福岡高等裁判所 昭和32年(う)92号 判決
(検察官の)控訴趣意(採証法則違背による事実誤認)について。
昭和二九年九月二一日附起訴状記載の公訴事実(横領二、詐欺一、私文書偽造同行使の各訴因)及び同年一〇月二五日附起訴状記載の公訴事実(詐欺一一、横領一の各訴因)に対し、原判決がいずれも無罪の判断をしていることは、所論のとおりである。
そこで、本件記録及び当審証拠調べの結果によつて、所論のような事実誤認の点があるか否かについて審案してみるのに、前記昭和二九年一〇月二五日附起訴状記載の詐欺の公訴事実中、被害者安永栄三郎に関する原判決六の(イ)乃至(ト)掲記の各訴因、並びに同じく野上辰之助に関する原判決七の(イ)乃至(ハ)掲記の各訴因について先ずこれを検討すれば、原判決は同起訴状記載のように右被害者等をして被告人が玉里島津家の庫出品である骨董品を転売もしくは仲介するものと誤信せしめた事実を認めながら、斯る骨董品の取引においては、その物が真物で価値ある点が重視されるのであつて、その出所来歴は物の客観的価値を左程左右しないものであるから、その出所の点に虚構の事実があつたとしても錯誤におちいつたものということができず、又右島津家庫出品でない限り取引しなかつたと認むべき事情も存しないとして、いずれも詐欺罪の成立を否定していることは、まことに所論のとおりである。
しかしながら凡そ骨董品の取引において、個々の現物取引もしくは店頭売買の場合においては、その出所並びに来歴にさまで重点がおかれず、現物に具備している美術的価値そのものに着眼して取引されるのが通常であるというべきであろうけれども、多額大量の取引においては強がち右一般論によることはできないのであつて、殊に著名蒐集家の所蔵品の売買においては、その出所自体に多大の信用並びに価値の付与されるものであることは、容易に窺知されることであるのみならず、殊に諸大名庫出品であると否とは、これが買受意思決定に際し、極めて重要な要素を形成するものといわねばならない。
いまこれを本件について考察してみるのに、本件記録中の各証拠並びに当審証拠調べの結果によれば、次のようなことが認められる。すなわち、被告人は直方市において画商を営み骨董品の売買も営んでいたのであるが、元公爵玉里島津家において昭和二三年頃来その所蔵骨董品を随時整理処分しているのに際し、昭和二六年頃同家所蔵品であつた国宝級美術品呂記の四幅対掛軸を廻平造、安井寿人、竹之内悌蔵等を介して被告人が筑豊方面の炭鉱業者に約一〇〇万円で買取らしめたことがあり、その名義書換手続のことから前記玉里島津家の執事をしている森昭吉と相識るようになるや、その後被告人は頻りに同人に対し右島津家所蔵品の販売仲介にあたりたい旨を懇請したので、諸道具類を二、三回現金取引によつて被告人に対し払下げたことがあり、更に昭和二八年二月末頃ギヤマン製品類約四〇点を代金約四〇万円二カ月後払いの約旨で始めて掛売販売したのであるが(これが被告人との最終取引である)、該代金の支払いはその後三、四回に亘つて約三〇万円の入金があつたのみで、残代金約一〇万円は昭和二九年一一月頃まで未払いの状態にあり、森昭吉は前記昭和二八年二月末の取引以後は被告人に対し専ら右未払代金の回収を求めていたこと、一方、被害者安永栄三郎並びに野上辰上助の両名は、いずれも筑豊方面における有数の炭鉱経営者で親戚の間柄にあるものであるが、就中右安永栄三郎は、昭和二七年春頃被告人から前記起訴状第一冒頭に記載のとおり、白地香炉一個、金蒔絵戸棚一個、碁石碁盤一組、刀の鍔椽頭二四〇点等をいずれも前記島津家から販売されたものでないのに拘らず、被告人の申出を信用して同家所蔵品の庫出品であると誤信して買受けていたのであつて、殊に右島津家の執事森昭吉が被告人と共に昭和二七年七月中旬頃安永宅に同道挨拶したのみならず、同年八月二五日附島津家よりの贈呈書(押収してある証第一三号)なるものを送付して前記物品が恰かも右島津家所蔵品で安永に贈呈されたもののように仕做し、更に翌昭和二八年四月九日頃には竹之内悌蔵を被告人が同道挨拶せしめ、同人は前記島津家の森に次ぐ執事の地位にあるもので、同家倉庫の鍵保管者であるとまで紹介したので、本件刑事々件の発端に至るまで、被告人の言うとおり島津家庫出品を入手したものと誤信していたこと、又右野上辰之助も亦安永と同様、昭和二八年二月中旬頃被告人から前記執事森昭吉を同道紹介され、恰かも島津家庫出品を被告人を介して処分するもののように申向けられ、同月一七日附島津家よりの贈呈書(記録第五四三丁乃至第五四六丁にある写参照)を送られたほか、更に同年五月二七日には前記竹之内悌蔵を前同趣旨で紹介されたので、前記起訴状第二記載のように真実島津家庫出品を処分しもしくは同家において金員借用の必要に迫られているものと誤信し、それぞれ出金したものであること、そして前記贈呈書は、いずれも被告人が右被害者両名との取引を有利に展開せんがため森執事に依頼して自書せしめたものであり、又竹之内悌蔵は被告人の本籍地小林市居住の者で被告人旧知の一古物商にすぎず、島津家に関係のないものであることをそれぞれ認めることができる。のみならず、特に本件各取引は、島津家庫出品の処分もしくは同家所用金のためその所蔵品を担保に供するものであるとの被告人の言を信用したためなされたものであり、さうでなければ斯る取引をするのではなかつた旨強調することは、当審証人安永栄三郎並びに同野上辰之助の各供述記載からこれを容易に窺い知ることができるのであつて、これらの認定を覆えすに足る資料は発見できない。
そうだとすれば、右被害者両名がそれぞれ本件取引に及んだのは、いずれも被告人の右欺罔行為に基因するもので、被害者のこれによる錯誤は、重要なる要素をなしていたものといわねばならない。尤も本件取引物件の出所に関する右のような錯誤の点は暫らく措くとして、相当な美術的価値を有したものであることが、当審検証調書の記載によつてもこれを推認することができるので、この点から右のような錯誤は詐欺罪にいう錯誤にあたらないのみならず、損失もないから犯罪を構成しないとする見解の成立する余地もないではないけれども、既に前述したように本件被害者等はいずれも炭鉱業者で、骨董品に関してはその鑑識眼において素人の域を出でないものであり、被告人に前記のような非道義的な虚言があろうとは全く予期せず、島津家庫出品に間違いないものと誤信し、むしろ骨董的もしくは美術的価値そのものよりもその出所来歴に関する被告人等の言動に重きを置いたため、本件取引に及んだものであること並びに被告人等の手段たるや商取引一般に許容される多少の宣伝的行為を逸脱したものであることが前に認定した事実から看取される以上、右見解も亦採用することはできない。
従つて原判決は、その他の論旨について判断するまでもなく、既にこの点において主文に影響を及ぼすべき事実誤認を冒しているものといわねばならず、論旨は理由があり、刑事訴訟法第三九七条第四〇〇条但書に則り当裁判所において破棄自判することとする。
(裁判長裁判官 高原太郎 裁判官 中園原一 裁判官 厚地政信)