福岡高等裁判所 昭和52年(ネ)705号 判決 1981年7月01日
控訴人(原告)
辻田弘
被控訴人(被告)
大串木工有限会社
主文
原判決を次のとおり変更する。
被控訴人は控訴人に対し、金一〇二六万三七九七円及びうち金九四六万三七九七円に対する昭和五一年四月一二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
控訴人のその余の請求(当審で拡張した請求を含め)を棄却する。
訴訟費用は、第一、二審を通じこれを三分し、その二を被控訴人、その余を控訴人の負担とする。
この判決は控訴人勝訴部分に限り仮りに執行することができる。
事実
第一当事者双方の求める裁判
(控訴人)
原判決を取り消す。
被控訴人は控訴人に対し、金二五〇〇万円及びうち金二四〇〇万円に対する昭和五一年四月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え(当審において請求を拡張)。
訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
この判決は仮りに執行することができる。
(被控訴人)
本件控訴(当審で拡張した請求をも含めて)を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
第二当事者の主張
(請求原因)
一 事故の発生
(一) 日時 昭和四四年二月一日午後一〇時頃
(二) 場所 長崎県佐世保市田原町二一番一九号先国道上
(三) 加害車 長崎4な九二五三(小型貨物自動車)
右運転者 訴外大串ツギ
(四) 被害者 控訴人
(五) 態様 右道路を横断歩行中の控訴人に加害車が衝突
(六) 傷害の程度 右事故により控訴人は右膝関節捻挫傷の傷害を被り、長崎労災病院に直ちに入院、右膝腫張著明、右膝伸展不能、右膝曲折不能のため即日ギブスシーネ固定療法を受け、同月一八日シーネ除去後は松葉杖を使用して歩行運動浴等を開始し、膝屈曲六〇度位の状態で同年三月一〇日退院、引続き同日橋口整形外科に入院、同年四月三〇日退院、退院後引き続き右病院に通院し、同年九月一日再び右病院に入院、同月一五日退院、退院後も同年一一月二九日まで右病院で通院治療を受け、その後大村市立病院で治療を受け、昭和五一年三月二四日国立療養所川棚病院に入院、同年四月二日国立嬉野病院へ転院、同月一二日、右人工膝関節全置換手術を受け、同年六月二〇日退院したが、現在も通院加療中で、歩行は極度に困難で、局部に疼痛があり完全回復の見込みはない。
二 責任原因
被控訴人は、本件加害車を自己のために運行の用に供していた。
三 損害
(一) 逸失利益 二五〇〇万六三六六円
控訴人は大正一三年一月二〇日生まれの男子であるが、昭和五一年四月一二日右膝に人工膝関節全置換手術をした結果、右膝の関節機能は全廃し、控訴人が六七年に達するまで一五年間、労働能力の喪失率七九パーセントの後遺症が継続するものと思われる。控訴人は事故当時田、畑約一町二反を所有し、年間八〇万〇八〇〇円の農業所得があつたが、事故後殆んどの田畑を他に処分し、現在無職であるところ、昭和五〇年賃金センサスによると、全産業の五二歳男子労働者のきまつて支給を受ける現金給与額は一八万七四〇〇円である。そこでライプニツツ式を用いて中間利息を控除すると、この間の逸失利益は二五〇〇万六三三六円となる。
((187,400×12)+800,800=3,409,600 3,409,600×0.79×10.3796=25,006,366)
(二) 慰藉料 一〇〇〇万円
控訴人は終生労働力を奪われ、疼痛と不自由な生活を強いられることによる肉体的、精神的苦痛は甚大である。
(三) 弁護士費用 一〇〇万円
よつて、控訴人は被控訴人に対し、右各損害金合計三六〇〇万六三六六円のうち二五〇〇万円及びこれに対する事故後である昭和五一年四月一二日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
(請求原因に対する答弁)
請求原因一の事実は、そのうち(六)は不知、その余の事実は認める。同二の事実は認める。同三の事実は争う。
(抗弁)
一 控訴人は昭和四九年一一月滑膜切除手術をした当時、右膝関節機能が廃失したことを自認していたのであるから、当時当審で拡張した損害を予見していた。したがつて控訴人が当審で請求を拡張した昭和五三年九月二六日には、すでに、控訴人が損害を知つた時から三年を経過しているので、時効を援用する。
なお、後記控訴人の自白の撤回には異議がある。
二 本件事故の発生は、左右の安全確認をしないで突然飛び出して横断しようとした控訴人は過失に起因するところ大であるから、損害額の算定につき斟酌すべきである。
三 控訴人は自賠責保険金三七万六一八八円を受領したほか、訴外平野ツギから五万円、被控訴人から一四万円の各支払を受けた。
(抗弁に対する答弁)
