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福岡高等裁判所 昭和26年(ネ)857号 判決 1958年12月26日

第一審原告 中尾英夫

第一審被告 横尾熊彦

主文

一審原告の控訴を棄却する。

原判決を次のとおり変更する。

一審被告は一審原告に対し金四五万円及びこれに対する昭和二六年五月三〇日より完済まで年五分の割合による金員を支払わなければならない。

一審原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審を通じてこれを四分し、その一を一審原告の負担、その余を一審被告の負担とする。

事実

一審原告代理人は「一審被告の控訴を棄却する、原判決を次のとおり変更する、一審被告は一審原告に対し金一、八二八、〇〇〇円及びこれに対する昭和二六年五月三〇日より完済まで年五分の割合による金員を支払うべし、訴訟費用は第一、二審とも一審被告の負担とする」との判決を求め、一審被告代理人は「一審原告の控訴を棄却する、原判決中一審被告勝訴の部分を除きその余を取消す、一審原告の請求を棄却する、訴訟費用は第一、二審とも一審原告の負担とする」との判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述並に証拠の提出認否は、一審原告(以下単に原告と称する)代理人において

(一)、およそ債務不履行により履行に代わる損害賠償債権が生じた後に目的物件の価格が騰貴した場合に、その騰貴価格により被害者が受益すべきであつた事情があり、且つ加害者が右事情を予見し、もしくは予見し得べかりしときは、被害者はその騰貴価格による損害賠償を請求し得ることは判例及び学説に徴するも明らかなところである。これを本件について見るに、本件売買契約の履行不能の原因である一審被告(以下単に被告と称する)が訴外宗伝蔵に対し本件不動産を売却し、その所有権移転登記を了した昭和二二年二月一〇日以降価格が騰貴したことは明らかであり、当時一般物価は勿論不動産価格も騰貴の趨勢にあつたことは公知の事実である。原告は本件売買契約をなすに当り、将来本件土地建物において病院を開業すると共に結核療養所をも設けることを意図したものであり、被告もそのことを知り、これに賛同して売渡したのであるから、原告は転売の目的はなかつたし、被告も原告が転売する等とは全然考えていなかつた。従つて本件売買が履行されていたとすれば、原告は現在まで本件不動産を所有し続けたであろうと考えるのは当然である。そうすれば原告が本件不動産により得べかりし利益はその現在価格であることは明らかである。訴外宗伝蔵は本件不動産を被告から買受けた後、佐賀県北山のダム工事が開始され、附近不動産の価格騰貴が伝えらるるや、訴外納富武雄(佐賀市松本旅館主)に対し本件不動産中主たる部分(原告が疎開中使用していた部分の土地建物のみ)を代金一五〇万円で売却したが、被告が原告に対し本件売買を履行していたならば、右松本旅館主は原告に対し買入交渉をしたであろうことは確実に推定でき、そうすればそのとき原告が売つても右部分のみで金一五〇万円の利益を得られたことは明らかである。被告はその自認するように八幡市における屈指の実業家であり、常人以上に経済現象に敏感な目先の見える人であるので、本件不履行当時において将来価格が騰貴することは勿論予見していたし、且つ原告が現在まで本件不動産を所有し続け、現在価格で受益することも当然予見していたものであり、少くともこれを予見し得べかりしことは確実である。以上の事実に徴すれば本件不動産の現在価格による本訴損害賠償の請求は正当であると信ずる。

(二)、仮りに右の主張が理由なく現在価格による賠償請求が直ちに容れられないとすれば、債務不履行時における本件不動産の価格が賠償額算定の標準となるわけであるが、なお原告としては右債務不履行時の価格にその後現在に至る物価指数の上昇率を乗じた金額を損害賠償として請求し得るものと信ずる。その論拠は信義誠実の原則(事情変更の原則)にあるのである。すなわち被告は原告との間に本件売買契約をしながら、その後目的物件を代金二三万円で他人に売却し、よつて不法に利得したものであるが、その後八幡市屈指の実業家として右利得を最大限に利用し得たものというべきであるから、これによる被告の現存受益は右利得額にその後の物価指数の上昇率を乗じた金額と見て差支えない。しかるに他面被害者たる原告に対する賠償額は債務不履行当時の損害額に僅かに法定利率による遅延損害金を附加するをもつて足るとすることは、法の大原則である信義誠実の原則に反すること甚だしく、常識ある人のとうてい首肯し得るところでない。本件債務不履行時である昭和二二年二月から現在までの物価指数の上昇率は一〇倍以上に達している。そこで債務不履行時の本件不動産の価格に右上昇率を乗ずれば、その額は原告の本訴請求金額以上に達する

