしゃべることができなかったため、昭和六〇年一一月児童相談所に赴いて相談したところ、一歳半程度の理解力しかない精神障害児と判定されたことに衝撃を受け、精薄児施設(昭和六一年四月ころから昭和六二年一月ころまで)や言語障害児練習センター(昭和六一年四月ころから昭和六二年一一月ころまで、及び、平成二年一一月ころから平成四年一〇月ころまで)に通所させて機能改善に努めるとともに、昭和六二年末ころからは、宗教団体甲野会に入信し、毎月滋賀県の本部に赴いて研修を受けたり、およそ三年間の間に五〇〇万円を超える額の献金をするなどして信仰に励んだが、全く改善の兆しがみられなかったため、平成三年春には脱会するに至り、その間、昭和六三年には、Cが交通事故に遭って受傷した際、医師から水頭症の診断を受け、これがCの精神遅滞の原因であれば手術によって治癒するのではないかと一抹の期待を持ったが、医師から水頭症と言語障害等の間に因果関係はない旨告げられてひどく落胆した。Cは平成元年四月小学校(養護学級)に入学しても、登下校には親の付添いを必要とする状態にあり、被告人は、身体が大きくなっても、言葉を発することができず、ただ無意味に大声を出して動き回るだけのCを哀れに思い、生涯介助なしでは生活していくことのできないCの将来を思うと不安が募るばかりで、そのためかえってCの将来に関しては禁句として夫婦間で話題とされることはなかったが、A子に対しては、Cが障害を持って生まれてきたのは、自分の注意を聞かずに妊娠中バイクを乗り回していた妻に責任があるとの思いが内心のわだかまりとして残っていた。被告人は、他方、生来世話好きの性格に加え、Cが将来誰かの世話にならなければ生きていけない状態であるから、まず自分が人のために尽くすべきだと考え、地区の子供会の会長やソフトボールチームの監督を引き受けるなど、子供会やPTA活動に積極的に参加していた。

3  一方、B子は、学習塾に通い始めた平成元年九月ころから、生活が乱れ始め、平成三年四月、私立高校に入学したのちも、遅刻、欠席、校則違反、夜間外出、外泊等の問題行動を繰り返し(なお、B子はシンナー吸入にも及んでいたが、被告人にその認識はなかった。)、被告人やA子が叱っても一向に改まらず、家庭内でも、親の注意を聞かず平気で長電話をし深夜に及んでも友人と話し込むなど、ますますその生活は乱れ、しばしばA子が学校から呼び出されて注意を受けていたほか、平成三年九月喫煙により警察に補導され、同年一〇月には無断外泊により五日間の停学処分を受けた。なお、被告人は、B子の行状に心を痛めつつも、学校からの呼出し等に対する対応はA子に任せきりにしており、そのことがA子の不満の種となり、しばしばA子から文句を言われていた。

4  ところで、被告人は、平成三年七月ころ、行きつけのスナックでホステスとして働いている女性(以下「愛人」という。)と出会い、同年一一月に肉体関係を持った。被告人は、A子との淡泊な夫婦関係と異なり、喜びを露わに表現する愛人との関係に快楽を覚え、これを忘れることができなかったうえ、家庭が面白くなかったこともあって、愛人との関係にのめり込み、以後仕事の時間が空けば電話で連絡をとり、連日のように会って関係を結ぶようになり、平成四年二月には、自己名義でマンションを借りてやり、その家賃を支払い鍵を預かって、時間が空けば愛人方に自由に出入りして関係するほか、夕方愛人がスナックに通う際には、車で店まで送っていた。その間、被告人は、愛人に衣類、家具等を買い与え、天草と唐津・平戸方面に二度にわたる旅行を楽しみ、愛人が妊娠し中絶したのを機に、愛人から求められるまま、平成四年六月パイプカットの手術を受けた。

