福岡高等裁判所 昭和26年(う)144号 判決 1951年4月10日
控訴人 被告人 松本忠義
検察官 山本石樹関与
主文
被告人井口結の本件控訴を棄却する。
原判決中被告人松本忠義、同河辺秀太、同甲木実に関する部分を破棄する。
被告人松本忠義を罰金二万円に同河部秀太、同甲木実を各罰金一万円に処する。
右罰金を完納できないときは金二百円を一日に換算した期間当該被告人を夫々労役場に留置する。
被告人松本忠義、同河辺秀太、同甲木実に対しては選挙権及び被選挙権を停止しない。
理由
弁護人鶴田英夫の陳述した控訴の趣意は同人提出の同趣意書に記載の通りであるから茲に之を引用する。
同趣意第一点に付いて
原判決挙示の証拠によれば被告人河辺、同甲木は相被告人松本の依頼を受け昭和二十五年六月四日施行の参議院議員選挙に全国から立候補した森八三一の為投票取纒の目的を以て選挙人に配布せしむる意図の下に法定外の文書である本件名刺を各特定人(被告人河辺は相川清次に約二千枚、被告人甲木は今村忠孝外十八名に合計約七百枚)に交付した事実を認め得る。しかして右の場合の如く文書を不特定多数人に対し直接配布しなくとも不特定多数人に対し配布せしむる目的を以て特定人に配布した以上公職選挙法第百四十二条に所謂文書を頒布したものに該当するを相当とする故論旨は理由がない。
同第二点に付いて
およそ自白の補強証拠は自白に係る犯罪事実の真実性を裏書するに足るものであることを要し且之を以て十分であり犯罪事実の全部に亘つて存在することを要しないのは勿論その量及質を問わない。原判決挙示の相被告人等の原審公判廷における自白黒岩定作成の申立書、証第一号(名刺)は被告人松本の自白の補強証拠として優に該自白の真実性を裏書するに足るべく右と反対の見解に立つ論旨は採用するに由ない。
同第三点に付いて
同第一点に対する判断と同様であるから茲に之を引用する。
同第四点に付いて
記録を精査すると原判決の被告人等に対する量刑そのものは相当であると思われるが被告人松本、河辺、甲木に対し公職選挙法第二百五十二条を適用しなかつたのは犯情に照らし稍々酷であると信ぜられる。従つて本論旨はこの点に於いて右被告人三名に対する関係に於いてのみ理由がある。
よつて被告人井ノ口の関係において刑事訴訟法第三百九十六条を適用し控訴棄却の言渡をなし他の被告人三名の関係において同法第三百九十七条に則り原判決を破棄し同法第四百条但書に則り次の通り自判する。
原審か認定した事実を法律に照らすと右被告人三名の所為は各公職選挙法第百四十二条第一項第二百四十三条第三号に該当する故所定刑中各罰金刑を選択し右罰金額の範囲内で被告人松本を罰金二万円に同河辺、甲木を各同一万円に処し右不完納の場合における換刑処分に付刑法第十八条を適用し、なお犯情に照らし右各被告人等に対し右選挙法第二百五十二条を適用する。
よつて主文の通り判決する。
(裁判長裁判官 仲地唯旺 裁判官 青木亮忠 裁判官 藤田哲夫)
弁護人鶴田英夫控訴趣意
第一点、原判決は、被告人河辺秀太及び同甲木実に関する犯罪事実として、「第二被告人河辺は同月二十日頃福岡県三潴郡大川町福岡県販売農業協同組合連合会三潴支部事務所において右名刺約二千枚を相川清次に交付し、第三、被告人甲木は同月十八日頃久留米市通町四丁目右連合会久留米支部事務所において右名刺約七百枚を被告人井ノ口に交付し」「以て右選挙運動の為にする法定外の文書を頒布したものである。」と説示し、公職選挙法第百四十条第一項及び第二百四十三条第三号を適用して有罪としている。
