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福岡高等裁判所 昭和46年(う)545号 判決 1973年12月10日

本籍

長崎市片渕町三丁目一八〇番地

住居

同市同町三丁目一八一番地

職業

不動産取引業

大塚泰蔵

明治二七年五月一七日生

本籍

長崎市目覚町一〇八番地

住居

同市同町二五番七号

職業

地金商

木村俊次郎

明治四五年三月二八日生

右大塚泰蔵に対する背任、詐欺、業務上横領、旧所得税法違反、所得税法違反、木村俊次郎に対する背任各被告事件について、昭和四六年七月一六日長崎地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人大塚泰蔵の弁護人芳田勝巳、被告人木村俊次郎の弁護人山下誠からそれぞれ適法な控訴の申立があったので、当裁判所は検察官柴田和徹出席のうえ審理し、次のとおり判決する。

主文

一、原判決中、被告人大塚泰蔵および同木村俊次郎に関する部分を破棄する。

二、被告人大塚泰蔵を懲役一年六月および罰金五〇〇万円に処する。

三、被告人大塚泰蔵が、右罰金を完納しないときは、金一万円を一日に換算した期間同被告人を労役場に留置する。

四、ただし、この裁判の確定した日から三年間右懲役の執行を猶予する。

五、原審における訴訟費用中、証人直田統一(昭和四一年一二月八日、同四三年三月七日および同四四年六月二六日各支給)、同辻義人(同四一年一二月八日および同四四年七月三日各支給)、同片岡砂吉(同四一年一二月八日支給)、同山崎憲明(同四二年三月二三日支給)、同小西忠徳(同年六月二二日支給)、同森衡二郎(同年同月同日支給)、同松島昇(同四四年一月八日および同年一二月一一日各支給)、同宮津芳通(同年二月四日、同年一〇月六日、同四五年四月一六日および同年同月二五日各支給)、同秋山善三郎(同四四年三月一三日および同年七月三日各支給)、同寺田力(同年三月一三日支給)、同山崎末雄(同年三月一三日支給)、同上田徳蔵(同年四月二日支給)、同林田金太郎(同年六月二六日支給)、同柴田義秋(同年同月同日支給)、同久米寛(同年一〇月一一日支給)、同山下中(同年一一月一一日支給)、同井原清春(同年同月同日支給)、同鍵山育太郎(同年一二月一一日支給)、同久松金六(同年同月同日支給)、同浦繁蔵(同四五年五月一九日支給)に支給した分の全部および同楠本種次郎(同四二年三月三〇日支給)、同林田金太郎(同四二年四月一日および同年六月二日各支給)、同浦繁蔵(同年六月三日支給二回分)、同田中庄三郎(同年同月二二日支給)、同岩崎佐嘉恵(同年七月六日支給)に支給した分の各四分の一は、被告人大塚泰蔵の負担とする。

六、被告人大塚泰蔵に対する本件各公訴事実のうち、昭和四一年三月二一日付起訴状記載の公訴事実第一(浜よし関係背任)および第二(後藤観光関係背任)、同年四月二七日付起訴状記載の公訴事実第一(ボウリング関係詐欺)、同年五月二日付起訴状記載の公訴事実第二(西片支所残工事関係背任)および第三(西片支所敷地買入代金増額関係背任)の点につき、同被告人は無罪

七、被告人木村俊次郎は無罪。

理由

本件控訴の趣意は、被告人大塚泰蔵の弁護人芳田勝巳作成の控訴趣意書、同弁護人荒木新一、同加藤達夫作成の控訴趣意書ならびに控訴趣意補充書、被告人木村俊次郎の弁護人山下誠作成の控訴趣意書に各記載のとおりであり、これに対する検察官の答弁は福岡高等検察庁検事柴田和徹作成の意見要旨と題する書面に記載のとおりであるから、いずれもこれを引用し、これに対する当裁判所の判断は、次のとおりである。

第一、事実誤認

一、浜よし・背任関係(原判示第一の事実関係。)、(昭和四一年三月二一日付起訴状記載の公訴事実第一関係。)

被告人大塚の弁護人荒木新一、同加藤達夫の所論および同芳田勝巳の所論は、いずれも要するに、原判決は、長崎市農業協同組合(以下市農協と称する。)の有する根抵当権の実行が不安定となった等の前提事実を理由に、松島昇に対する新たな貸し付けは差し控えるか、または増担保を要求する等して、新たな貸し付けを行うべきであるのに、かような措置を怠って六〇〇万円の貸し付けをなし、実害発生の危険な状態を招き、市農協に対し同額の損害を加えた旨判示しているが、本件土地については、浜よしが松尾正夫ほか五名に対する訴訟に勝訴しても、松島の所有権の帰属に影響を及ぼすものではなく、また浜よしの松島に対する詐害行為取消訴訟において、仮に浜よしが勝訴したとしても、市農協の抵当権に何等の影響を及ぼすものでなく、仮に浜よしが新たに市農協に対し詐害行為取消訴訟を提起するとしても、勝訴判決を得ることは極めて無理である。しかも本件土地は長崎市内でも一等の土地であって、六〇〇万円貸し付け当時その時価は二、〇〇〇万円を下らないものであったのであるから、市農協に財産上の実害発生の危険は全くなかったのである。しかも被告人大塚には、市農協に損害を与えるとの認識は未必的にもなかったのであるから、背任の犯意を欠き犯罪を構成しないものである。原判決はこれらの事実の認定を誤っており、破棄を免れ難い、というのである。

被告人木村の弁護人山下誠の所論は要するに、被告人木村において、松尾正夫が浜よしに有利な証言をしている事実のみから、浜よし対松島の訴訟において松島が敗訴する可能性が大であることを知悉していた事実を認定しているが、右訴訟においてたとえ松島が敗訴しても、本件土地に対する市農協の根抵当権の実行について何等の支障となるものではないので、松島が敗訴するとの認識を前提として、被告人木村に背任の故意の存在を肯定することは正当な判断とはいい難く、また原判決は、被告人木村が六〇〇万円の貸し付けについて慎重を期すべき注意義務を怠ったことを理由に故意を肯定しているが、これは過失の認定としてならばともかく、背任の故意の認定としては、著しく不当な判断というべきであって、原判決はこれらの点について事実を誤認しており、破棄を免れ難い、というのである。

よつて、原判決挙示の関係証拠に当審証人松島昇、同石川貫一の各供述を総合して検討することとする。

被告人大塚が昭和二三年以来長崎市勝山町二六番地所在の市農協の組合長・理事として、市農協を代表し農業協同組合法、市農協の定款の定めるところ等に従い、理事会の決定に基づき、組合員の事業または生活に必要な資金の貸し付け、共同利用施設の設置、組合員の貯金または定期積立金の受け入れ等の業務を統括し、かつ誠実にその業務を執行すべき任務を有していた者である事実、被告人木村が昭和三一年一月から市農協の総務部長となり、昭和三八年二月二五日から渉外部長兼経理徴収課長兼貸付課長となり、市農協の処務規程、業務規程、就業規程等の定めるところにより、組合員等に対する貸付業務を担当し、組合資金の貸し付けについて担保物件の調査、貸付金の徴収、担保物権の実行等の業務を誠実に執行すべき任務を有していた者である事実、市農協は昭和三六年八月一七日松島昇に対し、同人所有の長崎市西浜町四二番地第五ロ甲、宅地六三坪三合八勺、同地上所在木造瓦葺二階建、店舗一棟、床面積一階二六坪、二階一七坪、付属建物木造瓦葺二階建倉庫一棟、床面積一階九坪、二階九坪(以下本件土地または本件建物と称する。)に元本極度額二、〇〇〇万円の根抵当権(以下本件抵当権と称する。)を設定して同人に対し一、〇〇〇万円を貸し付けていた事実、その後右抵当権の一部四〇〇万円を双葉金融株式会社に譲渡していたので、右抵当権の残額は六〇〇万円となっていた事実、被告人両名は昭和三八年四月中旬頃右松島から原審相被告人宮津芳通を介して本件抵当権の残額六〇〇万円の融資の申し込みを受けた事実、ところで本件土地建物については、松島が昭和三六年五月一七日これを松尾正夫ほか五名から買い受けたものであるが、右売買よりも前に有限会社浜よし(以下浜よしと称する。)が買主となって松尾正夫ほか五名との間に売買契約を結び、その代金の一部を支払っていたところから紛争を生じ、本件建物については、松島の所有権移転登記に先だつ同年四月二〇日債権者浜よしのため処分禁止の仮処分がなされ、同年五月八日には浜よしから松尾正夫ほか五名を相手として長崎地方裁判所に本件土地建物の所有権移転登記手続請求の訴が提起され、次いで浜よしから松島を相手として同三七年一二月二一日詐害行為取消の訴が同裁判所に提起され、その翌日本件土地につき浜よしを債権者とする処分禁止の仮処分がなされた事実、浜よし、松島間の右訴訟において松尾正夫が浜よし側に有利な証言をした事実、かような諸情況下において、被告人両名は松島の前記申し込みを入れて昭和三八年四月一六日市農協事務所において本件抵当権に基づき同人に対し六〇〇万円を交付して貸し付けた事実は、いずれも、原判決の認定事実中その認定に誤りのない事実として肯定し得るところである。

そこで、右六〇〇万円の貸し付けが、果して市農協に財産上の損害となったか否かを検討すると、前記のごとく、本件建物についてなされた浜よしのための処分禁止の仮処分の登記は、松島の所有権移転の登記に優先するものであり、かつ前共有者の一人松尾正夫が浜よしに有利に証言したことから、右六〇〇万円の貸し付け当時において、浜よし対松尾等ならびに浜よし対松島のいずれの訴訟にも浜よしが勝訴の判決を受けることを予測することは、必ずしも困難であったとはいい難いところであったので、仮に右いずれの訴訟においても浜よしが勝訴し、その結果、本件建物について浜よし名義に所有権移転登記が行われた場合を想定すると、本件建物については、市農協の本件抵当権の設定登記は抹消されることとなるので、本件建物に対する抵当権の実行は不可能となることはやむを得ないものというべく、しかるに本件土地については、浜よし松島間においては、松尾正夫等のなした売買が詐害行為として取り消される結果、松島がその取得した所有権を関係的に否定されるに止まり、右詐害行為取消訴訟の判決の効力は、市農協の取得した本件抵当権の効力に直接影響を及ぼし得るものではないから、市農協は、たとえ浜よし、松島間において、松島が関係的に本件土地の所有権を喪失した後においても、本件土地に対しては抵当権の実行を妨げられるものではないことを推測し得るところである。これを前記六〇〇万円貸し付け後の事情の推移に照らしてみても、浜よしは松尾正夫ほか五名に対する訴訟において、昭和三九年七月三日長崎地方裁判所において勝訴の判決を得、この判決は確定したので、これにより本件建物について松島名義の所有権移転登記ならびに市農協の本件抵当権の設定登記はいずれも抹消されるとともに浜よし名義に所有権移転登記がなされた事実、次いで、浜よしは、対松島の詐害行為取消訴訟についても同年八月一〇日同裁判所において勝訴の判決を得たが、この訴訟は現在なおその控訴審である福岡高等裁判所に繋属し、審理中である事実が認められる。これら事後の事情に照らしてみても、前記推論に何等の是正をも必要とするものでないことが肯定されるところである。しかして本件土地の価額は、原審鑑定人岡本新一作成の鑑定書によれば、本件抵当権設定当時において、四、六九六万円、前記六〇〇万円貸し付け当時において五、九〇七万円の価値があり、本件土地の上に適法な用益権の負担がある場合でも、前記六〇〇万円貸し付け当時において、一、七九九万二、〇〇〇円の価値を有していた事実を肯定し得るので、前記六〇〇万円貸し付け当時に存在していたこれらの諸事情およびこれらの事情から推測し得る可能な事情を考慮し、さきに貸し付けていた一、〇〇〇万円と併せて、貸し付け債権を担保する交換価値において不十分なものがあったとは決していい難く、しかも本件土地は長崎市内でも場所的に屈指の一等地であって、これを売却しようとすればいわゆる引く手あまたの状況を予想することは必ずしも困難なことではないので、容易に任意処分をなし得る場所というべく、しかもその場合競売手続によるよりも遙かに売主に有利に処分し得ることが予想されることも併せ考えると、本件抵当権によって担保される債権の回収を不可能若しくは困難ならしめる危険な要素はなかったものといわねばならない。もっとも原判決挙示の関係証拠のうち原審相被告人宮津芳通の原審公判廷における供述中には、前記六〇〇万円の貸し付けを行う前に、浜よし、松島間の詐害行為取消訴訟において松尾正夫が浜よし側に有利に証言した結果、右訴訟は松島側に著しく不利になっていた事情は既に明かとなっていた折ではあり、松島が敗訴する可能性が著しく強くなっていたので、同人が敗訴すれば市農協の抵当権設定登記も抹消され、本件抵当権の実行は不可能となるので、六〇〇万円の貸し出しは極めて危険で、市農協に損害を加えることとなることが予想されていた趣旨を供述しているけれども、右供述は、右詐害行為取消訴訟の判決の効力が市農協の本件抵当権に如何なる影響を及ぼし得るかについて、正しい法律知識に欠けていたため、本件抵当権の効力が直ちに失われるものと誤解し、この誤った解釈、判断を前提として、本件貸し付けが市農協に財産上の損害を及ぼすものと推測したものであって、誤った前提からの推測であって、もとよりこれに信を措くに足りるものではなく、原審において取り調べた時の証拠および当審における事実取り調べの結果によるも、本件六〇〇万円の貸し付けが、市農協に財産上の損害を与えた事実を肯定せしめる証跡はないので、被告人両名の前記六〇〇万円の貸し付け行為を原因として市農協に対し財産上の損害を発生せしめた事実は、未だこれを肯定するに由ないものである。

さらに、被告人両名について、それぞれ背任の犯意が存在していたか否かを検討すると、前記六〇〇万円貸し付け当時において、被告人大塚は、本件土地については市農協の本件抵当権に優先する仮処分のないことを知悉しており、かつ浜よし、松島間の前記訴訟によっては市農協が本件抵当権を喪失することはないと信じ、またさきに貸し付けた一、〇〇〇万円の利息は六〇〇万円の貸し付け金の中から徴収することではあり、本件土地は当時坪当り五〇万円を下らない価値を有し、しかも一番抵当でもあるので、担保価値は十分であると信じていたうえ、浜よし、松島間の紛争は和解によって解決し得るとの見とおしを懐いていたので、松島に対し六〇〇万円を貸し付けても、債権の回収が困難になるとの危険を考えていなかったのであって、市農協に財産上の損害を与えるとの認識がなく、背任の犯意を欠いていたものといわねばならない。また、被告人木村については、同人の司法警察員および検察官に対する各供述中には、前記六〇〇万円の貸し付けについては、回収が不能となることを予知しながら、三〇万円の謝礼に対する欲心から自己の任務に背いて相被告人大塚等に同調し、その結果市農協に財産上の損害を与えた旨犯意の存在と動機を肯定した供述をしているが、動機の点はとも角として、右自白は、松島が敗訴すれば本件抵当権の実行が全部不可能になるとの誤った法律解釈を前提し、これに導かれた誤った結果の予測に基礎を置いた自白であって、その前提に誤りがある以上、右自白を信用することはできない。もっとも、原判決挙示の関係証拠のうち、原審相被告人宮津芳通の原審公判廷における供述中には、被告人大塚および同木村が、本件六〇〇万円の貸し付けるに当っては市農協に財産上の損害を与えることを認識していた趣旨を供述しているところは、前叙のように、松島の敗訴によって結局市農協の本件抵当権の効力を失わしめ、その実行を不可能にするとの誤った認識・判断を前提として、市農協の財産上の損害を推測し、この誤った結果の推測と関係せしめて、被告人大塚および同木村の認識内容に言及したものであるから、宮津芳通の右供述を基礎にして、被告人大塚および同木村に背任の犯意の存在していた事実を肯定するに由ないものであり、原審において取り調べた他の証拠および当審における事実取り調べの結果によるも、被告人両名に本件背任の犯意の存在した事実を肯定せしめる証跡はない。

しかるに、原判決が以上と異る判断から、被告人両名につき本件背任罪の成立を肯定したことは、事実の認定を誤ったものというべく、右誤認が判決に影響を及ぼすものであることが明かであり、論旨はいずれも理由がある。

二、ボウリング・詐欺関係(原判示第二の(一)の事実関係。)(昭和四一年四月二七日付起訴状記載の公訴事実第一関係。)

弁護人荒木新一、同加藤達夫の所論および弁護人芳田勝巳の所論は、いずれも要するに、原判決は被告人大塚が宮津と共同して、手付金として三五〇万円の立て替え支払をしたとの虚偽の事実を申し向け、長崎ボウリングセンター株式会社経理担当取締役芦澤修から額面三五〇万円の小切手一通を騙取した事実を肯定しているが、被告人大塚は、宮津と共に設立企画中のボウリング会社のためボウリング機械購入の衝に当り、具体的交渉は宮津と兼松株式会社東京支社機械第二部ボウリング課長杉山との間で行ない、宮津の発意で杉山課長に対し二〇〇万円のリベートを要求し、結局ボーリング機械一基の単価を五一五万円とし、一〇台の購入代金を五、一五〇万円と定めるが、一台につき二〇万円宛リベートすることとし、兼松株式会社の実質的手取りを四九五〇万円とすることで交渉の妥結をみたのであって、被告人大塚もこれを了承し、杉山課長に取引条件を決めたうえ、手付けとして三五〇万円を支払うこととなったが、そのうち宮津に返戻すべきリベート分二〇〇万円を対等額で相殺した結果一五〇万円を杉山課長に渡し、同人から名刺に記載した三五〇万円の預り証の交付を受けたのであって、兼松株式会社においては右三五〇万円を売上代金五、一五〇万円の内入金として扱い、宮津へのリベート二〇〇万円を謝礼金として計上しているのである。右三五〇万円の内金の支払は、被告人大塚および宮津から設立中の長崎ボーリングセンター株式会社の発起人会に引き継がれ、さらに右会社設立後同会社の承認を受けて、立替金としてその支払いのため三五〇万円の小切手一通の交付を受けるに至つたものであり、もとより正当な権利行使であって、何等の犯罪行為なるものではない。

しかるに原判決が売買代金合計五、一五〇万円を四、九五〇万円と認定したことは重大な前提事実の認定を誤つたものであり、かつ被告人の正当な権利行使を詐欺をもって問擬したことは、事実を誤認したものであって、破棄を免れ難い、というのである。

よつて、原判決挙示の関係証拠に当審証人杉山俊蔵の供述を総合して検討することとする。

被告人大塚が、昭和三八年初頭頃から長崎市内にボウリングゲーム場を営業目的とする株式会社の設立を企図して発起人を募る傍ら、同年二月七日頃原審相被告人宮津芳通と共に上京してボウリングゲーム用の機械ならびに付属設備の購入に当り、適当な購入先を物色した事実、同月一一日東京都中央区八重洲口三の三所在の八重洲口会館内、兼松株式会社東京支社八重洲口分室において、同社機械プラント部第一課長代理杉山俊蔵との間にボウリング自動機械一〇基ならびに付属品一式を買い受ける契約を締結した事実、その際頭金ないし内入金の交付を約し被告人大塚が現金一五〇万円を杉山に交付し、同人から三五〇万円の預り証を受領した事実、同年三月二日頃長崎市本石灰町二番地、料亭「松亭」において、長崎ボーリングセンター株式会社の設立発起人会が開かれ、その席上かねて右会社の取締役に就任することを内諾していた倉重祥弘、芦澤修、林田武等に対し、被告人大塚および宮津において前記杉山の預り証を示し、兼松株式会社からボウリング機械一〇基および付属設備品一式を代金五、一五〇万円で買い受ける契約を結び被告人大塚において内入金三五〇万円の支払を了している旨を告げた事実、同月一三日右長崎ボーリングセンター株式会社が資本金二、五〇〇万円で設立され、同月二五日長崎市西浜町五〇番地レストラン「紅花」において、宮津が右会社経理担当取締役芦澤修から同会社代表取締役倉重祥弘振出の額面三五〇万円の小切手一通の交付を受けてこれを受領した事実は、いずれも原判決の認定事実中その認定に誤りのない事実として肯定し得るところである。

そこで、右ボウリング機械ならびにその付属品の売買代金額および三五〇万円の預り証が作成された経緯を仔細に検討すると、被告人大塚および宮津が前記のごとく、ボウリング機械の購入について種々奔走したのは、被告人大塚等が設立を計画中のボウリング会社のために行なったものであるが、購入に当っての接衝は、主として宮津と前記兼松株式会社東京支社機械プリント部第一課長代理杉山俊蔵との間で進められ、購入すべき数量、価額等について接衝の過程において、宮津から杉山課長代理に対し斡旋手数料としてボウリング機械一台につき二〇万円を要求し、当初の間は金額が大き過ぎるのでこれに難色を示していた杉山課長代理も、当時九州地方においては、ボウリング場は福岡市に只一箇所あっただけで未開拓の地域であったので、市場として将来性があり有望と考え、有利な足掛りを作るため宮津の要求に応ずることとし、同年二月一一日一部付属品の数を減らすなどして、買入数量はボウリング機械その付属品を含めてアメリカ、ボウル、モア社型ボウリング自動機械一〇基、売買価額は、一基分の単価を五一五万円、一〇基分合計五、一五〇万円とし、斡旋手数料は一基につき二〇万円の割合で合計二〇〇万円と定め、兼松株式会社の実質的手取分は四、九五〇万円とすることで交渉の妥結をみるに至り、被告人大塚もこれを了承して、将来成立するボーリング会社のために右数量および代金額をもって売買契約を締結した事実、その際被告人大塚から頭金または内金名目をもって三五〇万円を支払い、兼松株式会社から宮津に対し斡旋手数料二〇〇万円を支払うこととなったが兼松株式会社側としては、買主であるボウリング会社が未だ設立前であるためこれとの間の正規の売買契約書を作成することができない状況にあり、右三五〇万円を頭金として正式に受け入れることができず、従って正規の領収証を発行することもできないので、杉山課長代理が上司の諒解を受けたうえで、被告人大塚が支払うべき頭金三五〇万円のうち二〇〇万円と、兼松株式会社が宮津に支払うべき斡旋料二〇〇万円は、支払われたものとして相互に現実の授受を省略した簡易な決済方法によることとし、被告人から現金一五〇万円を、これに宮津が作成した斡旋料二〇〇万円の受領証を添えて杉山課長代理に交付し、杉山課長代理において会社作成の正規の受領証に代えて、同人作成の三五〇万円の預り証を被告人大塚に交付した事実を認めることができる。もっとも、原判決挙示の関係証拠のうち、原審相被告人宮津芳通の原審公判廷における供述中には、兼松株式会社との間に成立した前記売買契約における代金総額が恰も四、九五〇万円であったかのように供述し、三五〇万円の預り証については同会社の承認なくして杉山課長代理の一存で作成したもので、実質的にも三五〇万円の支払はなされていなかった旨を供述し、またさらに、宮津、被告人大塚、杉山課長代理との間で、差額は領収証の操作で捻出すればよいと話し合った旨、恰も詐欺の共謀ともとれるような供述をしている部分があるけれども、これらの供述部分はいずれも原審および当審における証人杉山俊蔵の供述および押収にかかる売買契約書(福岡高等裁判所昭和四六年押第七〇号符号五号)と比照して措信し難いところであり、原審において取り調べた他の証拠中、右認定を否定して、被告人大塚が設立準備中の長崎ボーリングセンター株式会社のため兼松株式会社との間にとり結んだ売買契約の代金が四、九五〇万円であった事実を認め得る証拠はない。

