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福岡高等裁判所 昭和41年(う)853号 判決 1967年5月23日

控訴人・被告人 中村スエノ

検察官 片山恒

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

主任弁護人谷川宮太郎が陳述した控訴趣意は、記録に編綴の同弁護人並びに弁護人松木洋一連名作成提出の控訴趣意書に記載のとおりであるから、これを引用する。

右控訴趣意第一点(事実誤認)について。

しかし、原判決挙示の関係証拠によれば、被告人が原判示のとおり本件当時福岡県技術吏員で同県衛生部医務課看護係長として上司である同県知事、衛生部長等を補佐し同県下の病院、療養所等に勤務する看護婦、准看護婦の業務の調整、指導、看護婦の再教育、准看護婦に対する試験、免許、登録、看護婦の国家登録、看護職員の修学資金の貸与、看護婦、准看護婦学校、養成所の指定、報告、指導等に関する看護係の職務を担当していたことを認めるに充分である。

原判決は所論の昭和三六年度及び昭和三七年度の各定期監査(歳入歳出決算審査)調書のみによつて被告人の職務を認定しているものではなく、これを含めた他の証拠を総合してこれを認定しているものであつて、特に右定期監査調書中の職務分担表によると、昭和三六年度及び昭和三七年度において被告人が福岡県衛生部医務課看護係長であること並びに被告人に属する看護係の下部職員の職務分担を具体的に明示してあり、各係員の分掌事務は右両年度を比べると、その間に若干の変動はあるにしても看護係全体としての職務については格別異動は認められず、従つてその分掌事務を総括処理する看護係長たる被告人の職務に変動があつたものとは認めがたい。たとえ、右職務分担表が監査当時のものであるとしても、所論引用の証人も被告人の上記職務内容に変移があつたことまで供述しているわけではなく、これをもつて被告人が右の如き職務に従事していたことを否定するものとするには充分ではない。

また原判決は被告人が総婦長業務打合せ会の際、衛生部長に代つてその司会を担当したのに乗じ職務上の地位を利用して本件犯行に及んだことを判示しているが、所論の如く、ことさら被告人が計画的意図的に選挙運動のため本件総婦長業務打合せ会を開いたものと認定判示しているものではない。それ故本件犯行の動機原因につき原審の認定を批難する所論は、すでにその前提を誤り採るをえない。

しかも本件当時被告人が鵜崎多一が立候補の決意を有することを知つていたことは、被告人の検察官に対する昭和三八年三月二二日付供述調書により明らかであり、その他原判決拳示の関係証拠によれば、被告人が原判示日時場所において原判示総婦長等に対し「今度の知事選に先日の保健婦の会合で鵜崎知事を推すことに決議したので看護婦も一本になつて推したいと思います。御賛同の方は拍手でお答え下さい。」と申し向けて来るべき県知事選挙に立候補すべき右鵜崎のための投票並びに投票とりまとめ方を依頼した事実を肯認でき、被告人の右言辞が推すという言葉でありながら、その実は右のように鵜崎多一に対する投票並びに投票とりまとめを依頼する趣旨であることは被告人の前記供述調書により明らかであり、その趣旨は参集した婦長等にも充分に理解されていたことが認められ、被告人の意思が単に所論の如く鵜崎多一の推薦支持者獲得のための言動にとどまつたものとは到底認められない。被告人の司法警察員並びに検察官に対する各供述調書、松永ヒサ子等所論引用の関係者の検察官に対する各供述調書が、いずれも所論の如き原因誘導により作成されたものとは認められず、かえつてその供述記載に照らし、充分に任意性信憑性を有するものと認められるし、また原審証人小宮サヤ子の供述が信憑性を欠くものとも認められない。

当審証人田崎ミサ子、同河津ミトキの各供述を検討し記録を精査しても原判決には所論の如き証拠の取捨価値判断を誤り、ひいて事実を誤認した違法は認められない。論旨は理由がない。

