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福岡高等裁判所 昭和31年(ネ)325号 判決 1958年3月29日

控訴人 株式会社親和銀行

被控訴人 三浦一夫

主文

原判決を取り消す。

被控訴人は控訴人に対し金二七〇、八七二円及びこれに対する昭和二九年一〇月一四日から完済に至るまで年一割八分の割合による金員の支払をせよ。

控訴人のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人は控訴人に対し金二七〇、八七二円及びこれに対する昭和二九年一〇月一四日以降完済に至るまで金一〇〇円につき日歩五銭の割合による金員を支払わねばならない。訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は、本件控訴を棄却する、控訴費用は控訴人の負担とする、との判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張及び証拠の提出、援用、認否は、控訴代理人において、控訴人の本訴請求原因は、第一次的に控訴人と被控訴人との間に締結せられた当座勘定取引契約に基き、過払金の支払を求め、第二次的に被控訴人が控訴人との間の本件当座勘定取引契約に基き交付を受けた小切手帳並にこれに使用するものとして控訴人に届け出でた印章を他人に冒用せられることのないよう十分な注意をもつて保管すべき義務を怠り、右小切手帳中の小切手用紙一枚を窃取せられ且印章を盗用せられて小切手を偽造されたため控訴人は右偽造小切手の行使により金三〇〇、〇〇〇円を騙取せられ同額の損害を被つたので、これが賠償として被控訴人に対し右損害金の内金二七〇、八七二円の支払を求めるものである。なお控訴人において昭和二九年一〇月八日支払つた金額三〇〇、〇〇〇円の小切手が被控訴人において振り出したものではなく、何人かによつて偽造されたものであることは争わないと述べ、甲第九乃至第一四号証を提出し当審証人片山清、松永俊次の各証言並に当審における検証の結果を援用し、被控訴代理人において控訴人主張の第二次的請求原因に対し被控訴人が小切手帳並に印章を盗用されたのは不可抗力によるものであつてこれがため控訴人に損害が生じたとしても、右小切手帳並に印鑑を盗用されたことと損害との間には、法律上因果関係は存しないので被控訴人には損害賠償の責任はない旨述べ、当審証人小畑幸子、永松俊次の各証言並に当審における被控訴本人訊問の結果及び鑑定人佐々木義孝、楠利彦の各鑑定の結果を援用し、甲第九乃至第一四号証の各成立を認めた外、原判決事実摘示と同一であるから、これを引用する。

理由

控訴銀行が銀行法に基き預金の受入、金銭の貸付等銀行業務を営む株式会社であり、被控訴人が訴外三菱商事株式会社大阪支社肥料部を代行して、水産加工品等の買付を業とするものであること及び控訴銀行が被控訴人との間に、昭和二八年八月六日当座勘定約定を締結し、右契約中、(イ)控訴銀行が当座勘定を超過して小切手、手形の支払をなしたときは、その超過支払金に対し支払当日から一〇〇円につき日歩五銭の割合による利息を付すること、(ロ)小切手、手形に押捺された被控訴人の印影が予め控訴銀行に届け出られたその印鑑と相違ないと認められる場合には、印章の盗用、偽造、変造その他の事故があつたとしても、取引上の責任は被控訴人の負担とする旨の条項が定められたことは当事者間に争がない。而して控訴銀行大波止支店が右当座勘定約定に基き、被控訴人と当座取引を継続し昭和二九年一〇月八日被控訴人振出名義の金額三〇〇、〇〇〇円の小切手(小切手番号F〇〇5988)の呈示を受けて、持参人にその支払をなし、又同月一四日被控訴人振出にかかる金額一、〇〇〇、〇〇〇円の小切手の支払をなした結果、被控訴人の当座預金は計算上二七〇、八七二円の不足を生ずるに至つたこと及び被控訴人振出名義の金額三〇〇、〇〇〇円の前記小切手が被控訴人不知の間に何人かによつて被控訴人保管の小切手用紙及び印鑑を盗用して振り出された偽造小切手であることは、本件弁論の全趣旨に徴し当事者間に争のないところである。

控訴人は、控訴銀行において昭和二九年一〇月一四日被控訴人振出にかかる金額一、〇〇〇、〇〇〇円の前記小切手を呈示された際、被控訴人に対し若しこれを支払えば差し引き金二七〇、八七二円の預金不足となる旨を注意したところ、被控訴人は二、三日中には右過払金を入金する旨確約したと主張するけれども、該事実を確認するに足る証拠は存しないので、控訴人のこの点に関する主張は理由がない。