しかして、前記のように長崎ボーリングセンター株式会社設立発起人会に右売買ならびに三五〇万円の内入金の支払をした結果を報告して、これにつき発起人会の承認を得、次いで右会社設立後同会社において右売買を承認し、同会社代表取締役倉重祥弘と兼松株式会社福岡支店長辻本友次との間に、ボウリング機械一〇基、およびその付属品一式、ならびに据付工事代金を含めて代金五、一五〇万円の売買契約が成立し、同年四月二〇日付をもって正規の売買契約書を作成した事実を認めることができる。

以上の経過に照らすと、売買代金の総額は当初から五、一五〇万円と定められていたものであり、被告人大塚が宮津を介して長崎ボーリングセンター株式会社代表取締役倉重祥弘振出の額面三五〇万円の小切手を受領した行為は、三五〇万円の内入弁済につき発起人会の承認、次いで成立後の会社の承認により、一種の代位弁済につき債務者の承認を得たのと同様の法律関係に立つものであったことが明かであり、三五〇万円の代位弁済と債務者の承認により適法に取得した求償権の行使と認め得るところであって、もとより正当な権利の行使であり、何等の犯罪をも構成するものではない。しかるに原判決が成立した売買契約における代金額を四、九五〇万円と認定し、三五〇万円の小切手一通の騙取を肯定したことは、その前定事実の認定に誤りがあり、正当な求償権の行使を詐欺の実行行為と見誤ったもので、事実を誤認したものというべく、論旨はいずれも理由がある。

三、後藤観光背任関係(原判示第二の(二)の事実関係。)(昭和四一年三月二一日付起訴状記載の公訴事実第二関係。)

弁護人荒木新一、同加藤達夫の所論および弁護人芳田勝巳の所論は、いずれも要するに、後藤観光株式会社の株式は店頭株であって、一流の上場株ではないが、新聞に取引株価が掲載されていた程のもので、必ずしも担保として不適当ということはできない。本件は、長崎市内に住居を有しかつ准組合員の資格を有する山口孝彦等を借主とし、後藤観光株式会社の株式を担保として貸し出しをしたもので、任務違背のかどはなく、この点をもって背任行為と断ずるのは相当ではない。さらに、被告人大塚には市農協に損害を加える認識は全くなかったのであって、背任の故意を欠く行為であるのに、背任罪の成立を肯定した原判決には、事実誤認の違法があるから、破棄を免れ難い、というのである。

よって、原判決挙示の関係証拠に、当審における証人後藤文二、同石川貫一、同笠井麗資の各供述を総合して検討することとする。

被告人大塚の市農協における地位ならびに職務内容は、既に前示第一の一において説示したとおりであって、同人が、昭和三八年八月頃原審相被告人宮津芳通から、東京都新宿区四谷一丁目八番地所在の後藤観光株式会社の代表取締役後藤文二から同会社の株式を担保に一、五〇〇万円の融資を得たい意向である旨を聞知した事実、同会社の株式は取引市場においてはいわゆる店頭株であった事実、市農協の定款によると右会社が市農協の貸付制限区域外にあった事実、宮津が長崎市栄町四番一四号に居住し金融業金吉商会を取り仕切っていた山口孝彦を介して同市内の金融業者福徳商事に一、五〇〇万円を調達させ、これを携えて上京し、同年九月三日東京都千代田区神田和泉町一番地所在の明糖食品株式会社において、前記後藤観光株式会社の取締役砂山清進に右一、五〇〇万円を交付し、株式譲渡証書を添付した同会社の株式一九万八、〇〇〇株の株券および同会社振出しの一、〇〇〇万円および五〇〇万円の約束手形各一通を山口孝彦等が携えて宮津と共に長崎市に帰来した事実、同月五日宮津および山口孝彦が被告人大塚に右株式を担保に融資を求め、被告人大塚は右申し出を入れてその翌六日右株券および譲渡証書等と引き換えに准組合員山口孝彦を借主として同人に一、七〇〇万円を貸し付けた事実は、いずれも、原判決の認定事実中その認定に誤りのない事実として肯定し得るところである。

そこで、右貸し付けが、果して被告人大塚の任務違背の行為であるか否かを精査すると、右借主山口孝彦は長崎市内に在住する准組合員であるが、同人は借主といっても表見的借主に過ぎなかったものであって、実質的借主は後藤観光株式会社であった事実を肯定し得るところである。ところで、右貸し付け当時市農協にあっては、組合員の預金が頓に増加し、市内在住の正組合員や准組合員だけでは需要に不足を生じ、余剰資金を市中銀行や農林中金への預金に預けるだけでは金利が比較的安いため、組合員等への預金利息、市農協職員の人件費その他の諸経費、事業費をまかなうのに必ずしも十分でなく、かような状況から被告人大塚はかくては市農協の事業運営に支障を来すことも予想しなければならないと考え、市農協のためには貸し出し先を開拓する方が遙かに有利と判断して、准組合員を表見的借主として立て、実質的借主は市農協の貸し出し区域外にはあるが、しかし確実な弁済資力のある者を精選して貸し出す方便的運営によって、市農協の円滑な事業運営を図ったのが本件貸し出しであって、市農協の貸し付け制限規定を緩やかに解釈した運営ではあるが、未だこのことのみから直ちに任務に背いた違法な貸し出し行為と断定することはできない。被告人大塚は、右貸し出しをなすについては、右会社の株式が新聞の株式市況欄の記載により店頭株ではあるが、一株五〇円の額面株が、一二五円ないし一二六円で取引されており、安定した価額を維持して信用度の高いものであることを確かめ、このことのほかに同会社の発行したパンフレツトや宮津の説明を総合して、同会社の営む事業内容が宅地の開発造成、分譲であって、堅実な経営を続けていた会社であると信じ、同会社の株式は確実な担保価値を有するものと判断して貸し出しに応じたものであった事実、しかし、当時右会社の経営状態はかなり悪化していたことが窺えるが、同会社の社長後藤文二は同会社が近い将来倒産する程経営が悪化していたとは考えていなかった事実、右貸し付け後被告人は毎日、新聞の株式市況欄に目を通して同会社の株価の動きに怠りない注意を払っていたところ、同年一〇月に入り同会社の株価が一株一〇五円位に下落し始めたので、株価の下落に伴なう担保価値の減少を補う必要から後藤文二に対し、担保の追加を要求したところ、同人から直ちに同人名義の同会社の株式二万二、〇〇〇株の株券を追加担保として提供して来ており、その後もなお株価の下落を続けるので、被告人大塚は、自ら直接同会社に出向いて後藤文二に会い、貸し付金の返済を要求したが、同人が、会社の資金の操作ができるようになったので決して迷惑はかけない旨確約して、額面二五〇万円の小切手二通合計五〇〇万円を交付しかつ静岡県伊東市所在の山林三反五畝を譲渡担保として提供したほか、被告人大塚の見たところでは後藤観光株式会社は自己所有の巨大なビルディングの二階分を事務所に使用し、使用人も四〇名を下らない多数の者が居て、電話も一〇数本を取り付けて盛大な事業の運営振りが窺えたところから、貸し付け金回収の見込は十分にあるものと認めて、前記小切手および担保物を受領して帰来したが、同会社は、同年一一月末頃同業会社の倒産のあおりをくい、手形を乱発していたため不渡処分を受けて倒産同様の状態に追い込まれ、遂に経営不能の状態に陥った事実が認められる。これらの諸事情をかれこれ総合すると、後藤観光株式会社は、本件貸し出し当時において、その株式は株式市場において一定の高い評価を受けていたものの、その経営状態は既にかなり悪化していて、貸し付け後は、かなり速い速度で悪化の一途をたどっていたものというべく、同業会社の倒産のあおりをくったとはいうものの、経営破綻の原因は既に融通手形の乱発等後藤観光株式会社内部自体にあったものということができる。しかるに被告人大塚が行なった信用調査は、新聞の株式市況欄による株価の調査のほか、同会社自己発行のパンフレツトの記載、宮津の説明等、その程度の極めて限られた資料によって、たやすく信用の程度を推し測っていたことは、一、七〇〇万円の巨額の貸し付けを行うについて、市農協の最高の責任ある地位にある者としては、杜撰・疎漏のそしりを免れ難いところであり、これに加えて、前記のごとく市農協の貸し付け区域外に亘ってまで貸し出しを行なった点をも併せ考えると、自己の任務に背いた違法な貸し出し行為であって、その結果市農協に一部回収不能による巨額の財産上の損害を与えたものであることを肯定しなければならない。しかしその反面、前叙のように信用調査の方法が杜撰・疎漏であったとはいえ、被告人大塚は担保にとった株式に十分な担保価値を認め、かつ後藤観光株式会社に十分な弁済能力のあることを認めて貸し出しを行ない、株価が下落するや再三追加担保を要求したり弁済を請求するなどして、真摯な努力を払っていた事実、その結果相当の追加担保や一部の弁済を受けていた事実が認められるのであって、これらの事実は、明かに、被告人大塚には前叙の貸し出し当時自己の任務に背く認識も、また市農協に損害を与える認識もなかった事実を示すものといわねばならない。原判決挙示の関係証拠のうち、原審相被告人宮津芳通の原審公判廷における供述中には、被告人大塚が右貸し出しを行うについて、市農協の損害となることを未必的に知っていた、との趣旨にもとれ、或は注意を払っておれば当然知り得た筈であるとの趣旨にもとれる供述をしている部分があるが、この点については、被告人大塚に過失があったとする趣旨からは格別、背任の未必的故意に連なる、損害発生の未必的認識があったとの趣旨においてならば、当時における宮津芳通の働きかけの点や、前叙のごとき被告人大塚の行動の態様等から推して、たやすく措信し難いところであり、原審において取り調べたその他の証拠や、当審における事実取り調べの結果に徴するも、被告人大塚に、自己の任務に背く認識や、市農協に損害を与える認識があった事実を肯定せしめる証跡はない。結局被告人大塚には右貸し出しについて背任の犯意がなく、背任罪を構成しないものといわねばならない。しかるに原判決が故意の存在を認めて背任罪の成立を肯定したことは、事実を誤認したものというべく、右誤認は、判決に影響を及ぼすことが明かであるから、原判決は破棄を免れ難く、論旨はいずれも理由がある。

四、西片支所残工事、背任関係(原判示第三の(三)の事実関係。)(昭和四一年五月二日付起訴状記載の公訴事実第二関係。)

弁護人荒木新一、同加藤達夫の所論および同芳田勝巳の所論は、いずれも要するに、被告人大塚が、昭和三九年五月三日丸宮建財の下請長浜信良との間に、西片支所の残工事を代金八九〇万円で請負わせる契約を締結したことは、市農協の理事会の決議に基づくもので、何等任務に違背した行為ではない。すなわち、丸宮建財の倒産により西片支所の建築工事は、その遂行、完成が不可能となったので、当初の約旨に従って工事保証人である長崎土建工業所または親和土建に保証債務の履行を請求して残工事を完成させるべきであったことは、一応否定し得ないところではあるが、被告人大塚は他面理事会の決議を誠実に実施すべき義務を負うているのであって、市農協理事会においては、被告人大塚から保証会社に履行を求めたところ、当初の契約が疎漏であって、残工事金額が少ないことを理由に強い難色を示している旨の報告を受けてこれを重視し、これを強行すれば訴訟等に発展し、工事の遅延を招き、加えて市農協に相当の損害を生ずることが予想されるばかりでなく、丸宮建財の長浜信良に対する人夫賃の未払を放置することともなり、かくては法律的にも人道上からも面倒な問題がからむことも予測されるので、これらの事態は一として市農協の信用を著しく失墜させる原因となり得ないものはないので、これら諸般の事情を考慮し、慎重討議の末理事会の一致した意見で長浜信良に工事残代金を含め代金八九〇万円で請負わせることの決議をみるに至ったのであって、被告人大塚は、右決議の結果を誠実に実施したものにほかならず、もとより正当な職務の執行であって、何等任務違背のかどはない。かつ、被告人大塚には、任務違背の認識も、市農協に損害を与えるとの認識も有してはいなかったのであって、犯意を欠く行為である。原判決には著しい事実誤認があり、破棄を免れ難い、というのである。

よって、原判決挙示の関係証拠に、押収にかかる昭和三九年五月三日開催の緊急役員会議事録(福岡高裁昭和四六年押第七〇号符号四三号)、当審における証人林田金太郎、同長浜信良の各供述を総合して検討することとする。

被告人大塚の市農協における地位ならびに職務内容は、既に前示第一の一において説示したとおりであり、市農協においては、昭和三九年二月八日開催された理事会の決議により、長崎市片渕町三丁目一、〇〇〇番地の四に、市農協西片支所を建設する事となり、同月一〇日市農協組合長大塚、工事請負人丸宮建財株式会社(以下丸宮建財と称する)代表取締役宮津芳通との間に、株式会社長崎土建工業所および株式会社親和土建を工事保証人として、工事費一、三一〇万円をもって西片支所の建築請負契約を締結し、契約成立と同時に市農協から丸宮建財に対し前渡資金として四七〇万円を、次いで同年三月三一日工事出来高払として三〇〇万円を支払っていた事実、しかるに丸宮建財は、同年四月二六日右工事の約三〇パーセント程度を仕上げた段階で倒産したため、同会社においてはそれ以上に工事を進め契約義務を遂行することは不可能となった事実、被告人大塚は、市農協を代表して同年五月三日丸宮建財の下請長浜信良との間に、新たに八九〇万円をもって西片支所建築残工事の請負契約を締結した事実は、いずれも原判決の認定事実中その認定に誤りのない事実として肯定し得るところである。

ところで、右のごとく長浜信良に残工事を代金八九〇万円で請負わせたことは、形式的には工事費を三五〇万円増額したこととなるが、丸宮建財との請負契約には前記のごとく工事保証会社がありながら、これに残工事を施工させないで、工事代金を三五〇万円増額してまで長浜信良との間に新規に契約を結び、残工事を請負わせたことが、果して正当な措置であったといい得るかその経緯を含めて検討すると、西片支所の建築設計は、鉄筋コンクリート造り、四階建のものであったが、丸宮建財が施行した部分は、一階の床、柱、側壁、階段、天井等の素工事を終え、二階の柱の型打ちまで出来ていたに過ぎず、全体との比が約三〇パーセントの工事を施行した段階で丸宮建財が工事を投げ出したため、被告人大塚は、当然の措置として右工事契約の保証会社である親和土建の社長林田武に残工事の履行を求めたが、同人は残工事代金の少ないことや工事契約が粗雑であることを理由に強い難色を示したので、強硬に要求を続けても困難であることを悟り、また他の保証会社長崎土建工業所に要求しても同様な結果に終ることを見透して、西片支所の建設工事が重大な局面を迎えたことを悟り、その善後策を講ずるため、市農協事務所において緊急役員会を開き、被告人大塚から保証会社への交渉の顛末を明かにし、理事のほか監事をも加えて協議を重ねたところ、当初のうちは建築委員をしていた理事浦繁蔵、同林田金太郎、同岩崎佐嘉恵等の間から、保証会社に残工事の遂行を求めるべきであるとの意見が出されていたが、工事の出来高は全体の約三〇パーセントであるのに、既に支払われた工事代金は七七〇万円で、代金総額一、三一〇万円の五八パーセントを占めており、七〇パーセントの残工事を契約通り実施しょうとすれば、四二パーセントの残額で完成させなければならなくなる結果、誰の目にも無理であることが理解され始め、土建業者間の消息にくわしい林田理事から、もし保証会社に残工事を実施させたとしても、三〇〇万円や四〇〇万円の工事費の増額を求めて来ることは必定であり、このような場合工事の完成を引き延ばされたり、また場合によっては訴訟に発展した例もあることが説明され、万一さような事態になれば建築の完成が遷延されるばかりでなく、多数の組合員に対し市農協への不信感を与え、市農協の信用を失うに至ることも予測され、他方、丸宮建財の下請長浜信良は、丸宮建財からの人夫賃は未払のままの状態であったが、市農協のため工事を遅らせまいとして誠実に仕事を続けていたことは理事の目にとまっていたことであり、さらに、長浜信良は、市農協の愛宕支所建設工事についても、工事下請としてその誠実な仕事振りが市農協の多数の理事の信頼を得ていたところから、若し工事保証人に残工事の履行を求めれば、只に長浜以下多数の人夫達の誠実な努力を無にすることとなるばかりでなく、かつこれらの者に対する賃金が未払いのまま放置されるとなれば、さらに困難な事態に立ち至ることも考慮しなければならない等等の意見が交され、真剣な討議が重ねられた結果、残工事の円滑な進捗を図るためにも、市農協の信用を保持する上からも、また長浜信良等の誠実な努力を無にしないためにも、この際或る程度の工事費を増額することはやむを得ないこととして、長浜信良に残工事を請負わせるのが最良の策であるとの理事全員の一致した意見に落ちつき、同年五月三日の緊急役員会において、工事設計の一部手直しをして、これによる増加分も含めて工事費三五〇万を増額した八九〇万円をもって長浜信良に残工事を請負わせる旨の決議をみるに至った経緯事実を認めることができるところであり、他に右認定を覆し得る証拠はない。

右のごとき、諸般の情況下において、工事の遅延を防ぎ、市農協の利害得失を十分に考慮し、かつ誠実に建築施工に従事していた長浜以下人夫の努力をも無にすまいとして、慎重な配慮のもとに議決された市農協の理事会の右決議を不当ならしめる理由はない。しかして被告人大塚は右決議を誠実に執行すべき任務と責任を負うものであって、結局、被告人大塚が市農協を代表して長浜信良との間に右決議どおりの残工事請負契約を締結したことは、正当な職務の執行というべきである。

被告人大塚が、司法警察員ならびに検察官の各取り調べに対し、いずれも、保証会社の責任を追求すべきであったのに自己の任務に背いた旨、保証会社長崎土建工業所に保証を履行させれば、同会社の蒙るべき不利益は、被告人大塚が同会社に注文して建築を請負わせている大塚ビルの建築に振り向けられ、結局大塚が不利益になると考えた旨、また保証会社親和土建は、長崎ボーリングセンター株式会社のボウリング場の建築で手が回らないだろうからこれに保証を履行させるのは気の毒と考えた旨、同様趣旨の供述をしているが、これらの供述は、前叙の、市農協の緊急役員会における協議の経過に徴し、著しくそぐわないものがあって、信用し難いところであり、他に、被告人大塚が、自己または保証会社の利益を図り、自己の任務に背いて、市農協に損害を加える認識を有していた事実を認め得る証拠はない。

結局、被告人大塚が、前叙のように、市農協の理事会の決議に基づき、市農協を代表して長浜信良との間に市農協西片支所建築の残工事請負契約を締結した行為が、背任罪を構成するとは到底首肯し難いところであり、原判決には、明らかに判決に影響を及ぼすべき事実の誤認があるものというべく、論旨はいずれも理由がある。

五、西片支所敷地売買代金増額、背任関係(原判示第三の(四)の事実関係。)(昭和四一年五月二日付起訴状記載の公訴事実第三関係。)

弁護人荒木新一、同加藤達夫の所論および同芳田勝巳の所論は、いずれも要するに、原判決は、市農協において西片支所の敷地を坪当り二万七、〇〇〇円の単価をもって買い入れ、既にその代金の支払いを了していたのに、この代金を変更すべき何等合理的理由がないのに、被告人大塚は、理事会に坪当り四万円にしたい旨代金の増額を提案し、情を知らない理事をしてこれを承認させ、恰も理事会の承認があったように外形を整えて、差額金を支払わせ、市農協に財産上の損害を与えたとして、背任罪の成立を肯定しているが、昭和三九年六月二日の役員会において、本件土地の買い入れ価額を坪当り四万円に変更することの発議があり、出席役員が検討のうえ全員異議なくこれに賛同して増額を可決したのであって、もとより適法な議決であって、単に外形を整えたものではない。また右議事の運営について、被告人大塚が不当な支配を及ぼし、意のままに牛耳っていた事情はなく、一〇〇万円の小切手の不渡りによる損失の穴埋めを画策したものでもない。しかも被告人大塚には任務違背の認識もなかったのである。しかるに原判決が敢えて任務違背を肯定し、背任罪の成立を肯定したことは著しく事実を誤認したもので、到底破棄を免れ難い、というのである。

よって原判決挙示の関係証拠に、当審証人林田金太郎、同長浜信良、同岩崎佐嘉恵の各供述、写真八葉を総合して検討することとする。

市農協における被告人大塚の地位ならびに職務内容は、既に前示第一の一において説示したとおりであり、市農協西片支所を設置するに当り、被告人大塚が昭和三九年二月一〇日前記西片支所用敷地七四坪三合八勺を市農協に坪当り二万七、〇〇〇円で売却し、その代金の支払を受け終っていた事実、その後同年六月二日市農協の事務所において理事会が開かれ右売買代金を坪当り四万円に変更し、被告人大塚は同月三日同所において差額九六万六、九四〇円の支払を受けた事実は、いずれも原判決の認定事実中その認定に誤りのない事実として肯定し得るところである。

