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福岡高等裁判所 昭和26年(う)1567号 判決 1951年9月03日

控訴人 被告人 首藤邦弘の原審弁護人 村田左文

検察官 山田四郎関与

主文

本件控訴を棄却する。

理由

弁護人村田左文の控訴趣意は、その提出にかかる控訴趣意書記載のとおりであるから、こゝにこれを引用する。

右に対する判断。

控訴趣意第一点(公訴提起の手続違反)について、

本件起訴状における公訴事実として、被告人は(一)昭和二五年六月初旬頃別府市楠町六組の相被告人溝口信平方において同人に対し、精米一斗を金六〇〇円にて売渡し、(二)同年六月七日頃前同所において前同人に対し、精米五升を金三〇〇円にて売渡した旨記載せられその罰条として食糧管理法第九条、第三一条、同法施行規則第二三条を掲げ、法定の除外事由がないことに触れていないことは、所論のとおりであつて、この種事案における訴因明示の方法としては、事案の法的性質を明らかにする意味において、法定の除外事由のないことを示すのが望ましく、原審裁判官としては釈明権を行使して検察官にこれが補正の手続をなさしめるのが適当であると考えられる。しかし食糧管理法違反の犯罪において法定の除外理由がないということは、犯罪の積極的構成要件をなすものではないから、訴因の表示として常にこれを明示することを必要としないばかりでなく米麦等は政府その他一定の者以外にこれを売り渡し又は譲り渡す場合の外、何人に対してもこれが売渡し又は譲渡を絶対に禁止されている法の建前より見れば、本件起訴状の記載は、右事由のないことを当然に予定したものと解せられないことはない。従つて起訴状に罪となるべき事実を包含せず又公訴事実の記載がないとする論旨は採用の限りでない。

控訴趣意第二点(証拠によらない事実認定)について、

食糧管理法違反の罪において、法定の除外事由がないということは前段説示の如く、犯罪の積極的構成要件をなすものではないから証拠によつてこれを認定する必要はないばかりでなく、本件において原判決は、被告人が溝口信平より「妻の全快祝に入用だから都合してくれ」又は「妻が入院のため米が不足して困るから都合してくれ」といわれて本件の精米を同人に譲渡した事実を認定判示したもので、右判示自体、被告人に法定の除外事由がなかつたことが明らかであり、しかも該事実は、原判決挙示の証拠によつて優にこれを認め得るのであつて、原判決は証拠に基ずかないで事実を認定したものではないから、論旨は理由がない。

控訴趣意第三点(事実誤認、法令適用の誤)について、

原判決が被告人の犯罪事実として、被告人が溝口信平に対し、(一)同人より金六〇〇円を受取つて、精米一斗を譲渡し、(二)配給米代の一部金三〇〇円を同人より受取つて自己が受配した精米五斗を譲渡した事実を認定したことは所論のとおりである。しかし原判文にその挙示にかゝる証拠を対照すれば、原判決は、米の売買乃至有償譲渡の事実を認定したのではなく、原審において被告人の弁解する如く、米の無償譲渡の事実を認定したものに外ならないと解せられる。この点に関し、事実誤認ありとする論旨は、原判決の認定しない事実に立脚して原判決を非難するもので、採用することができない。次に論旨は、食糧管理法施行規則第二三条で禁止されている米麦等の譲渡には、無償譲渡の場合を含まないというのであるが、一般に食糧管理法関係法規において、米麦等の譲渡というときは、売買、贈与を含む一切の所有権移転を意味するものと解すべきで特に同法施行規則第二三条のそれは、消費者間における無償譲渡であつても別段の除外事由がない限り、これを禁止する趣旨であることは、同法条「売り渡し」と「譲り渡し」とを特に書き分けてある点に照し明らかであるから、原判決が、被告人の本件所為を同規則二三条、食糧管理法第九条に違反するものとして、同法第三一条に問擬処断したのは、もとより正当というべく、この点に関し何等法令適用の誤はない。論旨は理由がない。

控訴趣意第四点(訴訟手続の法令違反)について、

原審が訴因変更の手続を経ないで、起訴状の米の売渡とあるのを無償譲渡と認定したことは、所論のとおりである。しかし両者はその基本的事実関係において全く同一であり、いわゆる公訴事実の同一性があるというべきで、訴因に含まれた事実をこの程度に変更するには、格別訴因変更の手続をふむ必要はない。しかも原審における審理の過程を見ると、原判決の認定は、むしろ被告人の自認の限度においてなされたもので、訴訟における被告人の防禦権の行使に実質的な不利益をもたらしたものとは認められないから、原審の措置に訴訟手続の違背があるとなすことはできない。論旨は理由がない。

