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福岡高等裁判所 昭和49年(ネ)401号 判決 1977年5月17日

控訴人

西村好澄

右法定代理人親権者

父兼控訴人

西村勇夫

同法定代理人親権者

母兼控訴人

西村美和子

右三名訴訟代理人弁護士

松永保彦

外二名

中村尚達

峯満

被控訴人

長崎市

右代表者市長

諸谷義武

被控訴人

白井清夫

右両名訴訟代理人弁護士

藤原千尋

主文

本件控訴を棄却する。

控訴人らの当審における請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は控訴人らの負担とする。

事実

第一、当事者双方の申立

一、控訴人ら

1  原判決を取り消す。

2(一)  不法行為に基づく失明による損害賠償請求(被控訴人長崎市に対しては第二次請求、同白井に対しては第一次請求)

被控訴人らは各自、控訴人西村好澄に対し金一、四一四万一、七九九円とこれに対する昭和四二年一一月一六日から、控訴人西村勇夫に対し金一〇〇万円とこれに対する前同日から、控訴人西村美和子に対し金五六三万〇、九四七円とこれに対する昭和四四年七月二日から、それぞれ支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

(二)  債務不履行に基づく失明による損害賠償請求(被控訴人長崎市に対する第一次請求)

(一)項と同旨(但し、被控訴人長崎市に関する部分)。

(三)  治療を受ける権利侵害による損害賠償請求(被控訴人長崎市に対しては第三次請求、同白井に対しては第二次請求)

被控訴人らは各自、控訴人西村好澄に対し金五〇〇万円とこれに対する昭和四二年一一月一六日から、控訴人西村勇夫に対し金一〇〇万円とこれに対する前同日から、控訴人西村美和子に対し金一〇〇万円とこれに対する昭和四四年七月二日から、いずれも支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

二、被控訴人ら

主文と同旨

第二、当事者双方の主張

一、当事者双方の事実上の主張は、以下のとおり付加するほかは原判決事実摘示(但し、原判決添付別紙乙(一)表中、五月一二日の体重の欄に「一二八五」グラムとあるのは、「一三八五」グラムの誤記と認められるから訂正する)のとおりであるから、これを引用する。

二、不法行為に基づく失明による損害賠償請求に関する控訴人らの主張

1  注意義務の判断基準(原判決事実摘示第二の三の2項)について、次のとおり右主張を補強する。

医師は人の生命と健康を守るという職業の性格からして日々進歩する医学の水準に追いつくよう研究努力すべき義務がある。そして医学は自然科学であるから、洋の東西を問わず共通で普遍的なものである。しかして、右の医学水準も、当該医師の属する例えば長崎県といつた限定された地域における医学上の知識や技術の水準ではなく、また日本のみに限定すべきものでもなく、広く世界の医学水準によるべきである。

米国においては、未熟児保育の発達に伴い未熟児網膜症(以下、本症という)による失明児が激増して社会問題化したため、多くの学者や医師らによって原因究明のための研究が行われ、人体実験を含む尊い犠牲を払つた結果、昭和三〇年ころになつて本症が保育器によつて供給される酸素に原因があることが判明し、右の研究の成果は直ちに実際の医療に取り入れられ、酸素の使用は必要最少限度にとどめ、酸素の供給を厳密に管理するなどの方法をとつた結果、本症による失明は激減したのである。しかるにわが国では、厚生省も医師会も医療機器メーカーも、この米国における尊い犠牲と貴重な研究の成果を何一つ吸収しようとせず、保育器のみを輸入し、未熟児を含む新生児保育の万能的機器として安易に全国に普及せしめた。このような国や医師会、保育器メーカーの無策が日本各地に多くの本症による失明児を作り出したということができる。

わが国においても、眼科においては昭和二四年から、小児科においても昭和三〇年ごろから、一部の学者によつてすでに数多くの本症のあることが報告され、昭和三五年ころには、日本でも本症の発生が多くなつたので注意するよう強く全国の医師に呼びかけが行われ、昭和四二年当時には、別紙文献目録記載のとおり数多くの文献や学会における研究発表等により、すでに本症の発生機序、原因、鑑別、予防、治療方法などが明らかにされていた。それにもかゝわらず、日本の医師の多くはこのような貴重な研究による知識や技術をなんら現実の医療に取り入れようとせず、みすみす本症による失明児を作り出しているのである。このようにわが国の多くの医師が少くとも本症に関するかぎり、世界の医学、日本のトツプレベルの医学に追いつく努力を怠つている現状を前提に、被控訴人らが主張するような、わが国の一般小児科医の医療水準をもつて注意義務の判断基準とすることは不当である。

わが国においても昭和四二年当時すでに一部の病院や医師において、前記研究によつて得られた本症の発生原因、早期発見方法(眼底検査)、予防、治療方法などの知識や技術が現実の医療に実施されており、これについては前記のとおり多数の文献があり、その技術や知識は、被控訴人白井や長崎市民病院(以下たんに市民病院という)の眼科医である三島恵一郎ら一般の医師が学び取ろうとさえ思えば、わずかの努力によつて容易に修得できたはずであるから、右の知識や技術をもつて注意義務の判断基準とすべきである。

2  被控訴人白井の酸素補給管理上の過失(原判決事実摘示第二の三の3の(イ))につき、さらに次のとおり主張する。

未熟児に酸素を補給する場合、保育器内の酸素濃度を四〇パーセント以上に上げないことが本症発症の予防上重要である。したがつて、酸素の流量計のみしかなく、濃度計のない保育器は大変ずさんである。酸素の流量と保育器内の酸素濃度との相関関係は、保育器の型により、古さにより非常に差があるからである。本症についての知識ある医師や病院では、当時でも濃度計を保育器につけていた。また、保育器内の気温と未熟児の体温との差が摂氏1.5度以内のときが酸素の消費量が最も少くてすむ状況であり、また保育器内の温度を高めることも、それにより、乾いた酸素により気道粘膜を刺激して呼吸困難を惹起することを防止することができ、酸素量も少くてすむことになり、いずれも本症を予防するために必要な方法である。しかるに被控訴人白井は濃度計のない保育器を使用し、体温や気温や湿度にもほとんど注意を払わなかつたものであるから、同被控訴人にはかゝる点に過失があつたものである。

3  定期的眼底検査を怠つた過失(原判決事実摘示第二の三の3の(ロ))についてさらに次のとおり主張する。

昭和四二年四月当時、未熟児が入院中、必要に応じ、または定期的に、または退院時に眼底検査を実施していたものには、九州大学病院、国立岡山病院、天理病院、国立小児病院、横浜日赤病院および関西医科大学病院があり、また多くの学者や医師が、本症の早期発見、早期治療の必要上、小児科と眼科と協力して未熟児の眼底検査を実施するように、機会あるごとに関心を呼び起そうと努力していた。このようにわが国でも一部の病院では眼底検査を実施しており、眼科医による定期的眼底検査の必要を説く文献も多数あり、その知識技術を修得することは相当の努力によつて可能であり、しかも市民病院は本件訴訟提起後直ちに眼底検査を実施しているのであるから、当時これを実施しようと思えば容易に実施することができたはずである。よつてこれを実施しなかつた被控訴人白井には過失がある。

4  被控訴人白井の過失(原判決事実摘示第二の三の3項)にさらに次の主張(治療方法等を教示すべき義務の違反)を付加する。

被控訴人白井は、控訴人好澄に対し保育、医療を行うに当り、当時の医学の常識とされていた程度の、本症に関する検査、予防、治療方法等を保護者である控訴人勇夫、同美和子に教示すべき義務があるのに、これを怠つた。もし同被控訴人がこれを控訴人ら夫婦に教示し、しかも眼底検査により早期に発見しておれば、控訴人ら夫婦は控訴人好澄に適切な治療を受けさせ、失明を防止できていたかもしれないのである。

5  被控訴人長崎市の使用者責任(原判決事実摘示第二の四の1項)に次の主張を付加する。

被控訴人長崎市に雇傭され市民病院眼科に勤務していた眼科医三島恵一郎は、その職務上、本症の早期発見治療のためには小児科と眼科とが協力して未熟児の眼科管理(定期的眼底検査)が必要であることを知つていたにもかかわらず、このような措置をまつたくとらず、放置していたものであるから、右三島にはこの点に過失がある。したがつて、被控訴人長崎市は右三島の過失によつて生じた損害につき、民法七一五条によりその損害を賠償すべき責任がある。

三、控訴人らの被控訴人長崎市に対する債務不履行に基づく損害賠償請求

1  控訴人好澄の親権者である控訴人勇夫、同美和子は、昭和四二年四月七日市民病院の開設者である被控訴人長崎市との間に、控訴人好澄のためにする医療契約を締結した。右は控訴人好澄との被控訴人長崎市間に成立した準委任契約或いは控訴人勇夫、同美和子と同被控訴人間に成立した第三者のためにする準委任契約に相当する。そしてその医療契約上の同被控訴人の債務の内容は次のとおりである。

(一) 未熟児である控訴人好澄を市民病院小児科に入院させたうえ、体温を保存し、温度を調節し、呼吸困難を除去するために保育器に収容して全身管理を行い、生命を救助すべく最善の努力をすること。

(二) 保育器によつて酸素を供給する場合は、脳性麻痺や本症の発生のおそれがあるから、これを防止すべく最善の注意を払いつつ保育器の管理を行うこと。なおその注意義務の内容は、不法行為に基づく損害賠償請求中の被控訴人白井および三島恵一郎の各過失における注意義務とは同一である。

2  被控訴人長崎市の履行補助者として右債務の履行に当つた小児科医の被控訴人白井と眼科医の三島は、前記注意義務を怠り、そのため控訴人好澄をして本症のため失明させるとともに脳性麻痺に罹らせた。この重大な障害は現代医学ではもはやもとの健康体に戻すことは不可能である。

3  よつて被控訴人長崎市は右債務の不完全履行によつて控訴人らに生じた損害を賠償する責任がある。そしてその損害は同被控訴人に対する使用者責任による請求における控訴人らの損害と同一である。

