福岡高等裁判所 昭和44年(ネ)261号 判決 1970年7月29日
主文
原判決を次のとおり変更する。
被控訴人は控訴人に対し、金一二七万〇、四八〇円およびこれに対する昭和四二年一月八日から右支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
控訴人のその余の請求を棄却する。
訴訟費用は一、二審を通じてこれを二分し、その一を被控訴人の、その余を控訴人の各負担とする。
この判決は、控訴人勝訴の部分に限り仮に執行することができる。
事実
第一当事者双方の求めた裁判
(控訴人)
原判決を取消す。
被控訴人は控訴人に対し、金三〇〇万円およびこれに対する昭和四二年一月八日から右支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
訴訟費用は一、二審とも被控訴人の負担とする。
との判決および仮執行の宣言、
(被控訴人)
本件控訴を棄却する。
との判決、
第二控訴人の請求の原因
一 事故の発生
控訴人は、昭和三八年一二月一九日午前七時五〇分ごろ、長崎県松浦市志佐町方面から同市調川町方面に向つて国道左側をリヤカーを引いて歩行中、同市調川町下免四番地先路上において、同一方向に後から進行して来た訴外武田義則の運転する大型貨物自動車(以下本件自動車という)に接触されてその場に転倒し、よつて左上腕亀裂骨折等の重傷を負つた(以下これを本件事故という)。
二 被控訴人の責任
(一) 被控訴人は本件事故当時本件自動車の運行を支配し、その運行によつて利益を得ていたから、自己のために右自動車を運行の用に供していたものとして、自動車損害賠償保障法(以下自賠法という)三条により、本件事故によつて生じた控訴人の損害を賠償する義務がある。即ち、
(1) 被控訴人は土木請負業を営む上迫組を経営して、本件事故当時訴外長崎県北開発振興公社(以下公社という)から、同県松浦市志佐町大浜海岸の埋立工事のため三栄炭鉱と江口炭鉱の各ぼた山から右海岸の埋立地までのぼたの運搬を請負い、自らもその運搬をするとともにその一部を訴外有限会社渡辺重機(以下渡辺重機という)等に下請負させていたが、同会社は北九州市に本店を置き、右下請負業務のために武田ほか三名の運転手と貨物自動車四台を派遣してぼた運搬に従事させていたが、現地に監督者を派遣したり事務所などを設けたりしていなかつた。
(2) そして渡辺重機は専ら上迫組の事務所を利用し、右貨物自動車四台も被控訴人が借受けていた車庫を使用して保管し、武田ら四名の運転手も上迫組の寮に宿泊して毎日の食事も被控訴人が世話した食堂でしており、渡辺重機の代表者はただ下請負代金の支払日に現地に出向いて被控訴人から下請負代金を受取り、その都度武田ら四名の運転手に給料を支払つていただけで、なんら同人らの下請負業務の監督もしていなかつたから、右運転手らは渡辺重機の社長を通じて被控訴人から給料を受取るだけで、事実上は被控訴人の従業員と同様の立場にあつたものである。
(3) 殊に武田は、被控訴人からの指示により、被控訴人が請負つたぼた運搬業務のうち、三栄炭鉱から埋立現場までのぼたの運搬を一人で専属的に行つていたもので、ぼたの積込現場では公社が直接監督していたが、右のぼたの運搬自体の監督責任者は被控訴人であり、武田は右ぼた運搬の業務に関しては被控訴人と専属的な関係にあり、結局被控訴人の指揮監督の関係は武田にも及んでいたものである。
(4) なお本件事故は武田が本件自動車を運転して朝食をとりに行く途中に発生したものであるとしても、当時武田は毎日被控訴人所有の貨物自動車とともにぼたの運搬に従事しており、本件事故も武田が朝食をとつて作業現場に急ぐ途中に発生したものであるから、右事故は武田が被控訴人の下請負業務であるぼたの運搬業務の執行中に発生したものというべきである。
