福岡高等裁判所 昭和38年(ネ)73号 判決 1965年4月27日
主文
控訴人等の本件各控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人等の負担とする。
事実
控訴人大分県知事訴訟代理人は、本案前の控訴の趣旨として、「原判決中、同控訴人関係部分を取消す。被控訴人の同控訴人に対する訴を却下する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、本案に対する控訴の趣旨として「原判決中、同控訴人関係部分を取消す。被控訴人の同控訴人に対する請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、控訴人(原審当事者参加人――以下参加人と略称する)金高ユミ、同金高フサヨ、同金高新、同金高信一(原判決中金高新一との表示は誤記につき訂正する。)同河野ナツコ等訴訟代理人は「原判決中同控訴人等関係部分を取消す。原判決の別紙記載の土地が同控訴人等の所有であることを確認する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は、「主文同旨。」の判決を求めた。
当事者双方の、事実上の陳述、証拠の提出、援用、認否は、控訴人大分県知事代理人において、
一、被控訴代理人の主張にかかる昭和二〇年一〇月四日付本件三筆の土地に関する旧田染村と被控訴人間の売買契約(公売)は後記事由により、存在し能わざるものである。
(1) 旧田染村大字平野字大曲部落は明治時代以前より本件三筆の土地を部落有として所有してきた。該部落民はすべて農家であつたため、各自数頭の牛馬を飼育し、本件土地を或は採草地(堆肥、牛馬の飼料、屋根葺)として使用し、また該土地の一部には植林してこれを伐採し、雑木を伐つては炭を焼く等して右土地を利用してきた。由来前記大曲部落民は右土地の立木を売却してこの代金で道路の設置、改修をなし、消防器具の購入にあてる等公共施設の拡充にも充当してきた。斯様に本件土地は大曲部落の財源であり、同時に右部落民の生活の糧であつた。
(2) しかるところ昭和の初期全国的に部落有財産を市町村有に統一することになつたため、昭和九年一〇月、旧田染村内、部落有財産はすべて同村有に整理統一された。しかしながらその統一条件として従来の縁故部落民には従前通り土地を使用収益し得べき地上権が設定された。
(3) 勿論本件土地についても、統一条件により前記大曲部落民は縁故者としてその一部は第二種地(農、牧畜用に従前通り使用)としその余は第三種地(造林使用)として上記内容の各地上権を取得した。
(4) よつて大曲部落民は引続き本件土地を採草地として利用してきたわけであるが、殊に大東亜戦争中から終戦後昭和二七年頃までは食料及び化学肥料が欠乏したため本件土地は堆肥及び牛馬の飼料とし前記部落民に欠くべからざるものであつた。
(5) なお右部落民は本件土地上の立木を昭和一〇年八月一四日訴外三上桂太郎に売却し右代金を以て野道を建設し、また昭和一四年九月一五日右地上の杉・檜を訴外崎野秀吉に売却し右代金を以て大曲道路の拡張工事をなした。この他右部落民は本件三二六六番の一上に杉三、〇〇〇本を植林し、更に昭和一七年には杉一、〇〇〇本を増植した。右地上に現存する杉は大曲部落民が正当な権原に基づいて植林したものであり、またその他の三筆上の立木、竹等はいずれも右部落民の所有である。
(6) 右部落民の本件土地使用権が採草を目的とする関係では仮に地上権に非ずとするも賃貸借関係乃至は使用貸借関係であることは当然であり、竹木所有を目的とする関係では民法上地上権と解すべきである。