そこで右敷地売買の価額の変更が正当になされたものであるか否かを精査するに、被告人大塚が同人の妻トシ子名義の右土地を市農協に売り渡した同年二月一〇日当時における右土地の状況は、右土地は元来畑地であったものを、被告人大塚が整地のため他から土を運び入れただけの段階で売り渡したもので、同所は道路に接していたというものの、これより二メートルないし、場所によっては三メートル位低く、そのままでも鉄筋コンクリート造四階建の建物を建築することができない状態ではなかったが、建物を利用、管理する立場からは、必ずしも安全かつ便利といえる状態ではなかったので、市農協に売り渡した後も、被告人大塚において、折角支所を建設するのであるから、少しでも立派に、しかも便利で堅固なものにしようとの考えから、自らの負担において丸宮建財の宮津芳通に命じ、同会社倒産後は長浜信良に命じて、さらに土を運び入れて盛土をし、盛土の崩壊を防ぐため、一部は間地石で堅固な石垣を築き、一部はコンクリートで巻いた側壁を設け、一部にはコンクリートブロツクを積み上げる等して敷地を堅固にし、土管を敷設して排水設備を整え、隣地との境界を明確にするため境界標を設置する等略九二・三万円の経費を投じて工事を施したため、市農協が買い入れた当時に比較すると、見違える程立派な敷地となったので、この状況を知っていた理事の間から、そのまま放置していてよいのかとの声が出始め、市農協が買い入れた当時の右土地の状況においてすら近隣の地価に比し坪当り優に四万円を下らない価値があることが判っていたので、理事の間に誰言うとなく買い入れ代金の増額の意見となり、前記のごとく、同年六月二日の市農協の理事会において正式に議題として取り上げられるに至り、その席上価額の協議に当っては、議長である被告人は利害関係者であるということで別室に退かせ、残る他の理事の間で協議して坪当り四万円が適当であるとの意見に落ちつき、評決した事実が認められるところであって、右認定を覆し得る証拠はない。右のごとき事情と経緯のもとに、市農協の理事会においてなされた買入れ代金増額の決議は、十分な理由に基づくかつ合理的方法によるもので、これを不当視し得べき理由は見出し難い。被告人大塚は、市農協において名実共に第一人者的存在であったことは認められるが、市農協の業務について、他の意見を封じ、自分の思い通りに事を運ぶ専横な運営に終始していたと認め得る程の証拠はなく、たとえ平素他の理事の中には被告人大塚に遠慮があった者が居ったとしても、前記買入代金増額の決議が、被告人大塚の不当な支配力に牛耳られて、他の理事をして被告人大塚の意のままに議決させたと認めるに足りる証拠はない。右決議が実質を伴わない見せかけの決議と断ずることは、著しく実体を見誤った判断というほかはない。被告人大塚が、司法警察員の取り調べに対して、恰も、西片支所の敷地を予定よりも安く売ったので、その代償として宮津芳通から受け取った額面一〇〇万円の小切手が不渡りとなったため、既に代金を受領していたにも拘らず、坪当り四万円に代金の増額変更を企図し、同年六月二日の市農協の理事会にその旨発議し、これに対し誰一人異議を唱える者もなく、坪当り四万円に決定した旨、さらに検察官の取り調べに対しても一部同様の趣旨を供述しているけれども、これらの供述は前叙の理事会の議決に至った経緯に徴し措信し難いところであり、他に被告人大塚が、自己の利益を図り、その任務に背いて、市農協に損害を与えるとの認識を有していた事実を認め得る証拠はない。

しかるに、原判決が以上と異る事実を認定して背任罪の成立を肯定したことは、明かに判決に影響を及ぼすべき事実の誤認があるもので破棄を免れ難く、論旨はいずれも理由がある。

六、西片支所杭打工事、背任関係(原判示第二の(三)の(1)の事実関係)

弁護人荒木新一、同加藤達夫の所論および同芳田勝巳の所論は、いずれも要するに、昭和三九年二月八日市農協西片支所の建築工事を丸宮建財に請負わせたが、その直後丸宮建財の責任者山崎から杭打工事の見積漏れがある旨報告があり、次いで杭打工事分の追加見積書が提出されたので、被告人大塚は、建築について専門的知識に乏しかったので、専ら常識的に判断し、かつ市農協の建築委員であった理事林田金太郎等に諮り、その承認を得て追加工事契約を締結したのであって、右契約を締結するに当って宮津芳通から相談を受けて水増額で請負わせ、その超過分を自己において利得しようなどという考えは毛頭なく、追加工事の費用が五〇万円程度で足りるものかどうかの認識はなかったのである。従って市農協に損害を与える認識がなく、背任の犯意を欠いた行為であって、罪とならない。しかるに原判決が背任罪の成立を肯定したのは事実誤認によるもので、破棄を免れ難い、というのである。

しかし、原判決挙示の関係証拠によれば、原判決認定の事実は、その認定に誤りのないことが肯定されるところであり、原審において取り調べたその他の証拠および当審における事実取り調べの結果によるも、右認定に疑いを生ぜしめる証跡はない。論旨はいずれも理由がない。

七、西片支所工事出来高過払、背任関係(原判示第二の(三)の(2)の事実関係。)

弁護人荒木新一、同加藤達夫の所論は要するに、市農協西片支所の建築請負工事につき、被告人大塚が工事請負人丸宮建財の代表者宮津芳通に対し、出来高払い三〇〇万円を支出した当時、工事の進捗状況は、約二〇パーセントであって、契約条項に従えば約一五九万八、〇〇〇円程度の支払いに限られるべきであったことは争いのないところであるが、被告人大塚が出来高として三〇〇万円の支払いを求められた当時、一つには近く鉄材が値上りする状況にあって、その影響で工事の進行に支障を生ぜしめてもいけないと考え、また二つには丸宮建財の経営が苦しく、三〇〇万円あれば倒産を免れるとの窮状を訴えられ、万一丸宮建財が倒産するようなことになれば、西片支所の建設に重大な支障を生ずることとなるので、市農協において商業上蒙るべき損害の発生を避けるため、被告人大塚は三〇〇万円の支出を決するに至ったもので、この支出により市農協に損害を与える認識はいささかもなかったのであって、背任の犯意を欠き、罪とならないものである。しかるに、原判決が背任罪の成立を肯定したのは、事実誤認に基くものであって破棄を免れ難い、というのである。

しかし、原判決挙示の関係証拠によれば、原判決認定の事実は、その認定に誤りのないことが肯定されるところであり、原審において取り調べたその他の証拠および当審における事実取り調べの結果によるも右認定に疑いを生ぜしめる証跡はない。論旨は理由がない。

八、城山映画劇場、業務上横領(一)関係(原判示第三の(一)の事実関係。)

弁護人荒木新一、同加藤達夫の所論は、長崎市城山町一丁目一番地二の五所在の映画館(以下本件映画館と称する。)が、市農協の抵当権の実行により、任意競売に付され、昭和四三年八月一七日木村俊次郎に対し競落許可決定に基づき所有権移転登記がなされ、次いで同年一一月二四日有限会社城山映画劇場に転売され同劇場名義に所有権移転登記がなされたが、その経緯は、本件映画館は元、片岡砂吉、古瀬巌、古瀬博康の共同経営であって、右映画館の土地、建物その他の設備は市農協に対する債務のため担保権を設定じていたものであったところ、片岡が共同経営を廃して同人の単独経営に移し度い意向を明かにして、被告人大塚に対し抵当権の実行を依頼して来たので、被告人大塚はこれを了承して、市農協から抵当権に基づく任意競売の申立をなし、市農協から競落保証金および競落代金を仮払いの形式で支出して、表見的に木村俊次郎の名義を用いて競落したが、その実質的所有権者は片岡砂吉である。しかし片岡が映画館を単独で経営するには、資力が十分でなかったところから、同人と被告人大塚の協議をもって、山崎憲明を経営に参加させて有限会社城山映画劇場を設立し、同会社に対し本件映画館を代金三四〇万円で売り渡したもので、その売買における真正の売主は片岡であって、その売渡代金の実質的受領権者も同人であって、市農協ではなかったのである。そして、右売渡し代金三四〇万円のうち、三〇〇万円は市農協が代位弁済した金額に必要な費用を加算した額を片岡から市農協に償還したものであり、残額四〇万円は、昭和三四年一一月二四日片岡から被告人大塚に対し立替金債務の弁済として支払われたものである。従って、被告人大塚には右四〇万円について業務上横領した事実はなく、また当然のことながら不法領得の意思もなかったのである。しかるに、原判決が業務上横領罪の成立を肯定したのは、事実を誤認したもので破棄を免れ難い、というのである。

弁護人芳田勝巳の所論は要するに、被告人大塚が昭和三四年一一月二四日四〇万円を取得した行為は、市農協理事会の承認に基づくもので、この点について原判決には事実の誤認があり、さらに右行為の違法性の判断の誤がある、というのである。

しかし、原判決挙示の関係証拠によれば、原判決認定の事実は、その認定に誤りのないことが肯定されるところであり、原審において取り調べたその他の証拠および当審における事実取り調べの結果によるも、右認定に疑を生ぜしめる証跡はなく、また行為に対する違法性の判断の誤りもない。論旨はいずれも理由がない。

九、城山映画劇場、業務上横領(二)関係(原判示第三の(二)の事実関係)

弁護人荒木新一、同加藤達夫の所論および同芳田勝巳の所論は、いずれも要するに、被告人大塚が有限会社城山映画劇場へ本件映画館を売却した代金三四〇万円のうち、片岡から立替金の弁済として受領した四〇万円について、所轄税務署から市農協の所得として計上すべき旨の指示があったので、不満ではあったが一応これに従い、昭和三七年一一月三〇日市農協に入金したが、右四〇万円は前記売却代金三四〇万円の実質的帰属者片岡から被告人大塚が弁済として受領したものであるから、同年一二月二日の市農協の理事会に諮り第四号議案として審議を求めた結果、被告人大塚の専決処分に委ねる旨の決議がなされたので、この決議に基づき昭和三八年四月四日片岡のため市農協から四〇万円を出金させ、これを被告人大塚の口座に入金したもので、市農協の決議に基づく行為であって、不法領得の意思もなく、犯罪を構成しないものである。しかるに原判決は事実を誤認して業務上横領の罪の成立したのであって、右誤認は明かに判決に影響を及ぼすものであり、破棄を免れ難い、というのであり、弁護人芳田勝巳の所論は、要するに、被告人大塚が四〇万円を取得した行為は、市農協理事会の決議によって承認されたものであり、違法性のない行為である。しかるに原判決は右決議について事実を誤認し、かつ行為の違法性の判断をも誤ったもので、破棄を免れ難い、というのである。

しかし、原判決挙示の関係証拠によれば、原判決認定の事実はその認定に誤りのないことが肯定されるところであり、原審において取り調べたその他の証拠および当審における事実取り調べの結果によるも、右認定に疑を生ぜしめる証拠はなく、また違法性の判断の誤りも認めることはできない。所論はいずれも理由がない。

一〇、旧所得税法違反関係(原判決第三の(五)の(1)の事実関係。)

弁護人芳田勝巳の所論は、要するに、被告人大塚は昭和三九年当時社会通念上金融業者と認められて何等の支障がないのに、原判決が敢て被告人大塚を金融業者ではないと判断したことは事実を誤認したものというべく、被告人大塚が金融業者であれば昭和三九年中に二、〇〇〇万円以上の貸倒金があり、所得は全くないこととなるので所得税逋脱の犯罪は成立しないこととなる。桜町宅地の転売利益については、右宅地は被告人大塚の単独所有ではなく、被告人大塚、宮津、秋山の共有か、または被告人大塚と宮津の共有とみるべきで、転売した場合の利益については、配分が予定されていたものである。工事謝礼金については、宮津が被告人大塚に対する借入金債務の内入弁済として支払ったもので、謝礼金ではない。原判決はこれらの点について判断を誤り、事実を誤認したものであり、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、破棄を免れ難い、というのである。

しかし、原判決挙示の関係証拠によれば、原判決認定の事実は、その認定に誤りのないことが肯定されるところであって、原審において取り調べたその他の証拠および当審における事実取り調べの結果によるも、右認定に疑いを生ぜしめる証跡はなく、論旨は理由がない。

一一、所得税法違反関係(原判示第三の(五)の(2)の事実関係。)

弁護人芳田勝巳の所論は、要するに、昭和四〇年度の所得の確定申告を行うべき昭和四一年三月一五日ごろは、被告人大塚は、既に同年二月二八日背任等の被疑事件に関して、逮捕次いで勾留と、引き続き抑留され、接見禁止の処分をも受け、所得の申告の問題等を打ち合わせる余裕もなく、右申告を依頼されていた直田統一は右事件の参考人として再三取り調べを受けていたため、被告人大塚の所得について十分な調査ができなかった事情にあったのであって、被告人大塚には所得税逋脱の意図は毛頭なかったのであって、犯意を欠くものである。しかるに原判決が犯罪の成立を肯定したことは、事実誤認に基づくものであり、右誤認は判決に影響を及ぼすことが明かであって、破棄を免れ難い、というのである。

しかし、原判決挙示の関係証拠によれば、原判決認定の事実は、その認定に誤りのないことが肯定されるところであり、原審において取り調べたその他の証拠および当審における事実取り調べの結果によるも、右認定に疑いを生ぜしめる証跡はない。論旨は理由がない。

第二、量刑不当

被告人大塚の弁護人荒木新一、同加藤達夫および同芳田勝巳の所論はいずれも、同被告人に対する原判決の刑は重きに過ぎ不当である、というのである。しかし前叙のように、原判決中同被告人に関する部分は、事実誤認の理由をもって破棄されるべきものである以上、有罪部分についてさらに新たな観点から量刑を行うこととなるので、原判決の刑の量定の当否を論ずることは、も早論無用に帰するものというべく、所論に対する判断は省略することとする。

よって本件各控訴はいずれも理由があるので、刑事訴訟法三九七条一項、三八二条により、原判決中被告人両名に関する部分を破棄し、なお同法四〇〇条但書の規定に従い訴訟記録ならびに原審および当審において取り調べた証拠によって、直ちに判決することができるものと認めるので、各被告事件につきさらに判決することとする。

被告人大塚泰蔵関係

原判決が挙示の関係証拠により適法に確定した犯罪事実に法律を適用すると、被告人大塚泰蔵の所為中、原判示第二の(三)の(1)および同第二の(三)の(2)の各背任の点は、いずれも行為時において刑法六〇条、二四七条、昭和四七年法律第六一号による改正前の罰金等臨時措置法三条一項一号に、裁判時において刑法六〇条、二四七条、右改正後の罰金等臨時措置法三条一項一号に各該当するが、右は犯罪後の法律により刑に変更があった場合に当るので、刑法六条、一〇条により軽い行為時法によることとし、同判示第三の(一)および同第三の(二)の各業務上横領の点は、いずれも同法二五三条に、同第三の(五)の(1)の旧所得税法違反の点は昭和四〇年法律第三三号所得税法附則三五条により、同法による改正前の所得税法六九条一項、二六条三項三号に、同第三の(五)の(2)の所得税法違反の点は、所得税法二三八条一項、一二〇条一項三号に各該当するところ、各背任の罪については所定刑中いずれも懲役を選択し、旧所得税法違反の罪および所得税法違反の罪については、いずれも所定刑のうち懲役と罰金とを併科することとし、以上は刑法四五条前段の併合罪に当るので、各懲役につき同法四七条本文一〇条により犯情の重い原判決第三の(二)の業務上横領罪の刑に併合罪の加重をした刑期範囲内において、各罰金については同法四八条二項により合算額の範囲内において、被告人大塚を懲役一年六月および罰金五〇〇万円に処し、同法一八条により、右罰金を完納しないときは金一万円を一日に換算した期間同被告人を労役場に留置することとし、懲役については、犯情刑の執行を猶予するのを相当と認め、同法二五条一項一号によりこの裁判の確定した日から三年間右懲役の執行を猶予し、原審における訴訟費用中主文第五項掲記の分については、刑事訴訟法一八一条一項本文により被告人大塚の負担すべきものとし、原審におけるその他の訴訟費用および当審における訴訟費用は同法一八一条一項但書により同被告人に負担させないこととする。なお、被告人大塚に対する本件各公訴事実中、昭和四一年三月二一日付起訴状記載の公訴事実第一(浜よし関係、背任)同第二(後藤観光関係、背任)、同年四月二七日付起訴状記載の公訴事実第一(ボウリング関係、詐欺)、同年五月二日付起訴状記載の公訴事実第二(西片支所残工事関係、背任)、および同第三(西片支所敷地買入代金増額関係、背任)(以上いずれも末尾添付の公訴事実)(以上の各公訴事実は末尾に添付のとおりである。)の点については、いずれも罪とならないので、刑事訴訟法三三六条により、主文において無罪を言い渡すべきものとする。

被告人木村俊次郎関係

被告人木村俊次郎に対する本件背任の公訴事実(末尾添付の昭和四一年三月二一日付起訴状の公訴事実第一のとおり。)は、罪とならないので、同法三三六条により、主文において無罪を言い渡すべきものとする。

(裁判官 真庭春夫 裁判長裁判官中村荘十郎は停年退官につき、裁判官仲江利政は転任につき、いずれも署名押印することができない。裁判官 真庭春夫)

昭和四一年三月二一日付起訴状の公訴事実

被告人大塚泰蔵は、長崎市勝山町二十六番地所在長崎市農業協同組合組合長として同組合を代表し理事会の決定に従って組合員の事業又は生活に必要な資金の貸付、組合員の貯金又は定期積金の受入等の業務一切を統轄し、被告人木村俊次郎は、同組合の渉外部長として組合員に対する貸付業務等を担当し、ともに資金の貸付にあたっては、同組合のため農業協同組合法及び組合定款並びに総会の議決等に基き誠実に業務を行う任務を有する者、宮津芳通は丸宮建財株式会社代表取締役として建築、金融等を業とし、被告人大塚より依頼され同組合資金の貸付けの仲介をなしている者、松島昇はまき網漁業を営んでいる者であるが、

第一、被告人大塚泰蔵、同木村俊次郎は松島昇より宮津芳通を通じて長崎市西浜町四十二番地の土地家屋を担保として金六〇〇万円の金借方の申込みを受けるや、右不動産は松島が昭和三六年五月一〇日松尾正夫外五名より買受け、同年八月一七日同組合からこれに極度額二千万円の根抵当権を設定して金一千万円を借入れその後右根抵当権の一部四百万円を双葉金融株式会社に譲渡し、残抵当権の極度額六百万円となったものであるが松島は前記一千万円の債務は勿論利息の支払を延滞し、弁済の資力がないのみならず前記不動産については、野中友作より原所有者松尾正夫外五名に対し、家屋のみについて処分禁止の仮処分がなされたうえ、所有権移転登記請求訴訟が提起され、ついで前記不動産について右松島を被告として詐害行為取消請求の訴がなされ、しかも松尾正夫が右訴訟において野中の請求を認諾した経緯があり、担保物の価値が著しく不安定不確実でこれを担保に新らたな貸付をなせば回収困難となり、同組合に財産上の損害が及ぶことを認識し乍ら松島から多額の礼金を得る目的をもって貸付方を承諾し、ここに被告人大塚、同木村、宮津は共謀の上被告人大塚、同木村において前記任務に背き、昭和三八年四月一六日前記組合事務所において、右根抵当権にもとづき金六百万円の貸付をなし、もって同組合に対し前同額の損害を加え、

第二、被告人大塚、宮津は共謀の上、宮津を介し組合員もしくは准組合員でない東京都新宿区四谷一丁目八番地所在後藤観光株式会社(代表取締役後藤文二)から、同社の株式を担保に金千五百万円の借入申込を受けるや、被告人等は自己の利益を図る目的を以て、同株式は上場株でないいわゆる店頭株で市場性はなく、同会社の資産状態営業実績により株価の変動のおそれがきわめて大きく、したがってその担保価値が不安定不確実であるうえ、同会社の経営は事業不振で倒産寸前であったにも拘わらず、その経営実状や資産状態を全然調査せず、また同組合の金銭貸付に関する定款所定の貸付を受ける者の地域制約および貸付金額に対応する出資の制約を免かれるため、貸付金から所定の出資金相当額を控除して長崎市内在住者に貸付をなすよう仮装して貸付をなすことを承諾し、昭和三八年九月三日宮津が東京都千代田区神田和泉町一番地明糖食品株式会社において、前記後藤観光株式会社専務取締役砂山清進に同会社の株十九万八千株と引換えに金千五百万円を交付し、ついで同月六日前記組合事務所において、長崎在住者の準組合員に仕立てた山口孝彦に対し組合出資金および被告人等の分配報酬金を含む合計金千七百万円を右山口外二名振出にかかる額面金千七百万円の約束手形一通と引換えに交付し、もって同組合に対し前同額の損害を加えたものである。

罪名及び罰条

第一第二事実 背任 刑法第二百四十七条

昭和四一年四月二七日付起訴状の公訴事実

第一、被告人大塚泰蔵、同宮津芳通は昭和三八年三月一三日、ボーリング遊技場の経営を目的とする資本金二千五百万円、取締役倉重祥弘等六名の株式会社を設立したものであるが、被告人両名は共謀の上、会社設立にあたり、会社が備付するボーリング機械並びに附属設備等の購入を利用して会社から金員を騙取しようと企て、昭和三八年二月一一日頃、東京都中央区八重洲口三ノ三八重洲口会館兼松株式会社東京支社八重州口分室において、被告人等と同社機械プラント部第一課々長代理杉山俊蔵との間に、完全自動テンピンボーリング機械十基並びに附属設備等一式を合計金四千九百五十万円で買受ける売買契約を締結し、被告人大塚がその手附金として金百五十万円を支払ったが右ボーリング機械十基等の売買代金を合計金五千百五十万円で買受け、その手附金として金三百五十万円を被告人大塚が支払ったように仮装するため、杉山からその旨虚偽の記載をし同人に認印を押捺させた内金預り証と題する同人の名刺を徴し、同年三月二日頃長崎市本石灰町二番地料亭「松亭」において、かねて長崎ボーリングセンター株式会社の取締役に就任することを承諾している倉重祥弘、芦沢修、林田武等に対し、被告人大塚は、前記杉山名義の内容虚偽の前記預り証を示し、被告人宮津は十基五千三百五十万円のボーリング機械を金五千百五十万円に減額させて購入することにし大塚が金三百五十万円を立替支払ったから会社が大塚にその支払をされたいと申し欺き、右倉重らをして、その旨誤信させ、同月十五日頃、同市西浜町五十八番地レストラン「紅花」店内において、被告人宮津が同社経理担当取締役芦沢修から、同社代表取締役倉重祥弘振出しの額面金三百五十万円の小切手一通の交付を受けてこれを騙取したものである。

