福岡高等裁判所 昭和42年(行ケ)12号 判決 1968年9月17日
原告 井上正文
右訴訟代理人弁護士 安部萬太郎
同 安部萬年
同 安田幹太
同 安田弘
被告 大分県選挙管理委員会
右代表者委員長 臼杵勉
右指定代理人 佐藤和
<ほか一名>
被告補助参加人 桑原定雄
右訴訟代理人弁護士 白石雅義
主文
被告が昭和四二年四月二八日執行の大分県下毛郡山国町長選挙における当選の効力に関する原告の審査申立に対し、同年一一月二四日付をもってなした裁決を取消す。
右選挙における候補者桑原定雄の当選を無効とする。
訴訟費用中、参加によって生じた部分は補助参加人の負担とし、その余は全部被告の負担とする。
事実
原告は主文と同旨の判決を求め、被告は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。
原告は請求の原因として、
一 原告は昭和四二年四月二八日執行の大分県下毛郡山国町長選挙(以下本件選挙という)に立候補したが、右選挙には原告のほか桑原定雄が立候補し、開票の結果選挙会は、それぞれの得票数を原告一、九一一票、桑原定雄一、九一四票とし、桑原定雄を当選人と決定し、山国町選挙管理委員会はその旨告示した。
二 原告および訴外選挙人山下一正他二名はこれを不服とし、法定の期間内に山国町選挙管理委員会に対し、桑原定雄の当選の効力に関し異議の申出をしたが、同委員会は同年五月二三日右異議の申出を棄却する旨の決定をなした。
三 原告および前記訴外人等は法定の期間内である同年六月一三日更に被告委員会に対し、これが審査の申立をしたところ、被告委員会は同年一一月二四日原告等の主張の一部分を容れたものの、結局において投票の結果につき、有効得票数原告一、九一二票、桑原定雄一、九一四票と決定して、右審査申立を棄却する旨の裁決をなし、その裁決書は翌二五日原告に送達された。
四 しかしながら、被告委員会が無効投票と判定したもののうちには、次に述べるように原告の有効投票とすべきものがあり、また桑原定雄の有効投票と判定したもののうちには、次に述べるように無効なものと原告の有効投票とすべきものとがある。
≪中略≫
五 このように見て来ると、原告の得票数は一、九一八票であり、これに反して桑原定雄の得票数は一、八八七票に減ずるから、原告がその得票数において桑原候補より多いので、本件選挙の当選人である。よって、桑原定雄の当選は無効であり、原告の審査申立を棄却した被告委員会の裁決は違法であるから、原告はこれが取消を求めて本訴に及ぶものである。
≪以下事実省略≫
理由
一 原告の請求原因一ないし三の事実はすべて当事者間に争いがない。そして、検証の結果によれば、本件選挙の投票中に当事者双方(補助参加人を含めて)がそれぞれ主張するような記載の投票が含まれていることが認められる。
二 そこで、原告主張の分から順を追って争いのある各投票の効力について判断することとする。なお、以下(一)のイないしニおよび(四)のイ、ロに記載の各投票が被告委員会の裁決において無効投票と判定され、原告および桑原候補の有効得票に含まれていないこと、(二)のイないしリおよび(三)に記載の各投票が右裁決において桑原候補の有効得票とされた一、九一四票中に含まれ、(五)のイないしヘに記載の各投票が右裁決において原告の有効得票とされた一、九一二票に算入されていることは、当事者双方とも明らかに争わない。
(一) 被告委員会が無効投票と判定したもののうち、原告が自己に対する有効投票と主張するもの
イ 210の投票には「井上」の文字の上に「○」印が記載されているが、その位置、形状、筆勢等からすれば、これは意識的な記載と認められるので、他事記載ある投票として無効というべきである。原告は右「○」印が投票後何びとかによって加筆されたものというが、そのことを疑わせるような資料は存しない。