(二) 仮に右主張が理由がないとしても、本件事故は当時武田が飲酒して本件自動車を運転していた過失によつて生じたものであり、かつ被控訴人は前記のとおりぼたの運搬の一部を渡辺重機に下請負させていたので、被控訴人と渡辺重機および武田との間には、民法七一五条一項にいわゆる使用者と被用者の関係と同視し得る関係があり、かつ渡辺重機は当時ぼた運搬の業務のために武田を使用していたものであるから、被控訴人も武田が右事業の執行につき加えた右事故による控訴人の損害を賠償する義務がある。
三 控訴人の被つた損害
控訴人は本件事故により次のとおりの合計金三七四万六、一五二円の損害を被つた。
(一) 治療費 金一万五、五三八円
控訴人が訴外森診療所に支払つた治療費金一万五、五三八円、
(二) 休業による損害 金一三万〇、八九四円
控訴人は本件事故当時養豚業を営んでいたが、右事故により自らは稼働できなくなつたため、人夫等を雇つて養豚業を継続し、昭和三八年一二月二〇日から翌三九年一〇月三〇日までの間に、労務賃として合計金三〇万七、二〇〇円を支払つたので、そのうち渡辺重機から既に支払いを受けた金一七万六、三〇六円を差引いた残金一三万〇、八九四円の損害を被つた。
(三) 廃業による逸失利益 金二七九万九、七二〇円
(1) 控訴人は、本件事故までは養豚業を営んで一年に金四二万円の利益を得ていたが、右事故に基づく後遺症により労働ができなくなつたため、昭和三九年一〇月末日限りで養豚業を廃業して右収益を失つた。しかし控訴人は明治三八年六月二二日生れの元来健康な女性で右廃業当時五九才四ケ月であり、厚生省作成の第一一回生命表によれば、その平均余命は一八、六一年であるから、本件事故がなければ、右廃業の時から更に少くとも一〇年間は養豚業を継続して、毎年右と同額の利益を得ることができたものである。したがつてホフマン式計算法によつて中間利息を控除した右期間中の収益の現在における価格を算出すれば、少くとも金二七九万九、七二〇円となるから、結局控訴人は、本件事故による廃業によつて、少くとも右と同額の得べかりし利益の喪失による損害を被つた。
(2) 仮に右主張が認められないとしても、養豚業は軽労働で高年令でも労働可能であり、また運輸省自動車局保障課発行の「政府の自動車損害賠償保障事業損害査定基準」によれば、五五才をこえる女子についてはその者の平均余命年数の二分の一を就労可能の年数として取扱つており、かつ前記のとおり五九才の女子の平均余命は一八、六一年であるから、控訴人はその二分の一即ち九年間の六八才までは労働が可能と解すべきである。
(四) 慰藉料 金八〇万円
本件事故は、武田の飲酒運転による追越の際に発生したもので控訴人にはなんの過失もないうえ、控訴人は右事故によつて前記の重傷を負い、昭和三八年一二月一九日から翌三九年二月一五日までの約二ケ月間入院治療を受け、その後は引続き同年六月二七日までの約四ケ月間通院治療を受けたが全治せず、変形性脊椎症等の後遺症が残つたため労働ができなくなり、生業である養豚業も廃業して無収入となつた。このため控訴人は同四二年二月ごろから生活保護費の支給を受けるようになり、マツサージ等のほかは治療も中止し、本件訴訟も法律扶助協会の扶助を得て提起するに至つた程で、本件事故により精神的肉体的に甚大な苦痛を被つたから、これを償うべき慰藉料は金八〇万円が相当である。
四 よつて控訴人は被控訴人に対し、右損害金合計金三七四万六、一五二円のうち金三〇〇万円、およびこれに対する本件訴状送達の日の翌日である昭和四二年一月八日から右支払済みまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
第三被控訴人の答弁と抗弁
一 控訴人の請求の原因一および二の(一)の(1)の各事実は認めるが、同二のうちのその余の事実は否認する。
