福岡高等裁判所 昭和29年(う)1222号 判決
本件に付、被告人が当時水俣市役所総務課で翌日開催さるべき同市議会に提出すべき書類閲覧中の同課長渡辺勝一から故なく右書類を奪い取つたことは争ないところである、そして直接公務員の身体に暴力を加えなくともかかる行為自体公務執行妨害罪の構成要件の一つである暴行に該当するものと解するを該罪の性質並立法の趣旨に照して相当とすべく、またこれにより一時的にせよ公務執行妨害の結果を発生したこと洵に明であるからして仮令被告人においてその直後該書類を渡辺の机上に投棄返還したとしても又該書類を以て殴打した事実がないとしても右奪取行為自体により既に公務執行妨害罪は既遂の域に達したのであるからして奪取後右書類を以て渡辺を殴打したか否か、或は右奪取の際該書類が同人の頬に触れたに過ぎないか否かの如きは右犯罪の成否には何等直接の関係はない。そうだとすれば右奪取行為をも同罪に所謂暴行の一部として記載されているものと認むべき本件起訴に対し右奪取行為を認めながら殴打の事実なきことを理由に被告人に対し、たやすく無罪の言渡をした原判決は既にこの点において違法たるを免れない。
しかしながら右奪取後被告人において右書類を以て更に渡辺を殴打したか否かは暴行の内容自体にも差異があり又量刑上にも関係ある事柄であり本件控訴の相当主要部分をなすものと認められるので敢て進んでこの点に付審究するに原審及当審で取調べた証拠中被告人の殴打事実を明瞭に肯定する証拠としては検察官に対する被害者渡辺の供述調書、目撃証人宮崎繁の原審及当審の供述調書があり、これを推定するものとしては原審証人栗本広義(同役場書記)の供述調書がある。
これに反しこれを否定するものとしては原審証人林アキノ、同審及当審証人谷本孫太郎の各供述調書がある。よつて両者の証拠価値を判断すると前示宮崎、栗本が本件に付中立的立場にあるものであり、且証言の内容も整然として自然であるに反し、林は自由労組婦人部長、谷本は同組合長で本件当時越年資金要求の為同役場に来ていたものであり本件犯罪の発生に付間接関係ある地位にあつたものである許りでなく、その証言の内容自体徒らに推理推量をこととし、これによつて殴打の事実を間接に否定せんとする形跡が濃厚であつて目撃証人の証言としては甚だ不自然であり且迫力に乏しい、これ等の点を比較考量すると前示宮崎等の証言を正しいとするを相当とする。尤も被害者渡辺はその後原審及当審において殴られたのか、奪取される際書類が当つたのか判明しないと申立て検察官に対する前の供述を変更してはいるが如何に突嗟の出来事とは云え被害者本人において故意に殴られたのか過つて当つたのかを判別できないと云うのは甚だ首肯できないところであり、既に被告人より謝罪し又事件後相当期間を経過した右証言当時においては被害者に対する同情四囲の状況等から自然証言があいまいになつたものであつて先きの検察官に対する供述こそ真相を物語つているものであると思われる。従つて原判決のこの点に対する判断もまた正しくないと思われる。従つて検察官の論旨は何れもその理由があり原判決は到底破棄を免れない。
よつて刑事訴訟法第三百九十七条により原判決を破棄し、同法第四百条但書に則り次の通り自判する。
被告人は新日本窒素肥料株式会社水俣工場の工員で同工場労働組合の執行委員統制部長であるが、昭和二十八年十二月十八日午後九時二十分頃忘年会の帰途多少酒気を帯びて同市市役所前を通りかかつた際偶々同市自由労働組合長谷本孫太郎外多数の組合員が越年資金要求の為同役所内に押し掛け市長不在の為所謂坐込戦術に出で右谷本等において総務課長渡辺勝一に対し善処方交渉中であるが市長不在を理由に全く相手にされないことを知るや、応援の為直ちに同課長室に到り「自分は新日窒労組統制部長の林慶三だ、なぜ自由労組の要求に返答しないか、そんなものを見ないでもいいではないか、不都合ではないか」と申向けたが依然応答もなさず沈黙のまま翌日開催の水俣市議会に提出すべき書類の作成、閲覧等の公務を続行する同課長の態度に憤慨し矢庭に同課長から同人が閲覧中の右書類を奪い取りこれを以て同課長の右頬を一回殴打し以て公務員の職務を執行するに当りこれに対し暴行を加えたものである。
(証拠省略)
法律に照らすに被告人の判示所為は刑法第九十五条第一項に該当するので所定刑中懲役刑を撰択し、その刑期範囲内で被告人を懲役三月に処し、なお犯情に照らし同法第二十五条を適用し一年間右刑の執行を猶予すべきものとし刑事訴訟法第百八十一条第一項本文により原審及当審の訴訟費用は全部被告人に負担せしむべきものとする。
(裁判長判事 柳田躬則 判事 青木亮忠 判事 鈴木進)