福岡高等裁判所 昭和39年(う)697号 判決 1965年2月17日
被告人 中園房一 外三名
主文
本件各控訴を棄却する。
理由
本件各控訴の趣意は、弁護人副島次郎、同堤敏介各提出の各控訴趣意書記載のとおりであるから、ここにこれらを引用する。
一、弁護人副島次郎の控訴趣意第一点の四および同堤敏介の控訴趣意第二点(いずれも訴訟手続の法令違反)について。
各論旨は要するに、被告人らの検察官あるいは司法警察員に対する各供述調書は供述拒否権も明示せず、また原審相被告人綾部政利(以下綾部と略称する。)の被疑事件の参考人として取調べると称して誘導して得た供述をその内容として録取したものであつて証拠能力がない。かりにしからずとしても、信憑性がない、というのである。
よつて考察するに、証拠によると、なるほど被告人らは当初司法警察員から綾部の選挙違反の参考人としてそれぞれ取調べを受け調書をとられていることが明らかであるが、これら参考人調書が取調官の誘導によりその内容が作成されたという証拠は記録を精査しても発見できないのみならず、所論各供述調書はこれら参考人調書とは全く別個の機会に、それぞれ被疑者として立件のうえ、取調べを受けて作成されたものであつて、その内容は必ずしも前記参考人調書の供述に由来するものではなく、もとより供述拒否権をも告知されず、取調官の誘導による供述を録取した調書であるとは、これら調書の体裁、内容、その他原審で取調べた各証拠に徴してもとうてい肯認できなく、その他記録を精査しても、所論の各供述調書の証拠能力を否定し、かつ信憑性を疑うに十分な事由を発見することはできない。そうなら右各供述調書を証拠に採用し、被告人らの罪証に供した原判決に所論のような採証法則の違法はない。
論旨は理由がない。
二、弁護人副島次郎の控訴趣意第一点の一(事実誤認)について。
論旨は要するに、原判示の「郷土通信」はいわゆる新聞紙ではなく、またそれに掲載された内容も報道、評論というべきものではなく、いわば広告に過ぎない。すなわち、原判示の郷土通信なるものは綾部が記者一人も雇わず、自分一人で原稿を書き、月二回位印刷して配付していたが、何処へ配付するか必ずしも明らかでなく、なによりも購読に価するものではないし、それは綾部が広告料の名目で他人から金員を詐欺または喝取するための手段として利用していたものである、というのである。
しかしながら、当該文書が公選法第一四八条の二にいう新聞紙に該当するか、否かはもつぱら社会通念に照して当該文書自体をその発行形態、掲載内容などに照し客観的に判断すべきであつて、当該文書が如何なる意図、目的で発行されたか、またその作成に従事する従業員の多寡は問わないものと解すべきである。証拠によれば、本件郷土通信を発行する綾部は所論のとおり自ら発行人と編集人を兼ね、さらに他に記者も雇わず、自ら取材のうえ原稿を書き郷土通信なる名のもとに印刷発行しているが、右文書が読むに価しないとは必ずしも一概に断定し得ないのみならず、右文書は昭和三〇年頃から今日まで大体毎月二回定期的に号を追つて印刷、発行され、その発行部数も一回当り一、五〇〇部から二、〇〇〇部におよび、そのごく一部はもつぱら広告や販路拡張にあてるため商店や農家などに無償で配布されているけれど、本来右文書は有償頒布をもつて常とし、その購読料も一ヶ月当り金五〇円と定められていて、現に発行部数の半数位は主として町村役場、農協、あるいは公職の議員などが定期に購読しており、その掲載記事も一応政治、経済、文化、社会と各般にわたり、郵送あるいは直接配布の方法によりかなり広範囲の地域を対象として頒布発行されてきたことが明らかである。そして原判示の郷土通信紙は、その一二三号として主として選挙記事を掲載して販路拡張をすべく発行されたものであつて、その掲載記事は、原判示の選挙の予定立候補者の抱負と業績などの紹介を内容としたものであるけれど、その発行形態はこれまでの一連の同紙との間に差異はなく、その一環として発行されたものであり、しかもその掲載記事は、立候補予定者である被告人らが立候補を決意するに至つた理由や地元民の推せん状況、抱負、業績、その批判、選挙結果の展望などをそれぞれ顔写真と共に掲載したものであつて、およそその内容は所論のように広告、宣伝の類と同一視するにはほど遠く、それは選挙に関する報道、評論というに妨げないことは証拠上一目瞭然の事実である。
そうだとするならば、原判示の郷土通信の発行目的が所論のように選挙に関する記事を掲載して利益を得るにあつたとしても、これを問わず、(所論のように詐欺または喝取の手段として利用したという証拠はない。)右郷土通信はその発行形態、掲載記事からして社会通念上いわゆる新聞紙に該当するものというべきであり、原判決がこれをもつて公選法第一四八条の二第一項にいう選挙に関する報道、評論を掲載した新聞紙と認定したのは相当であつて、所論のように事実誤認のかどは全くない。
論旨は理由がない。
三、弁護人副島次郎、同堤敏介の各控訴趣意第一点の三(いずれも事実誤認)について。
各論旨は要するに、被告人山口は綾部に対し、原判示の金員を供与した事実はもちろん、その意思もなかつたものであり、また妻に供与することを指示した事実もない。右金員は妻が勝手に近所から借りてきて綾部に渡したものである、というのである。
