福岡高等裁判所 昭和26年(う)3267号 判決 1952年2月15日
控訴人 被告人 阿部秀子
弁護人 鶴田常道
検察官 長田栄弘関与
主文
原判決を破棄する。
本件を原裁判所に差し戻す。
理由
弁護人鶴田常道の陳述した控訴の趣意は同人提出の同趣意書に記載の通りであるから茲に之を引用する。
同一人が同時に異る場所において販売の目的を以て猥褻文書を所持する場合、これを一個の所持と認むべきや将又右場所の数と同数の所持と認むべきやは専ら当該刑罰法規の立法の趣旨に照らし目的論的観点に立ち社会通念に従つて之を決すべきである。
本件に付之を観るに被告人の自宅は福岡市下桶屋町七番地であるが同時に同市馬場新町に露店を開き日々自宅から同所に出張し自宅から持参した猥褻文書を同所で販売していたものである。かゝる場合自宅における猥褻文書の所持も、同露店における所持も、その場所こそ異れ販売の目的を以てする猥褻文書所持罪の立法の趣旨を考量し社会通念に従い目的論的観点に立ちて解するときは一個の所持であつて二個の所持に非ずと断ずるを相当とする。
然らば原判決(第二、三参照)が昭和二十六年七月十六日頃右露店にあつた猥褻文書に対する所持と同日右自宅にあつた同文書に対する所持とを別個の二個の所持と解し併合罪として処理したのは違法だと言わねばならない。
又数個の猥褻文書を同時に所持する場合においても一個の所持罪が成立するだけであつて文書の個数に応ずる数個の所持罪が成立する謂れなきは勿論、又凡そ所持罪は一定の継続する状態を以て処罰の対象とするものであるから時間的関係において継続する所持の状態を検察官又は裁判官において恣意に区分し法的処理をなすことは許されない。
今本件に付之を観るに原判決判示第二、三によれば右所持の日は押収の日である昭和二十六年七月十六日頃となつては居るが右判示の法的効力が同日と時間的に継続する所持全般に及ぶこと前示理論により極めて明白である。しかして記録(特に被告人の検察官に対する第二回供述調書)によれば原判決第一の文書中「こたつ」「女そして女」「深夜の嬌声」「萩の露」の如きは判示の日時である昭和二十六年七月二日以前に判示第二、三中同題名の文書と共に他から仕入れ被告人において販売の目的を以て引続き所持していたものと解するのが相当だと思われる。果して然らば右の文書に関する限りその所持に付二回処罰せらるる結果となり原判決はこの点においても違法があると言わねばならぬ。
右の違法は事実誤認に基くものであれ法令の解釈の誤りに基くものであれ判決に影響を及ぼす性質のものであること明白であつて原判決はこの点において到底破棄を免れない。論旨は全部理由がある。
よつて刑事訴訟法第三百九十七条、第四百条本文に則り主文の通り判決する。
(裁判長判事 谷本寛 判事 藤井亮 判事 川井立夫)
弁護人鶴田常道の控訴趣意
第一点、原判決は、被告人の猥褻文書所持につき三個の犯罪事実を認定している。しかして判示第二と第三の罪は被告人が同日、即ち昭和二十六年七月十六日猥褻文書を販売の目的を以て所持していたというのであり、たゞ第二の事実は福岡市馬場新町電車道路上の自己店舗において、第三の事実は福岡市下桶屋町七番地の自宅においてそれぞれ所持していたというので二箇の犯罪事実として認定されている。
所持罪に関する最近の指導的判例としては、昭和二三年(れ)第九五六号、最高裁判所昭和二四年五月一八日最高裁判所大法廷判決があり、(最高裁刑事判例集第三巻第六号所載)同判決は要旨として、「不法所持罪を構成する所持が一個あるか数個あるかは、このような数的衡量を必要とする社会生活上の要求殊に刑罰法規手続規定等の制定の目的に立脚する目的論的観点に立つて、所持という行為乃至容態の形態を内心的、物理的、空間的関係その他各場合における諸般の事情に従つて仔細に考察し、通常人ならば何人も首肯するであろうところ、すなわち社会通念によつて、それが人と物との間に存する実力支配関係を客観的に表明するに足る個性を有するか否かを究めて、決定しなければならない」と判示している。この判決は、物の所持自体が犯罪となる不法所持罪につきなされたものであるから、本件の場合は特にその目的論的観点よりの考察が慎重になされなければならない。
刑法第百七十五条は、「猥褻ノ文書図画其ノ他ノ物ヲ頒布若クハ販売シ又ハ公然之ヲ陳列シタル者ハ二年以下ノ懲役又ハ五千円以下ノ罰金若クハ科料ニ処ス 販売ノ目的ヲ以テ之を所持シタル者亦同シ」と規定する。本条の罪は所謂風俗犯であつて、国民の性生活に関する善良の風俗を保持することを目的とするものであることは謂うまでもない。
罪数論につき保護法益を規準とする説に従うと否とに拘らず、同条前段の頒布、販売は、少くとも同一の日に時間場所を異にしてなしたとしてもこれを一罪として処罰すべきものであることは学説判例を通じ一致した見解である。(学説判例総覧刑法各論上三八五頁以下参照)
従つて同条後段の販売の目的を以て猥褻文書を所持する場合に於ても、同一日に於て場所を異にして占有していたとしても当然一罪として処罰すべきものであると謂わなければならない。さもなければ、前段の諸行為よりも、保護法益侵害の危険性の少い販売の目的を以て所持する行為を重く罰することとなり甚だしく刑の均衡を失する結果となるからである。
