福岡高等裁判所 昭和42年(ネ)639号 判決 1972年3月15日
控訴人(附帯被控訴人)
古賀幸信
代理人
桜木富義
外一名
被控訴人(附帯控訴人)
光石靖
代理人
松下宏
主文
控訴人(附帯被控訴人)の本件控訴を棄却する。
原判決をつぎのとおり変更する。控訴人(附帯被控訴人)は被控訴人(附帯控訴人)に対し金四七万三六四〇円および内金四四万八三二五円に対する昭和四一年一月一日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
被控訴人(附帯控訴人)のその余の請求を棄却する。
訴訟費用は第一、二審を通してこれを五分し、その一を被控訴人(附帯控訴人)の負担とし、その余を控訴人(附帯被控訴人)の負担とする。
事実《省略》
理由
一、被控訴人家屋と控訴人鍛冶工場の状況
被控訴人が、今次大戦前から佐賀県小城郡小城町字下町五〇四番、同所五〇六番の各宅地を所有し、その宅地上に、被控訴人主張のような家屋を所有し、同家屋に居住してきていること、控訴人は右被控訴人の宅地の北に隣接する同所五〇七番、同所五〇九番の宅地に居住するものであるが、昭和二三年頃、右五〇七番の宅地上にトタン葺、板壁の鍛冶工場約七坪五合(以下単に旧工場という)を建設し、そこにベルトハンマー機を設置し、これを使用し農具製造業として、農具鍛冶の作業を始めたこと、ならびに、控訴人が、昭和四一年三月頃に至り、右旧工場の東側(同番宅地上)に新らしく木造波形スレート葺平家建鍛冶工場二七、四〇平方メートル(以下単に新工場という)を建設し、旧工場を取り毀し、同工場にあつたベルトハンマー機を新工場に据え付け、同月一五日から右新工場で鍛冶作業を開始し、以来現在に至るまで新工場において鍛冶作業を継続していることは当事者間に争いがない。
原審における検証(昭和三五年一一月二六日、同三九年一二月二三日および同四一年九月八日実施の分)、当審における検証(第一、二回)の結果によると、被控訴人の家屋の位置、形状および間取り、控訴人の旧工場の位置およびその中に設置されていたベルトハンマー機の位置ならびに、新工場の位置、形状およびその中に設置されているベルトハンマー機等の位置は別紙見取図記載のとおりであつて、被控訴人の家屋の北側すなわち控訴人の工場側の壁は土壁であつて、その外側を更に板で覆い、その家の切れ目の庭のあるところは、高さ五尺のレンガ塀となっていること、旧工場はトタン葺(但し東側の流れは瓦葺)木造平屋建で東西約八メートル、南北約6.1メートルの広さであり、北側は戸も壁もなく開放され、西側は板壁、東側は腰高の板壁とその上方は格子のみ、南側は板壁であるが、高さ約半間、幅約一間の格子のみの明りとりがあるのみで防音効果の殆んどない建物であつたこと、新工場は、右旧工場の東側に建てられたものであつて、母屋に鍛冶作業場(面積約27.4平方メートル)、その南側の物置場(面積約10.50平方メートル)、同西側の工具室(面積約16.60平方メートル)の三つに区分された部分からなり、屋根は波形石綿スレート(一部に明り取りのため合成樹脂波形ボードが使用されている)で、鍛冶作業場の屋根の下のみに木毛ボードが張られ、鍛冶作業場と西側の工具室との境および南側の物置との境はいずれもブロック積の壁となつているが、いずれも二ケ所に小窓が明けられており(右小窓にはもとガラスがはめられていたがいつしか取り外されて木枠のみとなつており、西側のブロックの壁にも、その後、横0.8メートル、縦1.7メートルわたり取り除かれて、工具室との出入口が開けられた)、その余の周囲は、出入口を除き、いずれも腰高のブロック積の上に引き違いのガラス窓が設けられ、その窓の上方は屋根まで波形のスレートで囲まれており、更に新工場の南側の被控訴人の宅地との境界附近に防音のため、ブロックを八・九段積み、その上に四尺のスレートを継ぎ足した塀が設置されていることが認められる。
二、本件騒音の発生について
<証拠>を総合すると、