と述べ

被告代理人において

(一)、被告が原告との間に本件不動産の売買契約をしたことは断じてない。被告は強制疎開のため行先のない原告に同情し、好意的に一時の疎開先として本件不動産中家屋の一部を無償で原告に貸与したのに過ぎない。当時被告自身も戦争が苛烈となり、敵機空襲の危険にさらされていたので、自己の家族八名をも本件家屋に疎開させようと考えていた際であるから、本件不動産を他に売渡すことは毛頭考えていなかつたのである。昭和一九年四月頃被告はかねて訴外池田弘や西村常純を介し原告から本件家屋の借用方を申込まれていたので、原告の招請に応じ、それまで一面識もなかつた原告方を訪ね、原被告及び訴外西村常純の三名で会談したことはある。その際右西村は突然被告に対し「本件不動産を原告に一〇万円で売れ、そして内三万円を自分に呉れ」と全く一方的に押しつけがましくいうので、被告はその厚顔に不快を覚え、相手にしなかつた。当時金一〇万円は相当の財産であり、それを内交渉もなく突然売れといわれても即答できる筈がない。金一〇万円の財産を処分するについては被告として相当の考慮期間を要することは当然である。右会談の翌日頃原告はなおも被告から売買の確約を得ようとして、その妻をして被告方に手附金を持参させて売渡方を懇請したが、被告はもとよりその意思がなかつたので拒絶し、勿論手附金も受領しなかつた。これを要するに原告から本件不動産の買受を希望する旨の申出はあつたが、被告がこれを承諾して売買契約が成立した事実は全くないのであつて、現に本件においては売買契約書も作成されておらず、手附金の授受も行われていないのである。およそ不動産の売買にあつては契約書を作成して目的物件、代金額、その支払方法、受渡時期等を明確にすることが取引の通念というべく、殊に本件の如く当時としては相当の大金である代金一〇万円の不動産取引をなすについて、被告ほどの経験を積んだ実業家が取引慣行に反して契約書も作らず、代金支払の方法等も明確にせず、単なる口頭契約で売買をなすが如きはとうていあり得ないところである。そして原告は終戦後社会情勢が急変したため本件不動産に対する興味を失い、前記訴外西村常純に対し「本件不動産を買うのは止めた」と言明した事実があり、これによるも原被告間に真実売買契約が成立していなかつたことが窺えるのである。

(二)、仮りに被告に債務不履行の責任があるとするも、原告主張の損害額は甚だ不当である。およそ債務不履行(履行不能)により債権者が損害賠償債権を取得するのは、不履行と同時に従前の債権が金銭債権に変わるのであるから、その賠償額は不履行時における目的物件の交換価格を標準として定むべきであつて、その後における価格の変動により左右さるべきものではない。このことは大審院民刑聯合部大正一五年五月二二日判決以来一貫した判例理論であつて、債務不履行後価格が騰貴し、その騰貴がたとえ自然の趨勢によるものとするも、被害者において債務不履行がなかつたなら、その騰貴した価格で転売その他の方法により、該価格に相当する利益を確実に取得したるべき特別の事情があり、その事情を不履行当時予見し、または予見し得べかりし場合でなければ、かかる価格による損害賠償の請求をなすことはできないのである。本件においては右の特別事情も当事者がこれを予見した事実もないのであるから、被告が本件不動産を訴外宗伝蔵に売却した価格である金一二七、〇〇〇円を標準として損害額を決定すべきものである

