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福岡高等裁判所 昭和44年(う)672号 判決 1970年5月16日

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役一三年に処する。

原審における未決勾留日数中一五〇日を右本刑に算入する。

理由

検察官亀井義朗が陳述した控訴趣意は、記録に編綴の原審検察官森崎猛提出の控訴趣意書に記載のとおりであり、弁護人井上允が陳述した控訴趣意は、記録に編綴の同弁護人提出の控訴趣意書に記載のとおりであるから、これを引用する。

弁護人の控訴趣意第一点(事実誤認)について。

所論は原判決が被告人の本件犯行当時の精神状態につき心神喪失ないし心神耗弱の状態にあったことを否定しているのは事実の誤認である、というにある。

よって、記録および原裁判所において取調べた証拠を検討、さらに当審における事実取調べの結果を参酌して考察するに、被告人が本件犯行に使用したガソリンを購入する際の原判示のような経緯および被告人が犯行前後において入院患者らの身の安全について意を用いていること、所論のように犯行直前看護婦室において畳に登山ナイフをつき立て明石洋子および増田明美に「外に出れ」といったのも、同人らが火災にあわないようにするため戸外に追い出したものであると認められることに照らすと、本件犯行当時被告人が心神喪失ないし心神耗弱の状態にあったものとは到底認めることができず、この点に関する原判決の判断はまことに相当であって、所論のように事実を誤認するものではない。論旨は理由がない。

検察官の控訴趣意第一点(事実誤認)について。

所論は、原判決が本件公訴事実のうち、殺人、傷害の訴因について被告人に犯意が認められないとして犯罪の成立を否定したのは事実の誤認である、というにある。

よって記録および原裁判所において取調べた証拠ならびに当審における事実取調べの結果を検討して考察するに、原判決挙示の証拠ならびに被告人の当審公判廷における供述および当審受命裁判官の証人徳永実蔵に対する尋問調書によると

(1)  本件犯行当時赤田診療所二階には三〇余名の患者が入院しており、そのいずれも神経痛やリュウマチの患者でしかもそのほとんどが老令者であって身体の自由を欠き、とくに所長室の上の一一号室に入院していた平山ミス(七九才)および今村サダヨ(七〇才)は歩行さえ困難な状態であり、平山は視力もほとんどなかったこと。

(2)  被告人は、昭和四二年四月頃から右診療所に勤務し日頃患者らとの接触も深くその身体の障害について熟知しており、放火すれば、患者が逃げ遅れて火事のため焼死したり火傷したりまたは二階からとび降りて怪我をしたりしてはいけないと思い、犯行前二階病室を廻り就寝中の患者やテレビを見ている患者に「今夜は月がよいから外に出なさい。外が涼しいから外に出なさい」などといって戸外に出そうとしたが、患者らのほとんどは外に出ようとする様子はなく、被告人も犯行に着手する前に患者らが戸外に出たかどうかを確認してはいなかったこと。

(3)  被告人は診療所階下所長室前廊下にガソリン一八リットル入り二缶をまきマッチで点火したものであり、発火力の強いガソリンをかように多量に放火の媒介物として使用すれば瞬時にして木造の診療所に燃え拡がることは世の常識であり、自動車運転者たる被告人には右のことは十分予想できたと認められること、さればこそ前記のように患者らに戸外に出るようにすすめていること。

(4)  被告人はガソリンに点火した際自らも身体に火がついたが近くの浴場にとび込んで火を消し、二階の入院患者とくに平山が危いと思いその救助のため二階に駈けあがったが、火勢が強く平山のいる一一号室には近づけなかったこと。

が認められる。右事実によってみれば、被告人にはその意図するような方法で放火すれば、身体の不自由な患者らの間に死傷者が出るかも知れないことの認識のあったことは明らかであり、とくに重症患者で放火地点の真上の病室にいた平山ミスおよび今村サダヨについてはそのおそれが強いことの認識もあったものと認められる。しかして被告人は犯行前患者らを戸外に避難させようという努力を試みてはいるものの、患者らが被告人の意図を察知せず戸外に出ようとしなかったにもかかわらず、多量のガソリンをまいて点火するという危険性の高い方法で放火しているのであるから、被告人は死傷の結果の発生を認容したものであって、被告人には殺人および傷害の未必の犯意があったものといわざるを得ない。被告人が患者らに死傷の結果の発生することを避けたいという気持のあったことは前記(3)(4)の事実によって明らかであるが、放火によって死傷の結果が不可避的に発生することが予見され、右結果の発生を防止すべき特別の措置を確実に講じないままに放火したとすれば、右死傷の結果につき責任を負うべきは当然である。原判決が被告人に殺人、傷害の犯意がないとして同罪の成立を否定したのは事実を誤認するものであって、その誤認が判決に影響を及ばすことが明らかであるから、原判決はすでにこの点において破棄を免れない。論旨は理由がある。