罪名及び罰条

第一事実 詐欺 刑法第二百四十六条第一項

昭和四一年五月二日付起訴状の公訴事実

被告人大塚泰蔵は、長崎市勝山町二十六番地長崎市農業協同組合組合長として同組合を代表し、理事会の決定に従って、組合員の事業または生活に必要な資金の貸付ならびに共同利用施設の設置、固定資産の取得、処分等の業務一切を統括していたもの、宮津芳通は建築請負、金融を業とする丸宮建財株式会社の代表取締役であったものであるが、

第一、西片支所を建築するにあたり、建築請負人は競争入札によって決めることとされていたにも拘わらず、宮津に建築請負代金から約一割の謝礼を貰う約束で同人が代表取締役をする丸宮建財株式会社に右支所の建築を請負わせることとなし、同人が株式会社長崎土建工業所、株式会社親和土建と競争入札により落札請負したように仮装し、昭和三九年二月八日請負金千三百十万円で右建築工事を請負ったが、

第二、被告人大塚は、右丸宮建財株式会社に対し前記請負工事の前渡金、出来高払として既に合計金七百七十万円を支払ったのに、同社は工事出来形約三十%で倒産し同社による工事の完成は不能となったので、請負代金残額金五百四十万円をもって残工事を右丸宮建財株式会社の工事保証人株式会社長崎土建工業所(代表取締役増崎志寿男)および株式会社親和土建(代表取締役林田武)に継続させ、請負契約の履行を完成させねばならないのに、右株式会社長崎土建工業所は被告人大塚個人の発注した大塚ビルを、また右株式会社親和土建は被告人大塚との共同経営にかかる長崎ボーリングセンター株式会社のボーリング場をそれぞれ施工中であり、右各工事保証人に前記西片支所建築工事完成債務の履行を請求するにおいては同人等に不測の損害を蒙らしめ、ひいては被告人大塚の不利益に帰することをおそれ、被告人大塚および前示株式会社長崎土建工業所、株式会社親和土建の利益を図る目的を以て、残工事の履行を請求すべき任務に背き、昭和三九年五月三日前記組合事務所においてあらたに長浜信良と請負代金残額に金三五〇万円を加えた金八九〇万円をもって西片支所の残工事の請負契約をなし、組合に右金三五〇万円の支払義務を負わせ、以て同組合に前同額の財産上の損害を加え

第三、被告人大塚は、前記西片支所の建築工事を丸宮建財株式会社に請負わせたことに対する謝礼として、被告人宮津から受取った振出人宮津芳通、金額金百万円の小切手が丸宮建財株式会社の倒産により不渡りとなったため、その補填をはかり自己に利益を図る目的を以て自己の任務に背き同年六月二日前記組合事務所において組合理事楠本種次郎等に対し、被告人大塚が組合に一坪二万七千円で売却し代金決済の済んだ前記西片支所の敷地七十四坪三合八勺の売買価格を変更すべき理由がないのに、坪四万円に変更したいと提案し、情を知らない同理事等に同意を求め、組合の買入単価の変更に理事会の同意があったような形式をととのえ、同月三日前記組合事務所において、組合経理担当係員から金九十六万六千九百四十円を交付させ、もって同組合に前同額の財産上の損害を加え

たものである。

罪名及び罰条

背任 刑法第二百四十七条

昭和四六年(う)第五四五号

控訴趣意書

背任等 大塚泰蔵

右の者に対する頭書被告事件につき弁護人は左記の通り控訴趣意を陳述する。

昭和四七年五月一〇日

弁護人弁護士 加藤達夫

〃 荒木新一

福岡高等裁判所

第三刑事部 御中

原審は被告人大塚泰蔵に対する検察官起訴に係る背任六件、 詐欺一件、 横領二件、 所得税法違反の各公訴事実について、ほぼ全面的に事実を肯認した上、懲役三年及び罰金五〇〇万円、四年間右懲役刑の執行猶予の判決を言渡したが、右は次の如き明白なる事実誤認があり、これが判決に影響を及ぼすこと明らかであるばかりでなく、量刑も不当に重きに失し不当であり直ちに破棄さるべきである。

第一 事実誤認について

一、判示第一の背任罪(所調「浜よし」事件)について

被告人大塚等が、判示日時に松島昇に対し六〇〇万円の貸付をなしたのは、昭和三六年八月一七日付で市農協が右松島所有の長崎市西浜町四二番地第五口甲所在の判示土地建物に対し債権極度額二、〇〇〇万円の根抵当権設定をなしたその根抵当権に基きその限度内で為したもので、何等任務違背の行為はなく、かつ本件六〇〇万円の貸付当時右の担保物件はこれ等貸付債権を回収するに足る充分な担保価値があり決して長崎市農業協同組合(以下単に市農協と云う)に損害を加える旨の認識はなかったものであるのに、原審が被告人等に対し背任罪が成立すると判断したのは明白な事実誤認である。

二、判示第二(一)の詐欺罪(所謂「ボーリング会社」事件)について

被告人等は長崎ボーリングセンター株式会社の取締役就任予定者倉重祥弘等に対し何らの欺罔行為には及んでおらず且つ犯意はない。又仮りに詐欺罪が成立するにしても小切手中額面三五〇万円について成立するのでなく単に二〇〇万円の限度に留るべきものである。にも拘らず原審が額面三五〇万円の小切手全体について詐欺罪が成立すると認定したのは誤認である。

三、判示第二(二)の背任罪(所謂「後藤観光株式会社」事件)について

被告人等は、本件犯行当時市農協に対し損害を加える旨の認識は全くなく背任罪は成立しない。原審認定は明白なる事実誤認である。

四、判示第二(三)の(1)の背任罪(所謂「市農協西片支所杭打工事」事件)について

被告人等の本件行為は、市農協理事で構成する建築委員会の委員の意見に従った正当な職務行為で、何らの任務違背行為はなくかつ、その当時市農協に対し損害を加える旨の認識は全くなかったもので背任罪は成立しない。原判決には明白なる事実誤認がある。

五、判示第二(三)の(2)の背任罪(所謂「市農協西片支所の三〇〇万円過払」事件)について

被告人等は本件当時市農協に対し西片支所建築工事の完成を願えばこそ損害を加える旨の認識は全くなく背任罪は成立しない。原判決の事実誤認は明白である。

六、判示第三の(一)及び(二)の業務上横領罪(所謂「城山映画劇場」事件)について

判示第三の(一)の業務上横領に関しては被告人大塚が昭和三四年一一月二四日取得した金四〇万円也は被告人大塚において市農協のため業務上預り保管していたものでなく、組合員片岡砂吉のため偶々保管していたものであり、且つ不法領得の意思は全くない。

又判示第三の(一)の業務上横領については、被告人大塚の本件四〇万円の取得は昭和三七年一二月二日市農協理事会において、同被告人の専決処分する旨の明示の承認に基づいた適法行為で、不法領得の意思もなくば違法性もない。

従って原判決がいずれも業務上横領と認定したのは誤認も甚しい。

七、判示第三の(三)の背任罪(所謂「長浜信良」事件)について

本件については被告人は市農協理事会の決定に基づきなした適法な職務行為で何らの背任違背行為はなく勿論市農協に対し損害を加える旨の認識は全くなく背任罪は成立しない。

仮りに背任罪が成立するとしても二五〇万円が成立するものではない。

原判決には明白な事実誤認がある。

八、判示第三の(四)の背任罪(所謂「市農協西片支所敷地売却代金増額」事件)について

本件西片支所の敷地の売却価額を従来の坪単価二万七、〇〇〇円から四万円に変更増額したのは、事前に市農協の執行機関たる理事会において相当との承認を得た上でのものである上昭和三九年七月右支所完成の際市農協総会の承認も得ているものであって、正当な行為であり何らの任務違背はなく違法性はない。

原判決には明白なる事実誤認がある。

九、判示第三の(五)の所得税法違反事件について

相弁護人芳田弁護士の控訴趣意書を採用する。

第二 情状について

公判廷に顕出された一切の証拠、就中犯行の態様、犯行の動機、実質的損害の少ないこと又被告人の市農協に対する功績、本件が被告人宮津に触発されたものであること、本件により長期の拘置、加えて永年積上げた社会的地位、名声を一挙に失い一切の公職を退いていること、過去前科前歴のなかったこと、既に老令であること等考慮する時、原審の量刑は不当に重きに失する。

以上更に適正なる判決を求めて本件控訴に及んだ次第である。

(尚近日中に事実誤認に関する部分については補充書を提出する予定である。)

昭和四六年(う)第五四五号

控訴趣意書

被告人 大塚泰蔵

右者に対する背任等被告事件の控訴の趣意は左記のとおりである。

昭和四七年四月一〇日

弁護人 芳田勝已

福岡高等裁判所

第三刑事部 御中

(A) 原判決は明らかに判決に影響を及ぼす次のような事実の誤認がある。

第一、「浜よし」事件(原判決、本件犯行第一記載)について

一、原判決はいわゆる「浜よし」の使用している土地建物に設定された根抵当権の元本極度額のわく内でその残額六〇〇万円を貸付けたことにつき、当時その物件をめぐって訴訟等が提起されて紛争中であったのであり、右抵当権設定者で且つ債務者である松島昇は既に貸出しのなされていた一、〇〇〇万円については元利金の返済状態がよくなかったのであるから抵当権のわく内の貸付とはいえ被告人はその貸付に当りより慎重を期すべき義務にあったのにこれを怠り、自己の利益をはかるため六〇〇万円の貸付をし農協に対し右同額の損害を加えたというのである。

二、本件については背任の意思が問題である。

右貸付に当って被告人大塚は<1>右根抵当権の設定された物件ことにその土地が長崎市内で最も地価の高い浜町アーケード街に面ししかも当時の時価は坪当り一〇〇万円以上もするところであり、(鑑定書によっても裏付けられ担保価値は十分である)<2>右根抵当権設定登記のなされた当時右土地については仮処分もなく全く負担のない物件であってそこに設定された担保は何ものにも優先する効力をもつものであったこと、<3>借主である松島昇は経済活動においてすばらしい能力を持っており結局は債務を返済することのできる人物であることを確信していたこと、<4>六〇〇万円を貸付けることにより前に貸付けた一、〇〇〇万円の利息など三八〇万円は回収し、その残り二二〇万円を和解のための費用として利用して、返済の遅れている一、〇〇〇万円の回収につき解決される見込もあったことなどに着目し諸般の事情から綜合的に判断して本件貸付を決定しているのである。(大塚の被告人尋問調書)

三、当時被告人大塚の担保物件に対する鑑識眼は実に適確であり、農協内部でも絶対の信頼があった(木村被告人の供述)し、前記土地に対する法律問題についても弁護士の鑑定書の提出を求めて問題のないことを確認している。

更に民事上いかなる角度からみても、全く負担のない土地につき第一順位の根抵当権を設定してある以上終局的に債権の回収が不可能になるはずはないことは法律に通ずる者からみても明らかである。

また、被告人は原判決も認めているとおり長崎市農協の生みの親であり、敗戦後の廃虚の中から、自らの足で自らの財産を担保に提供するなど農民の福祉発展のため努力し、農協の今日の隆盛を築いた者であっていやしくも右農協の損失を認容しながら敢えて行動するような性格ではないのである。

四、原判決は結果的にみて、右六〇〇万円の貸付をより慎重にすべきであったというが被告人大塚の農協経営の能力、着眼点には特異なものがあったので、右貸付の段階においての同被告人の判断が誤っていたということはできない。現段階における結果論からみても、右貸付のための根抵当権の目的物はいささかもそこなわれることになっていないし、またその物件中土地の価格はますます高騰し続けており、一方、債務者である松島昇は抜群の経営手腕を発揮して、現在巨万の富を得て、隆盛を極めつつあるのである。この結果をみても大塚の眼力のほどが知られ、右貸付当時の大塚の判断は決して狂っておらず背任の意思など考えられないのである。

従って本件について背任の意思は認められないのに背任の意思があったと事実の誤認をしているのである。

第二、後藤観光事件(原判決本件犯行第二(二))について

一、原判決は後藤観光株式会社(東京都所在)の代表取締役後藤文二が、その所有する右会社の株式を担保に一、五〇〇万円の融資を受けたい意向であるとの話を聞いたが、右株式がいわゆる店頭株であり、右会社の業績資産状態など不明な点が多く、右株式の担保価値が不確実であった上市農協定款によれば貸付制限区域外であったので、このような融資の申込があっても貸付をしてはならず、これを拒絶すべきであったのに一定の工作をして、右株式を担保に敢えて一、七〇〇万を貸付け農協に対し右同額の損害を加えたというのである。

二、ここで原判決の理由を分析すると、

(一)株式を担保に貸付けたこと(しかも株式は店頭株であった)

(二)右株式の内容の調査が不十分だったこと

(三)借主が定款上貸付制限区域外であったこと

(四)被告人が貸付のリベートを取得していること

(五)結果的にみて右株式発行の会社である後藤観光株式会社が倒産し貸付金がこげついてしまったことなどを綜合して右貸付は違法であり被告人に背任の故意あるものとしている。

三、しかし

(一)後藤観光株式会社が倒産したことは結果論に過ぎず、これはその会社経営者でさえも全く予見できない不慮のできごとであった(証人後藤文二の証人尋問調書)

(二)右会社は相当な活動をしており株価も五〇円株が一二六円もしており、毎日新聞紙上に掲載されていたこと

(三)会社の事務所にも被告人自身が赴いたところ、多くの事務員が忙しく活動していたこと、会社の内容については株価が新聞に掲載されており、それによって処理すれば足りるので特別に会社の業績等を調査する必要もなかったこと

(四)定款の貸付制限区域の規定は存在するが、それは農協が地域ごとに存在し、先ず長崎市内の組合員に対する貸付を優先すべきであるという程度の意味しかなく、一方原判決も認めるとおり農協には多額の資金がだぶついており、これをうまく運用しないと預金者に対する金利の支払いや、従業員に対する賃金などの経費に追われ農協経営に困難を来たすおそれがあること、

(五)株式もまた現代社会においては一つの財産であり銀行をはじめその他の金融機関においても、担保として利用していることは常識であること

などから前記のような貸付行為自体が直ちに背任行為だとはいいきれない面がある。

四、そこで更に被告人に右貸付当時背任の意思があったかどうかを検討する必要がある。

(一)本件貸付に当って株式を担保としたことにつき、被告人は昔株屋をやった経験があり、その取扱いにはくわしいので株価の値動きによってはこれを転売すれば足り、そうすれば農協が損害を蒙むるおそれはないと考えていたのである。

(二)被告人は一、七〇〇万円の貸付に当り時価一株一二五円ないし一二六円の株式一九万八、〇〇〇株合計少くとも二、四七五万円相当の株式を担保にとっている。しかもその株式はいつでも転売できるように譲渡担保の方式で取得しているのである。

(三)右株式の他に後藤観光株式会社振出明糖食品株式会社裏書の額面一、五〇〇万円の約束手形をも担保としてとっておりこれは金利さえ出せばいつでも割れる状態にあったのである。

(四)以上のように被告人としては右貸付に当りこまかく気を配り、農協が損害を蒙むらないよう配慮していたのであるが、新聞に発表される株価が、その後次第に下ってきて、一株当り一〇六円になったので不安を感じまず五〇〇万の元金を返済させた上増担保として前記会社の株式二万二、〇〇〇株の提供を受けたのである。

(五)その外に

静岡県伊東市萩字城の木戸五七四番五等に所在する山林合計九筆を譲渡担保にとっているのである。

(六)以上のようにして被告人はあらん限りの方法で損害の発生を防止すべく努力したのであるが、たまたま後藤観光株式会社の倒産という思いがけない事態が発生したために貸金の回収ができなくなったものである。

五、以上のような経過に照らし、被告人は一方において農協のだぶついた資金の運用及び農協経営に腐心し、他方において貸付金回収の確保のために心を砕いて農協のため懸命の努力をしていたことが認められ、農協に損害を加えることを認識して敢えて本件貸付をしたものではないことは明白である。リベートの件についてはリベートではなく宮津に対する貸金の内入れであると考えられる。

六、にもかかわらず、原判決は背任の意思ありとして事実の誤認をしているのである。

第三、ボーリング事件(原判決本件犯行第二)について

一、原判決は被告人らがボーリング会社を設立しようと企て兼松株式会社からテンピンボーリング機械一〇基並びに付帯設備等一式を買受けるに当って四、九五〇万円で買受ける旨の売買契約を締結し右契約の手付金として一五〇万円を右会社機械プラント部第一課課長代理杉山俊蔵に対して支払ったが、その際売買代金五、一五〇万円に水増しをし、その手付金として被告人は右同人に対して三五〇万円を現実に支払ったように仮装するため、その旨虚偽の記載をし、云云というのである。

二、しかし(一)右ボーリング機械の売買契約代金は五、一五〇万円であって四、九五〇万円ではない。

(二)また手付金についてもなるほど現実に支払った金額は一五〇万円であるがあとの二〇〇万円については被告人らは前記兼松からリベートとして貰うことにし、手付金として支払うべき三五〇万円と右トベート二〇〇万円とを相殺したために現実には右一五〇万円の支払いになったものである。

従って前記杉山は被告らに右リベートと相殺前の金員三五〇万円の領収書を書いたものである。

三、結局被告人らが発起人となった長崎ボーリング株式会社は被告人らの前記契約に基づき代金五、一五〇万円のボーリング機械代金のうち、被告人らが手付金として支払った三五〇万円(二〇〇万円はリベートと相殺)の残額である四、八〇〇万円を後に支払っており実害はない。

四、しかるに原判決は右の各点につき事実を誤認して、被告人に二〇〇万円について詐欺罪の成立を認めている。

第四、杭打工事代金事件(原判決本件犯行第二(三)(1))について

一、原判決によれば被告人大塚は市農協理事会の決定に基づき、長崎市片渕町三丁目一、〇〇〇番地の四に市農協西片支所を建築するに当り宮津芳通の経営する丸宮建財株式会社に建築工事を請負わせることにし、昭和三九年二月八日右会社との間にその旨の建築請負契約を締結したのであるが、同月七日ごろ被告人は右宮津から右建築工事に当然含まれているべき地盤補強のための杭打ち工事費が見積書から漏れていることを打ち明けられ、右機会を利用してその工事費用として適正妥当な金額をはるかに超える金額である一〇〇万円を計上させて請負わせることにより、その差額を自己において利得しようと企て、工事費用として五〇万円程度の杭打工事を一〇〇万円としてその旨の請負契約を締結したというのである。

二、しかし、そのいわゆる杭打工事費用の適正妥当な金額が五〇万円であるか否かについては被告人は何らその面についての知識がなく、これを知らなかったものであるから、一〇〇万円で契約をしたとしても、任務に違反することの認識があったとは認めることはできない。

三、にもかかわらず原判決は右の点につき背任の故意がないのにそれがあったと云う事実の誤認をしている。

第五、城山映画劇場事件(判示第三の(一)(二))について

一、原判決は昭和三七年一二月二日市農協理事会において被告人の専決処分とする旨の明示の承認があったとしても本件映画館売却の際の収益は市農協においてもいわゆる期間外利益としてこれを受入れることができるものであって、理事会としても何らかの合理的な理由がない限り、被告人が四〇万円を取得することの承認については明白かつ重大な瑕疵がありその承認に基づき被告人が、四〇万円を受け取ったことは違法であり、その行為は横領であるとしている。

二、ところで右金員の取得原因は結局理事会の承認である。(理事会議事録)

三、右承認がなされるに至ったいきさつは必ずしも明確でないが、少くとも、右理事会の承認があったことは間違いなく、いやしくも理事会の承認のもとに被告人が取得したことにつき、横領となるというのは納得できない。

四、結局本件につき原判決は理事会の承認があったか否か及び右承認があったとしても違法性があるかどうかという点において、事実誤認ないし違法性の判断につき誤っていると考える。

第六、西片支所敷地代金増額の件(原判決第三の四)について

一、原判決は被告人が昭和三九年二月一〇日その妻トシ子名義の土地を市農協に一坪当り二万七、〇〇〇円で売却し既に代金の支払いを受け終った西片支所の敷地七四坪三合八勺の売買契約を何ら変更する合理的な理由がないのに坪当り四万円に変更したいと提案し、市農協の買入単価の変更に理事会の同意があったような外形をととのえ係員から九六万六、九四〇円の支出をさせて、市農協に右同額の損害を加えたというのである。

二、原判決は右西片支所の敷地につき買入単価の変更に理事会が同意をしたような外形をととのえたと認定をしているがそれは誤っている。現実に被告人は買入単価の変更を求め、これが同意されたのである。単に外形をととのえただけではないのである。

三、理事会の同意を得て変更したものを被告人個人の責任とするのは理事達の責任を全く考慮に入れずこれを無視するもので納得できない。この場合被告人には刑事責任はないと思料する。

第七、原判決第三(三)について

一、原判決はいわゆる西片支所の建築請負工事を丸宮建財株式会社にさせていたところ、同会社は工事出来形約三〇パーセントの段階で昭和三九年四月二六日倒産し、同会社では工事の完成が不能になったので当初の工事請負代金残額六四〇万円をもって残工事を同会社の工事保証人である株式会社長崎土建工業所及び株式会社親和土建に引き継がせて、前記請負工事を完成させなければならないのに右両会社の利益をはかる目的でその請求をしないで、昭和三九年五月三日右工事につき前記丸宮建財の下請工事をしていた長浜信良に六四〇万円の請負代金残額に更に二五〇万円を加えた合計八九〇万円をもって西片支所の残工事の請負契約を締結し、市農協に対し、右二五〇万円の支払義務を負わせて、右同額の財産上の損害を負わせたというものである。