5  他方、家庭内において、B子の行動は依然として改まることなく、平成三年一二月には深夜徘徊で補導され、翌四年には、成績不良のため高校二年で進学できないことが明らかとなったので、同年三月退学し、四月から専門学校に通学することになったが、その後もB子の夜間外出、外泊等はひどくなるばかりであった。被告人は、右専門学校がいわゆる落ちこぼれの生徒が通う学校であると聞いて、情けない気分となり、B子に対し、もはやどうでもいいという気持ちになったものの、折にふれ、A子に対して「B子のことをちゃんとしろ」などとB子のしつけを正すよう求めると、A子が「いくら言ってもきかん。」と反発して喧嘩となるのが常であった。被告人は、愛人との関係にのめり込む一方、CやB子の将来に希望が持てず、A子とは口論が絶えなかったことから、家庭を負担に感じ、平成四年六月ころ、A子に離婚話を持ちかけたところ、A子が顔色を変え「何言っとるん。Cはどうするんね。」と言って怒りだし、被告人の実家に電話をして訴えるなどしたため、離婚するのは無理だと考えて思いとどまったが、その後、夫婦の仲は更に悪化し、A子との間も口を開けば喧嘩をするという状態に陥った。そこで、同年九月、被告人は、再びA子に対し離婚話を切り出し、「お前の顔なんか見たくない。B子があんな不良になったのは、お前がちゃんとしつけないからだ。Cも、妊娠中に身体を大事にせんからあんなになったんだ。」と非難したことから口論となり、A子は実家に家出する事態となったが、数日後に帰宅して、離婚話は立ち消えとなった。

6  愛人との仲は、平成四年九月ころまでは順調であったが、同女は、次第に、被告人が約束を守らないとして非難し、頻繁に来訪してもさしたる会話もなく座ってテレビを見るだけの被告人に、疎ましさを感じるようになり、同年一〇月ころからは、両者の間に重苦しい雰囲気が続き、愛人も被告人に冷淡な態度をとるようになった。被告人は、同年一一月一四日、愛人の気持ちを確かめたいと思い、同女が拒否することを期待しながらも、「別れようか。」と切り出したところ、予期に反して愛人が即座に同意したため、別れ話を持ち出したことを後悔し、同女にすがってやり直そうと懇願したが、同女がこれを受け容れず、結局部屋の鍵を返して、一たんは同女と別れることとなった。その後、被告人は、数度愛人に電話をして翻意を懇請したが、同女から拒絶されたため、愛人を諦め、妻とやり直すほかないと考え、翌一五日、A子に対し「ごめんな。これからちゃんとやり直すから。今までのこと悪かった。」と謝罪し、久しぶりに妻と団欒したものの、愛人に対する未練を断ち切ることができず、およそ一週間後には、同女に連絡をとったことから、再び同女との付き合いが復活した。しかし、同女の態度は冷淡なもので、被告人は、同女を受取人とする傷害保険に加入して、その歓心を買おうとしたが、以前のような親密な関係に戻ることはなく、時に肉体関係を結んでいたものの、おおむね、被告人が同女方を訪ねても、同女は黙って招き入れるだけで、会話もなく、店に出る時間が来れば、被告人が同女の素振りを見て立ち上がり、同女をスナックに送っていくというだけの関係を続けていた。

7  被告人は、愛人に冷たい態度をとられても同女を放したくないと思う一方、家庭内において、自己の行状を一向に改めないB子や、B子の行状に関して被告人と口喧嘩の絶えないA子に対して、やがて怒りを覚えるようになり、また、Cの将来に対する不安が加わって、家庭を煩わしく感じるようになり、平成五年一月中旬ころ、愛人と肉体関係を持って朝帰りした際、A子から「あんた、前と変わってないやないね。」といかにも軽蔑したように妙にさめた言い方で非難されたことから、「家族がいなくなればどんなに楽か。一人になりたい。」との観念に捕らわれるようになり、同年二月になってからは、就寝時に、漠然と「一人になるには妻子を殺すしかない。」と考えたりしたが、結局妻子を殺すことなどできるものではないと自ら否定して、眠りに就くようになっていた。

