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福岡高等裁判所 昭和53年(う)413号 判決 1982年1月25日

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人尾山正義、同砂田司、同岩成重義、周吉永普二雄、同阿川琢磨提出(連名)の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は、検察官岩崎榮之提出の答弁書記載のとおりであるから、ここにこれらを引用する。

右控訴趣意第一点(事実誤認)について。

所論は、原判決が証拠の評価を誤り、事実を誤認し、この誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかであるとして、その理由を種々主張しているが、原判決挙示の関係各証拠によれば、原判示のとおり被告人森本義人の過失行為及びその結果(罪となるべき事実)を認めることができ(ただし、被害者一覧表氏名中番号308の池見真市は池見貢市、番号736の山中清美は山中清明の各誤記と認める。)、原判決には判決に影響を及ぼす程の違法は認められない。

以下、所論の順に従つてこれに判断を示す。

一  六号脱臭缶蛇管の腐食貫通孔の開口に関する事実誤認について

所論は要するに、原判決は、昭和四三年一月三一日、カネミ倉庫株式会社(以下、カネミという。)における六号(旧二号)脱臭缶(以下、六号脱臭缶又は六号缶という。)の運転再開に当り、同脱臭缶内蛇管の開口していた貫通孔(ピンホール)からカネクロールが内槽内の食用油中に漏出混入して原判示のPCBによる有機塩素中毒症(以下、本件油症という。)事件を惹起した旨認定するが、右運転再開に当り、予めなされた二度目の真空テストが異常なく奏功したこと及び右貫通孔の充填物が欠落していなかつたことに照らし、右同日、貫通孔は開口していなかつたことが明らかである。すなわち、(1)原判決は、六号脱臭缶の据付け後、飛沫油(ロス)取出口の亀裂を発見し、それを修理して真空を引かせたところ、同個所からの漏れが止つていることを確認したこともあつて、右再度の真空テスト時においては安易感が生じ、細心の注意を払つての点検を怠つた可能性が十分考えられるとして、再度の真空テストにおいて、真空バルブを締めて真空の保持状態をみるテスト(以下、真空保持テストという。)及び全脱臭缶の同時運転による真空テスト(以下、全缶テストという。)がなされたことを否定する。しかし、真空テストにおいては、真空保持テストをするのが普通であり、また全缶テストをするのが不可欠だから、これらテストに関する証言等に一部あいまいなところや言葉足らずの点があつたとしても、他の供述部分でこれらのテストをしたことを供述しているならば、その供述の方が正しいのであつて、これらテストがなされたと認定するのが客観的、合理的な解釈というべきである。なお、仮りに原判決のいうように真空保持テストはなされなかつたとしても、六号脱臭缶設置時における真空装置の能力が、当時六基の全脱臭缶を連続運転した場合に一定の減圧状態を保持できるか否か不明であつたうえ、その能力がなければ脱臭作業はできないから、全缶テストは不可欠であり、これをしないで脱臭作業を実施する筈はない。また、仮りに貫通孔が充填物の欠落により開口していたとすれば、当時の真空装置の能力はぎりぎりの限界状態にあつたから貫通孔の大きさから考えても真空装置の作動に異常を来たす筈であるのにその異常がなかつたことに照らしても、当時開口していなかつたことが明らかである。次に、(2)充填物の欠落に関し、原判決は、蛇管が充填物の欠落の原因となる衝撃を受ける可能性を指摘して、貫通孔は充填物の欠落により開口していたというのである。しかし、可能性をいうのであれば、反対に衝撃を受けない可能性もあるのであり、そればかりか、充填物が欠落していない可能性があることは多くの証拠によつて補強されているものである。また、原判決は、六号脱臭缶蛇管が外筒腐食による運転停止から再開までの約二か月間放置されていたため充填物が乾燥し、欠落や亀裂、多孔質化を生じ易い状態にあつたというが、カネミの本件発生による営業停止の後九州大学の篠原久教授、徳永洋一助教授らが蛇管を切断採取するまでの約六か月間放置されていたのに、右採取後も充填物は欠落しなかつたことに照らしても、原判決の認定は事実に反するものである。したがつて、原判決が六号脱臭缶の運転再開に当り蛇管の貫通孔が開口していた旨認定したのは事実を誤認したものである、というのである。

よつて、以下検討する。

1真空テストに関する所論について。

原審証人川野英一(六回、七回公判分)、同三田次男(六一回公判分)、同石田久雄の各供述、川野英一(昭和四四年一〇月八日、同年一二月二五日付)、三田次男(同年一二月六日付)、高木善次郎、石田久雄、権田由松の検察官に対する各供述調書、被告人の原審公判廷における供述(一一四回、一二二回、一二六回、一三〇回公判分)並びに検察官(昭和四四年一〇月九日、同年一二月三〇日、昭和四五年一月三日付)及び司法警察員(昭和四三年一二月一七日、昭和四四年一月二九日付)に対する各供述調書によれば、カネミでは、西村工業株式会社(以下、西村工業という。)から修繕のうえ納品された六号脱臭缶について、昭和四三年一月三一日、被告人の指示により脱臭係員川野英一、同三田次男の操作で真空テストを実施したこと、テストの方法は、一号ないし五号脱臭缶の真空バルブを閉じ、六号脱臭缶のみ真空バルブを開いて真空装置を作動させ、水銀柱三ミリの真空度に達するかをみるものであつたが、実施の結果は僅かに水銀柱五〇ミリぐらいまで真空が引くに止まり空気漏れのあることが疑われたこと、そのため長時間をかけて入念に各種点検をしたが漏れ箇所を発見できなかつたので、今度は同缶内に水蒸気を入れてその漏れを調べる方法(蒸気圧テスト)を行つたところ、同缶底部に取付けてある飛沫油(ロス)取出ロパイプのつけ根に長さ三ないし四センチメートルの細長い亀裂があつて、そこから蒸気漏れがあるのを発見したので、直ちに鉄工係員権田由松によつて同所を溶接修理し、再度蒸気圧テストを行つたところ漏れがなかつたので、引続き同缶のみの真空テストを実施し、今度は所定真空度まで真空が引くのを確認し、引続き試運転をして実際の脱臭操作をしたこと、ところで、カネミの脱臭缶内蛇管のパイプは脱臭缶を出て循環タンクに戻るが、循環タンクは空気抜きパイプで大気に通じていて、蛇管内をカネクロールが循環しない限り蛇管は大気と通じる構造となつているところ、前記真空テスト時に六号脱臭缶蛇管にカネクロールは循環していなかつたことがそれぞれ認められる。

けれども、本件事故は、後記2冒頭に認定判断のとおり、六号脱臭缶蛇管に生成していた多数の腐食貫通孔のうちのいずれかの孔の充填物が、各種衝撃等のいずれかにより、その全部又は一部に欠落、亀裂又は多孔質化が生じ、これが漏孔となつてカネクロールが脱臭油へ漏出したことに基因するものであることは否定することができない。そして、このような漏孔貫通孔があれば、脱臭缶内は右貫通孔及び循環タンクの空気抜きパイプを通して大気と通じることとなつて真空テストにおける真空の引きに異常を生じる筈であるから、真空の引きが確認されたということをもつて貫通孔が開口していなかつたことの徴表とみることは必ずしも理由なしとしない。しかしながら、真空装置で空気漏れがあつても、その漏れ量が同装置の排気能力の範囲内にある限り真空の引きに異常が現れないこと、カネミの真空装置は、設計上で所要排気量に相当の余裕分が加えられていたうえに、製作上も設計を大きく上廻る能力を有し、しかも、製作後にブースター一基を増強したためにその排気能力は優れた性能を有し、少くとも毎時三〇キログラムを超える水蒸気排気能力であつたこと、本件真空テストにおいて、最初の真空テストの時には、前記ロス取出口パイプつけ根付近の亀裂と開口した貫通孔との相乗作用により右真空能力を超える空気漏れ量となつて所定真空度まで達しなかつたが、再度の真空テスト時には右亀裂の補修によりその漏れ量が右真空能力の範囲内に止まることとなつたため、所定真空度に近い程度にまで真空が引いたと推認されること、右亀裂の補修を終り、再度の蒸気圧テストで漏れが止つたのを確認していたことなどもあつて、再度の真空テスト時に安易感が生じ、細心の注意を払つての点検を怠り真空の引きを確認したことでテストを終つた可能性があること、右にいう真空テストの本来の目的効果、特にそれが蛇管の欠陥発見のための確かで精密な検査手段とならないものであること等は原判決が詳細に説示して間然するところがなく、当裁判所もこれと判断を同一にするが、さらに付言するに、被告人の原審公判廷における供述(一二〇回公判分)並びに検察官(昭和四四年一二月三〇日付、昭和四五年二月二七日付)及び司法警察員(昭和四四年六月二六日付)に対する各供述調書によれば、被告人は、カネミの真空装置を製作した大東工業株式会社の技術者からその実際の性能が設計の1.6倍の優秀さであることを知らされ、その後ブースターを加えて能力を増強し、現に脱臭缶五缶までの真空操作ができたこともあつて、本件真空テスト当時右真空装置の能力に相当の信頼を置いていたが、他方、能力を増強したのが三号缶増設時で、その後四号缶、五号缶と二缶を増設していたこともあつて、被告人が右真空装置で果して六号缶を加えた全脱臭缶の真空操作が可能であるかにつき不安を抱き、それができない場合をも考慮し、そのときは六号缶を予備缶とする考えでいたことが認められる。しかし、真空装置が六缶全部の真空操作を賄えないということは、脱臭工程を経た脱臭油が農林規格ないし社内規格の定める品質を備えないということであつて、そのときは、六号缶は直ちに予備缶とされ、以後五缶による従前の運転が維持されることになるのであるから、品質不良の脱臭油ができるのは一過的で量的にも問題とならない程度の筈であり、しかも品質不良の脱臭油は再脱臭を加えることによつて改良できるものであり、この意味において、六缶全部の真空操作ができないということは脱臭装置や脱臭作業に決定的な打撃や損失を与えるものでないことが認められ、この点をも併せ考えれば、被告人に安易感があつたことは否定し難いところである。

