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福岡高等裁判所 昭和52年(う)652号 判決 1981年11月05日

主文

本件控訴を棄却する。

当審における未決勾留日数中九〇〇日を原判決の刑に算入する。

理由

<前略>

弁護人らの控訴趣意第三点及び被告人の控訴趣意中訴訟手続の法令違反の論旨について。

所論は原判決が事実認定に供した被告人の各捜査官に対する供述調書の証拠能力を否定し、

(一)  被告人に対する詐欺罪(以下別件という。)に関する昭和五一年一一月一七日付逮捕状による逮捕及び、同年一一月二〇日付勾留は被告人に対する強盗殺人罪(以下本件)について、被告人を取り調べるために利用する意図のもとになされたものであるから、憲法三一条、三三条、三四条、三八条の諸規定に違反する違法な逮捕勾留であり、このような違法な別件逮捕勾留中に得られた被告人の捜査官に対する供述調書はいずれも違法に収集された証拠として証拠能力がない。

(二)  かりに、右別件逮捕、勾留が許容される場合であるとしても、別件逮捕、勾留中になされた被告人の本件に関する取調べは、裁判所に課せられた司法的抑制機能をくぐり、被疑者の防禦権を実質的に阻害することにならない場合に限定して許されるべきであり、任意捜査としての認容限度を超えた取調べは違法である。そして、被告人の場合本件の取調べに関しては、刑事訴訟法一九八条一項但書にいう取調受認義務はない。しかるに本件についての取調べは別件についての逮捕後六日目から長時間なされており、実質は強制捜査としての取り調べと同視できるものであるから、このような違法な捜査により得られた本件についての自白調書は違法に収集された証拠として証拠能力がない。

(三)  また、被告人の本件に関する昭和五一年一二月九日付逮捕状による逮捕及び同年一二月一二日付勾留は、実質的には別件逮捕、勾留のむし返しであるだけでなく、前記違法な別件逮捕勾留中に得られた証拠能力のない本件についての自白調書を資料としてなされたものであるから、これまた違法というべく、結局被告人は憲法三三条、三四条の規定に違反して逮捕勾留されたことに帰するから、このように違法な本件逮捕勾留中に得られた被告人の捜査官に対する供述調書もまた、いずれも証拠能力を否定されるべきである。

(四)  更に、かりに、右別件逮捕勾留及び本件逮捕、勾留がいずれも違法でないとしても、被告人の司法警察員に対する本件についての自白調書は、いずれも捜査官の脅迫もしくは利益誘導や予断に基づく誤導によるばかりか、被告人が痔の悪化にも拘らず劣悪な環境の下で連日長時間に亘る苛酷な取調べに耐えかねてなした自白を録取したものでいずれも任意性がなく、右調書をやきなおしただけの検察官に対する本件についての被告人の供述調書にも任意性がないので、いずれもその証拠能力を否定されるべきである。

以上のとおりであるのに、原判決がこれらの違法な捜査により得られた被告人の供述調書に証拠能力を認め、これらを事実認定の基礎にしたのは、まさしく訴訟手続の法令に違反したもので、判決に影響を及ぼすこと明らかであるから、原判決は破棄を免れないというのである。

そこで以下所論に即して検討する。

本来令状主義を保障する憲法三三条、三四条、及びその理念に基づく刑事訴訟法の諸規定を合理的に解釈すれば、逮捕、勾留について令状主義は各被疑事実ごとに運用されるべきものであることが原則(事件単位の原則)であると解せられ、これを厳格に適用すれば、甲事実について逮捕勾留中の被疑者を乙事実について取調べることは許されないことになる。しかしながら、この原則をそのように厳格に貫くときは、被疑事実ごとに逮捕、勾留を繰り返す必要を生じ、却つて被疑者の身柄拘束の期間の長期化を来し、また一方捜査の流動的、発展的機能を著しく阻害することにもなるので現実の運用面においては、前記令状主義の基本理念に立ちつつも、事件単位の原則を緩和する必要に迫られることになる。従つて現実には、甲事実について逮捕勾留中の被疑者を乙事実について取り調べることをすべて違法とすべきものではなく、具体的事案に即し捜査の流動的発展的機能の要請と令状主義の基調である基本的人権の保護の要請の調和の中において、合理的に検討されねばならないわけであるが、乙事実についての被疑者の取調べが許されるためには、少くとも甲事実についての逮捕勾留が適法であること、即ち、甲事実についての逮捕、勾留それ自体に理由及び必要性を具備すべきは当然の帰結である。そして、更に、甲事実についての逮捕、勾留について形式的には理由と必要性が具備している場合でも、甲事実についての身柄の拘束を利用して、もつぱら乙事実の取調べをすることを目的として、甲事実についての逮捕、勾留がなされたと認められる場合は、乙事実について令状を請求するに必要な資料もなく、従つて未だ適法な令状を得ていないのに、これを得たと同一の効果を狙うもので、このような甲事実についての逮捕、勾留は憲法が保障する令状主義を潜脱するものであつて、違法といわざるを得ず、被疑者の人権を守るためには、このような違法な別件逮捕、勾留中に得られた乙事実についての被疑者の自白には証拠能力を与えるべきでないということになるのである。

