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福岡高等裁判所 昭和24年(ネ)266号 判決 1952年1月31日

控訴人 原告 有馬浄治

訴訟代理人 藤林益三

被控訴人 被告 広沢憲証 外二名

訴訟代理人 鶴田英夫

主文

本件控訴はこれを棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は「一、原判決を取消す。二、控訴人が長崎市東小島町三十二番地所在寺院正覚寺の主管者であることを確認する。三、被控訴人広沢憲証は長崎地方法務局備付の神社寺院教会登記簿登記番号第八号正覚寺の登記簿中登記事項全部の抹消登記手続をせよ。四、同被控訴人は長崎市東小島町三十二番地所在客殿木造瓦葺二階建一棟建坪六十三坪七合八勺の建物より退去してこれを控訴人に明渡せ。五、被控訴人渋谷憲樹は右正覚寺庫裡木造瓦葺平家建一棟建坪八十九坪三合二勺から退去してこれを控訴人に明渡せ。六、訴訟費用は第一、二審共被控訴人等の負担とする。」との判決並びに右第四、五項の請求につき仮執行の宣言を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。当事者双方の事実上の陳述及び証拠の提出、援用認否は、控訴代理人において原判決書六枚目裏三行目の「代務者の任命」とあるのを「代務者の任命申請」と訂正すると述べ証拠として甲第十八号証の一乃至四、同第十九号証の一乃至六、同第二十号証を提出し、当審証人佐野諦聴、藤松蝶子、正木浄教の各証言、控訴本人の当審における尋問の結果を援用し、被控訴代理人において原審において提出した本案前の抗弁を撤回すると述べ証拠として原審において被控訴本人渋谷憲樹の尋問を求め、当審証人富永顕道、松尾栄三郎の各証言、被控訴本人渋谷憲樹の当審における尋問の結果を援用し、甲第一八号証の二、三、同第十九号証の二乃至六の各成立を認め同第十八号証の一、四、同第十九号証の一、同第二十号証はいづれも不知と述べた外、すべて原判決事実摘示と同一であるからこれを引用する。(但し被控訴人援用の証人中佐々木篤祐とあるのは佐々木祐俊の誤記と認める。)

理由

訴外長崎市東小島町三十二番地所在正覚寺が被控訴人真宗仏光寺派の末寺であつて、控訴人が昭和十七年三月十日同被控訴人管長より右正覚寺の住職に任命せられたこと。右正覚寺は長崎市においても最も古い由緒ある寺院の一つで、元被控訴人真宗仏光寺派本山の別院であり、(故有馬憲文が住職在任当時別院となつた)本山の管長が同寺院の住職を兼ね、本山から支配人格の輪番が任命されていたこと。右憲文の五女敬子の婿有馬敏が最後の輪番として在任中、昭和十五年十一月右敏夫妻及び長女の三名が当時同寺院に保護されていた支那人孤児のため惨殺せられ、昭和十四年生れの次女智賀子を残すのみとなつたので前記憲文の七女始子を分家せしめ、控訴人を同女の入夫に迎えて昭和十六年十二月入夫婚姻届を了し、次で前示のように控訴人が正覚寺の住職に就任するに至つたが、就任と同時に控訴人の希望により同寺院が被控訴人真宗仏光寺派の末寺となつたことはいづれも当事者間に争のないところであつて、控訴人は正覚寺の正式の住職として任命せられたものであると主張するのに対し、被控訴人等は正覚寺の住職は有馬家の本家の戸主が世襲的に任命せられることに定められており、控訴人は有馬家の分家の戸主であつて本家である前記智賀子が成人するまでの間の中継住職に過ぎない旨抗争するので按ずるのに、成立に争のない甲第二号証の一(寺院規則)乙第五号証(宗制)原審証人佐々木篤祐の証言により成立を認め得る甲第十、十一号証の各一、二、原審並びに当審証人正木浄教の証言、控訴本人の原審並びに当審における供述を綜合すると、控訴人は有馬家の戸主となつて、正覚寺の正式の法燈後継者として迎えられたものであつて、被控訴人等のいわゆる中継住職ではないことが認められる。右認定に反する原審証人佐々木篤祐、佐々木祐俊、大塚泰蔵、富永顕道、柴田英彦の各証言部分は措信し難い。