これに対し所論は、真空テストにおける真空保持テスト及び全缶テストの不可欠性を理由として、各テストの実施を肯定する供述証拠があればこれを信用して各テストがなされたと認定するのが、客観的、合理的な解釈というべきであるというのである。そこで、関係各証拠を検討してみるに、

川野英一の検察官に対する供述調書中には、「二回目の真空テストをした結果二ミリになるまで引いたのでテストを終つた。」(昭和四四年一〇月八日付)、「六号缶の真空がきくのを確認してから全缶テストのためしめていた他缶のバルブを開けたような気もする。」(同年一二月二五日付)と、同人の原審証言中には、「六号缶の真空テスト後に何をしたか記憶しない。全缶の真空作業はしたかもしれない。」(六回公判分)、「真空バルブをしめて真空保持を検討したと思う。」(一四回公判分)との各供述部分、三田次男の検察官に対する昭和四四年一二月六日付供述調書中には、「真空テストをしてみて真空がきいたのでテスドを終つた。」と、同人の原審証言(六一回公判分)中には、「全缶テストはやつたと思う。」との各供述部分、樋口広次の原審証言中には、一般的方法として、「脱臭缶増設のときのテストは増設分だけ一応やつてみて、真空が引いたら脱臭作業をする。」(四三回公判分)、「脱臭缶増設のときの真空テストは一缶だけのテストが終り、全缶のテストをして別に異常がなければ脱臭作業をする。」との各供述部分が認められ、さらに、被告人の検察官に対する昭和四五年一月三日付供述調書中には、「真空テストにはまず六号缶だけ真空をきかせてみて、きいた場合にはさらに全缶テストをして他の脱臭缶全部と一緒に運転しても六号缶の真空がきくかどうかを確認する。」と、被告人の原審公判廷における供述中には、「脱臭缶増設のとき、通常は真空テスト後に脱臭作業をする。」(一一四回公判分)、「真空保持テストをした。それに続いて全缶テストをしたかどうかは判然り覚えない。したと思う。全缶テストは五号缶増設のときもした。」(一二二回公判分)、「六号缶の真空テストに続いて全缶テストをしたかどうか判然りしない。真空装置の能力をみるため必ずやると思う。」(一三〇回公判分)、「全缶テストをしたかどうか判然りしない。」(一三七回公判分)、「全缶テストはした。四号缶、五号缶の増設時もした。全缶テストをしなければ六缶連続運転ができるかどうかが分らない。」(一三八回公判分)との各供述部分がそれぞれ認められ、右に明らかな如く、真空保持テスト及び全缶テストをしたことを肯定する証拠も存在するが、その内容は極めてあいまいで脱臭缶増設時の建て前や過去の事例を述べるに止まるものが多く、同一人の供述自体の中でも首尾一貫性を欠き、他の関係証拠との対比においても矛盾することが認められ、これら証拠をもつてはとうてい真空保持テスト及び全缶テストがなされたことを肯認することができず、真空保持テストと全缶テストの不可欠性といえども安易感からこれを省略する余地があると認むべきことは前示のとおりであるから、所論は採用の限りでない。

さらに所論は、仮りに貫通孔が開口していたとすれば、貫通孔の大きさ(A孔23.12平方ミリメートル、B孔10.00平方ミリメートル、C孔0.36平方ミリメートルと0.14平方ミリメートル、D孔0.562平方ミリメートルと算定。合計面積34.282平方ミリメートル)とロス取出口つけ根付近の亀裂の大きさ(長さ三ないし四センチメートル、幅0.1ミリメートルと仮定して面積三ないし四平方ミリメートルと算定。)を対比すれば貫通孔がはるかに大きく、充填物は孔が大きいほど欠落の可能性が強いので、亀裂補修後の真空テストに全然異常が生じないということは不自然であり、この点から考えても貫通孔は開口していなかつたと認めるのが相当であるというのである。

しかしながら、所論は貫通孔の開口部の大きさを過大に仮定するもので相当でない。すなわち、篠原久外六名作成の鑑定書(昭和四四年八月二〇日付、以下、九大第一次鑑定書という。)、宗像健作成の鑑定書(昭和四五年三月二〇日付、以下、九大第三次鑑定書という。)、原審証人宗像健の供述(三五回、三七回公判分)によれば、八〇分を一脱臭サイクル、蛇管の内外差圧約1.34キログラム毎平方センチメートルとしてカネミの脱臭装置から想定しうるカネクロールの一バッチ当り最大漏れ量は一一七キロゲラム、これが蛇管から漏出しうるに要する貫通孔は最大径1.7ミリメートルの孔一個であるのに対し、最少漏れ量は8.92キログラムで、これに要する貫通孔は径0.47ミリメートルの孔一個であるが、しかし、漏れ量が右のとおりになる可能性は極めて小さく、現実にはその中間の条件が可能性としては大きく(九大第一次鑑定書九二頁)、この条件をふまえ、原判示のとおり実際の一脱臭サイクル一二〇分、一バッチにおける漏れ量を全漏出量一〇〇キログラムないし二〇〇キログラムと対比して最大五〇キログラム程度にみてもこの漏れに必要な貫通孔は最大径0.9ミリメートルの孔一個で足りる計算となること、右1.7ミリーメートルの孔から漏れ込む空気は約1.83キログラム毎時で、容積に換算して約三五八立方メートル毎時であり(九大第三次鑑定書一一頁)、したがつて右0.9ミリメートルの孔から漏れ込む空気量は約100.33立方メートル毎時となること、一方、カネミの真空装置の排気能力は水銀柱三ミリで毎時水蒸気三〇キロゲラムを超えるが、水蒸気三〇キログラムを常温での体積に換算すると約九四六〇立方メートル毎時となり(九大第三次鑑定書一一頁)、最大漏れ量に必要とされる1.7ミリメートルの孔一個からの空気漏れ量三五八立方メートル毎時と右真空装置の排気能力約九四六〇立方メートル毎時を比較してみると、水蒸気と空気では排気特性が異る(水蒸気の方が排気しやすい。)ので、原判決のように容積のみから単純に比率を出すのは適当でないが、右1.7ミリメートルの孔の場合到達真空度に影響が及ぶことは否定できず、ただその程度はいくらか影響する可能性があるという程度であり、したがつて、右0.9ミリメートルの孔からの空気漏れ程度であれば、この場合は到達真空度に殆んど影響しないこと等が認められる。右事実によれば、本件真空テストの当時、六号脱臭缶に多数存在した貫通孔の一個又は数個から充填物の全範囲又は一部範頻が欠落し又は多孔質化したと考えられることは後記のとおりであるが、それにより本件事故とつながる開口部の大きさは径約0.9ミリメートルの孔に相当する程度のものでも足りたと認められるのであつて、所論は開口した孔の大きさを過大に仮定したうえでの立論というべく、この点において失当という外ない。