しかしながら、右法条に所謂頒布とは不特定多数人に対する配付を意味し、特定の一名に対する交付は頒布でないこと明らかである。よつて原判決は、法令適用の根拠たる事実理由不備の違法があり、又認定事実が罪とならないのに法令の解釈適用を誤つて有罪とした違法がある。
第二点、原判決は、被告人松本忠義に対する犯罪事実として、
「第一、被告人松本忠義は昭和二十五年六月四日施行の参議院議員選挙に際し(中略)同立候補者の氏名を記載した名刺を夫々選挙人に配布する様依頼した上福岡市明治町一丁目右連合会福岡支所事務所に於て、(一) 同年五月十一日頃約三千枚を安中照彦に、(二) 同月十七日頃約七百枚を被告人甲木に、(三) 同月中旬頃約七千枚を被告人河辺に、(四) 同月中旬頃約二千枚を保田昭司に、夫々交付し」と認定しその証拠として、「各被告人の当公判廷における自白、司法警察員作成の松本忠義に対する供述調書二通、同被告人作成の報告書、黒岩定作成の申立書、証第一号(名刺)の現存の外判示第一の(四)につき保田昭司作成の申立書」と掲げている。
よつて右証拠を検するに、被告人松本忠義以外の被告人即ち河辺甲木及び井ノ口の原審公判廷における自白は、いづれも各自己が名刺を配布したとの事実の範囲を出でないものであることは、本件起訴状と原審第一回公判調書の記載に徴して明らかであり、該名刺と被告人松本が印刷した名刺との関連は勿論松本の判示行為との関係を内容とするものは毫も存在しない。又黒岩定作成の申立書及び証第一号(名刺)の存在は被告人が「全販連参事森八三一」と記載した名刺二万枚を印刷せしめた事実を証するに足るのみで、その余の如何なる事実をも意味するものではない。而して保田昭司作成の申立書は判示第一の(四)の事実を証明するものである。そこで残る証拠は、被告人松本忠義の公判期日外における自白だけである。
およそ自白の補強証拠は、犯罪事実の全部に亘つてその存在を必要とするものでなく、自白に係る犯罪事実の真実性を裏書するに足るものがあればよいというのが、最高裁判所の判旨とするところであるが、この判旨に従うとしても、本件において、前記の補強証拠だけで果して十分であろうか。
被告人が選挙のために該名刺を入手しても、自白以外の方法により使用したことも当然有りうるし、(二)甲木が約同数の名刺を、(三)の渡辺が二千枚だけを、夫々他に交付したとのことが同人等の自白で認め得るだけでこれ等の名刺が、被告人松本の印刷した名刺と同一のものであることの証拠も同人等が被告人松本から交付を受けたことの証拠もなく、又同人等は他から入手することも有り得る状況のもとにおいて、前記内容を有するに過ぎない原判決援用の証拠は、未だ以て被告人松本忠義の自白に係る判示犯罪事実の真実性を裏書するに足るものとは謂えないであろう。殊に第一の(一)の事実については自白以外何等関係証拠も掲げられていないのである。
果して而らば、原判決は刑訴第三百十九条第二項に違反して罪を認めた違法があるとせなければならない。
第三点、原判決は被告人松本忠義の犯罪事実として、「第一被告人松本忠義は(中略)名刺を夫々選挙人に配布するよう依頼した上(中略)、連合会福岡支所事務所に於いて、(一)同年五月十一日頃約三千枚を安本照彦に、(二)同月十七日頃約七百枚を被告人甲木に、(三)同月中旬頃約七千枚を被告人河辺に、(四)同月中旬頃約二千枚を保田昭司に、夫々交付し」と説示して、公職選挙法第百四十二条第一項及び第二百四十三条第三号を適用処断している。
しかしながら、右法条に所謂頒布とは不特定多数人に対する配布を意味するものであるから、特定の四名に対して、時を異にして特定の事務所内で交付した事実は、たとえ夫々選挙人に配布する様依頼した行為が加わつたとしても、それだけでは未だ、「被告人が頒布した」という域に達したものとは認められない。