その他原判決を破棄すべき事由もみられないので、刑事訴訟法第三九六条に則り、本件控訴を棄却すべきものとする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判長判事 筒井義彦 判事 川井立夫 判事 安東勝)

弁護人村田左文の控訴趣意

第一点本件公訴は刑事訴訟法第三百三十九条第一項第一号に依り決定を以て棄却すべきか若しくは同法第三百三十八条第四号に依り判決を以て棄却すべきものであるに不拘原審が有罪の判決を言渡したのは違法である

蓋し起訴状に記載された公訴事実は構成要件にあてはめられた形に於て訴因として示されなければならないのであつて公訴事実が如何なる構成要件にもあてはまらない様な事実として示された場合には公訴提起は無効である今本件起訴状を見るに

被告人首藤は(一)昭和二十五年六月初旬頃別府市楠町六組の相被告人溝口信平方に於て同人に対し糯精米一斗を金六百円にて売渡し(起訴状の第一の(2) )(二)同年六月七日頃前同所に於て前同人に対し粳精米五升を金三百円にて売渡し(起訴状の第一の(3) )

た旨の各記載があるのみである 然し乍ら起訴状記載の罰条たる食糧管理法施行規則第二十三条に所謂米の売却が罪となるのは同条所定の除外事由のないことを絶対的に要件とする換言すれば同条所定の犯罪を構成するには必ずや右除外事由のないことを要する従て其の起訴状には右除外事由なきことを必ず記載せねばならぬのである若し之が記載を欠くときは之れ正に起訴状に何らの罪となるべき事実を包含していないときに該当するものであるからして刑事訴訟法第三百三十九第一項第一号に依り須く決定を以て公訴を棄却すべきである。

而して一面又之れは起訴状に刑事訴訟法第二百五十六条第二項に所謂公訴事実の記載がない場合にも該当するからして公訴提起の手続に違反があるものとして刑事訴訟法第三百三十八条第四号に依り判決し公訴を棄却すべきものであるとも考える

第二点原判決は証拠に基かずして事実を認定した違法があるので当然破棄せらるべきものと信ずる即ち原判決は被告人は別段の除外事由がないのに云々と認定し之が証拠として原審に於ける被告人の自供、証人森永武治、溝口信平、首藤八重子の各証言を採つているのであるが其の何れを見ても被告人に付別段の除外事由がなかつたか否の点に関しては何等の取調べも為して居らず従つて此の点に関する限り全く何等の証拠がないのである然るに被告人に別段の除外事由なしと認定されたのは証拠に基かずして事実を認定したものでは明らかに刑事訴訟法第三百十七条に違反するものである

第三点原判決は事実誤認法令違反の不法あり破毀を免れざるものと信ずる 即ち原判決は

(一)被告人は……溝口信平方において同人に対し同人より金六百円を受取つて糯精米一斗を譲渡し (二)被告人は……同所に於て同人に対し配給米代の一部金三百円を同人より受取つて自己が配給を受けた粳精米五升を渡したものと認定したのである が先づ右(一)の事実に付検討するに「金六百円を受取つて糯精米一斗を譲渡し」とあり此の金六百円か右一斗の対価でありとするならばそれは云う迄もなく糯精米一斗の売買があつたことになるのであるが原判決は殊更売渡しなる字句を避けているので売渡しとは認定したのではなかろうと思料されるのであるが少くとも此の一斗の交付と金六百円の授受との間に原因結果の関係あるもの即ち此の一斗は有償の譲渡であると認定したものと信ずる 果して然りとせばは明かに事実の誤認である蓋し原審に於ける被告人の供述証人首藤八重子の証言及右供述乃至証言等から認めうる被告人と溝口チヱ子とが当時情交関係のあつた事実竝に当時糯精米一斗の公定価が金六百六十五円であつた公知の事実を彼此綜合考覆して見るとき被告人が其の情婦である溝口チヱ子の歓心を買う為前記の一斗は敢えて之を無償で融通したのであるが唯表面上チヱ子の夫である溝口信平に同女との関係を感知せらるゝを慮り形式上受領したに過ぎない事が明かに看取せられるからである果して然りとせば成程金六百円の授受はあつてもそれが糯精米一斗の対価でないことは勿論右一斗の交付との間に何等の因果の関係はないのであつて此の一斗は全く無償で交付されたものと認むべきである。次に前記(二)の事実である即ち「金三百円を受取つて自己が配給を受けた粳精米五升を譲渡し」とあつて之亦金三百円の授受と右五升の交付との間に因果の関係を持たせ有償譲渡の認定をしたのであるが之れも事実誤認であると信ずる蓋し原審に於ける被告人の供述証人森永武治の証言及被第一号の記載を綜合すれば被告人は溝口から米の融通を頼まれ自己が配給所から受領すべき分を便宜融通したものである従て其の配給代金三百十一円五十銭は当然溝口が支払うべきものであり当時金三百円を出したので被告人は其不足分を立替え支払うていたに過ぎないことが明認される 果して然らはは原判決認定の如く金三百円を受取つて自己が配給をうけた粳精米五升を譲渡したものでもなんでもないのである即ち金三百円の授受と粳精米五升の交付とは何等因果の関係に立つものでなく之れこそ全く無償で為されたものと謂うべきである仍て進んで然らば食糧管理法は個人の米麦等の無償の所有権移転の行為を処罰するのか如何かの点を検討して見たい