ロ 212、216の各投票はいずれも片仮名を用い、全体として筆跡は極めて稚拙であり、記載は甚だ不明確である。強いて判読すれば、212の投票は「トラユ」であり、216の投票は「イノノワニ」と読めるが、これを原告主張のように「イノウエ」もしくは「イノウニ」とは到底判読できない。もっとも、216の投票については第一、第二字が「イノ」である点において原告の姓「イノウエ」の第一、第二字に合致するが、如何に立候補制度をとる選挙法のもとにおいても、投票の記載と特定候補者の氏名との若干の類似性を手がかりとし、選挙人は常に候補者中の何びとかに投票するものとの推測のもとに、これを右特定候補者の得票と解さねばならないものでもないから、第三字以下において著しく異なり、全体としても類似性を欠く右投票は、未だ原告を志向する意思が明白に表明されたものとは言えない。従って、両投票とも無効である。
ハ 217の投票は第一字を如何に読むか争いのあるところであるが、その運筆、筆勢等から判断するとき、これは「木」と読むべきこと被告の詳細に主張するとおりである。とすれば、右投票は「木下正文」と記載されていることになるが、「木下」と原告の氏「井上」とは字形字音においてかなり異っておりにわかに原告の氏を誤記したものと認め難いのみならず、本件選挙の一三日前に行われた大分県知事選挙に立候補し当選した著名人木下郁があった(この点は原告において明らかに争わない)というのであるから、右木下郁の氏を混記したものとも考えられ、いずれにしてもこれは原告に対する有効投票とは認められない。
ニ 218の投票には「井上文男」なる記載があるところ、原告の氏名は「井上正文」であるから、四字中三字まで一致し、しかも原告の名のうち「文」の方が字形上も発音上もより印象に残る可能性があると認められるので、一般的には右投票は原告の氏名を誤記したものと解すべきである。ところが、山国町には右投票の「井上文男」に合致する人物が実在しており(このことは当事者間に争いがない)、このような場合には右のように高度の類似性ある投票であっても、直ちに原告に対する投票の誤記と即断することはできず、右実在の人物に対する投票の可能性が検討されねばならない。
そして、≪証拠省略≫を綜合すると、井上文男は明治四四年四月一日生れで本件選挙当時五六才、山国町大字宇曽六〇八番地の二に居住し、農業の傍ら木材搬出請負業に従事して、必ずしも豊かとはいえないが一応の生活をしており、戦前は高等小学校を卒業して芝居の役者になり、時には一座を立て九州各地を巡業したこともあり、戦後は直接関係しないが右のような経歴から山国町における芝居の興行の世話をしたり、また器用なところからか、仏事や神事に際して笛、太鼓の楽を奏したり、かなり特異な人物として、山国町民の間にある程度名前が知られていることが認められる。しかしながら、その知名度は被告もしくは補助参加人の主張するほど高いものでなく、しかも、同人はこれまで公職に就いたことは勿論、選挙などに立候補したことは全くなく、強いて挙げれば昭和三六年四月以降七年間部落長をしていることが、公の仕事に関係ある唯一のものということができる。以上のような事実に、本件選挙が現町長である桑原定雄、前町長である原告の両候補のみによって争われたものであることを併せ考えるならば、本投票が選挙人において右実在の井上文男に対し投票する意思をもって記載されたものとは到底認められない。従って、右投票は原告に対する有効投票と認めるのが相当である。
(二) 被告委員会が桑原定雄の有効投票と判定したもののうち、原告が無効投票と主張するもの
イ 原告は合計一四票の投票について他事記載による無効を主張するが、そのうち3の投票は投票記載の際鉛筆が刺さった穴と認められ、14の投票は選挙人が桑原候補の氏を最初平仮名で書き始めたが上手に書けず、再度繰り返した後、片仮名で書き直したものと認められ、30の投票は投票用紙を横にして第一字を書き始めたが、書き損じて途中でやめ、その下に改めて「クワラ」と記載したものと認められ、34の投票は選挙人が不慣れのためか、最初欄外に候補者の氏名を記載し、後で気付いて正規の候補者氏名記載欄に再度記載したものであることが認められ、69の投票は桑原候補の氏名を平仮名で書き、第七字を書こうとして書き損じたが、これを抹消することを忘れ、そのまま横に「お」と書き直したものと認められ、また94の投票は桑原候補の氏を書こうとして、第一字を書き損じたので、これを抹消したものと認められ、119の投票は候補者名の上と欄外に二ヶ所記載があるが、欄外の分は同所に候補者名を書こうとして、正規の場所でないことに気付き抹消したもの、候補者名の上の分は第一字を書き損じて抹消したものと認められ、以上いずれも有意の他事記載とは認められない。