8  同月一三日、被告人は、いつものように愛人をスナックに送って行った際、翌日のバレンタインデーに愛人方を訪れていいかと尋ねたところ、すげなく断られてしまったため、前年のバレンタインデーの際とはすっかり様変わりしてしまった同女の態度に意気消沈し、午後七時ころ、鬱屈した気分で自宅前まで帰ってきた際、立ち話をしていた近所の主婦から、「お早いですね。珍しいですね。」などと言われたことを嫌みと感じて腹立たしく思った。そして、帰宅したところ、家には誰もおらず、夕食の準備がされていなかったうえ、ストーブの灯油がきれていたことにも腹立ちを覚え、ストーブに給油して火を点け、自分で酒肴を作って焼酎を飲みながら、愛人との関係に思いを巡らせ、同女に未練を抱きながらも、もはや同女との関係は修復できないのではないかと思って落ち込んだ気分となるとともに、これまで家庭からの逃げ場であった愛人なしで、家庭の問題だけに目を向けていくことを大きな負担と感じるようになり、無性に一人になりたいと思い始め、一人になれば、あるいは愛人との関係も元に戻るかもしれず、そうでなくとも家庭の重荷から解放されるだけでもいいなどと考え、そのうち、一人になるためには妻子三人を殺すしかない、今日やるしかないとの考えが頭の中を占めるようになった。

9  同日、午後八時ころ、A子、B子及びCの三名が外食を済ませて帰ってきたが、被告人は、帰ってくるなり、「あら、帰っとったん。」と言うだけで被告人を気遣う様子のないA子や、「パパ、電話なかった。」と被告人に追及するような言い方で尋ねたのち、直ぐに被告人の小言を無視して電話をかけ始めたB子の態度に対して、憤慨するとともに、家庭の中で存在感のない自分に情けない気分となった。その後、被告人は、Cを風呂に入れた際、無邪気なCの仕草を見て、一たんは妻子に対する殺意が鈍ったものの、風呂から上がった際に、B子がいつものように長電話をかけていたこと、これを叱りつけた被告人に対し反抗的な態度をとって、二階の自分の部屋に駆け込んでいったこと、二階で再び電話をかけ始めたことなどに怒りを覚え、再び、一人になりたい、一人になるには殺すしかないとの考えが浮かんできて、自分が殺そうとしている家族と顔を合わせているのがつらくなり、午後九時すぎ、パチンコ店に赴いた。被告人は、パチンコをしながら、いかにして三名を殺すかということしか念頭になく、必死に思い巡らすうち、「金属バットで殴って気絶させたうえで殺す。賊に押し入られたことにして、自分だけが助かる。」との考え方に至り、午後一〇時ころ帰宅した。午後一一時ころ、被告人は、Cを二階に寝かせつけたうえ、翌一四日午前零時ころ、A子も就寝したので、テレビをつけたまま、一階居間で殺害の方法について本格的に考えを巡らせ、「三人の頭を金属バットで殴って気絶させ、証拠を残さないために灯油を撒いて火を点けて殺害する。そして、賊に襲われたことにし、自分は逃げ出したことにする。信用してもらうためには、自分の頭をバットで殴って、傷つければいい。」などと考え、午前二時ころには、屋外の倉庫内から金属バット一本と灯油入りのポリタンク一缶を持ち出して、玄関に置き、玄関ドアの鍵をかけないで、家族が寝静まるのを待った。

10  被告人は、同日午前三時三〇分ころ、いよいよ妻子三名を殺害するため、ライターと金属バットを持ち、二階六畳和室に入って、仰向けに寝ているA子の頭の左斜め上付近に立ち、バットを肩付近まで振り上げ、その額を狙って思い切り振り下し、A子が「痛あい」と大声を出して体を動かしたので、その頭めがけて更に二度続けて殴ったところ、A子は上半身を持ち上げ右手を被告人の方に力なく差し出すような仕草をしたものの、直ぐに布団の上に崩れ落ち、動かなくなった。次に、一緒に寝ていたCの頭部付近に移動し、顔をそむけてその頭めがけバットで二回力任せに殴って気絶させた。ところが、その時、B子が起き出してきて被告人の犯行を目撃し、同部屋の入り口で「ギャーッ」という悲鳴を上げたため、被告人は、予想外の事態に驚き、自分の部屋に逃げ込んだB子を追って、同女の部屋に行くと、B子が被告人にしがみついてきて揉み合いとなり、一たんバットを取り上げられたので、これを取り返そうとして、バットを握っているB子をベッドの側まで引きずっていき、B子に右足をかけて倒したところ、B子がバットを放したので、これを持ってその場に立ち上がり、「パパ、ごめんなさい。学校も辞めます。仕事もします。家も出ていきます。盟主様、盟主様。」と哀願するB子に対し、「もう遅い。」と言うやいなや、バットでその左側頭付近を狙って力任せに殴りつけ、倒れた同女の左側頭を更に二度続けて殴りつけて気絶させた。その後、被告人は、バットをその場に置いたまま、玄関の灯油を取りに行き、A子とCの体全体と布団の上などに灯油をかけ、シーツに火を点け、更に、B子の部屋に行き、その身体付近に灯油を撒き、枕替わりのクッションに火を点け、その結果、被告人方居宅を全焼させるとともに、妻子三名を焼死させた。