証拠を検討すると、所論のとおり綾部に対し、原判示の金三、〇〇〇円を手渡したのは被告人山口ではなくして同被告人の妻であることは一応肯認されるところであり、またそれが同被告人の明確な指示にもとずくものか否かについては、証拠上必しも判然としない。しかし、同被告人は当時訪れてきた綾部に対し、本件郷土通信紙上に自己の抱負、経歴などが登載されることを承諾して問われるままに自己の見解を述べ、またその場に居合わせた妻に指示して自己の顔写真を渡させているうえ、綾部から本件金員を要求されるや、これを拒否することなく、妻に対し、金の有無を問うているし、他方同被告人からこれを聞いた妻もこれを諒承して直ちに所定の金員を綾部に渡そうとしたが、折柄手持金がなかつたところから、止むなく直ぐ様近所からこれを借用のうえ同人に手渡したものであつて、その間同被告人は右金員が綾部に渡されるその場に居合わせた事実はないかも知れないが、それは同被告人がその場にいたときと時間的には極めて接着しており、また同被告人は、終始綾部に対し記事の掲載を断つた事実もないことが明白であるからして、かかる諸点に照すなら、同被告人が綾部に対し原判示の金員を供与する意思を有していたことは全く疑念のない事実であるのみならず、同被告人としては妻もこの点を諒知していると考えていたことは推認するに難くなく、また妻も被告人のかかる意図を十分察知し、その意に副つて原判示の金員を綾部に供したものであつて、同女のかかる措置は同被告人の意図に正に適合する所以であつたことは否定できない。
そうなら、原判示の金員は、所論のように同被告人の意思とは無関係に妻によつて勝手に供与されたものというべきではなく、同被告人と妻との暗黙の了解のうえ、同被告人の意思にもとずきその意を体して妻によつて手渡されたものというべきであるからして、かかる事実によつて同被告人の供与を認めた原判決に所論のような事実誤認はない。
論旨は理由がない。
四、弁護人副島次郎の控訴趣意第一点の二、および同堤敏介の控訴趣意第一点の一、二(いずれも事実誤認)について。
各論旨は要するに、被告人らとしては原判示の郷土通信掲載のように報道、評論という形で、しかも被告人らだけの記事が登載されるとは全く考えていなかつたものであり、ただたんに広告のような形態で登載されるものと信じていたに過ぎない。
また、被告人らとしては綾部が執ように金員を要求するので同人に早く帰つて貰うため原判示の金員を同人に提供したのであつて、原判示の選挙に当選を得るため有利な報道、評論を掲載して貰うためではない、というのである。
しかしながら、原判決が挙示する関係証拠によれば、被告人らが綾部に対し、申し向けた原判示の選挙に関する抱負、経歴などが原判示のように報道、評論の形態で登載されることを、被告人らはいずれも十分予想していたことは証拠上極めて明白であつて、所論のように被告人らがたんなる広告として掲載されると信じていたと認めるに十分な証拠はない。所論は、被告人らとしては被告人らだけの報道、評論が登載されるものとは考えなかつたというが、かりに所論のとおりであるとしても、被告人らにおいて前示のとおり報道、評論として被告人らの記事が本件郷土通信紙上に登載されることの認識に欠けることがない以上、その罪責は所論の事実によつて左右されるものではない。
また、被告人らが綾部に対し原判示の金員を提供したのは、同人の執ような要求に閉口し、同人に早く帰つて貰うために呉れてやつたものであり、本件記事の登載とは無関係であると所論はいうけれど、かかる所論は証拠上とうてい肯認できないところであり、かえつて証拠によれば、右金員は原判示のように本件報道、評論の登載の対価として供与されたものであると認めるに十分である。ついで、所論は被告人は当選を得る目的で報道、評論を掲載して貰つたものではない、という。しかしながら、証拠によれば、被告人らは当時すでに原判示の選挙に立候補を決意していたものであり、しかも本件郷土通信に掲載された記事は綾部によつて多少誇張されているけれど、いずれも被告人らが原判示の選挙に立候補する動機や抱負、業績などで、およそ被告人らが原判示の選挙に立候補し、選挙運動を推進するにあたつて、いずれも利益な事項であるのみならず、被告人らはかかる記事の登載を利用して自己の選挙運動を有利に展開しようという意図を積極的にではないにしても有していたことは、原判決挙示の被告人等の各供述調書によつて、いずれも十分肯認されるところであるから、かかる点に徴するなら被告人らに原判示の選挙に当選を得る目的があつたことは否定できないところであり、その他記録を精査してもこの点の原判決の事実認定に所論指摘の誤りを発見することはできない。
論旨は理由がない。
五、弁護人副島次郎の控訴趣意第二点、および同堤敏介の控訴趣意第三点(いずれも量刑不当)について。
各論旨は、いずれも原判決の刑の量定は重過ぎる、というのであるが、所論のとおり本件が綾部の言動により誘発され、かつまた被告人らの無思慮が招いた事犯であるとしても、本件事案はその罪質、態様に照し必ずしも軽微なものといえなく、その他被告人らの年令、経歴、境遇などをかれこれ勘案しても、原判決の被告人らに対する科刑が重きに失し、不当であるとは考えられない。
論旨も理由がない。
よつて、本件各控訴はいずれも理由がないので、刑事訴訟法第三九六条により、いずれもこれを棄却することとする。
そこで、主文のとおり判決する。
(裁判官 青木亮忠 中島武雄 神田正夫)