二、被告人が長浜信良に判示のとおり残工事を請負わせたこと六四〇万円の請負代金残額に二五〇万円を加えた八九〇万円で請負わせたことは間違いないのであるが、それが直ちに背任といえるかについては問題である。工事保証人である前記長崎土建及び親和土建に残工事を要求せず長浜信良に残工事を請負わせたのは次のような理由による。

(一)既に丸宮建財に対して一四〇万二、〇〇〇円相当の過払のあったことは原判決第二(三)に認定するとおりである。

(二)右過払は市農協に責任があるのであるから丸宮建財に過払をしながら、それが倒産したからといって契約残金のみが残工事を工事保証人に、その責任を追及し工事を請求してみても、そのままで工事を続行するはずはない。

無理にそうしたとしても、工事は遅延し、また丸宮に対する過払分は別に追加支出せざるを得ない。

(三)長浜信良は丸宮建財の下請をしていたが、丸宮建財からは工事代金の支払を受けておらず人夫の賃金も支払ができない状態であった。

もし工事請負人に残工事をさせることになれば長浜などその人夫らに対して甚だ気の毒な結果になる。

(四)右人夫の中には市農協の組合員も多数含まれており農協に対する非難も強くなることは予想された。

(五)長浜信良に工事を続行させれば最もスムーズに工事が進行し農協の信用も失わずにすむ。

右のような事情について理事者間で話し合いがなされ大塚もそのように意志決定をしたのである。

三、丸宮建財の倒産後大塚が市農協の理事者らと話し合いの上残工事を二五〇万円を追加して長浜信良に請負わせたことは右段階において市農協にとっては損害を最小限度にくいとめる最善の方策であったと考えられ、これをもって大塚の背任として刑事上処罰すべき違法性は全くないと考えられる。

第八、所得税法違反事件(原判決本件犯行第三の(五)(1))について

一、原判決は昭和三九年中において被告人が社会通念上金融業者と認定することはできないとした。

その理由として被告人の昭和三九年中における貸付状況は貸付先宮津芳通及び丸宮建財ほか五ケ所貸付回数約一八回貸金総額約四、〇七〇万円、利息収入合計約二〇二万五、〇〇〇円であることを認めながらも

(一)その貸付先は従前被告人と特殊な関係にあった者(宮津、丸宮建財、長崎ボーリングセンター)のほか寺田力外四名に対する分は宮津の仲介によるものであって市農協から借り受ける迄のごく短期間の貸付であること、柴田義秋外二名に対する分は土地購入資金であって、もともと転売を目的とするものであり被告人自身転売の際はその利益分配の際は、その利益分配に預るつもりで貸付けたものでいわば共同出資的な色彩の強いものであることなどからすればその貸付先が不特定又は多数であるとはいえないこと

(二)前年度における総所得金額に対する割合は最大限に見積ってもおおむね一四パーセントを超えないこと

(三)貸付に当っては正規の契約書を作成せず利息等の明確な定めがないこと

(四)いずれの場合についても確実な担保をとらず債務不履行の場合でも直ちに法律上の救済手続に訴えることもなかったこと

(五)貸金業者としての届出もなく、その他物的人的設備もなく事業としての組織性計画性に全く欠けていたこと

(六)被告人自身長崎市農協をはじめ多くの公職に就任しており金融業を独立の事業として運営推進する意図はなかったこと

(七)宮津芳通の経営する宮津商事有限会社が金融業を営なんでおり、被告人は右宮津商事に貸金の援助をしているに過ぎなかったこと

(八)昭和四〇年度においても被告人は松島昇に対して七回に亘り合計三、六〇〇万円、長崎ボーリングセンターに対し六回に亘り合計二八〇万円、倉重祥弘に二回に亘り合計六〇〇万円以上合計一五回四、四八〇万円を貸付けその利息金として三九一万九、〇〇〇円を同年度中に取得したことは認められるが、何れも被告人と特殊な関係にあるもののみで、不特定又は多数人を相手として貸付けたということはできないこと

を掲げている。

二、しかし右のような理由では被告人が金融業者でないと決めつける根拠にはならない。

(一)なるほど被告人は長崎市農協の組合長その他農業団体等の要職に就任しており給料など多くの収入があったことは事実であるが他方において多額の貸金による利息収入も得ておりこれらは表面上出せない立場にありだからこそ原判決が被告人を金融業者と認められない理由として掲げるもののうち、

(1)貸金業者としての届出がない

(2)貸付に当っては正規の契約書を作成しない。

(3)担保をとったり債務不履行の際強制執行などをしないのである。

(二)また、金融業を営なむには特別に人的物的設備組織も必ずしも必要でない。更に原判決は被告人が金融業を独立の事業として、推進する意図はなかったというが、しかし貸付金の額、利率、貸金によって得ていた利息収入の額、貸付回数などからみて、到底そうは断言できない。

右の認定は証拠に照らし明らかに誤っている。

三、次に原判決は本件被告人の貸金の貸付先が被告人と特殊の関係のある者のみであることを強調する。

なるほど国税庁長官の発する所得税関係基本通達九三によれば

「親戚友人等特殊の関係のある者のみに貸付けている場合は金融業に該当しないものとする」

と規定しているが、

「但し、その金額が多額(おおむね五十万円以上)に上る場合はこの限りでない」としている。

右通達にいわゆる特殊の関係にある者とは一体どの程度のものをいうのであるか大いに問題であり被告人の貸付け先が、いずれもそのいわゆる特殊の関係にある者となるかどうかは検討の余地があるが、それはともかくとしても、たとえ、そのような関係にある者であっても貸付金額が五十万円を超える場合にはなお且つ金融業と認められる場合もあるとしているのである。

本件貸付金額はいずれも、五十万円をはるかに超えており貸付先が特殊の関係にあることは金融業かどうかを判定する上で何らの基準にもならないのである。

四、貸付の口数についても、昭和三九年中の分のみでも決して少ないとは言い難く昭和四〇年分及び右以前にひるがえって、昭和三六、三七、三八年度分についてその貸付状況、口数貸付金額(追って立証する)をみると決して少ないとは言えない。

五、原判決は被告人が利息収入を得るようになった経緯として、「徐々に宮津の経営する丸宮商事(宮津商事の誤り)に資金を融通するようになり宮津商事が金融業を営なんでいたところから、恰も被告人が宮津を利用して他へ金員を貸し付け利息を得ていたような観を呈したのであるが、金融業を営なんでいたのは宮津であって被告人ではなく、被告人は宮津に資金的な援助をしていたものに過ぎなかった」(原判決中弁護人の主張に対する判断九(ト))としている。

しかし、被告人は宮津商事を利用して他に金員の貸付をし、利息収入を得ていたので、形式的には宮津商事の貸金行為であっても、被告人が宮津商事を通じて利息収入を得ていたことも事実である。(宮津の証人尋問調書)このようにして利息収入を得ることもまたもぐり金融業の一つのパターンとしてみることができるものと考える。

六、以上要するに被告人は、昭和三九年当時において、社会通念上、金融業者であると認めて何ら差支えないのに、原判決は敢えてこれを認めなかったので、事実誤認をしたものである。

被告人が金融業者であれば、昭和三九年中には二、〇〇〇万円以上の貸倒金があるから同年中の他の収入と通算すれば全く所得がないことになり、当該犯罪は全く成立する余地がないことになる。

第九、桜町宅地の転売利益について

一、原判決は桜町宅地が被告人大塚の単独所有であったと断定して、それに基づく譲渡所得を計算し、犯罪の成立を認めている。

二、しかし右宅地を大塚の単独所有であると決めつけるのは問題である。

(一)右土地は小川源松外六名の所有地であったところ秋山善三郎がこれが売地であることを宮津に話し、大塚に一口乗って貰って、転売し、利益を得ようとしたものである。

つまり転売によって利益を得るためにのみ買受けたものであるから、その間の所有権が誰にあるかは格別問題にはならず強いて大塚の単独所有としなければならないわけではない。

(二)なるほど現金一千万円を支出したのは大塚であるが、宮津もまた一千二百万円を十八銀行から借受けて、右宅地代金の一部に供しており(桜町土地閉鎖登記簿謄本宮津の証言)、秋山も市農協から二、〇〇〇万円を借受けたうち六〇〇万円を支払い、その残りは宮津が支払っている。

結局宮津、秋山も大塚と同様に本件土地代金の一部を分担しあるいは借金して土地代にあて、あるいは残金の支払義務を負担しているのであって大塚のみが土地代金を負担したわけではない。

また宮津は右土地の所有権移転登記に必要な経費についても百万円以上の金を支出しているのである。

(三)買受人の名義についても秋山の単独所有になっており、大塚の名義にはなっていない。

(四)宮津、秋山ともに大塚に無断で本件土地に抵当権を設定して他から金を借りている。

これは大塚の単独所有と考えていなかったことの証拠である。

(五)転売した場合の利益の分配についても秋山は転売利益の二割を貰う約定になっており宮津はその残りの二分の一を得ることを期待しており、大塚もまた当然そのようにすることを考えていたものである。この場合むしろ分配する主役は宮津が当るはずであって、大塚は分配を受ける側にあったと考えるべきである。

(現実には最終的な処分は大塚の手で行われたが、それは宮津が倒産して行方がわからなくなったため止むなくそうなったのである)。

(六)なお、右宅地の所有権は大塚にある旨の秋山の念書があるが、これは、秋山、宮津が共謀で、大塚に無断で右土地を担保に入れるなどの処分行為をするので、これを防止するために宮津が秋山に書かせたもので、また宮津、秋山も大塚を安心させるためだけに書いたものでありただちに大塚の所存と断定するための証拠とみるのは誤りである。(宮津及び秋山証人尋問調書)

以上によって桜町宅地の所有権は秋山、宮津、大塚の共有ないし、宮津、大塚の共有とみるのが自然であり、大塚の単独所有とみるのは実質関係からみて妥当ではないので原判決の認定は誤っている。

三、右宅地が大塚の単独でないとすれば、その脱税額の計算上影響があるから、右の誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかである。

第一〇、工事謝礼金について

一、いわゆる西片支所工事謝礼金一〇〇万円及び佐世保支所工事謝礼金五〇万円につき、その趣旨が宮津から大塚への謝礼であって、これを被告人の昭和三九年分の収入となるのか、あるいは被告人の宮津に対する貸金の内入れとみるかにつき、原判決はこれを宮津の公判調書、尋問調書及びその支払われたいきさつ等から謝礼と認定し大塚の同年分の収入とみた。

二、しかし宮津の証人尋問調書によればあくまで同人の一方的な気持であったに過ぎないものであり、右各金員(又は小切手)交付の段階において謝礼の趣旨である旨を述べたことは全くなく、以心伝心で、大塚もそう思って受取っただろうというのである。

三、当時被告人は宮津に対して相当多額の立替金や貸金があり、その回収に苦慮していたところ、宮津に仕事を与えその収入の中から自己の債権の弁済をさせようとしたものである。従って大塚は右金員収受の際謝礼金としてではなく債権の内入れの趣旨で受領したものである。

この点につき原判決は宮津の一方的供述を全面的に採用して事実を誤認しているのである。

第一一、昭和四〇年分所得税の申告について

一、原判決によれば、昭和四〇年分所得税の申告については昭和四一年三月一五日が申告書の提出期限であったところ被告人は同年二月二八日背任等被告事件に関して逮捕拘留され、接見も禁止されたことで同年五月三〇日出所したこと、被告人大塚は逮捕される以前に直田統一に配当、不動産、給与の三所得について確定申告をするよう指示を受けて直接資料の提供を受けていることなどを認めている。

被告人の従来の申告態度からおしていずれにしても被告人は勝山町宅地の件については申告をしなかったであろうと推定し右の件について所得の申告をする意図は全くなかったものと認定している。

二、しかし右のような認定をすることは極めて恣意的であって被告人の所得税逋脱の意思及び金額を極めて安易に認定したものであり、その根拠は不十分である。

三、昭和四〇年分所得税の申告期限が、昭和四一年三月一五日であるが、被告人はいわゆる農協事件のため昭和四一年二月二八日に逮捕拘留された以後は被告人はもはや税金の申告の問題など打合わせる機会も考える余裕もなくまた右申告を依頼された直田統一も右農協事件の参考人として再三にわたり警察に呼出を受けて取調べられもはや税金のことなど十分に調査打合わせもできなかったことは関係証人の証人尋問調書及び被告人の供述により明らかである。右のような身柄の拘束がなければ十分な調査打合わせも可能であるからあるいはより正確な申告がなされる可能性もあったのであり、従って原判決が認定じたような所得について確定的に逋脱の意思があったとは到底認定できないのである。

四、たとえば同年分として譲渡所得の申告をするべきはずの勝山町宅地の件の如きは、被告人が同年五月三日の出所後申告書に漏れていることに気付き更正の申告でもしなければならないと考えている矢先、福岡国税庁査察官鍵山育太郎らの査察を受けその際右の件について口頭で申出た形跡もあるのである。

(B) 原判決は量刑不当である。

一、原判決は公訴事実の殆んどすべてを認め被告人を懲役三年(但し四年間執行猶予)罰金五〇〇万円の刑に処した。

ところで、右のうち罰金五〇〇万円はいわゆる所得税法違反等被告事件についての処罰である。

二、原判決の認定事実に対して事実誤認があることは前述のとおりである。

仮に右認定事実がすべて誤りないものとしても右罰金の額は重きに失している。何となれば、被告人は昭和三九、四〇両年分について、本件起訴事実に相当する所得税の更正決定を受けていると共に、重加算税並びに過少申告加算税の賦課決定をも受けている。

その内訳は次のとおりである。

昭和三九年分

所得税増額分 五〇〇万一、一三〇円

過少申告加算税 一万九、一五〇円

重加算税 一四七万四、五〇〇円

昭和四〇年分

所得税増額分 二、六三二万二、七九〇円

過少申告加算税 二万一、七〇〇円

重加算税 七七六万六、四〇〇円

三、問題となるのは過少申告加算税並びに重加算税である。

右両年分における右各加算税の合計額は実に九二八万一、七五〇円になる。これはいずれも本税とは別に課せられる懲罰的な課税である。

右のほかに更に、本件刑事事件において、原判決は罰金五〇〇万円を課しているのである。

これはあまりにひどいいじめ方ではないかと思料する。(憲法違反論すらある)特に本件においては実質上被告人には所得がない。

よって原判決は量刑不当のそしりを免れないものであると考える。

昭和四六年(う)第五四五号

控訴趣意補充書

背任等 大塚泰蔵

右の者に対する頭書被告事件につき弁護人は左記の通り控訴の趣意を補充する。

昭和四七年七月三日

弁護人弁護士 加藤達夫

同 荒木新一

福岡高等裁判所

第三刑事部 御中

第一、判示第一背任事実(所謂浜よし事件)について

一、原審には明白な事実誤認がある。

二、第一に長崎市農業協同組合(以下単に市農協と略称する)が昭和三八年四月一六日松島昇に対し、判示土地建物に設定した根抵当権に基き金六〇〇万円也を貸付したのは、通常の業務執行の範囲内で何らの任務違背ではなく又右貸付行為は市農協に財産の損害を加えておらず背任罪は成立しない。

三、原判決は昭和三八年松島に対し右貸付をなす当時

(1)松島は事業に失敗し、昭和三六年右土地建物につき設定した根抵当権二、〇〇〇万円に基き既に貸付した金一、〇〇〇万円の債務の元利金の支払さえも遅延していたこと。

(2)右土地建物(以下本件物件と略称する)につき有限会社「浜よし」から原所有者である松尾正夫外五名に対し、本件物件に対する市農協の前記二、〇〇〇万円を極度額とする根抵当権設定登記以前の昭和三六年四月二六日に建物のみについて処分禁止の仮処分の申請が為されていること、又同年五月八日には、右「浜よし」から右松尾外五名を相手として本件物件につき売買に基く所有権移転登記手続請求の本訴が長崎地方裁判所へ提起されていること、更には昭和三七年一二月二一日右「浜よし」から松島昇に対し本件物件につき詐害行為取消訴訟の提起の訴が提起され合せて土地について処分禁止の仮処分が為されたこと、加えて前記松尾正夫が、右各訴訟において「浜よし」言分を支持し、松島に不利な証言をする態度に出たため前記詐害行為取消訴訟は「浜よし」側が勝訴する公算が強まって来たこと

(3)従って、右根抵当権を実行するにしても、その解決が長期化し実行それ自体が甚だ不安定となったこと等々を理由として右松島に対する本件の如き新たな貸付は差控えるか、或いは増担保を要求してから新たな貸付に応ずべきであるのにこれに背き、本件六〇〇万円の貸付をなしもって実害発生の危険がある状態を招致して同額の損害を加えたと判示する。

而して原判決の右の「根抵当権の実行そのものが甚だ不安定となる」との判示部分が厳密に云って何を意味するのか定かではないが、判決文の前後関係からすれば根抵当権の設定そのものが無効となり、回収不能となるか或いは回収不確実となるものと解される。従って本件の要点は本件貸付が貸付当時所謂回収不能乃至回収不確実なる見込の具体的状態の下になされたか否かである。

四、然しながら前記(1)については、なる程当時松島は事業に失敗し、既に市農協から借りた一、〇〇〇万円の元利金の支払が遅延していたのは事実であるが、市農協が松島に右一、〇〇〇万円をも含めて本件六〇〇万円の貸付したのは、昭和三六年貸付する際、松尾正夫等の連帯保証等人的担保があったこともあるが之れ等には意を留めることなく長崎市内での一等地で当時の時価でも三、〇〇〇万円は下ることなく本件の一審当時では時価一億円以上と云われる本件土地につき第一順位の極度額二、〇〇〇万円の根抵当権設定という物的担保権の確保が唯一の根拠であったものであり、従って松島が事業に失敗しようがしまいが、貸付債権の回収の最後のトリデは充分確保されていたものであったこと、前記(2)については本件物件或いは物件中土地についてのみ判示の如き仮処分の申請或いは本案訴訟が提起されていたのは事実であるが、これ等の行為は市農協の松島に対する貸付債権の回収については何ら不能或いは困難に陥らせるものではないのである。

即ち前記仮処分や本案訴訟提起の経緯から見ても、松島が本件物件中土地について法律上全く無疵で所有権移転の登記を受けたことは明白であり、右「浜よし」と松尾正夫外五名間の所有権移転登記手続請求事件において右松尾が判示の如く右「浜よし」の言分を支持し前記請求を認諾したとしても本件土地については登記簿上所有者が松島である以上判決の執行は不能であるばかりでなく、そもそも第三者である松島には何らの効力をも及ばない。

原判決は詐害行為取消訴訟において、頭初松島側についていた前記松尾正夫が途中寝返りを打ち右「浜よし」側に加担し、松島に不利な証言をする態度に出ていたと認められるから、被告人等は本件貸付当時松島が敗訴する公算が大きいことを知っていたとしているが、真実貸付当時詐害行為取消訴訟において、右松尾がその様な態度に出る状況であったか、又それ等を被告人が認識していたか否かは後述の如く疑問であるが、それはさておき仮にこれが認められるとしても右訴訟の結果が直ちに本件貸付金の回収不能乃至不確実に直結するものではない。

即ち右の詐害行為取消訴訟は原告「浜よし」被告松島とするもので性質上原告の立証が極めて難しい訴訟である上に、仮に右「浜よし」が勝訴となっても、判決の既判力は原告と被告間に於て被告と右松尾との売買行為が相対的に取消されるだけであり、当事者以外の第三者即ち本件については市農協の本件土地に対する根抵当権設定については右取消の効果は及ばず何らの影響を受けるものでなく依然として有効に存在するものである。原判決は更に右「浜よし」は市農協に対しても可能な法律的手続に出て、本件土地について市農協の有する根抵当権の抹消を求める態度に出ることはみやすいところであると判示するが、確に右「浜よし」が仮に将来右の詐害行為取消の勝訴判決を得た場合或いは市農協を相手として根抵当権の抹消登記手続を求める訴訟を提起することは法律上全く考えられないことはないものの、前述詐害行為取消訴訟の本質的効果からすれば、市農協に悪意がありこれが立証されない以上勝訴判決を得ることは無理とも考えられ、法律実務専門家としては右「浜よし」のためにむしろその様な手続はとらないであろうことが考えられ妥当ではない。

前記(3)については以上論述した点から判断すれば、本件貸付当時において、右根抵当権が法律上無効とか不安定不確実とは断じ難く、右根抵当権の実行によって貸付金の回収が不能とか困難とか判断するのは極めて不当である。

加えて本件の六〇〇万円の貸付は、初めての貸付ではなく、前述の如く昭和三六年八月一七日本件物件に債権極度額二、〇〇〇万円の根抵当権を設定し、一、〇〇〇万円を貸付した残りの枠内で貸付したことに留意すべきである。即ち右抵当権設定において、本件物件について第一順位で二、〇〇〇万円限度の担保価値を把握したことが、当時の具体的状況において妥当なものと評価され、その頃一、〇〇〇万円の貸付を正当な業務執行の範囲内と見る以上、同じく順位一番の根抵当権の範囲内で六〇〇万円を貸付した本件行為も、右一、〇〇〇万円の貸付行為以降右根抵当権について法律上、実質上実行が不能か相当な困難になるとか或いは交換価値が著しく下落したと判断する事由がない限り同様正当な業務執行と見るべきで背任に問うべきでない。蓋し根抵当権を設定した以上、その極度額の枠内において根抵当権設定者は金融を要求し、根抵当権者はこれに応ずべき各々の抽象的な権利義務が存在するからである。

而して本件の場合、頭初本件物件につき二、〇〇〇万円の根抵当権を設定する際既に本件物件の建物については前述の如く仮処分が為され且つ本件物件については右「浜よし」より原所有者松尾等に対し所有権移転登記請求訴訟が提起済でありこれ等を考慮してもこの時点においての右の根抵当権設定や一、〇〇〇万円の貸付が背任行為でない以上それ以降は前述の如く詐害行為取消訴訟が提起されかつこれが「浜よし」に有利になるという見透しがあるのみで、しかも右訴訟の勝敗の結果は右根抵当権の実行について無影響なるかぎり本件の貸付行為は何ら任務背反行為ではない。

以上検討するとき、被告人大塚としては判示の如き本件の六〇〇万円の貸付行為を差控え或いは増担保を要求した上に貸付すべき等という特段の任務は存在しないと云うべく、従って背任行為は存在しない。