また、81、86、90、110、111、116、118の各投票はいずれも桑原候補の氏名または氏を漢字で記載し、これに振仮名を付したものであるが、≪証拠省略≫によれば、本件選挙のポスターは勿論、投票記載所内の氏名掲示表にも、候補者氏名には振仮名が付されており、右各投票はこれに倣い記載を明確にしようとしたものと認められ、これも有意の他事記載ということはできない。なお、右のうち116の投票には第三字「定」の右横に鉛筆の跡とみられるものがあるが、これは候補者の氏の部分に続いて名の方にも振仮名を書こうとして、書き損じて抹消したものか、無意識の汚損と推察され、この点も有意の他事記載とは認められない。従って、いずれも桑原候補に対する有効投票ということになる。
ロ 原告は5、8、15、121、129の投票についても他事記載を云々する。しかしながら、これ等は筆記具による紙の破損、自然の書損じ、単なる読点の誤記などであって、前記以上に有意の他事記載でないことが明白であり、桑原候補に対する有効投票というべきである。
ハ 54の投票が「くわらだ」と記載されていることは争いがない。ところで、本件選挙は前記のように原告と桑原定雄の両名によって争われたものであり、右投票の記載がいずれとも完全には合致しないが、桑原候補の姓に類似していることは否定できない。他方、≪証拠省略≫によれば、山国町大字草本には桑原田勇および桑原田保の二家族があり、右投票の記載はむしろこの「桑原田」(くわはらだ)姓に近似していることが認められる。しかしながら、本投票は「くわはらだ」を完記したものではなく、また≪証拠省略≫を併せても、右桑原田姓の家族は勇と保が兄弟であり、もともと山国町の居住でなく、戦前先代の頃金山の技術員として移住して来たもので、戦後右勇が農協の理事となったことがあるほか、格別公職にも就かず、昭和三八、九年頃からは両名とも大阪方面に出稼ぎに出ている状態で、山国町民間にもその存在は十分知られていないことが窺われる。とすれば、このように候補者と候補者でない者と双方に類似の投票があり、より候補者でない者に近似する場合であっても、同人に対する投票が十分考えられるような事情にないときは、立候補制度をとる以上、選挙人は候補者に投票する意思をもってこれを記載したものと推定すべきであるから、右投票は桑原候補に投票しようとしてこれを誤記したものと解する。
ニ 63の投票が「クハバラユキヲ」、105の投票が「桑原幸夫」と各記載されていることも争いがない。ところで、右の記載は桑原候補の氏名と氏において一致し、名は字形において類似性を欠くが、字音においてある程度の類似性を有しているので、一応同候補の名を誤記したものと考えられる。このことは、本件選挙と同時に施行の町会議員選挙の候補者にも右記載に合致する氏名の者がなく、もともと山国町民にそのような者が実在しない(この点原告も明らかに争わない)ことからも肯認できる。もっとも、原告は右町会議員選挙の候補者中に「宝珠山幸男」なる者があり、本件選挙の投票中にも「ユキヲ」「宝珠山幸男」「宝球山幸男」「ほしやまゆきを」なる投票があったことを主張し、その点は被告も明らかに争わず、検証の結果からも窺われるところであるが、右宝珠山幸男は前記各投票と姓において全く類似性がなく、右投票が同人を志向するものとは到底考えられない。そして、このような同時選挙において、両選挙のいずれの候補者の氏名にも明確には一致しないが、そのいずれにも類似する投票は、先ずその投票がなされた選挙の候補者に対する有効投票と解すべきこと、被告主張のとおりであるから、これ等はいずれも桑原候補の有効投票とすべきものである。
