大判例

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福岡高等裁判所 昭和49年(う)59号 判決 1974年5月20日

被告人 土井和

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は、すべて被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人石川四男美が差し出した控訴趣意書に記載されたとおりであり、これに対する答弁は検察官遠藤政良が差し出した「意見書」と題する書面に記載されたとおりであるから、これらを引用し、これに対し次のとおり判断する。

控訴趣意第二について(控訴趣意第一は「原判決の認定事実中二については異論はない。」というのであるから控訴趣意としての体裁をなしていない。)

所論は、原判決において、検察官が併合罪として起訴した各傷害の公訴事実につき、同時傷害罪に関する刑法二〇七条を適用し一個の傷害罪として認定したのであるから、審判の請求を受けた事件について判決をせず、または審判の請求を受けない事件について判決をした違法がある、というのである。

よって、原記録を調べてみると、昭和四八年一〇月三一日付起訴状記載の公訴事実は、

「(一)原審相被告人田毎正俊は昭和四八年一〇月二日午後九時ごろ久留米市六ツ門三一番地四〇の大勝館有料駐車場において、中牟田勝興(当三五年)の顔面を手拳をもって数回殴打し、(二)被告人は同日午後九時二〇分ごろ、同市津福本町松院寺一六五四番地四の横尾器械店横広場において、履いていたゴム裏草履をもって前記中牟田の顔面を殴打し、(三)原審相被告人田毎正俊、被告人は共謀のうえ、同日午後一〇時三〇分ごろ、大川市大字向島一九五五番地小坂岩喜方二階六畳間で、田毎において前記中牟田の顔面を膝蹴りなどし、次いで同人の片手を掴んでねじあげ、その場に押さえつけたまま被告人と田毎において、こもごも中牟田の背部、脇腰部、大腿部などを数回足蹴りし、更に被告人において、皮バンドをもって中牟田の頭部などを数回殴打し、

よって、同人に対し加療約二週間を要する全身打撲を負わせたものである。」(同年一二月二一日付訴因(罰条)の追加請求書をもって、予備的に((一)(二)の中その末尾の「殴打した」とあるを「殴打して暴行を加えた」と追加された。)とあり、罪名および罰名および罰条は「傷害、刑法二〇四条。(三)の事実につき刑法六〇条」と記載されているのであって(前示の訴因(罰条)の追加請求書をもって、予備的に「(一)(二)の事実、暴行、刑法二〇八条。(三)の事実、傷害、刑法二〇四条、六〇条」と追加された。)公訴事実は併合罪の通例の記載例のように第一、第二、第三と区別することなく、(一)、(二)、(三)と区別したうえ、最後に(一)、(二)、(三)の各暴行によって中牟田に対し前記傷害を負わせたものであると、暴行にもとづく結果を包括的に表示し、また本位的訴因に関する罪名も単一に傷害、罰条も単一の刑法二〇四条とのみ表示されているのである。

そればかりでなく、検察官西村数馬は、原審第一回公判期日において、公訴事実の(一)、(二)、(三)の各暴行によって加療約二週間を要する全身打撲を負わせたという趣旨であると釈明し、また原審第二回公判期日において、前記検察官は論告の中で、本位的訴因につき、原審相被告人田毎の(一)の暴行、被告人の(二)の暴行がいずれも単なる暴行にとどまったか、あるいは傷害を負わせたかを明らかにすることは困難である、しかし、続いて行われた両名共謀による(三)の暴行の前に中牟田の顔面が変形する程、腫れ上っていたことは明らかであり、右の(一)(二)の各暴行は、共に相手方の顔面を殴打し、しかも時間が近接しているので同時犯的要素の強い打撃である、そして(一)(二)の犯行が発展して両名共謀にもとづく、大なる(三)の攻撃に赴いたのであるから、(一)(二)の犯行を、大なる(三)の犯行に包括して評価することに不自然性は伴わないと述べていることが認められる。

以上の事実にかんがみると、検察官は本件公訴事実を包括的な傷害の一罪として起訴したことが明らかであるし、当審証人西村数馬の供述によっても更に右のことを確認できるのであり、原記録を精査し、かつ当審の事実取調の結果を検討してみても、右認定が間違っていることを疑わしめるにたりるものを発見することはできない。

