福岡高等裁判所 昭和26年(ネ)295号 判決
控訴人は、「原判決を取消す。被控訴人は、控訴人に対し、金十二万円及びこれに対する、昭和二十二年十一月十八日以降完済に至るまで年六分の割合による金員を支払え。訴訟費用は総べて、被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は、「本件控訴を棄却する。」との判決を求めた。
当事者双方の事実上の陳述、及び証拠の提出、援用、認否は、控訴人において、「仮りに訴外柴山茂及び吉田保彦が、本件消費貸借につき被控訴人を代理する権限がなかつたとしても、右両名は当時被控訴会社の使用人であつたから、同人等にその権限があると信ずるについて正当の事由があるので、被控訴会社は、本件貸借につきその責に任じなければならない。」と述べた外は、原判決の当該摘示と同一であるから、ここにこれを引用する。<立証省略>
三、理 由
一、訴外柴山茂及び吉田保彦の両名が被控訴会社を代理する権限を有していたか否かは暫く措き、当時同会社小森江造船所勤務の同会社使用人(いわゆる社員)であつた右両名と控訴人との取引により、控訴人が自己の金十二万円を、昭和二十二年十一月十五日被控訴会社の取引銀行である、株式会社東京銀行門司支店の被控訴会社の当座預金口座に振込み入金したことは当事者間に争がない。
二、控訴人は、右は柴山茂及び吉田保彦が、被控訴会社の権限ある代理人として、控訴人との間に金十二万円の消費貸借契約をなしたものであると主張するけれども、原審及び当審証人関谷寿夫の右主張に照応する供述は信用し難く、却つて、原審証人柴山茂、同吉田保彦、同伊東勝の各証言と、右柴山の証言によつて成立を認むる乙第一号証並びに、右吉田の証言によつて成立を認むる乙第二号証の各記載とを考え合せると前記柴山及び吉田は右貸借において、何等被控訴会社を代理する権限を有しなかつたことが認められ、甲第一号証は柴山茂が擅に、被控訴会社代理名義を冒用して作成したものであることが認められ、これに反する何等の証拠もない。
三、然るに控訴人は、柴山茂及び吉田保彦は、当時被控訴会社の使用人であつたから、同人等に貸借の権限があると信ずるにつき、正当の事由があるから、被控訴会社は本件貸借につき、責任を負わねばならないと主張するから、この点を考察する。
原審証人伊東勝の証言により成立を認むる乙第三号証(昭和二十二年二月調査の被控訴会社の職員録)の記載と、同証言及び原審証人柴山茂、並びに同吉田保彦の各証言を合せ考えると、被控訴会社の小森江造船所は、専ら木工による(機械を使用しない)木造船の修理を業とし、右二月の調査では所長の下に、総務、業務、主計の三課があり、柴山の勤務する業務課は課長の外に、職員四名、準職員一名、女事務員二名あり、柴山は職員四名中の末席にある者、吉田保彦の勤務する主計課は、課長と職員たる右吉田及び女事務員一名であるが、吉田は漸く昭和二十一年二月頃右造船所に勤務を始め、本件貸借当時会計係として勤務していたが、被控訴会社のため消費貸借を締結する権限なく、小切手の振出は造船所長又は主計課長の決裁を経て、両者の中何れかの名義をもつてなされ、吉田は被控訴会社の営業に関する或る種類又は特定事項の委任を受けていない単なる職員であることが推認され、柴山茂は、昭和九年八月から被控訴会社に勤務を始めた者ではあるが、本件貸借当時は業務課長の下で資材の購入方をなしていた年齢漸く三十二歳の者であり、前示昭和二十二年二月調の職員録の記載から推度すれば、同年十一月十五日の本件貸借当時においても、同人は業務課職員中の末席者又はこれに類似の地位を有する者であつたこと、及び現下株式会社における部課長制度とその運用の実状に照らして考えると、柴山は資材の購入についても被控訴会社の代理権を有する使用人であるとは到底認むることができない。以上の認定に反する原審並びに当審証人関谷寿夫の証言は措信しない。そして株式会社の使用人は商法第四十三条第四十四条等の諸規定の適用ないし準用ある場合を除いては、会社の代表者又は適法な代理人から授権されない。以上は単に会社使用人であるというだけでは、外部に対し会社のため、法律行為をなす権限を有しないこと勿論であつて(右関谷忠夫の供述中柴山、吉田が被控訴会社の代理権を授与されているかのような趣旨の供述部分は信用しない)民法第百十条の表見代理は、その代理人において何等かの意味において、代理権を有することが前提として要求されるが、以上認定したように、柴山及び吉田において被控訴会社の代理権を有するという措信し得る証拠も存しないから、(甲第一号証の用紙が被控訴会社備付のものであることは、当事者間争ないところであるが、右は後記認定のように、本件取引完了後に証拠として柴山が記載したものであるから、代理権の存在を認むる証拠としては足らない)、表見代理を基礎とする控訴人の主張は、他の争点に関する判断を俟つまでもなく、既にこの点において失当として、排斥を免れない。