(7) 上記の事由から推察すれば、本件土地は田染村より大曲部落に売却することはあり得ても右部落以外の何者にも売却すること能わざるものである。従つて田染村が被控訴人に公売したのは本件土地ではなく、三二六六番の三原野四反五畝九歩であつたことは明らかである。しかるに公売後その関係書類上誤つて本件三筆の土地を公売したかの如く記載されたことが判明したため、田染村長は、右公売につき必要々件である大分県知事の許可申請手続をせず、また移転登記手続をもしなかつた。
(8) よつて自創法が施行されるや、大曲部落民は筆頭者である訴外亡金高小十名義で昭和二三年八月三〇日、田染村農地委員会に採草地として買収申請をなし、昭和二六年六月六日右訴外人名義に所有権移転登記を経由したものである。
二、本件土地は採草地と目すべきものである。本件地上の一部に立木のあることは認めるが前記大曲部落民は昭和二七年頃までは本件土地の大部分を堆肥及び飼料のための採草地として利用してきた。殊に終戦後である昭和二三年当時(買収当時)は前記の事情から極度に採草地として利用した。本件土地の自創法による買収及び売渡は昭和二三年一月一三日の農林次官通牒「牧野の買収に関する件」及び同年四月二八日の同通牒「牧野の定義に関する件」に各準拠したものであるが、右各通牒によれば牧野は家畜の飼料用採草地のみに限定せず、これと無関係な肥料の採草地をも含む旨定義している。即ち終戦当時肥料や食糧は欠乏し、農業増産の全部を自給肥料に依存していたのであるから、今日の状態とは著しく異なり、採草地なりや否やは買収当時の状況より判断すべきものである。
三、仮に本件土地につき被控訴人主張の売買(公売)がなされていたとしても右売買契約は左の事由により無効である。
(イ) 右売買に関し、田染村長は大分県知事の許可を得ていない。農地の売買につき県知事の許可は効力発生要件と解すべく、旧町村制第一四七条の趣旨も同断である。従つて町村制が廃止されたとしても遡つて右売買が有効となるものではなく、これを有効にする為には更に新しい売買契約が必要である。
(ロ) 被控訴人は右売買契約後本件土地の引渡を受けたこともなく占有支配をしたこともない。かような場合には農地調整法第四条の許可が必要であるのに、右許可を得ていないから、前記売買契約は無効であると述べ、
控訴人金高ユミ、同金高フサヨ、同金高新、同金高信一、同河野ナッコ訴訟代理人は
一、被控訴代理人は被控訴人が本件土地を旧田染村から公売により昭和二〇年一〇月四日買受けた旨主張するけれども、本件土地は田染村の基本財産であり且つ林野であるから、これが処分をなすには旧町村制第一四七条所定の大分県知事の許可を必要とするところ、右許可のされた形跡は全く存しないので、右売買は無効である。
二、旧田染村大字平野字大曲部落民が本件土地につき昭和九年一〇月以降地上権を取得した経過及び本件土地を採草地と目すべきことは控訴人大分県知事訴訟代理人の主張第一、二点と同様である。
三、仮に被控訴代理人主張の売買が有効であるとしても、被控訴人と参加人等は、いわゆる二重売買の各買受人に該当するところ、参加人等は既に所有権移転登記を経由したのであるから、右の如き登記を欠如する被控訴人は参加人等に対し、所有権を以て対抗すること能わざるものである。
四、仮に然らずとするも、大曲部落民は明治の初期よりその占有を開始し、現在に至るまで占有を継続してきた。殊に本件土地が農地買収により参加人等の先代訴外亡金高小十に売渡されて以来は善意、無過失に、所有の意思を以て本件土地を占有してきた。右自主占有の開始は(イ)自創法による農地売渡を受けた昭和二三年一二月二日であるから同日より一〇年を経過した日、若しくは前記訴外人が所有権取得登記を経由した日である昭和二六年六月六日より一〇年を経過した日において参加人等は取得時効により本件土地の所有権を取得したものである。
と述べ、
被控訴代理人において