同控訴趣意第二点(法令適用の誤)について、

公職選挙法第一三六条の二第一項第一号の規定する公務員の地位を利用して選挙運動をする罪については、規定の明文上は公務員の範囲、その職務の内容並びに権限の程度の点で何ら限定しておらず、従つて公務員の社会的信頼それ自体、すなわち公務員なるが故にその者のなす選挙運動を直ちに地位利用といえるか、公務員がその職務を通じて対象者と何らかの関連があれば足りるものなのか、その公務員が独立固有の職務権限を有しその者の判断で行政上効果ある行為をなし得る者であることを要する趣旨なのか、必ずしも明確であるとはいえない。所論は、当該公務員がその職務の行使を通じ選挙運動の相手方に対し具体的な影響乃至便宜を及ぼし得る関係にあり、それ故にこそ特に選挙運動を効果的に行ない得るような影響力がある地位を利用することを要するとして、所謂高級公務員に限るものと解すべきであると主張する。

しかし、公職選挙法が本来自由であるべき選挙活動に公共の福祉の見地から法的な規制を加えた基本的精神に即して同法条を合理的に理解すれば、同条違反の罪は、公務員の管掌する職務が選挙運動の対象者と密接な関連があつて、これを通じて相手方に対し利益又は不利益な影響を及ぼし得る状況にあることからして、その者のなす選挙運動が便宜かつ有利で効果的な影響力があると見られる場合において、その地位を利用して選挙運動をすることを指称し、当該公務員が独立固有の職務権限として処分その他公務所の意思決定をなし得る者であることを必要とせず、その職務上関係業務について権限ある上司に対し報告するとか、意見を具申するなどの方法によつて、密接且つ重要な関係において補佐する立場から該業務に参与する者である限り、ひとしく職務上の影響力がある地位を利用して選挙運動をする場合に包含され、例えば、県衛生部、医務課の業務を担当する看護係長のごとく、県下の病院、療養所等における看護婦、准看護婦に関する広汎な各種の行政事務を行なう者が、これら看護婦、准看護婦に対し、その身分上の指揮、監督権等の処分権限を有する知事、衛生部長の職務について、関係業務の立案、計画に参与し、調査報告乃至意見具申などの方法によつて、これに密接な関係において補佐している者の叙上対象者に対する選挙運動もこれに該当すると解すべきである。

なぜなら、国家公務員法(第一〇二条)、地方公務員法(第三六条)が公務員の政治活動を禁止した所以が、公務の中立、厳正を期し、服務の公正と完全性を保持する意図に出たものであることを参酌し、さらに公職選挙法が専ら選挙の自由と公正を保障することを趣旨としたものであることに鑑みれば、前示同法条の含意するものは、単に公務員がその公務員としての社会的信頼自体を利用することを規制しようとしたものでなく、およそ対象者との間に職務上密接な関連があり、その職務の行使を通じて何らかの利益又は不利益な影響を及ぼし得る立場にある者が、その影響力を利用して効果的な選挙運動をなすことにより、選挙の公正と自由を阻害すると評価するに足りる限り、不当にその地位を利用するものといえるので、かかる選挙運動を排除しようとしたものであつて、所論のように固有の処分権限を有する所謂高級公務員の選挙運動にのみ限定することは狭きに失し、合理的根拠を見出し得ないからである。

これを本件についてみるに、被告人は前記のとおり福岡県技術吏員で同県衛生部医務課看護係長として上司である同県知事、衛生部長等を補佐し、同県下の病院療養所等に勤務する看護婦、准看護婦の業務の調整、指導、其の他冒頭説示のような看護係の職務を担当していたものであり、もとより被告人には処分決裁の権限はなかつたにしても右の如き担当職務を通じて福岡県下の所轄関係看護婦等に対し影響力を及ぼしうる地位にあつたことは明らかであるばかりでなく、原審において取り調べた証拠によると、これらの者に対し被告人の上記職務上の地位にもとづき看護婦関係業務に関し上記指導等並びにこれに関連して上司に意見具申をする職務を行つていることは疑を存しないので、これら婦長等は単に職務上被告人と関係があつたというにとどまらず、右被告人の職務を通じてその影響力を受けうる状況にあつたことがうかがえるのであつて、しかも、被告人は当日主催者の福岡県衛生部長欠席のため、これに代つて上記打合せ会の議事進行等につき司会をしており、婦長等に対しより一層強い影響力を及ぼしうる情勢にあつたことが認められる。そして、被告人が検察官に対する供述調書(昭和三八年三月二二日付)において上記のような看護係長としての職務を有することから、婦長等に対し鵜崎多一に対する投票並びに投票とりまとめをお願いしたら、きいていただけるという期待があつたので本件に及んだ旨の供述をしていることに徴し、公務員たる被告人が、その地位を利用して本件選挙運動を行つたものであることは否定するに由なく、被告人の所為は公職選挙法第一三六条の二第一項第一号の禁止に違反するものといわねばならない。