加之、前記関谷忠夫、柴山茂、吉田保彦の各証言を綜合すると、本件取引は控訴人の承諾の下に、同人の養子関谷寿夫と柴山茂との間に行われ、その成立に至つた事情は、当時船舶運営会から、重油を公定価格で被控訴会社名義で買取りこれを転売利得の上貸附日から三日目の昭和二十二年十一月十七日に謝礼として、金一万円を加え金十三万円を返済する約旨であつたことが認められる(柴山、吉田の証言中同人等が個人として重油を買取り転売することを控訴人側に告知した旨の部分は信用しない)ところ、当時重油は取引並びに価額の両面において厳重な統制に服し、仮りに重油の割当証明書を入手し得たとしても、その譲渡は禁止され、又同証明書により重油を入手したとしても、該重油は割当証明書の記載するところに従い自ら使用することを要し、これを他に転売することは禁止され、特に主務官庁の許可を得た場合は譲渡し得るも、本件の如く利得のための転売は主務官庁といえども、適法に許可し得ないところであつて、且又その取引については、物価の統制に関する法規の適用を受けたのであつて、控訴人又は関谷忠夫において、叙上統制法規の詳細を知らなかつたとしても当時重油が取引並びにその価額の両面において厳重に統制され、かかる統制下において重油購入資金として金十二万円を貸与し、僅々三日目に金一万円を附加して弁済を受くることは正常な取引の、よくなし得るところでないことは控訴人側としては当然予知し、少くとも予知し得べきところであつて、かかる場合、しかも当時としては、相当多額と認めらるる金十二万円の貸与方の申込を受けた控訴人としては柴山、吉田が被控訴会社の使用人であることの外に、現に具体的取引において、何等かの代理権を有したことの認められない本件においては被控訴会社の代表者もしくは、その正当な代理権を有する者に対し、柴山等に代理権存するや否やを確かむるのが通常人として正に採るべき措置であり(そは電話その他の方法に依るを得べく、一挙手一投足の労をもつて足るのである)仮令関谷忠夫の証言の如く、柴山が自らを被控訴会社の商事部の主任であると自称したとしても、(先に認定した通り同人が真実商事部の主任、或は営業部の主任である旨の関谷の証言は措信しない)又貸借交渉の際控訴人方でその電話を使用し、関谷忠夫の面前で、会計主任の吉田に電話をかけるとて電話をなし関谷が吉田を会計主任で相当の地位にある者と信じたため、本件取引をなす合意が成立したとしても、控訴人が前示の措置を採らなかつたのは、控訴人に不注意の責むべきものありて、結局柴山等に被控訴会社に代理権ありと信ずべき正当の事由存しないものと認むるの外なく、然して消費貸借はそのこれをなす合意と、目的物の引渡との二個の要件を具うることにより効力を生ずるところ、本件につき右の中合意の成立につき前認定の通り表見代理の規定の適用なく被控訴会社に対しては合意の効力及ばずとする以上は、よしや控訴人が被控訴会社の取引銀行たる東京銀行門司支店の被控訴会社の預金口座に払込を了して、金員引渡の点について過失の責むべきものなしとするも、本件消費貸借の効果が被控訴会社に生ずるとするに由なく、甲第一号証の用紙が被控訴会社備付にかかる物であることは当事者間争ないが、右は関谷忠夫の証言によれば、前記の通り金十二万円を被控訴会社の預金口座に払込み、いわゆる目的物の引渡を完了した後に、控訴人方に引渡した上で柴山において作成の上控訴人に差入れたものであることが認めらるるから、同号証をもつても、控訴人に柴山が代理権ありと信ずべき正当事由ありとするを得ない。
以上何れの点からしても控訴人の表見代理を原因とする主張は採用するを得ない。
四、次に控訴人の不当利得に基ずく請求について考察する。