と述べ

証拠として新たに原告代理人は甲第八号証の一乃至一〇を提出し、当審証人中尾幸、同納富武雄、同鬼崎安太郎の各証言並に当審鑑定人村上定、同古沢伝の各鑑定の結果を援用し、被告代理人は当審証人宗伝蔵、同田尻亮吉の各証言、当審における被告本人尋問の結果並に当審鑑定人三浦市雄、同鬼崎安太郎の各鑑定の結果を援用し、甲第八号証の一乃至一〇の各成立を認めた外、原判決事実摘示と同一であるから、ここにこれを引用する。

理由

一、各成立に争のない甲第二号証の一乃至五、第四及び第六号証の各一、二、第八号証の一乃至一〇、乙第一号証の一、二、原審証人原口定蔵、同北村虎次の各証言により成立を認め得る甲第一号証の一乃至四、原審証人中尾幸の証言により成立を認め得る甲第三号証の一乃至四、原審における原告本人の供述により成立を認め得る甲第五号証に原審証人小柳卯一郎、同原口定蔵、同北村虎次、同古川安市、同横尾吉彦、同池田弘、同中村朴、同西村常純(第一、二、三回)、同田中満次郎、原審竝に当審証人宗伝蔵(原審は第一、二回)、同中尾幸(原審は第一、二回)の各証言、原審における原告本人竝に当審における被告本人(後記措信しない部分を除く)の各尋問の結果、原審における第二回検証(昭和二五年九月二七日)の結果を綜合すれば次の事実を認めることができる。

(1)、原判決添付目録記載の本件不動産は佐賀市近郊の景勝地である県立公園川上峡の中心地帯に位置し、土地は総面積約一三、〇〇〇坪に達する一団地をなし、大正年間佐賀市の古賀銀行頭取古賀善兵衛所有の別荘地(前記目録の家屋番号八番の家屋が別荘であつた)であつたが、その後佐賀市の呉服商南里某の所有に移り、次いで昭和一五年頃右南里はこれを処分するため檀那寺である佐賀市称念寺の住職西村常純に相談したところ、同人の斡旋の結果、佐賀出身で同じく右称念寺の檀家であり、八幡市において八幡製鉄所関係の大きな事業を営む資産家である被告が右南里から本件不動産を代金約一万円で買受けた。しかし当時は戦時中でもあつたため、被告はその後本件不動産を自ら使用する機会は殆んどなく、前記西村常純に管理を依頼し、なお前主南里の所有当時から前記目録の家屋番号二八番の家屋に居住して本件不動産の管理に当つていた訴外宗伝蔵に引続き留守番として実際の管理を委せていた。そのような状態が昭和一九年まで続いたのであるが、その間前記別荘家屋は殆んど留守番まかせであつたため、相当の荒廃個所を生じたけれども、戦時中ではあり十分の修理もできない有様であつた。

(2)、原告も佐賀出身であり、八幡市において相当大きな小児科病院を経営する医師であつたが、昭和一九年に至り右病院及び住宅が強制疎開のため取こわしを命ぜられ、且ついずれは軍医として召集される公算が強かつたところから、他に適当な疎開家屋を入手して多勢の家族、看護婦等を引連れ移住すべく、しきりに物色していた。その頃原告の友人であり、原告から右の事情を訴えられた訴外池田弘はかねて懇意にしていた被告に対し右の事実を告げた上、本件別荘地及び家屋を原告に譲渡または貸与方の相談を試みたところ、被告はそれまで原告とは未知の間柄であつたけれども、右池田から原告の身分、経歴等を聞き、同郷のよしみもあつたところから相談に応じてもよいという好意的な回答を与え、なお求めにより原告に実地検分させるため、管理人である前記訴外西村常純宛ての紹介状を与えた。そこで原告は佐賀市に行き、右西村の案内で本件不動産を実地に見た結果少からず気に入つたので、これを買受けようと決意するに至り、右西村にも斡旋方を依頼した。西村常純は前記のように被告が本件不動産を所有する当初から関係し、その後数年に亘り被告が自らこれを使用する機会はないままに経過し、次第に荒廃に向う実情を熟知していたし、戦争の見通しもつかない当時の情況であつたところから、この際自己の檀家である被告に相当高価で売却させ、利益の一部を寺に寄進させようとの意図もあつて、原告の右申出を承諾し、昭和一九年四月頃自ら八幡市に行つて被告に対ししきりに本件不動産の売却方をすすめた。そこで被告もついにその気になり、その頃西村とともに原告方を訪ね、三者間で売買交渉を進めた結果、代金は被告側から提案した金額一〇万円に対し原告は殆んど一議に及ばずこれを承諾し、ここに本件不動産を被告から原告に代金一〇万円で売渡す旨の契約が円満に成立するに至つた。そして同郷人であるし、双方とも八幡市で著名の紳士であるというところから、売買契約書の作成等は省略することとし、いずれ所有権移転登記と同時に代金支払を完了すべき旨を約した程度で、その他に詳細な契約条項等を定める必要もないとし、被告は原告の急迫した事情を諒解し、代金受渡しを待たず何時でも本件別荘家屋に移住してよい旨を申出で、談笑裡にその日の会合を終つた。その翌日頃原告は被告に対する礼儀としても一応手附金を差入れておいたがよいと考え、金二万円位を妻に持参させたが、被告は前記のように紳士契約であるからとて受領しなかつたので、更に仲介人である前記池田弘に依頼して持参させたけれども、被告は同様の言をくりかえしてこれを受領しなかつた。

