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福岡高等裁判所 昭和49年(う)105号 判決 1974年9月25日

主文

原判決を破棄する。

本件公訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人高木健康が差し出した控訴趣意書ならびに控訴趣意補充書に記載されたとおりであるから、これを引用し、これに対し次のとおり判断する。

弁護人の所論は、原判決の認定した事実は、被告人が七五キロメートル毎時の速度で普通乗用自動車を運転した、というのであるが、しかし、速度について、原裁判所が取調べた証拠によって直接明かになし得る主要な事実は、(一)、被告人が普通乗用自動車を運転して三〇メートルの距離を通過するに要した時間を測定したこと、(二)、その測定に用いた森田式速度測定器の表示管は一、四四を表示していたこと、の二点だけである。ところでこの一、四四の表示は、実際の時間一、四三七秒から一、四四七秒までの時間を特定できるに過ぎないのであるから、前記(一)、(二)の二つの事実からは、被告人運転の車両の速度は七五、一五六キロメートル毎時から七四、六三七キロメートル毎時までの間であったことが推認される。このことは、被告人運転の車両の車両の速度は七五キロメートル以上毎時であった可能性もあるが、同等の可能性をもって七五キロメートル未満毎時であったことをも示しているものである。従って七五キロメートル未満毎時の可能性を残しながら七五キロメートル毎時と断定することは、未だ確実に証明されていない事実を被告人の不利益に認定することとなり、刑事裁判の本質的証明法則に違うものとして到底許されるべきことではない。原判決には明かに判決に影響を及ぼすべき事実誤認がありかつ、公訴提起の手続がその規定に違反したため無効というべく、破棄のうえ公訴を棄却されるべきである、というのである。

よって記録を精査し、当審における事実取調べの結果をも参照して検討することとする。

本件公訴事実は、「被告人は、昭和四七年一二月一五日午後八時五三分ごろ、福岡県公安委員会が道路標識によって最高速度を五〇キロメートル毎時と定めた北九州市門司区西海岸二丁目五の二付近道路において、右最高速度をこえる七五キロメートル毎時の速度で、普通乗用自動車を運転したものである。」というのであり、原判決が略右公訴事実どおりの犯罪事実を認定したものであることは、所論の指摘するとおりである。

原審の取調べた証拠によると、(一)本件現場の道路は福岡県公安委員会が車両の制限最高速度を五〇キロメートル毎時と定めたものであること、(二)当日速度違反の取締りに当っていた井手英夫巡査らは、速度測定のための基線の長さ三〇メートルの距離をはさんで現場に設立されたA点およびB点(この三〇メートルの基線距離の設定については距離に十分の余裕をもたせるため約一〇センチメートル位多く測定して定めたものであるが、このことは被測定者の不利益に作用するものではない。)を設定し、被告人運転の普通乗用自動車がこのA点B点間を通過するに要した時間を自動的に測定する森田式速度測定器を用いて測定した結果、一、四四の数値を得たこと、(三)右一、四四の数値を速度換算表によって換算したところ七五キロメートル毎時の速度であったこと、(四)右測定当時、速度測定器の作動状態に異常はなかったこと、(五)右森田式速度測定器は製作の当初から機能的に実際の時間より、一秒について一、〇〇〇分の二秒ないし一、〇〇〇分の四秒進めて作動するように調整してあったこと等の事実が認められ、当審の事実取調べの結果によると、(六)前叙のA点およびB点にはいずれも道路を横断するように電線を敷設してこれを右測定器に連結して電気回路を作り、この間を走行する車両の通過所要時間を電気的、自動的に測定する方式になっていたこと、(七)右森田式速度測定器は、構造上機能的限界として、秒を単位として測定するが小数は二位止まりであること、(八)右測定器が一、四四を指示しているときの実際の時間は理論的に、一秒について一、〇〇〇分の二秒進めているときは、一、四三九七秒(小数五位以下の端数は切捨て、以下同様。)ないし一、四四八七秒であり、一秒について一、〇〇〇分の三秒を進めているときは、一、四三九五秒ないし一、四四八五秒であり、一秒について一、〇〇〇分の四秒を進めているときは、一、四三九四秒ないし一、四四八四秒であること等の事実が認められる。