従って、本件公訴事実が併合罪として起訴されたとの論旨は理由がない。

次に、原審が被告人に対し右公訴事実と同一の事実を認定したことは、原判決に照らし明らかであるから、原判決には審判の請求を受けた事件について判決をせず、または審判の請求を受けない事件について判決をした違法はない。

もっとも、原判決は右事実に対し、刑法二〇四条、六〇条のほか、起訴状には掲げられていなかった、同時犯の共犯例を定めた同法二〇七条の規定を適用しているけれども、罰条は訴因たる公訴事実を明確にするために記載されるにすぎないところ、前示のように訴因たる公訴事実は明確に記載されているのであるから、少くとも本件については裁判所に対し単に注意を喚起する程度の意味しかもたない刑法二〇七条の罰条の記載を欠いていても被告人の防禦に実質的不利益を生ずるおそれはないばかりか、前示のように、検察官は原審第二回公判期日における論告の中で、同時犯的要素の強い、小なる(一)、(二)の各暴行は大なる(三)の両名の犯行に包括して評価されると主張し、(一)、(二)のそれが同時犯として評価されることを明らかにしているので、原判決にはこの点でも違法はない。

以上のように、いずれの点を検討してみても、原判決には所論のような違法はなく、論旨は採用することができない。

控訴趣意第三について。

所論は、原判決において、原審相被告人田毎正俊と被告人により中牟田に加えられた三回の暴行につき同時傷害罪を適用したけれども、その適用があるためには二人以上の暴行は時間的、場所的に近接しているか、または同一機会になされたことを要するところ、右各暴行はこれに該当しないから、原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな法令適用の誤りがある、というのである

よって、検討するに、原判決挙示の関係証拠によると、次のような事実を肯認することができる。

(一)  被告人および原審相被告人田毎正俊の両名は昭和四八年一〇月二日午後七時ごろ大川市内でかねて知り合いの中牟田勝興(当時三五歳)に対し、四年位前から家出中の同人の妻が久留米市内のバーで働いているから、そこに連れて行き、会わせてあげるからと虚言を弄して中牟田を誘い出し、同人を田毎が運転し、被告人が同乗した自動車に乗せて同市内から久留米市に向け出発し、同市六ツ門在の大勝館有料駐車場に駐車して付近の酒場でともに飲酒した。ところが、同日午後九時ごろになると、田毎が帰宅する旨告げて駐車場に引き返したため、中牟田が憤慨し、「俺を馬鹿にしとらんか。」などと不平を言ったので、田毎において立腹し、同所で中牟田の顔面を手拳で三回位殴打したが、被告人は傍らに立っていた。

(二)  その直後、田毎は再び被告人と中牟田を同乗させて自動車を運転し、帰宅のため大川市内に向ったが、車中、同人が妻に会わせなかったことで、なおも不平不満を述べたので、同日午後九時二〇分ごろ同市津福本町横尾器械店横広場において三名とも同車を降りた。そして田毎が中牟田に文句を述べていると、傍らで聞いていた被告人は矢庭に自己の履いていた草履をもって中牟田の顔面を二、三回殴打した。

右の(一)の田毎の暴行、(二)の被告人の暴行の双方ないしいずれかによって中牟田の顔面は腫張し、皮下出血の傷害を受けた。

(三)  次に三名は前同様に乗車して同日午後一〇時ごろ大川市大字向島一九五四番地の小坂岩喜方に赴いたが、同家二階六畳の間において、田毎と被告人は、中牟田が更に「久留米さい連れて行ってもらったのに会わせんやった。騙したね。」などと言ったことに憤慨し、共謀のうえ、田毎は中牟田の顔面を一回膝で蹴った後、同人を押えつけてその背部、脇腹等を数回足蹴りにし、被告人はその腰部、大腿部等を三回位足で蹴った後、革バンドでその頭部を二、三回殴打した。

(四)  以上の(一)(二)(三)における各暴行によって中牟田に対し約二週間の加療を要する左右眼瞼部の皮下出血および腫張、口唇部の皮下出血および腫張、口腔部裂傷、右肩、左右前胸部、背部、右大腿部打撲傷等を負わせたのである。

