大判例

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福岡高等裁判所 昭和28年(う)503号 判決 1953年5月04日

控訴人 被告人 久保田能照

弁護人 諌山博 外一名

検察官 相良春雄

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用(国選弁護人に支給した分)は被告人の負担とする。

理由

弁護人上野開治が述べた控訴趣意は、記録に編綴されている弁護人諌山博提出の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用する。

右控訴趣意書第一点の論旨について。

所論の如く、屋外広告物の表示等の自由も、憲法第二十一条に保障する言論その他表現の自由の一つとして、これを最大に尊重せねばならぬことは勿論であるが、他面憲法に保障する他の色々な自由権と斉しく、同法第十二条第十三条の趣旨に従い具体的な公共の福祉のため必要性があるときは、その必要性と均衡を失しない程度において、これを制限することの止むを得ないことも亦理の当然と言わなければならない。

而して、ここに問題とされている熊本県屋外広告物条例は、その第一条において一定の地域又は場所における屋外広告物の表示等を知事の許可にかゝらしめ、その第九条において右許可の申請書には数多くの事項を記載すべきことを定め、その第十一条において右許可を受けた広告物等には一定の許可証を附ける(又は之に代るべきなつ印を受ける)べきことを命じて居り、又右条例に関連する同県屋外広告物手数料徴収条例が、前記の許可につき一定の手数料を徴収する旨を定めていることは、正しく所論の通りである。

併し乍ら、右屋外広告物条例は、その母法たる屋外広告物法に遵拠し、美観風致の維持(及び公衆に対する危害の防止)と言う具体的な公共の福祉のための、屋外広告物の表示の場所及び方法等につき必要な規制を為すことを目的として定められたものであつて、同条例第一条が一定の地域場所における屋外広告物の表示等を知事の許可にかゝらしめてはいるがこれを禁止してはいないこと、而も右許可は同条例の前記目的に照し美観風致の維持(及び公衆に対する危害の防止)と言う具体的な基準に従つて決せられるのであり全面的な自由裁量に委せられてはいないこと、同条例第九条に定められている許可申請書の記載事項も出願者工事施行者設計者等の住所氏名、表示等の期間、場所、形状寸法構造設置情況に関する図面等、意匠色彩表示の方法等(又は以上に準ずべき事項)及び申請年月日など前記の目的に照し必要やむを得ない事柄のみであつて、言論その他表現の自由の核心たるその内容自体に関するものではないこと、同条例第十一条に規定する許可証の添付又はこれに代るべきなつ印を受ける等の如きは前記許可制を採る以上当然の所に属すること、並びに前記手数料徴収条例第一条本文(及び別表)に定められている手数料の額も、例えば本件の様なはり紙の場合は一枚につき一円と定められて居り、その他最低五十銭最高五百円(後者は広告板十平方米以上、広告塔高さ四米以上、特殊装置によるもの、以上三つの場合に限られる)であつて、必ずしも多額とは認められず、而も同条但書により知事が手数料の徴収を不適当と認めるものについてはこれを徴収しないことになつていること等、右凡ゆる方面から考えても、前記広告物条例を以て所論の様に屋外広告物の表示等を原則的に禁止したものとは目し難く、ただこれを制限したもの即ち部分的相対的に禁止しているに過ぎないものと解するのが相当である。(尤も、同条例第二条に禁止的文言の規定があるけれども、これも一定の地域又は場所のみについての禁止であつてその実質を究むれば結局部分的相対的な禁止即ち制限と言うことに帰着し、上述の結論に変更を来さしめるものではない。尚本条例自体が前記屋外広告物法により論旨にいわゆる例外中の例外的制限を対象として定められたものであることに、思を致せば、同条例の文言や外観が多少表現の自由を拘束する様に見えるのも止むを得ない所であつて、之を以て直ちに同条例の実体を速断すべきではないと考える。)

そして、右の様に、広く言論その他一切の表現の自由を全般的に禁止するのではなく、特定の手段方法による表現活動につき而も一定の地域又は場所のみを対象として、ある程度の制限を為すことは、一般国民が希望し又その幸福と利益に帰する所の美観風致の維持と言う具体的な公共の福祉に鑑み、両者の均衡を失しない止むを得ざる措置と言うべく、之を以て憲法第二十一条に背反する無効のものと言うことはできない。

従つて、之と反対の見解に立脚し前記広告物条例の違憲無効を主張する論旨は理由がない。

同第二点の論旨について。

原審第四回公判調書中証人谷本正夫同木原千秋(何れも司法警察員)の各供述記載によれば、本件は、当時原判示宮地町方面において青年の悪質犯罪が多かつたので同証人等が特別警戒のため早朝の警邏を行つている際に偶々犯行現場を現認され検挙起訴されたものであり、又同証人等において他に同様の事犯を現認した場合は斎しく逮捕する考えであると言うのであるから、たとえ所論の様に熊本県下において無許可の屋外広告物が数多く表示されている事実があつたとしても、本件を以て共産党的な言論のみを取締ることを目的とし被告人等が共産主義者なるが故に検挙起訴されたものとは認め難く、従つて本件の公訴提起を右特殊の目的に出ずるものと為し延いて表現の自由に反する違憲無効の手続と主張する論旨も亦理由がない。

そこで、刑事訴訟法第三百九十六条に則り本件控訴を棄却し、当審における訴訟費用(国選弁護人に支給の分)は同法第百八十一条に従い被告人に負担せしめることとし、主文の様に判決する。