三  そこで、以下本件の情状について、検討することとする。

1  先ず、本件は殺人、現住建造物等放火の事犯であって、いずれもその罪質自体誠に重いものであり、しかも、殺人の犯行は、被告人が妻子三名の命を奪ったものであって、世上稀にみる重大な事犯というべきである。

2  しかも、犯行の直接の動機は、被告人が、重度の精神障害児として生まれてきた長男Cの将来を悲観するとともに、生活が乱れ問題行動を頻発させる長女B子に心を痛め、度重なる注意にも耳を貸さない同女の態度に怒りさえ覚えるようになり、更に、愛人に心を奪われて妻A子との関係も悪化させ、家庭内において疎外感を深める一方、愛人との関係も冷え回復の見込みも乏しいと感じて鬱屈した気分となり、家庭を煩わしいと感じ、その束縛から逃れて一人になりたいとの観念に捕らわれ、そのためには家族三名を殺すしかないとの考えを抱き、家族を殺せばあるいは愛人との縒りが戻るかも知れないとの期待の下に、本件犯行を敢行したというものである。この点につき、所論は、被告人が本件犯行に及んだのは、もっぱら、愛人との生活を楽しむために足手まといになる家族を殺害したものである、というのであるが、愛人との関係は既に三か月にわたり行き詰まっており、本件犯行の前日にも、被告人は来訪を拒否されているのであって、容易に修復ができる状態にはなく、被告人もそのように認識していたものと認められるのであって、被告人が所論指摘の意図を第一義として、本件犯行に及んだものとは認められない。しかし、それにしても、被告人が家庭の重荷から解放されることを目論見、付随的に愛人との関係修復を期待して、自己の妻子を殺害するがごときは、原判決が説示するとおり、極めて自己中心的で短絡的な犯行といわざるを得ない。とりわけ、特に愛人との関係を持つに至ったのちは、家庭を敬遠し、Cの世話やB子のしつけなどをA子に押し付け、自らは愛人との関係に腐心し、その関係が行き詰まるにつれ不機嫌となって、A子との関係も悪化させ、自己の行状を省みることなく、被告人との間に口論の絶えなかったA子に対して怒りさえ感じるようになり、遂に殺害するに至った被告人の身勝手さは、厳しい非難を免れないというべきである。

3  そして、犯行の態様は、予め考えた計画に従って、金属バットや灯油入りポリタンクを準備し、先ず、就寝中のA子及びCを金属バットで強打し、被告人の犯行に気付いたB子の抵抗を排除して、同女をも同バットで殴打して、それぞれを気絶させたうえ、妻子の殺害とともに罪証の隠滅を図り、灯油を撒いて点火して、その居宅を全焼させるとともに、身体の原型を残さないほどに焼き尽くして絶命させるという、極めて凄惨で残虐なものであり、なるほど日頃可愛がっていたCに対しては、さすがの被告人も顔を背けながら殴打しており、一片の人間性を窺うことができないではないが、反面、B子に対しては、その抵抗を振り切り、B子が「パパ、ごめんなさい。学校も辞めます。仕事もします。家も出て行きます。盟主様、盟主様。」と哀願して命乞いするにもかかわらず、「もう遅い。」の一言を言い放ったうえ、バットで強打して殺害を敢行しているのであって、実の娘に対する情愛を全く看取することのできない冷酷なものというべきである。