(1)、控訴人の居住する場所には、もと控訴人の伯父である亡古賀弥一が住んでいて、同人は、昭和一八年頃まで、同所で手打ちの鍛冶作業による農具製造をなしていたこと、控訴人は、右古賀弥一の死亡後、昭和二〇年九月頃復員して来て右古賀弥一の後に居住するようになり、その頃から、右弥一の後を継いで手鍛冶作業による鍬や鉈等の農具製造を始めたが、昭和二三年頃から大隈式ベルトハンマー機を旧工場に設置し、これを操作して鍛冶作業を続けてきたこと、そして、昭和三五年頃には、右ベルトハンマー機が旧式で能率も悪かつたので、新らしく越前式ベルトハンマー機四号機(槌の重さ二四キログラム、クラッチ毎分約三七〇回転、所要馬力二馬力)を購入して旧工場に設置し、これにより鍛冶作業を行ない、新工場になつてからも右ベルトハンマー機を同工場に移設して、現在まで同機による鍛冶作業を行なつているものであるが、昭和四四年三月頃には、更に坂本式ベルトハンマー機(槌の重さ四〇キログラム、クラッチ毎分約二五〇回転、所要馬力三馬力)一台を増設し、右両機を使用して現に鍛冶作業をなしていること、
(2)、これらのベルトハンマー機は、地がねに鋼を付け、焼を入れた鍬、鉈、鎌等の農具を鍛造するために使用するものであつて、一区切り数十打ダヽダヽダヽダという断続的打撃音を発するものであり、その打撃音は、音源附近において九〇ないし九五ホン(A特性)(九五ないし一〇三ホン(C特性))で、極めて大きい、震動を伴う騒音を発し、かなりの高音で周囲に響き渡り、被控訴人の宅地内や家屋内にも伝播していること、
(3)、控訴人は、前記農具鍛冶業を始めた頃から現在まで、平均月2.3日休むほかは、毎日農具製造の作業をしており(もつとも、病気その他で1.2ケ月休業したことはある。)、一日のうちベルトハンマー機を使用するのは、大体午前七時半か八時頃から午後五時ないし六時頃までが通常の状態であつたが、農繁期頃など農具の需要の多い時には、早朝六時頃から始り、夜九時頃に及ぶこともあつたこと、特に昭和三四・五年頃には夜間に及ぶことがしばしばであつたこと、もつとも、新工場に移つてからは、午前八時以前および午後七時以後においてベルトハンマー機を使用する作業は殆どしていないこと、
(4)、もつとも、控訴人が前記の時間内において、ベルトハンマー機を使用するとしても、その間、間断なくこれを使用しているものではなく、鍛冶作業処外のグラインダーによる研磨等の仕上作業その他の作業もあり、鍛冶作業中も鍛材の火造りをする時間も要するので、実際にベルトハンマー機を操作して農具を鍛造している時間は、稼働時間の三分の一ないし半分の時間に限られていたが、それが、一日中の前記の時間内において断続的に行なわれるため、被控訴人ら近隣の者に対しては、右ベルトハンマー機による打撃音は断続的に終日騒音となつて伝播されているものであること
が認められ、<証拠判断―略>。
三、本件騒音の音量について
(1)、<証拠>によると、騒音レベルの測定については、従来、音の大小によつて聴音補正回路の使い分をし、大きい音はC特性、小さい音はA特性、中位の音はB特性、すなわち、まずB特性で測つて六〇ホン未満のときはA特性で、六〇ホン以上八五ホン未満のときはB特性で、八五ホン以上のときはC特性で測定することとされていた。しかし、その後、昭和四一年八月一日、日本工業規格の改正により、騒音レベルは、その音の大小と関係なく、原則としてA特性で測定されることとなり公害防止に関する各種の法規における騒音規制基準に定める騒音レベルのホンも、すべて右A特性により測定した値によることとなつたので、本件騒音も原則としてA特性により測定した値をもつて、以下ホン(A)と表示して、判断することとする(C特性の値を併記する場合にはホン(C)と表示する)。
なお、当審における控訴本人尋問の結果によると、控訴人の行なう鍛冶作業は、火熱を使うため、作業工場内の温度が極度に高く、ガスも発生するため、工場を締め切つて作業をすることは困難であり、作業中は常時工場の窓は開放されていることが認められるので、本件騒音の音量については、鍛冶工場の窓が開放された状態において判断するのが相当である。
(2)、旧工場のときの騒音の音量
<証拠>を総合すると、旧工場において、前記昭和三五年頃設置の新ベルトハンマー機により鍬を鍛造するときにおける工場敷地の境界附近ならびに被控訴人の家屋内(家屋の窓が開放状態)での騒音の音量は、