そこでこれを被告人の場合について検討するに、まず事件の発生から別件及び本件の起訴に至るまでの経緯をみると次のとおりである。

本件記録及び岡村三千年(第三)〔このことは、当該人の当審第三回公判調書中証人としての供述記載を指す。以下同じ。〕瀬口立正(第四、第五)、本田吉哉(第七)、田中盛(第一二)、甲斐則一(第一三)、松岡久仁男(第一四)、工藤紀保(第一四)、西村直人(五四、一二、六)〔このことは当該人の当審証人尋問期日における調書の記載を指す。なお、数字は順次昭和年月日である。以下同じ。〕藤川洋一(五四、一二、六)、村上大陸(五四、一二、六)、本郷猛(7778)、佐々木克己(8384)、大石磨(七三)、楢山義昌(七四)の各司法警察員に対する供述調書(本郷猛以下の括弧内の数字は検察官の請求番号でアラビア数字は原審分、漢字は当審分。以下同じ。)、司法警察員作成の実況見分調書(65)、司法警察員作成の捜査報告書四通(一四〇、一五四、一五五、五五、)逮捕状請求書(五四)、鑑定嘱託書(154)鑑定結果についてと題する書面(155)によれば以下の事実が認められる。

昭和五一年四月五日午後六時すぎ、被害者佐々木喜美の夫佐々木克己ほか数名の親族らが、右佐々木喜美が自宅で何者かに殺害されているのを発見し、その通報によつて熊本北警察署及び熊本県警察本部から派遣された警察官により、被害者の死体及び現場の状況の見分がなされ、その結果、強盗殺人事件として熊本北警察署に捜査本部が設けられて捜査が開始され、近隣の者及び佐々木家に出入りの者被害者との怨恨関係者等について広く聞き込み捜査が行われた。その過程において、たまたま捜査員の一人であり、かつて、八代警察署在勤中に被告人に対する詐欺事件の捜査に当つたことのある熊本北警察署勤務の藤川洋一巡査部長から被告人は被害者の夫の経営する敬仁病院に勤務していたが、被害者とのいざこざが原因で同病院を辞めたこと、被告人に強盗傷人の前科もあることなどの報告がなされたことから、被告人をも参考人の一人として事情聴取をすることとなつた。

そこで、右藤川洋一巡査部長外一名が被告人から事情聴取をするため事件発生当日の夜一一時ころ、被告人方を訪れたところ、被告人は既にこれを予期していた旨述べ、同巡査部長らの訪問を待つていたことや、同日の午前中に被害者に電話で金一〇万円の借用を申し入れたこと、同日は午前、午後ともセールスのため、八代市周辺を廻つていたことなどを含むアリバイの供述をし、さらに翌六日に至り右藤川洋一巡査部長と交代して被告人からの事情聴取に当つた熊本県警察本部松岡久仁男警部補に対してなした供述が前記藤川洋一巡査部長に対する供述と一致しない点があるなど、不審な点があつたため、被告人のアリバイに関する供述の裏付捜査が行われた結果、真実と合致しない点が多く、なかんずく被害者が殺害されたと推定される同年四月五日午後三時ころから同日午後四時ころまでにおける被告人の行動について、客観的な裏付のある供述が得られなかつたことから、被告人が犯人ではないかとの疑いが抱かれるようになり、同年五月一二日被告人に対してポリグラフの鑑定を行つたところ、被告人のアリバイに関する供述及び本件強盗殺人の事実に関する否定的供述が虚偽である旨の鑑定がなされ、被告人に対する容疑が一段と深まるに至つた。そして、同日警察側は被告人を強盗殺人の疑いで逮捕すべく熊本地方裁判所裁判官に請求して逮捕状を得たが、被告人と本件犯行とを結びつける直接的証拠が発見できないため、被告人を逮捕することを差し控え、右逮捕状を裁判官に返還した。