食糧管理法第九条には「政府は主要食糧の公正且適正なる配給を確保し其の他本法の目的を遂行する為特に必要ありと認むるときは政令の定むる所に依り主要食糧の配給加工製造譲渡其の他の処分使用消費保管及移動に関し必要なる命令を為すことをう」と規定し同法施行規則第二十三条を以て食糧管理法若しくは同法に基く法令の規定に依り定める場合又は農林大臣の指定する場合を除いて何人も米麦又はでん粉を政府又は食糧配給公団以外の者に譲り渡してはならない旨命令した

右の如く法では譲渡其の他の処分と書き分けてあるに不拘規則では譲渡とのみ規定している所から観れば別段の除外事由のない一般個人に対する制限は譲渡行為のみを禁止するものであり其の他の凡ゆる処分行為を禁止するものでないことが明認される然らば此の譲渡の中には所謂無償の所有権移転の行為迄も包含されるかどうか惟ふに若し包含されるものとすれば凡そ法に於て前述の如く譲渡其の他の処分と書き分けた趣旨を没却するのみならず全く立法の精神に背反するが故に此の譲渡の中には無償の所有権移転の行為は之を含まぬものと解するを正当と考える

蓋し無償の場合も包含するものとせんか米麦等を乞食に与えた場合寺院仏閣に寄進した場合家屋の棟上の際祝餅を撒いた場合乃至病気の全快祝に赤飯を配つた場合等何れも処罰の対象と為らねばならぬことになるのであるが斯る行為迄も之を処罰する趣旨ではないのである事苟くも一般個人に関する限り有償で特に不当と目さるる代償をえて其の所有権の移転を為してこそ食糧管理法の食糧の価格の調整を行わんとする立法の目的に背反することになるのであつて何等この目的に牴触せざる無償の場合の如きは之を処罰の対象と為さなかつたものである 特に本件の如く自家に多少の余裕があつたので不足する者に之を融通してやつた場合は却て食糧管理法の目的とする公正且適正なる配給の確保そのものを助長したことにも一面なるのであつて全く処罰の対象たりえぬものと謂わねばならぬと考える 然らば即ち原審が所謂譲渡行為ありと做し食糧管理法施行規則第二十三条に牴触するものとしたのは事実誤認及法令違反の不法あるものと信ずる

第四点原判決は起訴状に記載された事実と異なる事実を認定し而もは明かに被告人の防禦権を阻害したものであるから違法である 即ち起訴状には被告人は

(一)昭和二十五年六月初旬頃……溝口信平方に於て同人に対し糯精米一斗を金六百円にて売渡し (二)同年六月七日頃前同所に於て同人に対し粳精米五升を金三百円にて売渡した旨記載されているのであつて即ち検察官は訴因として売渡しを主張したのである而して本件記録に依り明らかであるが如く訴因変更手続の為された事跡の認むべきものなきに不拘原審は擅に検察官の主張しない訴因――起訴状に記載された事実と異なる事実即ち譲渡を認定したものでありは明らかに被告人の防禦権を阻害したものであるが故に到底破棄を免れえざるものと信ずる

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