(3)、原告はその後病院閉鎖のための整理や移住の準備を終り、またその間前記西村常純に依頼して当時本件別荘家屋内に居住していた訴外石井伊勢吉に立退交渉をし、原告が金二、〇〇〇円、被告が金一、〇〇〇円を支出し、合計金三、〇〇〇円を立退料として右石井に交付して同人を立退かせた上、昭和一九年七月初頃家族とともに右別荘家屋に移住した。そして前記のように相当の荒廃個所があつたので、原告は自ら多額の費用を出して修理改造を加えた。その後同年八月一日から二五日間に亘り原告は命を受け、軍医予備員としての訓練を受け、一旦帰家してから間もなく徴用され、佐賀県北方町所在の炭鉱病院長として勤務することとなり、翌年終戦により復員後は佐賀市内で医院を開業したが、家族は引続き本件家屋に居住させ、昭和二一年秋頃家族全部も佐賀市に移り、その後は訴外横尾吉彦夫妻を留守番として本件家屋に居住させたが、同人も昭和二二年末頃他に移転し、またその間原告も佐賀市から福岡市に移転して現在に至つている。なお前記家屋番号二八番の家屋には原告の買受後も引続き訴外宗伝蔵が居住し来つた。

(4)、原告は昭和一九年七月本件家屋に移住してから余り日時を経過しない頃、本件売買を早急に履行したいと考え、所有権移転登記のため代書人に依頼して本件不動産の売渡証(登記原因証書)及び登記申請委任状を作成し、前記西村常純に依頼して右各書面に被告の捺印方を求めた。しかるに被告はその頃原告が八幡市内に相当広大な土地(主として山林及び原野)を所有することを聞知し、本件売買契約を全部または一部変更して右土地との交換を希望するようになつていたところから、直ちに右登記用書類の捺印に応じようとはしなかつた。右交換の話はその頃原告にも伝えられたが、既に互いに遠隔地に居住し、また前記原告の徴用勤務等の関係で容易に連結がとれず、右交換の件はその後具体的に進展するに至らないままで日時を経過してしまつた。

(5)、昭和二二年一月一七日附書簡をもつて被告は突然原告に対し「去る昭和一九年原被告間に本件不動産売買の下相談があり、被告もその内意はあつたが、敗戦後の情況により現在となつては右内意を実現し難い」旨を申出でた。これに対し原告は同月三一日附書簡をもつて被告に対し「本件不動産の売買契約は真実成立したものであり、そのためにこそ原告は前住者に立退料を支払い、多額の費用を出して家屋を修繕し、売買代金は被告の指定する方法により何時でも支払すべく申向けていたにも拘らず、今日に至り単なる下相談であつたとの申出には納得し難い」旨の回答を送つた。

以上の事実が認められる。被告は、本件不動産は原告一家の一時の疎開先として被告が好意的にこれを貸与したのに過ぎず、その頃原告から買受けたい旨の申出はあつたが、被告として直ちに応ずるわけにもいかなかつたので、売買契約締結にまでは至らなかつたと主張し、その点に関する唯一の証拠資料として当審における被告本人の供述があるけれども、該供述中右主張に副う趣旨の部分は冒頭掲記の請証拠と比照しとうてい措信できず、その他に被告の右主張を肯認して前段認定をくつがえすに足る証拠は存しない。