一方、被告人の身辺捜査及び被告人の供述の裏付捜査が綿密に行われたが、その過程において、被告人は数多くの金融業者や友人らから一、〇〇〇万円を超える相当多額の借金をし、その中には借り受けの手口として詐言を弄して多大の迷惑をかけ、被害感情は必ずしも緩和されていなかつたこと、被告人は職を転々として定着性に欠けていたことが明らかになり、山上伸夫からの現金一五〇万円の騙取(これが原判示第二の事実である)を含む詐欺の容疑が深くなつた結果、警察側は同年一一月一七日遂に右山上伸夫に関する詐欺及び岩本保一から額面六五万円の約束手形を騙取した各詐欺被疑事件について逮捕状を請求し、裁判官から逮捕状の発付を得て同月一八日午前七時三〇分、被告人をその自宅において逮捕し、同月二〇日午後一時二三分、被告人に対する勾留状を執行した。そして、岡村三千年巡査部長において、逮捕当日から連日被告人を別件について取り調べる一方、被告人の供述の裏付捜査を行い、同月二四日からは、別件の取調べの合い間を見ては熊本県警察本部所属の瀬口立正警部補において本件についても被告人を取り調べることとなつた。被告人は別件については、ほぼ事実を認めたがその犯意を否認し、警察側では被告人の供述の裏付捜査及びその使途などの捜査を続けたが、一〇日間の勾留日数では十分の捜査を遂げることができず、同年一一月二七日、右勾留期間を同年一二月九日まで延長の許可を受けて捜査を続け、同年一二月五日検察官の取調べにより詐欺の犯意の点を含め山上伸夫に関する原判示第二の詐欺罪につき全面的な自白を得たが、なお細部についての取調べをしたうえ、同年一二月九日右詐欺の事実につき熊本地方裁判所に起訴した。

更に、瀬口立正警部補においては、同年一一月二四日、同月二五日、同年一二月一日、同月二日、同月三日、同月八日、同月九日に、それぞれ別件に対する岡村三千年巡査部長の取調べの間隙を利用して、本件について重要参考人として被告人の取調べをした結果、同年一二月九日本件について被告人は重大な決意を表明するに至り、よつて以後は被告人の熟慮を求めた上、右事件について供述を求めたところ、被告人が自白をしたので被告人の供述調書を作成し、これを疎明資料の一つとして逮捕状の請求をし、熊本簡易裁判所裁判官発付の逮捕状を得て同月一〇日熊本北警察署において右逮捕状を執行し、同月一二日強盗殺人罪についての勾留状を執行した。被告人の本件被疑事実についての自白の内容については各部分について検討すべきところから検察官は同月二〇日右勾留期間を同月三一日まで延長の許可を得て捜査をつづけ、同月二八日捜査を遂げて同日本件を起訴するに至り、捜査本部も同日解散された。

なお、別件及び本件の取調べに要した時間、作成された供述調書等については、別件について勾留の全期間に亘り、合計九五時間七分を費し、この間に作成された被告人の供述調書は原審で取り調べられたものは一四通にのぼるのに比し、本件の関係においては、右勾留期間中前記の七日間を利用し、合計三七時間二五分で、(その他に一二月八日の現地踏査の八時間一五分がある。)この間に作成され、原審で取り調べられた被告人の供述調書は二通にとどまる。(その他一二月二日付被告人が上申書二通作成の形式のものがある。)

ところで、別件についての逮捕、勾留の基礎となつた被疑事実によれば、その被害額はいずれも少額とはいえず、被害感情も当時必ずしも緩和されていなかつたこと、前記のとおり、右の他にも被告人において金融業者や友人らから同種の手口で金員を騙取した形跡も窺われるなど、その刑責は軽視しがたいものがあり、十分起訴価値があると認められ、犯行時から相当の日時を経ているだけに証拠関係も隠滅しやすく、当時における被告人の負債が前記のように一、〇〇〇万円以上にのぼる多額のものであつて、余罪を追及された場合逃亡のおそれもなしとし難いことなどの諸事情に照らせば、別件について逮捕、勾留の理由及び必要性があると考えられ、その適法性をゆうに肯認し得るところである。もつとも、前記捜査の過程に鑑みるときは、当時警察側において本件についても被告人が犯人であるとの強い疑いを抱き、一時は被疑者として逮捕状まで請求したことから、右別件逮捕、勾留の期間を利用して別件と併行して本件についても被告人を取り調べる意図を有していたことは否定できないが、現実になされたその後の被告人に対する別件及び本件についての取調べ状況は前記のとおりで本件についての取調べは別件の取調べの間隙を利用し、時間的にも、作成された調書の数においても著しく少ないこと、その他右期間中に別件についての被告人の供述の裏付けとして多数の参考人の取調べと、これらの者の供述調書が作成され司法警察員による捜査報告書の作成や捜査事項照会等が相当数にのぼつていることなどに鑑みると、別件逮捕、勾留は当該各詐欺罪に対する取調べの目的が主となつていることが認められ、もつぱら本件について被告人の自白を得ることを目的としたものとは認められないので、別件逮捕、勾留そのものは適法なものと認めることができる。従つて、右別件逮捕、勾留中における当該詐欺罪についての被告人の取調べが違法でないことは勿論である。