五、原判決は背任罪における財産上の損害の発生は、具体的実害の発生をまつ迄もなく、実害発生の危険がある状態を招致することも財産上の損害にほかならずと解するところ、本件については、不良貸付であり右貸付自体財産上の損害を招く行為と評価すべきものであるとしている。

なる程最高裁判例に基けば「財産上の実害発生の危険を生じさせた場合をも包含する」としているが、右の例はいずれも当初からその全額若くは一部の回収が不能になる危険が現実的蓋然性として存在する様な不良貸付或いは権限外の貸付をした場合であるところ、本件貸付行為は前述の如くその様な危険はなく従って財産上損害を与えていない。

六、第二に被告人大塚は本件の六〇〇万円の貸付当時市農協に対して損害を加える旨の認識は全くなかったものである。

即ち

(一)本件物件の土地は、長崎市内一等地で高価である上に、換価性も高く近い将来高騰の見透しもあり、頭初第一順位で二、〇〇〇万円限度の根抵当権設定したが、右設定当時から実際の価格はこれを超えるものであり、まして本件の六〇〇万円の貸付当時右土地の評価価格は不動産鑑定士の厳密なる鑑定によっても最低一、八〇〇万円は評価され充分担保価値があり、仮にこれを任意処分すれば五、〇〇〇万円を超すことは明白であったこと。

原判決はこの点岡本不動産鑑定士の鑑定を援用して本件土地について正当な権利者が存在する場合の所謂底地価格は昭和三八年当時で約一、八〇〇万円、昭和四一年の不動産競売における最低競落価格が一、九〇〇万円であったことを示し、さ程高価なものでなかったこと、更に右土地について競売期日を重ねるとその価格が逐次低下すること等挙げて、かかる物件のみを担保にして貸付をすれば甚だ危険を伴う結果となることは自明として判示しているが、右は不動産鑑定士の鑑定でも一番低価なものを援用し且つ時価より相当低い不動産競売の際の最低競落価格を基準にしたもので必ずしも妥当ではなく、まして、競売期日を重ねる場合を想定しての価格下落の推理に至っては何をか云わんやであり、六〇〇万円の貸付当時本件土地は誰が評価しても常識上二、〇〇〇万以下を下ることはなかったものである。

それ故に市農協の二、〇〇〇万円の根抵当権設定登記後においても、原判決が弁護人らの主張に対する判断一・(三)(4)で記述している如く三度に亘り根抵当権の設定が為され、特に金融機関である長崎信用において本件土地に後順位の根抵当権(極度額千数百万円)を設定していることはこれを裏付けるものである。

(二)被告人大塚は本件土地に関する右「浜よし」対松島の詐害行為取消訴訟については松島が勝訴することは勿論のこと、市農協の根抵当権は有効であると信じて疑わなかったこと。

原判決はこの点、松島昇、被告人木村の各検事調書、宮津の公判調書供述部分によって「六〇〇万円の貸付前に松島は被告人宮津に対し、松尾が浜よし側に寝返り浜よしには土地を売ったが、松島には売っていないと言い出しているから訴訟に負けるかも知れないと伝え、宮津はこの旨、その頃被告人大塚及び木村に伝えた事実が認められる」とし、結局被告人大塚等は本件貸付当時松島が敗訴する公算が大きいことを知悉していたものと認める旨判示している。

然しながら、詐害行為取消訴訟について「浜よし」側が受益者である松島に対して勝訴することはこの訴の性質からして簡単ではない上に、被告人大塚同宮津並に同木村、更らには証人松島の公判廷での供述、証言を綜合すると、松島が、訴訟活動やその見透しは定かではないが、訴訟が不利に動いている旨を市農協より融資を受け又これから融資を受けようとする際の有力な仲介人である宮津に対し述べたことは認められるが、松島はその当時被告人大塚とは何らの面識、親交もなく従って前記詐害行為取消訴訟について何一つ報告したことはなかったこと、又宮津も右の事情を被告人大塚に話をすれば六〇〇万円の融資が受け得られなくなると判断し、又松島側の訴訟代理人山中弁護士は松島側が絶対勝つとの主張もあったので訴訟の有利不利に重点を置いていなかったこともあり、右の松島から聞いた事情を話さず専ら和解を進める準備金のために松島に融資ある様被告人大塚に話をすすめたこと等が認められるのである。

被告人大塚としては、頭初根抵当権を設定する際、「浜よし」から本件物件につき既に提起された訴訟について山中弁護士より松尾側が有利との意見書が出されており且つ又右松尾正夫も松島に対し連帯保証をしている程であり、前記詐害行為取消訴訟について松島が勝訴することは確信しており、又仮りに勝訴に至らなくても和解で解決済になるものと考えていたことは疑いのないところでありまして、如何なる事態に立至ろうとも市農協の抵当権の有効的存在は疑いを持たなかったものであること明白であり、この点について疑問を有しとする証拠は何一つない。

(三)前述の如く「浜よし」側より松尾に対し或いは松島に対し為された本案訴訟、仮処分が仮に全部「浜よし」において全部勝ったとしても、法律上、経済上市農協が本件土地に対して登記した根抵当権は有効に存在する客観的事情

等々に照らせば、被告人大塚において六〇〇万円の追加貸付をなすことによりその回収が困難又は不可能になり結局農協が損害を蒙るであろうという認識が未必的にでもあったとは到底認めることは出来ない。

この点原判決は証拠の取捨選択を誤ったため事実誤認をしている。

第二、判示第二(一)の所謂ボーリング詐欺事件について

一、原判決には明白なる事実誤認がある。

二、即ち第一には本件については被告人等には欺罔行為はない。詐欺罪とは人を錯誤におとし入れて、その錯誤にもとずく財産的処分行為をなさしめて、財物を取得することであり、犯罪が成立するためには、欺罔錯誤財産的処分行為が主観的には故意によって包括され、客観的には因果的連鎖に立つことが必要とされるところ、本件については被告人等は被害者たる長崎ボーリングセンター株式会社をだまして真実と合致しない観念を生じさせてはおらず従って右会社は錯誤におち入っていないと云うべく帰するところ欺 行為は存しないものである。

原審の証拠の標目中本件に関しての掲示された証拠の他に証人杉山俊蔵の公判調書供述部分を綜合すると被告人等が判示額面三五〇万円の小切手一通を取得した経緯は次のとおりである。被告人大塚は昭和三八年正月頃宮津からボーリング遊技場開設の話しを持込まれ検討の結果将来有望と思われたのでこれの構想を練り始めたが、当時ボーリング遊技は東京方面でボツボツ流行のきざしを見せていたものの長崎では全く始めてであったためボーリング場の経営形態、出資関係については被告人大塚において、又経営の実態や機械類の購入については宮津において各担当し調査することになった。被告人大塚は、ボーリング場経営は事実上相当資金を要することでもあるし、その経営形態については株式会社組織にするか、否か、出来れば会社組織にして見たいが出資者が集まるか否か不明であり、集まらない場合は個人企業をもやむを得ぬとの心溝えで同年二月上旬には、その段取りとして、右会社の設立趣旨を記載した案内状を市内の知己、有力者に配布或いは呼びかけて出資者を募っていた。

他方宮津も右の如く経営形態が未だ固まらないうちにも、ボーリングの機械等は何れにしても必要であったことから一月中旬頃から上京し、東京都内でボーリーグ機械類を取扱っている伊藤忠商事系列下のエイメイフや、三井物産系列下のトランジツク会社、並に兼松株式会社等の商社より機械のパンフレツト、ボーリング場の損益データーを取寄せて検討し、或いは右商社に出向いて機械の説明を受け、現実に値段交渉等をやった挙句二月に入ってから右商社のうち兼松株式会社と取引するのが一番有利と判断し、以降同社一本に絞ってボーリング機械買受けの交渉に入ったわけである。

右の具体的な交渉は専ら兼松株式会社東京支社機械第二部ボーリング課長代理杉山俊蔵との間で行われたが、宮津は被告人大塚とも話し合い、右ボーリング事業は結局のところ宮津のアイデアで宮津、被告人大塚で計画したものであり、仮に会社設立しても、それ迄の費用は被告人等において相当立替しなければならぬこと、設立費用として設立後の会社に対して求償出来得るのは限度があり右求償可能なその余の費用も相当額必要なこと、加えて会社設立後は専ら利潤分配は株式の多少によって決まり、会社設立迄の被告人、宮津の苦労功労の評価は定かでないこと等から自らに多少の利益がある様考え右ボーリング機械類の買受けが五千万円を上廻る多額取引であったこと等もあって取引を売主側と上手に駆引し右取引の際機械類の大取引に殆んど慣行として伴っているリベート(医具機械、工作機械の大量取引にはリベートが伴うことは業界の慣行であり、大会社にはそのリベート表が作成されているところもある)二、三百万円取得しようとの考え、宮津において前記杉山課長に対し本件ボーリング機械類の取引には是非共金二〇〇万円のリベートがあることを要求したのである。

杉山課長としてはボーリング機械類一台の通常価格は五二〇万円であり、リベートは出せるが、通常ならば一台につき三万円程度で一〇台の取引でも最高五〇万円位しか出せないとの気持から申出の多額のリベートは一応拒ったが、それと裏腹に課長という第一線責任者として本件取引は恐らく九州で初めて大量取引であるから多少の譲歩しても他の商社を抜いて市場を獲得し、今後の自社の宣伝にも役立たせたいとして最終的には取引を成立させたいとする商人根性、対してリベート二〇〇万円をも加えて出来るだけ取引価格を廉価にしかも取引条件を有利にしようとする宮津、これの駆引は相当激しかった。

宮津としては、兼松株式会社が売込みの意欲があることをにらんだうえボーリング機械一〇台を備えつけてオープンするに際しての必要最少限の備品の数量の検討から、機械一台につきどの程度迄価格を下げられるかを、他の商社のデータを基礎にして若しこちら側の条件(リベートも含んで)を呑まなかったら他の商社に変えるが如き態度で迫り、杉山も是非共自社商品を買って貰らいたいそれには申出のリベートを呑まねばならぬという苦慮から機械類の値引きをして会社の実質的手取の限界を検討しその結果頭初の云い値一台五三〇万円から五一五万円にし、次いで会社の実質的手取り一台四九五万円との線を上司部長の了解をとり、これにリベートとして宮津等に返戻すべき部分一台につき二〇万円を加えて売却価格を五一五万円一〇台合計五、一五〇万円として契約の結末をみたのである。

即ち昭和三八年三月上旬において、兼松株式会社の杉山課長と(杉山課長個人でなく会社を代表する立場)宮津との間で、ボーリング機械一〇台とこれの付属品を価格五一五〇万円、当初三五〇万円を手附として内金入金し残額四、八〇〇万円は五年間に割賦払とする旨の話合いが出来これと合せて、契約成立の時は兼松株式会社から約束したリベート分二〇〇万円を宮津等に返戻することとし、その具体的実行は伝票操作で行うことの約束が出来たのである。

宮津は其の事を被告人大塚に話し、被告人大塚も之れを了承して昭和三八年二月一一日被告人は宮津と共に兼松株式会社に赴き杉山課長等ともう一度取引条件を確認してから前記成立した契約内容の覚書を取り交わし既に出来上っていた約束どおり内金として三五〇万円を渡すべきところをリベートとして二〇〇万円を宮津へ返戻することになっていたのでこれを対等額で相殺し、一五〇万円丈を渡し、杉山課長から名刺に「金額三五〇万円也右契約金五、一五〇万円也の内金としてお預り致しました。昭和三八年二月一一日大塚泰蔵様」と記した預り証を貰ったのである。

兼松株式会社はその後間もなくして、帳簿上三五〇万円を機械-売買金五、一五〇万円の内金として収入し、合せて同日に宮津へリベートとして謝礼金名目勘定で二〇〇万円支払いされたものとなし、宮津より二〇〇万円の領収書を取って右憑票書類に添付して処理しているのである。その後被告人大塚、宮津は二月一四日長崎グランドホテルにおいてボーリング場の会社設立の趣旨に賛同する人達を集め右兼松からも係員を呼んで説明会を開き、賛同者を選別して同年三月一一日「松亭」で第一回の発起人会を持ち、その席上で仮称長崎ボーリングセンター株式会社の役員予定者倉重、林田等に機械類の前記購入条件を記した書面を見せて、これの契約上の地位を引継がせたのである。昭和三八年二月一一日に被告人大塚、宮津が兼松と取交した機械一〇台の取引に関する覚書の内容、預り証の内容は右三月一一日の時点において法律上も事実上も被告人等個人的なものから前記長崎ボーリングセンター株式会社の設立中の会社のものに承継されたものである。即ちこの発起人会合で右機械取引の契約内容の大綱と総代金五、一五〇万円中三五〇万円は被告人大塚等において支払済であることの契約上の地位を承継することにつき何等の異議もなく承認されたが、このことは、右の機械取引に関する契約がどの様な経緯によってその様になったか、預り証の三五〇万円の内金支払につき現実に三五〇万円支払われたかという経過に重点があるのではなくその結果である取引条件が満足出来るか、内金三五〇万円は支払済として処理することが出来るか、を重点において検討し、この結果事実を信用してこれを承認したものであると解すべきものである。そこで右承認を得た上その席上において、被告人大塚等は右預り証を出して、買入代金中三五〇万円は被告人等個人で支払済であるから、会社からの支払を要求し、これをも承認を受けて、三月一五日設立された長崎ボーリングセンター株式会社より三五〇万円の小切手一通の交付を受けたものである。

二、以上の如く被告人大塚、宮津は兼松株式会社との間で取交わした契約に基づき、契約総代金五、一五〇万円の内金として金三五〇万円を渡すに際し、右会社から被告人大塚、宮津に対し二〇〇万円のリベートを貰うことになっていたので、本来なら被告人大塚から兼松へ三五〇万円を渡し兼松から被告人大塚等にリベートとして金二〇〇万円を渡すべき筋合であるのを、右兼松に渡す金員も、又兼松からリベートとして渡される金員も共に被告人大塚の金として出入するものであることから出入の差額金二〇〇万円の受授を省略したに過ぎないもので、計算上被告人大塚等から右兼松へ金三五〇万円が支払われたこと、従って被告人大塚はその後設立した長崎ボーリングセンター株式会社に対し三五〇万円の請求債権を有すること明らかであり、ボーリング会社から被告人大塚等が受取った金三五〇万円のうち金二〇〇万円はリベート分に該当するもので勿論兼松の出損によるものである。

して見れば、被告人大塚が前記課長代理杉山作成の内金三五〇万円を支払った旨の「預り証」を示して立換金として金三五〇万円の支払いを受けたことは正当なる権利行使である。

右は右兼松株式会社が書類上処理している通りに、仮に被告人大塚が現実に右兼松に金三五〇万円を渡し、更に右兼松から金二〇〇万円のリベーリを受取り、前記杉山作成の「預り証」を示して、長崎ボーリングセンター株式会社から金三五〇万円の支払いを受けた場合を相定すると一層明白である。

三、原判決は先ず昭和三八年一一月一一日被告人大塚等と兼松株式会社機械プラント部第一課長代理杉山との間でボーリング機械一〇基並びに付属設備等を合計四、九五〇万円で売買する契約が交されたことを認定し、次いで被告人大塚は同日手付金として金一五〇万円しか支払っていないのに、情を知らない右杉山に依頼して右機械等の売買代金を合計五、一五〇万円と水増し、手付金三五〇万円を受取った様に仮装するため前記「預り証」を作成し、右「預り証」を示して長崎ボーリングセンター株式会社から立替金として額面金三五〇万円の小切手一通を受交付して騙取したとする。

然しながら、前記論述の如く被告人大塚等と兼松株式会社との間で交されたボーリング機械等の売買契約の売買代金は合計五、一五〇万円であり、原判決の認定は前提事実において誤認がある。

即ち前記二の(1)で述べた様に、宮津と右杉山との間におけるボーリング機械等の売買代金の決め方については相当興味あるかけ引きや経緯があるが、要すれば宮津において兼松側に対し最底いくらの手取金で折合えるかの見積書を要求し、兼松側で四、九五〇万円迄出来る旨の線を出すと、これを前提として更にボーリング機械一台に金二〇万円のリベートを要求し、両者種々検討して結局兼松側としてはリベートとして宮津等に合計二〇〇万円を出すことを含めて売買代金合計五、一五〇万円に決め事実その後契約書、帳簿上の処理も総てこれにそってなされており原判決の如き売買代金が合計四、九五〇万円であると認めるに足る証拠は何一つない。強いて云えば、被告人大塚等が右「預り証」を長崎ボーリングセンター株式会社の役員に示して立替金の支払いを受ける場合前記兼松から受取ったリベート二〇〇万円分について報告すれば何等問題はなかったものと思われるが、本件のケースにおいて被告人大塚等がこれを告知する義務はない。

第三、判示第三(一)業務上横領事実について

一、原審には明白な事実誤認がある。

二、第一に被告人が、昭和三四年一一月二四日取得した金四〇万円也は長崎市農業協同組合(以下単に市農協と称する)のため業務上預り保管されていたものではなく、市農協組合員たる片岡砂吉のため被告人が偶々預り保管していたに過ぎないものである。

即ち長崎市城山町一丁目一番地二〇五所在の判示映画館が、昭和三四年五月二〇日付で抵当権者たる市農協より抵当権実行の任意競売手続の申立がなされ、同年八月一七日木村俊次郎に許可決定され所有権移転の登記が為され、これが更に同年一一月二四日有限会社城山映画劇場に転売され所有権移転の登記が為されていることは、判示映画館の不動産登記簿のその旨の記載があることから、伺われるところであるが、右の経緯を、各証拠を総合の上検討してみると次のとおりである。

市農協は、昭和三三年一二月片岡砂吉、古瀬巌、古瀬博康に対し同人等が共同経営する前示映画館の建物、映写機部品、劇場営業権、右片岡の他の土地建物等を担保(不動産は抵当権を設定)として融資していたが、片岡等三名の共同経営が意見が対立して思わしくなく、市農協に対しての金利返済さえも満足ではなかったので、このままでは前示映画館のみならず担保に入れた片岡個人の不動産さえも駄目になると考えた右片岡は、右映画館を共同経営から片岡の単独所有へ移そうと企図し、右映画館が市農協の抵当物件に入っているのを幸い、予ねてより実懇の間柄であって市農協の組合長たる被告人に「一応この際競売手続をしてくれ」との抵当権実行に基く任意競売を委頼し、右映画館の所有権を片岡において取得するために片岡に代って市農協でこれを競落確保し、後日片岡において競落金を支払清算して目的を達したい旨合せて被告人に依頼したのである。市農協の責任者にある被告人にして見れば、片岡等三名に融資して未だ半年も経過していないこと、市中金融機関の場合でも担保物件を競売に付すことは最終的な債権回収手段で稀であるのに市農協において右の手続をとるのは更に稀なことであること等で債権回収の方策としては意義あることではないと判断したものの、前述の如く片岡らの共同経営から個人所有に移行させたい旨の希望を重視し、やむ得ずこの希望に添って競売の申立をしたものである。

そして市農協が映画館を競落することは体面上からも、その本来の目的からしても適当でないので、市農協より競売保証金、競落代金を仮払出費し、(もっとも競落代金は被担保債権と対等額にて相殺済)木村俊次郎に事の経緯を話して同人名儀で金二九五万円也で競落したものである。

市農協において金二九五万円也を確保すれば、市農協より右映画館を抵当にして融資した元利金は充分に回収出来得る額である。

然る後右片岡は、市農協より代位弁済のあった競落代金二九五万円也を支払清算し完全なる所有権を確保し登記手続をも経ようとして金策に廻り、競落代金分は確保した映画館を担保にすれば融資の目算がついたものの、右映画館を以降経営するにはこの他約二〇〇万円也ばかりの運転資金の確保を要し、この資金の確保があいまってこそ始めて映画館経営の実質が備るのに右の運転資金が融通がどうしても出来得なかったので、片岡と被告人と話し合って結局右映画館を他人に転売することになり、頭初「フカホリ」なる人間と交渉し次いで被告人が片岡の承解を得て山崎憲明に自らも経営に参加するということで有限会社城山映画劇場を設立し、右山崎が代表取締役となって代金三四〇万円で買取ったものであること、この代金中三〇〇万円也は市農協より代位弁済した競落代金分に費用を加えたものとして市農協に返済し、残金四〇万円也は被告人が心配料として取得したものであること等が明らかに認められるのである。

以上の如く片岡が市農協の組合長たる被告人に依頼したのは、単に映画館の任意競売の申立のみでなく、自らに代って右映画館を競落しその所有権を片岡のために確保することも合せていたのである。

市農協としても、映画館の競売においては、右物件を担保にして融資している元利金の回収を確保すれば足り、日頃親しくしている組合員たる片岡からそれ以上の利益を得る必要もなく、まして映画館の如きものの所有権を取得すること自体市農協にあって有害で面倒こそあれ、何等の利益はない。(木村俊次郎の公判廷における供述では、転売利益を見込んで他の競落人に先じて右映画館を競落したとしているが、競落時点において既に他に転売先が存在し、利益が確定していれば別であるが、それ以外の場合は市農協においてその様な元利金の返還をも危険に付すが如き愚なことをする機関がどこにあろうか)本件映画館の競売の申立並に競落は一に片岡に依頼され片岡に所有権を確保させんが為めの代位行為である。従って映画館の本件競落の真の競落人即ち競落権利者は、競落を市農協に依頼した片岡であり、市農協は片岡の依頼によって競落金を代位弁済したものであり、更に木村俊次郎は市農協組合長大塚、片岡の依頼によって競落人の名義を貸したに過ぎないもので、いずれも競落物件の真の権利者ではない。

片岡が、競売期日に木村俊次郎と共に、競売場に臨み映画館競落の確実を期したこと、映写機、備品等映画館経営に必要な品物を動産競売日において全部取得していること、片岡において市農協へ代金二九五万円を支払い清算すれば新たに買戻しの法律行為をやるまでもなく完全に片岡に所有権が移る状況であったこと、被告人が他へ映画館を転売するについて片岡の承諾を必要とし事実承諾を経ていた諸事実に照らし合せて考えると、片岡こそが競落物件の真の権利者であり、ただその頃他の共同経営者の手前を考慮する必要性があったことと、競落金を持っていなかったことから市農協に代って競落することを依頼したもので、実質競落人であり権利者である市農協より将来買戻しようとしたというが如き立場に留まるものではない。

