福岡高等裁判所 昭和28年(う)958号 判決 1953年6月25日
控訴人 被告人 鳥越洋介
弁護人 灘岡秀親
検察官 安田道直
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役八月及び罰金千円に処する。
原審未決勾留日数中十日を右懲役刑に算入する。
但し、この裁判確定の日から四年間右懲役刑の執行を猶予する。
若し、右罰金を完納することができないときは、金五十円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。
原審における訴訟費用は被告人の負担とする。
理由
弁護人灘岡秀親の控訴趣意は、同弁護人提出の控訴趣意書記載のとおりである。
右に対する判断。
(一)事実誤認の点について。
原判決摘示の事実、殊に被告人において原判示玄米が賍品であることの情を察知していた事実は、原判決の挙示引用にかかる証拠によつてこれを認定するのに十分であり、証拠の取捨に関する原審裁判官の措置、証拠の証明力に関する原審裁判官の判断に、経験法則の違背等特に不合理とすべき事由なく、原判決に所論のような事実誤認の違法があるものとは認められない。論旨は理由がない。
(二)法令適用の誤について。
賍物を運搬した上これを牙保した場合には、包括一罪であつて運搬と牙保との二箇の罪を構成するものではないと解するのが相当である。原判決が、賍品である原判示玄米の運搬と牙保とが、それぞれ別箇独立の罪を構成するものとし、これに併合罪の規定を適用処断したのは、法令の解釈適用を誤つた違法があるものというのほかなく、右の違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであつて、論旨は理由があり、原判決は破棄を免かれない。
よつて、その余の点に関する判断を省略し、刑訴第三九七条第三八〇条により原判決を破棄し、刑訴第四〇〇条但書に従い、本件について更に判決する。
(罪となるべき事実)
被告人は、森満が福岡県浮羽郡筑陽村大字志塚島一、一四五番地の一永松茂雄方倉庫内において窃取した永松茂雄所有の玄米唐米袋入四俵につき、森満からその売却斡旋方の依頼を受け、その賍品であることの情を察知しながらこれを承諾し、昭和二八年一月一六日夜北川昭年と共同して同玄米四俵をオート三輪車に積み、同郡筑陽村大字志塚島辛島の墓地から、同郡田主丸町七〇八番地若竹醤油有限会社まで移動運搬した上、同所において同会社取締役林田栄太郎に対し、そのうちの玄米二俵を代金七、二〇〇円で売却方の斡旋をして牙保したものである。
(証拠)
一、原審公判における被告人の供述、
一、原審公判における証人森満、同北川昭年の証言、
一、永松茂雄の被害届、並びに申立書、
一、検察事務官の面前における被告人の供述、
一、林田栄太郎の買受始末書、
以上を綜合して判示事実を認定する。
(法令の適用)
刑法第二五六条第二項、罰金等臨時措置法第二条、第三条。
刑法第二一条、刑法第一八条。
刑法第二五条(懲役刑につき)。
刑訴第一八一条第一項。
以上の理由により主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 筒井義彦 裁判官 柳原幸雄 裁判官 岡林次郎)
弁護人の控訴趣意
第一点原判決には事実誤認の違法がある。原判決は被告人は賍物であることの情を知り乍ら之を運搬し牙保したものであると事実を認定して居るが被告人は賍物であることの情は知らなかつたものである。即ち被告人は公廷に於て、その米はどうした米かとその時被告人は森に聞いたのかとの問に対し、はい尋ねましたら自分の家の保有米と言うので私もそれを信用しました。その前森は自分の家の米を一、二升ずつますぼつて来て居りましたので信用したので御座います。その時森は同じ家から持つて来たのかとの問に対し、森方と永松さん方とはひつついて居りますがその時は私は森の自分の家のものと思つて信用して居りました。