そこで、検察官および弁護人の控訴趣意各第二点量刑不当の論旨に対する判断を省略し、刑事訴訟法三九七条により原判決を破棄し同法四〇〇条但書に従いさらに次のとおり判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和四二年四月頃から熊本県荒尾市野原一、〇〇一番地所在赤田診療所に自動車運転者兼雑役夫として勤務していたものであるが、昭和四三年六月頃同診療所看護婦明石洋子と結婚の約束をするに至り、同診療所所長立山虎男夫婦に対し明石と結婚するので自己の給料を二万五、〇〇〇円にあげてくれるように再三申入れ同年八月分から昇給させてやる旨の口約束を得て相当額の昇給を期待していたところ、同年九月五日に受領した八月分の給料が予期に反して前月分より手取金が僅か一、〇〇〇円増加していたに過ぎなかったことにいたく憤激し、昇給の約束を履行しなかったのは立山虎男が被告人ら若い者の気持を全く理解してくれないためと一途に思込み、同人に対するうっ憤を晴すため、右立山夫婦および入院中の患者三〇数名が現に住居に使用している同診療所(木造瓦葺二階建、建坪一、五四四平方メートル)に放火することを決意し、同日午後八時二〇分頃近くの岡本石油店からガソリン一八リットル入り二缶を取り寄せ、同診療所二階の病室には神経痛、リュウマチなどにかかり手足の不自由な入院患者三〇余名がおり、とくに一一号室に入院していた平山ミス(七九才)および今村サダヨ(七〇才)の両名は老令で歩行も困難であり、さらに平山は視力もほとんどみえない状態であったから、ガソリンで放火すれば負傷者が出るかも知れず、とくに右両名について焼死するような事態が発生するかも知れないことを認識しながら、あえて、右ガソリン二缶を一階所長室前廊下にまいて所携のマッチで点火して放火し、よって同診療所をほぼ全焼(その被害額四、〇〇〇万円相当)させてこれを焼燬するとともに、逃げ遅れた前記平山ミスを間もなく一一号室において焼死させ、今村サダヨを顔面、首、前胸、両上肢および両手足第三度火傷により同月七日午前五時五〇分頃福岡県大牟田市不知火町三丁目四番地大牟田市立病院において死亡するに至らせてそれぞれ殺害したほか、別紙被害者一覧表記載のとおり、宗村シヲルほか八名に対し傷害を負わせたものである。

(証拠の標目)≪省略≫

(法令の適用)

法律に照らすと、被告人の判示所為中現住建造物放火の点は刑法一〇八条に、殺人の点は各同法一九六条に、傷害の点は各同法二〇四条、罰金等臨時措置法三条に該当するところ、右は一個の行為で数個の罪名に触れる場合であるから刑法五四条一項前段、一〇条により最も重い現住建造物放火の罪の刑に従って処断することとし、本件は極めて危険な行為であり、物的にも人的にも極めて重大な結果が発生しているが、その反面において、被告人は本件犯行当時成人に達したばかりで思慮分別が足りなかったためかかる重大な犯罪を犯かしたものであり、殺人罪傷害罪の成立は否定し得ないとしてもそれは被告人の希望したことではなく、被告人は不具が残る程度の火傷を負いながら患者を救出しようとしたことなど被告人に有利な事情もあるので、それら諸般の情状を考慮して所定刑中有期懲役刑を選択し、その刑期範囲内で被告人を懲役一三年に処し、同法二一条により原審における未決勾留日数中一五〇日を右本刑に算入し原審および当審における訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項但書に従い被告人に負担させないこととする。

よって主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 岡林次郎 裁判官 緒方誠哉 裁判官 池田良兼)

<以下省略>

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