そうすると木村俊次郎名義で競落した映画館の真の処分権利者は片岡にあり処分した金員の帰属も片岡にあって、市農協や組合長たる被告人は競落金の代位弁済者としての債権者の立場でこれに口をさしはさんだのであるが、事の経緯で被告人は優位な立場から片岡の了解を経てむしろ自らが中心として転売しその代金中より先ず代位弁済した額等を返還したものに過ぎないのである。

してみれば、映画館を有限会社城山映画劇場へ転売し、得たその代金中市農協へ清算した三〇〇万円を除いた他の金四〇万円也の帰属は市農協にあるのではなく、片岡にあり、片岡のため保管したものと認定すべきものである。

この点原判決が、右の経緯を詳細且つ実質的に検討せず、単に市農協より競落金が出された形式があることを理由に映画館は市農協が真実の競落人で権利者としたこと、従って右映画館の転売金は全額市農協所有なりと認定したのは誤認も甚しい。

三、第二に被告人は金四〇万円の取得について不法領得の意思は無い。

即ち前述経緯で映画館を有限会社城山映画劇場へ売却し、その代金三四〇万円中三〇〇万円は、市農協へ競売代金並にその費用として補填し、手許の残金四〇万円は被告人大塚の片岡に対する立替金等約五〇万円とは対等額において相殺し取得したものであって、ここには所謂不法領得の意思は全く存在しない。而して被告人大塚が、手許残額を取得するに至った経緯を見ると、要するに市農協から右映画館等を担保に片岡等に融資したもので、右映画館を処分することによって市農協が回収すべきものは前述の如く金二九五万円也で十二分であり、従って右片岡のため片岡になり代って右の如く回収分を充分充足する金二九五万円也で競落し後は、右片岡によって市農協が代位弁済した競落金さえ清算すれば総て決着がついていたものを前述経緯で片岡が金策することが出来ず、被告人大塚も立場上困り、片岡もやむを得ず右映画館の権利を転売することに承諾し種々転売先を探して、結局被告人大塚の配慮によって前記山崎憲明へ三四〇万円で転売したものであるところ、代金中市農協へ競売代金費用等として補填した残額四〇万円也は帰するところ被告人大塚の心配と手腕によって捻出された転売利益であったことから、過去に片岡に対して有する立替金債権約五〇万円位の内入弁済として片岡の推定的承諾の上取得したものであり、且つ右の処分については、昭和三八年四月片岡本人の承諾を得ているのである。

以上の経緯からすると、被告人大塚には金四〇万円の取得については断じて不法領得はない。又多額な資産を有する被告人大塚が、しかも市農協の組合長の立場にあって、何故に市農協所有の金員と判明し、認識しつつ僅か四〇万円の金員を横領するものであろうか、余りにも不自然極る。

第四、判示第三(二)業務上横領事実について

一、原審は、被告人大塚が不法領得の意思を以って四〇万円を着服横領した旨認定しているが、本件四〇万円の取得は、昭和三七年一二月二日市農協理事会において、同被告人の専決処分する旨の明示の承認に基づくもので、適法行為であり、不法領得の意思もなくば違法性もないもので誤認も甚しい。

二、被告人大塚が金四〇万円を取得するに至った経緯は次のとおりである。

即ち競落した映画館は昭和三四年一一月二四日有限会社城山映画劇場へ三四〇万円で売却し、このうち四〇万円はその頃被告人大塚が片岡に対して有する立替金債権約五〇万円の内入金として取得していたものであるが、その後税務署より右映画館の譲渡所得について形式的な競落人であり又売渡人である木村俊次郎に対して競落金と転売価格の差額四五万円について申告もれの指摘があり、右木村は「自分は名義だけで、金の出入については市農協である」旨返答したところから、税務所としては市農協が実質的な競落人でもあり又転売人と判断し、それならば市農協に清算された三〇〇万円と転売価との差額四〇万円は市農協の所得として処理すべきと指示したので被告人大塚はこの税務署の判断に不満であったものの一応これに従うこととして昭和三七年一一月三〇日四〇万円を市農協へ入金した。然しながら被告人大塚は判示三(一)事実について詳述した如くこの四〇万円は本来市農協ではなく片岡の所得に帰すべきものであり、従って自らの立替金と相殺して自己が取得しても差支えないものと考えていたので、この考えを理事会に図り、理事会の決議を経て処理しようとなし、その後の同年一二月二日市農協の理事会に於いて第四号議案として、この金の処理について審議を求めたところ、理事会では四〇万円は片岡に支払うべきものであるが、その処置については組合長である被告人大塚の専決処分する旨決議がなされたのである。ところで右理事会では被告人大塚は席上市農協の組合長として議案提出者の責任者として、又城山映画館の競売又転売に関与した直接の責任者として、判示三(一)事実で述べた如く城山映画館競売の事情、山崎に対する転売の事情等転売金からの市農協への納入金を報告して、四〇万円は農協として受取るべきではなく(受取らなくても市農協の損害にはならないこと又農業協同組合法第八条によれば営利追求は禁止されている)片岡へ支払うべきものである旨述べてこれを理事等より了承して貰っており、議事録も文章が幼劣ながらも大略その旨録されているのである。

そこで被告人大塚は、昭和三八年四月四日市農協事務所において総務課長直田統一をして右片岡のため四〇万円の出金手続をさせ、この金を被告人大塚の普通預金口座に入金させ、後日片岡とも相談して同人の承諾を得て片岡名義の領収証を作り処理したものである。

以上の如く本件行為は、市農協理事会の議決を経て取計ったものであり、罪にはならないものである。

三、原審はこの点「弁護人等の主張に対する判断」において、成程主張の日時に開かれた市農協理事会議事録によれば四号議案として「片岡砂吉の件につき、組合長報告あり城山映画館問題は組合長四〇万円也を立替え、自己金を片岡貸付金に入金する、その他は組合長専決処分を承認する」の記載があるが、これはその議事録の表現にかかわらず、従前被告人大塚が領得した本件の四〇万円也を、昭和三七年一一月中市農協に一たん返戻したが、その処理を明確にするため、市農協が片岡砂吉に対して有する貸付金の返済としてこれを入金する旨確認したに過ぎないと解するのが相当であり、証人直田統一の「結局右の表現は本件映画劇場を三〇〇万円で売却したことにして、その差額金四〇万円の処分については組合長である被告人大塚の裁量に委せたものであるのが主旨」との公判廷供述は疑問があるとし、又仮に右の表現が四〇万円については被告人大塚の専決処分とのものとすれば、被告人大塚に何らの合理的理由がない多額の利益を単に与える旨の承認は明白かつ重大な瑕疵がある違法なもので、この様な承認があっても本件犯行の成否に何ら影響がないとしている。

然しながら、証人直田統一は当時市農協の総務課長として問題の理事会に出席して、理事会の審議状況を見て議決事項を議事録に録取した当人であり、議事録についてその表現の責任者でもあり、この不明確なる議事録表現において一番その内容というか、真意というか又趣意というものは知っている筈の立場であり、従ってこの証言は重視すべきであるところ、組合長たる被告人大塚がその後市農協事務所において理事会に出席し議事録をとった当の直田に命じて、参事橋本専務理事の決裁をも取って「片岡の支払のために」本件金員の出金手続を執っていること(記録証人辻義人の昭和四一年一二月八日付公判調書)これに対し橋本専務理事、右直田も何らの異議をさしはさまなかったこと等合せ考えると、右直田が供述する如く四〇万円については片岡に支払うべきものであるがその処分は被告人大塚の専決処分とされたものであるとするのが相当である。それ故にこそ敢えてこの問題たる四〇万円を理事会にはかって処分審議したものであり、且つ議事録においても「組合長専決処分を承認する」との表現をとったものと解されるのである。

原審は、これを単に市農協が片岡砂吉に対して有する貸付金の返済として入金する旨確認したに過ぎないものと判断しているが、これは何を根拠、証拠としているのか不明で前述議事録の「組合長専決処分を承認する」との部分や直田の公判供述からすると原審裁判官の推測に過ぎないと云っても過言ではない。そして原審裁判官の推測が当を得ているか否かについては、更に理事会の開かれた昭和三七年一二月当時片岡が城山映画劇場を担保にして昭和三三年一二月市農協から借り受けた借金について未だ残額の存在したことを前提事実としこれの返済が為されたとして始めて推論が成り立つのに、この前提事実について全く証明がなくむしろ既に全額返済されておりその後に又別個に数次に亘って融資がなされていることが伺われ、原審の判断は当を得ない。又原審の如き趣旨であったなら、金四〇万円は片岡砂吉のどの債務に充当するか特定する要もあるし、又事実事務上理事会直後に右四〇万円は片岡に対する債権の内入弁済金として処理なされていなければならないのにその様な事実は全くない。加えて議事録記載の「組合長の専決処分を承認する」との重大な部分が全く解明不能となり、いずれにしても原審の判断は余りにも独断との非難は免れない。

次に被告人主張の様な意味で理事会承認があっても、右承認は違法で犯罪の成否には関係がないとの判断について検討する。前述した如く理事会の席上組合長たる被告人大塚が本件四〇万円の処分について理事達に説明したのは、映画館の競売、転売の経緯、転売金のうち三〇〇万円市農協へ入金したこと、又入金によって市農協は十分回収したこと等で、結論としては、四〇万円は右映画館を転売したことによる利益であること、市農協は農業協同組合法第八条の建前からしても営利行為は出来ず、四〇万円は映画館について競売前その後も権利を有している片岡に支払われるべき旨のことでありこれの趣旨を理事達が承認しその処分方法については組合長に一委したというのであるから原審判断の如く「被告人大塚に利益を与えたもの」でなくあく迄片岡に支払われるものであったのであり原審は娯認も甚しい。

そして右に見た如く法律的にも市農協の実際的運用から見ても、市農協は組合員たる片岡が映画館を担保にして融資をうけた場合、その担保物件を処分した場合(これが単なる競売であろうが、更に競落して転売した場合であろうが)融資した元利金全部を回収すれば足り、これを超える部分についてはその組合員に返戻することは理由あることであり、もとより合理的なものであり、この点合理的理由がないとした原審判断は不当である。

かかる理事会の決議が為されたのに対し、この決議をも合理的理由がないとして、右決議に従った被告人大塚の行為を犯罪とするのは不当である。

仮りに百歩譲って徹底的追求した場合右決議に合理的理由がなかった場合としても、被告人大塚は右理事会の承認事項を実行に移したものであるからその行為について違法性もないし、まして不法領得の意思は存在しないものである。原審判決は直ちに破棄さるべきである。

第五、判示二の(三)(1)の事実(所謂西片支所杭打工事の追加事件)について

一、被告人大塚は市農協に対し財産上の損害を加える認識即ち背任罪の故意は存在しなかったものである。

原審はこの点宮津芳通が経営する丸宮建財株式会社において昭和三九年二月八日付で請負した市農協西片支所の新築工事につき、その前日である七日に右本体新築工事の見積書から漏れていた地盤補強のための杭打工事費の追加があったのを利用して工事費用をその適正妥当な範囲をはるかに超えた金額である一〇〇万円と計上させて請負わせることにより適正な工事費用との差額を自己において利得しようと企てたものとして認定し、次いで同年二月八日右宮津と共謀して前記丸宮建材株式会社との間に工事費五〇万円程度の杭打工事を一〇〇万円としてその旨の請負契約を締結したとしている。

つまり被告人大塚は、本体工事建築の落札決定日以前に、杭打工事の追加工事につき相談を受け水増し額で請負わせてその適正な範囲を超えた額の分を自己で利得しようと考えていたこと、又翌八日には、杭打工事費用は五〇万円程度であることを認識していたのに一〇〇万円の契約したものだと認定しているのである。然しながら、被告人大塚は昭和三九年二月七日杭打工事の追加工事につき相談を受けて水増し額で請負わせその超過部分を自己で利得しようとの考えは全くなく、又八日の右杭打追加工事を丸宮建材に請負わせる時、その費用が五〇万円程度で足るものかどうかについての認識はなかったものである。

被告人大塚の公判廷の供述を中心とし、その他森衡二郎、林田金太郎、岩崎佐嘉恵、小西忠徳等の各証言を綜合すると、昭和三九年二月八日市農協西片支所の本体建築工事について右丸宮建材株式会社に落札が決定した間もない頃、右丸宮建材の責任者山崎より右工事の敷地の杭打工事費について見積漏れがあった旨のあわてた報告があったので、被告人大塚は土木建築関係については素人であったが、見積漏れであればすぐ見積りするように述べたところ、大体一〇〇万円位とのことであった。其の見積は一本一万五、〇〇〇円で五七本位合計八五万五、〇〇〇円でこれに若干の費用を加算して算出したものである。

そこで被告人大塚は諮問機関である建築委員会の委員林田金太郎、岩崎佐嘉恵、浦繁蔵に対しこの追加工事の話をして承認を得てから契約を締結したものである。

被告人大塚としては、請負させた後は、右丸宮建財の方で、どのようにして杭打工事したか、即ちその具体的詳細、実際要した費用等全く不明である。

ところが、右杭打工事は、右丸宮建財が森衡二郎に下請させ、右森は実質四〇万円位で完了させた。

然し右森の杭打工事は、市農協と丸宮建財との間で予定していた当初の見積りより杭の規格を落し且つ本数を減らしたものであり、専門的に客観的に評価すれば少くとも一本の価格が一~二万円位のものを約四四、五本は必要としたものであり、加えてこれに丸宮建財の手数料等考慮すると金一〇〇万円は不当に高額な価格なものでない。

以上の如く、被告人大塚は、既に工事の本体については丸宮建財に対し落札決定したのに、その直後杭打工事費の見積漏れがあるのでこれを考慮してくれと言われ、右杭打工事について提出された見積額を常識の範囲内で妥当と考え、組合理事たる建築委員にも相談して右丸宮建材に請負わせたものであることが認められる。

請負わせた後、丸宮建材が右杭打工事をどのようにしたかは、被告人大塚のあづかり知らぬことで、まして右工事を四〇万円程度の実質で下請工事させたことによってその差額分について被告人大塚が背任とするのは当を得ないものである。

二、右宮津の証言によれば本体工事落札前に既に杭打工事の見積漏れがあること、又右杭打工事は大体五〇万円程度で出来ることを被告人大塚に話し、又本体工事落札後も右旨を話し、差額五〇万円は被告人大塚に対しリベートとして支払うから金一〇〇万円で契約してくれと申し込んだとし、従って被告人大塚は杭打工事は五〇万円程度で完了することを知悉していたとしている。そして原判決もこれを全面的に採用している。然しながら、右の証言は、右宮津が被告人大塚に対しそもそもから反感を抱き、同被告人を如何にしたら刑事責任を負わせるかの意図をもってなしたもので全体的に措信が置けないことは勿論のこと、前記の如く二月八日本体工事落札直後、丸宮建財の責任者山崎があわてて杭打工事の見積漏れがあったこと、そしてこれを是非配慮してくれるよう懇願したこと、更に小西忠徳の証言にもある如く、客観的に見て西片支所の敷地の杭打工事は約一〇〇万円位かけるのが相当であるとの諸事実に照らすと前記宮津の証言は信用がおけない。原審は帰するところ、証拠の取捨選択を娯ったため、事実を誤認したもので破棄は免れない。

第六、判示第二の(三)(2)の背任事実(所謂三〇〇万円過払事件)について

一、被告人大塚は市農協に対し損害を加える認識は全くなかったものである。

原判決摘示の如く本件の金三〇〇万円の支払いを為す当時工事の進捗状況は約二〇%の出来高に過ぎず、建築請負契約の該当条項によれば、出来高払いとなっており、厳密に云えば合計金一五九万八、〇〇〇円程度の支払のみに限るべきであったことは疑はないところであったが、被告人大塚が市農協の組合長として右出来高を超える金三〇〇万円を支払ったのは、実は市農協西片支所の建築を支障なく遂行し完成させるため、つまり市農協の財産上、損害の発生の危険を防止するためのものであり、市農協に財産上の損害を加える認識は全くなかったものである。即ち被告人大塚は右金三〇〇万円の支払いをなす際右契約条項に従えば右三〇〇万円の支払がやや早すぎたものであることは当然知っていたものの当時は

(1)請負人である丸宮建財(株)は原審理由中において判断している如く、昭和三八年暮頃からその経営がやや苦しくなり、被告人大塚においては右丸宮建財の経営者である宮津に対し融通手形等振り出して資金繰りを援助しており、且又昭和三九年三月中は、理由は不明であるが右宮津は長崎市を離れている状況であって、いずれにしても丸宮建財が財政的に相当苦しい立場におかれて宮津からも「苦しいから出してくれ」と申込まれ、今直ちに倒産という事態に至らなくても、将来市農協西片支所の建築完成迄に倒産になるかもわからない状況であったこと。而して右宮津の申込みは、右三〇〇万円の支払いを受ければ会社の窮状も立直り一応の仕事が遂行出来うる意味も含まれていたので、今ここで三〇〇万円の支払いを拒絶することは、右丸宮建財(株)へ倒産に追いやる相当の危険を有しておったものである。

そして若しも仮りに丸宮建財(株)が倒産に至れば、西片支所の建築工事は中座され、金融機関である市農協が一般市民からの信頼が揺らぎ、かつ市農協も右工事の今後について財産上相当の損害の発生が考えられたこと。

(2)昭和三九年一月頃建築資材特に鉄材の値段は底値であったが同三月頃には相場上昇の気運を見せており右丸宮建財の現場責任者や宮津からもこれの理由を含めて「今資材を購入しておきたい」の意向も示されていたところ、被告大塚は建築については素人ではありながら、自ら個人もビルや会社等建築していた当時でもあってその頃建築資材が値上りの気運を見せていることを知っていたこと(事実資材就中鉄材についてはその様な客観的状勢であった)もあったので、当時西片支所の工事の出来高具合が悪るく今ここで現金を以って建築資材を安く購入しておかないと今後の右支所の工事が円滑に遂行出来難い状況であったこと。

(第三四回阪正の公判調書、被告人大塚の昭和四四年二月一三日付の公判供述調書等、林田金太郎の第二二回公判調書)

(3)西片支所工事の一部は出来上っていたこと。即ち前記の如く工事の進行状況は約二〇%程度の出来高で契約条項に従えば約一六〇万円近くは支払義務が生じており、これに加えて前記(1)(2)の状況も加味したものである。

等々の状況が存在していたので、契約条項に従えば、三〇〇万円の支払いは多少早かったが、丸宮建財(株)をして西片支所の請負工事を円滑に遂行させ、もしも将来丸宮建財(株)の倒産に基き右支所の工事が中断しそれによる市農協の甚大な財産上の損害発生を防止する、つまり市農協の将来の利益のために支払いを為したものである。

従って被告人大塚において、市農協に対し損害を加える認識は全くなかったものである。

それ故にこそ被告人大塚は、右金三〇〇万円の支払いを為す場合、丸宮建財の責任者を呼寄せ「責任をもって工事は絶対やってくれ」と申渡しており、事実その後右丸宮建財が倒産した場合、被告人大塚個人が丸宮建財に対して有する債権を以って右丸宮の資材を差押えて取得しこれを売却した代金を市農協の損害の一部にも充てている程で被告人大塚が如何に西片支所工事の円滑な遂行を望んでいたかが裏付されるものである。

二、原判決は「被告人大塚として、右の丸宮建財の要請に応ずるとしても契約条項に則り工事出来高を厳密に、査定したうえ、その条項所定の基準により正当に算出した金額を限度として出来高払いをすべきであるもの」と判示しつつも、その理由中において「仮に丸宮建財の倒産を救うためには、市農協から右の超過支払いをするほかないとの判断に達したとしても、契約条項に明らかに違反する支出であるから以上の経過を市農協理事会に説明して十分審議を尽し、その承認を事前に得たうえで支出をなすのが当然であるのにこれを為さなかった」と非難しているのでこの点について検討する。

背任罪の本質から考えれば、右の如き契約条項違反の支出は任務違背の行為であることは認められるものの、それかといって右の如き支出が即本人に損害を加える認識をもって為したもので本人に損害を加えたものとして判断するのは形式的であって妥当ではない。即ち背任罪の財産上の損害とは、ひろく財産上の価値の減少をいい、積極的損害、消極的損害であることは問はないが、右の財産とは全体財産(財産状態)を意味し損害は本人の財産総額について要するものである。

されば本件の場合の如く、工事の施主が工事の継続中右請負人において財産上ピンチに陥り、且つ又資材の値上りが将来予想され今現在現金を以って資材購入しないと資材の値上り等から右工事の円滑な遂行が害され、場合によっては倒産が予想され最悪の場合は右工事の中断が余儀ないことの危険が存する際、右工事中断に基く多大な損害の発生の危険を防止するため、工事契約金の支出を契約条項よりやや早めて実行し請負人の工事の円滑安全なる遂行をさせその意図した目的が達成される見込が多いときは、施主の市農協の全財産から見た場合むしろ利益として評価すべきものであり、正当な冒険取引として許さるべきものであると思料する。

だとするならば、契約条項に明らかに違反する支出であっても右支出が真実、将来市農協の甚大な損害発生を防止するためにその救済措置として為されたものが客観的に判明する以上、仮令市農協理事会に提出しても容易に右支出の承認が得られる状況であったら、被告人大塚が単独でなしたか否か、市農協理事会の事前承認を得たか否かの一事をもって犯罪の成否を決すべきものではない。

本件については、被告人大塚が金三〇〇万円の支出を為す際、真実将来市農協の甚大な損害発生を防止せんとして、又その充分な見込みの下にその救済措置として為したものであることは各証拠によって十分に認められるのである。

同年五月三日開催の緊急理事会において、右支出が全理事によって承認されたことは右の状況を裏付けするものである。

よって被告人大塚は所為は背任罪を構成しない。原判決は直ちに破棄さるべきである。

第七、判示第三の(三)の背任事実(所謂、長浜信良事件)について

一、被告人大塚が市農協の代表者となって昭和三九年五月三日、丸宮建財のもとで従前下請工事をしていた長浜信良に対し合計八九〇万円也を以って西片支所の残工事の請負契約を締結したのは、右市農協の理事会において数回に亘って協議した決定に基いて為されたものであり、何ら任務違背行為ではない。