すると、原審が被告人の所為につき右法条並びにその罰則たる同法第二三九条の二第二項を適用したことはまことに相当であり、記録を精査しても原判決には所論の如き法令解釈適用に誤りあるを発見することはできない。論旨は理由はがない。

そこで刑事訴訟法第三九六条に則り本件控訴を棄却し、当審における訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条第一項本文に従つて全部被告人をして負担させることとする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 岡林次郎 裁判官 山本茂 裁判官 生田謙二)

弁護人谷川宮太郎の控訴趣意

第二原判決には法令適用に誤りがあり、判決に影響を及ぼすこと明らかであるので破棄されるべきである。原判決は被告人の行為について公職選挙法第一三六条の二第一項第一号を適用し有罪とした。

しかしながら原判決は右法条の解釈・適用を誤つている。

即ち、誤りの第一は右法条は被告人らの如き下級公務員には適用すべきでなく権限を有する上級公務員に適用すべきであるにかかわらず、原判決は一律に公務員すべてに適用すべきと解釈している。第二は被告人は利用すべき地位にないにもかかわらず原判決は被告人に本条を適用した。

一、原判決の法令解釈の誤りについて

(一) はじめに

原判決は「弁護人らの主張に対する判断」の項において公職選挙法第一三六の二の規定の解釈について

「公務員の地位利用に関し、所論のように独自の権限を有する比較的高級公務員に限定してこれを解釈適用する理由はなく、公務員はすべて政治的行為を制限されていることと合せ考えればその固有の権限行使による場合たると、上司の権限を補助行使する場合たるとを問わず、職務上の地位に伴う影響力を背景として選挙運動に及ぶことが禁止されている。」

と述べている。

要するに原判決の理由とするのは一つは本条の適用を上級公務員に限る積極的理由がないこと。二つは公務員には政治活動の禁止があることから考え上級・下級の区別をする必要はないと云うのである。形式的非論理的な判断である。第一点について云えば確に本条には上級・下級の区別は法文上明記していない。しかし法の解釈は形式的にではなくその趣旨を考えなければならない。何のために公務員に一般国民より以上に選挙活動を制限しなければならないかの理由こそが積極的に解明されなければならない。

選挙活動は国民の基本的人権である。これが制限されるためには公共の福祉に反するとの理由が必要である。そしてその理由は選挙法規の場合には選挙の自由公正を害することが著しく選挙民の選挙活動を或程度制限しても選挙の自由・公正を守る方がむしろ公共の福祉に合致する場合でなければならない。従つて公務員が地位を利用して選挙活動をすることが直ちに選挙の自由公正を著しく害することにはならない。原判決はこの辺を全然考えていない。

第二点は原判決は公務員の服務上の問題と選挙法上の問題をごつちやにしている。極めて粗雑である。原判決の論理をかりるならば、公務員は政治行為を禁止されているから、地位利用の選挙運動も政治行為として公務員法上の問題として把握すれば足りると云うことになる。

公務員法が保護しようとするものと公職選挙法に依つて守ろうとする保護法益はそれぞれ異なるし、取締の対象も異なるのである。公務員法でどうなつているから公職選挙法でもどうだと云うのはその辺を無視した飛躍した論理である。この点も原判決が公職選挙法上の地位利用の規定が何を取締ろうとしているかどう云う理由で取締ろうとしているかの観点を抜かしたことから来るのである。

以上本条の正しい解釈について述べる。

公職選挙法(以下公選法と略称する)第一三六条の二は大変わかりにくい規定である。文言自体が抽象的である上にこの規定がどおいう行為のどの点を反社会性ありとして非難しているのか、その趣旨が明確でないからである。それだけにこの規定は濫用される危険が多い。原判決が本件に本条を適用したのもこうした濫用の一つのケースである。