なお、亀裂と各貫通孔の大きさに関する所論に即してさらに検討してみるに、亀裂の長さが三ないし四センチメートルであつたことは原審証人石田久雄、同川野英一(六回、七回公判分)の各証言、三田次男の検察官に対する昭和四四年一二月六日付供述調書によつて明らかであるが、その幅に関しては証拠上詳らかでなく、目に見えない程のものであつたとの関係証拠はその表現自体に正確性がないばかりか、亀裂の存在箇所は脱臭缶の底部で地上1.15メートル余の位置にあり、しかも石綿、硅薄土等の塗布により保温材で厚く覆われていて、これを除き身を屈してはじめて亀裂が目に触れる状況にあること(司法警察員作成の検証調書第一部、同第二部、同第三部、原審証人坂本亀太郎の供述、及び中村昭の司法警察員に対する供述調書)に照らせば、亀裂の幅が目に見えない程度であつたと認定するのは疑問であり、これを0.1ミリメートルとする所論は相当でない。次に、貫通孔に関しては、九大第一次鑑定書七二頁ないし七六頁及び三〇頁によれば、六号缶蛇管にはA、B、C、DのほかにE及び6の各貫通孔があるが(なお、右鑑定書によれば、C孔の貫通状況は確認できないが貫通箇所は存在したとされ、外観検査上は1.2ミリメートルと0.8ミリメートルの二個の孔が隣接して並び、内部で連結しているものとされる。)、A孔は幅1.4ミリメートル、長さ6.8ミリメートル(面積9.52平方ミリメートル)、B孔は二個の孔が連結し、その貫通断面は幅2.00ミリメートル、長さ7.00ミリメートル(面積14.00平方ミリメートル)、D孔は径約1.5ミリメートル(面積1.76平方ミリメートル)、E孔は径約1.5ミリメートル(面積1.76平方ミリメートル)、6孔は昭和四三年一一月一六日九州大学調査団が実施した空気漏れ試験でb孔とされたものであるが、同孔の漏れ量はE孔(同試験におけるa孔)の三分の一程度の漏れ量であつたことが認められ、6孔はこのことから面積もE孔の三分の一程度に推算され(面積0.58平方ミリメートル)、またC孔は前記外観検査上の径1.2ミリメートルと0.8ミリメートルによれば面積1.13平方ミリメートルと0.50平方ミリメートルと推算される(実際はこれより小さい筈である。なお所論が0.36平方ミリメートルと0.14平方ミリメートルとするのは計算の誤りと認められる。)。そうすると、貫通孔はその総面積において所論の数値の合計面積より小さいばかりか、最大の貫通孔もB孔の14.00平方ミリメートルに止まり、所論がA孔を23.12平方ミリメートルとしたことは誤りである(B孔が最大であることは同鑑定書七四頁、八三頁に明言されており、所論がA孔を最大としたのはその幅を3.4ミリメートルと誤つたことに基因する。)。

よつて、本件真空テストにおいて真空の引きに異常がなかつたことを理由として、六号脱臭缶蛇管の貫通孔が開口していなかつたとする所論は理由がない。

2孔充填物の欠落に関する所論について。

原判決が挙示する関係各証拠によれば、原判決がその理由中の第一の五の5の(三)(腐食貫通孔充填物の欠落等とその開孔)の項に、(イ)六号脱臭缶外筒修理の経緯及び(ロ)六号脱臭缶の外筒修理に伴う各種衝撃と孔充填物の欠落等として各判示する事実を認定することができるが、以下所論にかんがみ補足説明を加える。

(一)  六号脱臭缶ロス取出口つけ根付近の亀裂について。

所論は、右亀裂はカネミの鉄工係員坂本亀太郎がロス取出口パイプを1.5インチパイプに取替工事をした際の溶接不良に基因するものであつて、原判決が右亀裂の存在をもつて同パイプひいては同缶蛇管に衝撃が加わつたことの証左とみるのは不当であるというのである。

よつて検討するに、原審証人石田久雄、同坂本亀太郎の各供述及び被告人の原審公判廷における供述(一一四回公判分)中には、亀裂発生の原因につき所論に副う部分が認められるけれども、坂本証言によれば、同人は証言の数日前ころ、曽つての上司でその当時のカネミの営繕課長石田久雄から突如溶接工事のミスを言われ、同人とともに六号脱臭缶のところに行つてその箇所を指示され、はじめて自分が溶接工事をしたことを思い出した程度で、その間の約七年間溶接ミスに関しては何も聞いたことがなく、ましてや自己のミスに関して何ら具体的な記憶はないが、ミスをしたとすれば技量の未熟のためであろうと考えるというのであり、石田証言によれば、同人は長らく右溶接は西村工業でしたものと思つていたので、検察官の取り調べを受けた際にも、亀裂が生じたのは据付け時に加わつた衝撃が原因と思う旨述べていたが、その後カネミの第二鉄工係日誌(当審昭和五四年押第一二号の符第一八号。以下証拠物については単に符第〇号と表示する。)の昭和四二年一二月一六日欄に「脱臭缶一部補修」の記載があるのを見て記憶違いに気付いたというのであるが、そのことから坂本のミスに気付いたこととの関連性については何ら詳らかにせず(坂本自身から聞いたかの如き供述部分もあるが、極めてあいまいで、坂本証言とも矛盾する。)、被告人の右供述は、溶接工事の担当者から本件油症事件発生後に溶接ミスのことを聞いたが、それが坂本亀太郎であつたか権田由松であつたかもはつきりしないというのであつて、その供述内容はいずれもあいまいかつ不自然で、相互に照応せず、高木善次郎、石田久雄の検察官に対する各供述調書並びに被告人の検察官(昭和四四年一二月三〇日付)及び司法警察員(同年六月五日付、同月二六日付)に対する各供述調書に照らしてもとうてい措信できない。他方、原審証人和田達夫、同伊藤博喜、同坂本亀太郎、同石田久雄の各供述、司法警察員作成の検証調書第一部、同第二部、同第三部によれば、ロス取出口のパイプの溶接工事は、長さ一〇センチメートルぐらいの径1.5センチパイプの一端に五キロフランジを取り付け脱臭工場内に横倒しにされていた六号脱臭缶の底部中央の径一インチパイプの穴を1.5センチに広げ、この穴に右パイプの他の一端を缶の厚さ(約六ミリメートル)まで挿入して溶接したが、缶底部は下蓋がゆるい半円状をなして外側(下方)に張り出しており、その中央部に溶接された右フランジ付きパイプが缶底部における唯一の突起物として一〇センチメートルぐらい突出していること、右溶接工事を終つた六号脱臭缶を所定の場所に据付けるに当つては、チエンブロックを用いて同缶を吊り上げ、缶の不慮の落下に備えるため、吊り上げるに従つて缶と地面の間に断面一〇センチメートル平方ぐらいの角材を井型に順次積み重ね、所定の高さに達したところで、設置されていた架台に乗せてボルト、ナットで固定し、架台にすじかいを入れ、各種パイプやフランジの取り付け等の工事をしたことが認められ、右事実によれば、六号脱臭缶のロス取出口パイプは右据付工事の過程において、外部の各種物体との接触、衝突などにより外力による衝撃を受ける可能性の強いことが肯認される。

以上のとおり、所論に副う各証拠が措信できない反面、ロス取出口パイプは外力による衝撃を受ける可能性が強く存在したのであり、前示亀裂が生じた原因として右衝撃が影響した可能性があることは十分に考えられるのであるから、これを否定する所論は理由がない。

(二)  カネミの営業停止から本件蛇管の切断採取までの間における六号脱臭缶の放置と孔充填物について。

所論は、本件六号脱臭缶蛇管が、カネミの営業停止から蛇管の切断採取までの約六か月間使用されないまま放置されていたのに右切断採取後も孔充填物が欠落していなかつたことに照らしても、六号脱臭缶蛇管が同缶の外筒腐食による運転停止から再開までの間約二か月間放置されていたために充填物が乾燥し、欠落や亀裂、多孔質化を生じ易い状態にあつたとする原判決の認定は不当であるというのである。

よつて検討するに、原審証人伊東新吾の供述、同徳永洋一の供述(三二回公判分)及び同人に対する尋問調書(昭和四七年一〇月四日付)、九大第一次鑑定書、司法巡査作成の「カネミ倉庫六号脱臭缶写真記録」並びに被告人の司法警察員に対する昭和四四年六月二四日付供述調書によれば、本件油症事件の発生を契機として、カネミは昭和四三年一〇月一五日監督行政庁から食品衛生法の規定に基づく米ぬか油の製造、販売禁止命令を受けて操業を停止し、六号脱臭缶を含む全脱臭缶の運転を停止したこと、翌昭和四四年四月一一日、六号脱臭缶蛇管は捜査機関から鑑定を受託した九州大学工学部徳永洋一助教授らによつて関係部分が切断採取され、その調査の結果内巻一段目の後半周部にある六個の貫通孔(A、B、C、D、E及び6)に充填物の存在すること(B孔には充填物のほか内面に高さ一ミリメートルぐらいに盛り上つた付着物が存在すること。)が確認されたこと及び右操業停止から切断採取までの間に、同缶に関し、次のような経緯事実のあつたことが認められる。