(イ)、昭和三六年一〇月五日、測定当時、被控訴人の裏の家一階居間イ点(別紙見取図記載の地点を示す。以下同じ)で五二―五四ホン(A)(六九―七一ホン(C))、イ点で五五―五七ホン(A)(七三―七五ホン(C))、三階の居間ハ点で五四―五七ホン(A)(六八―七一ホン(C))、表の家階下居間八畳ニ点で四七―四九ホン(A)(六〇―六三ホン(C))、同二階間(子供勉強部屋)へ点で四八―五〇ホン(A)(六〇―六二ホン(C))、同ヘ点で四六―四九ホン(A)(五八―六一ホン(C))、
(ロ)、昭和三八年五月三〇日測定当時、裏の家一階イ点で五八ホン(A)(六五―六八ホン(C))、表の家一階ニ点で四〇ホン(A)(五三―五六ホン(C))、同二階ヘ点で四九ホン(A)(五七―五九ホン(C))、
(ハ)、昭和三九年一二月二三日測定当時、音源より10.15メートルの工場敷地境界附近のA点で七六―七八ホン(A)(八五―八七ホン(C))、同5.5メートルの敷地境界附近B点で八四―八七ホン(A)(九三―九六ホン(C))、同一二メートルの敷地境界附近C点で七六―七八ホン(A)(八五―八七ホン(C))、裏の家一階イ点で、五四―五六ホン(A)(七六―七七ホン(C))、イ'点で五四―五八ホン(A)(八一―八四ホン(C))、同ロ点で五三―五六ホン(A)(七六―八〇ホン(C))、同三階ハ点で六四―六六ホン(A)(七六―八〇ホン(C))、表一階ニ点で五一―五四ホン(A)(六四―六八ホン(C))、同ホ点で五六―五九ホン(A)(七三―七六ホン(C))、同二階ヘ点で五五―五八ホン(A)(六六―七〇ホン(C))、同ヘ'点で五一―五四ホン(A)(六七―七〇ホン(C))、
(ニ)、昭和四〇年一一月二七日測定当時、境界附近B点で八〇ホン(A)(八九ホン(C))、同C点附近で七〇―七五ホン(A)(七九―八四ホン(C))、裏の家一階イ点で五五―五八ホン(A)(七二―七五ホン(C))、同イ'点で五三―五七ホン(A)(七三―七五ホン(C))、表の家一階ニ点で四八―五二ホン(A)(六二―六五ホン(C))、同ホ点で五〇―五四ホン(A)(六三―六六ホン(C))、同二階ヘ点で四九―五三ホン(六二―六五ホン(C))、
であることが認められる。
そして<証拠>によると、右各測定時を通じて控訴人の旧工場および被控訴人の家屋の状態には変りがなく、ベルトハンマー機も同一であつたのであるが、その測定値に若干の相違があるのは、ベルトハンマーの打撃力に差異を来すことになるベルトハンマー機のベルトクランクの回転数の調節およびペタルを踏む力加減がその都度違つていたことによるものであるが、実際の作業においても、そうした若干の力加減等の相違のありうることは顕著なことであつて、右測定値の最高値において騒音が伝播していることは否定し得ないところであるから、本件騒音の違法性の判断については、右測定値の各最高をも考慮せざるを得ないことになる。
しかして、右認定の事実に弁論の全趣旨を総合して考えるとき、旧工場当時の新ベルトハンマー機から発せられていた騒音の音量は、平均的にみて、敷地の境界A点において七七ホン(A)前後、同B点において、七九ホン(A)前後、同C点において七七ホン(A)前後、被控訴人の裏の家一階の室内において五七ホン(A)前後、同三階の室内において六〇ホン(A)前後、表の家一階八畳居間において五二ホン(A)前後、同三畳居間において五五ホン(A)前後、二階居間(子供勉強室)において五二ホン(A)前後であつたと認めるのが相当である。そして、原審における証人光石初枝(第一回)によると、昭和三五年以前の旧ベルトハンマー機から発せられていた騒音の音量も、右新ベルトハンマー機のそれと同程度のものであつたことが認められるから、右の音量をもつて旧工場当時に被控訴人の住居内に侵入して来ていた騒音量と認めるのが相当である。
(3)、新工場になつてからの騒音の音量、<証拠>によると新工場のベルトハンマー機(越前式四号機鎚の重さ二四キログラムのもの)により前同様鍬を鍛造するときにおける騒音の音量は、敷地の境界附近のブロック塀より控訴人側A'点で七三―七四ホン(A)(九二―九三ホン(C))、被控訴人側のA''点で五四―五五ホン(A)(七六―七七ホン(C))、同B点で五九―六〇ホン(A)(七八―七九ホン(C))、同C点で五六―五七ホン(A)(七五―七六ホン(C))、裏の家一階イ'点で四七―四八ホン(A)(六八六―九ホン(C))、同三階ハ点で五九―六〇ホン(A)(六七―六八ホン(C))、表の家一階ニ点で四四―四五ホン(A)(五九―六〇ホン(C))、同二階ヘ点で五一―五二ホン(A)(六五―六六ホン(C)であることが認められる。
