福岡高等裁判所 昭和28年(う)1784号 判決 1953年9月08日
控訴人 被告人 小方政喜
弁護人 吉永嘉吉
検察官 安田道直
主文
原判決を破棄する。
本件を原裁判所に差戻す。
理由
弁護人吉永嘉吉の控訴趣意は、同人名義の控訴趣意書に記載のとおりであるから、ここに之を引用する。
控訴趣意第一点について
論旨は、原判決はその判示第一の事実を賍物収受の罪に問擬したが賍物収受の罪は賍物であることの情を知つて之を無償で収得すること即ちその所有権を取得する行為であつて、本件の場合のように単に一時使用の目的を以つて借受くるが如きは他の犯罪が成立するは格別、賍物収受罪は成立しないのであるから法令の解釈適用を誤つた違法があるというにある。
賍物収受の罪は賍物であることの情を知りながら之を無償で収得すること例えばその情を知りながら賍物の贈与を受け又は無利息消費貸借によつて借受ける場合のように無償でその所有権を取得することによつて成立し、単に一時使用の目的で借受けるが如きは、賍物寄蔵の罪となることはあつても、賍物収受の罪とならないことは、所論の正当に指摘するとおりである。
而して原判決がその挙示する証拠により認定した事実は、被告人は判示の日時判示の場所に於て藤城猛より同人が窃取した空気銃一挺をその情を知りながら使用の目的で借受けたというのであつて、その所有権を取得したものでないことは明らかであるから、被告人の右所為を賍物収受罪に問擬した原判決は刑法第二五六条第一項の解釈適用を誤つたもので、この誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、論旨は理由がありこの点で到底破棄を免かれない。
仍て尓余の論旨に対する判断を省略し、刑事訴訟法第三九七条第四〇〇条本文に則り、主文のように判決する。
(裁判長裁判官 筒井義彦 裁判官 柳原幸雄 裁判官 岡林次郎)
弁護人吉永嘉吉の控訴趣意
一、原判決がその判示第一の事実に対し贓物収受罪をもつて問擬したのは法律の解釈を誤つた違法がある。
贓物収受罪は贓物であることの情を知つて贓物を無償にて譲受けその所有権を取得する行為であつて贓物故買罪と相対比し両者相異るところは贓物の所有権を取得するについて、その対価があるかどうかに存するに過ぎないものであるから贓物たるの情を知つていても無償にて而かも一時的の使用の目的で借受くが如きは他罪は知らず判示の様に贓物収受罪を構成する筈はない。(コンメンタール篇刑法三一三、三一四頁)
仮りに数歩を譲つても物珍らしさに一時使用の意思の下に短期間借受けるが如きは社会の通念上犯意なき行為と見るの外なく罪とはならないと信ずる。
二、原判決は判示第二の事実につき横領罪をもつて処断しているが、その横領したと言うレール八本はそれを買受けた渡辺が取りに来ないので単に一時的に入江炭坑の使用の用に供したるものに過ぎないのであるから、渡辺の右レールに対する所有権を犯して被告人自身の為め又は第三者である入江鉱業所の為めに該物件を領得したとは申されないと信ずるが故にこれ又横領罪を構成するものではない。所謂使用横領は横領罪とならない。(コンメンタール刑法篇三一一頁)。
よつて公訴事実全部に付原判決御取消しの上無罪の御判決を御願いする。
三、次に仮りに全部有罪であるとするならば原判決は左の理由によつて刑の量定が不当であると信ずる。
イ、被告は全部弁償している。「尤も原判決の時までに弁償書を出してはいなかつた」
ロ、犯罪の体様自体から見て実際上の処罰の対象とするのは行き過ぎの感が少くない。即ち法律上罪となるや否や論外として斯様な事案が現実に審判の対象となつた様なことは寡聞かも知れないが珍しいことだと思う。
ハ、被告人は本事件のため実に八十五日間も未決監に呻吟しているのである。事案に照し、これに相応する制裁は既に終つていると見られないであろうか。
ニ、被告人は幼児三人を擁している。従つて被告人が実刑に服したならば妻子四人は全く路頭に迷うに至ることは必定である。。被告人は憎むべしとしても、この妻子四人に対しては十二分に同情の余地があると思う。
ホ、被告人は、いまや心から改心し身を堵して既往の罪を償わんとする気持で一杯となつているものである。現に過日の大水害の際には身を挺して正に溺死し様としている人を助けているのである。
ヘ、入江タメは被告の身上について相当不利益なことを申しているが事実と相違することが少くない、原審で反証を挙げなかつたのは遺憾である。然しその入江でさえも被告の妻子が可愛想だと言つてくれているのである。その妻子を救うために特別の参酌を賜わりたいのである。
以上の次第でありますので原判決御取消の上刑の執行猶予の御判決を切に御願いするものである。