森のその晩の行動やますぼりの米と言つても四俵も持ち出して居るのでこりや怪しいものだと被告人はその時思わなかつたのかとの問に対し、私は前から信用して居つたもんですから頭にそんな事がありませんでした。と供述して居る。又被告人は警察及検察庁に於ても殆んど同様の供述を為して居る。従つて本件の米が被害者永松の米であることを当時被告人が知らなかつた事は争のない処である。其処で問題は被害者が誰であるかは知らなかつたにしても本件の米は森満が不正に領得して来たものであるか怎うかの認識が被告人にあつたか否かであるが被告人は本件の米は森満の保有米であると信じ本件に加担したものであることは上述の通りであり又森満が公判廷に於て、その時自分のが一俵と友人のがあるから三四俵あるとは言わなかつたのですかとの問に対し、そんな事は言つて居りません、ただうちのを持つて来るから売つてくれと洋介に話しました。最初米を見た時鳥越はますぼりの米にしては一寸量が多いから何とか証人に言わなかつたのですかとの問に対し、何とも言つて居りません、その時は持つて行つた丈です。証人の方の米の収穫高、供出高及び保有量とか証人の方の米の余裕のあるとかないとかと言う事を皆んなの人は知つて居りますかねとの問に対し、若い者ですからそんなことは知らないと思います。反当りの収穫がどれ位あること位はどうですかね、証人はこの点どう考えますかとの問に対し、鳥越は私が嘉穂郡に働きに行つて居るのでその分丈は余裕のあること位は知つて居ると思います。その時とか場所を考えても何も鳥越は証人に聞かなかつたのですかとの問に対し、その時私は自分の保有米だからよかけんと言いました。
との森満の供述に依つても明白である。
被告人は上述の如く本件の米は森満の保有米と信じ本件に加担したものであつて賍物である事の情は全然知らなかつたものである。
本件に付いては北川昭年がオート三輪車にて運搬して関係があるが同人が森から運搬を依頼された時の情況は被告人の場合と同様であるから賍物に関する認識も亦理論的には同一で無ければならない筈である。従つて被告人に於て森の行動、時間的関係、米の数量等四囲の情況よりして賍物たるの情を知つていたとすれば北川の場合も亦同様で無ければならない。然るに北川は本件に於ては不問に附されて居る。同一環境の下に於て北川は其の情を知らなかつたとし、被告人のみが知つていたとの判断は余りにも事実を無視したものである。北川が情を知らなかつた為め不問に附されて居る以上被告人も亦情を知らなかつたものとして一貫した理論を採用すべきである。疑わしきは罰せずとの理論に立ち被告人の知情の点は証拠不十分として判断すべきものであると思料する。
第二点原判決は法令の適用に付いて誤がある。原判決は被告人の行為は運搬と牙保の二個の行為であると認定し併合罪として処理して居るが本件の場合は運搬の罪は牙保罪に吸収され被告人は牙保罪としてのみ処分さる可きものである。
被告人が森満から依頼された事は本件の米の売却であつて特に運搬迄依頼されていない事は記録上明白である。被告人は売却処分に当然附随する行為として筑陽村から田主丸町迄北川のオート三輪車には同乗したが事実上運搬を依頼された者は北川昭年である。運搬に関し被告人と北川の間には何等意思の連絡はない。森満は被告人に無関係に北川に運搬を依頼し北川は自己のオート三輪車にて運搬した者で被告人は之に同乗した者に過ぎない。即ち北川が運搬し被告人が牙保したのである。被告人の目的は売却であり北川の目的は運搬である。被告人は売却する為めオート三輪車に同乗したので運搬した形になつたが北川の運搬とは其の性質を異にするので被告人の場合は此の運搬は当然牙保に吸収されるものと思料する。