本条の解釈に当つては、まず、この規定が選挙法規としての合理性をもつものであるか否か、あるいはどういう合理性をもつかを解明し、その合理的趣旨に即しながら曖昧模糊とした取締範囲を明確に限定しなければならない。

この合理性、明確性の究明はこの規定が刑罰規定であることからいつても必要不可欠なことである。(憲法三一条)

(二) 本条の選挙法規としての合理性

公選法第一三六条の二がもつべき合理性は、いうまでもなく選挙法規としての合理性、選挙制度という特殊な領域における特殊な合理性でなければならない。

選挙法規としての特殊な合理性とはなにか、そもそも選挙を法的に規制することの基本的意義はどこにあるのか。

それは次の二点にあると考えられる。

第一に、それは選挙における自由活達な民意の発現(選挙の自由)を制度的に保障するためのものである選挙においては、いうまでもなく、立候補者、選挙運動員、選挙民の間における政治の現状や政策に関する意見表明・意見交換・意見聴取の自由と機会とが充分に保障されなければならない。この意味で憲法の保障する言論表現・集会等の諸自由は、選挙においてはとりわけ強く保障されていなければならない。このことが保障されていなければ選挙は低調なものとなり、民主主義は容易に形骸化してしまうであろう。

選挙の自由妨害罪の規定(公選法二二五条)は右の如き観点にもとづくものである。

第二に、それは、選挙の公正(民意の正確・公平な反映)を制度的に保障するためのものである。

選挙の公正も亦、選挙の生命であるから、選挙法規は、投票における民意の自由な表明、人種・思想・信条・社会的身分・性別による差別の排除票の平等などを客観的・制度的に保障するものでなければならない。普通・平等・秘密・選挙の諸原理はこのためのものである。この意味で選挙民の自由な理性的な判断・選択を妨げるような不当な外力や、選挙を腐敗、堕落させ国民の選挙に対する信用をそこなうような行為は取締まらなければならない。買収・利益誘導の禁止の規定(公選法二二一条以下)はその典型的な例であろう。

以上の趣旨から、選挙を法的に規制することの合理性が認められるのであるが、しかし注意すべきことは選挙が政治勢力の消長を直接に決定するものであるだけに、政府・与党の党利党略のための規定が、一見もつともらしい口実のもとに、選挙法規のなかに混入してくる危険が大きいということである。いわゆるゲリマンダリングの弊や、最近の政治自民党の小選挙区制のたくらみはそのよい例証である。

議会制民主主義のもとにおいても、選挙による民意の表明を巧妙に抑制操作すれば、権力的・官僚的支配を維持していくことは可能である。むしろ議会制民主主義の段階における、新しい型の権力支配のからくりは選挙制度と治安立法のなかに集中的にあらわれているといつても決して過言ではない。

このような不正・不合理や危険性を防止するためには、選挙法規とは選挙運動を取締るものであるといつた、誤つた固定観念を捨てて、選挙法規とは国民に選挙の自由と平等とを保障するためのものであるという認識を確立すべきである。勿論、選挙の腐敗、堕落を防止するための取締の必要を認めなければならないが、取締規定は右の如き積極的価値の保障を前提とした保障が実効あらしめるための禁止であり、取締でなければならない。しかも、このことが明白でなければならない。つまり当該取締規定が選挙民に対して、どういう利益を保障しているかが明白でなければならない。そうでなければ、それは取締のための取締、禁止のための禁止であり、つまりは弾圧法規といわざるを得ないのである。このような規定は何のための取締であるか、その趣旨がつかみがたいために、徒らに選挙運動を萎縮させることになる。

以上のことは、別言すれば、取締規定は必要の最少限度にとどめるべきで、むしろ選挙運動の自由を大幅に保障すべきであるということにも通ずる。

この意味でいえば現行の取締規定は繁瑣にすぎるし、何のための取締りかはつきりしないものがやたらに多い。とりわけ、言論、表現による選挙運動にその感が深い。このため選挙は警察の監視と介入の中での選挙といつた観を呈しており、一方では萎縮と低調、他方では脱法技術の横行を招いている。言論活動が抑圧されているのとは逆に買収饗応が跡を断たないでいる。因みに、昭和三〇年に都道府県選挙管理委員会連合会は「言論による選挙運動は原則として自由とし文書による選挙運動については、物資の需給関係等により制限を受けていたような事項は整理すること」との要望、改正意見を表明している。