そして更に、別件逮捕、勾留中に行われた本件についての取調べの実情を見てみると、瀬口立正(第四、第五)、村上大陸(五四、一二、六)、司法警察員作成の捜査報告書(昭和五一年一二月二一日付)(一一四)、被告人作成の上申書二通(一一、二五)、被告人の司法警察員に対する昭和五一年一二月九日付供述調書(一六〇)、被告人の検察官に対する同月一一日付供述調書(128)によれば、右取調べに当つた瀬口立正警部補は、その取調べ中、被告人に対し暴行、脅迫は勿論、利益誘導や予断に基づく誤導により任意性を疑わしめるような自白の強制をした形跡はなく、却つて同人が初めて被告人を取り調べた昭和五一年一一月二四日、及び同月二五日はもつぱら懐旧談や警察官としての経験談などを交じえ、条理を説くなどして被告人のかたくなな心情を和らげることを主としていたこと、被告人は右瀬口立正警部補に対して同年一二月九日に自白するまでは、本件犯行日である同年四月五日は八代市周辺をセールスのために巡回していた旨を強く主張しつづけていたもので、これに対し同警部補は被告人の主張を同年一二月二日付上申書二通に書かせ被告人の希望を上司に取り次いで同月八日午前九時四五分から午後四時まで被告人立会のもとに現地で被告人主張のアリバイについて実地踏査をするなどしたこと、しかし、捜査官の裏付捜査により右アリバイの主張が現地における客観的情況と合致しない点を明らかにされ、被告人はもはやこれを維持できなくなつたと考え、重大な決意をするに至つたこと、同月九日瀬口立正警部補は被告人の希望を容れて弁護人に連絡したり、被告人の妻との面会の手続をし、更には被告人が自供しようとするのをおしとどめて熟慮のうえで自供するよう勧めるなどしたこと、等被告人は任意に瀬口立正警部補の取調べに応じ、自白をした経過が認められる。従つて右事実に徴すれば同警部補の被告人に対する取調べは刑事訴訟法一九八条一項の趣旨に照らしてみても所論がいうように任意捜査の限界を超えたものとは認められず、被告人の同警部補に対する同年一二月九日付供述調書の任意性を十分肯認できる。(なお瀬口立正(第四、第五)によれば瀬口立正警部補は被告人に対する本件についての取調べに当り、供述拒否権を事前に告知しなかつたことが認められるが、その取調べの実情が前認定のとおりであるばかりでなく、別件についての被告人の司法警察員に対する供述調書(42)により明らかなとおり、被告人は別件ですでに供述拒否権を告知されているので、このような場合には本件につきこれが事前に告知されなかつた故をもつて、右本件についての自白の任意性が否定されるものではなく、従つてこれを録取した右供述調書の証拠能力が否定されるものではない。)従つて、本件逮捕、勾留についての判断資料に右供述調書が用いられたとしても本件逮捕勾留が違法となるわけはなく、本件逮捕勾留中に被告人が取り調べられて作成された供述調書もまた、そのことだけから証拠能力が否定されるものではない。

そして、本件逮捕勾留中の被告人に対する司法警察員の取調べに所論のような任意性を疑わしめるような事実があつたことを述べる被告人の原審第四、第五、第七回、当審第九回公判調書中の供述記載部分は信用できないし、記録上右任意性を疑うべき事由も見当らず、被告人の検察官に対する供述調書についても同様である。

以上のとおりであるから、本件に関する捜査官に対する被告人の各自白を内容とする供述調書はすべて証拠能力を有すると認められ、原判決がこれを事実認定の証拠に用いたことは相当であり、原判決には所論のような訴訟手続の法令違反はない。論旨は理由がない。<以下、省略>

(生田謙二 畑地昭祖 矢野清美)

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