(1) 被控訴人は渡辺重機に対し本件事故当時はじめてぼた運搬を下請負させていたもので、同会社とは各独立した業者で両者の間にはなんらの指揮監督や専属の関係はない。
またぼたの運搬業務も渡辺重機等の下請負業者が各自の所有する貨物自動車でそれぞれの責任において仕事をしており、右各下請負業務の施行についても、ぼたの積込場と埋立地でのぼたの積みおろしは専ら施主である公社の係員が直接指揮監督にあたり、またその途中のぼたの運搬や貨物自動車の配置は渡辺重機等の各下請負業者が指揮監督しており、また本件自動車は渡辺重機の所有でその運転手の武田は同会社の被用者であるから、被控訴人は渡辺重機の右下請負業務の施行についても、また武田に対してもなんらの指揮監督の権限もなく、かつ実際にもそのためのなんらの行為もしていなかつた。
(2) なお渡辺重機では現地に派遣した運転手の一人である訴外愛屋英三が武田ら三名の他の運転手の責任者として監督の立場にあり、かつ右運転手らは被控訴人が他から借受けて宿泊していた建物の一室を借受けて宿泊し、毎日の食事は被控訴人の被用者である運転手達とは別に前記松浦市調川町の食堂まで通つて自己の費用でしており、宿泊も食事も被控訴人の被用者らとは全く別々に行つていたものである。
(3) しかも本件事故は武田が朝食をとるため作業場とは反対方向にある食堂に向つて本件自動車を運転して行く途中に発生したもので下請負の仕事とは無関係の私生活の範囲に属する行為中の出来事であるから、被控訴人は自賠法三条の運行供用者には該当せず、また民法七一五条一項の事業の執行につき与えた損害にも該当せず、また被控訴人は同条二項の代理監督者にも該当しない。
二 控訴人の請求の原因三の(一)ないし(四)の各事実中、控訴人が明治三八年六月二二日生れで、本件事故によつて重傷を負い、その主張のとおり約二ケ月間の入院治療と約四ケ月間の通院治療を受けたが全治せず、変形性脊椎症等の後遺症が残つたため稼働できなくなり、生業である養豚業も廃業して無収入となり、マツサージ等のほかは治療等も中止したことは認めるが、その余の事実は否認する。
三 過失相殺の抗弁
控訴人は本件事故当時眼は白内障でよく見えず、聾で耳も遠く唖者に近い状態の唖者であり、このように身体に欠陥のあるものが残飯をのせたリヤカーを引いて普通人と同様に道路で勝手な通行をすること自体に重大な過失があり、武田は本件事故の直前警笛を鳴らしたが控訴人はこれが聞えず全く避ける様子もなかつたから、本件事故による傷害は控訴人の過失によつて自ら招いたものであり、損害額の算定については控訴人の右過失も斟酌されるべきである。
第四被控訴人の過失相殺の抗弁に対する控訴人の答弁
控訴人が本件事故当時唖者に近い状態であつたことは認めるが、その余の事実は否認する。
第五証拠関係〔略〕
理由
一 控訴人の請求原因一項の事実は当事者間に争いがない。そこで控訴人主張のように、被控訴人が自賠法三条所定の運行供用者としての責任を負うか否かについて検討するに、被控訴人が土木請負業を営む上迫組を経営し、本件事故当時公社から控訴人主張の大浜海岸の埋立工事のため三栄炭鉱と江口炭鉱の各ぼた山から右海岸の埋立地までのぼたの運搬を請負い自らもその運搬をするとともにその一部を渡辺重機等に下請負させていたこと、右渡辺重機は北九州市に本店を置き、右下請負業務のために武田など四名の運転手と貨物自動車四台を現地に派遣してぼたの運搬に従事させていたが、現地に監督者を派遣したり事務所などを設けたりしていなかつたことは、当事者間に争いがない。
そして〔証拠略〕によれば、
(1) 控訴人主張の大浜海岸の埋立工事は訴外産炭地振興事業団が施工者となつて公社がこれを請負い、そのうち前記各ぼた山から埋立地までの数キロメートルの間のぼたの運搬を被控訴人が公社から下請負したが、当時右ぼたの運搬に必要な相当数の貨物自動車と運転手が足りなかつたため、被控訴人は更に右ぼたの運搬業務の一部を渡辺重機など四業者に再下請負させたが、実際には被控訴人自身とその各下請負業者が提供した貨物自動車が一緒になつて右ぼたの運搬作業に従事したこと、