ホ 84の投票は第一、第二字は明確に「桑原」と記載されているところ、第三字はほとんど文字の体をなさず判読不能であり、第四字はまた明確に「丈」と記載されている。とすれば、右投票は桑原候補と姓において完全に一致しながら、その名において全く類似しておらず、これが同候補を志向するものとはにわかに解し難い。そして、本件と同時に行われた町会議員選挙の候補者に「桑原丈夫」なる者があり(この点も争いがない)、この氏名と比較すると「丈」の字が第三字と第四字の差こそあれ、四字中三字までが合致し、しかも全体を通じて字形が類似している点からすれば、本投票はむしろ同人を志向しているのではないかと考えられる。もっとも、同時選挙において双方の選挙の候補者の氏名に類似する投票の解釈についての原則論は前述のとおりであるが、本投票の場合、桑原候補とは名において全く類似性なく、町会議員選挙の「桑原丈夫」と氏名ともに類似しているのであるから、少くともいずれの誤記か決し難いものとしなければならない。そこで、本投票は無効といわねばならない。
ヘ 72の投票の第一字は「く」、第二字は「は」と明確に認められるが、第三、第四字はそれほど明確でない。しかし、強いて判読すれば第三字は「わ」を書こうとしたものであり、第四字は「ら」と読めなくもないので、右投票は桑原候補の氏を誤記したものというべきである。原告は第三字が「井」第四字が「上」を記載したもので、原告に対する他事記載ある投票か、原告と桑原候補の姓の混記ある投票として無効とすべきであると主張するが、右第三、第四字は到底そのようには判読できない。桑原候補の有効投票と解すべきである。
ト 96の投票は第一字が「桑」であることは争いがない。しかしながら、その第二字以下の記載は如何なる文字を記載したものか全く不明であり、被告主張のようにこれを桑原候補の氏名を書こうとして、その第二字以下「原」「定」「雄」を明確に書けなかったのではないかと考え、一字一字照し合わせても、全く類似点が見当らない。なるほど、氏または名の一部を記載しただけの投票であっても、その志向するところが確認できるかぎり、これを有効と解すべきことは勿論であるが、本投票のごとく、一致する部分が氏名四字のうち一字のみであるばかりか、却って他の三字が候補者と明らかに異なる記載であるときは、これをもって右候補者に対する投票を志向するものとは認め難い。従って、この投票は無効と解すべきである。
チ 102の投票は明らかに「クワル」と認められる。ところで、九州地方においては「原」は「ハル」と読む場合があること顕著な事実であるから、桑原候補の氏を「クワハル」と読む選挙人があることは十分考えられ、右投票はその第三字の「ハ」を落したものと解される。またそうでなくても、右投票は桑原候補の姓に近似しており、同候補を志向する意思が明らかである。
リ 原告は6、7、23、29、30、35、57、104の各投票が未だ桑原候補への投票意思を十分表現していないと主張する。しかしながら、これ等はいずれも平仮名もしくは片仮名で記載され、その筆跡も稚拙ではあるが、6、7、29、104の投票は「くはら」、23、57の投票は「くわば」、30の投票は「クワラ」、35の投票は「くわら」と判読でき、すべて桑原候補に対する投票意思が推認できるので、これ等は同候補の有効投票というべきである。
(三) 被告委員会が桑原定雄の有効投票と判定したもののうち、原告が自己に対する有効投票と主張するもの
219の投票の第一字はその字形、運筆、筆勢等からみれば、原告主張の「幸」の字にも似ているが、「」の字を記載しているものと認められる。そして、山国町における「桑原」姓は戸籍上も「」の字を使用する者が多く、桑原候補も「」であり、本件選挙における投票記載所の氏名掲示表も右の字を使用していたことが、≪証拠省略≫から窺われる。次に、右投票の第二字は一応「子」と認められるが、被告主張のように「原」の草書体を略し過ぎたものと考えられないこともない。とすれば、右投票はやや記載が不正確であるが、桑原候補に対する投票意思を十分表示しているものと解する。原告は右投票が原告の妻で著名人である「幸子」を記載したものであると主張するが、その第一字を「幸」とするについては第六画が余りに長く、また第七画が第六画より離れすぎ、第七画の運筆について納得できないものがある。まして、右投票がその夫である原告への投票意思を表明しているとの主張については、到底賛同できない。もっとも、右投票は桑原候補の氏を完記しているものでなく、他方原告の妻であり知名度の高いことが、証人小河和子の証言などにより認められる井上幸子の名に近似していることも否定できないので、問題がないわけではないが、立候補制度の選挙法のもとにおいては、立候補していない者に対する投票意思が特に窺われない以上、やはり選挙人は候補者の何びとかに投票する意思をもってなすものと推定すべきであるから、その意味において本投票は桑原候補の有効投票と解するのを相当とする。