なお、<証拠>によると、昭和四四年三月頃、控訴人が右新工場に、新たに槌の重さ四〇キログラムのベルトハンマー機一台を増設し、これをも使用して鍛冶作業を行つていることが認められるけれども、その発する騒音の音量は、前記槌の重さ二四キログラムの機械を使用した場合と大差がないことが認められる。
そうすると、前記測定値をもつて、控訴人の新工場から被控訴人の宅地および家屋内に侵入して来る騒音量と認めるのが相当である。
(4)、なお、控訴人は、晩秋から早春までは家の窓を締めて生活するものであるから、前記の騒音量ははるかに低下するものである旨主張するが、原審における被控訴本人尋問の結果(第一回)、原審および当審における各検証の結果によると、被控訴人の居住家屋は相当古く、窓等も古いものであつて、仮りに窓等を締めても、侵入して来る騒音量には大差がないことが認められるので、控訴人の右主張は採用しない。
四、本件騒音の違法性
(一)、控訴人が農具製造を業とするものであることは前記認定のとおりであるところ、本件ベルトハンマー機の使用は、右控訴人の営業上不可欠のものであつて、その操業自体は一応控訴人の正当な権利行使ということができるから、そこから発生する騒音が、自己の支配する土地の範囲外に及び他人の利益ないし権利を侵害する結果を招来しても、それが一般社会の通念に照し、社会生活上受忍すべきであると考えられる限度内にとどまる場合には違法性はないけれども、それが右受忍の限度を超える場合には違法となり、それによつて生じた他人の損害に対し、賠償の責任があるものというべきである。
そして、その受忍の限度は、一般的に行政的騒音取締法規の定める規制基準、被害場所の地域性、四囲の環境、騒音の種類、性質、その騒音の被害者の身体、精神に及ぼす影響等の諸事情を考慮して決せらるべきである。そこで、これらの諸事情について考えてみる。
(1)、行政的取締法規の定める規制基準
<証拠>によると、佐賀県は佐賀県公害防止条例および同防止条例施行規則を制定し、鍛造機を騒音に係る特定施設と定め、その騒音規制基準として、第一種区域(住居専用地区)において、午前八時から午後七時まで最大五〇ホン(A)、その余の時間最大四五ホン(A)、第二種地域(住宅専用地区を除く住居地域および用途地域が定められていない地域)において午前八時から午後七時まで最大六〇ホン(A)、その余の時間五〇ホン(A)、第三種地域(商業地域および準工業地域)において午前六時から午後一一時まで最大六五ホン(A)、午後一一時から翌日の午前六時まで最大五五ホン(A)、第四種地域(工業地域)において午前六時から午後一一時まで最大七〇ホン(A)、午後一一時から翌日の午前六時まで最大六五ホン(A)と定めているが、右騒音基準に定める騒音レベルの測定は、騒音を発する特定施設を設置する工場又は事業場の敷地の境界線とすることとしている。これは要するに、工場の騒音がその支配範囲から外部にもれるのを、その限りにおいて、すなわち、第三者の生活妨害を生じたか否かは具体的に考慮せず、これを一応除外して騒音自体を規制せんとしているものである。
しかして、騒音が、騒音防止に関する行政上の規制基準に違反している場合、その騒音は一応私法上も受忍の限度を超え違法性を有するものと解することができる。しかし、それが行政上の規制基準に適合しているからといつて、すべて民事上において違法な侵害はないとすべきものではなく、その場合でも、具体的に考えて、受忍限度を超えた侵害があると認められる場合には、違法な侵害として、民事上の責任を免れるものではないと解するのが相当である。
(2)、被控訴人の住居家屋の所在地の地域性と四囲の環境
