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福岡高等裁判所 昭和37年(ラ)163号 決定 1962年12月27日

抗告人兼相手方 江田スエ(仮名)

抗告人兼相手方 山本幸一(仮名)

主文

抗告人山本幸一の抗告を棄却する。

抗告人江田スエの抗告により原審判を取消す。

相手方山本幸一は、抗告人江田スエに対し金五〇万円を支払え。

理由

一  抗告人兼相手方山本幸一(以下幸一と略称する)は「原審判を取消し、本件を熊本家庭裁判所宮地支部に差戻す」との裁判を求め、抗告人兼相手方江田スエ(以上スエと略称する)は、「幸一はスエに金三〇万円を支払え」との原審判を「幸一はスエに金五〇万円を支払え」と変更する裁判を求める旨申立てた。

幸一、スエ各主張の抗告理由は別記のとおりである。

二  幸一の抗告に対して。

原審調査官の調査報告書、各回答書によれば、後記認定のように財産分与の額を除くの外、原審判のような事実を認定できないこともないので、原審判は結局相当であつて、所論は畢竟原審のなした証拠の取捨判断を論難し、事実の認定を非難するに外ならない。幸一が当審で提出した証拠並びに記録中に存する調査書中右認定に反する部分は採用しがたい。

抗告は理由がない。

三  スエの抗告に対して。

当裁判所の是認しうる原判示事実に照らし、記録により認められる諸般の事情を合わせ考えると、幸一はスエに対し金五〇万円を分与するのが相当である。これと異る原審判は不当が抗告は理由がある。

以上のとおり幸一の抗告は理由がないが、スエの抗告は理由があるので、家事審判規則第二〇条第二項に従い主文のとおり決定する。

(裁判長判事 池畑祐治 判事 秦亘 判事 平田勝雅)

抗告人山本幸一の抗告理由 省略

抗告人江田スエの抗告の理由

抗告人は審判書記載の理由を全部本抗告の理由として援用する。ただ理由の最後に「相手方は少くとも金五〇万円位を分与するのが相当と思われるけれども申立人において三〇万円を要求しているものをこれ以上に分与を命ずる必要もないと思われるから要求額の分与を命ずることにする」とあるのは不当であると思料する。

財産分与の審判にあつては訴状における請求の趣旨と異り審判官は分与審判請求における請求の趣旨に束縛されるものでなく、家事調査官の調査その他資料により適当と思われる額の分与を命ずべきである。

即ち本件にあつては審判官の適当なりと信ずる金五〇万円の支払を命ずべきである。

その他抗告の理由としては昭和三七年九月五日附上申書記載の事実及び主張を援用する。

参考

原審(熊本家裁宮地支部 昭三七(家)九五号 昭三七・九・一審判認容)

申立人 江田スエ(仮名)

相手方 山本幸一(仮名)

主文

相手方は申立人に対し金三〇万円を支払え。

理由の要旨

申立人と相手方とは昭和二一年一月二七日佐原多平、木下義男の媒酌によつて挙式結婚し同二四年九月二日婚姻届をしたが相手方は当時二四歳でありその家族は老齢の父母、弟久作(二三歳、申立人等結婚の翌年分家した)、朝彦(一三歳)、末吉(一〇歳)で申立人は同家の中心たる相手方と共に農作業と家事一切を担当し、精神的にも肉体的にも精魂を傾けて努力して来た。かくて約九年間を無事に過したところ昭和三〇年頃から申立人の不妊症が問題になり同三一年八月には手術を受けたこともあつたが妊娠することはできなかつた。昭和三三年八月頃相手方の弟朝彦を申立人等夫婦の準養子にして前記木下義男の娘を朝彦の嫁に迎えることに話が定つていることを聞き申立人としては末弟の末吉を養子にしたいことを相手方に話したこともあり自分との親子関係を生ずる重大問題について自分にも相談あつて然るべきものと考えたので相手方に対して訊したところ「その通りである気に入らぬなら出て行け」と高飛車に出られて申立人は全く無視されて、爾来申立人と相手方及姑(舅新治は昭和三三年一二月一九日貸金回収不能を気に病んで縊死した)その他の家族、親戚との間に漸次嶮しさを増して冷遇と白眼視の中に居堪たれぬ日常が続き遂に昭和三五年一月二四日実家に帰つてしまつたがその後人を介して夫婦間の調整は試みられたけれども相手方は態度を改めないばかりか、遂に離婚の調停申立をなし同年五月一一日申立人の思い違いから慰藉料等の要求をすることもなく離婚調停は成立した。

結局申立人に妊娠能力のなかつたこと。申立人と朝彦とが余り年齢の開きがなく且同人が酒癖が悪く同人を準養子にすることに賛成しなかつたことから夫婦仲及その家族との円満を欠いだことが離婚の原因となつたものである。申立人も相手方も共に高等小学校を卒業してから結婚するまで中流以上の農家に育つて農業に従事したものであり身体は生来健康であり現在もそうであるが唯申立人は前述手術のため過激な労働には堪えられない状態である。

相手方は相続取得したものではあるが家庭裁判所調査官の精密なる調査によれば家屋(住宅、畜舎、物置)宅地(四〇一坪)、田一町二反五畝、畑一町三反一畝、山林原野一町七反八畝(以上いずれも登記名義は死んだ祖父、父の名義になつているが他の共同相続人等は分与を受けたり相続を放棄して実質上相手方の単独所有になつている)の外預貯金三六万円、その他牛、馬、農機具、自転車等の有体動産を有し当地方における評価は少くとも七百万円以上と見るべく債務はなく(相手方の自供)年間の収入は五五万円を下らず而かも保有米を有しており部落中上位に位する農家であり一方申立人は右相手方に略匹敵する資産を有する農家である実家(兄忠則)に寄食して僅かに部落内の保育園に臨時保母として在職し月給僅かに四千八百円(手取四千五百円)を支給され服装身廻品を賄の程度に過ぎず他に資産としてなく一生を託する身寄もなく年齢的にも再婚は困難と見られ自身亦その意思もなく一生を独身で過ごすことを覚悟して自活を考えているし不恨の境涯にあるがこのようになつたのも相手方に相当の責任が認められる。以上婚姻年数(一二年一一ヵ月)婚姻中の申立人の業績、離婚の原因、相手方の資産収入、申立人の現在の状況及将来の見通等を綜合勘案すれば相手方は少くも五〇万円位を分与するのが相当と思われるけれども申立人において三〇万円を要求しているものをこれ以上に分与を命ずる必要もないと思われるから要求額の分与を命ずることにする。

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