更らに、猥褻文書図画等の単なる所持が罰せられず販売の目的を以てする所持のみが罰せられる所以のものは「その目的販売にあるときは尚公衆の五官に触れ従つて風俗を害する虞あると同時に犯人に営利の目的あるが故に危険多大なりと認め」られるが故であつて、所持自体を罰することが法の目的ではなく、性生活に関する善良の風俗を保護することが本条の目的であると謂うべきであるから目的論的に云つて、本件の場合のように、被告人が同日而も同時刻頃駅前の露店及び自宅に猥褻文書を置いていた事実を二個の犯罪事実と認めなければならない合理的理由はないと思料される。
しかのみならず、被告人は博多駅附近に於て露天書籍商を営んでいるもので、自宅に置いていた文書も博多駅前の店で販売する目的であつて、自宅において販売したことはなかつたのであるから(被告人の検察官に対する第一回第二回供述調書参照)本件犯罪の構成要件たる『「販売ノ目的ヲ以テ」の所持』と云う概念を以て本件事象を考察するとき被告人の本件文書に対する実力支配関係は社会通念上一個であると解さるべきである。殊に本件の場合被告人が博多駅前において所持していた猥褻文書と自宅に置いていた文書とは殆んど同一の種類の文書であるから、本件の事象を目して二個の所持があるとなすのは社会通念に反するものであると考える。果して然らば原判決は法律の解釈適用を誤り、一個の犯罪事実を二個の犯罪事実であると認定処断した違法があり、かゝる違法が判決に影響あることは明白である。
第二点、判示第一の事実は被告人が昭和二六年七月二日頃福岡市馬場新町電車道路上の自己露店々舗において販売の目的を以て「萩の露」外六種の猥褻文書及び写真十六枚を所持していたというのであり、判示第二の事実は、同年同月一六日頃同所で「匂ある花」外七種の猥褻文書十二冊を所持していたというのであるが、原判決が証拠に引用する検察官に対する被告人の第二回供述調書によれば、被告人がこれらの猥褻文書を買入れた年月日及び冊数は別表第一右欄の通りで、その大部分が昭和二六年六月以前に買入れられたものである。
しかして、被告人が昭和二六年七月二日その店舗において判示第一の文書七冊以外の文書を所持していなかつたとの証拠はなく、当時被告人が同書において右七冊の文書と同種の文書を所持していたとすれば(この推定の蓋然性は甚だ大である。このことは別表第一右欄の買入年月日、並びに第一の事実の文書は同一人に対して交付した際押収されたものである事実に徴し容易に肯定し得るところである。)その所持は当然判示第一の事実の一部であるにも拘らず判示第二の事実として重ねて起訴され処罰されている可能性が大である。
この点につき充分審理を尽して、証拠上同一事実につき再び犯罪事実を認定処断しているものでないことを明らかにしなかつた原審の判決には審理不尽乃至理由不備の違法あるものと思料する。
第三点、第一点の主張が理由ありとするならば、原判決第二第三の犯罪事実中「夢よもう一度」「追憶」「美しき沼」「地獄の享楽」「ノート」の各文書を除くその他の文書は、被告人が昭和二六年七月二日現在に於て所持していたものであることが別表第一によつて明白であるから原判決は第一の犯罪事実の一部を更らに第三の犯罪事実と認定した違法があり、更らに「美しき沼」及び「ノート」の三種の文書については、被告人が同年七月二日現在に於て所持していたものであるか或はそれ以後十六日迄の間に入手したものであるかを証拠によつて示していない点から、審理不尽乃至理由不備の違法に陥つたものと謂はなければならない。
第四点、所持罪は一定の継続する状態を以て処罰の対象とするものであるから、時間的関係(前記最高裁判例に謂う延長的関係)に於て、継続する所持の状態を区分することは、検察官又は裁判官の恣意に委ねることはできない。何となればこれを許すとすれば、一定期間継続した所持犯は観念上無数の所持行為に区分され得、甚だしく不公正な結果を招来する虞れがあるからである。
かくて一個の継続する所持犯を時間的に区分し別個の犯罪となし得べき時期は確定判決(事実審の終局判決)時に限られなければならない。よつて一事不再理の原則の適用上確定判決前の一個の所持犯は時間の長短に関係なく常に一罪として処理されることにならざるを得ない。
次ぎに原判決は一定時に於ける猥褻文書図画の所持はその文書図画の種類数量の多寡を論ぜずこれを一個の所持犯と解し(この見解に基き三個の犯罪事実を判示し)ている。(本件に於て場所的関係において区分することの誤りなることは第一点において述べた通りである。)
従つて、原判決が判示第三の犯罪事実を認定処断した際この一個の所持犯中に、判示第一、第二の事実の全部はその一部として含まれているものと解しなければならない。この関係を図示すれば次の通りである。<図面省略>
よつて原判決には一個の犯罪として処断すべき被告人の犯罪行為を法律の適用を誤り三個の行為に区分し併合罪加重して処断した違法又は犯罪の個数の判示に於て理由齟齬の違法あるものと謂うべきである。
第五点、原判決は被告人を懲役四月に処し三年間その刑の執行を猶予しているが、原審公判廷に顕れた諸般の情状に照らしこの刑はやゝ重きに過ぎると思料される。
別表<省略>