(1) 昭和四三年一一月六日、北九州市衛生局、福岡県公衆衛生課及び九州大学調査団による第一回調査が実施され、係官が同脱臭缶の内槽内に入り、油かすなどの重合物を取り除くため蛇管表面などを鉄板でこすつたりして調査した。

(2) 同月一六日、同大学調査団による第二回調査が実施され、内槽は同槽内に張つた水を沸騰させて洗滌し、蛇管は同管内に生蒸気を通して洗滌のうえ、漏れ試験として、蛇管に五気圧の水蒸気を吹き込んだり、内槽に水を入れて蛇管に五気圧の空気を吹き込むテストをした結果、内巻蛇管最上部に三個の空気漏れ個所を発見した。

(3) 同年一二月二六日、同大学工学部宗像健助教授らによつて空気漏れ試験が実施され、内槽に水を張り、蛇管に五気圧の空気を吹き込んだ結果、一一月一六日発見の三個の空気漏れ個所が再確認された。

(4) 昭和四四年一月一三日と一四日の両日、同大学工学部篠原久教授、宗像健助教授らにより、六号脱臭缶を実際に運転して脱臭油を生産し、その工程において諸試料を採取、鑑定する作業が実施された。

(5) 同年三月一九日と二〇日の両日、宗像助教授によつてカネクロールの漏出試験が実施され、そのため両日とも一時内槽に脱色油が張られた。

(6) 同年四月一一日、篠原教授、徳永助教授によつて蛇管の取り外し、ピンホール部の切断採取がなされたが、蛇管の取り外しに当り、取付金具のボルト一本をタガネとハンマーを用いて叩き切り、蛇管と支柱の双方をハンマーで強く一〇回位叩き、蛇管立ち上り部分二か所を金切り鋸で切断し、取り外した蛇管の内巻一段目の二か所を金切り鋸で切断し、溶着していた取付金具部分を外すためハンマーで叩く等の作業が実施された。

以上の事実によつて考えるに、なるほど操業停止から切断採取までの間に蛇管に加えられた外力、特に切断採取時のそれは充填物欠落の原因となつたと推定される外力に比しても、かなり強力であつたと認められ、それにも拘らず右切断採取後も各貫通孔に充填物が存在したことは所論指摘のとおりである。しかしながら、孔充填物が欠落するか否かについては、加えられた外力の強さもさることながら、それのみではなく、孔の大きさその他諸々の要因によつて左右される筈であり、特に外力のほかに充填物の固さ、乾燥度が重要な要因をなすと認められる(原審証人徳永洋一に対する昭和四七年一〇月四日付尋問調書によつても明らかである。)ところ、六号缶の外筒腐食による運転停止(昭和四二年一一月二七日ころ)から修理後の試運転(昭和四三年一月三一日)までの二か月余は充填物が湿潤する機会は全くなく、そのため孔充填物は右試運転当時よく乾燥していたと考えられるのに対し、操業停止後の場合は、前記各種テスト等が実施され、右(2)ないし(5)の場合その都度充填物は湿潤し、特に切断採取の約二〇日前の三月一九日、二〇日の両日は内槽内に脱色油が張られており、そのため孔充填物は右切断採取当時よく湿潤していたと考えられ、その当時強力な外力が加えられたにもかかわらず、なお充填物が存在していたことについては、右湿潤していたことの影響が十分に考えられる。そうすると、蛇管の切断採取後も充填物が欠落していなかつたことを理由に、試運転当時にも充填物は欠落していなかつたと認めるべきであるとして、原判決の認定を争う所論は理由を欠き採用することができない。

よつて、昭和四三年一月三一日の本件六号脱臭缶の運転再開に当り、同缶蛇管の腐食貫通孔が開口していたとする原判決の認定に誤りはなく、その他記録を精査し当審における事実取り調べの結果を参酌しても、原判決に所論の如き事実誤認があることを発見することができないので、論旨は理由がない。

二  蛇管腐食の因果関係に関する事実誤認について

所論は要するに、原判決は、本件腐食貫通孔の生成原因が蛇管の材質上、熱処理上の欠陥とカネクロールの過熱分解による塩素イオンの存在にあることを認めながら、材質が如何によくても又熱処理が完全であつても腐食環境の強弱如何によつては腐食の生成は回避し難く、腐食生成に程度の差をもたらすに過ぎないから、材質上、熱処理上の欠陥は貫通孔の生成につき不可欠の条件ではなく、カネクロールの過熱分解による塩素イオンの発生ひいてはカネミにおける装置の改造及び操作方法の変更をもつて唯一不可欠の条件とするが、右は誤りである。すなわち、(イ)原判決の見解は、純学問的、絶対的な耐食性を問題とするものに外ならないが、問題は工場現場における具体的な運転環境下という次元での実用上の耐食性であり、この次元でみれば、カネミの三号脱臭缶のSUS33ステンレス管は固溶化熱処理が施されていなくても四年以上の使用にもかかわらず腐食孔の生成がなく、一号脱臭缶のSUS32ステンレス管及び六号脱臭缶のSUS32ステンレス管のうち入口導管と内巻第一段前半周部はいずれも固溶化熱処理が施されていたため一号缶につき七年、六号缶につき六年の使用にもかかわらず危険視すべき程度の腐食孔は生成していなかつたのであつて、蛇管の材質上、熱処理上の欠陥の有無は腐食孔生成の不可欠かつ決定的な条件をなすものである。したがつて、原判決の右判断は、実用次元の問題と純学問的、絶対的次元の問題とをすりかえて事実を誤認したものである。次に、(ロ)原判決は、カネミにおける装置の改造及び操作方法の変更(以下、カネミ方式という。)がカネクロールの過熱分解を促進増大させて本件腐食貫通孔生成の原因となつたとするが、右が論理的に成立しうるためには、まずもつて三和油脂株式会社(以下、三和という。)の脱臭装置及び操作方法(以下、三和方式という。)をもつては六年以上にわたる運転使用によつても腐食貫通孔が生成しない程度にカネクロールの過熱分解による塩化水素ガスの発生が抑制されていて安全であるという前提が存在しなければならず、この前提が成立せず、三和方式によつても六年間にわたる運転使用においては腐食貫通孔を生成せしめる程度の塩化水素ガスが発生するとすれば、カネミ方式は蛇管の腐食貫通孔生成につき不可欠の原因となつたものとはいえず、その間の因果関係は中断されることになる。ところが、三和方式にはその安全性の証明がなく、右前提が成立しない。原判決は、この点に関して化学工学上の計算を、行つてその安全性を確認する作業を行つたが、その結果は三和方式の場合に加熱炉内カネクロールの最高境膜温度がどの程度に達するかの解明が行われたに止まり、塩化水素ガスの発生量や腐食貫通孔生成の危険性の有無については何ら明らかにされず、右安全性の裏付けが得られなかつたばかりか、逆にその結果は腐食貫通孔生成の危険性があることを示唆している。また、仮りに原判決算定のとおり、カネミ方式によつて加熱炉内カネクロールの境膜温度の上昇がみられ、カネクロールの過熱分解が促進されたとしても、蛇管頂部に形成されるエアポット内に滞留しうる塩化水素ガス量には限度があり、一定量以上の塩化水素ガスはカネクロールとともに装置内を循環して外気申に排出されてしまうのであつて、カネクロールの過熱分解により発生する塩化水素ガスの量の増加がこれに比例して蛇管の腐食雰囲気を増大強化せしめるわけのものでもない。右のとおり、原判決の判断には、三和方式の有する腐食雰囲気についての定量的吟味が欠けているとともに、カネミ方式の場合のカネクロールの最高境膜温度上昇の度合いをそのまま腐食雰囲気の増大に直結させた誤りがある。したがつて、カネミ方式と六号脱臭缶蛇管の腐食貫通孔生成との間には因果関係がないことが明らかであり、それにもかかわらずその存在を肯定した原判決は事実を誤認したものであるから破棄を免れない、というのである。