<証拠>を総合すると、被控訴人の居住家屋所在の佐賀県小城町は旧都市計画法による都市計画による都市計画区域の指定を受けてはいるけれども、建築基準法第四八条に定める用途地域の指定を受けていない地域であること、被控訴人居住家屋は、西側が表で、南北に通ずる幅七メートル位の道路に面しているが、奥行が深く、別紙見取図記載の如き情況にあること、被控訴人居住家屋の表道路沿いの家屋は多くは商店であるけれども、一地方の小さな町の商店街に過ぎず、活気はなく、数年来衰微の一途をたどり、店を閉じる家も多く、工場としては、控訴人の本件工場があるのみであること、そして、表通りは自動車の往来も少くないが、被控訴人居住家屋の並びの家の裏側は、畑、田、墓地、荒地等に接していて、表の騒音は被控訴人住居家屋の裏側にまで届かず、極めて静かな場所であること、したがつて控訴人の居住家屋の環境は全体的に観察して、商業地と住宅地との中間に位するものとはいえるが、佐賀県公害防止条例施行規則の騒音規制基準における区域の区分からすれば、むしろ前記の第二種区域に該当する地域であると認めるのが相当である。
(3)、本件騒音の種類、性質とそれが身体、精神に及ぼす影響
<証拠>を総合すると、控訴人の工場から被控訴人の住居内に侵入して来る騒音は、控訴人が農具製造の鍛冶作業に使用しているベルトハンマー機の打撃音であるが、その音はダヽダヽダヽダという一区切数秒間に2.30回発する震動をも伴う断続音で、しかも、高音で衝撃的な音であること、そして、その音は、同じ程度の大きさの他の騒音、例えば自動車の音などに比べて感覚的にうるさく感じられ、人に情緒的な影響を与えやすい音であること、被控訴人は高等学校の化学の教諭であり、一日中家に居るわけではないけれども、帰宅後においても、その職業上、自宅において読書その他生徒を教えるに必要な研究もしなければならないのに、本件ベルトハンマーの打撃音のため、神経が刺激されて不快感を覚え、思考力、注意力が妨げられて、それらの研究や勉強もできず、早朝や夜間では睡眠も妨げられ、食欲不振や胃腸障害を起したり、神経衰弱気味になつたりしたことがあり、精神安定剤や睡眠薬を用いることもしばしばあり、二人の子供の勉強にも支障があつたこと、また被控訴人家屋のうち裏の家は亡母らが隠居所として建てたもので、前庭も立派に造り、日当りもよく、生活の環境としては表の家の部分よりはるかに優れているのに、本件騒音のためにその利用が十分にできないことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
(4)、<証拠>によると、日本の建築学会においては、住宅内における許容騒音の推奨値を三五―四五ホンとしており、できれば住居内の騒音は四〇ホン以内にとどめるのがよいとされていることが認められる。
(5)、以上認定の事実に、成立に争いのない甲第三〇号証ならびに控訴人の鍛冶工場のベルハンマー機から発する騒音の被控訴人の住居家屋内における音量が、佐賀県公害防止条例の昼間の第二種地域の規制基準である六〇ホンを超えるのは、旧工場当時における裏の家三階の部屋についてだけであるけれども、右佐賀県公害防止条例に基く規制基準は、前記の如く、騒音に係る特定施設を設置する工場の敷地の境界線における騒音レベルであることを総合して考えるとき、本件控訴人の工場から発する前記騒音の被控訴人の住居家屋内における受忍の限度を午前八時から午後七時までの間(以下昼間という)において五〇ホン(A)、午前六時から午前八時および午後七時から午後一一時までの間(以下朝、夜という)において四五ホン(A)、午後一一時から翌日の午前六時までの間(以下深夜という)において四〇ホン(A)とし、それを超えている場合には、被控訴人における受忍の限度を超えるものとして、違法なものになるものとするのが相当である。
(二)、ところで、被控訴人が本件において主張する被侵害利益ないし権利は、被控訴人の住居内における生活の平穏と被控訴人所有家屋等の利用価値であるところ、当審における検証の結果(第一回)ならびに原審および当審における被控訴人本人尋問の各結果によると、被控訴人は妻と子供二人計四人家族であつて、現に、表の家の一階と二階で生活をしており、裏の家は他人に貸していたこともあり、裏の家部分を使用しなくても、その生活には格別支障がないので、被控訴人の生活の平穏につき違法な侵害が存するか否かは表の家につき考慮すべきことになり、裏の家については、騒音により利用価値の低下という経済的損失があるかにつき判断すべきことになる。
そこで、さきに認定した騒音の音量が、右受忍限度の基準に照し違法とすべきかどうかにつき考えてみるに、