即ち原判決によれば、市農協は市農協西片支所の工事請負人である丸宮建財株式会社に契約金の過半に達する七七〇万円を既に支払ったにも拘らず工事出来高約三〇パーセント位の段階で右丸宮は昭和三九年四月二六日倒産し右同会社では完成が不能となったのが、かかる場合被告人としては、当初の工事請負代金残額六四〇万円をもって、残工事、保証人である株式会社長崎土建工業所及び株式会社親和土建に引き継がせて頭初の丸宮との請負契約にかかる工事を完成させるべきであったのに、この両会社に残工事の履行を請求すべき任務に背き前記六四〇万の残額に二五〇万円を加えた合計八九〇万円をもって前記長浜信良と請負契約したとして金二五〇万円について背任罪が成立するとしているが、確に頭初市農協が右丸宮との間に締結した請負契約書によれば前記長崎土建工業及び親和土建は工事保証をなしているから、丸宮が不能となったときは先ずもって右両会社に工事保証の責任を追求し、残工事の履行を請求し、工事を完成させるべきであったことは認められるものの、他面被告人大塚は市農協の組合長という業務執行の最高責任者の地位にあり、理事会においての決定事項はこれ又誠実に遵守し執行する義務を有しているものであるというべきものであるところ、本件については市農協理事会において種々検討した結果丸宮建財のもとで従前下請工事をしていた長浜信良に残工事を請負せるとの結論に至ったので、被告人大塚としてはこの理事会の結論に基いて右長浜と判示の条件で工事請負の契約締結に至ったものである。

原審も判決の理由中で示している如く被告人大塚の<35>証人林田金太郎の<22>同林田武、同鎌田巌の各<28>同長浜信良の各<30>の各公判調書供述部分押収済の緊急役員会議事録一通、西片支所新築工事契約書(請負者丸宮建財、同長浜信良のもの各一通)等々の証拠を綜合すると、右丸宮建財は昭和三九年四月二六日倒産し、最早同会社による本件工事の完成は不能となったので、かかる事態を予想していなかった市農協側としては驚きその頃より急拠緊急理事会を頻繁に開きその対策を検討すると共に、併せて契約書上右丸宮の工事保証人である株式会社親和土建の代表取締役林田武に対し、被告人大塚において残工事の履行の請求をなしたところ、右林田は頭初の請負契約が粗漏なことや、残工事部に比して残工事金が少ないことを理由にとても応じられない旨の意向を示したため、今一人の工事保証人である株式会社長崎土建工業所も同意向であることも容易に推認されたのでこの状況をも併せて理事会に報告して更に検討を重ねた結果同年五月三日開催の緊急役員会において出席理事全員異議なく丸宮建財の下請として本件西片支所工事をやっていた長浜信良に工事残代金をも含めて合計八九〇万円で請負契約させることに結論を見たわけである。而して右理事会において右の結論に至った際理事達において考慮された諸事情は前述工事保証人会社の意向の外に

(1)市農協は金融機関であるが、その西片支所の建築工事が請負人の倒産のため工事中断したことは信用上重大なことでありかかる工事中断の状態は可急的速かに解決さるべきものであること。

(2)工事保証人会社は先述の如く親和土建においては採算の合わない残工事を契約に基いて履行することを難色を示しており理事等役員においてもある程度その理由、心情も理解出来、これを契約書に基いて強行する場合には勢い訴訟にならざるを得ず、されば市農協の金融機関としての体面上の問題もあり引いては訴訟のため工事完了が進展せず結局むしろ市農協に将来相当の損害が発生することが予想されたこと。

且又工事保証人に対して残工事の履行を求めうる他右履行を任意になさない場合工事保証人に損害賠償責任を請求出来得るか否かであるが、これは法律上相当問題点のあるところであり、仮りに請求権が存在しても前述と同様訴訟で長期間争うことは得策でないこと。(又この点は仮に理論上請求出来得るとしても工事は他の業者に新しく契約の上施行させねばならないから、損害請求を為さなかったことに任務違背の要点があり、本件訴因事実と異る背任の問題が生ずるに過ぎない)

(3)西片支所工事について丸宮建財(株)の下請をなしていた長浜信良は相当多数の人夫を使っていたが、右丸宮の倒産のため人夫賃の未払いが発生しており、これを放置したまま今迄工事に全く関与していない。

工事保証人である前記両会社に残工事を続行させることは賃金のみで生計を維持している労働者の道義上人権上から問題があるのみならず、法律的にも工作物に対して先取特権等の法的問題にも進展する危険性があり、又これを契機として人夫等から騒がれると市農協の信用上得策でなかったこと。

特にこの点は建築委員等が調査して来ていて相当心配していること。

(4)頭初丸宮に請負契約させた際の設計は誠にお粗末で、一部設計変更を要すべき点が存在していたので、この時点において工事の見積りを再検討しなければならなかったこと。

等々が存在したのである。

そして出席理事達は右事情を考慮しつつ検討し、初め一部の理事達は契約条項に則り残工事を工事保証人に履行させるべしとの意見もあったが、前記(2)並に(3)の事情特に今迄丸宮の下請として働いた長浜信良の人夫賃が未払いであり、これをこのまま放置することは市農協の将来に得策ではないことを建築委員が強く主張し、合せて工事保証人の責任追求に終始しては工期が相当遅れることを被告人大塚等が主張したこともあって、今迄も、又現在も工事を続けている長浜に新しく請負させることが安全且つ迅速で一番得策と判断し、理事全員これに賛同し、直ちに右長浜をして見積書を作成させ、理事会で回覧したうえ、工事残代金を含めて合計八九〇万円で請負させることに決定したのである。

右長浜は当初四五〇万円を追加して、残工事代五四〇万円との合計九九〇万円の工事費を要求したが、セメント枠型の現物を支給することも考慮して八九〇万円に減額し、その後数回に分けて右工事費を受領して工事の完成を見たわけである。

以上の如く市農協の理事会において事後処理について再三検討し一番最良策として前述の如き結論に至り、これに基いて被告人大塚は右長浜と請負契約をなしたもので、正に正当な職務の執行であって何ら背任行為ではない。

然るに原判決は、市農協理事会において右の如き承認があったことを認めつつも、更に右の市農協理事会の議事経過更に議決内容にも立入って

(1)他に契約上の工事保証人が存在することについて十分なる討議を尽していないこと。

(2)理事会の承認を求める以前に長浜に残工事を請負わすべき旨の内諾を与えて工事を継続させ、その見積書を作成せしめるなどして既成の事実を作り上げていること。

(3)被告人大塚は市農協における所謂ワンマンで、同被告人を制肘しうるものはなく、同被告人の意のままに理事会も決議せざるを得なかった事情が認められること。

等々の事情があったから、右理事会の承認は単に外形を整えるための方便に過ぎないもので、本件背任行為について何ら違法性は阻却しないとしている。

然しながら、(1)については理事会において考慮された事情(2)で述べた通り、市農協の理事達は法的専門家ではないにしろ、自らの知る範囲内では一応検討しており、法律上工事保証人に責任追求が可能であるとの理論的前提に立ちながらも訴訟に至ることは必定であり、そうなると相当な損害が発生することが考えられたものであり、(2)については丸宮が倒産した四月二六日から再三の理事会を開いたり又建築委員に相談等をもしていて前記長浜に請負させたらとの話も出ていたのでその旨話していたに過ぎないものであり、あく迄決定権限は理事会に存するものであるところ、倒産一週間後の緊急理事会において前述の如く承認済となったものであって、この間準備のために見積りをさせたのを判示の如く悪意的に評価すべきものでないこと。(3)に至っては市農協の理事会の理事は組合総会において選出された成人であれば、それぞれ自己の意見は保持しており、それを発揮するか否かは力量によるものであって、検討の結果一致した結論に対して単にこれを方便に過ぎないとするのは余りにも一方に偏した独断であり不当である。

なる程被告人大塚は、優秀で力量抜群であるが、それかと云って仮に被告人大塚の発案を全理事が賛同し一つの結論に至ったのを方便とするのは理解出来ない。

原判決は丸宮が倒産し、そのため中断してしまった西片支所の建築工事について、先程の事情があり、工事保証人の責任追求するより、右長浜に新しく請負せる方が良いと理事会出席理事の全員の賛同があった場合、組合長たる立場にある被告人大塚に対し如何なる行動を執れと云うのであろうか、全く理解に苦しむものである。

二、被告人大塚は本件につき市農協に対して任務違背並に損害を与えるとの各認識は全く存在しなかったものである。

即ち前記一で述べた如く、被告人大塚の所為は市農協の理事会の決定に右長浜と契約したものであって客観的に行為それ自体何ら任務違背でないものであるが、右行為が仮りに判示の如く理事会の決定を以ってしても違法性は阻却され得ないものとしてもそれは一種の評価であり、被告人大塚としては市農協の組合長の立場として右理事会の決定が最良策と信じて右決定に則り業務執行したものであることからすれば、少くとも被告人大塚においては任務違背の認識は全くなかったものである。

又前記一で種々説明した如く理事会においては、工事保証人の存在も考慮しつつあらゆる角度から考えて如何にして処するのが市農協として損害を少なくするのが最良であるかを検討し、その結果前記の如き長浜借良に請負わせるのが最良なりとの結論が出たものであり、これに基いて本件行為に及んでいることからすれば、市農協に対し損害を加える認識等一片も無かったものである。

三、以上本件を背任罪に問うた原判決は明白なる事実の誤認があり直に破棄さるべきである。

第八、判示第三の(四)の背任事実(所謂西片支所敷地売買事件)について

一、被告人大塚の、本件西片支所の敷地の価格値上げは、事前に市農協理事会が相当と認めてその旨決定したので、組合長である立場上右決定に基いて為したもので何らの任務違背はない。

即ち原判決によれば、被告人大塚は昭和三九年二月一〇日市農協に対し坪二万七、〇〇〇円也で売却し既に代金の支払いと受領済の西片支所の敷地の売買契約について、何ら変更する合理的理由がないのに同年六月二日市農協理事会で被告人大塚において坪当り四万円に変更したいと提案し情を知らない理事より承諾を求め、市農協の買入単価の変更に理事会の同意があった様な外形を整えて翌三日前の価格との差額金を支払させたとして背任罪を成立を認めているが、昭和三九年六月二日開催の役員会議事録によれば、役員会において本件土地の坪単価を四万円と変更して購入することに役員全員異議なく可決した旨の記載があり、その他証人林田金太郎、岩崎佐嘉恵の<22>各公判調書供述部分によれば、右役員会議事録記載のとおり六月二日市農協において役員会が開かれその際本件西片支所の敷地の坪単価を四万円と変更することについて発議があり、出席役員検討の上全員これを異議なく可決した事実が認められるのであって原判決摘示の如く単に理事会の同意があった様な形を整えたにとどまるものでないことが認められ、被告人大塚は右決定に基いて金の支出を指示したに過ぎないものである。

しかるに原判決は判決の理由中において右の通り役員会の承認が事前に為されていることは認めつつも、更にその議事の経過にも立入って

(1)右周囲の情況として当時かかる増額の必要性があったと認めるに足る証拠がないのに被告人大塚が議長として先ず発議していること。

(2)西片支所の建築工事を丸宮建財に請負わせたことに対する謝礼として宮津芳通から受け取った同人振出の額面一〇〇万円の小切手が同年四月一一日不渡りとなったため、その損失の補てんをしようとの目的に被告人大塚が本件行為に出たこと。

(3)市農協理事会は、当時被告人大塚に牛耳られ、その意向に逆う決定は出来ない状態であったこと。

等々の理由を以って理事会の決定は本件行為の違法性を何ら阻却するとは云えないとしている。

然しながら右の

(1)については、当初右敷地は坪単価三万八、〇〇〇円、期間三〇年の約束で市農協が賃借するつもりであったのに、その後の昭和三九年二月八日の理事会において、市農協にあっては賃借りすることは今後の問題もあり買入した方が得策と云うことになり、その頃右敷地は一応整地されていたものの完全ではないところから当初借地するに評価した坪単価より安い一坪二万七、〇〇〇円という極めて安い値段で売買契約したものをその後費用をかけて整地を完了し立派にし、立地条件も最良だったことから、当時の専務理事岩崎佐嘉恵からその頃その敷地周辺の適正相場として右敷地の代金を坪四万円に変更したい旨の提案が為され、これを議長たる被告人大塚が審議の手続を進行させたものであることが証人大塚とし子の<20>同岩崎佐嘉恵、同林田金太郎の各<22>の公判調書供述部分によって認められること、

(2)については宮津より受け取った判示の如き小切手が不渡りとなった事実は認められるもののこれは、工事請負に関しての謝礼ではなく、その頃被告人大塚より、宮津個人或いは丸宮建財に対して貸付けた金の一部返済金を受取ったものであり、まして右小切手不渡の穴を埋めようとしてその目的で本犯行を敢行したものでないこと。

(3)については、理事会が正論が通らない程不正いびつなものであったとの証拠は全くなく、むしろ自由に意見が主張出来た情況下であること。

等々の事情が認められる。して見ると理事会において、出席理事全員一致で売買価格の変更を認めた以上、この決定に基いて、組合長たる被告人がその実行に移すことは義務でこそあれ、背任行為ではない。而して右理事会の決定が不当でないことは、昭和三九年七月右支所完成の際の総会においても異議なく承認を受けていることがその裏付である。

又仮りに法律的にみて右敷地の売買価格を変更することは必ずしも必要性がない場合でも、理事会において売買価格を相場相当に変更して追加代金を支払ってもこれを即背任とすべき筋合のものでもない。

二、被告人大塚は、本件につき市農協に対して任務違背並に損害を与えるとの認識即ち故意は全く存在しなかったものである。被告人大塚の本件所為は自らの意思に基く独断行為ではなく、市農協の理事会において決定したことを組合長という業務執行の最高責任者として執行したものであるから、仮に右理事会の決議が十分でなく客観的に任務違背のものであっても被告人大塚としてはそれの認識は全くなく、まして市農協に損害を加える認識は考えられる余地もなかったものである。

三、よって背任罪を認めた原判決は直ちに破棄して無罪の言渡しを為すべきである。

第九、判示第二の(二)の背任事実(所謂後藤観光株式会社事件)について

一、被告人大塚は何らの任務違背の行為はない。

即ち原判決は、本件につき後藤観光株式会社に一、七〇〇万円也を融資するについて

(1)市場性に乏しい店頭株である上に、かつ会社の業績、資産状態等不明な点が多い担保価値不確実な右会社の株券を担保にしたこと

(2)市農協定款によれば、長崎市内に居住する組合員或いは準組合員でなければ貸付けが出来ないのに、右の貸付制限区域外の東京都に本店を有する右後藤観光株式会社に貸付たこと

が任務違背と判示している。しかしながら(1)については市農協定款において、市農協が株券を担保に金の貸付することは認めており、株券担保は不動産担保に比して株価の相場の上下変動が激しく下落した場合は担保価値が無くなり、追証等確保すること等やや面倒であり、又株券発行会社が倒産した場合は株価値は無になる危険性がありやや不安定であるが、他面回転が早いこと、株の相場は一般的に把握しやすく、下った時は借受人から追加保証(追証と略称)を取ることが出来、追証が取ること出来得ない場合は担保株を売却処分して、資金回収が早いこと、一旦取得した担保株を転質等して農林中金、普通銀行等に再担保として使用が利くこと、不動産を所得しなくて株券のみ保有している一般需要家に対し広く融資の窓口を開くこと等々の利点があり、市農協においても昭和三八年春ごろから市農協の預金が七、八億に達する程預金が増加する一方適当な貸付先が無かったことから、株式等の有価証券類を担保に貸付先を探していて事実株券担保による貸付を実行しており、宮津に対しても有価証券類を担保に良い貸付先を探してほしい旨依頼していた程である。

なる程本件の後藤観光株式会社の担保株は店頭株で一流の上場株と異なり不安定ではあるが、新聞に株価が掲載されておる程のものであり、必ずしも担保として不適当なものではない。又諸規定、社会的通念に照らしても店頭株を担保にすることが任務違背となるものではない。要点は担保価値が十分であったか否かであり、これは所謂不良貸付であったかつまり市農協に損害を与える認識があったかに関するものである。

(2)については農協法定款によれば、組合は組合員のために組合員の事業又は生活に必要な資金の貸付を行うことになっており他面「組合員は当該農業協同組合の地区内に住居有する個人」と定められ(農協法一二条)長崎市農協では「組合の地区は長崎市一円」とされている(市農協定款第四条)から、右規定を杓子定規に運用すると組合員並びに準組合員(農民以外の者)以外の貸付は許されなくなる。

然しながら当時の都市農協、或いは大都市に近接する農協のあり方としては農協の各種の業務中金銭の貸付業務即ち金融機関としての機能が主となり、その他の農民等組合員に対しての物資の供給、共同利用施設の設置の業務は実質的に用は立たなくなっていたものである。

農協はその組織からして、預り金は多くなり、資金は莫大に保有しつつも、農民等組合員のみを対象に貸付していては、貸付額が少なく、剰余金が多く、これ等を農林中金やその他銀行に預金することになるが、これでは利息、利益金が少なく農協の経営が難しく、組合員に対しても他の銀行の利息等の収入以上の利得を与えることが出来なくなる状態で、だぶつく預金を如何に運用したら、組合員ひいては農協の利益になるかは非常に頭の痛い問題であった。近時都市農協或いは信用組合が例外なく同種合併又銀行等との異種合併を急いでいるのは農協が本来の目的とするところを遵守していては他の銀行等の金融機関の競争に勝てず又自ら組合の経営が出来ないことから、組織員の変化の実態に対応する以外生きのびる道はないことに基因したものである。

そこで市農協もこれを克服するには、農協法の本来の趣旨から脱して農民以外の者でも長崎市に居住している者に金融をなすに当っては、一部出資を仰いで便宜上準組合員として資格者となってから貸付等して採算を取る様にしていたものである。

然しながら、準組合員制度は当該本人に取って必ずしも有利な制度とは言えず次第に敬遠され勝ちになると同時に長崎市内では経済が比較的安定しておる上に、銀行等専門的金融機関が多く競争も激しかったことから、市農協に対しての大口借受者は少なかった。そこで市農協としては長崎市以外の居住者でも金融を要する人達がいれば、手続上の建前借受名義人が長崎市内の居住者であれば貸出しする方針にしており事実これを実行して市農協の経営をしのいで来ており、これはやむ得ないものとして組合員全員は承認していたものである。(現在の農協において区域外の居住者に金を貸付することは公然と行われている場合が多い)

そうだとすると本件については、借受名儀人が長崎市内に居住する山口孝彦等となっている以上、真実の金の使用者即ち借受人が長崎市外の会社であったとしても特に任務違背として問うべき筋合のものでない。

仮りにこれが規定からすると脱法的なものであったとしても、前述理由からして信義則上実質的な違法性はなく、いずれにしても背任行為と断ずべきものではない。

二、被告人大塚は市農協に対し損害を与える認識は全く無かったものである。

即ち被告人大塚は後藤観光株式会社の店頭株を担保に貸付をなしたものであるが、要は右貸付が回収不確実な不良貸付で貸付当時から被告人大塚において、市農協に対し損害を与える認識があったか否かであるところ、次の如き事情を考慮すると被告人大塚には、その様な認識即ち背任の故意がなかったこと明白である。

(1)市農協の嘱託である宮津から株式担保に貸付を依頼された時、右宮津から後藤観光株式会社のパンフレツト、中央新聞紙を提出させて検討したところ、右会社は土地造成やレジヤー等流行産業を中心にしたもので資本金も約二億円位となっており中央紙の株式欄では右会社の株は店頭株で一株五〇円の額面株式が当時一二五円位はしている旨掲載されており、加えて株等に明るい宮津の話を併せ考えると右会社の株が急に下落したり会社が潰れる様なことは絶対ないと確信されたこと

(2)右株の株価について、宮津の提出した中央紙の掲載によって調査したのみでなく、当時の長崎新聞、西日本新聞等を取寄せて確認し、貸付後も新聞で株価を確認して来たこと

(3)被告人大塚は以前自ら株屋を経営していたこともあって株についての知識も人並み以上に持っており、株価が下落の方向を取ればいつでも転売して債権の確保が出来、市農協に対して損害を与えるということは全く考えなかったこと

(4)店頭株は上場株に比較して不安定であったので株価の五乃至六掛の範囲内で担保価値を踏み当時の市農協の貸付課長木村俊次郎に対して貸付を指示していたこと、又一、七〇〇万円の貸付に当って一株一二五円の価格のある株式一九万八、〇〇〇株計二四七五万円相当を担保にとっていること

(5)右株式の他に後藤観光株式会社振出明糖食品株式会社裏書の額面一、五〇〇万円の約束手形をも担保にとっておりいつでも右手形は割引出来る状況であったこと

(6)貸付後、新聞によると株価が下がって来て一株一〇六円位となったので、被告人大塚は自ら上京し、右会社の代表者と話しをして右貸付のうち五〇〇万円の元金を返済させ、次に前記同様の株式二万二、〇〇〇株を追証として引渡させたこと

(7)株が更に下落したので、同会社所有の静岡県伊東市萩字城の木戸や同市十足字新山等以上の九筆の山林合計約一、〇〇〇坪を譲渡担保乃至代物の弁済で市農協に対し担保として所有権移転させた。

右土地は地目山林であるが、同会社が分譲地として売出すため確保していたもので少くとも五〇〇万円位の価値はあり、将来更に値上が予想されていたものであること

(8)右会社は倒産したが、その原因は設備投資に森脇の様な高利の無理な金融を受けていたこと、同業者のあおりを喰い手形が突然不渡になったことで同会社の社長後藤文二すらも以外と思う程の倒産であり、被告人等が仮りに調査してもこれは予測出来得なかったものであること

(9)右会社の倒産の報告を受けるや、被告人大塚は自らの危険における計算で市農協より四七〇万円の仮払いを受け、右会社が買付け一部支払金を残していた、静岡、横浜、鎌倉の原野宅地を残金を支払って買受け市農協に所有権移転を経由していること

等々である

右の一連の行為を総合検討する時、被告人大塚としては貸付当時将来貸付金の回収が不能となること等全く考えていなかったことが認められるのみならず、貸付後も市農協に損害を与えない様最善の努力したことが認定されるのである。

三、以上本件は背任罪と認めるに足る証拠はなく、無罪であるので直ちに破棄さるべきである。

以上

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