(2) 各炭鉱のぼたの積込み現場ではぼたの積込み方法やその積込んだ量の検査等につき、またぼたの埋立現場ではぼたを捨てる場所の指示などについて公社の係員らが常時各貨物自動車の運転手に対して直接指揮監督していたが、ぼたの運搬自体は比較的単純な作業なので、公社の係員が作業の開始前に一般的に安全運転等につき直接運転手らに注意していたほかは、格別運転手らに対して運搬作業自体につき直接指揮監督していたものはいなかつたものの、被控訴人自身やその経営する上迫組の係員らは、公社からの指示を受けて各炭鉱のぼた山に配車する貨物自動車の台数などにつき各下請負業者に指図したりするほか、時々はぼたの積込現場や埋立現場に来てぼたの積みおろしの状態を見廻つたり、貨物自動車に乗つて運搬途中の監督にあたつたりして、間接的には各下請負業者の運転手らに対してもぼたの運搬業務の指揮監督をしていたこと、
(3) 請負代金は各運転手が運搬したぼたの分量にしたがつて作成された伝票を集計して公社から被控訴人に対して毎月一括して支払われ、被控訴人はその中から税金や自己の利益等を差引いた残額を毎月各下請負業者に支払つていたが、渡辺重機の代表者は右下請負代金の支払日に現地に出向いて被控訴人からこれを受取り、その都度武田ら四名の運転手に給料を支払つていたほかは殆んど現地に来ずに同人らの下請負業務の指揮監督もせず、また渡辺重機から派遣された四名の運転手のうち訴外愛屋英三が右四名の作業責任者となつていたものの、同人も被控訴人から指示を受けて各炭鉱に配置する運転手をきめたり、毎日のぼた運搬作業の終了後に各運転手から伝票を集めて被控訴人のもとに持参したりしていた程度で、特にぼたの運搬作業自体の指揮監督はしていなかつたこと。
(4) 渡辺重機では専ら上迫組が江口炭鉱から借受けていた同炭鉱の寮を事務所代りに利用し、かつ渡辺重機から来た武田ら四名の運転手は被控訴人が他から借受けていた上迫組の宿舎に宿泊していたこと、
(5) そして武田は本件事故当時は、上迫組からの指示により渡辺重機から来た四名の運転手のうち一人だけ毎日上迫組や他の下請負業者の運転手ら数名と一緒に三栄炭鉱から埋立現場までのぼたの運搬に専属的に従事していたが、ぼたの運搬作業は毎日午前八時ごろから開始されていたところ、本件事故は武田が食堂で朝食をとつたうえそのままぼた運搬のためぼたの積込現場に急ぐべく、午前七時五〇分ごろ渡辺重機所有の本件自動車を運転して食堂に行く途中に発生したものであり、かつ武田は右事故当時使用者である渡辺重機から右自動車の運転を委されていて随時これを使用できる状態にあつたのであるから、客観的外形的に見れば、右事故は武田の単なる私生活上の行為中に発生したものではなく、武田のぼた運搬業務の執行につき発生したものであり、また渡辺重機と武田との間の使用者と被用者との関係からすれば、渡辺重機は本件事故の際にもなお武田を通じて右自動車に対する運行支配権を有しており、かつ右自動車の運行によつて運行利益を得ていたものと解されること、
以上の各事実が認められ、〔証拠略〕中右認定に反する部分は前掲各証拠に照して採用し難く、他に右認定を覆すにたりる証拠はない。