(1)、旧工場当時における騒音の違法性、旧工場当時において、
(イ) 控訴人の工場と被控訴人宅地との境界附近のA、B、C地点における騒音の音量が七七ホン(A)前後ないし七九ホン(A)前後であることはさきに認定したとおりであるところ、右は前記佐賀県公害防止条例の騒音規制基準を超えているばかりでなく、
(ロ) 表の家において、一階八畳居間五二ホン(A)前後、同三畳居間五五ホン(A)前後、二階居間(子供勉強室)五二ホン(A)前後であることは前記のとおりであるから、一日中何時でも、控訴人のベルトハンマー機により発する騒音は、前記の受忍限度を超え、被控訴人ら家族の表の家における生活の平穏を侵害しているということができるから、違法というべきである。
(ハ) また、裏の家においても、一階の居間で五七ホン(A)前後、同三階の居間で六〇ホン(A)前後であることはさきに認定したとおりであるから、右騒音の音量は前記受忍の限度を超えており、違法であつて、それにより同家屋の十分な利用が妨げられていることが認められる。
(2)、新工場になつてからの騒音の違法性、新工場になつてからの騒音の音量は、
(イ) 工場敷地の境界附近のブロック塀より控訴人側A'点で七三―七四ホン(A)であるが、塀より被控訴人側のA''点で五四―五五ホン(A)、また境界附近のB点で五九―六〇ホン(A)、同C点で五六―五七ホン(A)であることは前記のとおりであつて、右は佐賀県公害防止条例の騒音規制基準以内であるということができるし、また、表の家における生活の平穏の関係で考えてみるに、同家屋一階八畳居間で四四―四五ホン(A)、同二階居間(子供勉強室)東窓際で五一―五二ホン(A)であることは前記認定のとおりであるところ、右一階の居間においては前記昼間および朝・夜の受忍限度を超えておらず、ただ、二階の子供勉強室の東窓際で、右昼間の受忍限度を一―二ホン超えることになるが、原審における鑑定人浦野良美の鑑定の結果(第三回)および当審における同鑑定人の鑑定の結果を総合すると、同勉強室の中央においては2.3ホン以上騒音が低下することが推認され、これと被控訴人の生活の中心が表の家の一階にあることとを併せ考えるとき、表の家全体として総合的に観察するとすれば、本件騒音は、昼間において、前記受忍の限度を超えるものではないと認定するのが相当である。したがつて、控訴人の新工場におけるベルトハンマー機の騒音は昼間において未だ違法とはいえないが、朝夜において一部ならびに深夜において違法となるものというべきである。
(ロ) つぎに、裏の家の利用価値の関係で考えてみるに、家の利用価値は、各居室を単位として区別することができるところ、本件においては、裏の家の一階の居間と三階の居間とではその騒音の音量が相当異なるので、それぞれについて区別して判断する。
(a) 裏の家の一階の居間における騒音の音量が四七―四八ホン(A)であることはさきに認定したとおりであるから、昼間における騒音は、前記受忍限度内ということができ、違法性を欠くが、朝・夜および深夜においてのそれは違法となる。
(b) しかし、裏の家三階の居間では、騒音の音量が五九―六〇ホン(A)であることはさきに認定したとおりであつて、右は一日中、何時でも、前記の受忍限度を超えるものと認められるから、違法である。
(c) なお、被控訴人は、裏の家東側の土蔵跡の空地についても、その利用価値に対する違法な侵害がある旨主張する。そして、当審における被控訴人本人尋問の結果ならびに原審における検証の結果(昭和四〇年一一月二七日実施分)によると、被控訴人所有の宅地内の前記裏の家の東側には土蔵があつたのであるが、昭和四〇年一一月頃、同土蔵が朽廃したのでこれを取毀したことならびに被控訴人は同土蔵跡にできれば借家でも建てたい希望を有していることを認めることができる。
しかし、新工場になつてからの騒音は右土蔵跡の北側境界附近の被控訴人側A''点において五四―五五ホン(A'')であることは、さきに認定したとおりであるところ、右土蔵跡に建物を建築するとしても、北側に窓をあけることなく、これを建てれば、その室内の騒音は、前記裏の家の一階程度以下になるものと推認され、そしてそれが前記受忍の限度内であることは前記認定のとおりであるので、被控訴人主張の如く、右土蔵跡の宅地の利用価値に対する違法な侵害があるとは、いまだ認めることはできない。