一(旧田染村から被控訴人に公売した点)旧田染村はかねてから小学校(国民学校)建築のためその資金を田染村基本財産と罹災救済資金から借用していたところ、その償還が進捗しない状態であつたから村有林を処分しその代金を以て右借用金の償還にあてることにした。しかして右は最重要とされる小学校建設資金の償還に充てるためであつたから、当然の措置であつたし、また当時の財前村長は大分県の財界でも屈指の有力者であつたから県当局も右村有林の処分を諒承したことは勿論であつた。しかるに前記の如く同村は基本財産への償還も未了であつたため、県当局も直ちに村有林の処分を許可することには難色を示していた。しかしながら右村有林の処分を不許可にするいうのではなく、近い将来に許可するからそれまで正式の許可申請手続を待つてもらいたいとの意向であつた。そこで前記村長は村会議員一同に県当局の意向を説明するとともに村会の承認があれば必ず近い時期に村有林処分の許可を得る旨の確信を披瀝して右処分の件につき村会の承認を求めたので、村会は全員一致の決議を以てこれを了承した。
しかして公売の実施に当つては正規の手続に従つて事前に公告し公売当日村吏員と村議員等公売責任者が出席し、公売すべき土地の範囲その他公売の条件を開示した。ところで右公売の条件としては、代金支払と同時に所有権は買受人に移転し、買受人はただちにこれを使用収益し得ること、登記の時期はやや遅れるがなるべく速やかに手続をとること等であつた。なお本件土地の一部には九州水力電気株式会社所有の立木があつたのでその立木のみは公売より除外し、他はすべて何等の瑕疵なき権利を無条件に譲渡するとの説明であつた。
右公売が発表されるや大曲部落では会合を開いて対策を協議した。公売は右部落にとつて林野統一で失つた部落財産を回復すべき絶好の機会であつたが、何故か、右会合において部落有力者は公売の目的物件が村有地のうち山の頂上に近い一部分であつて利用価値が乏しい旨の説明をなし、入札に参加する必要はなかろうとの結論であつた。
ところで被控訴人は公売により本件土地の所有権を取得し、前記村長もできるだけ早く県知事の許可申請手続をする予定であつたが公職追放により村政首脳部が引退し村政は一時停滞したため許可申請手続は延引された。
控訴人等代理人は右許可申請手続のなされなかつた点につき、本件土地を大曲部落民に利用させるためであつたと主張するけれども、そのような事情はない。仮にそのような土地利用関係があつたとしてもそれは本件土地に限定したことではなく同時に公売に付された村有地全部に共通することであるし、かかる利用関係は公売の実施乃至は県知事の許可を困難ならしめるものではない。現に本件土地を含む当時の村有地の大部分が当時一斉に公売に付されたが、公売代金の授受と同時に各買受人に引渡され、各買受人は何等の負担なき物件として所有権を取得した。
二、(自創法による本件土地の買収及び売渡の点)前記の如く公売により本件土地が被控訴人の所有に帰した後も大曲部落においては、公売に付されたのは本件土地の一部であるとの風説が残つていた。しかしながら右部落の有力者は然らざることを知つていたので本件土地を被控訴人より取戻すために手段を選ばなかつた。たまたま自創法の施行を奇貨とし、地元の農地委員であつた訴外近藤近蔵を利用し、情を知らない他の農地委員に本件土地は公売より除外された村有地であると説明させ、大曲部落代表者金高善男のみを農地委員会に出席させたうえ、所有者たる被控訴人に対しては何等の通知、連絡をせず意見を述べる機会もあたえないで本件土地を田染村有として買収し、これを訴外金高小十に売渡す旨の議決をした。
三、(本件土地は採草地に非ずとの点)本件土地の一部即ち当審検証調書記載の第一すすきが原と第三すすきが原の一部が採草地として大曲部落民から利用されたのは大正の末までであつた。同第二すすきが原は池の堤を除いてその頃から植林に利用されていた。昭和に入るや金肥の使用が増加し、堆肥用の採草は次第に行なわれなくなつたが昭和九年頃の林野統一の頃までは僅かながら採草に利用されていた。昭和一〇年以降は広く金肥が利用されたため本件土地で採草する者は殆どなく、唯数十年に一度の割合で葺きかえられる屋根の茅とりや炭焼に利用する者があるに過ぎなかつた。支那事変以後は男手の不足もあつて本件土地で採草は行なわれず第一すすきが原の一部も植林に利用されるようになつた。本件土地が自創法による買収計画決定当時自創法に謂うところの採草地でなかつたことは原審鑑定の結果により明らかである。