四、控訴人らの被控訴人らに対する治療を受ける権利の侵害による損害賠償請求

仮に被控訴人らにおいて、控訴人好澄の失明に基づく損害に対する賠償責任がないとしても、被控訴人らには控訴人好澄の治療を受ける権利の侵害に基づく損害を賠償すべき責任がある。すなわち、控訴人好澄は市民病院に入院中に本症にかゝり、次第に悪化していつたのであるが、主治医たる被控訴人白井は定期的に眼底検査を実施して本症の発生を早期に発見すべき義務があり、また本症を発見した場合には、その保護者である控訴人に対し、その病状を説明するとともに、その治療方法を教示して、控訴人好澄に対しその当時における最も適切な治療を受けさせるべき義務があつた。そして当時における最も適切な治療方法としては、(1)光凝固法、(2)ステロイドホルモン投与、(3)ACTHの投与などがあつた。しかるに、被控訴人白井は本症の早期発見方法である眼底検査を行わなかつたため本症の発生を発見できず、したがつて、控訴人ら夫婦にその病状を説明することも治療方法を教示することもできず、そのため控訴人好澄は前記治療を受ける機会を失つてしまつた。これは同控訴人の有する治療を受ける権利の侵害である。

国民は、憲法二五条により健康で文化的な生活を営む権利を、また同法一三条により生命、自由及び幸福追及の権利をそれぞれ保障されており、その健康な生活を営む権利には、医師に診察、治療を求める権利が含まれるものと解することができる。また医師は医師法一九条により国民からの診察、治療の求めに応ずべき義務が定められており、その反面解釈として、国民には診察、治療を受ける権利のあることが明らかである。この権利は国民固有の基本的人権であり、患者と医療機関との医療契約によつて具体的な権利となつて現れるものである。

控訴人好澄がこの治療を受ける権利の侵害によつて被つた苦しみは筆舌に尽し難いものであり、死亡と同程度の苦しみである。そして、このように死亡にも匹敵するような権利侵害の場合は、父母も本人とともに固有の慰藉料請求権を有するものと解すべきである。そしてその慰藉料額は主たる請求におけると同額が相当である。

控訴人らは、被控訴人白井に対し不法行為(民法七〇九条)に基づき、被控訴人長崎市に対し不法行為(同法七一五条)および債務不履行(不完全履行)に基づき右慰藉料を請求するものである。

五、控訴人らの主張に対する被控訴人らの答弁および主張

1  当審における債務不履行に基づく請求の追加は時機に後れた攻撃方法の提出であるから民訴法一三九条によつて却下を求める。すなわち、控訴人らは原審においては一貫して不法行為による損害賠償請求を求め、審理もこれを中心に行われ、当事者双方もこれについては攻撃防禦を尽してきたのであり、原審の四年有余にわたる審理期間中に、控訴人らにおいて債務不履行に基づく請求を追加しようと思えばいつでも追加できたはずであるのにこれをしなかつた。もし、本訴請求に右請求を追加すれば、当事者適格、挙証責任、過失相殺、時効などの点で防禦方法に多大の影響を生じ、訴訟の完結を著しく遅延せしめることは明らかであるからである。

2  控訴人らの主張二項の主張事実はいずれも否認、もしくは争う。同三項は、1の事実中控訴人好澄の親権者である同勇夫、同美和子と被控訴人長崎市との間に医療契約を締結したことは認めるが、その内容は控訴人ら主張のような具体的なものではない。この契約は一般に患者が医師に対し、患者の病的症状を医学的に解明して貰い、それに対する治療行為を求める旨の事務処理を委任するものであり、医師はその当時の医学水準に照らして当然とるべき診察、診療の方法をとることを承諾することによつて成立するものと解する。そして被控訴人長崎市がその義務を完全に果していることは既に述べたとおりである。同四項の主張は否認する。

3  過失および債務不履行の違法性の判断基準について、一般に医師は、国民の健康な生活を確保する重要な職業であるから、その業務の性質に照らして高度の注意義務があるが、しかし医師の診療上の注意義務は普通の医師が具えるべき学問的、技術的能力の一般水準を基準として判断すべきである。一般的医学水準は「学問としての医学水準」と「実践としての医療水準」とに分けることができ、前者は将来において一般化すべき目標のもとに現に重ねつつある基礎研究水準であり、後者は現に一般普遍化した医療としての現在の実施目標ということができ、前記判断基準は右の後者の水準を基準とすべきである。控訴人らの主張する「世界の医学水準」が世界の医学先進国の最高の医学水準をいうのであれば、それは理想論であり、現実に立脚しない空論というほかはない。

4  しかして仮に、控訴人主張の医療契約上の債務があつたとしても、被控訴人長崎市は、右契約上の診療債務を履行補助者である小児科医である被控訴人白井をして履行させ入院中いくたびか死の危険に直面した控訴人好澄に対し、当時の小児科医療の水準に照らして決して劣らない、被控訴人白井の有する医学知識と診療技術を十二分に駆使して医療行為を行い、右契約上の債務を完全に履行したものである。その履行行為の具体的内容は原判決理由の二項に記載のとおりであるから、これを引用する。

第三、証拠関係<略>

理由

一控訴人好澄の失明、市民病院における酸素療法

控訴人好澄の失明とその原因、市民病院における同控訴人に対する保育医療上の措置と同控訴人の生育経過の概要については、原判決がその理由一、二項に説示するとおりであるから、これをここに引用する。当審において取り調べた証拠はいずれも右認定をなんら左右しうるものではない。

二未熟児網膜症について

本件訴訟におい提出された書証および当審における日本医師会に対する調査嘱託の結果中、本症に関する論文、講演記録(これらの抄録を含む。但し抄録と論文や講演記録と両方ある場合は抄録の方を除外する。)、学術書は別紙文献目録記載のとおりである。(以下これらの文献を引用するときは右の目録の番号により「文献( )」のように引用する。なお右書証の成立についてはいずれも当事者間に争いがない。)。右の各文献および<証拠>を総合すると、本症に関して次の事実を認めることができ、他に右認定を左右しうる証拠はない。

1  本症の病態

本症は、主として未熟児(母子保険法六条六項によれば「身体の発育が未熟のまま出生した乳児であつて、正常児が出生時に有する諸機能を得るに至るまでのもの」と定義されているが、こゝでは、一般に出生時の体重が二、五〇〇グラム以下のものをいう。)に発現する眼の網膜の疾患であり、その病態は、後記のオーエンスの分類に従つて、ほぼ次のような段階的経過をたどるものといわれている。

(一)  活動期

(1) 第一期(血管期)浮腫状に混濁した明らかな無血管帯が網膜周辺に存在し、発育が完成していない血管の先端部における分岐過多(異常分岐)や異常な怒張や蛇行が認められる。

(2) 第二期(網膜期)明らかな無血管帯と、それより後極側で血管の怒張、蛇行、新生血管の認められる部分との間に境界線が認められる。無血管帯は青白ないし黄白色を呈して浮腫がみられ、浮腫の発生によりさらに血管の圧迫が起り、境界線は次第に後極に向つて進行する。

(3) 第三期(初期増殖期)初期では新生血管が硝子体内に侵入し、新生血管からの滲出物が硝子体内に認められる。このころから後極部に軽度の動脈の蛇行、静脈の怒張があらわれる。中期に入ると、血管は間葉系組織を伴つて硝子体内に侵入し、増殖性変化が著明となり、新生血管からの滲出も強くなり、出血がほとんどの例に見られる晩期になると、間葉系組織は提防状に硝子体内に増殖し水晶体後面に近づけば徹照しただけでも白色塊が認められる。このころには、視神経乳頭上から動脈の蛇行、屈曲、静脈の強い拡張が明らかになる。やがて周辺部網膜は剥離を起してくる。

(4) 第四期(中等度増殖期)増殖性変化、網膜剥離はさらに著明になり、虹彩が水晶体前面と癒着し始め(虹彩後癒着)、散瞳剤を点眼しても散瞳しなくなつてくる。

(5) 第五期(高度増殖期)網膜は全剥離の状態となる。

(二)  回復期

右の病変がある時点で停止し、自然治癒に向つて反転進行する時期。本症は自然治癒傾向の旺盛な疾患であつて、活動期第一期、第二期までで自然治癒するものが大部分であり、活動期第二期までに治癒したものは殆んど痕跡を残さないが、それ以上進行したものは増殖性病変の程度に応じて視力に重大な影響を与える瘢痕性病変が残る。活動期第四期、第五期まで進んだものは失明かこれに近い準盲状態となる。

(三)  瘢痕期

回復期の反転進行した病状が固定化する時期をいい、その程度によつて一度から五度に分けられ、三度以上ではもはや日常生活に必要な視力は得られず、四度以上ではいわゆる後水晶体線維増殖(眼の水晶体後方に血管を伴う組織増殖のある状態)の状態を呈する。

そして、病状が以上のとおりの経過で段階的に進行し、比較的緩徐な経過をたどり、自然治療傾向の強い型のものと、いわゆるラツシユタイプといわれるものがある。主として極小低出生体重児に発症し、未熟性の強い眼に起るものであり、初発症状は、血管新生が後極により起り、耳側のみならず鼻側にもみられることがあり、無血管帯も広く、後極部の血管の蛇行や怒張も著明となり、滲出性変化も強く起り、前記のような段階的経過をとることは少く、比較的急速に網膜剥離に進む。自然治癒傾向も少く、予後不良であり、数回にわたる光凝固等による努力も空しく失明に至ることも稀ではない。

2  本症の歴史的背景

本症は、一九四〇年(昭和一五年)前後から、未熟児の保育管理の技術が普及発達した米国をはじめ欧米先進諸国で発生しはじめ、その特異な末期病像、すなわち未熟児の眼の水晶体後部に血管を伴う組織増殖がみられるところから、一九四二年(昭和一七年)に米国ボストンの眼病理学者テリーによつて「後水晶体線維増殖症(Retrolental fibroplasia)」と名付けられた。その後米国などにおいて本症によつて失明する乳児が急激に増え続け、重大な社会問題となつた。はじめは先天性異常などと混同していた眼科医や学者たちは、ことの異常さに気付き、なんらかの後天的な原因によるものではないかと考え、その原因究明のため精力的な調査、研究を開始した。まず、一九四〇年代も終り近くなつて、オーエンスらが多数の未熟児の眼底を出生後から持続的に検査した結果、後水晶体線維増殖症は、この疾患の瘢痕化した末期の病像にすぎず、実はその前に前記のような多彩な活動期の病変が先行することを明らかにし、ここに本症の全体的病像がほぼ明らかにされた。一方、その原因についても多くの医師や学者らが種々の臨床的研究を進め、様々な見解があらわれた。先天的因子によるとするもの、未熟児に対して使用する鉄剤、粉乳、電解質、輸血などが関係するとするもの、ビタミン欠乏説、ウイルス感染説、ホルモン欠乏説、発育の未熟な網膜を光にさらすことによつて発病するとするもの、などがそれである。しかし、一九五一年(昭和二六年)ごろから次第に未熟児に使用される保育器内の酸素に関係があるとする考え方が有力となり、一九五二年(昭和二七年)ごろから行われた大がかりな疫学的な研究や動物を使った実験的研究などにより、保育器によつて投与される過剰な酸素が本症の発症と進行に関係のあることが明らかとなり、その結果一九五五年(昭和三〇年)、米国の眼耳鼻科学会のシンポジウムにおいて、未熟児に対する酸素の投与は濃度四〇パーセント以下とし、投与量はできるだけ制限すべきであるとの勧告がなされ、これが次第に普及していつた結果、その後の本症の発生数の減少は劇的なものであり、一九五七年(昭和三二年)ごろには本症の流行的発生は事実上終りを告げるに至つた。

