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福岡高等裁判所 昭和27年(う)3113号 判決 1953年2月09日

控訴人 原審検察官 山田四郎

被告人 野田政吉 弁護人 高良一男

検察官 白土八郎

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金一万円に処する。

右罰金を完納できないときは金二百五十円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

原審の訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

検察官白土八郎の控訴趣意及び弁護人高良一男の答弁は記録に編綴されている原審検察官山田四郎及び同弁護人各提出の控訴趣意書及び答弁書記載のとおりであるからこれを引用する。

同控訴趣意について

原審が「被告人は昭和二十六年十一月二十四日午後五時半頃福岡市東中洲大阪屋食堂において飲酒酩酊の上早船小一郎に対し些細のことに因縁をつけ同所にあつた砂糖壺で同人の頭部を数回殴打し更に靴を以つて同人の頭部等を数回殴打し尚自己の足で同人の身体を踏んだり蹴つたり等し因つて同人に治療十日間を要する右側頭部挫創及び右拇指捻挫を負わせたものである」との本件公訴事実に対し「右の事実は証人山口敏子の当公廷における供述その他の証拠に依りこれを認めることができるが被告人の本件加害当時における精神状態は多量の飲酒等に基き心神喪失の状態に陥つていたものと認められ従つて被告人に加害当時に於ける刑事責任を問う訳にはいかないけれども被告人は飲酒の抑止や酒量の制限等の方法により酒乱の危険発生を未然に防止する注意義務があるに拘らずこれを怠つて漫然と過度の飲酒をした結果心神喪失の状態を招きその結果公訴事実に掲げた傷害行為を惹起したものであるからこの点において被告人は過失傷害罪としての刑事責任を免れないものであるが刑法第二百九条第二項に基き被害者の告訴が無く従つて本件公訴は訴訟条件を欠くから刑事訴訟法第三百三十八条第四号に則り公訴棄却すべきものである」と判示したことは原判決に徴し所論のとおりである。

凡そ飲酒はその摂取が多量に及ぶときは人の感情に鈍磨を生ぜしめ甚だしきは心神耗弱乃至心神喪失の状態に陥りその酩酊者の衝動的行為が往々他人の生命身体に危険を来たすの恐あることは吾人の経験則上明白な事実であつて飲酒する者は何人もその摂取量、場所等につき社会生活上或程度の注意義務を負担すべきことは当然である。しかして又病的酩酊の素質を有し以前に屡々飲酒酩酊の上心神耗弱乃至心神喪失の状態に陥りその状態において犯罪を犯す習癖を自覚する者は一般人に要求される飲酒についての前注意義務よりは遙かに高度の注意義務が要請されるものと解すべきである

これを本件につき検討して見ると本件記録並びに原審の取り調べた証拠によれば被告人は嘗つて傷害罪により六回に亘り処刑されたものであるところそのいずれもが飲酒の上の犯行であり尚被告人は病的酩酊の素質を有し自らも飲酒に節度を保ち得ず過度の飲酒の結果は極度に酩酊して心神耗弱乃至心神喪失の状態に陥りその状態において犯罪を犯す習癖のあることを自覚していたのであつて斯る自覚を有し乍ら飲酒を避けなかつた特段の事情の認むべきものがないのに拘らず本件傷害行為の直前において自ら求めて飲酒の機会に近づき何人の介添もなく単身福岡市東中洲芳町白鹿酒場及び同市東中洲大阪屋食堂等酔客多数出入し何時如何なるはずみで酩酊者同士衝突するやも測り難き危険多き箇所を多量の酒を飲み歩きついに心神喪失の状態を招き本件公訴事実に掲げた傷害行為を惹起したことが明白であるから被告人は前記酒癖に基く危険発生の予防配慮において本件当時著しく欠けていたとの非難を免れない。従つてその過失の程度は正に刑法第二百十一条後段の重大なる過失に該るものと謂わなければならない。

原審が右の事情を看過し冒頭認定の如く被告人の本件所為は単なる過失傷害であると速断し被害者の告訴なきことを以て本件公訴を棄却したのは事実を誤認し引いて法令の適用を誤つたものと謂わざるを得ない。しかも右の誤りは判決に影響を及ぼす事が明白であつて此の点に於て原判決は破棄を免れない論旨は理由がある。

そして当裁判所は本件記録及び原審の取り調べた証拠によつて直ちに判決をすることができるものと認め刑事訴訟法第百九十七条により原判決を破棄し同法第四百条但書に従い更に判決する。

一、罪となるべき事実

被告人は嘗つて傷害罪により六回に亘り処刑されたものであるがそのいずれもが飲酒の上の犯行であり尚被告人は病的酩酊の素質を有し自らも飲酒に節度を保ち得ず過度の飲酒の結果は極度に酩酊して心神喪失乃至は心神耗弱の状態に陥りその状態において犯罪を犯す習癖のあることを自覚しているものであつて一般人に比し特に飲酒の抑止、酒量の制限等の方法により重過失に基ずく酒乱の危険発生を未然に防止すべき注意義務を有するものであるところ昭和二十六年十一月二十四日飲酒を避け得ない特段の事情のないのに拘らず自ら求めて飲酒の機会に近づき何人の介添もなく単身福岡市東中洲芳町白鹿酒場及び同市東中洲大阪屋食堂等酔客多数出入し何時如何なるはずみで酩酊者同士衝突するやも測り難き危険多き箇所を多量の酒を飲み歩きついに心神喪失の状態に立至り同日午後五時半頃前記大阪屋食堂において早船小一郎に対し些細のことに因縁をつけ同所にあつた砂糖壺で同人の頭部を数回殴打し更に靴を以て同人の頭部等を数回殴打し尚自己の足で同人の身体を踏んだり蹴つたり等なし因つて同人に治療十日間を要する右側頭部挫創及び右拇指捻挫を負わせたものである。