四、(控訴代理人等の地上権の主張に対して)被控訴人が前記公売により何等負担なき所有権を取得したことは前叙のとおりであるから、大曲部落民が本件地上にその主張の地上権を有する事実は否認する。仮に公売前そのような地上権が存在していたとしてもその旨の登記がないから、これを以て被控訴人に対抗することはできない。なお右の如き地上権が存在するとしても被控訴人の本訴請求とは何等の関係もない。
五、(参加人等代理人の二重売買の主張に対して)(1)自創法に基づく買収、売渡の行政処分の効力については民法第一七七条は適用されない。即ち本件土地の真の所有者たる被控訴人は自創法により売渡を受けたと称する訴外金高小十及びその相続人たる参加人等に対し登記なくしてその所有権を主張し得るものである。(2)仮に然らずとするも二重売買により後に買受けた者が所有権の取得登記を経由して実体上も権利を取得することになるためには、その権利取得行為自体が有効であることを要する。然るに本件土地の買収(自創法による)に際しては農地委員会の有効な議決はない。然らば控訴人等(参加人)の権利取得行為は無効であるから、いずれにするも民法第一七七条の適用はない。
六、(参加人等代理人の取得時効の抗弁に対抗して)
(1) 参加人等の占有はいわゆる自主占有ではない。即ち大曲部落民等の本件土地利用状況は昭和九年に田染村有となつて以来参加人等が所有権取得登記を経由した昭和三〇年頃まで何等変ることはなく、僅かに本件土地の一部において時々採草する者があつたにすぎない。自主占有と解すべきものは参加人等が所有権取得登記を経由した昭和三〇年以降といわねばならない。
(2) 取得時効の要件たる占有は排他的支配を指称する。しかるに参加人等の占有は前叙の如くたかだか管理行為であつたにすぎず、排他的な支配をなしたとはいえない。
(3) 参加人等の占有は公然になされたものではない。即ち大曲部落民は昭和二六年頃大分県の補助金を得て本件土地の一部に約三、〇〇〇本の杉を植林したが、殊更に右植林の事実を被控訴人及びその家族に秘匿した。特に被控訴人の実弟訴外有馬維純が昭和三七年大曲部落組長に就任する際前任組長より昭和三三年以降の組長帳簿の引継を受けたのみで昭和三二年以前の帳簿は引継を受け得なかつた。
(4) 仮に参加人等が所有の意思を以て本件土地を占有したとしても前記本件紛争の経過に徴するときは右占有の開始に際し、参加人等は悪意もしくは過失あるものといわねばならない。
(5) 参加人等は自創法による所有権移転登記が昭和二六年六月六日になされたと主張するけれども右時期は昭和三〇年六月である。
(6) 被控訴人は昭和三〇年初め頃大曲部落民である訴外三上要が本件土地で炭焼に従事していることを探知し、所有権の侵害としてこれを中止させた。右訴外人は大曲部落民全員の了解を得て炭焼に従事し、同じくその了解のもとに炭焼を中止したのであるから、右は中断事由たる承認がなされたというべきである。
(7) 被控訴人は昭和三七年一〇月下旬参加人等に対する本件山林の立木伐採禁止等の仮処分命令を大分地方裁判所豊後高田支部に申請し、同裁判所の仮処分決定に基づいて右仮処分を執行し、昭三八年八月下旬同裁判所に参加人等を相手方として本件土地所有権確認等請求事件を提起した。
と述べた。
立証(省略)
理由