(林田和博・選挙法一六六頁参照)

民主的気運の昂揚期に制定された昭和二一年の改正選挙法が、取締規定を整理して選挙運動を大幅に自由なものとしたことを改めて思い起す必要がある。

選挙法規の合理性の有無を検討するに当つては、以上のことを特に考慮に入れておく必要があろう。選挙法規の合理性の有無の究明は、選挙法規がどのような利益を選挙民のために保障しているかの究明であるといつてもよい。

(三) 公選法第一三六条の二の合理性の有無

(1)  公務員の地位に伴う影響力とその他の社会的影響力

実質的にみて公務員の地位はその他の社会的地位と比較して選挙運動上、特段に有利な利点を有しているわけではない。

こゝでは本件との関連で公務員を、被告人のように組合に組織される地位にある非管理者たる公務員を対象とする。

公務員が公務員であることにより選挙活動上有している一般的類型的利点は公務員であると云う一般国民を対象とする仕事であるため仕事を通じ顔見知りであると云うに留まる。しかしこれを以て有利な地位にあると云うならそれはざらにある。公務員以外のどの様な職業であれ社会的活動であれ、それを通じて顔見知りとなることが出来る。

公務員の場合は一般国民が公務員であるが故に常に信頼をよせているとは限らない。信頼の有無は公務員の職務内外の日常の行動・態度の如何によるものであつてそれは公務員と云う地位とは無関係のものである。公務員であるからと云うことで一般国民がこれに影響されて心にもない人に投票したり、あるいはその危険があると一般的類型的に考えることは馬鹿げている。

逆にこれとは比べものにならない程の強大な影響力は決して少なくない。しかもその大部分は放任されている。たとえば企業家が多数の従業員・取引先下請業者に対して有している経済的・社会的な優越的地位・一般的に云えば社会的経済的な依存関係を利用した選挙運動は、選挙民の意思を威圧しあるいはその判断を惑わしうる程に強大である。こういう絶大な影響力の大部分を放任しながら、権力も便宜を図りうる力もない公務員の選挙運動を制限しなければならない理由がどこにあるであろうか。

(2)  社会的な地位・影響力とこれを規制することの合理性

前述のとおり公務員たる地位は選挙運動において他の職業に比較し有利な地位とはなり得ない。本来選挙法において特定の地位・影響力に特段の制限が是認されるとすればそれは影響力自体が反社会性を持つ場合或は影響力が選挙運動と結び付くことに依つて反社会性を持つ場合、つまり影響力自体は反社会性をもつとは云えないが、その影響力が強大であるためそれが選挙運動と結びつくことに依つて選挙民の自由な意思が不当に歪曲される危険がある場合、その影響力を刑罰規定で規制することの合理性がはじめて認められる。

右の様な観点からすると、公選法第一三六条の二も特に高級公務員の場合を想定すると次の様な合理性をもつ。第一に多数の下僚・関係業者・関係団体に対し、行政機関としての権限を有する者が上司である等の地位を背景として選挙運動を行うと、下僚・関係業者等の意思の自由が歪曲される危険がある。

この様な権力者の権力の濫用を認めることは、金権政治同様の腐敗と堕落を招来することになる。この意味で公選法第一三六条の二は買収饗応の禁止と同質の規定である。

第二に行政機関ないしその地位にある個人が行政機関として有する権限・便益を特定候補のために利用し或は利用させることは中立の立場にあるべき国家ないし国家機関が選挙に介入することを意味するものであり、これこそ選挙の機会均等の保障を侵すものである。従つて同条は下級公務員をも含めておよそ公務員の地位利用のすべてを禁止しているようにみえるが、一般に下級公務員にはこのような弊害をもたらすだけの強大な権力はないから、この規定が適用されるのは高級公務員に限られるべきであろう。右の様に同条を解しうる限り同条は選挙法規としての合理性をもちうると云える。