4  そのうえ、被告人は、本件殺害及び放火行為を終えた直後から、隣人が被告人方の異常な物音等に気付き、予想外に早く集ってきたため、賊が押し入ったとの弁解が成り立たなくなり、あろうことか本件の所為をB子のせいにすることを思い立ち、自分の頭部を金属バットで殴ったうえ、被害者であり妻子を奪われた者として悲劇の主人公を装い、被告人が逮捕されるまでの約一年三か月の間、隣人、自己又はA子の親族、愛人や、警察に対しても、「自分が、夜遅くまで起きているB子を叱った際、口答えをしたので『お前のような奴は生まれてこん方がよかった』と口走ったところ、B子は『そんなら死んでやる』と怒鳴り返した。その後一階居間で寝ていると、突然頭を殴られ気絶した。しばらくして二階の物音に気付いて、二階に行くと、妻とCが寝ていた部屋から火が出ていて、救助できない状態だった。B子の部屋を覗くと、B子がバットで襲ってきたので、これを取り上げ、B子を殴った。このとき、B子の部屋にも火がついており、自分の服にも燃え移り、救助を求めるため階段を下りると、近所の人が駆けつけてきていた。」旨の虚偽の供述を続けていた。しかも、その間、犯行当日には、早くも愛人との連絡をとり、その後愛人と縒りを戻すことに努めているのであり(もっとも、その付き合いは、本件犯行前以上に深いものではなく、被告人は、愛人から自宅への来訪や電話をかけることを拒否されたり、付き合いを中断した期間もある。)、犯行後の被告人の行動も、常軌を逸し甚だ芳しくないといわざるを得ない。

5  他方において、被告人の手によって一命を奪われた被害者らには、その生命をもって購うべき落ち度は全くない。A子に関しては、同女と被告人との間に繰り返された諍いの主たる原因は、被告人の愛人との関係にあることは明らかであり、被告人が家庭をないがしろにしていた間、Cの世話とB子のしつけの矢面に立ち、気丈に家庭を守ってきたにもかかわらず、夫である被告人によって、その労苦が報われるどころか、殺害されるに至ったのであって、哀れとしかいいようがない。B子は、本件当時未だ一七歳の可塑性に富む年代であり、同女の行状に問題があるとしても、思春期における一過性のものであった可能性もあり、被告人において、愛人との関係に意を払う分、A子と相協力して親としての愛情を同女に注いでいれば、立直りの可能性も十分にあったと考えられるのに、実の父親によって殺害の対象とされ、必死の助命の嘆願を「もう遅い。」の一言で退けられて絶命させられるに至り、犯行後は犯人に仕立て上げられているのであって、その無念さは察するに余りある。また、Cも、精神障害児として生まれてきたことに、何ら責任のないことはいうまでもないところであり、つまるところ、一人で生きて行くことができないとの理由から、いわば道連れに殺害されたも同様であり、その人生わずか一〇歳にして実父により命を絶たれたのであって、余りに不憫というほかはない。

6  被告人のかかる犯行に対するA子の親兄弟の感情には、今なお峻烈なものがある。A子の兄であるDは、当審において証人として出廷し、「被告人を無期懲役に処した原判決は、被害者の遺族の感情を酌んでおらず、被告人に対する刑は死刑以外にはない。」旨の意見を述べ、遺族が依然として極めて厳しい感情を有していることを明らかにしており、上述した本件の犯情等に照らし、その心情は十分に理解することができ、傾聴に値するというべきである。

7  また、夫である被告人が妻子三名を殺害したという残虐な犯行が社会に与えた衝撃は、甚だ大きかったものと認められ、住宅密集地において、焼失を確実にするため灯油を散布したうえで敢行した本件放火は、隣家に延焼の危険を生じさせ、近隣住民に与えた不安感も極めて大きかったものと認められる。

8  以上の諸点、すなわち、本件における罪質の重大性、三名という殺人の犯行による被害者の数、犯行の動機の自己中心性及び態様の冷酷残虐性、犯行後の行動の悪質性、被害者側の事情、遺族の厳しい被害感情、犯行の影響の重大性等に照らせば、被告人の刑事責任はいうまでもなく極めて重大であり、被告人に対する刑の量定を考えるうえにおいて、当然極刑を視野に入れて考察すべきであることは、原判決が説示するとおりである。

四  しかし、他方において、被告人のために酌むべき事情として、次の事情が認められる。

1  被告人は、これまで業務上過失傷害罪による罰金刑前科一犯を有するだけで、他に前科前歴はなく、愛人と関係を持つまでは、家業のボイラー修理・販売業に勤しむとともに、結婚したのち家庭的にも円満で問題はなく、Cが障害児として生まれたのちも、これに心を痛めながらも愛情を注ぎ、Cの機能訓練や信仰に励んで、その回復に努める一方、社会的にも、PTAや子供会活動に積極的に参加して、周囲の信頼を得ていたのであり、特に反社会的で犯罪と結びつくような人格を有していたとは認められない。