したがつて以上の各事実によれば、被控訴人の経営する上迫組は、公社から下請負したぼたの運搬業務の遂行にあたり、自己所有の貨物自動車だけでは不足したため、右業務に関しては渡辺重機を専属的な下請負人として同会社から貨物自動車四台と武田ら運転手四名を派遣させ、自己の被用者である運転手らと一緒にぼたの運搬業務に従事させて、実質的には自己の被用者と同様に利用し支配していたものであり、他方渡辺重機も右ぼたの運搬業務に関しては上迫組と専属的な下請負の関係にあつたうえ、実質的には右業務を自己の責任において施行するという下請負業者としての独自性に乏しく、かつその被用者である武田も右ぼたの運搬業務に関しては事実上上迫組の指揮監督のもとにその支配下にあつたものと解されるから、結局上迫組としては、公社から下請負したぼた運搬業務の遂行のために渡辺重機から貨物自動車四台と武田ら運転手四名を賃借したのと殆んどかわらない関係にあつたものと解するのが相当である。しかも本件事故は、前記のとおり武田のぼた運搬業務の執行につき発生したものと解されるから、右事故当時の武田による本件自動車の運行は、渡辺重機のためであると同時に上迫組のためでもあつたものというべきであり、上迫組の経営者である被控訴人は、渡辺重機と並んで、本件事故当時の武田による本件自動車の運行に対して支配権を有し、かつ右自動車の運行による利益をも得ていたものと解すべく、そうすると結局被控訴人は渡辺重機と同様自己のために本件自動車を運行の用に供していた者として自賠法三条本文に基いて、武田の本件事故による控訴人の損害を賠償する義務があるものというべきである。
二 被控訴人の過失相殺の抗弁に対する判断
被控訴人は、本件事故当時控訴人が聾唖者でありながら残飯をのせたリヤカーを引いて普通人と同様に道路を通行していたこと自体に重大な過失があるなどの理由で過失相殺の主張をするので検討するに、控訴人が本件事故当時唖者に近い状態であつたことは当事者間に争いがなく、〔証拠略〕によれば、控訴人はかなり耳も遠かつたことが認められるけれども、控訴人が全く耳が聞えない聾者であつたことおよび控訴人主張のように武田が本件事故の直前に警笛を鳴らした事実を認めるにたりる証拠はなく、かえつて〔証拠略〕によれば、武田は本件事故当時相当量の飲酒をして酩酊し、正常な運転ができないおそれがある状態にありながら本件自動車を運転して本件事故現場付近の国道にさしかかり、前方の左側をリヤカーを引いて歩行中の控訴人を認めてこれを追越そうとしたが、警笛も鳴らさず前方からの対向車の有無を確認もせずに漫然とリヤカーの右側に出て追越しにかかつた際、反対方向から高速度で進行して来る大型貨物自動車を発見してこれとの接触を避けるべくあわててハンドルを左に切つて進行を継続したため、自車の左側を控訴人のリヤカーに接触させて控訴人を路上に転倒させ傷害を負わせたことが認められ、したがつて本件事故は武田の一方的な過失によつて発生したことが明らかであるから、被控訴人の過失相殺の主張は理由がない。
三 本件事故により控訴人の被つた損害
(一) 治療費等
〔証拠略〕によれば、控訴人は本件事故後訴外森診療所で治療を受けて、治療費として金一万五、五三八円を支払つたことが認められ、原審における被控訴人本人尋問の結果中、右認定に反する部分は前掲各証拠に照して採用し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はないから、控訴人は本件事故によつて右治療費と同額の損害を被つたことが明らかである。
(二) 休業による損害
〔証拠略〕によれば、控訴人は本件事故当時養豚業を営んでいたが右事故により自らは稼働できなくなつたため休業し、代りに訴外黒川サイと同加椎房太郎の両名を雇つて養豚業を継続し、昭和三八年一二月二〇日から翌三九年一〇月三〇日までの間に右両名に対し労務賃として合計金三〇万七、二〇〇円を控訴人の娘婿である訴外林在源こと洪在源が立替えて支払つたことが認められ、他に右認定に反する証拠はないから、控訴人は本件事故による休業によつて、訴外渡辺重機から右損害のうち休業補償費として既に支払いを受けた旨控訴人の主張する金一七万六、三〇六円を差引いた残金一三万〇、八九四円の損害を被つたことが明らかである。
(三) 廃業による過失利益