一方、わが国においては、幸か不幸か当時は戦中戦後の混乱期にあつて、未熟児に対する保育管理技術が普及発達していなかつたため、米国などにおける前記のような本症の恐るべき大量発生という悲惨な体験をせずにすんだのであるが、わが国においても、昭和二八年ごろから保育器による未熟児の保育管理が行われるようになり、経済復興による医療事情の改善に伴い低体重未熟児の生存率が次第に向上するにつれ本症の発生がみられるようになつた。わが国では、当初保育器自体の性能が劣つていたこと、欧米諸国における前記のような貴重な体験を生かして、酸素濃度を四〇パーセント以下に保つなどの制限がなされたことによつて、失明に至るような重症例があまりみられず、したがつて、本症にあまり関心がなかつたこともあつて、眼底検査等による本症の活動期の症例の発見、研究が行われなかつたため、本症例についての報告がほとんどなく、もはや本症は、わが国では発生していないものと考えられていた。もつとも、わが国においても、一部の学者により後水晶体線維増殖症に関する研究が早くから行われ、昭和二四年ごろから、散発的ではあるがその症例報告等が文献にも現れるようになつた。しかし、当時は前記のように眼底検査等による初期(活動期)症状についての研究がなされておらず、瘢痕期なつてはじめて発見されたという症例がほとんどであり、そのため当時の症例報告の大部分のものは現在でいう未熟児網膜症ではなく、本症と瘢痕病像がよく似た他の先天性網膜異常などと混同されて報告されていた疑いが強く、なかには本症と先天性の網膜剥離症とはその末期症状がよく似ているところから、これを総称して後水晶体線維増殖症というとするものもいた。そして、はつきり本症の症例と思われる報告がなされるようになつたのは昭和三五年以後のことであり、その数はそれほど多くはなかつた。

このようにして、欧米においてもわが国においても、本症はもはや過失の疾患としてほとんど関心が払われなくなつていたのであるが、一九六〇年(昭和三五年)ころから、酸素療法の切りつめによつて本症の発生は減少した反面、呼吸窮迫症候群による死亡や脳性麻痺が増加していることが指摘され、むしろこのような呼吸窮迫症候群については高濃度による酸素療法の必要性が強調されるようになり、再び本症の発生の増加の危険性が指摘された。そしてわが国においても同様に酸素制限の行き過ぎを戒める主張がなされ、未熟児保育医療の進歩による低体重未熟児の生存率の向上とあいまつて、本症の発生数は次第に増加していつたと思われるが、前記のように眼底検査による本症発見の方法が普及していなかつたため、本症の発症例の報告は非常は少かつた。しかし、昭和四〇年一一月から国立小児病院で、小児科と眼科の協力による未熟児の眼科的管理(眼科医による定期的眼底検査)が行われるようになり、昭和四一年秋には同病院の眼科の植村恭夫、小児科の奥山和男両医師による共同研究の結果が発表され、日本においても、酸素の制限がなされてもなお本症が発生し、年々増加していることが明らかにされ、同時に早期発見のため未熟児の眼科的管理の必要性が強調されて、関係の医師や学者らの注目を引き、再び本症に対する関心が払われるようになつた。米国においても昭和四二年ごろから、再び本症が見直され、酸素制限にもかゝわらずなお発生する本症の研究に取組むようになつた。また、わが国でもごく一部の病院では直ちに未熟児の眼科的管理を始め、本症の原因、病理、治療法などに関する研究が行われるようになつた。とくに昭和四二年奈良の天理病院の永田誠医師により、それままでほとんど確実な治療法のなかつた本症について、世界で最初に、光凝固による治療法が試みられて成功し、なお研究の余地は残されているとはいえ、一応本症に対する唯一の有効な治療方法として注目されるに至つた。このように、その後、本症に関する目覚ましい研究の進歩があつたにもかゝわらず依然わが国における本症による失明児の出現は跡を絶たない現状である。

なお、「後水晶体線維増殖症」という名称は、前記のとおり、本症の末期の病像、すなわち眼の水晶体の後部に血管を伴う組織増殖が起るところから名付けられたものであり、眼の網膜の疾患である本症の実態をあらわす名称としては適当ではないとして、ソースビーが、“Retinopathy of prematurity”の名称を提唱し、わが国でも昭和四一年に前記植村恭夫医師により、その邦訳語である「未熟児網膜症」の名称が提唱され(文献(54))、その後これが一般に使用されるようになつた。しかし、最近わが国の小児科学会において、本症が稀ではあるが成熟児にも発症する例があること、本症の主たる原因が網膜の未熟性にあることなどの理由から、「未熟網膜症」の名称を使用することとされた。しかし、眼科学会等では、依然として「未熟児網膜症」の名称が使用されているようである。

3  原因

(一)  酸素との関係

前記のとおり、当初は、本症の発生原因について種々の見解が発表されたが、現在では、保育器中の酸素が原因ないし誘因であるとする酸素説が最も有力視され、その余の説は否定的に解されている。そして、同じ酸素が関係するとする説にも二とおりあつて、高濃度そのものが原因であるとする酸素中毒説と、高濃度環境に慣れた未熟児が酸素濃度の低い大気中に移された際に起る相対的低酸素状態が本症の発生に関係するとする相対的低酸素説とがあつて、本件の発生した昭和四二年当時はどちらかといえば相対的低酸素説の方が有力視されていたが、現在ではむしろ酸素中毒説がとられ、相対的低酸素説は否定的に解せられている。このように本症の発生には高濃度の酸素が関係することが疫学的には明らかにされたが、酸素がどのような機序によつて本症を発生させるかということについては現在においても十分な解明はなされていない。ただ一応次のようなことは明らかにされているようである。すなわち、未熟児の有する発育の未熟な網膜血管は、血液中の高濃度の酸素に敏感に反応し、血管の収縮が起きる。成熟した網膜血管であれば、酸素の濃度がもとに戻れば、血管の収縮もまたもとの状態に戻るのであるが、発育の未熟な網膜血管の場合は、ある程度その時期が継続すると血管の収縮から血管の閉塞をもたらし、究極においては血管の崩壊、破線をきたすという不可逆性変化を起し、次いで続発性変化として血管の増殖性変化を起すに至るといわれている。しかし網膜血管がなぜ酸素に対してこのような反応を示すかなどについては現在なお解明されていない。

(二)  未熟児側の要因

まず、出生時体重一、六〇〇グラム以下、在胎週数三二週以下のものに本症の瘢痕期症状にまで進むものが圧倒的に多く、それ以上のものでは可逆性病変がみられても自然治療するものがほとんどであるといわれる。また、本症は反復する無呼吸発作に対し酸素療法が行われた例に最も多く発生し、次いで呼吸窮迫症候群に多いとされ、右の反復する無呼吸発作は出生時体重の小さな未熟児に起りやすく酸素投与期間も長期になりがちであるといわれている。また、網膜血管の未熟なものほど(網膜の鋸歯状縁との間の無血管領域の広いものほど)、血管の酸素に対する反応が強く、網膜血管の未熟性は個体差が甚だしいが、一般に出生時体重の小さいものほど、在胎週数の少いものほど強いといわれている。

(三)  発生頻度

本症例の約九八パーセントが未熟児であり、出生時体重一、八〇〇グラム未満もしくは在胎週数三二週未満が八〇パーセントを占め、約二パーセントに成熟児の症例があり例外的少数(一パーント以下)であるが酸素治療を受けていない例もあるといわれる(文献(89))。その発生に関する統計は、別紙文献中にも多数発表されているが、調査対象が少いせいか、調査方法の違いか、保育方法などの相違のためか、その数値にかなりの差があるが、右文献中最も調査対象数の多い文献(89)一三七頁以下の統計(昭和四二年三月から昭和四八年一〇月まで関西医大未熟児センターにおける四六六例を対象としたもの)によれば、次のとおりである。

まず、全体の本症の発生率は15.7パーント、発症時期は生後二週間から一三週間に及び、全体の八四パーセントが生後四週間から八週間の間に発症している。出生時体重別、在胎週数別の発生状況は別紙(1)、(2)表のとおりであり、出生体重の少いものほど、また在胎週数の少いものほど発症率が高く、重症例の割合も多い(光凝固は活動期第三期以上に進行するものに施行されるので、その数によつてわかる。)また、酸素投与期間との関係では、発症例の投与期間は一週間から二カ月に及ぶが、二週間以上のものに発症例が多くなつており、著者は本症発生の最大要因は酸素投与期間と相関があると述べている。なお、当審証人梶利一の証言では、日赤産院における昭和四四年から昭和四九年まで一、三〇〇例を検査対象とした統計では、酸素投与期間が二二日から二八日までの発症率が27.3パーセント、二九日から三五日までは71.4パーント三六日から四二日までは85.7パーセントになつているという。

4  治療および予防法

前記のとおり、本症の病態は、酸素による網膜血管の収縮閉塞とそれに続く血管の異常増殖であるから、本症に対しては、網膜血管の不可逆的な閉塞をいかにして防ぐか(予防)、それが防止できなかつたときは、右の増殖性変化をいかにしてくいとめるか(治療)が問題となり、前者は酸素投与法の問題であり、後者は薬物により増殖性変化を抑制する方法、光凝固法など新生血管を含む異常な網膜を破壊しようとする方法がある。