よつて、以下検討する。

1六号脱臭缶蛇管の材質、固溶化熱処理の程度と因果関係に関する所論について。

しかし、原審証人徳永洋一(三二回、三三回、五五回公判分)、同向井喜彦(一三二回、一三四回公判分)の各供述、同徳永洋一、同岩田文男(昭和四六年四月六日付、同年同月七日付)に対する各尋問調書、水野実、中山智、安保秀雄の検察官に対する各供述調書及び検察事務官作成の捜査報告書(昭和四四年一一月二五日付)によれば、ステンレス鋼は炭素、クローム、ニッケル、モリブデン等を含有する耐食性の強い合金で、その成分組成に従つてJIS規格によりSUSナンバーが定まるとともに耐食性に差があること、ステンレスの腐食には全面腐食(ハロゲンイオンの有無と関係なく、また粒内、粒界の別なく全体がなめらかな形で腐食する。普通の鉄錆びによる腐食はその例である。)、応力腐食われ(ステンレスの製造過程等においてステンレスに何らかの力が加わつていた場合((残留応力))に、ハロゲンイオンの作用によりその場所が粒内、粒界の別なく腐食する。)、孔食(ハロゲンイオンの作用により粒内、粒界の別なく腐食する。)及び粒界腐食(粒内のクロールが炭化物として粒界に析出したとき、ハロゲンイオンが作用して右粒界の炭化物を伝つて腐食する。孔食の一種。)等の種類があるが、全面腐食や応力腐食われあるいは粒界に炭化物が析出した状況下における粒界腐食は塩酸その他ハロゲンイオンを生成する物質にかかれば、その物質の濃度やステンレスのSUSナンバーに関わりなく腐食し、ただその違いによつて腐食の程度に差が生じること、また如何に腐食環境が強くても粒界に炭化物の析出がない限り粒界腐食は生じないものであつて、粒界腐食の前提たる炭化物の粒界への析出を生じるためには七〇〇度ないし八〇〇度Cの高温加熱の条件を要し、また三〇〇度ないし四〇〇度Cの高温下で塩酸が作用するような腐食環境下にあれば如何に高級なオーステナイト系ステンレスといえども孔食を生じること、固溶化熱処理は溶接加工の際に生じた熱影響による溶接衰弱部に粒界腐食が生起するのを防止するため熱影響によつて破壊されたオーステナイト組織を再固溶することを目的とするが、熱処理の装置、作業方法あるいは技術等の関係からその完全性は保し難く、たとえ完全にできたとしても材質の場合と同様に腐食の程度に差が生じることが認められ、したがつて、原判決が材質の違いも固溶化熱処理の有無も腐食の生成には程度の差を有するに過ぎず、腐食環境の強弱如何によつては腐食の生成は回避し難いとしたことは十分に首肯しえられるところである。

そして、原審証人徳永洋一、同菊田米男、同向井喜彦の各供述、同徳永洋一に対する尋問調書、九大第一次鑑定書、木下禾大外三名作成の鑑定書(昭和四五年二月三日付、以下、九大第二次鑑定書という。)、菊田米男外一名作成の鑑定書(以下、阪大鑑定書という。)によれば、カネミの各脱臭缶蛇管のうち、一号缶蛇管は昭和三六年四月以降の運転にかかり各脱臭缶中使用期間は最も長く、材質は六号缶蛇管と同じくSUS32であるが、不完全ながらほぼ全般に固溶化熱処理が施されていて、六号缶蛇管に比較すれば蛇管内面にみられる腐食孔の数は少く、しかも貫通孔までには至つていないこと、三号缶蛇管は昭和三九年一月以降の運転で、材質はSUS33が使用されていて、固溶化熱処理は施されていないが、貫通孔は存在せず、腐食孔についてもこれを窺わしめる事情は全く存在しないこと、次に六号缶蛇管は昭和三七年一〇以降の運転で、材質はSUS32、蛇管の立上り部に近い入口導管部には十分な溶化熱処理が施されているが、その余の部分には全く施されていないか、施さたとしても何の意味ももたない程度のものであり、材質上は一号缶蛇管よりも耐食性に有効な合金元素(クローム、ニッケル、モリブデン)の含有値が高いのに腐食孔の数は同管よりも多く、しかも六個に及ぶ腐食貫通孔まで存在すること、以上の各事実が認められる。右事実によれば、各蛇管の腐食状況に差異が生じたのは蛇管の材質と固溶化熱処理の有無にその一因があつたことは否定しえないところで、原判決も強い腐食環境が主要な原因をなしているものとしながらも、右材質上の欠陥が累積複合して本件のような大きな、かつ、多数の腐食貫通孔を生成したものと解されると判示し、右にいう材質上の欠陥には固溶化熱処理の程度をも含むものと理解できるから、原判決は所論のように専らカネミの装置改造及び操作方法の変更を腐食貫通孔生成の唯一不可欠の原因と論じているものではないことが明らかである。そして、次項以下のとおりカネミにおいて被告人がなした装置の改造及び操作方法の変更が他の原因の一をなした以上、結局は被告人の所為と本件結果との間の因果関係を否定することはできないのであるから、右因果関係を否定する所論は理由がないというべきである。

2三和方式の安全性と因果関係に関する所論について。

因果関係中断の所論にかんがみ、三和方式とカネミ方式の各内容並びに三和方式からカネミ方式への変更とその後の運転操作状況及びその影響について検討するに、原判決の挙示する関係各証拠によれば、原判決理由第一(罪となるべき事実)の五の3の各事実(但し、(四)の(二)の(1)、(2)のうち熱負荷量に関する各部分並びに(七)の(ロ)、(ハ)のうち主流温度及び最高境膜((管壁))温度に関する各部分を除く。)が認められる(なお、右事実中、原判決B六〇頁六行目に二か所に亘り「平方メートル」とあるのは「立方メートル」の、B六三頁三行目に「外径三四センチメートル」とあるのは「外径三四ミリメートル」の、B一四〇頁一一行目に「容績」とあるのは「容積」の、B一四三頁四ないし五行目に「約六八センチメートル」とあるのは「約六九センチメートル」の、B一五一頁九行目に「継続的な燃焼方法」とあるのは「断続的な燃焼方法」の各誤記と認める。)。そして、右各証拠、とりわけ原審証人岩田文男に対する各尋問調書、被告人の当審公判廷における各供述、岩田文男作成の「脱臭装置設計」と題する書面(以下、岩田計算書又は岩田設計書という。)、九大第一次鑑定書及び「作業標準」と題する書面(符第一号、以下、作業標準という。)によれば、三和方式の内容は、右岩田計算書(同計算書自体は本件油症事件の発生後に作成して捜査機関に提出されたものであるが、内容的には三和が後記一炉二缶方式で一か月ぐらいを運転して得られた資料を基礎に整理されたものである。)及び作業標準(その後引続いての運転操作によつて得られた資料を基礎に岩田設計の内容にさらに部分的修正を加えて昭和三七年一二月一日に設定されたものである。)によつて明らかであり、その要目は、脱臭缶二基、加熱炉一基(いわゆる一炉二缶方式)の基本構造に予熱缶、冷却缶、循環タンク、地下タンク、循環ポンプ、真空装置等の設備をもつて一セットとし、熱媒体カネクロールの流量三立方メートル毎時、これを昇温用2.5立方メートル毎時、恒温用(熱損失用)0.5立方メートル毎時に分配し、カネクロールの分解温度を三〇〇度Cと設定し、主流温度を二五〇度C、その場合の最高境膜温度を二八〇度Cとし、主流温度が二六〇度Cを超えることを厳禁し、油温二二五度C脱臭、脱臭サイクルは加熱五〇分、脱臭七〇分、カネクロールの出入各一〇分の合計一四〇分サイクルとし、加熱炉バーナーの燃焼方法は、カネクロールが二五五度Cを超える場合に消火、二四〇度Cに下つた場合に点火のいわゆる断続燃焼方式を採用して、右構造と操作のもとに運転すべきものとされたのに対し、カネミでは、昭和三七年一〇月ころから一炉二缶の三和方式による運転操作をしたが、昭和三九年一月ころから脱臭缶三基の運転をなし、その後順次増缶し、途中で加熱炉一基を増築して本件油症事件発生当時二炉六缶の運転をなし、これら増缶、増炉に伴い各種設備の改造、増設あるいは操作方法の変更等をしてきたこと、ところで、三和方式を策定するについては、右岩田において、カネクロールの加熱分解による塩化水素ガスの発生と炭素の析出(加熱管への沈積。)を配慮して過熱分解を厳に避けるべきことを基本方針とし、その主流温度を二五〇度Cとした場合の最高境膜温度三〇〇度Cにおける許容輻射(伝)熱率(分解を起こさずに安全にバーナー輻射熱を加熱管に伝達しうる単位時間、単位面積当りの伝熱量。)を試算し(一五、七八〇キロカロリー毎平方メートル・時)、これを基礎に加熱炉の安全伝熱量を試算し(二八、三五〇キロカロリー毎時、なお岩田計算書に二八、八五〇キロカロリー毎時とあるのは誤記又は誤算と認められる。)、これによつて脱臭操作に必要な伝熱量(熱負荷。二六、一六〇キロカロリー毎時)を十分に賄えることを確認し、これに従つて加熱炉各部の具体的細目を決定し、また、当時流速のとれる高性能のカネクロールポンプが得られなかつたために、主流温度と最高境膜温度の温度差を大にすることによつて伝熱量を得ようとする(伝熱量=境膜伝熱係数×加熱管の受熱面積×主流温度と境膜温度の温度差であり、境膜伝熱係数は流速に比例することは原審証人岩田文男に対する尋問調書((昭和四六年四月五日付))により明らかである。)など、綿密な化学工学上の計算や検討を加え、さらには前記のとおり実際の運転操作の経験に基づく部分的修正等を経たものであること、したがつて、三和方式のもとにおいて脱臭缶一基を増設することは必然的に熱負荷の増大と最高境膜温度の上昇を来たしてカネクロールの過熱分解を招来する危険があり、過熱分解を避けるためには加熱炉の増強その他装置と操作方法全般の再検討を必須とし、その意味において、三和方式のもとで真空装置、加熱炉、予熱缶、冷却缶など装置各部や操作方法等を従前のままにして脱臭缶一基を増設することは不可能であることが認められる。