〔証拠略〕によれば、
(イ) 控訴人は、本件事故当時までは養豚業を営んで一ケ月に約金三万七、〇〇〇円くらいの利益を得ていたが、右事故に基づく後遺症により労働ができなくなつたため、昭和三九年一〇月末日限りで養豚業を廃業して右収益を失つたこと、
(ロ) しかし控訴人は明治三八年六月二二日生れの本件事故当時五九才四ケ月の女性で、右事故の一年ぐらい前から養豚業をはじめたばかりであり、かつ養豚業は一日に飼料を数回やりその間に豚舎の清掃や飼料にする大量の残飯の回収をする等してかなり重労働であるため、控訴人は臨時に使用人を雇うほかに、近所に住む控訴人の娘や甥夫婦などが随時手伝つており、一ケ月のうちの半分ぐらいは他人の助力を得ていたことが認められるので、以上の各事実からすれば、結局右養豚業に対する控訴人の労働量の占める割合は概ね四割ぐらいであり、そうすると控訴人は本件事故当時一ケ月に約金一万五、〇〇〇円、したがつて一年間では約金一八万円の純利益を得ていたものと解され、〔証拠略〕中右認定に反する部分は前掲各証拠に照して採用し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
そして控訴人は前記のとおり明治三八年六月二二日生れの元来健康な女性で養豚業の廃業当時五九才四ケ月であり、厚生省作成の第一一回生命表によれば、その平均余命は一八、六一年であるが、控訴人は女性であり、かつ養豚業は前記のとおりかなりの肉体的労働力を要するからその稼働能力は概ね六五才までであると解するのが相当である。
そうすると控訴人は、本件事故による後遺症のため稼働能力を失わなかつたならば、養豚業を廃業した当時からさらに六年間は事故前と同様にこれを継続して、一年に金一八万円宛の純利益を得ることができたものと解され、したがつて複式ホフマン式計算法によつて年五分の中間利息を控除した右期間中の収益の現在における価格を算出すると、金九二万四、〇四八円となるから、結局控訴人は、本件事故による養豚業の廃業により、右と同額の得べかりし利益の喪失による損害を被つたものと解するのが相当である。
(四) 慰藉料
本件事故は武田の飲酒運転による追越しの際に発生したもので控訴人にはなんらの過失もないことは前認定のとおりであり、また控訴人が右事故によつて重傷を負い、昭和三八年一二月一九日から翌三九年二月一五日までの約二ケ月間入院治療を受け、その後は引続き同年六月二七日までの約四ケ月間通院治療を受けたが全治せず、変形性脊椎症等の後遺症が残つたため稼働できなくなり、生業の養豚業も廃業して無収入となり、マツサージ等のほかは治療も中止したことはいずれも当事者間に争いがない。したがつて以上の各事実に本件に現われた事故の態様や事故発生のときの状況、被控訴人と武田との関係および控訴人の年令職業後遺症の存在その他諸般の事情を考慮すると、控訴人が本件事故によつて被つた精神的肉体的苦痛に対して被控訴人が負担すべき慰藉料は金二〇万円をもつて相当と認める。
四 そうすると結局控訴人は本件事故によつて以上の合計金一二七万〇、四八〇円の損害を被つたことになるから、控訴人の本訴請求は右損害金およびこれに対する本件事故発生の後である本件訴状送達の日の翌日の昭和四二年一月八日から右支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度において正当であるからこれを認容すべく、その余の請求部分は失当として棄却すべきである。したがつてこれと異なる原判決は右の限度において変更することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、九二条本文、八九条、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 丹生義孝 倉増三雄 富永辰夫)