(一)  予防

前記の本症の発生原因(二、2項)からすれば、未熟児に対する酸素投与を最低限に抑制することが、本症予防の原則であることは明らかである。そして、たんに酸素の濃度を制限するだけでなく、その投与期間も必要最少限度に短縮する必要があるといわれる。しかし酸素をあまり切りつめると、呼吸窮迫症候群による死亡や脳性麻痺などが増えるといわれ、そして本症の発生には酸素の環境濃度よりも血液中の濃度が関係するのであり、呼吸障害があるような場合は呼吸による酸素吸収能力が劣るため、高濃度の酸素を与えてもその割に血液中の酸素濃度は上らないから、このような場合にはむしろ四〇パーセントを越える高濃度の酸素を与える必要があるといわれている。そこで血液中の酸素濃度を測定する方法も考えられているが、現在一般に行われている間欠的な測定法では、刻々に変化する血液中の酸素濃度を追跡できず、酸素量調節のための的確な指針とはならないとされている。もつとも血液中の酸素濃度を持続的に測定する方法も開発されてはいるが、その機械が極めて高値で、入手困難であり、わが国でもごく一部で試みられているにすぎない。また、高濃度の酸素が一定期間継続することにより血管の収縮が復元せず不可逆的変化を起すところから、間欠的に高濃度の酸素を投与する方法も研究されている。また、相対的低酸素説がとられなくなつたため、従前酸素濃度は徐々に下げなければならない、酸素投与中の不適当な中断、中止は危険であるとの考え方は現在はとられなくなつた。

(二)  治療

本症に対する薬物療法(ACTHの投与、副腎皮質ホルモン投与)の効果については現在は否定的に解されている。前記のとおり本症の初期症状における自然寛解率が非常に高いため、薬物使用例の症状の進行停止が薬効によるのか自然寛解によるのか不明であり、また活動期第三期以上に進行したものについては効力はないので、その治療効果には大きな期待はもてないとされ、むしろその副作用の方が問題視されている。また、本症の初期の症状が現れたら再度高濃度の酸素環境に戻してから徐々に濃度を下げていく方法が相対的低酸素説を根拠に主張されていたが、相対的低酸素説がとられなくなつた現在では、右の方法はもはや効力がないとされている。これに対し、網膜の増殖性変化を阻止する治療法として現在最も有力視されているのは光凝固法や冷凍凝固法である。これは進行しつつある網膜及び血管を破壊して増殖傾向を阻止する方法であり、その治療の時期と方法を誤らなければ本症に対する最善の治療法とされている。しかし、比較的急速に症状が進行する前記のいわゆるラツシユタイプの場合ではその適応時期を失することが多く、また治療後、その未熟児が成長した後に治療そのものによる悪影響の発現を心配する向きもあり、全く問題が残されていないわけではない。

このように、本症は、その初期の段階までに発見されないかぎり治療方法はない(光凝固法も冷凍凝固法も活動期第三期の初期までに施行されないかぎり効果はないとされている。)、から、その早期発見のために定期的眼底検査が必要である。

三市民病院における医療体制

市民病院は、被控訴人長崎市が設置、管理する総合病院(院長前田実)であり、被控訴人白井は昭和四二年当時被控訴人長崎市に雇傭されて、医師として同病院小児科に勤務し、控訴人好澄が入院中同人の診療を担当したものであることは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば次の事実が認められる。

1  控訴人好澄が収容されていた未熟児室は、同病院二階の混合病棟(内科、外科、産婦人科、未熟児室)にあり、担当医師である被控訴人白井のほかもう一名の小児科医がおり、看護婦は、右病棟の看護婦長のほか未熟児室に関与する看護婦が七、八名いて、一日三交替制で勤務し、常時少くとも一名の看護婦が未熟児の看護に当つていた。当時未熟児室には三個の保育器があり、原則として同病院産科で生れた未熟児を収容するが、余裕があれば外部からの未熟児も収容することにしており、多いときは三個とも保育器に収容していたこともあり、少いときには一名もいなかつたこともある。同病院小児科では昭和三十七、八年ごろから保育器を使用して未熟児を保育するようになつたもので、当時使用されていたのはⅤ五五アトム未熟児保育器カハン型と称する閉鎖式保育器であり、これには供給する酸素の流量を測定する流量計は取り付けられていたが、保育器内の酸素濃度を測定する濃度計は備付けられていなかつた。しかし昭和四二年四月末ごろになつて外国製の濃度計が同病院小児科に入つた。

2  同病院小児科では、右の未熟児のほかに約二〇名くらいの入院患者(一五才以下)を収容しており、そのほかに外来患者の診療もしていた。当時被控訴人白井が原則として月、水、金曜日に、他の医師が火、木、土曜日にそれぞれ外来患者の診療を担当し、外来患者を担当しない日に未熟児を含めた入院患者の診療に当ることにしていた。患者の状態に別条のないときは、医師は一日一回未熟児を含む入院患者を回診するだけで、そのほかの時間は看護婦が常時未熟児を監視しており、異常があれば直ちに医師に報告して指示を受けることになつていた。未熟児に供給する酸素の調節なども医師の指示に従つて主として看護婦が行つていた。

3  同病院の眼科は一階にあり、三島恵一郎が医師として勤務していた。当時は眼科と小児科が協力して、未熟児に対する眼科医による定期的眼底検査を行うような体制はとられていなかつた。ただ小児科の外来と病棟にはそれぞれ一個ずつ直像眼底鏡が置かれていて、被控訴人白井も、ときどきこれを使用して患者の眼底を見ることはあつたが、これは主として感染症等を発見するためのものであつて、未熟児について本症の発生の有無を調べるためのものではなかつた。その後、本件が発生したこともあつて、小児科の方でとくに必要と思われる未熟児については同病院眼科を受診させ、眼底検査を受けるようにし、昭和四五年ごろからは、眼科医が小児科の未熟児室に来て、定期的に全未熟児について眼底検査を行う体制がとられるようになつた。

4  未熟児の退院は、小児科医長である被控訴人白井の指示に基づいて行われ、退院の際には保護者に対し退院後の養育上の注意などの指導をしていた。右の指導は、被控訴人白井がいるときは同人が、いないときは婦長またはその他の看護婦が行い、その際には、異常があつたら直ちに病院に来ること、異常のないときでも一か月に一度は同病院を訪れて診察を受けるように指示していたし、また婦長や看護婦にもそのように指示するよう指導していた。

以上の事実が認られ、右認定を左右しうる証拠はない。

四控訴人好澄の失明と市民病院における酸素投与との因果関係。

先に引用した原判決理由二項に認定のとおり、控訴人好澄は出生時体重一、四〇〇グラム、在胎週数三一週未満のいわゆる極小未熟児といわれるものであつたこと、前認定のように、右のような極小未熟児の場合は、他に比較して酸素投与による本症の発生率が非常に高く、また失明や視力障害を伴う重症例が多いこと、稀には酸素投与を受けないものにも本症の発生する例はあるが、そのほとんどは初期症状(活動期第一、二期)の段階で自然治癒しており、失明に至るような重症例はほとんどないこと、また、酸素投与期間についても右原判決理由によれば延三二日という異例に長期間であつたというのであり(当審における被控訴人白井清夫本人尋問の結果によれば、出生時体重一、四〇〇グラムくらいの未熟児の場合は普通二週間ぐらいの酸素投与で落着くのであるが、本件の場合は、非常に重篤な経過をたどつたため、異例に長期間酸素の投与が行われたものであることが認められる)、さきに認定したところによれば、右のような長期間酸素を投与した場合の本症の発症率は極めて高率であること、他に本件失明の原因となりうるものが認められないこと、などの事情を綜合すれば、控訴人好澄の失明は市民病院における本件酸素投与によつて惹起された本症によるものと認めるのが相当である。そして、前記二の3の(三)に認定したところによれば、控訴人好澄の本症の発生は、少くとも同人が市民病院に入院中(九〇日)であつた可能性が強いといわざるをえない。以上の各認定を左右しうる証拠はない。

五被控訴人白井の過失について

1  予見義務違反について

<証拠>によれば、被控訴人白井は、控訴人好澄の診療に当つた昭和四二年当時は、本症(当時は「後水晶体線維増殖症」と称せられていた)の存在、および本症が未熟児に投与される酸素と関係があること、本症の予防方法としては、未熟児に酸素を投与する際に保育器中の酸素濃度を四〇パーセント以上に上げないこと、濃度を下げる際には急激に下げると危険であるから、徐々に下げて大気中に戻すことが重要であり、酸素濃度が四〇パーセントを超えると本症発生の危険があるが、右のような予防方法をとつて酸素を投与しているかぎり、本症の発生はないものと考えていたこと、しかし、酸素投与期間が長期になれば本症発生の危険性があるという点についての認識はなかつたこと、以上のような本症に対する認識から、控訴人好澄に対してなされた本件酸素療法も右の予防法に従つていたので、同控訴人がこれによつて本症にかゝり失明するに至ることはまつたく予期していなかつたこと、以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

そこで、被控訴人白井について、本件酸素療法によつて控訴人好澄が本症により失明することを予見しなかつた点について過失があつたかどうかにつき判断する。昭和四二年三月までに発行された文献(1)ないし(61)および<証拠>を綜合すると、次の事実が認められる。

(一)  昭和四二年三月までに発行された前記各文献によつて得られる本症に関する医学知識は大よそ次のようなものである。

(1) 本症の病態については、不十分ながらもほぼ前記二1項のような経過をたどつて進行するものであることは明らかにされていたといえる。

(2) 本症の原因については、昭和四二年当時は、すでに本症は酸素が関係するものであることについては異論はなく、その他の原因についてほとんど取り上げられなくなつていた。しかし酸素がどのような機序で本症を発生させるかということついてはほとんど解明されておらず(これは前認定のとおり現在でも十分には解明されていない)、したがつて、同じ酸素が本症の発生に関係するといつても、過剰な高濃度の酸素そのものによる一種の中毒により発症するという考え方(酸素中毒説)と、高濃度の酸素環境に慣れた未熟児が酸素濃度の低い大気中に移された際の相対的低酸素状態が原因であるとする考え方(相対的低酸素説)とがあり、当時はむしろ現在とは逆に後者の考え方が有力視されていた。

