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福岡高等裁判所 昭和40年(ネ)335号 判決 1967年8月31日

主文

原判決を取り消す。

被控訴人は控訴人に対して別紙物件目録記載の家屋を明け渡し、且つ昭和四一年七月二六日以降右明渡済みに至るまで一ケ月金三万円の割合による金員及び一日一、〇〇〇円の割合による金員を各々付加して支払え。

控訴人その余の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決を取り消す。被控訴人は控訴人に対して別紙物件目録記載の家屋を明渡し、且つ昭和三七年七月一日より右家屋明渡済まで一ケ月三万円の割合による金員及び同月四日より右家屋明渡済まで一日一、〇〇〇円の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とする。」旨の判決を求め、被控訴代理人は「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」旨の判決を求めた。

当事者双方の主張と立証は、左記のほかは原判決事実摘示のとおりであるからこれを引用する。

一  控訴代理人は次のとおり述べた。

(一)  仮に控訴人が原審において主張した事実が理由がないとしても、控訴人は昭和四一年七月二五日、当審第五回口頭弁論期日において、次の理由により被控訴人に対して本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をなした。同日被控訴代理人に到達した。

(1)  被控訴人は、昭和四〇年七月分以降昭和四一年七月分まで一三回にわたり本件家屋の賃料の支払をなさず、弁済供託もしていない。

(2)  被控訴人は、控訴人の承諾なくして、昭和三九年八月二二日訴外葵産業株式会社に本件建物を転貸している。なお、同会社も昭和四〇年九月三〇日解散した。

(3)  被控訴会社は、昭和三九年一一月三〇日株主総会の決議により解散し、同年一二月七日その旨の登記をなし、代表取締役青木佐治平が清算人に就任している。

(二)  およそ、家屋の賃借人たる会社が銀行取引を停止されて店舗を閉鎖し、解散するに至れば、賃料の支払は不可能となり、賃貸人は賃貸借契約の目的を達することはできなくなるし、当事者間の信頼関係は破壊されるに至るのであるから、賃貸人は賃貸借契約を終了させることができるものと解すべきである。しかるに、被控訴人には前示の事実があるので、控訴人が当審においてなした前示解除は有効である。

二  被控訴代理人は次のとおり述べた。

控訴代理人主張の前記事実のうち

(一)  前記(一)の(1)記載のとおり被控訴人が賃料の支払をなしていない事実は認めるが、それは控訴人が受領を拒絶しているからであり、相当額にまとめたうえ控訴人方に現金を持参して交渉する予定である。賃貸借契約において賃借人が賃料の支払を遅滞した場合、何らの催告を要せず、賃貸人が契約を解除しうる特約ある場合においても、本件の如く賃貸人である被控訴人が賃料の受領を拒絶している場合は、改めてその支払につき催告をしなければ債務不履行を理由とする賃貸借契約の解除をなしえない。

(二)同(一)、(2)の事実は否認する。同(一)、(3)の事実は認める。

三  証拠(省略)

理由

一  当裁判所も、原審において、控訴人の主張した請求原因事実に対する原判決の判断をすべて相当と認めるので、その理由を引用する。

二  よつて、以下当審において控訴人の新に主張するに至つた事実の当否について判断する。

三  被控訴人が昭和四〇年七月分以降昭和四一年七月分までの本件賃料の弁済をしていないこと、被控訴会社が昭和三九年一一月三〇日、その株主総会で解散の決議をなし、同年一二月七日解散登記をして清算に入り、被控訴会社代表取締役青木佐治平が清算人に就任していることは何れも当事者間に争いがない。そして、成立に争いない甲第四、五号証に当審における控訴会社、被控訴会社各代表者本人尋問の結果によれば、被控訴会社は青木佐治平を代表取締役とし、皮革類の販売等を目的とする株式会社であつたが、昭和三九年一一月頃、営業不振のために債務超過に陥つて倒産し、前記のとおり解散するの止むなきに至り、代表取締役であつた青木が清算人に就任したこと、一方同会社は従前から事実上右青木の個人経営の如き実情にあつたので、同人らはこれより先の同年八月二二日、同じく皮革材料及び製品の販売等を目的とする葵商事株式会社を本件家屋の所在地たる北九州市小倉区魚町四丁目一六番地を住所にして設立し、右青木が代表取締役に就任し、実質的には被控訴会社の継続にあたるかの如き営業を行つていたこと(なお、葵商事株式会社の代表取締役は後に右青木の妻青木正子が就任し、昭和四〇年一〇月二五日同会社の解散により同人が清算人に就任している)、被控訴会社は、右清算の過程において取引上の会社債務や税金債務等の支払をしなければならなかつたため、本件家屋の賃料を支払う経済的余力を失い、従つてなんらの弁済の準備もできず、昭和四〇年六月頃まで遅滞しながらもかろうじて継続して来た弁済供託を中止するの止むなきに至つたこと、その後、控訴人の主張する昭和四〇年七月分以降昭和四一年七月分までの賃料は、右の如き事情から控訴人に対して弁済のため言語上の提供もされていないこと、現在、被控訴会社の清算事務は略々終了に近いものと考えられるけれども、その実情は必ずしも詳かではなく、果して被控訴人に本件家賃の支払能力があるかどうか明らかでないこと等の各事実が認められる。以上の認定に一部反するかの如き当審被控訴会社代表者本人尋問の結果は措信しがたく、他にこれを左右するに足りる証拠はない。