二、被告が昭和二二年二月一〇日頃本件不動産全部を訴外宗伝蔵に売却し、その頃これが所有権移転登記を了したことは当事者間に争がない。さすれば他に特段の事情の認められない本件においては、その時において原被告間の本件売買契約は被告の責に帰すべき事由により履行不能となつたものといわなければならないから、被告はこれにより原告が蒙つた損害を賠償すべき義務あることは当然である。そして売主の債務不履行(履行不能)により買主の蒙る通常の損害は、不履行時における目的物件の相当な交換価格であることは勿論である。

そこで右昭和二二年二月当時における本件不動産の相当価格について考える。その点について当審鑑定人三浦市雄によれば右日時現在における本件不動産全部の価格として合計金一九五、〇〇〇円、同鑑定人鬼崎安太郎によれば合計金一五九、五六七円、同鑑定人村上定によれば建物のみで合計金八三九、四六九円、同鑑定人古沢伝によれば土地建物合計金一、一四二、〇〇〇円であるとの各鑑定がなされている。当裁判所は右のうち三浦鑑定人の鑑定の結果を最も妥当に近いものと考え、なおこれに原審証人増田森太郎、同中村栄太郎、同岸川玄喜、同井上福松の各証言をも総合し、本件債務不履行時における本件不動産の相当交換価格は金二五万円程度のところにあつたものと認定する。これに比し村上、古沢両鑑定人は相当に距たりのある高額な評価をなしている。佐賀県及び市の吏員として土木建築関係の専門技術を有する右両鑑定人の鑑定の結果を一概に斥けることのできないことは勿論である。しかしながら当審証人納富武雄の証言によれば、本件不動産の主要部分と認められる前記家屋番号八番の別荘家屋は昭和二四年頃金二〇〇万円位の費用をかけて全面的に面目一新する程の大改造が加えられたことが認められるので、鑑定当時において改造前の原状を真実に近く想定して、これを鑑定の基礎とするのは至難のことであつたことが推断されるし、また専門技術に基く不動産の評価額をもつてその実存価格と認むべきものとするも、実存価格と交換価格とが直ちに一致するものともおもわれず、殊に本件不動産のように面積一三、〇〇〇坪にも及ぶ別荘地については一般市街地等と同じく右から左に買手がつくものとも考えられない。以上の理由により右両鑑定人の鑑定の結果は本件においてこれを採用することはできない。

さすれば前記認定の相当価格金二五万円が被告の債務不履行により原告の受けた損害となるのであるが、本件売買代金一〇万円は原被告間において未だ支払がなされていなかつたのであり、原告も本訴提起の当初から右約定代金一〇万円を物件価格から差引いた残額を損害として賠償請求しているのであるから、結局原告の損害金一五万円ということになる。

被告は、原告は訴外西村常純に対し「原被告間の本件売買は止めた」旨を言明した事実があり、被告は右西村を通じそのことを聞知したので、これにより原告は買主たる地位を放棄し、または損害賠償請求権を放棄したものというべく、仮りにそうでないとするも右事実及び原告が契約後長期間に亘り代金の提供も供託もしなかつたのはその過失であるから、損害賠償額の算定につき過失相殺すべきであると主張するけれども、原審証人西村常純の証言中前段主張に副う趣旨の部分は原審における原告本人の供述に照らし容易に措信し難く、かえつて原告は昭和二二年一月三一日附書簡をもつて被告に対し本件売買契約の存続を強く主張したことは上記認定のとおりである。また売買代金の授受がなされるに至らなかつた事情についても前叙認定のとおりであつて、それにつき原告に責を負わしむべき理由はないから、被告の右主張はいずれも採用し難い。

