福岡高等裁判所 昭和51年(ネ)778号 判決 1978年4月11日
控訴人
国
右代表者法務大臣
瀬戸山三男
右指定代理人
布村重成
外六名
被控訴人
大神靖夫
被控訴人
大神文子
右両名訴訟代理人
新道弘康
主文
一 原判決中控訴人敗訴の部分を取消す。
二 被控訴人らの控訴人に対する請求を棄却する。
三 訴訟費用中当審において生じた部分及び原審において控訴人と被控訴人らとの間に生じた部分は被控訴人らの負担とする。
事実
一、控訴代理人は、主文同旨の判決を求め、被控訴人ら代理人は、「本件控訴を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも控訴人の負担とする。」との判決を求めた。
二、当事者双方の主張及び証拠関係は、次のとおり附加、訂正するほかは、原判決事実摘示中控訴人関係部分の記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。
(一) 原判決三枚目表四行目の「国道」の次に「路側帯」をそう入する。
(二) 同三枚目裏七行目の「到底いい難い。」の次に次のとおりそう入する。
「また、いわゆる客観説に立つてこれをみても、道路の管理の瑕疵の有無については、具体的に道路の予定された性質、状況、交通量の多少を考慮し、その前提のもとに当該障害物等欠陥部分の客観的性質をも検討して右欠陥部分がその道路の交通の安全を阻害するものと一般的に明らかにいえるかどうかを総合判断のうえこれを決すべきであるが、本件道路路側帯に右石の存在することは、本件にあらわれた右諸事情を考慮すれば路側帯としての交通の安全を阻害するもので道路の通常備えるべき安全性を欠いていたものである。」
(三) 同七枚目表九行目から同八行目裏九行目までを次のとおり改める。
「二 然らずとしても、控訴人国の道路管理体制に不十分なところはなく、右拳大の石の排除は控訴人国にとつて実際上不可能であつたので、道路の管理に瑕疵はなかつたものである。
すなわち、事故発生現場の国道一〇号線は昭和三四年四月一一日政令一一六号により道路法第一三条一項の指定区間となり控訴人国建設大臣が建設省九州地方建設局北九州国道工事事務所長をしてその管理を行わしめていたものであるところ、同所長は所属職員をして、毎日(職員が勤務を要しない日を除く)巡回させ、道路の管理状況、特に路面、路肩、法面及び側溝等の異状の有無並に清掃、除雪及び凍結防止等の処理の適否等をパトロールさせていた外、月一回程度の夜間巡回、徒歩で二ケ月に一回程度の定期巡回、大雨、洪水、暴風、豪雪その他の災害が予想され又は発生した異常時における特別巡回を行わしめていた。
しかして本件事故発生当日の昭和四八年四月三日は、同事務所職員梶原健が午前九時三〇分頃と午前一一時頃、事故現場附近をいわゆる毎日巡回としてパトロールしたが、被控訴人ら主張の拳大の石はもちろんなんらの異常も認めていないことからすれば、仮に事故発生当時拳大の石一個が存在したとすれば、事故現場の交通事情から推して、右巡回の午前一一時頃から事故発生の午後零時二〇分頃までの約一時間二〇分の間に通行車輛等から落石ないし放置されたものと考える外ないのであつて、かかる短時間内に落下したと思われる拳大の石一個の排除を、通報でもあれば格別、何らの通報もなかつた本件の状況下において、道路管理者に負担させ義務づけることは管理上不能を強いるものというべきであるから、控訴人国に道路の管理の瑕疵があつたということは到底できない。
三、仮に拳大一個の石の存在が道路の管理の瑕疵に当ると評価されるとしても、石の存在と事故発生の間には相当因果関係がないから、控訴人国に損害賠償責任はない。即ち、亡修司運転の自転車が転倒した原因は、道路上の石につまづいたか乗り上げたために非ず、丸全昭和運輸株式会社の従業員訴外馬場英敏運転の車輛に先行するダンプカーが亡修司の側方を通過追越した際の風圧或は恐怖感が転倒の原因であつたとみるのが自然であるから、亡修司の自転車転倒と石の存在との間には何ら因果関係がないというべきであるし、仮に自転車の転倒が拳大の石に原因したとしても、右会社の訴外馬場英敏において、前方注視義務ないし安全運転義務を怠ることなく、減速、ブレーキ、ハンドル操作等を適切に行い自動車運転手として要求される通常の措置を講じてさえおれば、本件交通事故の発生は容易に避けられたことからすれば、事故発生は亡修司の過失の外訴外馬場英敏の過失に基因するものというべく、拳大一個の石の存在と事故発生の間に相当因果関係はないといわなければならない。」