(四) 公選法第一三六条の二の解釈

(一) そこで公選法第一三六条の二をどのように解釈すべきであろうかを考えてみると、行政解釈(「地方公共団体の公務員の地位利用による選挙運動の規制について」昭38・2・14自治労選発第三号の自治省選挙局長通達)によれば

「「地位を利用して」とは、その地方公共団体の公務員としての地位にあるがために特に選挙運動等を効果的に行ないうるような影響力又は便宜を利用する意味であり、職務上の地位と選挙運動等の行為が結びついている場合をいう」と解されている。同行政解釈はさらに市町村長を例として次の如き具体例を示している。

1 補助金、交付金等の交付融資のあつせん、物資の払下げ、契約の締結、事業の実施、許可、認可、検査、監督等の職務権限に基づく影響力を利用して、外郭団体、関係団体、請負業者、関係者等(以下「外郭団体等」という)に対して選挙運動をすること。

2 指揮命令権、人事権、予算権等に基づく影響力を利用して所属職員又は関係ある公務員(以下「所属職員等」という)に対して選挙運動をすること」

したがつて、市町村長が「一般社会上の儀礼として、又は単に社会的地位として、その公的地位の名称を使用することがあつても、直ちに「地位利用による選挙運動」に該当しない」のであり選挙運動用ハガキ、ポスターに推せん者として肩書氏名を連ねること、個人演説会、街頭演説会、立会演説会で肩書を名のつて応援演説・代理演説をすることは差支えないと同行政解釈は解している。

(二) かように選挙法で問題視される「地位利用」の「地位」とは、「特に選挙運動等を効果的に行ないうるような影響力又は便宜」の意味に外ならない。これは選挙法規である以上当然のことである。公務員であるというだけでこのような「影響力又は便宜」を当然に有しているわけではなく、また公務員が選挙運動をしたからといつて、常にかかる「影響力又は便宜」を利用したとはいえない。だから個々のケースごとに前記行政解釈の具体例の如く、具体的な「影響力乃至便宜」と選挙運動との結びつきの有無を厳密に検討する必要がある。その結びつきが明白でなければ、右行政解釈の除外例に明らかな如く、本罪は成立しない。

別言すれば、それによつて選挙民の意思の自由が歪曲される危険性があることが、具体的に看取できる場合でなければならない。前記行政解釈の具体例はいずれも右の基準に該当する。

たとえば、市長が請負業者に対して請負契約上の便宜を図ることとひきかえに、投票を依頼したり、あるいは請負業者の普段からの市長に対する強い依存関係に便乗して投票を依頼すれば、その者の判断の自由は強い影響をうけることになる。選挙民の理性に訴えてこれに影響を与えるというのではなく、これ以外の外圧でもつて、その意思を不当に歪曲しあるいはその危険性をもつ点に、右の如き行為の可罰的違法性を認めることができるのである。

原判決はこの点の判断を誤り本条を形式的に理解し、公務員にはすべて適用さるべきものと判断している。

二、原判決の法令適用の誤りについて

原判決は本条を被告人に適用した理由として判決中で

「被告人は県下諸病院療養所などの総婦長との間には職責を通じて密接な関係があり、たとえば当該病院の看護婦・准看護婦の管理業務指導・教育等の諸点に関し上司に意見具申をするなどの方法によつて、その影響力を及ぼしうる地位にある」と認定している。公選法第一三六条の二で云う「地位」とは「選挙運動に効果ある影響力又は便宜を与えうる地位」である。一般に職務を通して何らかの関連があると云う意味ではない。

「効果ある影響力又は便宜を与えうる地位」と云う事は具体的には市長の様にその者の判断で住民に利益ないし不利益を与えうる地位ということである。従つてその者の判断で行政上効果ある行為をなし得ない、換言すれば権限を持たない者はその地位にあると云うことは出来ない。

起訴状は次の様に記載している。

「被告人は福岡県衛生部医務課看護係長の地位にあつて……中略……に対する行政処分に関する事項を分掌する職務権限を有する」と述べ、公務員たる身分に加うるに一定の職務権限の存する事を要件としている。そして検察官は一審の審理の中で被告人の職務権限を立証するため四苦八苦し遂に失敗した。