そこで、前記認定の、本件速度測定の際に設定した基線距離三〇メートル、森田式速度測定器によって測定した数値一、四四を一秒について一、〇〇〇分の二秒、同様一、〇〇〇分の三秒、一、〇〇〇分の四秒とそれぞれ進めた場合の、理論的に割り出して得た実際上の前記各時間を用いて、被告人運転の車両の走行速度を算出するに用いるべき数式は、求める速度をSとし、理論上の実際の時間をtとすると、S=30m/t×60×60となり、この数式を用いて計算した結果は、

一秒について一、〇〇〇分の二秒を進めた場合は、七五、〇一五キロメートル(小数四位以下の端数は切り捨て、以下同様。)ないし七四、五四九キロメートル

一秒について一、〇〇〇分の三秒を進めた場合は、七五、〇二六キロメートルないし七四、五五九キロメートル

一秒について一、〇〇〇分の四秒を進めた場合は、七五、〇三一キロメートルないし七四、五六五キロメートル

となるので、右計算の結果から、被告人運転の車両の走行速度は結局七五、〇三一キロメートル毎時ないし七四、五四九キロメートル毎時の範囲内のうちのいずれかの数値による速度ということまでは特定し得ることとなる。しかしこの数値には幅があり、この幅の範囲をさらにこれ以上にせばめて、或一点の数値にまで凝集特定し得るように計算を推し進めることは至難というより、むしろ不可能に近い業という他はない。蓋し前叙のごとき測定の方式、設定された測定条件、測定器材の機能上の限界等から測定された数値一、四四には多くの制約が内在するのであり、この制約にかんがみるとき計数上右のごとき数値に幅の残ることを否み得ないからである。ともあれ目を転じて、当時の被告人運転の車両の走行速度について、事実認定の証明上問題となる点を望見すると、前叙の数値からは、(一)七五、〇〇〇キロメートル毎時以上七五、〇三一キロメートル毎時までの間の何れかの速度であり得た蓋然性と、(二)七四、五四九キロメートル毎時以上七五キロメートル未満毎時までの間の何れかの速度であり得た蓋然性とは、その間に逕庭がなく、いずれとも確定し難いところといわねばならない。

しかるときは、前叙のごとき測定結果に基づき被告人運転の車両の走行速度を七五キロメートル毎時と断定することは、七五キロメートル未満毎時の速度の蓋然性を残しながら、その蓋然性を消去する何等の証明手段がないのにこれを不合理に消去することとなり、犯罪事実の存否については確実な証明の必要、すなわち合理的疑を残さないまでに証明されねばならないとの動かし難い刑事裁判の原則に悖るもので、到底許されないところといわねばならない。(なお前叙のごとき条件ならびに測定器の機能のもとに測定されたものであっても測定値が一、四三を指示する場合は、七五キロメートル毎時の速度について、これを確実に証明し得るものであることはいうまでもない。)従って、被告人の本件車両の運転行為について、その走行速度が七五キロメートル毎時であった旨の事実を認定した原判決には、判決に影響を及ぼすべき事実誤認があったことを否み得ない。論旨は理由がある。

よって本件控訴は理由があるので、刑訴法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書の規定に従い、本件につきさらに自ら次のように判決する。

被告人の本件車両運転行為は、前叙のごとく道路標識により最高速度が五〇キロメートル毎時と指定されている道路を、その制限を超えて、少くとも七四、五四九キロメートル毎時の速度で運転していたことが明かであるから、道路交通法一一八条一項二号、二二条一項に該当するが、右違反の程度は、制限速度超過部分が二五キロメートルに達していないので、同法一二五条、同法施行令四五条によりいわゆる反則行為に該当することが明かであってかかる行為については、反則者は同法一三〇条の規定により、同条一号または二号の除外例に該当する場合を除いて、反則金納付の通告を受け、かつ通告を受けた日の翌日から起算して一〇日を経過した後でなければ、公訴を提起されない保障がある。しかるに、被告人に対しては、反則金の通告がなされたことは勿論、右期間経過の事実の立証もなく、また同条一号または二号の除外例に該当するとの証明もないので、最高裁判所昭和四八年三月一五日第一小法廷判決の判旨(判例集二七巻二号一二八頁)に徴し、結局本件公訴は、訴訟条件を欠くこととなり、公訴提起の手続がその規定に違反したため無効であるときに該当するといわねばならないから、刑訴法三三八条四号により、本件公訴はこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 藤野英一 裁判官 真庭春夫 裁判官池田憲義は差支えにつき署名押印することができない。裁判長裁判官 藤野英一)

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