右事実によれば、三和方式における加熱炉一基、脱臭缶二基の組合わせは同方式の根幹をなす事項というべく、同方式のもとで脱臭缶を増設することは、単にその基本構造の同一性の範囲内で設備に改変を加えた場合ではなく、それはとりもなおさず同方式の同一性を喪失せしめることとなり、従前の脱臭装置とは別個の装置を新規に作出することに外ならないというべきである。そうしてみると、カネミが脱臭缶一基を増設して一炉三缶による運転操作をはじめた時点(昭和三九年一月ころ)において、カネミはその独自の方式によつて運転操作をしたものに外ならない。ただ、カネミでは昭和三七年一〇月一一日ころから昭和三九年一月二二日ころまでの一年三か月余の間、三和方式の一炉二缶によつて運転したのであるから、その期間内に本件腐食貫通孔を形成した可能性あるいは右期間の運転が本件腐食貫通孔の形成に寄与した可能性の有無が当然考慮さるべきであり、この意味において三和方式の安全性が検討されなければならないこととなる。

そこで、以上の観点から原審記録及び原審において取り調べた証拠に当審における事実調べの結果をも加えて検討することとする。

(一)  三和方式について。

カネクロールカタログ三通(符第三七号、第三八号及び弁証第一〇号)、吉村英敏作成の鑑定書(以下、吉村鑑定書という。)及び原審証人岩田文男に対する各尋問調書によれば、カネクロールは二五〇度C近辺から分解をはじめて極微量の塩化水素ガスを発生し、温度の上昇に伴い発生量を増加し、温度二〇〇度Cで発生量〇、温度二五〇度Cで発生量1.4ppm、温度二八〇度Cで発生量33.0ppm、温度三〇〇度Cで発生量172.1ppm、温度三二〇度Cで発生量344.0ppm(いずれも加熱時間一五分、温度幅プラスマイナス五度。)の発生をみるとされていること(以下、カネクロールの分解による塩化水素ガスの発生を脱塩酸という。)、そして、符第三七号のカネクロールカタログでは最高境膜温度を三四〇度C以下に押えることが必要であるとするとともに、発生した塩化水素ガスは循環タンクの排気口から大気中に放出する構造とするべきことを示唆していること、岩田においても、脱塩酸量は温度三八〇度Cぐらいに至つて飛躍的な増加を示すものと理解し、右カタログ記載の最高境膜温度三四〇度Cに安全のための余裕分を含めて前示のとおりカネクロールの分解温度を三〇〇度Cと設定し、主流温度二五〇度C、その場合の最高境膜温度二八〇度Cによる運転操作を基本とし、主流温度を二六〇度C以上にすることを厳禁したが、なお装置の運転上ある程度の脱塩酸は避け難いものとし、発生した塩化水素ガスは大気に接する循環タンクの空気抜きパイプから大気中に排出される構造となし、右装置と操作により三和方式では腐食雰囲気を醸成しないと考えていたことが認められ、九大第一次鑑定書によれば、岩田文男による設計自体は、化学工学的見地からは妥当なものとされていることが認められる。しかるに、当審における佐野司朗作成の鑑定書(以下、佐野鑑定書という。)及び同人の当審証人としての供述によれば、岩田設計には熱媒体温度の算出、計算に関して数個の難点があり、特に与熱側の熱損失に関する計算が不十分であること及び一炉二缶に対する配慮が全くなく断続燃焼の計算も行われていないことの二点において根本的欠陥があり、これら欠陥を修正、整理して作業標準の定める条件下で運転操作した場合の計算をすると、局部的(加熱炉輻射部下段の列で入口より八本目の橋壁上部付近。)に最高境膜温度301.2度Cとなる時間帯が二分の一サイクル即ち七〇分間のうちに8.3秒間生起し、またカネクロールは右半サイクル中に装置の循環系路を一五回あて循環するが、そのうち主流温度が二五〇度Cを超える場合が一二回(合計五六分、一回当り分の一二回分。)で、その平均主流温度は255.32度Cであり、二六〇度Cを超える場合は五回(合計23.3分)に及ぶことが認められる。しかも右各証拠に原審証人岩田文男に対する尋問調書(昭和四六年四月六日付)、同川野英一(五回公判分)及び同樋口広次(四一回公判分)の各供述、川野英一(昭和四四年一〇月八日付)及び樋口広次(同年一二月一一日付)の検察官に対する各供述調書並びに被告人の原審(一一一回、一一五回、一一九回、一二〇回公判分)及び当審(七回公判分)公判廷における各供述を総合すると、カネミにおける一炉二缶時の運転サイクルは、経験的に岩田計算書の定めるサイクル上の不合理が是正され、終局的には加熱五〇分、脱臭七〇分のサイクルに帰着した(カネミにおける一炉二缶方式の採用時、三和ではすでに一炉二缶の運転に二年近くの経験があり、同じく経験的に加熱五〇分、脱臭七〇分のサイクルが確立していた。)が、当初のころは加熱、脱臭各六〇分のサイクルで運転していた時期があり、恒温脱臭の油温も二三〇度C位まで上げられる時があり、恒温保持のための加熱炉バーナーの断続燃焼の方法あるいはカネクロールの流量配分については、格別の指導や基準がないまま殆んどカネミの各作業員の経験的操作に委ねられていたもので、これら事情は加熱炉の伝熱能力に余裕がないことと相俟つて前記三和方式要目の運転操作条件に従つて運転した場合に比してカネクロール温度を上昇させる要因として作用したこと、これを佐野鑑定書及び同人の試算によつてみるに、前記二分の一サイクル(七〇分)のうちで運転サイクルを加熱、脱臭各六〇分とし、恒温缶(カネクロール流量0.5立方メートル。)の油温を二三〇度Cに保持しようとすれば、カネクロールの脱臭缶入口(加熱炉出口)における平均温度は261.47度Cとなり、右油温を保持するため加熱炉の燃焼を継続すると主流温度はたちまち二七二度C位に達し、最高境膜温度は三〇六度Cを超えることとなること、また作業標準どおり加熱五〇分、脱臭七〇分のサイクルのもとであつても、恒温缶の油温を二三〇度Cの恒温に保つ場合には二二五度C(ないし二二六度C)との温度差がそのまま主流温度と最高境膜温度の上昇分となり、主流温度で平均二六〇度Cを僅かに超え(前記二分の一のサイクルにおけるカネクロールの脱臭缶入口平均主流温度は255.32度Cであるから、温度差五度Cの場合に260.32度Cとなる。)、最高境膜温度は三〇〇度Cを超えることとなること、さらにカネクロールの流量配分を変更し昇温缶に2.0立方メートルと仮定すれば、脱臭缶入口(加熱炉出口)における平均温度は所定の配分(昇温缶2.5立方メートル。)の場合に比して三度Cないし五度Cぐらいの上昇を来たす(上昇幅が生じるのは初温と終温の条件設定の如何による。)こととなり、例えば初温二〇〇度C、終温二二五度C、到達時間二〇分の場合で278.66度Cに、初温二〇〇度C、終温二三〇度C、到達時間二〇分の場合で292.02度Cとなる(したがつて、最高境膜温度はいずれの場合にも優に三〇〇度Cを超えると推認される。)ことがそれぞれ認められる。