次に控訴人は、控訴銀行が被控訴人との間に締結した本件当座勘定約定には、前記(ロ)記載の如く、被控訴人において小切手に押捺すべき印鑑は予めこれを控訴銀行に届け出でさせ、控訴銀行において小切手に押捺された印影と右届出にかかる印鑑とを照合して相違ないと認めた場合には、印章の盗用、偽造、変造その他の事故があつたとしても、取引上の責任は被控訴人の負担とする旨の特約が存するところ、前記金額三〇〇、〇〇〇円の偽造小切手に押捺されている印影は照合の結果、予め被控訴人の届出にかかる印鑑と同一であつたので、右特約により該小切手の支払は有効であり、従つてこれによる損害は被控訴人の負担に帰する旨主張し、被控訴人は、これに対し控訴人主張の特約(免責約款)の趣旨は、控訴銀行をして事故による取引上の責任をすべて免れしめるものではなく、控訴銀行が担当の注意を払つたにもかかわらず、なお取引上事故の発生を避け得られなかつた場合においてのみ控訴銀行の責任が免除される旨を定めたものと解すべきであるところ、控訴銀行は本件金額三〇〇、〇〇〇円の偽造小切手の支払をなすに当り、その真偽の調査につき当然払うべき相当の注意を怠つたのであるから、これによる責任を免れず従つて該小切手の支払は有効とはいい難く、その損失は控訴人みずから負担すべきである旨抗争するので、右偽造小切手の支払の効力の有無を判断するに先だち、先ず控訴人主張の前記特約(免責約款)の趣旨について検討することとする。(なお、被控訴人は右当座勘定約款は一項目毎に納得して締結したものでないというけれども、該約款はいわゆる附合契約に外ならないから、仮りに被控訴人が右免責約款に関する条項を知らなかつたとしても、そのために契約の内容としての効力を否定し得ないことは勿論である。)

本件当座勘定約定であることにつき争のない甲第一号証、各成立に争のない甲第九乃至第一四号証に当審における証人片山清の証言及び鑑定人佐々木義孝、楠利彦の各鑑定の結果を綜合すれば、近年各銀行における当座預金口座数の増加に伴い、その取り扱う小切手の数も漸次増加の一途をたどり、しかも銀行取引における小切手の支払は、短時間のうちに多数なされている取引の実状と敏速になさなければならない取引の要請とに鑑み、一般銀行業者においては従前の如く預金者をして予め署名又は印鑑の届出をなさしめ、小切手の支払をなすに際し、振出人の署名及び印鑑の双方を照合するときは取引の敏活は期し難いのみならず、又署名よりもむしろ印鑑を重視するわが国の一般的慣習の存するところから、近年に至り右小切手取扱方法を改め、預金者との間に、預金者をして予め小切手に押捺すべき印鑑の届出をなさしめ、小切手の支払に当つては小切手に押捺された印影と予め届出の印鑑とを照合して相違ないと認めた場合には、これが支払をなすものとし、この場合印鑑の盗用、偽造その他の事故があつたとしても、銀行が相当の注意をなしこれを知ることができなかつたときは、これにつき責任を負担しないとの趣旨の特約(免責約款)をなし、該特約に関する条項を当座取引契約書に明記する慣習を生じ、控訴銀行においても一般の例にならい、当座勘定約定書に右趣旨に則り前記(ロ)記載の如き条項を明記したことを認めることができる。(被控訴人援用の乙第五号証株式会社肥後銀行当座勘定規程には、銀行は予め預金者から小切手に使用する印鑑又は筆蹟を届け出でさせ、小切手の支払に当つては届出の印鑑又は筆蹟を照合するものとする旨の条項が存するけれども、右条項はあえて前記認定の妨げとはならない。)してみれば本件当座勘定約定書中控訴人主張の前記(ロ)の特約(免責約款)は、結局控訴銀行において預金者たる被控訴人振出名義の当座小切手の支払をなすに当り小切手に押捺された印影と予め被控訴人の届け出でた印鑑とを照合し相違ないと認めて、これを支払つた場合は、たとえ該小切手が印鑑の盗用、偽造にかかるものであつたとしても、控訴銀行が相当の注意を用い、しかもこれを知ることができないで支払つたときは、その損失は被控訴人の負担とし、控訴銀行は責任を負わないとの趣旨であると解するのを相当とする。従つて控訴銀行は、預金者たる被控訴人振出名義の小切手を支払うに当り、該小切手に押捺された印影と予め被控訴人の届け出でた印鑑とを対照し、銀行業者として相当の注意を用いて小切手の真偽を調査し、これを真正なものと認めて支払つた以上、たとえ該小切手が偽造にかかるものであつたとしても、前記特約によりこれが責任を免かれ、その損失は被控訴人に帰するものというべきである。