被告人が若し仮に運搬を依頼されて之を承諾したが一人で運搬する事が困難な為め、北川に更に依頼して北川と二人で運搬して依頼された目的を達成した後に、更に売却処分方を依頼され之に応じて売却したものであるならば被告人に運搬と牙保の二罪が成立する事は勿論であるが、本件の場合は右仮定の場合とは異り被告人は売却を依頼され、北川が運搬を依頼されたものであるから被告人に対しては運搬罪は単独犯として成立せず牙保罪に吸収さる可きものであると信ずる。従つて原判決が被告人の行為を二個の罪と解して併合罪の適用を為したのは違法である。
第三点原判決の刑の量定は重きに失する違法がある。(1) 被告人は本件の米が永松茂雄の被害品である事は知らずに本件を犯したものである。被告人は犯行数日後に共同風呂に於て永松茂雄が盗難にかかつた噂をきき初めてあの米は永松の物であつたかとハツと驚いた次第であつて若し当初から永松の被害品だと判明して居れば被告人は本件に加担しなかつたものである。(2) 被告人は本件の米は森満が飯塚方面に働きに行つたので同人の保有米に余裕を生じた為め、森満が自己の米として売却するものとして本件に加担したものである。仮に森満自身の米で無く、森満が其の父兄の米を「ますぼつた」ものであるとしても被告人は別に之を意に留めなかつたものである。被告人の所謂「ますぼり」は農村地方に於ける旧来の習慣であり青年の戯として道徳的にも非難の対照にならない行為である。浮羽郡の筑後川沿の土地即ち被告人の住む筑陽村附近は日本でも有数の筑後平野の中心で米麦の生産量は莫大であるが、山間部落と異つて殆んど副業はないのである。而して農業は個人の事業ではなく家族一同の共同事業であつて、現金は米麦の収穫の時に初めて得らるるものであるが、之は一家の主人が独占して農業に従事した全員に及ばない事は昔からのしきたりで遊び度い青年等は殆んと小使銭さへ得難いのである。其処で止むを得ず自家の米麦を秘かに盗み出して現金化し以て小使銭に当てているが此の事は農村に於ては昔から青年の戯として道徳的非難にさへ値せぬは勿論法律的にも非難の的にならなかつたものである。即ち封建的な農村の青年は近代都市の青年とは生活環境が大いに異るものであり、ますぼりは公然の秘密として農村地帯に於ては公認された様なものであるから被告人は森満の行為に加担したものであつて単に法律のみを以て此のますぼりの慣習を一掃する事は出来ないものである。ますぼりを無くする為には農村青年の人格と経済的な独立を認めない限り出来ない事であつて、此のますぼりに基因した被告人の行為は他人の物の場合とは趣きを異にする事に留意すべきであると信ずる。(3) 刑の量定は公平でなければならない。然るに本件に於ては公平の観念よりすれば妥当でないものがある。即ち盗犯の森満は不起訴処分を受けて居るし、オート三輪車を自ら運転して米四俵を運搬した北川昭年は全然不問に附されたに反し被告人のみが実刑を科せられて居る。(4) 従つて被告人のみが科刑された理由は、被告人が執行猶予中の身であつた為だろうと思われるが、右刑は昭和二十七年四月二十八日政令第一一八号を以て刑期は九月に、猶予期間は二年三月に短縮されたので現在に於ては被告人は新に執行猶予の恩典に浴し得る資格を有するに至つて居る者である。(5) 被告人は第二点に記載した如く牙保の罪は免れ得ないとしても運搬罪に問わるべきではない。従つて併合罪の加重は許す可きではない。(6) 被告人の実家は現在でこそ日用品販売を業として居るが被告人の父定は同地方の素封家に生れ村民より尊敬されていた身分の者である。従つて被告人が再度罪を犯した為め心労の余り床に就く様になり健康を害するに至つたが、被告人の更生を心から祈り今後は尚更十分に保護監督の熱意に燃えて居るものである。(7) 被告人は自己の軽率なる行為に依り計らずも本件に連坐し、ひいては両親に深刻なる心痛を与え、社会に迷惑を掛けた事に深く思を致し今度は絶対に斯る行為を繰返さぬと決意して居るものである。(8) 被告人は未だ前途ある青年である。以上の諸点を考慮するならば被告人を更生させる為には実刑を科するよりも此の際今一度刑の執行を猶予して真に善良なる社会の一員として更生する機会を与える事が刑事政策の理想に合致すると思料する。