(四) 被告委員会が無効投票と判定したもののうち、補助参加人が自己に対する有効投票と主張するもの
イ 103の投票は第二字が「原」と記載されていることは明白であるが、その第一字はやや不明確であり、本件選挙の候補者中桑原候補の氏とその第二字が一致するところから、その第一字の「桑」を書こうとしたものではないかとの推測のもとにこれをみても、到底そのようには判読できない。却ってその字形、運筆等からするならば、原告の氏の第一字「井」の第三画が短か過ぎ、第一画、第二画の中間に止まったものと考えられなくはない。とすれば、本投票は両候補の姓の一部の混記か、少くともいずれの候補者にも投票意思が明確に表現されていないものとして、無効というべきである。
ロ 215の投票については、平仮名による極めて薄い筆跡で一応四字と認められる記載がなされているが、その内容は甚だ不明確であり、強いて判読すれば第四字が「ら」と読める程度であって、この記載から補助参加人の主張するように桑原候補に対する投票意思の存在を窺うことはできない。従って、右投票は無効とすべきである。
(五) 被告委員会が原告の有効投票と判定したもののうち、補助参加人が無効投票と主張するもの
イ 補助参加人は計五票の投票について他事記載による無効を主張するので各投票をみるのに、143の投票は原告の氏名を書こうとしてその第一字「井」の第一画を書き損じたもの、154の投票は同じく原告の氏名を書こうとして第二字の「上」を書き損じ、これを抹消したが、その上の「井」を抹消することなく、横に改めて「井上正文」と書き直したもの、157の投票は原告の名「マサフミ」を片仮名で書こうとして、投票用紙を逆さまに使用し、「マサフ」まで書いたとき記載を終ったものと誤って句点としての「。」を記入したが、「ミ」の記載が脱落していることに気付いて右「。」を斜線で抹消し、「ミ」を記入して完記したもの、161の投票は原告の氏名「井上正文」を書こうとして、第三字に誤って「文」の字を第一画もしくは第二画まで書き始め、気付いてこれを「正」としたが、その際「正」の上に残った「文」の第一画の抹消を忘れたもの、183の投票は原告の姓を漢字で書こうとしたか、仮名で書こうとしたか、第一字を書き損じて、その下に片仮名で「イノウエ」と書き直したもの、とそれぞれ認められ、以上いずれも有意の他事記載とは考えられないので、これ等は原告の有効投票である。
ロ 142の投票には「井上フミ」、153の投票には「井上文」のそれぞれ明瞭な記載が認められ、これ等がいずれも原告の氏名から「マサ」もしくは「正」の部分が脱落した類似のものであることは疑いがない。ところで、補助参加人は右記載に氏名が合致する選挙人が山国町に実在すると主張し、≪証拠省略≫によれば、いずれも山国町草本に井上フミおよび井上ブン(文ではない)なる者が実在していることが認められる。しかしながら右各証拠によれば、井上フミは大正一〇年七月一日生れの農家の主婦であり、男女併せて八人の子に恵まれ、円満な生活をしているというに過ぎず、井上ブンは明治九年一一月二九日生れで本件選挙当時九〇才、その長寿故に山国町発行の「山国だより」などに写真入りで掲載されたりして、ある程度町民に名を知られているという老婦であって、両名とも公職などには全く関係がなく、選挙には縁の遠い存在であったことが窺われる。とすれば、立候補制度の選挙法下において、前記各投票が右両名を志向するものとは到底考えられず、類似の原告に対する有効投票と解すべきである。