よつて原判決は、法令適用の根拠たる事実理由の不備若くは法令の解釈適用を誤つた違法があると思料する。
第四点、原判決が被告人松本を罰金二万円に同河辺、甲木を罰金一万円に同井ノ口を罰金五千円に各処し、なお右松本、河辺及び甲木の三名につき、被選挙権及び選挙権を停止しない旨の宣言をしなかつたことは、たとへ判示の犯罪事実ありとしても証拠上認められる左記事由に徴して量刑不当であると思料する。
一、被告人松本、同河辺、同甲木の三名は全国販売農業協同組合連合会の、被告人井ノ口は右全販売連合会の単位団体たる福岡県販売農業協同組合連合会の各職員であつて、候補者森八三一は農協の前身たる産業組合時代から、監督官庁たる県産業組合課に職を奉じて累進し、本件選挙当時右全販連合会の参事の職に在り、被告人等とは共存共栄の農協精神につながる同志であると共に、職務上の上司でもある。即ち農協精神の普及と農協の発展に精励している被告人等としては、当然森候補の当選を希望すると共に、依頼さるれば該候補のために働かなければならない立場にあつたのである。
二、被告人松本は、東京に出張した際全販連東京本部の先輩龍野賢吉から強いての依頼があり、その方法まで名刺や経歴表の配付でと指定されたので、承諾して帰福し、名刺を印刷して自己の勤務せる事務所で、他の被告人等に対して関係方面への配付を依頼したものであり、(第二回公判第七九丁に提出の別件被告人安本照彦外二名に対する公職選挙法違反被告事件の記録九六丁以下参照)被告人河辺はその旨を承けて県農協連三潴支部事務所で、名刺二千枚をその職員相川清次に交付し、被告人甲木は同連合会久留米支部事務所で、同七百枚を同三井支部の職員である井ノ口に交付し、被告人井ノ口は同所で同支部の会議に出席していた各支部職員に適宜持ち帰つて貰つたまでのことである。
三、被告人松本を初め他の被告人等も、過失に基くものであつたにもせよ、それが、違法であることの認識はなかつたのである。それは、直前四月中施行された、地方参議員選挙に際し、名刺や経歴表が公然配付されるのを見聞していたのと五月一日から初めて施行された公職選挙法を熟知しなかつたことに由来するもので、直接選挙事務に関係のない被告人等としては無理もないことである。(前記援用記録九八丁参照)、後で違法であると聞いて被告人井ノ口の如きは交付先に配付を止めて廻つた位である。(第二回公判証人鐘江順太の供述参照)、
四、被告人等の行動は単に候補者の名刺を同志の間に配付することによつて、全販連参事たる森八三一立候補の事実を確知せしめ、その良識に訴へる方法を採つたに過ぎず、運動方法の形式的制限違反であつて、利益や威迫による誘導等のやうに有権者個人の自由公正を侵す危險を伴うものではないから、行為の性格上罪状軽微である。
五、被告人等は、いづれも改悛顕著であり(各被告人の供述書)、各身上申立記載の経歴と職務が示すように、民主社会建設への推進力たる実力と社会的地位を有している人達であつて、今後諸種の公職選挙には、曽て過のないものよりも一層の愼重さを以て臨むであろうことが期待で来るのである。
要するに薄給の被告人等にとつては多額に過ぎる金刑を科する上に、更に被選挙権及び選挙権をも奪うことは真に事件を活かし被告人を活かす所以ではない。況んや近く行わるべき公職選挙法の改正については、名刺等の配付による選挙運動の制限は撤廃の機運濃厚であることが報ぜられている今日、原判決の量刑は、社会情勢に背いて酷に失するものと謂うべきである。