(3) 本症の予防法としては、未熟児に対する酸素投与は必要最少限度に制限すべきこと、酸素濃度は四〇パーセント(なかには三〇パーセントを主張するものもある)以上に上げないこと、酸素投与中の不適当な中止は危険であり、酸素投与を中止する際は濃度を徐々に減じて大気中に移すこと、などの方法がほとんど定説となつていた。しかし、なかには酸素投与はチアノーゼのある場合に限り、酸素濃度は三〇パーセント以下にするという厳しい制限を主張するもの(例えば文献(39)等)や、直接には血液中の酸素濃度が問題であるから、チアノーゼのあるものについては、これが消失するまで十分な酸素を供給し、消失したら速やかに酸素濃第を減じ、チアノーゼが発現しない最低限の酸素供給を心掛けるべきであるとするもの(例えば文献(53))などがあり、また成立に争いのない乙第一三、第一四号証(いずれも昭和四二年以前に発行された文献。乙第一四号証は、当審証人馬場一雄の証言によれば、当初は東京大学医学部の学生の教材用に作成されたものであるが、現在では広く全国の小児科医に使用されていることが認められる。)では、酸素濃度は六〇パーセント以下とし、通常は四〇パーセントに止める、酸素の供給を停止するときは数日間にわたつて徐々に酸素濃度を低下させるとし、とくに乙第一三号証では、チアノーゼ発作が、頻発する場合は短期間内一〇〇パーパーセントの酸素を用いても血中の酸素分圧が上昇しないから、本症を起す危険は少いものと考えるとし、また、酸素投与の行われなかつた時代からあつた先天性襞状網膜剥離の大部分が本症(後水晶体線維増殖症)にほかならぬと考え、酸素治療と無関係に発生したものも報告されているところから、本症のすべてを過剰酸素供給のせいにするのは不当であるとし、酸素濃度を四〇パーセント以下に止め、極端に長期間にわたらぬように注意すれば、酸素治療は大した危険を伴うものではなく、むしろ失明の危険をおそれて酸素の投与を制限したため貴重な人命を失うことこそ警戒すべきであるとし、また右乙第一四号証では、未熟児は出生後暫くの間は酸素の摂取が不良であることが予想され、一度無酸素症に陥れば、無酸素性脳傷害や無酸素性脳出血を起す可能性があるとして、チアノーゼや呼吸困難を示さない未熟児に対しても原則として酸素の供給を行うことにし、その期間は出生時体重一二〇一グラムから一五〇〇グラムの場合は一、二週間を大体の目やすとしているという。

次に、酸素濃度四〇パーセント以下でも本症が発生しうるか否かについては、これにふれた文献がほとんどなく、かえつてその記載じたいから、あたかも酸素濃度四〇パーセント以下であれば本症の発生はないかのように読まれたものが多く、ただ一、二の文献が酸素濃度四〇パーセント以下でも本症の発生がありうるとの見解(それも外国のもの)を紹介しているにすぎない。もつとも、わが国有数の未熟児施設であると思われる世田谷乳児院(昭和三五年ころ)や国立小児病院(昭和四〇年一一月以降)においても本症の発生があつた旨の文献(32)、(33)、(54)、(60)があり、このことから十分に酸素管理(但しその場合の酸素濃度がどのくらいであつたかは不明)が行われていてもなお本症の発生がありうることが間接にうかがわれないではない。そのほかにも酸素投与によつて本症の発生した例が散発的にいくつか報告されてはいるが、その症例の場合、果してどの程度の酸素濃度であつたかの具体的説明がほとんどなく、果して酸素濃度が四〇パーセント以下であつたのかどうかも分らない。要するに、どの程度の濃度の酸素をどのくらい投与したかがはつきりしない以上、右のようなわずかな症例報告だけからは、被控訴人白井が自分らのとつている酸素投与の仕方によつても本症による失明が起りうるかどうかの判断の資料とはなりにくいといわなければならない。また、なかには外国における本症の発生に関する統計などを紹介したものもあるが、わが国との酸素制限の程度や未熟児保育様式の相違等が不明であるから、これをそのまゝわが国の場合にあてはめるわけにはいかない。

次に問題となるのは酸素投与期間の点であるが、この点については、これにふれた文献も少なく、これにふれているものも、たんに必要最少限度の期間にすべきであるというのみで、どの程度の期間酸素を投与すれば、どの程度の危険性があるかという具体的な基準についてはなんら示されていない。要するに、当時は、専ら酸素濃度と本症の発生との関係を問題としていて、酸素投与期間との関係にはほとんど関心が払われていなかつたというほかない。

(二)  以上は、昭和四二年三月までに発行された、小児科、眼科、産科、婦人科の関係の文献に基づく知識の概要であるが、被控訴人白井としては、自己の専門診療科目である小児科関係の文献については一応読むことが期待できるとしても、他の診療科目の文献については通常これまで目を通すことは期待できないと考えられるから、これを除外すると、右の知識は更に限定されることになる。とくに、わが国における本症の症例に関する研究報告は(さきに認定したように、他の先天性の網膜異常を本症と混同し、あるいはこれをも含めて後水晶体線維増殖症と考えて報告したものをも含め)そのほとんどが眼科関係の文献にしか掲載されておらず、小児科関係の文献に報告または紹介されたものは極めて少ない。前認定のとおり、もともとわが国にける本症の発症例についての報告は非常に少なかつたのであるが、小児科医である被控訴人白井としては、右のような事情から、一そうわが国における本症の発生状況については、これを知りえなかつたものといわなければならない。わずかに文献(53)において前記世田谷乳児院の発症例や、文献(46)において本症の瘢痕期症例がみられ、年々増加している旨の報告等により、その一端を知ることはできたと思われるが。もつとも、小児科関係の文献中にも外国における本症の発生頻度等に関する記載はあるが、わが国との酸素濃度や未熟児保育様式の相違等も不明であるから、これをそのまゝわが国の場合にあてはめることには疑問がある。

(三)  また、国立小児病院眼科の植村恭夫、同病院小児科の奥山和男の両医師は、昭和四一年秋ごろ、同病院において昭和四〇年一一月から眼科と小児科が協力して未熟児に対する眼科管理(眼科医による定期的眼底検査)を行つた結果多くの本症の活動期病例を発見し、また同病院眼科を訪れた数多くの瘢痕期症例等について共同研究を行い、その結果をそれぞれ眼科学会、小児科学会で発表し、わが国ではそれまでの本症の発生はほとんどないものと考えられていたが、実際にはすでに数多く発生し、年々増加する傾向にあることを警告するとともに、予防対策として未熟児の眼科管理の重要性を強調した。この研究発表は未熟児に関する医師や学者らに大きな反響を呼び、再び本症に関する関心が高まり、ごく一部の病院で未熟児の眼科管理が行われるようになるとともに、本症に関する研究が活発に行われるようになつていつた。しかし昭和四二年四月から七月ごろは、まだ右の研究発表がなされて半年くらいしか経つていないときで、右の学会に出席して研究発表を直接聞いていない多くの学者や医師にはまだ知られておらず、右研究内容が眼科関係の雑誌である「臨床眼科」(文献(60))に発表されたのが昭和四二年二月であり、「医療」(文献(64))に掲載されたのは同年八月になつてからである。したがつて被控訴人白井は当時はまだ右研究発表の内容については知らなかつた。

(四)  被控訴人白井は、昭和二八年長崎大学医学部を卒業し、昭和二九年医師国家試験に合格し、直ちに医師として同大学医学部小児科に勤務し、昭和三九年七月に市民病院小児科に勤務するようになり現在に至つているものであるところ、右大学に勤務していたころからすでに未熟児の保育診療に従事し、市民病院に移つてからもずつと未熟児を取り扱つてきたのであるが、右大学勤務の時代をも含め、本件が起きた昭和四二年まで、いまだ一度も本症の発生を経験したことがなかつた。もつとも当時まではまだ未熟児に対する眼科管理は行われていなかつたので、初期症状のまゝ自然治癒したものがなかつたかどうかは不明であるが、少なくとも瘢痕期にまで至り何らかの視力障害を残したような例はまつたく経験しなかつた。また、同被控訴人は大学勤務時代から、未熟児の保育方法、とくに酸素投与法などについては、先生や先輩などから教えられ、あるいはこれを見習つて覚え、そのとおりの方法をとつてきたものであるから、自分と同様の方法をとつていると思われる同僚や先輩からも右のような症例の発生したことはまつたく見聞きしたことがなかつた。したがつて同被控訴人としてはこのような方法をとつているかぎり本症の発生はありえないものと考えていた。

以上の事実を認めることができ、右認定を左右しうる証拠はない。右の事実および前認定の一ないし三を前提にして考えると、さきに挙げた当時までの文献の全部に仮に目を通すことができたとしても、ほとんどのものが、酸素濃度を四〇パーセント以上に上げないこと、濃度を下げる場合は、急激に下げないで徐々に下げること、酸素の使用は必要最少限度とすること、などを本症の予防法として挙げるのみで、右のような方法によつてもなお本症の発生のありうることを記載したものが極めて少なく、むしろ反対に、このような方法に従つているかぎり安全であるとするものもあつたこと、わが国における本症の発症例の報告が、少なくとも小児科関係の文献に関するかぎり、極めて少なかつたことからすれば、わが国においては酸素使用が制限されているため、もはや本症の発生はなくなつているものと判断し、したがつて前記の予防法に従つて酸素を投与しているかぎり本症の発生はないものと考えたとしても、必ずしも不当とは思われないこと、また、前記植村、奥山の共同研究内容を当時まで知る機会がなかつたこと、当時まで、かつて本症の発生をまつたく経験したことがなかつたこと、後記認定のとおり、本件酸素投与の仕方はほぼ前記予防法に従つていたものであること、などを綜合すれば、被控訴人白井が、控訴人好澄に対する本件酸素投与により本症の発生することを予見できなかつたことはやむをえないものというほかはなく、右の予見をしなかつたことをもつて同被控訴人の過失ということはできない。

2  酸素供給管理上の過失

(一)  市民病院における控訴人好澄に対する本件保育医療上の措置については、前記引用の原判決理由二項に認定されたとおりである。そこで、その際の酸素供給管理上の措置について、被控訴人白井に控訴人ら主張の過失があつたかどうかについて判断する。