以上の認定事実については、原記録を精査し、また当審における事実取調の結果を検討してみても、それが誤認であることを疑わしめるにたるものを発見することはできない。

ところで、田毎の(一)の暴行、被告人の(二)の暴行、両名の(三)の暴行の関係をみると、被告人、田毎の両名が中牟田を田毎運転の自動車に乗せて進行する過程において、それぞれ一旦下車したうえ(一)は同日の午後九時ごろ久留米市六ツ門、(二)は午後九時二〇分ごろ同市津福本町、(三)は午後一〇時ごろ大川市大字向島において、同一客体たる中牟田に対して暴行を加えたものであって、(三)の暴行後、中牟田において加療約二週間の傷害を受けていたことが判明したのである。そして(一)(二)の暴行は、いずれも中牟田の顔面に向けられたものであるが、(二)の暴行を終えた段階において顔面部に腫張などの受傷があったところ、少くともこれが田毎の(一)の暴行、被告人の(二)の暴行のいずれによって生じたか明らかでないのであるから、刑法二〇七条の適用があって、いわゆる同時犯にあたる行為として共同正犯の規定によって処断されるものといわねばならない。もっとも所論が指摘するように、(一)の暴行と(二)の暴行との間には、時間的に約二〇分の差、場所的に約二ないし三キロメートルの移動(当審証人福原広の供述による)があるけれども、本件は前記のように被告人、田毎の両名が田毎運転の自動車に中牟田を乗せて進行中に、それぞれ下車して(一)(二)の各暴行に及んだものであって、時間的、場所的に接続ないし近接した暴行というべく、しかも各犯行場所に被告人ら両名以外の者はいなかったのであるから、被害者の受傷が第三者の介在ないし被害者本人の自傷によって生ずることはありえなかったことをも考慮にいれるとき、前記の程度の時間的、場所的の隔りがあったとしても、(一)(二)の各暴行は相競合して敢行されたものと解して差支えなく、従って刑法二〇七条の適用があるといわねばならない。

そして、原判決は(一)(二)の暴行と、これにつづいて行われたところの、両名共謀による(三)の暴行にもとづく傷害を包括して、両名による一個の傷害罪があったとして、「刑法二〇四条、六〇条、二〇七条」を適用しているのであるから、原判決には所論のいう法令適用の誤りはなく、論旨は採用することができない。

控訴趣意第四について。

所論は、被告人に対する原判決の量刑が不当に重いというので記録を精査し、かつ当審の事実取調の結果をも検討し、これらに現われた本件犯行の罪質、態様、動機、被害結果、被告人の年令、性格、経歴および環境、犯罪後における被告人の態度、本件犯行の社会的影響など量刑の資料となるべき諸般の情状を総合考察すると、被告人は、原判示のように、昭和四八年一〇月二日、田毎と共に、中牟田勝興に暴行を加えて加療約二週間の傷害を負わせたほか、同月二三日吉田敏子(当時三二歳。原判決が「当三一歳」と記載しているのは誤記と認める。)に手拳や足で暴行を加えて加療約五日間の傷害を負わせたが、被害者らに落度はなかったこと、被告人は、粗暴犯の前科として、昭和四〇年五月暴行罪により罰金一万円、同四一年八月傷害罪により罰金一万五〇〇〇円、同四五年九月傷害罪により懲役六月、三年間執行猶予(同年一〇月一〇日確定)、同四六年一〇月暴行罪により罰金一万円に処せられ、中牟田に対する傷害の犯行は右懲役の執行猶予期間中に敢行されたものであること、被告人は飲酒すると乱暴を働く傾向をもち、本件も飲酒のうえの犯行であって、被告人には遵法精神の鈍麻が窺われることなどに徴すると、犯情は悪く、被告人の刑責が軽視できないのは当然といわなければならないのであり被告人が被害者らに対し各一万円の慰藉料等を支払い、被害者らも現在では被告人の処罰を望んでいないことなど所論が指摘する被告人に有利な情状を斟酌しても、被告人を懲役六月、五年間執行猶予に付した原判決の量刑は些か軽きに失するのであって、もとより不当に重いとは考えられないから、論旨は採用することができない。

よって、刑訴法三九六条により、本件控訴を棄却し、また当審の訴訟費用は同法一八一条一項本文に従い、これを被告人に負担させることとして、主文のとおり判決する。

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