この事は検察官が被告人の職務権限を立証しなければ本条の適用は不可能と考えたことを物語つている。

ところが驚いたことには原判決はこの点「被告人は福岡県技術吏員で……中略……等に関する職務を担当していた地方公務員であつたが」として、検察官が必死で立証しようとした点を避けて通り、しかも本条を適用している。誠に不思議である。

さすがに原判決はこのままでは具合が悪いので冒頭に引用した様な内容を「職務権限」の代りに並べているが、この種の事実はいくら並べても職務権限の代りにはならない。原判決も権限と云う言葉を使つてないのはそのためである。

(1)  まず原判決は被告人は、職責を通じ総婦長と密接な関係があり」と述べているが、右認定にそう証拠はない。当日参集した総婦長は、全員被告人と密接な関係があつたわけではなく、「一・二度お会いした」程度の者も多い。もつとも弁護人申請の証人となつた総婦長は密接な関係があつたが、これらはいずれも被告人が看護婦長時代その後輩或は同輩であつた関係から密接なのであり、県の看護係長であつたからではない。

(2)  又原判決は「上司に意見を具申するなどの方法によつてその影響力を及ぼしうる地位にあつた」と判示しているが、看護婦の管理業務指導教育等の点について上司に意見具申することと、総婦長に対する影響力との関係が明らかではない。意見具申と決定とは全然別の事である。

総婦長に対し利益・不利益な決定をする権限のない者がどうして総婦長に対し影響を持ちうるであろうか。

現実に当日の被告人の発議は、原判決の表現を借りれば「被告人の影響下にある総婦長」によつて「なかつたこと」にされたのである。この事実一つとつても被告人の影響下にない事は明らかである。

職責を通じて総婦長と「関係があつた」と表現すべきであるのを「影響力を及ぼしうる地位にあつた」と判示したところに無理がある。力のない所に影響力はない。力とはこの場合権限である。被告人に何らかの職務権限があれば、その権限に基いて総婦長に対し何らかの利益・不利益を与えうるのであり、その限りで影響力を及ぼしうるのである。

検察官が主張した様に職務権限を主張するか、それが出来なければ本条を適用しないか、いずれかにしなければそもそも無理である。本件で検察官は職務権限を主張しながら、その立証に失敗した。従つて本件に本案を適用しなくてもそれは検察官の責任である。それを無理に本条を適用しようとするため本条の趣旨とかけ離れた解釈・適用になつたのである。

(3)  仮に原判決判示のとおり被告人が総婦長らに何らかの影響を及ぼしうる地位にあつたとしても、ここに云う影響とは「何らかの影響」と云うことではなく「選挙の公正を害すると評価するに足る影響」でなければならない。それでなければ選挙法規としての本条の趣旨は没却されるからである。

選挙活動は政治活動の一つであり本来自由に行われるべきものである。本来自由な選挙の公正・公平のため、選挙法規に依つて制限される場合があるのである、依つてその制限はあくまで選挙の公正・公平の立場から考えられるべきであり、選挙活動の自由はあくまで尊重する態度を忘れてはならない。何かわからないがとも角影響力をもつているから制限すると云う、いいかげんな制限は行われるべきではない。

選挙法規は選挙活動の自由・選挙の公正・公平を保障するための法律である。

原判決はこの根元の点を忘れて被告人が総婦長らと職務上関係がある事をとらえ、これを影響力に置きかえて本条を適用した。もし原判決がどうしても本条を適用したければ被告人と総婦長各人との間の関係を調べ個々にどの様な影響力があるかを検討しなければならない。

被告人が県知事等であり、被告人が住民に利益不利益を与えうる地位にある場合には単に被告人が県知事であることのみを判示すれば足りるであろうが、その地位に伴う何の権限もない県の係長である被告人の場合は各別にその影響力の程度内容を検討しなければならない為である。

原判決はこの点の考慮が足りない。県知事の様にその地位を明らかにする事に依つて、その地位に伴う権限・ひいては住民に対する強い影響力が確認される場合と、被告人の様にその地位を明らかにしただけでは何の権限もなく、又住民に対し何らの影響力も考えられない場合とを同一視した。

原判決は右の様な点を誤認した結果被告人に本条を適用したのであり、破棄されなければならない。

(その他の控訴趣意は省略する。)

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