所論は、極刑に処することが問題となる凶悪重大事犯においては、反社会的性格の有無を、極刑か否かを判断する資料とすることは相当でないのみならず、犯罪傾向の有無は、犯行の経緯、動機、態様等を総合して認められる人格態度から判断すべきであり、原判決が被告人の一般的な生活歴やさしたる前科がないこと等を理由に被告人が反社会的性格の持主ではないとしたのは不当である、というのであるが、むしろ、極刑の可能性のある事案であるからこそ、犯罪に関する事情を広く考察することが要請されているものというべきであり、反社会的性格の有無自体を量刑上の判断資料とすることは当然許されるものというべきであるうえ、普段の人格との関連において犯行を理解することには、量刑判断上の重要性が認められるというべきであって、所論のようにその判断の対象を狭く限定すべきであるとすれば、かえって量刑上の判断を誤ることになりかねず、所論を採用することはできない。

2  次に、本件犯行は、被告人が、犯行を賊の仕業とする計画を立て、そのために金属バットと灯油入りポリタンクを準備して敢行しているのであり、その限りにおいて、計画的な犯行であるということができる。しかし、被告人が、妻子の殺害の方法を着想したのは犯行のおよそ六時間前であり、それを具体化する考えを巡らせたのはその約三、四時間前であって、犯行の重大性に比較すれば、その発想は極めて杜撰かつ稚拙なもので、被告人による犯行の発覚を隠蔽することのできる可能性は乏しいというべきであり、むしろ、家庭の重圧から解放されたいとの感情に駆られた性急な側面が強く認められるのであって、その意味において、本件犯行は衝動的な犯行であるということができる。

所論は、本件犯行はこの上なく計画的なものであるのに、原判決が、衝動的犯行であるとして、その点を被告人の有利に斟酌したのは不当であるとして、原判決を非難するのであるが、犯行の経緯を仔細に検討すれば、右に述べたような意味において、本件犯行に計画性が認められるものの、全く計画的な犯行ということはできず、衝動的犯行の側面を多分に有しているものというべきであり、原判決も同様の理解に立っているものと認められるから、所論の非難は当たらない(なお、所論は「衝動的犯行」を「瞬時の激情、感情の爆発にかられ、とっさに犯行に及んだ場合を指す」ものに限局して論じている点において、既にその立論の前提を異にするものということができる。)。

3  本件犯行の動機は、前示のとおりであり、自己中心的で短絡的な犯行であるというべきであるものの、その動機を形成した一因ともいうべきCの精神障害やB子の非行化に被告人が心を痛めていたことには、同情の余地がないではなく(もっとも、かかる事情から本件殺害を思い立つについては、愛人との交際状況が作用していたものと認められることは前示のとおりである。)、また、被告人の置かれた立場を前提とすれば、本件犯行の動機、経緯はそれなりに了解が可能ではあるものの、被告人が衝動的に本件犯行に及んだことには、被告人の普段の人格との間に若干の径庭がないではない。この点に関し、原審において被告人の精神鑑定をした福島章は、被告人による本件犯行の心理的機序について、次のとおりの鑑定意見を述べている。

(1) 被告人は、本件犯行当時、Cの障害、B子の非行化、A子との不仲、愛人との関係の行き詰まり等のストレスと被告人自身の素質とが相俟って、心因性の軽度の抑うつ状態にあった。

(2) 一方、被告人の脳は、形態学的には脳梗塞巣、蜘蛛膜嚢胞、大脳萎縮が、脳波学的には脳機能水準の低下、左右差、突発波の存在等多彩な異常所見が認められ、その結果、気分変化、衝動性、カタストローフ反応(破綻反応)等が惹き起こされやすい状態にあった。

(3) 被告人の本件犯行当時の心理状態は、抑うつ気分に支配されて、自殺念慮や絶望感を持続してきたが、右の微細な脳器質障害のために、動機の形成における攻撃対象の逆転が生じて、飲酒酩酊下において、偶発的に自殺(家族心中を含む。)ではなく殺人が発想され、被告人の本来の人格からは到底了解が困難な動機が形成され、これが衝動的に実行された。