次に被控訴人真宗仏光寺派管長が昭和二十一年二月二日附を以て訴外赤松晃海を正覚寺の住職に特命し、次で同年六月十四日附を以て控訴人に対し正覚寺住職の退職を命じたことは当事者間に争がない。而して成立に争のない甲第四号証、乙第五号証、原審証人富永顕道の証言により成立を認め得る乙第一号証の二、原審並びに当審証人富永顕道の証言を綜合すると、控訴人は正覚寺住職就任にあたり昭和十七年一月附を以て、被控訴人真宗仏光寺派本山管長に対し(一)檀信徒の教導を怠らないこと。(二)宗務所の命令を遵奉し部内の和合を破らないこと。(三)堂宇及び法宝物什器等の保存を怠らないこと。若し右各条項に違背の節は退職を命ぜられても異議がない。」旨の誓約書を差入れたこと、被控訴人真宗仏光寺派管長は同派旧宗制(昭和十六年三月三十一日よの施行せられたもので、昭和二十二年六月一日施行の新宗制による改正前のもの、以下単に旧宗制と略称する。)第三十四条第六十六条により内局会の議を経て所属末寺の住職又は代務者の任免を行う権限を有すること、被控訴人真宗仏光寺派管長は控訴人に右誓約書所定の条項に違背する非行があるとして内局会の審議を経た上前示の如く控訴人を退職処分に附したものであることを夫々認めることができる。そうすると若し控訴人に前示誓約書の条項に違背する非行があつたとすれば右退職処分は適法且有効のものであると断ぜざるを得ないので、以下果して控訴人に右のような非行があつたか否かについて判断する。成立に争のない甲第一号証の一乃至四、同第二号証の一、同第八号証の一、乙第五号証、原審証人大塚泰蔵の証言により成立を認め得る乙第四号証、原審証人柴田英彦の証言により成立を認め得る乙第十四号証の一、二、三、前顕各証人、原審証人佐々木篤祐、佐々木祐俊、原田民重、木辺孝慈原審並びに当審証人富永顕道、正木浄教の各証言及び控訴本人の原審並びに当審における供述の一部(但し後記措信しない部分を除く。)に弁論の全趣旨を綜合すると次のような事実を認定することができる。

即ち

(一)控訴人は昭和十二年三月京都大谷大学文学部社会学科を卒業し同年四月真宗大谷派僧都に補せられ同年五月学師の称号を授与せられたが、昭和十七年三月六日真宗大谷派より真宗仏光寺派に僧籍を転属し同日同派において教師に補せられ学師の称号を授けられたものであり、(以上の事実は当事者間に争がない。)僧侶としての学識、人格において欠くる点はなかつたのであるが、同大学卒業以来京都市役所に勤務し僧侶としての経験に乏しく、殊に寺院の住職としての経験は皆無であつた。然るに当時三十二歳の若さで正覚寺の住職に就任した控訴人は同寺の別院時代における檀徒総代の勢力が強く輪番を総代の使用人の如く頸使し、殊に寺有財産を総代の独断を以て管理処分しているものとなし、これが改革を企図したのであるが、当時正覚寺は末寺としての発足がまだ日浅く且前記旧宗制及び正覚寺旧寺院規則(昭和十七年三月十一日より施行せられたもので、昭和二十一年四月二十四日施行の新寺院規則による改正前のもの、以下単に旧寺院規則と略称する。)が施行せられて間もない時であるから永年に亘る慣行を改革するについては極めて慎重且漸進的に処理すべきであつたのに拘らず世事に疎い控訴人は旧寺院規則に基く住職の寺有財産の管理権を強調するに急であつて、檀徒総代の理解と協力を得る点に意を用いなかつたため長年に亘り同寺院を支持して来た檀徒総代との間に自然意見の疎通を欠ぐ結果となり、遂にその支持を失うに至つた。