前示乙第一、二号証及び成立に争のない甲第三号証の記載と柴山茂、吉田保彦、伊東勝の各証言に、関谷寿夫の証言の一部を考え合せると、柴山と吉田の両名は共同して、被控訴会社とは全く関係のない同人等個人の仕事として、矢野某の斡旋により重油を入手し、これを転売利得しようと思い、昭和二十二年十一月十四日夕刻、吉田において、右小森江造船所伊東主計課長を欺いて、東京銀行門司支店の小切手一枚に、金額を記入しないまま、印章を押捺して貰い、後でこれに十二万千百五十三円八銭と記入し、同日これを右矢野某に交付したが、当時被控訴会社の東京銀行門司支店の当座預金高少く、右小切手が不渡となるおそれがあつたので、右小切手の支払を得るため、翌十五日、柴山において、以上の事実を秘し関谷寿夫を介し、控訴人に交渉し、同人をだまして勝手に被控訴会社名義をもつて、控訴人から金十二万円を借り受けることとし、同日控訴人をして、被控訴会社の取引銀行である右門司支店の被控訴会社当座預金口座え、金十二万円を振込ませたところ、所期の通り前示小切手により金十二万千百五十三円八銭が払出されたことが認められる。これに反する乙第一号証の記載及び柴山茂の供述部分は措信しない。右によると右振込み当時を標準として考えると被控訴会社の当座預金高は控訴人の損失において、金十二万円増加し、しかもこれについて何等法律上の原因も存しないから、民法第七百三条(但し利益の存する限度の点は暫く措く)の要件を具えているようであるが、然し更に考究するに、人は社会共同生活における信義則の要請に即応する限り、「欲せずして他人と交渉することを要求されず、欲せざれば義務者たることを要求されない」ことは、私法一般に通ずる原則である。甲が乙から欺罔されて丙に無断で丙の金庫に現金一万円を入れ丙の金銭と混和した場合、丙は信義則上甲が右事実を知らないときは、その旨通知して、受領を求め、金庫を開扉し、甲が金一万円を回復することに協力する義務はあつても、(その協力義務が、たとえば丙の責に帰すべからざる盗難等の事由によつて消滅したとすれば、丙の義務は消滅するとせねばならない。)右金一万円を自ら不当に利得したりとし、甲の住所に持参支払う(原則として持参債務であることも考慮の要がある)義務ありとするは、右の原則と公平を原理とする不当利得制度の精神に副わない。即ち不当利得における、利得が、自己の意思(行為)又は自己の財産に無関係に生じたとしても、(自己の意思にかかわりなく、不当利得が財産に関し生ずるは民法第二百四十八条の添附にその例を見る)不当利得返還義務は生ぜずとせねばならない。
これを本件につき、これを見るに、前認定の事実よりすれば、被控訴会社は、控訴人が金十二万円を取得するのに協力する義務はあるが、不当利得返還義務者として、金十二万円を弁済する義務は存しない。唯預金の性質、換言すれば、預金払戻請求方法の定型性からして、一応被控訴会社においてこれを払戻した上で、控訴人が金員を回復するのに協力するの方法にでるのが普通であろうから、(尤もこの方法に限られるのではない。信義則上相当と認むる方法によつて、協力するをもつて足るのである。)その外形だけから観察すると、通常の不当利得返還義務の履行と選ぶところがないように見えるが、この場合でも前者は払戻しをして、控訴人の受領を求めるのであり、後者は払戻しをなすと否とに関係なく、金員を支払う義務がある点において異なる。換言すれば、前者は飽くまで前説示の協力義務の履行たるに止まり、自己が不当利得返還義務の主体としてなすものではないのである。従つて、被控訴会社を不当利得返還義務者として、その義務の履行を求める、控訴人の本訴請求は、既にこの点において失当として排斥を免れないのであるが、今この点は暫くおいて、控訴人が金十二万円を被控訴会社の預金口座に振込んだ途端に、被控訴会社に不当利得返還義務が生ずるものと仮定して、説明すると、前に認定した通り、柴山等は矢野に交付した小切手の支払をなすために、控訴人を欺罔し被控訴会社の当座預金口座を勝手に利用し金十二万円を右小切手所持人のため控訴人から騙取したのであり、かかる場合は、被控訴会社としては、自己の預金口座が柴山等の犯罪のために、擅に利用されたに過ぎず、毫も利得の残存するものがないから不当利得返還義務を負担せずと解すべきで、又当時被控訴会社自身の当座預金高は、前示小切手の金額に達せず、控訴人の振込がなければ、当然小切手は不渡となる事情にあつたことは、先に認定した通りであるから、被控訴会社としては、小切手金額相当の金員の喪失を免れたものとも云えないから結局利得の残存するものなきに帰する。であるから、被控訴会社に不当利得返還義務ありとする控訴人の請求は到底認容するを得ない。
以上説示の如く控訴人の請求は失当であるから、これを排斥した原判決は正当で、本件控訴は理由がないから、民事訴訟法第三百八十四条に依り、これを棄却し、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第九十六条、第九十五条、第八十九条を適用し主文の通り判決する。
(裁判官 仲地唯旺 二階信一 秦亘)