福岡高等裁判所 昭和52年(う)431号 判決 1977年12月01日
被告人 古賀義之
主文
原判決を破棄する。
被告人を罰金三、〇〇〇円に処する。
右罰金を完納することができないときは、金一、〇〇〇円を一日に換算した期間、被告人を労役場に留置する。
原審及び当審における訴訟費用中、原審証人砂原信之、同深町勝及び同山口尚登に支給した分は、被告人の負担とする。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人森竹彦提出の控訴趣意書記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。
右控訴趣意第一点(事実誤認)について。
所論は要するに、被告人が原判示日時場所において自動車を運転して軌道敷内を通行した旨認定せる原判決は誤認であつて、被告人は軌道敷の外側を通行したものである。すなわち、被告人は西鉄タクシーの運転手であり、右日時営業車を運転して渡辺通り一丁目から六本松に至る城南線の電車通りを走行するに際し、道路左側の二車線(歩道から一列目と二列目)が他の車両で渋帯していたので、軌道敷のすぐ外側(左側)の三列目の車線をゆつくりと通行していたものであつて、原判示場所において取締警察官の合図に従つて急停車した時に右前輪が軌道敷内に入つたことは別として、軌道敷内を通行したことはないのである。このことは被告人の原審公判廷における供述により明らかであり、原判決が証拠とする取締警察官砂原信之及び同深町勝らの証人としての供述は真実に反し措信さるべきでない。したがつて、原判決は証拠の評価又は取捨選択を誤つて事実を誤認したものであり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから破棄を免れないというのである。
しかし、原判決挙示の証拠によれば原判示事実は優に認められる。すなわち
右証拠、とりわけ原審第二回公判調書中の証人砂原信之及び同深町勝の各供述記載によれば、(1)右両名はいずれも警察官(巡査)であるが、原判示日時頃、原判示場所付近(城南線の電車通りの仁伊島そば店前付近)の歩道上において、同僚の角田巡査と共に渡辺通り一丁目方面から走行してくる車両の軌道敷内通行違反を取締る任務に従事中、砂原巡査において一〇〇メートル近い区間に亘り軌道敷内を通行してきた被告車を現認したので直ちに警笛を吹鳴し、更に、この合図に気付いた深町巡査においても被告車の違反事実を確認したうえ、車道に出て被告人に対し停車を求めたこと、(2)被告車が停車するや、深町巡査から被告人に対して、軌道敷内通行の違反である旨告げて運転免許証の呈示を求めたところ、被告人において、「すみません。」と言いながら運転免許証を呈示し、さらに、「お客が急いでいるので後から出頭する。」旨答えたので、同巡査も右申出を了承し、運転免許証記載の被告人の氏名、生年月日等をメモした上、現場にいないときは清川派出所まで出頭すべき旨を指示したこと、(3)同日午後七時頃、被告人が清川派出所に出頭したので、砂原巡査らにおいてその取調べに当つたところ、被告人は当初軌道敷内通行の違反事実を自認し、「客を乗せていたので急いで走つたのであり、警告ですませてもらいたい。」などと述べていたが、同巡査らが「警告ですませる訳には行かない。」旨告げ、改めて運転免許証の呈示を求めたこと等から違反事実そのものを言い争うようになつて、結局被告人は運転免許証を呈示しないで右派出所から退去したこと、以上(1)ないし(3)の事実が認められ、被告人の原審公判廷における供述、原審第三回公判調書中証人山崎義信の供述記載及び被告人の当審における供述のうち右事実と相容れない部分は措信できない。
これに対し所論は、砂原巡査や深町巡査は本件現場の歩道上に立つていたものであり、手前の車線(一列目及び二列目)に渋滞している車両が障害となつて三列目の車線にある被告車の走行状況をよく見ることができず、殊に被告車の車輪が軌道敷内にあつたか否かを視認することは不可能な筈であつたから、被告車の違反事実を現認した旨の両巡査の証人としての各供述は措信できないというのである。しかし、前示(1)のとおり、砂原巡査らはとくに軌道敷内通行の違反車両を取締る目的で本件現場に赴き、歩道上から電車通りを六本松方面に向う車両の走行状況を注視していたものであり、その際砂原巡査は被告車が一〇〇メートル近い区間に亘つて軌道敷内を進行してくるのを認めているのである。したがつて、仮に手前の二車線に他の車両等が渋滞していたとしても、殆ど真向うに近い方向から注視する状態にあつた砂原巡査にとつて、渋滞車両が障害となり、これがため三列目を走行する車両が軌道敷内を進行しているか否かを現認することが、不可能又は困難であつたものとは到底認められないところである。(なお、関係証拠に現われる本件現場の道路状況等に徴すれば、車両の車輪を直接視認できなくてもその車両の走行状況、殊にその車両が軌道敷内を走行しているか否かの判断は十分に可能であると認められ、所論援用の砂原巡査―深町巡査とあるのは誤記と認められる。―の関係供述部分は、手前の二車線に他の車両が停滞している状態において、三列目に停止した被告車の左前輪が軌道敷内にあつたか否かを直接視認することはできなかつたというにすぎないものであるから、前示結論を左右しうるものではない。)その他右両証人の目撃状況等を検討しても各供述内容の信憑性を阻害すべき事由は発見できず、更に関係証拠を加えてこれを吟味しても被告車の違反事実の現認につき誤りは認められないものである。