そこで本件偽造小切手が支払われた状況について考えるに、本件偽造小切手であることにつき争のない乙第四号証(甲第六号証、乙第三号証)原審証人田平久朝の証言(第二回)により成立を認め得る甲第二号証、成立に争のない甲第三号証の一、二、三に、原審証人山道春良、近藤栄、田平久朝(第一回)原審並に当審証人片山清の各証言を綜合すれば、控訴銀行大波止支店係員は、本件偽造小切手の支払をなすに当り、通常同支店において採つている順序方法に従い、持参人の呈示した該小切手について、先ず受付係が金額の記載振出人の記名捺印及び裏書の点をあらため、控訴銀行の発行した小切手用紙であるか否かを確かめた上、当座係に廻付し、当座係が同支店備付の当座勘定元帳に基き、預金残高の有無と小切手番号を調査し、次いで印鑑簿により小切手の印影と予て被控訴人届出の印鑑とを対照したところ、小切手用紙も同支店発行のものであり、小切手番号も同支店が被控訴人に交付した小切手帳のそれであつて番号の重複はなく、又小切手の印影も予て被控訴人の届出にかかる印鑑と相違ないと認められ(これらの点については当事者間に争がないこと弁論の全趣旨により明らかである。)しかも被控訴人から小切手用紙及び印鑑の盗難届又は紛失届も提出されていなかつたため、該小切手が何人かにより被控訴人保管の小切手用紙及び印鑑を盗用して偽造されたものであることに気付かず、真正に振り出されたものと認めて小切手金の支払をなしたものであることを認めるに足り右認定を動かすべき証拠は存しない。