以上の事実によれば、カネミにおける三和方式の運転操作のもとにおいて、カネクロールの主流温度が二六〇度Cを超え、最高境膜温度が三〇〇度Cを超える場合もあつて脱塩酸が生じていたと認められるが、他面、カネクロール温度の上昇程度は、主流温度、最高境膜温度ともに前記条件所定の温度を若干上廻る程度であり(流量配分を変えた場合の温度上昇も、配分割合やカネクロールの初温、終温等の条件設定を厳格に仮定した場合であつて、かかる運転は実際上稀れであると思われ、これを緩和するとそれに応じて上昇程度も軽減される。)、最高境膜温度における三〇〇度Cの線はそれ自体安全分を十分に見込んだ上での余裕のあるものであり、その超過温度もカネクロールカタログで絶対に回避すべきものとされる三四〇度Cには遙かに及ばない温度であること、しかも発生した塩化水素ガスはカネクロールとともに装置内を循環し、循環タンクの空気抜きパイプから大気中に放出される分があること、さらに三和でもカネミでもそれぞれ経験的に運転サイクルの不合理が是正されたことに徴し、その是正に至るまでにあまり期間を要しないと解されるので、加熱、脱臭各六〇分サイクルで運転された期間はさほど長くはなかつたと認められること及び九大第一次鑑定書で岩田設計は化学工学的見地から妥当とみられていること等を併せ考えるときは、三和方式の運転操作のもとに生じる脱塩酸量あるいはこれが蛇管内エアポケット部に滞留して腐食雰囲気の生成に影響する量などは、これを定量的に明らかにすることはできないとしても、後記カネミ方式の場合のそれに較べ比較的微量であつたと認めるのが相当である。(それ故、三和方式のもとでも、貫通孔が生成しない程度に塩化水素ガスの発生が抑制されていて、腐食貫通孔生成への影響が全くなかつたとまではいえないが、その影響の程度については後に説示するとおりである。)

なお、所論は、カネクロールはすでに一八〇度C近辺から痕跡ずつの分解をはじめるものであつて、二六〇度Cないし二六五度Cからの分解、二七〇度Cないし二七五度Cからの脱塩酸をいう吉村鑑定書は信用性を欠くというので検討するに、なるほど原審証人岩田文男に対する尋問調書(昭和四六年一一月一五日付)中には一八〇度Cぐらいから分解する旨の供述部分が認められるけれども、右供述内容はきわめてあいまいであるばかりか前記カネクロールカタログ(符第三八号)の塩化水素ガス発生に関する記載に照らしても措信できず、これに比して吉村鑑定書は、分解温度につき右カネクロールカタログと若干の違いはあるにしてもほぼ近似するばかりか、その鑑定結果はカネクロールの四時間加熱によつて得られていることを考えると右カタログの記載に照応するものと認められるので信用するに足り、その信用性を阻害すべき具体的事由は何ら見出し得ないので、所論は採用することができない。

(二)  カネミ方式について。

原判決は、カネミ方式の安全性の検討のため、同方式の運転操作におけるカネクロールの最高境膜温度を計算し、樋口サイクル(加熱開始後四〇分間で油温二〇〇度Cに昇温し、その時点から脱臭を開始する方法。)でカネクロールの主流温度二六五度Cの時に約三二〇度C、川野サイクル(加熱開始後四〇分で油温二二〇度Cに昇温し、その時点から脱臭を開始する方法。)で主流温度三〇〇度Cの時に約三四九度Cの各数値を得、さらに、いずれのサイクルであれカネミ方式では主流温度が二四〇度Cを超えればその最高境膜温度がカネクロールの分解温度である三〇〇度Cを超え、三和との対比において同じ主流温度二五〇度Cでみても三和方式では最高境膜温度は二八七度Cで分解温度内に押えられているのに対し、カネミのそれは三〇七度Cに達するとの結論を得ていることが明らかである。(原判決第一の五の3の(七)の(ハ))。

ところが、佐野鑑定書及び同人の当審証人としての供述によれば、原判決の計算手法は、(1)最高境膜温度を決定する三因子のうち伝熱量の計算に重点を置き過ぎて、加熱炉各部吸収熱量比及び熱媒体の温度変化という他の二因子(伝熱量と同等又はそれ以上に重要である。)に関する検討が不十分である。右熱量比については岩田計算値の六九%を採用しているが、これは不当であり、また熱媒体温度については、輻射部における主流温度を一律に二五〇度Cに設定して計算しており、これは平均温度を使用したものであるが、最高境膜温度の算出には管の長手方向(又は流体の流れ方向。)における温度変化を知ることが必要で、平均した主流温度を基礎にするのも不当であつて、要するに右計算された最高境膜温度は受熱側の条件だけから算出されたもので、与熱側の条件に対する検討が不十分であること、(2)一炉二缶に対する配慮がなく、ために熱媒体人口温度に関し、加熱昇温期間中にある一缶についての単独計算しか行つておらず、恒温脱臭缶のことを無視する結果となつていることがそれぞれ認められる(勿論、佐野鑑定書によるこれらの指摘は、鑑定の主題となつた三和方式のもとにおける最高境膜温度の算定に関してなされているが、その性質上カネミ方式のもとにおける最高境膜温度の算定に関しても妥当するものである。)。しかしながら他方、同証拠によれば右各点について次のことが認められる。すなわち、右(1)のうち熱媒体の温度変化についていえば、原判決が基礎とする二五〇度Cは主流温度の平均温度であるから主流温度が最高となる加熱炉出口端の加熱管(上段)においては右二五〇度Cを相当に上廻る温度となり、ひいては最高境膜温度も原判決の算定値を上廻ることが明らかであり(但し、境膜温度が最高に達するのは右出口端より手前の加熱管((下段))の出口側付近である。)また右(1)のうち加熱炉内輻射部における吸収熱量比についていえば、最高境膜温度と主流温度の差を△Tとするとき、△T=Kr/Ah・Q・γRなる関係式が得られるところ(ここにいう上記各記号の意義は次のとおり。Kr=最高熱分布度、A=輻射部伝熱面積、h=汚れを考慮に入れた管内側境膜伝熱係数、Q=脱臭缶に対して供給されるべき熱量、γR=輻射部において吸収される熱量/Q、佐野鑑定書G―六頁。)、Kr/Ahはほぼ定数をなし、Qに対する検討はよくなされているのに対し、原判決がカネミ方式(カネミ炉)におけるγRに六五%を採用したのは相当でなく、その吸収熱量比はより高率であることが推認される。すなわち、原判決は三和方式における最高境膜温度の算定に当り、岩田炉のγRとして岩田計算書の六九%を採用し、カネミ方式における最高境膜温度の算定に当つても、カネミ炉におけるγRは岩田炉の場合とさして変りはないとしながら右六九%より低く見積り六五%として試算したが(原判決G―四六頁)、佐野鑑定書(G―七頁)によれば岩田炉のγR六九%は誤りで七六%が正しいことが認められるので、カネミ炉のγRも原判決が採用した六五%より高率となることが推認される。したがつて、カネミ方式の場合、最高境膜温度と主流温度の間にはより大なる温度差が必要となるのであつて、これら与熱側の条件を考慮、算定すれば、カネミ方式のもとにおける最高境膜温度は原判決算定の前記数値よりさらに上昇することが推認される。次に、右(2)についていえば、原判決は熱媒体入口温度に関し、加熱昇温中にある一缶についての単独計算しか行つておらず、二缶連動の計算をすれば熱媒体温度において相当の差が生じるのであつて、三和方式において二缶連動のため恒温を維持するには熱媒体の入口温度と油温との間に約二七度Cの温度差が必要とされるところ(佐野鑑定書G―五頁)、カネミ方式では三缶連動となるため恒温維持のためにはそれ以上の温度差を必要とすることが明らかであつて、三缶連動を考慮、算定すれば、この点からもカネミ方式の最高境膜温度は前記原判決算定値より上昇することが推認される。

以上を要するに、原判決のした最高境膜温度の算定について、佐野鑑定書が計算上の欠陥として指摘する事項は、いずれも最高境膜温度の算定結果を低く算出するよう作用するものであつて、これらを克服して算定すれば、カネミ方式における最高境膜温度は原判決の算定した前記数値より上昇することが明らかである。

