福岡高等裁判所 昭和36年(ネ)666号 判決 1962年9月20日
控訴人 野口亀雄
被控訴人 野口スヱ子
主文
原判決を次のとおり変更する。
一、被控訴人と控訴人とを離婚する。
二、被控訴人と控訴人との間の長男輝雄(昭和一八年一一月一三日生)の親権者を被控訴人と定める。
三、控訴人は被控訴人に対し金二〇〇、〇〇〇円を支払い、且つ別紙第三目録<省略>記載(2) の物件を引渡せ。
四、控訴人は熊本県知事に対し、財産分与により別紙第二目録<省略>記載の物件の所有権を被控訴人に移転するにつき、農地法第三条に基く許可申請手続をせよ。
五、控訴人は被控訴人に対し前項の所有権移転ができないときは金一八一、〇二五円を支払え。
六、被控訴人のその余の慰藉料請求を棄却する。
七、訴訟費用は第一、二審ともこれを一〇分し、その九を控訴人の、其の余を被控訴人の負担とする。
八、この判決は第三項中金員の支払を命ずる部分に限り、被控訴人において金五〇、〇〇〇円の担保を供するときは仮に執行することができる。
事実
控訴代理人は「原判決中控訴人敗訴部分を取消す、被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、
被控訴代理人は控訴棄却の判決(但し当審において後記のとおり請求の趣旨の一部を変更)を求めた。
当事者双方の事実上の主張及び証拠の関係は、被控訴人において控訴人と婚姻同棲中に夫婦協力して取得したと主張する原判決添付の第一乃至第三目録記載の物件のうちには重複したもの又はその後変動したものがあつて、現在は別紙第一乃至第三目録<省略>記載(但し時価の表示を除く)のとおりであるから、これを訂正すると共に、右第二目録記載の物件につき財産分与を求めると陳述するほか、原判決事実摘示と同じであるから、ここにこれを引用する。(但し、被控訴人の右訂正変更に伴い控訴人の主張中原判決五枚目表五行目に「(1) (2) (5) 」とあるを「(1) (2) (4) 」と、六行目「同(7) の」以下七行目「以降小作し」までを削除し、九行目に「(3) (4) 」とあるを「(3) 及び第二目録記載(4) 」と各訂正する。)
理由
被控訴人請求の離婚及び長男輝雄の親権者の指定に対する当裁判所の判断は、これについて原判決理由欄に記載してある部分と同じであるので、ここにこれを引用する。なお二女カズ子は昭和三六年九月二日の経過により成年に達したので、もはや親権者の指定を要しなくなつたから右指定をしない。
そこで、被控訴人の請求する慰藉料並びに財産分与の点について考察する。
前記引用の認定事実によれば、被控訴人は昭和一三年五月三日控訴人と結婚同棲(昭和一五年二月一六日婚姻届出)以来、控訴人と生活を共にし、その間夫婦の仲に三子を儲け、これらを養育すると共に家業の農業に励んでいたところ、控訴人は情を他の女に移し、村本ときえと夫婦関係を結び、その間に子までなしたのみならず、遂には同女を自宅に引き入れ、昭和二七年八月頃からは全く妻妾同居の状態で生活するようになり、挙げて言うべき落度もないのに、ことある毎に被控訴人のみを迫害し、些細なことでもすぐ殴打暴行を加え、負傷することも屡々あつて、被控訴人もこれ以上堪え忍ぶことができず、遂に二〇年余の夫婦生活に見切をつけ、離婚を決意するにいたつたことが認められる。
かように夫婦の関係が全く破綻するにいたつたのは、右の如く夫としてあるまじき控訴人の行為によるものであつて、これがため被控訴人の蒙つた精神的苦痛が少くないことは容易く推認できるところであり、これに対し控訴人が相当の慰藉料を支払うべき義務を負うことも明らかである。
よつて右慰藉料の数額の検討に移るべきところ、被控訴人は本訴において財産分与をも併せ求めている関係上、慰藉料算定に先きだち、被控訴人が財産分与請求権を有するか否か及びその額を考えてみるべきである。けだし慰藉料請求権と財産分与請求権はその本質を異にするけれども、その数額の決定にあたつては、なお共通する要素にしてこれを斟酌すべきものがあり、したがつて両者の数額を各別に算定する場合、一方の算定が他方の数額に影響するからである。