右の意見中、本件犯行当時、被告人に自殺念慮が持続していたとされる点は、証拠上これを認定することができず、犯行の動機が了解困難であるとされる点も、必ずしも肯認することができないものであることは、原判決が説示するとおりであって、これらを前提として出された、被告人が本件犯行当時の自己の行為の是非善悪の判断に従って自己の行為を制御する能力がかなり著しく低下していた可能性があるとの鑑定結果は、直ちにこれを採用することができないものの、右(1)掲記の事情から、本件犯行当時、被告人が軽度の抑うつ状態にあったとされる点は、証拠上認められる状況と符合するものであり、被告人が、(2)のとおりの脳器質障害が認められることから、重大な困難に直面した場合に、衝動性が亢進し、破綻反応を惹き起こしやすい状態にあったとの見解は、これを否定すべき根拠はないというべきである。そうであるとすれば、被告人が種々のストレスを抱えた状況下において本件犯行に及んだことには、多少とも、被告人の人格以外の身体的負因(脳器質障害)が寄与した可能性を否定できないということができる。

4  被告人は、前示のとおり、犯行後の行動に悪質な点が認められるものの、逮捕されたのちは、本件犯行を真摯に反省悔悟して素直に犯行を認め、贖罪の意識も強く、本件起訴後の平成六年八月には、拘置所内の居房で首を吊って自殺を図り、発見時、とう骨動脈の脈はあったが、呼吸が認められず、意識もない状態にあったため、心臓マッサージ、人工呼吸等による措置を施されるとともに、病院に搬送され治療を受ける事態にも立ち至っており、当審公判廷においては、証人として出廷したA子の兄に対して、自ら進んで謝意を表するとともに、自分には極刑が相当であると考えているが、もし許されるとすれば、生涯妻子の冥福を祈り供養に努めたい旨自己の心境を偽ることなく供述しているところであり、改悛の情は顕著であって、今後更生する可能性も十分にあるというべきである。

所論は、被告人の供述には、本件犯行が、愛人との生活を切望した結果であることを否定し、家庭生活に疲れ果てて起こしたものであるように装うなど、自己の刑責を軽減しようとするふしが随所に見られ、被告人が本件犯行を反省しているとはいい難い、というのであるが、本件犯行当時の愛人との関係に徴すれば、被告人の右の供述を虚偽であると断ずることはできず、これをもって被告人が反省していないことの証左ということはできない。

五  死刑は、いうまでもなく人間存在の根元である生命そのものを永遠に奪い去る究極の刑罰であるから、「犯行の罪質、動機、態様ことに殺害の手段方法の執拗性・残虐性、結果の重大性ことに殺害された被害者の数、遺族の被害感情、社会的影響、犯人の年齢、前科、犯行後の情状等各般の情状を併せ考察したとき、その罪責が誠に重大であって、罪刑の均衡の見地からも一般予防の見地からも極刑がやむをえないと認められる場合」(昭和五八年七月八日最高裁第二小法廷判決・刑集三七巻六号六〇九頁)に、はじめてその選択が許されるものといわなければならない。

そこで、案ずるに、本件が極めて重大な事犯であることは、前述したところから明らかであるが、他方において、被告人には、もともと反社会性、犯罪性向は認められず、本件犯行は、利欲や情欲に駆られ、何らの交渉・交際を有しない第三者を綿密な計画の下に殺害したような事案とは異なり、(被告人が愛人と関係したことが一因をなしていることには厳しい非難が可能ではあるものの)、被告人が、Cの障害、B子の非行化を憂慮し、愛人との関係や夫婦仲が悪化する中で鬱々とした気分となり、妻子を殺害するとの考えに固着し、前示の意味において衝動的に敢行したものであり、Cの障害、B子の非行化には同情の余地がないわけではないこと、その行為には被告人の身体的負因(脳器質障害)が作用していた可能性を否定できないこと、改悛の情が顕著に認められることなどの事情を考慮に入れると、被害者の遺族の心情には深い同情を禁じ得ないけれども、本件は、死刑をもって臨むことを相当とすべき事案とはなお若干の隔たりがあるといわなければならず、被告人を無期懲役に処した原判決が、量刑上の裁量を逸脱して不当に軽い刑を科したものとまでいうことはできない。