抗弁一の消滅時効の主張について、本件は右人工膝関節全置換手術の結果、控訴人の右膝関節機能が全廃したことによる損害の賠償を求めるものであり、控訴人が右後遺症を予見しえた時点は昭和五一年三月一七日頃であるから、控訴人がその旨請求を変更、拡張した昭和五三年九月二六日には未だ消滅時効は完成しておらない。同日付訴の変更申立書の損害の項の、昭和四九年一一月の滑膜切除手術当時既に右膝関節機能が廃失している旨を陳述していることが自白に該当するとしても、右は真実に反しかつ錯誤に基づくものであるから、これを撤回する。同二の事実は否認する。同三のうち、自賠責保険金を受領したことは認めるが、その額は争う。訴外平野から五万円、被控訴人から九万円の支払を受けたことは認め、その余は否認する。
第三証拠関係〔略〕
理由
一 請求原因一の(一)ないし(五)、同二の事実は当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第一ないし五号証、乙第二、三号証、第九号証、第一一号証、当審証人前田謙而の証言によつて真正に成立したことが認められる甲第一一号証、原審及び当審(第一、二回)証人橋口剛志、当審証人前田謙而の各証言、原審(第一、二回)における控訴本人尋問の結果によると、控訴人は、本件事故により右膝関節血腫の傷害を負い、昭和四四年二月一四日から同年三月一〇日まで長崎労災病院に入院し、同日から同年一一月二九日まで橋口整形外科内科医院で治療(入院六六日通院実日数一二五日)を受け、同日右膝関節内血腫は症状固定と診断されたが、右膝に変形性膝関節症を誘発していたので昭和四五年一月二六日から同医院に通院して治療を受けていたところ、昭和四八年一月頃から右膝関節症は益々悪化し、昭和四九年一月二八日から同年三月九日まで大村市立病院に入院し、その後同年九月二〇日まで同病院に、同月二一日から前記橋口医院に通院して治療を受けたこと、同年一一月頃右膝関節の一部に膨隆が認められたので、同月八日同医院に入院し、腫瘍の疑いで右膝の切開手術を受けたが、腫瘍性の変化はなく、滑膜の異常な増殖が認められたので、右手術の機会を利用して滑膜切除の手術を受け、昭和五〇年三月一〇日同医院を退院し、引続き同月一一日から同年一二月二六日まで同医院に通院したこと、ところがその後も激しい疼痛が消失せず、骨萎縮が顕著に認められたので、昭和五一年四月一二日国立嬉野病院に入院し、人工膝関節全置換手術を受け、同年六月二〇日退院し、同月二一日から昭和五二年二月四日まで通院して治療を受けたが、現在でも歩行に松葉杖を必要とし、右膝は人工関節のため屈曲の可動域が二〇度しかなく、階段の上り下り、用便等に苦労し、特に寒冷時には疼痛があり、週一回通院を要することが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
二 そこで、消滅時効の点について判断するに、原審及び当審(第一、二回)証人橋口剛志、当審証人前田謙而の各証言、当審における鑑定の結果並びに原審における控訴本人尋問の結果(第二回)によると、控訴人は昭和四八年一月頃右膝の余りの痛さに自棄的に、橋口医師に対し、右足を切断して下さいと言つたこともあつたが、同医師は痛さを止める方法として関節固定術があるが、関節の機能を全廃することになるので、しばらく手術は待つように勧めたこと、その後同医師は昭和四九年一一月に滑膜切除手術をしたほかは、昭和五〇年一二月まで内科的治療に終始したこと、しかし、その後も激しい痛みが続くので昭和五一年三月レントゲン検査をしたところ、以前には認められなかつた著しい骨萎縮、軟骨破壊が認められたので、手術を要するとの予見から国立嬉野病院を紹介したこと、同病院の医師も最早内科的治療では効果がないとして痛みの消失に効果のある膝関節固定術を勧めたが、控訴人はこれを拒否し、手術の経過如何によつては九〇度屈曲の可能性もある人工膝全置換手術の方を希望し、同医師もその方法をとつたが、結果的には前記のとおり可動域が二〇度程度しかないことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。右認定の治療の経過によると、控訴人が昭和四九年一一月当時、後に人工膝全置換手術をし、その結果現在程度の機能障害が起こることを予見したとは認め難く、他にこれを認めるに足りる証拠はない。前記鑑定結果中には、昭和四九年七月一七日大村市立病院で撮影したレントゲン写真から判定して、この時点では、昭和五一年三月当時の高度の膝関節障害を予見できたとする部分もあるが、もとより右は医師としての立場からの予見であつて、右の認定を妨げるものではない。