(二)  まず、昭和四二年四月七日から同月二六日まで二〇日間の酸素投与について検討する。

まず、控訴人らは、控訴人好澄に仮死状態やチアノーゼが現われていないのに酸素を投与した点をあげ、これは不必要な酸素を投与したものであると主張する。なるほど、酸素投与はチアノーゼのある場合のみに限るべきであるとする考え方もあつた(例えば文献(36)など)。しかし、右の考え方も、未熟児に呼吸障害のある場合についてまで酸素投与を禁止する趣旨かどうかについては疑問がある。そして成立に争いのない甲第三〇号証の五、乙第六号証等によれば、当時においても少なくとも未熟児に呼吸障害の認められる場合に酸素の投与が必要なことは明白であつて、これに反対する見解は見当らない。むしろ、当時全国の小児科医に広く利用されていたといわれる前顕「小児科治療指針」(乙第一四号証)によれば、未熟児は一般に酸素摂取が不良であり、無酸素性脳傷害や、無酸素性脳出血を招くおそれがあるとして、チアノーゼや呼吸障害を示さない未熟児についても生後一定の期間は原則として酸素を投与することとし、その期間は出生時体重一、二〇一ないし一、五〇〇グラムの場合は一、二週間を大体の目やすとしているとされている。ところで、本件の場合は、前記原判決認定のとおり、入院時は呼吸数が毎分五八と、普通に比べて多く、翌四月八日には呼吸数が毎分七八と著しく上昇しており、次いで同月九日には無呼吸発作が現われており、前顕甲第三〇号証の五、乙第六号証はよればこれらの全身状態は明らかに呼吸障害のあることを示していることが認められるから、右の場合に被控訴人白井が酸素を投与したことは、まことに相当であつて、酸素投与を開始したことじたいなんら不当な措置であつたということはできない。

次に酸素濃度については、前記原判決認定のとおり、四月七日から同月一四日までは毎分二リツトル、同月一五日から同月二三日までは毎分1.5リツトル、同月二四日および同月二五日は毎分一リツトル、同月二六日は毎分0.5リツトルとなつている。原審証人木下利彦の証言およびこれによつて成立の認められる乙第四号証によれば、本件に使用されたものと同型の保育器における酸素の流量と保育器内の酸素濃度との関係を調査した結果、酸素の流量が毎分二リツトルの場合の保育器内の酸素濃度は二八ないし三〇パーセントであることが認められること、これに対し、成立に争いのない甲第三〇号証の四によれば、同様のテストをした結果、流量毎分二リツトルの場合に最高三二パーセントとなつているが、これは乙第四号証の場合と異なり、保育器を使用していない状態でテストしたものであるから、保育器の使用中は種々未熟児に対する措置をするため、操作室等から外気が入るなどして当然酸素濃度が低下することが考えられ、甲第三〇号証の四によれば、三分間操作したとき二ないし三パーセント酸素濃度の低下がみられるとしていること、などからすれば、本件の場合も酸素濃度はせいぜい三〇パーセント程度であつたことが認められ、前認定の予防法からみれば、酸素濃度の点についてもとくに問題となるところはないといわなければならない。

次に酸素投与期間の点につき、本件の場合二〇日間投与しているのであるが、前掲乙第一四号証によつても一、二週間とされているところから、不必要に長すぎたのではないかが問題となりうる。しかし、前記原判決認定のとおり、右期間中控訴人好澄の全身状態は非常に不良であつたことがうかがわれる。すなわち、四月一五日ごろから嘔吐が続き、しばらくミルクの補給を中止せざるをえなくなり、同月一九日には体重が最低の一、〇七〇グラムまで低下しており、出生時の体重までほぼ回復したのは生後三六日目に当る五月一二日の一、三八五グラム(原判決添付別紙乙(一)表の同日の体重が一、二八五グラムとなつているのは、<証拠>によれば一、三八五グラムの誤記と思われる)であり、文献(68)によれば、出生時体重一、〇〇〇ないし一、五〇〇グラムの場合、一たん低下した体重が出生時体重にまで復帰するに要する期間(通常、新生児は、出生後一たん体重が減少し、それから徐々に体重が増加するといわれている)は平均18.6日とされていることに比しても、また右文献によれば、出生時体重に比して体重の減少した割合が、本件の場合通常に比べて著しく大きいことからも、控訴人好澄の当時の全身状態がいかに悪かつたかが分る。また、甲第一八号証によれば、同控訴人の呼吸数は、途中四月一一日、同月一四日には毎分六〇を超え、同月一五日には毎分七〇を超えていることが認められ、前顕乙第六号証によれば明らかに呼吸障害の存在することが推認できる。以上のような全身状態からすれば、控訴人好澄の場合、通常よりも長期間酸素投与を継続したことをもつて一概に不相当であるということはできない。このように未熟児の全身状態から果して酸素の投与が必要か否かというような極めて高度の専門的判断については、それが明らかに不相当と認められるような事情の認められないかぎり、その点の判断は医師の裁量に任せられているものというほかはない。

(三)  次に、昭和四二年五月六日から同月一七日まで及び同月一九日の酸素投与については、前記引用の原判決認定のとおり、その全期間を通じて、呼吸数の上昇、呼吸促迫、無呼吸発作、呼吸停止の状態が継続し、チアノーゼも見られ、明らかに重篤な呼吸障害の状況にあり、これに対して酸素を投与する必要があつたことは明らかであり、しかも濃度の点についても、五月一三日と同月一五日の両日を除けば、酸素の流量は二リツトル以下であり、前記の第一回目の酸素投与について認定したと同様、とくに問題とはならない。ただ五月一三日と一五日の両日は数時間にわたつて最高毎分五リツトルの酸素を投与しているのであるが、その当時は人工呼吸を必要とするような最も重篤な呼吸障害の状態にあつたものであり、前認定のとおり、当時においても呼吸障害の認められる場合は、四〇パーセントを超えても十分な酸素を供給すべきであるとする考え方もあり、また、前顕乙第四号証、甲第三〇号証の四によれば、右の毎分五リツトルの酸素を与えたときの酸素濃度はほぼ四〇パーセント程度になると認められる(甲第三〇号証の四によれば最高四四パーセントとされているが、当時は控訴人好澄の状態が極めて悪く、頻繁に種々の措置を必要としたことを考えると、とうていそのような濃度にまで上らなかつたのではないかと思われる)から、濃度の点からも前記予防法の範囲内であるということができ、とくに問題とはならないというべきである。ただ一日のうちに酸素の流量を五リツトルから二リツトルまで下げた点については、当時の予防法からすれば、このような場合数日間にわたつて徐々に下げるべきであるという基準からはずれることになるのであるが、前認定のとおり、このように酸素濃度を急激に下げることは、現在の医学知識によれば、もはや本症の発生とは関係ないものとされていることは、さきに認定したとおりであるから、右の点の措置は本件控訴人好澄の失明とは因果関係はないというべきである。

また、控訴人らは、本件保育器に酸素濃度計を備付けていなかつた点の過失を主張するが、前認定のとおり一定の流量の場合の保育器内の酸素濃度は、多少の誤差はあつても大体において一定の濃度を示すものであることは前顕乙第四号証、甲第三〇号証の四によつても認められるから、この点にとくに問題はないと思われる。とくに前認定のとおり、本証の発生に直接影響をもつのは血液中の酸素濃度であり、酸素環境濃度はその意味では間接的な意味しかなく、保育中の酸素濃度に数パーセントの誤差があつたとしても、それほど重要な意味をもち得ないし、しかも前認定のとおり、被控訴人白井の本件酸素投与は、ほとんど毎分二リツトル、酸素濃度にして約三〇パーセント程度であつて、前記の予防法からみてもかなり余裕をもつた制限の仕方をしていたと思われるから、右の酸素濃度計を使用しなかつたことはとくに注意義務に違反した不当な措置ということはできない。また被控訴人白井が控訴人好澄の体温や気温や湿度に注意を払わなかつたとの主張については、この事実を認めるに足る証拠はない。

(四) 以上のとおり、本件の酸素供給管理について被控訴人白井にはなんら不当な措置はなく、他に右の酸素供給管理上の措置につき同被控訴人に過失があつたことを認めるに足る証拠はない。

3  定期的眼底検査を怠つた過失について

市民病院には、控訴人好澄が入院していた当時、小児科のほかに眼科があり、三島恵一郎医師が勤務していたこと、当時小児科と眼科とが協力して未熟児に対する眼科医による定期的眼底検査を行う体制がとられていなかつたことは前認定のとおりである。そして<証拠>によれば、被控訴人白井は、当時右のような未熟児に対する眼科的管理の必要性についての認識がなく、したがつて控訴人好澄に対し眼科医による定期的眼底検査をまつたく受けさせていないことが認められる。そこで同被控訴人に右の点に関する過失があつたかどうかについて判断する。