ところで、原審(当審における新証拠はないので以下すべて原審証拠のみである)における証人佐藤亥熊、同古谷ユキメ(供述の一部)、同野口たか子、同野口重喜(供述の一部)、同島田あさ子(供述の一部)の各証言、並びに被控訴本人及び控訴本人各尋問の結果(各第一、二回但し控訴本人の供述は後記措信しない部分を除く)、及び鑑定人森田元紀の鑑定の結果を綜合すれば、控訴人方は農家であつて、被控訴人が嫁入つた頃は、控訴人方の資産としては住居とその敷地、馬と馬具其の他の農具等があつたゞけで自作の田畑はなく約二町八反を小作していたのみであり、働き手としては控訴人と被控訴人のほか、控訴人の父母、姉あさ子、妹キミ子がいたが、その後右あさ子とキミ子は他に嫁ぎ、控訴人の母も死亡し、姪の久子が一時働き手に加つたものの、主なる働き手は控訴人と被控訴人であり被控訴人のみは終始控訴人と共に家業の農事に励み、その間控訴人は別紙第一目録の(5) 及び第二目録の(3) の各小作地を所有者から買受けたのをはじめとして、其の余の右各目録記載の農地は戦後自作農創設特別措置法に基き小作地や開墾地としていたため売渡を受け、更に昭和二四年中に別紙第三目録記載の家屋を建築所有するにいたり、右婚姻当時の住家や宅地は現在控訴人の父が所有して使用し、控訴人の兄重喜が戦後復員して来たとき控訴人は同人に対し畑三反歩余と家屋一棟を建築して贈与し、現在では控訴人は全く独立安定した農家となり、別紙第一乃至第三目録記載の物件の時価は合計九四五、一八二円(各別の時価は各目録の時価欄に記載せるとおりである)に相当するものであること、他面、被控訴人には特段の固有財産もなく、たゞ過去二〇年を超ゆる農事生活によつて得た農業経営に十分なる経験を有し、将来三人の子と共に自ら農業を営んでゆきたい意向を強く持つていて、被控訴人にとつてはその年令境遇等からみて他に適当な自活の道は見当らないこと、以上の事実が認められ、右認定と相容れない証人古谷ユキメ、野口重喜、同島田あさ子及び控訴本人の供述部分は爾余の前掲各証言及び被控訴本人尋問の結果に比照するとき措信し難く、他に右認定を左右するに足る証拠はない。しかして、右事実によれば別紙第一乃至第三目録記載の物件は控訴人が被控訴人と婚姻生活中に夫婦協力して働き、以て取得した財産であつて、これを独り控訴人のみの働きによるものと言うことはできない。したがつて、いま控訴人が有責の離婚原因によつて、経済的に全く寄辺なき被控訴人を離別し、何等の扶養もしないのであるならば、少くとも右財産の取得にあたり、被控訴人が寄与せる限度において、その将来の生活の資として、これを分与すべきものであるといわなければならない。
かくして、控訴人は被控訴人に対して慰藉料の支払並びに財産分与の義務を免れないのであるから、それぞれ其の数額につき、これを検討すべきところ、先きに認定せる本件離婚の原因事実、前記認定事実及び本件における当事者双方の諸般の事情を考え併せるとき控訴人は慰藉料として金二〇〇、〇〇〇円を支払うのが相当であり慰藉料の請求は右の限度において正当として認容すべきであるが、その余は失当として棄却すべきである。また分与すべき財産としては、別紙第二目録記載の物件及び第三目録(2) 記載の物件を以て相当とする。しかるところ右第二目録記載の各物件はいずれも農地であつて、その所有権移転には農地法第三条により県知事の許可を受けなければならないものである。したがつて右農地を被控訴人に分与するためには、先ず控訴人に対し右許可申請手続を為すべき旨を命ずる必要がある。
およそ財産分与請求の裁判において、裁判所は当事者の申立の範囲に拘束せられることなく、分与請求権の存否、その数額及び方法を適正に定むべきであるから、財産分与を認める限り、分与を受くべき者に該財産の所有権を有効に取得せしむるに必要なる裁判を為し得ることは当然である。ところで、本件においては被控訴人は右の許可申請手続を求むる趣旨の申立を為していないが、農地につき分与を認める以上、控訴人に対し右の許可申請手続を命ずることができ且つこれを命ずべきである。
尤も、右の許可は行政庁たる県知事の裁量にかかり、県知事が右許可をなすか否かは現在においては明らかでないので、右許可が得られない場合を考慮し、これを条件として右農地に代る金銭的請求をなすことは許容されるべきであるから、右許可が得られない等の理由により所有権移転ができないときは、控訴人は被控訴人に対し右農地の時価に相当する金一八一、〇二五円を支払うべきである。
そうすると、原判決中親権者の指定及び財産分与に関する部分は一部相当でないので、これを変更すべきものとし、民事訴訟法第三八六条、第九六条、第九二条を適用し、主文のとおり判決する。
(裁判官 池畑祐治 秦亘 平田勝雅)