ところで、所論は、本件と類似する事案の量刑と比較して、本件の量刑は均衡を失すると主張し、昭和五四年七月一〇日以降平成八年一一月末までに言い渡された死刑求刑事件(当審検六号捜査報告書添付の別表)のうち、被害者複数のものは六六件(七六名)であり、そのうち大半の五八件(六七名)につき死刑が言い渡されており、また、本件に比較的類似した内容の四件(控訴趣意書添付の別表二)についてはいずれも死刑が言い渡されている、というのである。

しかし、右列挙の死刑求刑事件中には、利欲や情欲に基づいて敢行されたとみられる事件等を多く含んでおり、事案の個別事情を抜きにして、被害者が複数であることから、一概に被告人を無期懲役に処するのが不当であるとはいえず、また、所論が類似事案として挙げる四件についてみても、<1>先ず、控訴趣意書別表二番号一の事案(千葉地方裁判所昭和五九年三月一五日判決)は、被告人が、父親から、交際していた特殊浴場の接客婦であった女性について、卑わいな言葉で中傷されたことに憤慨して、父親とその場に来合わせた母親の二人を殺害し、その死体を海中に投棄して遺棄したというものであるが、その態様は、登山ナイフで多数回にわたり滅多突きにするという執拗・残虐なものであり、犯行後は、母親から金庫の鍵を奪い、現金を手にして交際中の女性と遊興に耽り、逮捕後も反省の態度に乏しく、公判廷において犯行を全面否認して争っている点において、<2>同番号二の事案(浦和地方裁判所昭和六一年五月三〇日判決)は、被告人が、かねて父親の自分勝手な振舞いや素行の悪さに憎悪の念を抱き、弟が自殺したのも父親のせいであると思い、積年の恨みを晴らし弟の仇を討つ目的で、父親、同人と同居していた女性及びその子の三名に対し、日本刀で突き刺すなどして殺害したというものであるが、被告人は、父親とは犯行前七年間にわたり没交渉であったのに、三年半前から父親殺害の計画を立て、強固な意思に基づいてこれを敢行し、無関係の女性とその子をも道連れに殺害しているところ、真摯な反省の態度が見られない点において、<3>同番号三の事案(佐賀地方裁判所昭和六二年三月一二日判決)は、被告人が、自宅水道蛇口のホース取付金具を盗まれたものと思い込み、被害者方を訪ねて心当たりを訪ねるうちに口論となり、自宅から出刃包丁を持ち出して、被害者とその妻子計三名を右包丁で突き刺すなどして殺害したというものであるが、被告人は、日常の交際を有しない被害者三名を、全く些細な動機から殺害するに至ったものであり、犯行後、公判廷においても、責任を他に転嫁する態度を示し、全く改悛の情が認められない点において、<4>同番号四の事案(岐阜地方裁判所平成元年一二月一四日判決)は、離婚した元妻に復縁を迫っていた被告人が、同女が復縁に応じないのは、同女の両親や妹が反対しているせいであると逆恨みし、その居宅に侵入したうえ、右三名を刺身包丁で突き刺して殺害したというものであるが、犯行前約一年間は格別交渉を有しなかった被害者らを、深夜わざわざその居宅に赴き侵入したうえ敢行した計画的な犯行であるうえ、被告人は、控訴審公判廷で殺意を争い、反省の情も十分とはいい難い点において、いずれも本件と比較して悪質な面がみられるばかりでなく、他方、浮気をしていた被告人が、妻との不和により喧嘩を繰り返し、憎しみの感情を抱くようになり、同女の挑発的言動をきっかけとして妻子三名をロープで首を絞めるなどして殺害し、海中に投棄したという、本件と類似する事案(横浜地方裁判所平成八年二月二二日判決・当審検六号別表番号一一一)においては、無期懲役刑が選択されているのであって、本件における原判決の量刑が、他の類似事案のそれと均衡を失するとまでいうことはできない。

六  よって、論旨は理由がないから、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却し、同法一八一条三項本文により当審における訴訟費用は被告人に負担させないこととして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 坂井 智 裁判官 大原英雄 裁判官 林田宗一)

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