文献(30)、(32)、(33)、(34)、(36)、(42)、(44)、(46)(48)、(52)、(54)、(55)、(60)<証拠>を綜合すれば次の事実を認めることができる。すなわち、本症はその初期の段階(少なくとも活動期第三期の初期)までに発見されないかぎり、治療方法がないので、早期発見の必要があり、そのためには未熟児に対する定期的眼底検査が必要であるが、一般に小児科医や産科医では本症の初期症状を的確に判別することは無理であるから、眼科の協力を得て眼科医による定期的眼底検査が必要であること、しかし、前認定のとおり、当時わが国では酸素の使用が制限されているため、もはや本症は発生しないものと考えられ、ほとんど本症に対する関心が払われていなかつたため、右のような眼底検査もまつたく行われていなかつたところ、国立小児病院では昭和四〇年一一月から小児科と眼科が協力して未熟児に対する眼科的管理が行われ、その結果に基づき、同病院眼科の植村恭夫、同小児科の奥山和男の両医師が昭和四一年秋に共同研究の結果を発表し、わが国においても、酸素使用の制限が行われているにもかゝわらず、なお多くの本症の発生がみられ、年々増加しつつあると警告するとともに早期発見のために眼科医による定期的眼底検査の必要性を強調し、注目されたが、控訴人好澄が入院していた昭和四二年四月から七月ころは、被控訴人白井は、右の共同研究の発表された学会に出席しておらず、その内容も小児科関係の文献にもまだ掲載されていなかつたから、右定期的眼底検査の重要性、その方法などを知る機会がなかつたこと、もつとも、それ以前にも、眼底検査の重要性を説いたもの、眼科医から小児科あるいは産科医に対し早期発見のため協力を求めたもの、などいくつかの文献にはあつたが、その多くはなんら具体的方法を示さない抽象的方な呼びかけであつたり、小児科医自身に眼底検査をするように求めるものであり、前記のような眼科医による定期的眼底検査を主張するものは、前記植村医師による二、三の文献にすぎず、とくに自ら未熟児の眼科的管理を実行し、その結果に基づき、具体的方法を示して主張したのは前記の植村、奥山両医師による共同研究の発表が最初である(もつとも文献(34)にもその一端は紹介されてはいるが)こと、その後国立小児病院に続いて昭和四一年八月から天理病院、昭和四二年三月から関西医科大学病院などで未熟児の眼科的管理を行うようになつたが、その後も一向に普及せず、昭和四五年ころからやつと主な大学病院や大きな綜合病院で行われるようになり、市民病院も本件の発生という特殊事情もあつてか、そのころから眼科医による定期的眼底検査をはじめたこと、しかし、それでも全国的にみればその普及率は非常に低く、比較的医療水準が高いと思われる東京都と神奈川県下の主として指定養育医療機関(母子保険法二〇条)を対象とした調査によつても、昭和四九年八月現在でもなおその普及率はせいぜい五〇ないし六十パーセントにすぎない状況であつたこと、その普及しない主な理由としては(イ)病院によつては眼科医の数が足りず負担に耐えられない。(ロ)未熟児の眼底を見て本症の初期症状を判別できる眼科医が少なかつた。(ハ)病院当局、眼科、小児科の三者に未熟児の眼科的管理に対する一致した認識がないかぎりその実現は困難である。(ニ)昭和四二年当時は、本症の発生は非常に少なく、発見しても確実な治療法のないことから未熟児の眼科的管理に対する意義が余り認められていなかつた。(ホ)眼底検査そのものが未熟児に対する侵襲となりうる(例えば細菌の感染の機会を作る)、(ヘ)眼科と小児科ではこれまで医療に関して協力体制をとつた経験がなかつた、などのことがあげられていたこと、以上のような事実が認められ、右認定を左右しうる証拠はない。

右のような、当時における未熟児の眼科的管理がまつたく普及していなかつた実情、その理由、被控訴人白井が前記植村医師らの共同研究を知りえなかつたこと、先に認定したとおり、被控訴人白井はかつて一度も本症の発生を経験したことがないこと、本件の場合に控訴人好澄に本症の発生があることを予見できなかつたこと、などの事情を綜合すれば、被控訴人白井が、当時まだ未熟児の眼科的管理に対する関心がなく、病院当局や眼科に対して働きかけてその実現をはかるよう努力しなかつたこと、右のような体制になくても控訴人好澄に対し、眼科医に依頼して定期的眼底検査をしなかつたことは同被控訴人にとつて、まことにやむをえないものであつたというほかはなく、他に右の点に関する同被控訴人の過失を認めるに足る証拠はない。

4  治療の措置を講じなかつた過失について

控訴人らは被控訴人白井が控訴人好澄に対し本症についての治療措置を講じなかつた点に過失があると主張する。しかし、本症が早期に発見されない以上、これに対する治療措置を講ずることはおよそ不可能である。したがつて、前認定のとおり被控訴人白井は本症の発生をまつたく予見せず、また眼科医による定期的眼底検査をしなかつたため本症の発生を発見できず、そのことについて被控訴人に過失が認められなかつた以上、これに治療措置を講じなかつたことについても過失はないというほかはない。

5  保護者に対する説明、指導を怠つた過失について

一般に、医師は、医療行為を行うにあたり、原則としてその医療行為に伴う危険について患者またはその保護者に説明すべき義務があるとされ、また診療後は、本人またはその保護者に対して、療養の方法その他保健の向上に必要な事項の指導をしなければならないとされている(医師法二三条)。しかし、医師が予見できない事項について、これを説明または指導することはおよそ不可能であるから、先に認定したとおり、被控訴人白井は控訴人好澄につき本症の発生することを予見できず、そのことについて過失がなかつた以上、控訴人らに対し本症の発生に関し説明せず、指導もしなかつたことについて同被控訴人に過失はないといわなければならない。

六被控訴人長崎市の責任について

1  被控訴人長崎市自身の過失について

控訴人らは、市民病院の開設者である被控訴人長崎市の代表機関である市長およびその代理人として同病院の管理に当つていた同病院長前田実に、同病院において眼科医をして小児科に協力させ、未熟児の定期的眼底検査を行わせるような医療制体制を整えるべき義務があつたにもかゝわらず、これを怠つた点に過失があり、したがつて同被控訴人は民法四四条一項の類推適用によつてそれによつて生じた損害の賠償責任があると主張する。ところで市長は被控訴人長崎市の代表機関であるから、同人が職務を行うにつき他人に加えた損害を賠償すべき責任があるが、前記病院長は被控訴人長崎市の代表機関ではなく、たんなる同被控訴人の被用者にすぎないから、同人の過失行為に基づく同被控訴人の責任は民法七一五条によるものと解すべきであるから、これは後記使用者責任の項で判断することとし、ここでは市長の行為に基づく責任について判断する。

前認定のとおり、控訴人好澄が市民病院に入院していた昭和四二年四月から七月ころは、未熟児に対する眼科的管理は、わが国でも未熟児医療の最先端を行くとされていた国立小児病院はじめ二、三の病院で始められたばかりで(しかも当時そのことが文献を通じて紹介されていたのは国立小児病院のそれだけである。)、一般に普及した方法でなかつたことと、前認定の当時における医師の未熟児網膜症に対する対応の仕方とを考え合せれば、被控訴人長崎市が市民病院の管理者たる院長を通じて未熟児の眼科管理体制をとらなかつたとしてもやむをえないものであり、他にこの点に過失があることを認めうる証拠はない。

2  使用者責任について

被控訴人白井に過失が認められないことは前記五項に示したとおりであり、また病院管理者たる院長前田実および眼科医三島恵一郎については前記1項と同様の理由でやはり未熟児の眼科管理の体制を作らなかつたことについて過失はなかつたと判断する。

また、被控訴人長崎市が設置する稲佐保険所長が医師や保険婦らをして控訴人ら方を訪問し指導させなかつたという職務懈怠の点については、控訴人好澄は生後三か月間も市民病院小児科に入院して専門未熟児保育を受けて退院したことからすれば、もはや母子保険法一九条にいう「養育上必要がある場合」に当らないというべきであるから、同所長に控訴人主張の義務懈怠はないというべきである。

以上のとおり、被控訴人白井、院長前田実、三島医師、稲佐保険所長にはいずれも過失は認められないから、これを前提とする被控訴人長崎市の使用者責任の主張も理由がない。

3  債務不履行責任について

(一)  まず、控訴人らのこの請求の追加に対して、被控訴人らはこれは時機に後れた攻撃方法の提出であるから民訴法一三九条により却下を求めるという。しかし、これは訴の追加的変更であり、それ自体攻撃的申立であつて、その方法ではないから、同法条の適用はない。

(二)  控訴人好澄の親権者である同勇夫、同美和子と被控訴人長崎市との間に、昭和四二年四月七日控訴人好澄のためにする医療契約の締結されたことは当事者間に争いがない(この事実関係の法律構成はしばらくおく)。そして、その内容が控訴人ら主張のように具体的に示されていたことを肯認できる証拠はないが、かかる契約の性格上それは被控訴人らの主張するとおり包括的に未熟児である控訴人好澄を当代医療の水準に則つて妥当な保育、診療を行うことであつたとはいいうるのである。そして被控訴人長崎市がこの債務をその趣旨に副つて履行したことは前示説示によつて自から明らかであるから、控訴人らの右主張は理由がない。

なお、控訴人らは控訴人好澄の脳性麻痺を主張するが、当審における控訴人西村勇夫本人尋問の結果によれば、現在控訴人好澄は耳は聞えるがまつたく口もきけず、表情をまつたく表わさず、自ら意思表示をすることが少なく、便所に行くときも自分でパンツをにぎるくらいで自ら行こうとはしない。などかなり知能が劣つていることが認められるが、これは同人が三才ごろ受けた種痘の際に発熱した以後であつて、それまでは、多小の知能の遅れが感じられる程度であつたことが認められ、仮に同人の右の状態が脳性麻痺によるものであるとしても市民病院での本件医療行為との間に因果関係が認められず、他に右因果関係を認めるに足る証拠はないから、控訴人らの右主張は理由がない。

七治療を受ける権利の侵害について

控訴人らは、被控訴人らが、眼科医による定期的眼底検査を実施して本症の発生を早期に発見し、保護者たる控訴人夫婦に対しその病状を説明するとともに治療方法を教示して、控訴人好澄をして当時における最も適切な治療を受けさせるべき義務があつたのにこれを怠り、同控訴人をして治療を受ける機会を失わしめたと主張する。しかし、右の定期的眼底検査を行わなかつたこと、本症の発生、治療方法を教示しなかつたことについては、被控訴人らにはなんら過失がなく、同人らの責に帰すべき事由のないこと、は先に説示したとおりであるから、控訴人らの右主張はその余の点を判断するまでもなく理由がない。

八結論

以上のとおりであるから、控訴人らの本訴請求はいずれも、その余の点を判断するまでもなく失当として棄却すべきものである。よつて、控訴人らの主たる請求を棄却した原判決は相当であり、本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、控訴人らの当審における請求はいずれも棄却することとし、控訴費用の負担につき民訴法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(中池利男 鍬守正一 綱脇和久)

文献目録

番号

発表

年月

表題

著者

雑誌名

証拠番号

(1)

24.5

後水晶体繊維増殖症(水晶嚢遺残症)の一例及び本症と先天性皺襞状網膜剥離との関係

三井幸彦ほか

臨・眼

甲28の1

(2)

27.8

後水晶体繊維増殖症を伴う先天性皺襞状網膜剥離症の一例

谷美子

眼・臨

甲57の1

(3)

28.1

水晶体後線維形成症に就て

奥田観士

眼・臨

甲31の8

(4)

29.

網膜膠腫、後水晶体線維増殖症及び網膜アンギオグリオージスの相互関係について

吉岡久春

長・医

甲53

(5)

29.4

Retrolental fibroplasia

水川孝ほか

綜・臨

甲40

(6)

29.7

Retrolental fibroplasiaに就て

赤木五郎ほか

眼・臨

甲57の2

(7)

29.8

早産児の眼底所見

馬場一雄ほか

小・診

甲30の1

(8)

30.