訴外豊後高田市田染農業委員会が昭和二三年九月一〇日本件土地を自創法第四〇条の二第四項の牧野に該当するとして所有名義人である訴外田染村からの買収計画及び訴外亡金高小十を買受人とする売渡計画を樹立し、控訴人大分県知事は同年一二月二日右各計画に基づいて買収及び売渡の各処分をなし、その買収令書は昭和二四年二月一五日訴外田染村に、売渡令書は同年同月二八日訴外金高小十に各交付され、昭和二六年六月六日附大分地方法務局豊後高田支局受付第一、二七八号を以て右訴外人のため自創法第四一条による売渡を原因とする本件土地の所有権移転登記を経由したことは当事者間に争いがない。
当裁判所は事実認定の資料に、当審証人安岡英雄、同河野忠一、同後藤歳太郎、同後藤広義、同有馬維純の各証言、当審における被控訴本人尋問の結果及び当審検証の結果を附加したうえ、原判決に説示するところと同一の理由により、
(1) 被控訴人と旧田染村間になされた昭和二〇年一〇月四日付本件土地に関する売買契約(公売)は有効であつて、被控訴人は旧町村制の廃止により昭和二二年五月三日その所有権を取得したもの、
(2) 控訴人大分県知事が昭和二三年一二月二日付でした自創法に基づく本件土地の買収及び売渡処分には原判決に説示する重大かつ明白な瑕疵があつて右各処分は当然無効なるもの、
と各判断するので、原判決の理由中当該記載部分をここに引用する。右認定に反する当審証人河野行直、同三上要(第一、二回)三上貞己、同阿部三十郎、同為家勝美、同渡辺健吉、同金高公信の各証言、当審における控訴人金高フサヨ本人尋問の結果(以上はいずれも一部)はこれを採用せず、他に右認定を左右すべき的確な証拠はない。
そこで参加人等代理人の取得時効の抗弁について検討する。成立に争のない甲第一〇、一一号証、乙第二号証、丙第一号証、同第三号証の一乃至九控訴人大分県知事との間に成立に争がなく、被控訴人との関係においては当審証人三上要(第二回)の証言によつて成立を認める丙第二号証の一乃至四三、同第四号証、同第五号証の一乃至三、同第六号証原審証人金高利光、当審証人河野行直、同為家勝美、同三上貞己、同阿部三十郎、原審及び当審証人三上要(当審第一、二回、但し以上はいずれも一部)同有馬維純、原審及び当審における被控訴本人尋問及び当審における控訴人金高フサヨ本人尋問(一部)の結果を綜合すると次の事実が認められる。
(1) 旧田染村大字平野字大曲部落は明治時代以前より本件土地を部落有として所有してきたが、右部落民はすべて農家であつたため昭和初期に至るまでは本件土地の一部を採草地(堆肥、牛馬の飼料、屋根葺用)として使用したほか、右土地の一部には植林してこれを伐採し或は右地上の雑木を伐つて炭焼に使用してきたことまた植林した立木を売却しその代金を以て部落有道路の設置改修等右部落の公共費用にも充当してきたこと、
(2) 然るに昭和の初期全国的に部落有財産を市町村有に統一(いわゆる林野統一)することになつたため、昭和九年一〇月本件土地を含め旧田染村内部落有財産はすべて同村有に整理統一されることになり、昭和一一年本件土地は同村に所有権移転登記を経由したこと、しかしながら右統一の条件として従来の縁故部落民には従前どおりの土地使用権が認められたこと(この点に関して同控訴人等代理人は右使用権を以て地上権なりと主張するが、之を認むべき的確な証拠はない。)
(3) 右林野統一後も大曲部落民は本件土地を従前どおり使用してきたが、昭和中期頃からは金肥の使用が増加して堆肥用の採草は次第に行われなくなり、第二次大戦の開始頃からは人手不足のため採草のための利用度が著しく低減し、終戦後においては第三すすきが原の一部が僅かに採草のため利用されるのみで他は殆ど炭焼植林のため使用されていたこと、
(4) しかるところ、旧田村は昭和二〇年頃小学校舎建築のためその資金源として村有林を処分することを決定し村会の議決を経て本件土地を含む全村有林を公売に付したこと、