右認定によると、控訴人は少なくとも昭和五一年三月に至るまで、昭和五三年九月二六日当審で拡張した損害の発生を知らなかつたというべきであるから、右拡張時はいまだ三年の消滅時効は完成しておらず、この点に関する被控訴人の主張は失当である。なお、この点に関する控訴人の昭和五三年九月二六日付訴の変更申立書による昭和四九年一一月の滑膜切除手術当時既に右膝関節機能が廃失していた旨の陳述をもつて、被控訴人主張のような自白に該るといえるか疑問があるばかりか、右認定及び弁論の全趣旨によると、この点についての控訴人の陳述は、真実に反し、かつ錯誤に基づくものであることが認められる。
三 損害額の算定
(一) 逸失利益
成立に争いのない甲第一四ないし三一号証、原本の存在、成立とも争いのない乙第四、五号証に原審(第二回)及び当審における控訴本人尋問の結果によると、控訴人は大正一三年一月二〇日生まれの男子であるが、事故当時田、畑約一町を所有して農業を営み、米六五俵(一俵六〇キログラム)のほか茶、甘藷等を生産し、年間合計六六万八〇〇〇円の収益を挙げ、農閑期には一年のうち六〇日間日雇に出て合計一〇万八〇〇〇円の賃金を得ていたが、昭和四六年から昭和四八年にかけて田、畑の大部分を他に処分し、現在無職であることが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。経験則によると、右の農業収益等は昭和四四年以降昭和五一年までの間消費者物価指数程度は上昇したものと認められるところ、昭和五〇年を一〇〇とする昭和四四年度の総合消費者物価指数は五三・九、昭和五一年度のそれは一〇九・三であること、昭和五一年度において五二歳の男子は二四・一年の平均余命があることは、いずれも当裁判所に顕著な事実である。
右認定の事実に前記一認定の治療の経過、後遺症の程度等を併せ考えると、控訴人は本件事故がなければ、昭和五一年四月一二日以降六七歳まで一五年間は就労可能であり、この間の労働能力の喪失割合は四五パーセントであると認めるのが相当である。
そこで控訴人の昭和四四年度の収入七七万六〇〇〇円に昭和五一年度の対昭和四四年度比の消費者物価指数を乗じ、さらにこれに労働力の喪失率を乗じて得た昭和五一年四月一二日以降一年間の逸失利益を基礎とし、ライプニツツ式により一五年間の中間利息を控除したこの間の逸失利益の現価を算出すると七三四万九九八一円((668,000+108,000)×109.3÷53.9×0.45×10.3796=7,349,981)となる。
(二) 過失相殺
原審における控訴本人尋問の結果(第一回)によつて真正に成立したことが認められる甲第六、七号証、当審証人平野ツギの証言(一部)、原審(第一、二回)及び当審における控訴本人尋問の結果によると、控訴人は身体障害者(網膜色素変性症、障害者等級五級七号)で視力が弱く、夜間は明暗が分かる程度であるところ、事故当時いとこの一瀬春男と連れだつて帰宅途中、本件事故現場である道路端で小用をすましているうちに、同人が先に右道路を横断してしまつたので、後を追つて横断を始め、道路中央附近まで来た時、左側から進行して来る平野ツギ運転の乗用車の明りを認めたので両手を上げて立止つたが、同人は停車することなく、そのまま進行して控訴人に衝突したこと、当時控訴人は身体障害者用の白い杖を携行していなかつたことが認められ、右認定に反する当審証人平野ツギの供述部分は前掲各証拠に照らし、措信できない。右認定によると、本件事故における控訴人の過失割合は二割と認めるのが相当である。したがつて前記逸失利益七三四万九九八一円から二割を減じた五八七万九九八五円が被控訴人に対して請求し得る損害額である。
(三) 慰藉料
控訴人の受傷の程度、入、通院の期間、過失の程度その他諸般の事情を斟酌すると、控訴人の精神的肉体的苦痛を慰藉するには、四〇〇万円をもつて相当と認める。
(四) 損害の填補
成立に争いのない乙第二号証、原審における控訴本人尋問の結果(第一回)によると、控訴人は自賠責保険金二七万六一八八円の支払を受けたことが認められる。また、控訴人が訴外平野から五万円、被控訴人から九万円の支払を受けたことは当事者間に争いがなく、被控訴人がそのほかに五万円を支払つた事実を認めるに足りる証拠はない。
(五) 弁護士費用
本件事案の内容、本件訴訟の経過等に徴すると、弁護士費用のうち被控訴人に請求し得る額は八〇万円をもつて相当と考える。
四 そうすると、被控訴人は控訴人に対し、自賠法三条により控訴人が本件事故により被つた損害一〇二六万三七九七円及びうち弁護士費用を除いた九四六万三七九七円に対する本件損害が発生した日である昭和五一年四月一二日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があるものというべく、控訴人の本訴請求は右の限度で正当として認容し、その余は失当として棄却すべきところ、右と趣旨を異にする原判決は失当であるから、これを変更することとし、訴訟費用の負担について、民訴法九六条、八九条、九二条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用し、主文のとおり判決する。
(裁判官 美山和義 前川鉄郎 川畑耕平)