(四) 同九枚目表末行目の次に「原裁判所は、職権で九州地方建設局北九州国道工事事務所行橋維持出張所へ調査嘱託した。」をそう入する。
(五) 当審の新たな証拠関係<略>
理由
一請求原因第一項の事実は当事者間に争いがない。
二<証拠>を総合すると次の各事実が認められる。
「1 亡大神修司(当時一二年)は、中学入学直前の休日である昭和四八年四月三日、学友三名と共に、福岡県京都郡刈田町の刈田港までフエリー船見物のためサイクリングをすることとし、実父から一五日前に進学祝として買つて貰つた二四インチ自転車に乗り、午前一〇時頃、集合地の北九州市門司区の清見小学校を出発した。修司は身長約一メートル四〇センチで右自転車に乗車すると身体を傾けなければ地面に足が届かない状態であり、従来二二インチ自転車に乗つていて右新自転車の運転には慣れていなかつた。一行四名は途中門司区恒見の名門カーフエリー発着所に約三〇分間立寄つた後、同市小倉南区曾根の北九州空港を経由し国道一〇号線に出て一列縦隊になり行橋市方面へ向う下り路線路側帯上を進行した。修司にとつては初めてのサイクリングであつたので、他のサイクリングに慣れた学友が修司を見守りその前後を進行し、修司は先頭の下川誠に続き、下川は時々自車のバツクミラーで修司の動静を見て進行速度を調整していた。午後零時二〇分頃、一行が同区曾根田中四組先路上に差しかかつた際、歩行者はなく、下川は路側帯のほぼ中央部を進行したが、その後方約一〇メートルを追進していた修司は、たまたま路側帯内の車道外側線近くに落ちていた拳大のセメントレンガ破片(八×六×七センチメートル)(以下単に本件セメントレンガ片という。)に自車の前輪を乗り上げて安定を失い一〇メートル近く進行して自転車もろとも右側に転倒し、頭部を外側線をこえ4.50センチメートル車道内に入つた地点におく状態になつたが、立上る間もなく、その直後後示のとおり折から下り線車道内を進行して来た訴外馬場英敏の運転する普通乗用者の左前車輪で頭部を轢過された。
2 一方訴外馬場英敏は、丸全昭和運輪株式会社保有の普通乗用者(北九州五の五五八三号)を運転し、同日同時刻国道一〇号線を小倉北区方面から行橋市方面へ向け時速四〇ないし五〇キロにて進行し、同所附近において前方35.28メートルの外側線上附近に修司の自転車を認めたが、減速、進路変更、警音器吹鳴、側方間隔の留意等特段の措置を講ずることなくその儘進行したのみならず、一時対向車線に配慮する余り修司運転の自転車に対する注視を忘れ、9.60メートルに近接した地点において該自転車の転倒するをみて慌てて避譲せんとしたが及ばず、外側線の内側4.50センチメートルの地点において、自車左前車輪をもつて路上に転倒した修司の頭部を一瞬轢過し、同日午後六時五〇分脳挫傷の傷害により同人を死亡せしめた。
3 本件事故発生時、事故現場の路上には本件セメントレンガ片の外には石ころその他の障害物は存在せず、道路の状態に穴ぼこ等の異常はなかつた。」
以上の各事実が認められ、<証拠判断、省略>。
右認定の事実によれば、本件セメントレンガ片の存在も本件交通事故発生の一因となつたものというべきである。
三そこで、本件事故現場路側帯上の拳大の本件セメントレンガ片の存在が、控訴人国の道路の管理の瑕疵に当るか否かについて検討する。
本件事故現場の国道一〇号線の管理責任者が控訴人国建設大臣であることは当事者間に争いがない。
<証拠>を総合すると、次の各事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。
「1 国道一〇号線は東部九州の幹線道路である。本件事故現場附近国道は非市街地田園地帯を通つており、北九州市方面から行橋市方面へ向け極く緩やかな右カーブをしていたが、見通しのよい片側一車線道路で車道部分幅員は行橋市方面へ向う下り車線が3.15メートル、北九州市中心部方面へ向う上り車線が3.35メートルあり、車道両側に外側線で区画された各路側帯があつたが、下り線路側帯の幅員は1.05メートルでその外側は土手を経て1.70メートルの落差をもつて田地となつていた。
本件事故現場附近車道は駐車・追越禁止の規制区域となつており、最高時速五〇キロメートルの規制もなされていた。路面は、車道部分がアスフアルト・コンクリート舗装、路側帯がコンクリート舗装、平垣で乾燥しており車道の自動車の交通量は極めて多かつたが、路側帯の歩行者及び自転車の通行は少なかつた。