二、証拠

1、検察事務官作成の第一、二回供述調書中の同人の各供述記載

2、司法警察員作成の被告人の供述調書中の同人の供述記載

3、原審第三回公判調書中証人山口敏子、徳久徹夫の各供述記載

4、司法警察員作成の早船小一郎、鳥越えい子、寺岡きみ江、森不二枝の各供述調書中同人等の供述記載

5、医師町野哲英作成の診断書中早船小一郎の傷害の部位程度の記載

6、鑑定人九州大学医学部講師池田数好作成の鑑定書の記載

7、被告人の前科調書

8、飲酒につき一般人より特に重大なる注意義務の存することは冒頭判示事実により明白である。

三、法律の適用

被告人の判示所為は刑法第二百十一条後段同条前段罰金等臨時措置法第二条第一項第三条第一項第一号に該当するから所定刑中罰金刑を選択し其の金額の範囲内で被告人を罰金一万円に処し右罰金を完納することができないときは刑法第十八条により金二百五十円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置し刑事訴訟法第百八十一条第一項に則り原審の訴訟費用は被告人の負担とする

よつて主文のとおり判決する

(裁判長判事 青木亮忠 判事 鈴木進 判事 藤原千尋)

検察官の控訴趣意

原判決は事実誤認の違法があり該違法は判決に影響を及ぼすこと明かであると信ずる。即ち原判決は「被告人は昭和二十六年十一月二十四日午後五時半頃福岡市東中洲大阪屋食堂に於て飲酒酩酊の上早船小一郎に対し些細のことに因縁をつけ同所にあつた砂糖壺で同人の頭部を数回殴打し更に靴を以つて同人の頭部等を数回殴打し尚自己の足で同人の身体を踏んだり蹴つたり等し因つて同人に治療十日間を要する右側頭部挫創及び右拇指捻挫を負はせたものである」との公訴事実に対し「右の事実は証人山口敏子の当公判廷に於ける供述その他の証拠に依りこれを認めることができるが被告人の本件加害当時に於ける精神状態は多量の飲酒等に基き心神喪失の状態に陥つていたものと認められ従つて被告人に加害当時に於ける刑事責任を問う訳にはいかない。けれども被告人は飲酒の抑止や酒量の制限等の方法により酒乱の危険発生を未然に防止する注意義務があるに拘らずこれを怠つて漫然と過度の飲酒をした結果心神喪失を招きその結果公訴事実に掲げた傷害行為を惹起したものであるからこの点に於て被告人は過失傷害罪としての刑事責任を免れないものであるが刑法第二百九条第二項に基き被害者の告訴が無く従つて本件公訴は訴訟条件を欠ぐから刑事訴訟法第三百三十八条第四号に則り公訴棄却すべきものである」と判示している。約言すれば原判決は本件公訴事実は刑法第二百九条第一項所定の過失傷害罪に該当するものと判断したのである。併し乍ら本件被告人の過失は左記理由により重過失と認定すべきものと思料する。

(一)一般に飲酒はその摂取量に依つては他人の生命又は身体等に対する侵害との間に相当高度の相関々係を有することは、吾人の経験則上明であつて酒精を含有する飲料を用いる者は何人も社会生活上或程度義務を負担することは容易に肯認され得べき事理と信ずる。况んや、原判決に判示の如く飲酒の上の犯行に係る傷害罪の前科六犯を重ね、病的酩酊の素質を有し、自らも多量に飲酒するときは極度に酩酊して心神喪失乃至は心神耗弱の状態に陥りその状態に於て犯罪を犯す習癖のあることを自覚している被告人に対しては前記一般人に要求される注意義務よりは遙かに高度の注意義務が要請されるものと謂うべく斯る高度の注意義務に違背し漫然と自己の負耐力の限界を遙かに越ゆる量である一升二合に及ぶ日本酒を摂取し因つて自己の心神を喪失の状態に陥れ為に本件傷害行為を惹起した被告人の過失責任たるや洵に重大である。

(二)原判決の認定する所に依れば被告人は前科九犯の多きに及びそのうち傷害罪により処刑されたことが六回でありそのいづれもが飲酒の上の犯行であり、尚被告人は病的酩酊の素質を有し、自らも飲酒に節度を保ち得ず過度の飲酒の結果は極度に酩酊して心神喪失乃至は心神耗弱の状態に陥りその状態に於て犯罪を犯す習癖のあることを自覚していたのであつて斯る自覚を有し乍ら飲酒を避け得なかつた特段の事情の認むべきものがないのに拘らず本件傷害行為の直前に於て自ら求めて飲酒の機会に近づき何人の介添もなく単身福岡市東中洲芳町白鹿酒場及び同市東中洲大阪屋食堂等酔客多数出入し何時如何なるはづみで酔つ払ひ同士衝突するやも測り難き危険多き箇所を多量の酒を飲み歩きついに心神喪失の状態を招き本件公訴事実に掲げた傷害行為を惹起したものであつて前記酒癖に基く危険発生の予防配慮に於て著しく欠けているとの非難を免れずかかる事態の発生は被告人に於て些末の注意を払ふことにより容易に避け得る事でありその過失の程度は正に刑法第二百十一条後段の重大なる過失に該るものと信ずる。

以上の理由に依り原判決を破棄し相当の判決あらんことを求める次第ある。

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