(5) 右公売に際し、大曲部落民は会合を開き、かつて林野統一で失つた旧部落有財産を回復すべき機会として、これを同部落で買受けるべき意見があつたけれども、本件土地は既に利用価値が乏しくなつたとの見地が支配し、同部落としては右公売に参加せず、右公売当日には被控訴人及び右部落民である訴外亡金高小十、訴外三上美好、訴外河野某等が公売場に参集したのみで、入札は被控訴人と前記訴外金高小十の両名が行い、被控訴人が本件土地を落札してその引渡を受けたこと、
(6) しかしてその後間もなく行なわれた公職追放令により、当時の村長等村政首脳部が退職し、よつて本件土地に関する県知事の許可申請手続が遅延するうち、本件土地について自創法による買収処分が決定したため、ついに被控訴人への所有権移転登記は不能に帰したこと、但し本件土地を除くその余の公売物件は昭和二三年頃までに逐次買受人に所有権移転登記がなされたこと、
(7) 本件土地は原判決の認定する如く、自創法による買収売渡計画の樹立された昭和二三年九月一〇日並びに本件買収売渡処分のなされた同年一二月二日当時一見明瞭に山林と目すべきものであつて、到底牧野と解すべき余地はなかつたこと、
(8) しかるに自創法の施行されるに及び前記訴外金高小十は大曲部落民の筆頭者として、本件土地が既に公売処分により被控訴人の所有に帰したにかかわらず公簿上田染村有名義であることを利用し、昭和二三年八月三〇日田染村農地委員会に対し同村より本件土地の買収をなすべき旨の申請をなしたこと、
(9) しかして前記訴外金高小十等は田染村農地委員会に対し、被控訴人が公売により取得した土地は本件土地に非ずして本件土地に接続する同所三、二六六番の三原野四反五畝九歩である旨を説明し、よつて右農地委員会は本件土地を村有地なりと認定したうえ、「右三、二六六番の原告所有地と田染村有地たる本件土地の境界を明確にすること」を条件として買収及び売渡計画を各樹立したこと(もとより被控訴人が公売により取得したのは三、二六六の三を含む本件土地である)
(10) なお大曲部落民は昭和二五、六年頃本件土地の一部に杉苗約一、五〇〇本を植林したが、昭和三〇年頃地元農地委員会の勧告によつてこれを伐採したこと、また大曲部落民の一人である訴外三上要は、昭和三〇年始め頃本件土地で炭焼をしていたところ、被控訴人の注意を受けて炭焼を中止したこと、右の外大曲部落民の買収後の本件土地利用形態は殆ど従前のままであつたこと、
以上の各事実を肯認するに充分で、右認定に反する原審証人金高利光、当審証人河野行直、同為家勝美、同三上貞己、同阿部三十郎原審及び当審証人三上要(当審第一、二回)の各証言及び当審における控訴人金高フサヨ本人尋問の結果(以上いずれも一部)はこれを採用せず、他に右認定を左右すべき的確な証拠はない。
しかして、右に認定した各事実より推定すれば訴外亡金高小十を筆頭者とする大曲部落民は昭和二三年一二月二日の売渡(自創法による)により同日以降本件土地の自主占有を開始したところ、(取得登記のなされた昭和二六年六日六日においても同断である。)前叙の各事情殊に(7)乃至(9)記載の状況下においてはその占有の始め本件土地を右部落民の所有と信ずるにつき過失がなかつたと認定するのは相当でない。してみれば参加人等代理人の取得時効に関する主張はその余の点について判断するまでもなく失当で採用することはできない。
次に参加人等代理人の二重売買の主張について審按するのに、一般に自創法に基づく農地の取得者については民法第一七七条の適用は排除され、従つて被控訴人は登記なくして参加人等に所有権を以て対抗し得ると解するのが相当であるから、右点に関する参加人等代理人の主張も失当で採用し難い。
してみれば被控訴人の控訴人大分県知事に対する本訴請求は理由があるから認容すべく、参加人の請求は失当として棄却を免れない。よつて右と同旨の原判決は相当で控訴人等の本件控訴は理由なしとして棄却することとし、控訴費用の負担につき民事訴訟法第九五条本文第九三条第一項第八九条を適用して主文のとおり判決する。