2 本件事故現場を含む国道一〇号線の北九州市小倉南区三萩野から大分県との県境までの46.58キロメートルは建設省九州地方建設局北九州国道工事事務所行橋維持出張所がこれを管轄し道路の管理を担当していたが、その管理業務は、昭和四五年五月九日から施行された九州地方建設局一般国道指定区間巡回規程に則り、原則としていわゆる道路パトロールカーによる道路の巡回監視に基づいて行われていた。同規程は、『道路の状況を常に正確に把握するため、巡回の種類及び内容、巡回担当者、巡回の実施、巡回の結果の措置その巡回に関し必要な事項を定め、もつて道路の構造の保全と円滑な道路交通の確保を図ること』を目的とし、(第一条)、巡回は、毎日巡回、夜間巡回、定期巡回及び特別巡回の四種類とし、(一)毎日巡回は勤務を要しない日を除く毎日担当区域を昼間一回以上巡回し(イ)道路の管理の状況、特に路面、路肩、法面及び橋梁、側構等の異常の有無並びに清掃及び除雪、凍結防止等の処理の適否(ロ)道路の附属物の管理の状況(ハ)交通安全施設等の保全の状況等道路管理上必要な事項について行ない(二)夜間巡回は夜間における道路の管理の状況を月一回程度巡回し主として(イ)道路照明設備の状況(ロ)道路標識の状況その他について行ない、(三)定期巡回は徒歩で二ケ月に一回程度担当区域を一巡し所定の各事項につき細部にわたり点検して行なう(第二条)ことを規定していた。
3 本件事故発生当時の昭和四八年三、四月も行橋維持出張所員による「毎日巡回」が連日行われていたが、事故当日の昭和四八年四月三日は同出張所管理課員梶原健が同所運転手龍山達博の運転で道路パトロールカー(番号四四―一〇〇二号)に乗車し、北九州市小倉北区三萩野における道路法三二条による立会事務のため行橋市の同出張所を午前九時頃出発し午前一一時三〇分頃帰所したが、その間往復四五キロメートル、実運転時間一時間四〇分に亘り「毎日巡回」を行ない、路面の異常の有無等を監視し、午前一一時頃本件事故現場の下り線車道を通過した際、現場附近車道及び路側帯の路面上に障害物その他の異常を何ら認めなかつた。
なお、同日午後は同出張所の別の道路パトロールカー(番号四五―一一一八号)による他の用務を兼ねた道路巡回が同所の技術係長盛田某らによつて行なわれ、同車は午後二時五〇分頃、本件事故現場下り車線を通過した。」
而して右3の認定事実によると、他に特段の事情のない本件においては、本件セメントレンガ片は右同日午前一一時頃から本件事故発生時の午後零時二〇分頃までの間に本件事故現場を通過した車輛から落下したものと推認することができ、この認定を覆すに足りる証拠はない。
ところで、道路の管理に瑕疵があるとは、道路の維持、修繕或いは保管に不完全な点があつたことにより、道路が交通の安全かつ円滑を確保するため通常備えるべき性質を欠くに至つた状態を指称するものと解するのが相当であるが、その瑕疵の有無は当該道路及び交通の具体的諸状況を総合し、個別的・相対的にこれを判定すべきである。
そこで本件事故現場道路に関する前記認定の諸事実を前提として、控訴人国の道路の管理の瑕疵の有無を考えるに、本件事故現場路側帯は歩行者及び自転車等軽車輛の通行の用に供せられるものであるところ、その幅員は1.05メートルにすぎなかつたが田園地帯を走り歩行者の交通の少ない所であつたから、自転車で同所を通行するに当つては、通常の自転車の運転能力のある者が進路前方に通常の注意を払つて進行して居れば、本件セメントレンガ片の如き八×六×七センチメートル大の障害物は容易にこれを回避することができるものであり、またその障害も何人でも極めて簡単にこれを除去できる性質のものであるから、本件セメントレンガ片の路側帯上の存在は道路の瑕疵に当るというべきであるが、その瑕疵の程度は軽いものということができる。そして右の道路の瑕疵は、行橋維持出張所の道路パトロールカーによる道路巡回の後一時間二〇分以内の間に突然現出したものであるから、特段の事情のない本件においては、控訴人国の道路の維持、修繕、保管に不完全な点があつたことによるものであるとは言い難い。
そうであれば、本件事故現場路側帯内に本件セメントレンガ片が存在していたことをもつて、直ちに控訴人国の道路の管理に瑕疵がめつたものと断ずることはできない。
四以上のとおりであるから、控訴人国に道路の管理の瑕疵があつたことを前提として亡大神修司の死亡による損害の賠償を求める被控訴人らの本訴請求は、その余の点について判断を加えるまでもなく、理由がないものといわねばならない。《以下、省略》
(佐藤秀 森林稔 鈴木秀夫)