(裁判長裁判官 谷本寛 裁判官 藤井亮 裁判官 吉田信孝)

弁護人諌山博の控訴趣意

第一点原判決は、違憲無効の熊本県屋外広告物条例を適用しているので、破棄さるべきである。

屋外に広告物を掲出することは、言論出版その他表現の自由が保障されるための前提条件である。屋外広告物の掲出が若しも不当に制限されるとすれば、それは直ちに言論出版その他憲法で保障さるべき表現の自由を違法に侵害されることになる。したがつて屋外に広告物を掲出することは原則として自由でなければならない。広告物掲出の自由は、表現の自由と同様に憲法上法律上保護されなければならない。

熊本県広告物条例をみよう。同条例第一条によると、屋外広告物を表示したり広告物を掲出するためには、知事の許可を受けねばならないことになつている。知事は許可に対して、必要と思う条件をつけることができる。許可を受けるためには、第九条一号より十号に規定する詳細な申請書二通を知事に提出しなければならない。許可を得た広告物には一定の許可証をつけなければならない(第十一条)。さらに熊本県屋外広告物手数料徴収条例(昭和二四年条例第四十一号)というものがあつて、熊本県屋外広告物条例の規定による許可及び届出については、規定の手数料を徴収することになつている。その手数料額は、別表によると相当の多額である。もつとも知事が手数料の徴収を不適当と認めるものについては手数料は徴収しなくてもよいことになつているがこの規定の仕方をみると、手数料徴収が原則であり、徴収しない方は例外ということになつている。以上のような熊本県屋外広告物条例並びに熊本県屋外広告物手数料徴収条例の考え方をみると屋外広告物の掲出は原則として認められていないことになる。屋外広告物の掲出は原則として禁止されている。そして一定の手続を踏み相当多額の手数料を納付した広告物だけが、屋外に掲出することを許可される。許可は知事が県民に対して与える恩恵であり、県民がその恩恵に与るには、或る程度の代償を要する。こういうのが右条例の精神になつている。この場合考慮しなければならないのは、広告物掲出について届出制をとつている場合には、広告物掲出が何らかの制限を受けてはいるが、依然として広告物掲出が原則としては認められているといえるが、本条例のように許可制をとつている場合には、屋外広告物は原則として禁止せられており例外的にその禁止が解かれるというのである。<註>許可(Erlaubnis )法令による一般的な禁止(不作為義務)を特定の場合に解除し、適法に一定の事実行為又は法律行為をなすことを得しめる行為を学問上許可という。(田中二郎著 行政法上巻 有斐閣全書 一六〇頁)

熊本県屋外広告物条例が、屋外広告物掲出を原則として禁止しているということは、現代社会における表現方法の一つである屋外広告の方法に対して、不当な制限を加えていることになる。屋外広告の方法がいかに表現の自由と密接不離の関係にあるかは、公職選挙法のなかで屋外広告物が選挙運動の有力な一手段と認められていることでも分る。このような屋外広告に対する原則的禁止を規定している熊本県屋外広告物条例は、裏からいえば言論出版その他表現の自由を原則的に禁止しているということになる。

表現の自由(従つてその実現方法である屋外広告物掲出の自由)も、公共の福祉に有害な場合には制限されることがあるとされている。しかしこれは公共福祉にさしつかえるという例外の場合に、必要最少限の制限を受けるというのであるから、あくまで自由が原則であり、制限は例外中の例外であらねばならない。屋外広告物の場合を考えてみると、屋外広告物の掲出は、原則的に禁止しておかないと公共の福祉に害があるなどということは、到底考えられない。一般的に公共の福祉に害があるという場合でないのに、原則的に屋外広告物の掲出を禁止するというのは、公共福祉による制限という考え方をもつてきても、憲法に合するとはいえない。

以上の何れの点からみても、本件判決の基礎になつている熊本県屋外広告物条例は憲法上の基本的人権の有力な実現方法である屋外広告物の提出を、不当に制限しているのであるから、憲法に反して無効だといわなければならない。この点で原判決は破棄を免れない。

第二点本件公訴の提起は、公訴提起自体が言論出版その他憲法で保障されている表現の自由を無視しているので原判決破棄のうえ、公訴棄却さるべきである。仮りに熊本県屋外広告物条例が違憲でないという立場をとつても、共産党的な立場にある言論のみを不当に取締るというのは、捜査権の濫用であり、そのような言論についてのみ公訴を提起するのは、公訴権の濫用である。熊本県下に無届の屋外広告物が氾濫しているのは、けだし公知の事実である。ところが何故に本件広告物のみが公訴提起されたのか。被告人らを逮捕した警察官木原千秋は、本件以外に逮捕したことはないといつている(八四丁)。それはそうだろう。無許可のビラを貼る者を全部捕えるということは、常識的にも考えられない。原判決は、被告人らに条例違反の事実があるかぎり、共産党員なるが故に逮捕しても、不穏当ではあつても違法ではないと述べている。これは検察フアツショを認容するものであり、検察権が政治権力に従属することを是認することになる。本件起訴は、被告人らが共産主義者なるが故になされた不当な起訴(公訴権の濫用)であり、結果的には言論出版その他表現の自由を侵害する内容をもつているので原判決破棄のうえ公訴棄却(刑訴法第三三八条第四号)さるべきである。

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