三、原告は、本件債務不履行当時において一般物価が騰勢にあつたことは公知の事実であり、本件不動産も将来価格が騰貴することは被告においてこれを予見し、または予見し得べかりしものであるから、原告はその後騰貴した最高価格をもつて損害賠償を請求し得べきであると主張する。なるほど昭和二二年二月当時は戦後のインフレーシヨンにより一般物価が騰勢をたどつていたことは周知の事実であり、被告としても将来本件不動産の価格が騰貴することを予見し、または予見し得べきであつたことは推認できないものではない。しかしながらその騰貴率が後に認定するように約六倍にも達するということ、あるいは少くともどの程度にまで騰貴するかということは、当時において何人といえどもこれを予見し、または予見し得たものとはおもわれない。債務不履行または不法行為後の騰貴価格をもつて損害賠償を請求し得るのは、被害者において騰貴価格に相当する利益を確実に取得し得べき特別事情が存在し、且つこれを予見し、または予見し得べかりし場合に限られることは被告引用の大審院判例以来一貫した支配的見解である(最高裁昭和三二年一月三一日判決参照)。従つてそのような特段の事由の認められない本件においては原告の前記主張はとうてい採用し難い。

四、次に原告は、本件債務不履行時から現在に至る間に一般物価の上昇率は一〇倍以上に達しているから、信義誠実乃至は事情変更の原則に基き、現在において原告が賠償請求し得べき金額は債務不履行時における損害額に物価指数の上昇率を乗じた金額でなければならないと主張する。よつて案ずるに、本件債務不履行時である昭和二二年二月当時は戦後のインフレーシヨンにより一般物価が急激な騰勢をたどつていたことは前記のとおりであり、これを本件不動産について見るに、原審鑑定人下栄次郎、同大久保崇臣、原審竝に当審鑑定人三浦市雄、当審鑑定人古沢伝の各鑑定の結果を綜合すれば、その後インフレーシヨンが一先ず終止し、一応物価の安定を得た昭和二六年頃までの間における価格の上昇は少くとも約六倍に達したことが認められる。かようにインフレーシヨンという特別事情によつて急激な価格の上昇(貨幣価値の下落)があつた場合においては、いわゆる事情変更の原則に基き、損害賠償額の算定について十分これを顧慮する必要あるものと解する。なんとなれば契約等による一般の金銭債権は、当事者の意思に基き当初から確定名価をもつて示された金銭(通貨)債権であるから、その後に貨幣価値の変動があつてもこれに左右されることなく、その名価に従わなければならないことは、支払取引の安全と恒常とを使命とする貨幣制度の目的から見るも当然であるけれども、損害賠償債権のように当初から確定名価をもつて示されることなく、専ら私人間の衡平の理念から、一般的に失われた価値の填補を目的とする債権にあつては、これを通常の金銭債権と同様に論ずることはできないからである。もしそうでないとすれば貨幣価値が急激に下落した場合、債務者は不当に賠償の義務を免れ、債権者は当然に受くべき価値填補を失う結果となり、衡平を理念とする法の目的は著しくそこなわれることとなる。しかしこの場合その賠償額を算定するについては、単に算術的に損害発生時の価格に物価上昇の倍率を乗ずるのみで事足れりとすることはできない。けだし貨幣価値の変動を顧慮するのは、そうしなければ法の理念である衡平の要請に背くことになるためであるから、他の事情をも斟酌して、その要請を充すため必要最少の限度において金額の修正をなすのを最も相当とするからである。そこで本件について見るに、前叙認定の本件売買契約締結後の履行情況、本件物件の特殊性、債務不履行当時物価が騰勢をたどり将来も価格騰貴することが予見し得られたこと等の事情を参酌し、当裁判所は本件の損害賠償額を前記認定の原告の損害額金一五万円を三倍した金四五万円となすを相当であると判断する。

五、以上により原告の本訴請求は金四五万円及びこれに対する原告が原審において請求金額を拡張した日の翌日であること記録上明らかな昭和二六年五月三〇日以降年五分の割合による法定損害金の支払を求める限度において正当として認容し、その余は失当として棄却すべく、原告の控訴は結局理由がないから棄却し、被告の控訴は一部理由があるから原判決を変更することとし、民事訴訟法第三八四条第三八六条第九六条第九二条を適用し主文のとおり判決する。

(裁判官 竹下利之右衛門 小西信三 岩永金次郎)

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