尤も、被告人は原審公判廷において、被告車は道路左側の二車線が他の車両で渋滞していたので軌道敷のすぐ外側の三列目の車線をゆつくりと通行していたものであつて、軌道敷内には入つていない旨所論に副う供述をなし、当審においてもこれを繰り返すのであるが、前示証人砂原信之及び同深町勝の各供述に照らし措信できないばかりでなく、被告人は前示(2)の如く本件現場では深町巡査に対し違反事実を認めてあやまりながら運転免許証を呈示し、又、前示(3)の如く、清川派出所においても当初は犯行を自認していたことが認められ、更に原審第一回公判期日にも違反事実を部分的に認めていたものであつて、被告人のこれらの供述と対比しても違反の事実を否定する原審公判廷における供述は措信するに足りないものである。なお、被告人に交通事犯の前科前歴がないことや本件が比較的少額の反則金に係る事件であることは所論のとおりとしても、これらの事情は未だ被告人の本件違反事実に関する供述の信憑性に対する前示判断を覆すに足りない。
そうしてみれば、原判決が証人砂原信之及び同深町勝の供述記載部分等を措信し、これと相容れない被告人の原審公判廷における供述等を排斥して、被告人において軌道敷内を通行せる事実を認定したことに誤りはなく、その他記録を精査し当審における事実取調べの結果を加えて検討しても、原判決には所論の如き事実誤認を発見することはできない。論旨は理由がない。
右控訴趣意第二点(量刑不当)について。
よつて、所論にかんがみ本件記録及び原審取調べの証拠に当審における事実取調べの結果を加えて、原判決の被告人に対する科刑の当否を検討するに、
被告人は普通自動車を運転して軌道敷内を通行したものであつて、右所為は道路交通法一二五条一項に定める反則行為に該当し、且つ被告人は同条二項にいう反則者であるから、被告人に対しては当初所定の反則金(三、〇〇〇円)の納付を期待して告知の手続がとられたのであるが、被告人においてその書面の受領を拒んだため同法一三〇条二号に該当するものとして公訴が提起されたものである。
所論は、かかる経緯によつて公訴が提起されたいわゆる反則金不納付事件において、当該反則金額を超える額の罰金を科することは妥当でなく、原判決の被告人に対する科刑は不当であるというのである。しかし、いわゆる反則金不納付事件といえども、当該違反行為の動機、態様、結果、犯行後の情況、被告人の経歴及び前科等諸般の事情を考慮して、所定の法定刑の範囲内で具体的事案に即した刑を量定すべきものであつて、その結果当該反則金額を超える罰金を科するのが相当な場合も存するのであり、所論の如く反則金額を超える額の罰金であることの一事によりこれを一般的に不当視することは許されないものである。
しかしながら他面、反則金額は違反行為とこれに係る車両の種類のみを基準として画一的に定められていて、反則者は右の反則金を納付することにより、その余の情状の如何を問わず、当該違反行為につき刑罰を免れるものであるから、いわゆる反則金不納付事件の科刑に当つては、同種の反則金納付者との実質的な権衡を考慮する必要があると同時に、その者が反則金を納付した場合と比較して理由なく重い制裁を受けることがないように配慮することも必要である。したがつて、反則金不納付事件の審理において、当該違反行為についての通常の犯情のほかに、特に被告人に不利益に斟酌すべき情状が現われた場合は格別、かかる意味の不利益な情状が認められない場合にまで、反則金額を超える額の罰金を科することは相当でないものといわなければならない。
これを本件についてみるとき、記録を精査しても特に被告人に不利益な情状を認めることはできず(単に違反事実を争つていることや告知書の受領を拒否したことをもつて、前示の意味における不利益な情状とすることは相当でない。)かえつて当審における事実取調べの結果によれば、被告人は勤務先のタクシー会社からこれまでに何回も無事故無違反を理由に表彰されている者であり、平素の自動車運転の態度も比較的良好であることが認められ、その他所論の被告人に利益な事情(なお、所論の如き訴訟費用負担の裁判の不当は刑事訴訟法五〇〇条によつて是正されるべきものであり、原判決に対する量刑不当の事由とすることはできない。)を併せ考えるときは、反則金額を超える罰金を相当とすべき事由は認め難いので、原判決の被告人に対する刑の量定は相当でない。論旨は理由がある。
そこで、刑事訴訟法三九七条、三八一条に則り原判決を破棄し、同法四〇〇条但書に従つて更に判決する。
原判決の認定せる事実に法律を適用すると、被告人の原判示所為は道路交通法一二一条一項五号、二一条一項に該当するので所定刑中罰金刑を選択し、前示情状により刑法六六条、七一条、六八条四号を適用して酌量減軽した金額の範囲内で被告人を罰金三、〇〇〇円に処し、右罰金を完納することができないときは同法一八条により金一、〇〇〇円を一日に換算した期間、被告人を労役場に留置することとし、なお原審及び当審における訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項本文を適用して原審の証人砂原信之(二回)、同深町勝及び同山口尚登(二回)に支給した分を全て被告人の負担とする。
よつて、主文のとおり判決する。
(裁判官 平田勝雅 川崎貞夫 堀内信明)