(二)控訴人の日常の勤行においても、朝夕の読経を怠る等のことがあつて、当時の本山宗務長佐々木篤祐から訓戒を受けたようなこともあり、学識豊かな故有馬憲文及び怜利な故有馬敏前輪番等と比較して、檀信徒間にあきたらないものを感じさせていたのであるが、その間今次大戦に再度応召出征留守中、昭和二十年八月妻始子に病死せられ、有馬家との血縁を失うに至つて益々孤立の悲境に立つに至つたが、同年九月下旬復員帰還して間もない同年十月頃総代の任期満了を好機として旧総代に諮ることなく独断を以て新総代を選任し、更に寺務員であつた被控訴人渋谷憲樹を罷免したため、遂に旧総代との間に正面衝突を招き、旧総代等十二名の連署による同年十一月十五日附正覚寺住職即時解職の件御願の書面が本山宗務長富永顕道宛提出されるに至つたが、一方控訴人より提出された新檀徒総代選任屈は、旧総代の連署を欠ぐの故を以て本山から返戻された。

(三)よつて被控訴人真宗仏光寺派本山においても事態を重大視し昭和二十一年一月下旬宗務長富永顕道を現地長崎市に派遣してこれが実地調査にあたらしめたが、当の控訴本人は所用に藉口して諫早市に赴き所在を明かにせず、遂に宗務長富永との面会を避け一片の弁明すらなさずに終つた。

(四)その後被控訴人本山においては右富永の帰山後昭和二十一年二月初旬内局会議を経て控訴人の退職を求めることに意見が一致し、その自発的退職を促すため京都本山に出頭方を再三に亘り要求したが、控訴人は徒らにこれを遷延するのみで漸く同年五月二十六日兄正木浄教と同道の上出頭したので、宗務長富永顕道において控訴人と面接の上その意向を質したところ、控訴人支持派の門徒と一度面談するよう懇請したので、これを容れ右門徒の来訪を待つこととした。然しながら当時既に門徒の人心は控訴人より離反し、檀信徒中積極的に控訴人を支持する者なく、遂にその来訪を見なかつたので、已むなく同年六月十四日附を以て命退職の発令をなすに至つたものである。

惟うに寺院は檀信徒及び僧侶が相寄つて構成した一つの団体であるから、檀信徒の支持なくしては寺院は精神的並びに物質的にその存立の基礎を失うものというべく、従つて寺院の主管者たる住職は寺院の維持運営にあたり檀信徒特に檀徒総代の支持と協力を得ることに努むべきは当然であり、たとい寺院の運営に関して檀徒総代側に改むべき点があるとしても、その理解と協力の下にこれが改革に着手すべきであるに拘らず、自己の住職なる地位、権限を強調するに急の余り、檀徒総代の支持と協力を失い、遂にこれと正面衝突するに至り、神聖なるべき法城に醜悪なる紛争を惹起せしめた控訴人の責任は決して軽くないものというべく、控訴人の敍上行為は部内の和合を破つたものとして、正に前記誓約書の(二)の条項に違背する非行であると断ぜざるを得ない。右認定に反する控訴本人の原審並びに当審における供述は採用し難い。

さすれば被控訴人真宗仏光寺派管長のなした退職処分は固より有効であるから、これにより控訴人は正覚寺住職たる地位を失つたものといわなければならない。(なお被控訴人真宗仏光寺派審判会が昭和二十三年五月十三日控訴人に対してなした僧籍剥奪処分(擯斥処分)の効力の有無についても当事者間に争があるけれども、本件において控訴人は正覚寺住職たることの確認を求めているのみであるから右僧籍剥奪処分の効力の有無についてはその認定をなす必要がないものと認めこれが判断をなさないこととした。)

なお控訴人は被控訴人広沢憲証に対し正覚寺の登記簿中の登記事項の抹消及び正覚寺客殿の明渡を、又同渋谷憲樹に対し正覚寺庫裡の明渡を夫々訴求しているけれども、控訴人は正覚寺の住職たる地位を失つたものであること前認定の通りであり、他にかゝる請求をなす権限を有することについては何等の主張立証がないから、右請求はいづれも爾余の判断をなすまでもなく失当であるといわなければならない。

よつて控訴人の本訴請求は全部失当としてこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十五条第八十九条を適用し主文の通り判決する。

(裁判長裁判官 小野謙次郎 裁判官 中園原一 裁判官 森田直記)

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