四  被控訴代理人は、控訴人において本件賃料の受領を拒絶しているのであるから、たとい被控訴人が弁済の提供をなさなくても、控訴人の方で改めて支払につき催告しないかぎり賃借人たる被控訴人に履行遅滞の責はない旨主張する。そして、本件は控訴人において賃貸借契約の終了を主張して、昭和三六年一〇月分以降数ケ月間の賃料債務の弁済の受領を拒み、その受領拒絶の意思が明確な場合にあたること原判決認定のとおりである(なお、当審控訴会社代表者本人尋問の結果もこれと符合する)。ところで、一般に、賃借人が賃料債務の弁済の提供をしても、賃貸人たる債権者が賃貸借契約そのものゝ存在を否定する等弁済を受領しない意思が明確であると認められる場合には、債務者は言語上の提供をしなくても債務不履行の責を免ぬかれるものと解すべきである(昭和三二年六月五日最高裁大法廷判決)が、かかる見解の根底をなすものは債務者にして債務履行の能力があり、且その意思があるにも拘らず、債権者の不協力によつてその意思の実行が妨げられている場合は、信義と衡平の原則上、債務者のなすべき協力義務の軽減を計るべきであるとの考に立つものであるから、既にかかる前提が失われ、債務者が債務履行の能力を喪失してしまつた如き事情の存する場合は債務者たる借主は債務不履行の責を免ぬかれることはできないものと解するを相当とする。けだし、もし反対の見解にたつとすれば、債権者が一度受領拒絶の意思を明確にした以上は、債務者は弁済の供託、現実又は言語上の提供はもとより、弁済の準備も必要とせず、弁済能力を失つて債権者が将来賃料を請求しても実効があるかどうか疑わしい状態に立到つてまで、なお債権者が翻意して弁済の請求をなさない限り、手を拱いて賃借家屋に居住することができ、債務不履行による一切の責を免れるということになり、著るしく債務者側における不信義を認容助長する結果となつて前記解釈を導いた法の根本精神に背致することとなるであろうからである。本件においては、被控訴会社が昭和四〇年七月分以降昭和四一年七月までの賃料の供託をしなかつたのは、同会社が解散し、その支払能力を喪失し、なんらの弁解済の準備もできなかつたことによるものであること前認定のとおりである以上、被控訴人は債務不履行の責任は免れないものというべきである。そして、成立に争いない甲第一号証によれば、賃料の支払を二回分以上怠つたときは催告等を要せず、本件賃貸借契約を解除しうる旨の特約が認められることは原判決認定のとおりであるから、控訴人が昭和四一年七月二五日、当審第五回口頭弁論期日においてなした前記契約解除の意思表示は有効であつて、本件賃貸借契約は右同日終了したものと解せられる。なお、本件家屋の賃料が一ケ月三万円であり、なお前記甲第一号証によれば、賃借人である控訴人が賃貸借が終了したのに拘らず賃貸物の返還をしない間は賃料相当額及び一日一、〇〇〇円の割合による違約金の支払をなすことが約定されていることが認められる。そうすると、被控訴人は本件家屋の明渡と本件賃貸借の終了した日の翌日である昭和四一年七月二六日以降本件家屋明渡済にいたるまで一ケ月三万円の賃料相当の損害金及び一日一、〇〇〇円の割合による違約金の各支払義務があることになる。よつて、原判決はこれを取り消し、控訴人の本訴請求は右の限度で認容するがその余は失当として棄却することとし、民訴法三八六条、九六条、八九条を各適用して主文のとおり判決する。

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