ハ 182の投票は明らかに「いのうえまさみ」と記載されており、原告の氏名「いのうえまさふみ」の八字中七字が一致し、「ふ」の一字が脱落しているのみで、原告の氏名に酷似していることは疑いない。補助参加人はこれについても山国町に井上正巳なる者が実在し、同人に対する投票であると主張する。そして、≪証拠省略≫によれば、山国町草本に井上正己なる者が実在し、同人の名は戸籍上「正己」であるから「まさき」と呼ぶべきところ、一般には「正巳」「まさみ」と呼ばれていることが窺われる。しかし右各証拠によれば、同人は大正一二年三月三一日生れで現在大分県下毛郡本耶馬溪町に本店のある熊谷石油店の山国出張所に勤務し、右出張所の責任者であるが、従前は製材所あるいは運送会社に会計係として勤め、その間山国町農協の監事、代表監事となったほか、格別公職についたこともなく、勿論選挙に立候補したこともなく、町民間における知名度もそれほど高くないことが認められる。とすれば、本投票は候補者制度をとる現行法のもとにおいては、投票者は候補者の何びとかに投票する意思をもってこれを記載したものと推定すべきであり、原告の氏名に酷似していること前記のとおりであるから、原告に対する有効投票と認めるべきである。井上正己の経歴、知名度が前述の程度であれば、その実在は未だ右推定を覆えすに足りないといわねばならない。
ニ 146の投票は第一、第二字は「井上」と認められるが、第三、第四字は記載が不明確であり、原告の名「正文」を記載したものとはにわかに認め難い。
しかし、本件選挙に立候補したのは原告と桑原定雄のみであって、選挙人は候補者の何びとかに投票するものと推定すべきであるとの観点よりすれば、右投票は原告の氏と一致し、第三字、第四字は強いて判読すれば、「文」「夫」と読めなくはなく、原告の名を誤り記載したものと認められる。もっとも、補助参加人は本件選挙と同時施行の町会議員選挙に「井上」姓の候補者井上哲および井上実があったと主張し、原告は明らかに争わないので事実と認められるが、これ等を対比すると、右井上哲、井上実の両名はいずれも名が一字であって右投票の記載とは全く類似せず、むしろ原告の名の方が近似している。しかも、同時選挙において双方の選挙の候補者に類似の投票があるときは、先ず右投票がなされた選挙の候補者に対するものと推定すべきであるから、その意味においても、本投票は原告に対する有効投票と解すべきである。
ホ 201の投票はその記載が極めて稚拙であり、文字を正確に記載しようとしてか、第一ないし第三字に加筆していることが認められ、その記載は必ずしも明確とまでは言えない。しかしその字形全体をみるとき、第一字など「井」の第四画を欠いているような点もあるが、一応「井上正文」と読め、原告に対する投票意思を十分確認できる。従って、本投票は原告の有効投票である。
ヘ 211の投票は投票用紙を逆さに使用して「井上フサ」と記入していることが認められるが、筆跡が幼稚であり右のように用紙を逆さまに使用していることなどから判断すると、この投票は原告の氏名を漢字と片仮名で書こうとして、名前の第一字の「マ」の第二画を脱落し、第二字の「サ」まで書いたところで、候補者の氏名記載欄が一杯になったため、その後を書かなかったか、または「フミ」の部分を忘れたものと考えられ、一応原告を志向するものということができる。補助参加人は前記のように本件選挙と同時に施行の町会議員選挙の候補者井上哲、井上実を挙げるが、右投票の記載はこれ等両名の名と全く相違し、むしろ原告の名により似ており、また同時選挙における投票の解釈について、投票がなされた該選挙の候補者を優先して考えるべき原則からすれば、これまた原告に対する有効投票といわねばならない。
当事者間に効力を回って争いのある投票についての判断は以上のとおりであり、他に以上の判断を左右するに足る格別の資料は存しない。
三 そうだとすると、被告委員会が無効投票と判定したもののうち218の投票は原告の有効投票、被告委員会が桑原候補の有効投票と判定したもののうち84、96の各投票は無効投票とそれぞれ判定すべきものであるから、結局原告の得票数は一、九一三票、桑原候補の得票数は一、九一二票となり、原告が得票数において上回ることになるので、本件選挙の当選人といわねばならない。そこで、桑原定雄の当選は無効であり、原告の審査申立を棄却した被告委員会の裁決は取消を免れない。
よって、原告の本訴請求を正当として認容し、訴訟費用の負担につき民訴法第八九条、第九四条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 池畑祐治 裁判官 蓑田速夫 権藤義臣)
<以下省略>