五、被控訴人の損害
以上の認定を基礎にして考えるとき、被控訴人が控訴人の違法な騒音により被つている損害はつぎのとおりである。
(一)、旧工場のときの損害
(1)、生活妨害による損害
本件騒音の種類、性質、本件騒音の身体および精神に及ぼす影響、ならびに旧工場当時の騒音が現に被控訴人に対し及ぼしている実情については、前記四の(一)の(3)に認定のとおりであるところ、同騒音が受忍の限度を超えていて違法であることも前記のとおりであるから、前記認定の事実を総合するとき、被控訴人は旧工場当時における本件騒音により表の家における生活の平穏を侵害され、精神上相当の損害を被つていたものということができる。
(2)、裏の家屋の利用価値低下による損害
旧工場より発せられていた本件騒音により、被控訴人の表の家においてさえ、その受忍の限度を超えてその生活の平穏を侵害されていたこと右認定のとおりであるから、前記認定の如く、それより騒音の音量の高かつた裏の家一階および三階においては、なお一層の生活妨害を受けるであろうことは容易に推認しうるところであるから、裏の家一階および三階居間は、一般人が平穏な生活を営むべき場所としての価値を、本件騒音により侵害されていたと認むべきである。
そして、<証拠>によると、裏の家一階を、昭和二五年頃約四ケ月間訴外近藤分作に賃貸し、また同三三年頃から同三六年春頃まで同千々岩梅春に、同三六年四月頃から同三七年五月末頃まで同矢川義明にそれぞれ賃料月二五〇〇円で賃貸し、同訴外人らが同所に居住していたが、昭和三七年五月末限り右矢川義明が本件騒音のために他に転居してしまつてからは他に借り手がないため、そのままになつていることが認められ、以上の事実からすると、被控訴人は、本件騒音のため、本件裏の家につき十分な利用ができず損害を被つていたものということができる。
(二)、新工場になつてからの損害
(1)、生活妨害による損害
新工場になつてからの表の家での昼間の騒音が、受忍の限度を超えるものではなく、違法性を有しないことは前記のとおりであるので、これによる損害は生ずる余地はないものというべきである。
なお、朝・夜の一部ならびに深夜における騒音が違法となることは前記のとおりであるが、新工場になつてからは、朝・夜ならびに深夜には本件ベルトハンマー機による鍛冶作業を行なつていないこと前記のとおりであるから、その損害は存しないものといわなければならない。
(2)、裏の家屋および土蔵跡宅地の利用価値低下による損害
(イ) 新工場になつて、裏の家一階につき、昼間の騒音が違法な侵害とはならないこと、朝・夜ならびに深夜においての騒音は違法となるが、新工場になつてからは朝・夜ならびに深夜においては騒音が発せられていないこと前同様であるから、違法な騒音に基く損害の存在を認めることはできない。
(ロ) 裏の家三階居間については、さきに認定したとおり、昼間においても、受忍の限度を超える五九―六〇ホン(A)の違法な騒音の侵害を受けており、これにより平穏な生活を営むべき場所としての価値を低下させられているものと認むべきであるから、被控訴人は本件騒音により右居間の利用価値低下による損害を被つているものということができるところ、前記騒音の違法な侵害は現在もなお継続しているものであるから、同損害もまた現在まで継続しているものと認むべきである。
(ハ) なお、被控訴人は、新工場になつてからの騒音は、土蔵跡の宅地についてもその利用価値低下の損害を与えている旨主張するが、同土蔵跡宅地についての違法な侵害があると認められないことは前記のとおりであるから、その損害は存しないものといわなければならない。
六、控訴人の損害賠償義務
(一)、<証拠>を総合すると、控訴人は旧工場にベルトハンマー機を設置して鍛冶業を始めて間もない頃から、被控訴人よりその騒音につき苦情の申入れがあり、他に適当な場所に鍛冶工場を移してほしい旨をも申込まれたことがあり、それにより、本件ベルトハンマー機による騒音が被控訴人の住居内に侵入していたことを知つていたものであることが認められるから、右騒音により被控訴人の生活の平穏その他の権利が侵害されることをも知つていたかまた知り得た筈であるところ、右苦情を申込まれた後においても、具体的に騒音防止の措置をせず、引続きベルトハンマー機による騒音を発してきたことは、控訴人の故意または少くとも過失による不法行為というべく、控訴人は、本件騒音により被つた被控訴人の損害につき賠償の責任がある。