被控訴人は、この点につき昭和二八年八月六日控訴銀行との間に、当座勘定約定を締結して以来、昭和二九年一〇月一四日に至るまで引き続き取引を継続し、その間一日数通乃至十数通の小切手を発行して来たのであるが、該小切手の筆蹟、署名はすべて同一であり、しかもその記載事項は原判決添付目録上段記載の如く、不動文字の外単に金額、発行年月日の数字及び被控訴人の署名だけに限定されていて、本件偽造小切手(前記目録下段記載)の如く、「振出地長崎市」とある不動文字の下に「豊後町恵比須屋旅館内」と居所を記載し、又被控訴人の署名に「三菱商事KK大阪支社」等の肩書を記載した小切手を発行したことは未だかつてなかつたのであるから、該小切手が控訴銀行大波止支店に呈示された際、同支店係員は、これを一見すれば被控訴人の発行した小切手でないことを識別し得た筈であり、少くとも右の如く被控訴人が従来一年以上に亘つて発行して来た小切手と筆蹟、署名及び「フオーム」と相違する特異の小切手が呈示された以上、銀行業者としては不審を抱き、振出名義人である被控訴人につき確かめる等の手段に出でることが正に採るべき措置であつたにかかわらず、これらの点に払うべき相当の注意を怠り、漫然と該小切手金の支払をなしたものであるから、右は控訴銀行大波止支店の過失によるものというべきであつて、その損害は当然控訴銀行の負担に帰すべきである旨主張するので、按ずるに、なるほど被控訴人が控訴銀行との間に昭和二八年八月六日当座勘定約定を締結して以来、本件偽造小切手が呈示された昭和二九年一〇月八日まで約一年二ケ月の間、取引を継続して来たことは当事者間に争がなく、各成立に争のない乙第二号証の一乃至二五、甲第五号証の一乃至二五及び前記甲第二号証に、原審並に当審における被控訴本人訊問の結果を綜合すれば、被控訴人は前記取引期間中ほとんど毎日の如く数通の小切手を振り出し、本件偽造小切手が控訴銀行大波止支店に呈示された当日にも、該小切手の外に被控訴人の真正に振り出した小切手四通が呈示支払われていることを認め得べく、而して従来被控訴人の振り出した小切手の記載事項、筆蹟及び体裁が被控訴人主張の如くであつて、本件偽造小切手には被控訴人主張の如き居所及び肩書の記載が存し、従つて該小切手は従来被控訴人の振り出した小切手とはその記載事項、筆蹟及び体裁を異にしていることは、控訴人のあえて争わないところである。然しながら各成立に争のない甲第四号証、第七号証の一乃至四及び前記甲第九乃至第一四号証、証人山道春良、近藤栄、田平久朝(第一回)片山清の各証言、鑑定人佐々木義孝、楠利彦の各鑑定の結果を綜合すれば、一般に銀行業者が小切手の呈示を受けた場合その真偽を調査する範囲は、(1) 小切手用紙が当該銀行の発行にかかるものか否か、(2) 小切手番号が当該振出人に交付した小切手帳のそれに符合し重複していないか否か、(3) 小切手に押捺された振出人の印影が予め届出の印鑑と相違しないか否か、(4) 金額の記載に改ざん及び振出年月日の記載等に異状はないか否か、(5) 盗難届又は紛失届が提出されていないか否か等の諸点にとどめられ特に前記(3) の印鑑の照合に重点がおかれ、振出人の署名又は記名の筆蹟については、代筆の場合も多く、又振出人の住所、居所及び肩書の記載については、その有無が一定しない関係上、これらの点については、その筆蹟、記載事項及び体裁自体に徴し著しく異状又は不審がない限り、これを深く調査探究しない取扱をなしており、控訴銀行大波止支店係員も亦右一般の取扱例にならい、本件偽造小切手を支払うに当つて、該小切手につき前記(1) 乃至(5) の諸点を調査し、これらの点に異状、不審がないことを確かめたものであり、なお被控訴人はかねて三菱商事株式会社の社員と自称し、同会社大阪支社穀肥部代行なる肩書を付した名刺を所持し又長崎市に滞在中は同市豊後町恵比須屋旅館に投宿している旨をその取引銀行である控訴銀行大波止支店に通告していたのみならず、同支店における被控訴人の当座預金口座への入金も三菱商事株式会社福岡支店から送金されていた関係上、控訴銀行大波止支店係員は本件偽造小切手の呈示を受けた際、該小切手に存する被控訴人の居所及び肩書の記載乃至その筆蹟には深く留意せず何らの不審を抱かなかつたことを窺知するに十分であつて、かかる事情の下においては、該偽造小切手が従来被控訴人の振り出した小切手とその記載事項、筆蹟及び体裁を異にするからといつて、一見して直ちにそれが偽造小切手であることが識別し得られ、少くとも相当の注意を払えば当然不審を抱くべきであるとは断じ難い。してみれば控訴銀行大波止支店は本件偽造小切手の支払をなすに当り、銀行業者として為すべき注意義務を尽したものと認めるのが相当である。

さすれば本件偽造小切手の支払につき控訴銀行大波止支店には、過失がなかつたものというべきであるから、前記特約(免責約款)により、その責任を免かれ、これが支払は有効であつて、これによる損失は預金者たる被控訴人の負担に帰するものといわざるを得ない従つて被控訴人は控訴人に対し、本件当座勘定約定中前記(イ)記載の条項(第七項)に基き、計算上当事者間に争のない過払金二七〇、八七二円を支払う義務があるものというべきである。なお控訴人は右金員に対し、前記(イ)記載の条項により過払を生じた昭和二九年一〇月一四日から完済に至るまで日歩五銭の割合による利息の支払を求めるけれども、該過払金は性質上いわゆる立替金であつて利息制限法の適用については消費貸借に準ずべきものであるから、これに対する約定利息の請求は同制限法の範囲において、理由があるものと解するを相当とする。然らば控訴人の本訴請求は第二次的請求原因につき判断するまでもなく、被控訴人に対し、前記過払金二七〇、八七二円及びこれに対する昭和二九年一〇月一四日以降完済に至るまで約定利率を制規の範囲に引き直した年一割八分の割合による利息の支払を求める範囲において理由があるので、これを認容すべくその余はこれを棄却すべきである。

よつて右と趣を異にし控訴人の請求を棄却した原判決を取り消すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条、第九二条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 中園原一 中村平四郎 天野清治)

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