後水晶体線維増殖症の病理組織所見について

吉岡久春

日・眼

乙16

(9)

30.2

低酸素分圧の眼に及ぼす影響(第一報)

水川孝ほか

眼・紀

甲45

(10)

30.2

後水晶体線維増殖症とその成因に対する考察

水川孝ほか

臨・眼

甲28の2

(11)

30.3

後水晶体繊維増殖症の一例

高橋晴夫

眼・臨

甲31の10

(12)

30.7

低酸素分圧の眼に及ぼす影響(第二報)

水川孝

日・眼

甲46

(13)

30.11

乳幼児視力障碍と酸素吸入……水晶体後方繊維増殖症の問題を中心として

弘好文

小・診

甲30の2

(14)

31.

後水晶体線維増殖症剖検例

吉岡久春

長・医

甲54

(15)

31.3

未熟死産児眼球に認めた後水晶体線維増殖症剖見所見について

吉岡久春

眼・臨

甲57の4

(16)

31.12

妊娠後半期人胎児眼球の組織所見と後水晶体線維増殖症との関連性について

水川孝ほか

眼・紀

甲47

(17)

32.1

小児科学

詫摩武人

甲21

(18)

32.2

後水晶体線維症について

藤井としほか

臨・小

甲37

(19)

32.4

未熟児(医学シンポジウム第一六集)

甲31の2

(20)

32.9

Retrolental fibroplasiaの組織学的所見について

長瀬憲一

眼・臨

甲57の5

(21)

32.9

後水晶体線維増殖症の一例について

三島済一ほか

眼・臨

甲57の6

(22)

32.10

二才の幼児にみられた最強度近視とRetrolental fibroplasia

米村大蔵

眼・臨

甲57の7

(23)

33.2

未熟児の疾病予防に関する研究

馬場一雄ほか

小・診

甲30の8

(24)

33.4

後水晶体線維増殖症の一例

保科正之

眼・臨

甲42

(25)

33.6

後水晶体線維殖症について

吉岡久春

眼・臨

甲31の11

(26)

33.9

Retrolental fibroplasia

太田昭吉ほか

眼・臨

57の8

(27)

33.11

後水晶体線維増殖症の一例

田川真朗

眼・臨

甲57の9

(28)

33.12

小児科学

詫摩武人

甲31の4

(29)

34.4

水晶体後部線維層増殖症

入野田公徳

眼・臨

甲31の12

(30)

34.2

後水晶体線維形成症の一例

中尾昭一ほか

産・実

甲65の1

(31)

35.1

中枢神経傷害と未熟との関係について

馬場一雄ほか

治療

甲38

(32)

35.2

未熟児の眼症状について

中島章ほか

臨・眼

甲28の3

(33)

36.1

小児における眼疾患

中島章

小児科

甲35

(34)

36.3

臨床眼底図譜

慶大眼科教室

甲20

(35)

36.8

水晶体後部線維増殖症について

工藤高道ほか

臨・眼

甲28の4

(36)

36.10

産婦人科学・産婦人科看護法

足立春雄ほか

甲65の4

(37)

37.1

新生児呼吸障害の治療

小川次郎ほか

小・診

甲30の5

(38)

38.4

新小児科学入門

山田直達

甲31の3

(39)

38.6

未熟児(クロス著)

大坪佑二(訳)

甲63の5

(40)

38.8

日本産婦人科全書

久慈直太郎ほか

甲65の3

(41)

38.11

Retrolental fibroplasiaについて

須田栄二

青・医

甲49

(42)

38.12

失明と産婦人科……後水晶体センイ増殖症に関連して

中島章

臨・婦

甲36

(43)

39.2

水晶体後部線維増殖症の四例追加

松本和夫

眼・臨

甲50

(44)

39.2

水晶体後方線維増殖症の治療について

松本和夫ほか

臨・眼

甲28の5

(45)

39.4

小児科学

詫摩武人

甲31の1

(46)

39.10

小児にみられる眼底異常とその意義

植村恭夫

眼科

甲29の6

(47)

39.11

水晶体後線維増殖症の二例

浮田徳重ほか

眼・紀

甲31の13

(48)

40.3

後水晶体線維増殖症の二例

松田一夫

眼・臨

甲57の10

(49)

40.6

小児疾患と眼底所見

植村恭夫

小児科

甲31の6

(50)

41.1

小児眼科トピックス

植村恭夫ほか

甲6

(51)

41.2

小児の眼疾患

桐沢長徳ほか

甲22

(52)

41.3

小児眼科

植村恭夫

眼・臨

甲57の12

(53)

41.4

臨床小児科全書第一巻

中村文彌ほか

甲63の7

(54)

41.5

未熟児の眼科的管理の必要性について

植村恭夫ほか

臨・眼

甲28の6

(55)

41.7

小児の眼科

植村操ほか

甲19

(56)

41.10

小児眼科について(対談)

植村恭夫ほか

眼科

甲29の7

(57)

41.11

新生児学入門

安達寿夫

甲63の9

(58)

41.11

新生児学

日本産科婦人科学会新生児委員会

甲63の8

(59)

42.1

現代小児科学大系(第二巻)

遠城寺宗徳ほか

甲63の11

(60)

42.2

未熟児網膜症の臨床的研究

植村恭夫ほか

臨・眼

甲28の7

(61)

42.3

未熟児(医学シンポジウム第一六集)(全改定版)

甲23

(62)

42.5

小児科学

蒲生逸夫

甲31の5

(63)

42.7

新生児とその疾患

三宅康

甲5

(64)

42.8

未熟児網膜症に関する研究

植村恭夫ほか

医療

甲64

(65)

42.8

後水晶体線維増殖症の三例

松浦啓之

眼・臨

甲57の13

(66)

42.8

小児の眼疾患

植村恭夫ほか

臨・眼

甲28の8

(67)

42.9

未熟児網膜症の一例

伊藤良

眼・臨

甲57の14

(68)

42.9

新生児特発性呼吸障害症候群の成因と治療

奥山和男

小・診

甲30の6

(69)

42.10

現代小児科学大系(第一五巻)

遠城寺宗徳ほか

甲63の12

(70)

42.12

後水晶体線維増殖症について

木村好秀ほか

産・婦

甲65の6

(71)

42.12

新生児特発性呼吸障害とその治療

大浦敏明ほか

治療

甲31の7

(72)

43.1

退院時における未熟児眼底検査とその意義について

高嶋幸男ほか

小・診

甲30の7

(73)

43.4

未熟児網膜症の光凝固による治療

永田誠ほか

臨・眼

甲28の9

(74)

43.9

未熟児の眼科的追跡調査

馬嶋昭生

眼科

乙17

(75)

44.1

未熟児の眼の管理

塚原勇ほか

臨・眼

甲28の10

(76)

44.3

新生児呼吸障害症候群の症状と診断

藤井としほか

日・新

乙6

(77)

44.9

未熟児網膜症例についての臨床的考察

須田栄二

青・医

甲51

(78)

45.5

未熟児網膜症の光凝固による治療Ⅱ

永田誠ほか

臨・眼

甲28の11

(79)

46.1

未熟児網膜症による失明児

山木裕子

日・眼

甲31の15

(80)

48.3

未熟児保育のポイント

志村浩二ほか

産・治

甲39

(81)

48.10

未熟児網膜症の問題点(座談)

木下亮二ほか

産・世

調

(82)

49.

未熟児網膜症の診断および治療基準に関する研究

植村恭夫ほか

乙19

(83)

49.

危急新生児に見られる未熟網膜症の問題点に関する研究

内藤寿七郎ほか

日・愛

調

(84)

49.1

未熟児網膜症の原因確定まで……その歴史と批判

高橋生

薬・ひ

甲32

(85)

49.9

未熟児網膜症をめぐって

植村恭夫

産・婦

調

(86)

49.9

未熟児網膜症の診断

馬嶋昭生

産・婦

調

(87)

49.9

未熟児網膜症の治療

秋山明基

産・婦

調

(88)

49.9

酸素療法の問題点

武田佳彦

産・婦

調

(89)

49.9

小児科から見た未熟児の特質……酸素治療と網膜症をめぐって

馬場一雄

産・婦

調

(90)

49.9

産科の立場から未熟児の特質について

中嶋唯夫

産・婦

調

(91)

50.1

未熟児網膜症……その予防と治療の問題点

永田誠

産・治

調

(92)

50.7

酸素療法の管理とその批判

柴田隆

甲67

(93)

51.7

後水晶体線維増殖症の多発と学会の社会的責任

尾沢彰宣

甲68

(1) 表題中には( )書き部分を省略したものがある。

(2) 雑誌名欄に「単」とあるのは単行本、次の欄に「抄」とあるのは論文、講演等の抄録の意味である。

(3) 証拠番号欄に「調」とあるのは調査嘱託の結果に含まれていることを示す。

(4) 雑誌名に使用した略語は次のとおりである。

臨・眼……臨床眼科

青・医……青森県立中央病院医誌

眼・臨……眼科臨床医報

臨・婦……臨床婦人科産科

長・医……長崎医学会雑誌

産・婦……産科と婦人科

綜・臨……綜合臨床

日・新……日本新生児学会雑誌

小・診……小児科診療

産・治……産婦人科治療

日・眼……日本眼科学会雑誌

産・世……産婦人科の世界

眼・紀……日本眼科紀要

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産・実……産婦人科の実際

(1)

出生時体重

グラム

例数

発症例

(発症率)

光凝固例

(発症例に対する割合)

(例数に対する割合)

1000以下

3

3(100%)

2

(66.7%)

(66.7%)

1001~1250

18

11(61.1)

3

(27.3)

(16.7)

1251~1500

51

17(33.3)

6

(35.3)

(11.8)

1501~1750

73

26(35.6)

5

(19.2)

(6.8)

1751~2000

134

13(9.7)

2

(15.4)

(1.5)

2001~2250

104

2(1.9)

0

(0)

(0)

2251~2500

83

1(1.2)

0

(0)

(0)

466

73(15.7)

18

(24.7)

(3.9)

(2)

在胎週数

例数

発症例

(発症率)

光凝固例

(発症例に対する割合)

(例数に対する割合)

30週以下

40

21(52.5%)

6

(66.7%)

(15.0%)

31~35

239

44(14.2)

11

(25.0)

(4.6)

36~40

168

7(4.2)

1

(14.3)

(0.6)

41以上

19

1(5.3)

0

(0)

(0)

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