(二)、そこで、その損害の額につき考えてみるに、
(1)、旧工場のときの損害額
(イ) 生活妨害による慰藉料
前記認定の被控訴人の精神的苦痛の程度、本件騒音の性質、程度、本件騒音が発せられた時間その他一切の事情を斟酌し、当裁判所は、控訴人の旧工場の騒音により、その操業期間中の昭和三二年九月一日(被控訴人の請求日)から同四〇年一二月三一日(原審における控訴人本人尋問の結果(第二回)により、旧工場で操業していたのは、この日までであることが認められる)までの間に、被控訴人が受けた精神的苦痛に対する慰藉料の額は金三〇万円(月平均三、〇〇〇円)と認めるのが相当である。
(ロ) 裏の家の利用価値低下による損害額
原審における鑑定人渋江義朗の鑑定の結果によると、裏の家の昭和三二年一月一日から同三五年一二月三一日までの地代家賃統制令による賃料相当額は、月額金二九七一円、昭和三六年一月一日以降において月額金二九一五円であること(原審における検証の結果(第一回)によると二階は物置として被控訴人において使用していることが認められるから、一階および三階については地代家賃統制令の適用があるものと考える)が認められるところ、前記の如く、その一階を借り受けていた訴外矢川義明が昭和三七年五月末日限り他に転居してしまつてからは、本件騒音のため他に借り手もなく、そのままになつているのであるから、被控訴人は、同年六月以降同四〇年一二月末日までは右賃料相当額である月金二九一五円、それ以前においては前記の如く他に一階部分を賃貸していたことを考慮すると、三階部分のみが利用できなかつたことになるから、前記賃料相当額から一階部分を他に貸与して得ていた賃料二五〇〇円を控除した額、すなわち、昭和三二年九月一日以降同三五年一二月末日までは月金四七一円、同三六年一月一日から同三七年五月までは月金四一五円の各割合による損害を蒙つているものというべく、したがつて、旧工場当時における裏の家の利用価値低下による損害は、右の合計金一四万八三二五円と認めるのが相当である。
(2)、新工場になつてからの裏の三階居間の利用価値低下による損害額
前記認定の裏の家の賃料相当額と、新工場になつてからは、裏の家一階については騒音の違法な侵害はないこと、そして、従前一階の部分を月二五〇〇円で賃貸していたこと等を総合して考えるとき、新工場のベルトハンマー機の操業が開始された昭和四一年三月一五日以降同四六年四月一四日(被控訴人が求める日)までの間の裏の家三階居間の利用価値低下による損害としては、月金四一五円の割合による計金二万五三一五円と認めるのが相当である。
(三)、そうすると、控訴人は被控訴人に対し本件騒音に基く損害賠償として、以上の合計金四七三、六四〇円および内金四四万八三二五円(前記(二)の(1)の(イ)および(ロ))に対するその不法行為の後である昭和四一年一月一日以降完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務があるものというべく、被控訴人の損害賠償の請求は右の限度において理由がある。
七、被控訴人の差止請求について、
原判決は、被控訴人の差止請求は理由がないものとして、これを棄却したものであるところ、この部分については被控訴人より附帯控訴による不服の申立がないが、この点についての当裁判所の判断は、原判決の理由六説示と同一であるから、これをここに引用する。
八、以上のとおり、被控訴人の本訴請求は、前記損害賠償を求める限度において正当であるのでこれを認容すべきであるが、その余は失当として棄却すべきである。
九、そうすると、控訴人の本件控訴は理由がないのでこれを棄却すべきであるが、被控訴人の附帯控訴は一部理由があるので、原判決を前記の限度において変更することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条、第九二条本文、第八九条を適用して、主文のとおり判決する。(彌富春吉 原政俊 境野剛)