しかして、カネミ方式では一炉三缶として装置の熱負荷を増大させたことは明らかであるが、これに応じて供給熱量を安全に増加させる方策は全くとられなかつた。もつとも、被告人の原審公判廷における各供述によれば、被告人は一炉三缶とするに当り、熱負荷の増加を考慮し、脱臭サイクル、予熱、カネクロール流量(循環ポンプ)、流速等の各点について自分で可能な限度での設計計算などをなし、また二缶当時までの経験や資料等も参考にして安全性を確認していた旨縷々供述するところである。しかしながら、(1)熱負荷の増加に関し、被告人は脱臭缶が二缶から三缶に増えたことに伴い加熱バーナーも1.5倍余計に燃焼させれば右増缶に応じた熱量供給ができるとの単純計算をなし、二缶当時の断続燃焼方式において消火時間が存在したことにみられるとおり、加熱炉は十分に余力を有するから、三缶時は断続燃焼をやめて連続燃焼をすれば足りると考えていたことが認められるが(原審一一九回公判分)、熱負荷の計算については、前示佐野鑑定書、岩田設計書あるいは栗脇美文作成の「熱媒体の最高温度の推算」と題する書面(以下、栗脇計算書という。)にみる如く脱臭サイクルや加熱開始油温(又は予熱終末油温)は勿論のこと、伝熱面積など脱臭缶の内部寸法の決定、カネクロールの流量配分、恒温脱臭温度あるいは熱損失量(恒温保持)等に関して複雑な設計計算を必要とし、したがつて、脱臭缶一基の増設に関しても被告人供述の如き単純計算をもつては安全性を確認するに足りないことは明らかである。(2)脱臭サイクルに関し、被告人は予熱、冷却に各三〇分、油の予熱缶、冷却缶への出入りに各二五分の合計五五分を要するとして、脱臭缶三基の場合の一脱臭サイクルを一六五分(油の脱臭缶内滞留時間一四五分、脱臭缶への出入り二〇分)と定めたというのであるが(原審一一一回、一一二回、一二〇回公判分)、右はカネミの脱臭係員であつた原審証人樋口広次、同川野英一、同三田次男の各供述に徴しても、また被告人の検察官(昭和四四年一二月三〇日付)及び司法警察員(同年六月二五日付)に対する各供述調書に徴しても措信できず、右各証拠によれば、被告人は捜査段階までは脱臭サイクルに関する理論的部分について無知であつたこと(被告人の原審公判廷における右供述は、その後これに気付いて辻つま合わせに供述している疑いが強い。)、実際の一脱臭サイクルは長くてもおよそ一二〇分、脱臭缶内滞留時間一〇〇分程度であり、その中で最低六〇分の脱臭時間を確保する必要があつたことが認められ、その結果として性質上最も熱量を必要とする加熱時間用に岩田設計書で定められた五〇分に及ばない四〇分程度の時間しか割り当てられないこととなり、この短縮された時間に二二〇度ないし二三〇度Cの所定温度まで加熱する必要上、必然的に熱負荷を増大させる結果となつたことが推認される。(3)予熱の終末油温に関し、被告人の原審公判廷における供述(一一九回、一二八回公判分)によれば、予熱用として過熱蒸気を使用していたので、一炉三缶当時も予熱時間三〇分によつて一缶当時(予熱時間六〇分)及び二缶当時(予熱時間四五分)と同様に予熱の終末油温は一六〇度ないし一七〇度Cまで昇温していたというのである。しかし、原審証人宗像健(三七回公判分)、同栗脇美文(一〇一回公判分)、同田中楠弥太(一三六回公判分)の各供述、同岩田文男に対する尋問調書(昭和四六年四月七日付、同年一一月一六日付)及び九大第三次鑑定書によれば、過熱蒸気を使用しても、カネミの予熱缶の如くスチームトラップが装着された予熱装置では顕熱は殆んど有効に利用されないで(顕熱の大部分は、潜熱を放出して凝縮した飽和水の再蒸発に使われる。)、潜熱が利用されるのみなので、加熱能力は殆んど上昇しないことが認められ、また田中楠弥太作成の鑑定書(以下、田中鑑定書という。)及び同人作成の鑑定書一部訂正について(昭和五一年九月一四日付)によれば、予熱時間三〇分による予熱終末油温は一三一度Cであり、原審証人栗脇美文の供述(一〇一回公判分)によれば、同人の試算によつても予熱時間三〇分により131.6度Cの数値が得られていて右田中鑑定書の数値と近似すること(数値に若干の違いが生じたのは、各採用した熱伝達率、伝熱面積及び比熱の数値に若干の違いがあつたためである。)、また佐野鑑定書により二缶時の予熱終末油温が予熱時間四五分で145.3度C、五〇分で148.5度Cとされていること(G―五頁)などに徴しても、被告人の右供述部分は到底信用することができず、三缶時の予熱終末油温は右田中鑑定書及び栗脇証人試算のとおり一三一度C近辺であつたと認めるのが相当である。したがつて、この点からも脱臭缶一基の増設が熱負荷を増大させる結果を招来したことが推認される。さらに、(4)カネクロールの流量及び流速に関し、被告人の原審公判廷における供述は転々として首尾一貫せず、矛盾や不明瞭な点が認められるが、要するに、脱臭缶三缶当時に一時使用された旧加熱炉は加熱管径が1インチから1.2インチを経て1.5インチに変更され、また三缶当時を通じて使用された新加熱炉も径1.5インチの加熱管が使用されたこと及び三缶とするに際して循環ポンプを従来の大東工業株式会社製一馬力歯車ポンプに代えて六王ポンプ株式会社製五馬力渦巻ポンプが使用されたことによりカネクロール流量は三倍ないし五倍に増加したのであつて、被告人はこれをポンプ運転時のゲージ圧の確認やポンプの試験成績表の検討等によつて知つていたというのであり、また右のとおり加熱管径が大きくなつても流量が増加したことによりカネクロールの流速は当初の一インチ当時と同様のものが得られると考えていたというのである(一一一回、一一二回、一一九回、一二〇回、一二七回、一二八回、一三一回、一三七回公判分)。しかし、その供述に徴し、被告人が当時ポンプの試験成績表を理解し、加熱管径の変更に応じたカネクロールの流量を読み取る能力があつたとは認められず、また流量が三倍ないし五倍に増加したというのも、各ポンプ試験成績表(弁証第五号及び第七号)に記載された揚量又は吐出量を単純に比較計算した結果であることが窺い知られるのである。ところで、(伝熱量=境膜伝熱係数×加熱管表面積×主流温度と境膜温度の温度差)の関係があり、境膜伝熱係数が流速に比例することは前示のとおりであり、また(流速=流量/加熱管断面積)の関係があつて、流速は流量に比例する。したがつて、脱臭缶一基を増設して熱負荷を増加せしめるとともに加熱管径を三和方式下の1インチから1.5インチに変更したカネミ方式の場合において、右熱負荷の増加に応じた伝熱量を得るために境膜伝熱係数を大にしようとすると、1.5インチ管の断面積(13.58平方センチメートル)が一インチ管の断面積(5.97平方センチメートル)の約2.27倍に相当し、しかも増缶により熱負荷が増加したことを考慮すると、三和方式の場合の少くとも三倍を超える流量を必用としたものというべきである(なお、伝熱量をより多く得るためには、右関係式からも明らかな如く、加熱管表面積を増加する方法あるいは主流温度と境膜温度の温度差を大にする方法によることも可能であるが、加熱管表面積は管径が増加した反面管長が短縮された結果としてむしろ若干減少しており、また温度差を大にすることは必然的に境膜温度を上昇させ、カネクロールの過熱分解を招来する危険があるため避けなければならないので、結局は境膜伝熱係数を大ならしめる方法によらざるを得ないこととなる。)。しかるに、原審証人宗像健の供述(三五回、三七回、五八回、五九回公判分)、九大第一次鑑定書、九大第三次鑑定書及び宗像健作成のカネクロールポンプ成績図表(昭和四六年一二月二日付)によれば、加熱管径が大になれば管内の流れの抵抗が減少して流量も多少は増加するであろうが、それはポンプの特性に依存することで殆んど増加しない場合もあるから、これは多くを期待できないこと、また前記六王製五馬力渦巻ポンプはカネミにおける使用において設計上の性能を発揮せず(設計上は加熱管径1.5インチ、脱臭缶一基にバルブ全開で全量が流れるとして流量一二〇リットル毎分とされているが、実際は同ポンプの特性曲線G線((九大第三次鑑定書図一・一参照))に明らかな如く流量七六リットル毎分程度が得られていたに止まる。その原因としては、ポンプの逆転使用あるいはキャビテーション現象が考えられる。)、加熱管径1.5インチ、脱臭缶三基、バルブ全開の脱臭缶にカネクロール流量の二分の一が流れ、循環ポンプの吐出圧1.5キログラム毎平方センチメートルとして計算するとカネクロール流量は一四〇ないし一五〇リットル毎分であること(この数値は、栗脇計算書((五頁ないし七頁))において炉入口の圧力1.4ないし1.5キログラム毎平方センチメートル、炉出口の圧力0.5キログラム毎平方センチメートルとして流量143.4リットル毎分が得られるとされていることとも合致する。)がそれぞれ認められる。そうすると、カネミ方式への変更前に使用された前記大東製一馬力歯車ポンプの試験成積表謄本(弁証第七号)にみられる同ポンプの性能あるいは佐野鑑定書(B―八一頁)により同ポンプ(大東工業KB―一〇)は二キログラム毎平方センチメートルの吐出圧において七五リットル毎分程度の流量が得られるとされていること等と対比して、右渦巻ポンプが右歯車ポンプの三倍を超える流量を得ることはできなかつたものと認められ、この点からも必要伝熱量を得るために必然的にカネクロールの境膜温度を上昇させて主流温度との温度差を大にするほかない事態となり、ひいては加熱炉の焚き過ぎとカネクロールの過熱分解を促すこととなつたことが推認される。以上のとおり、カネミ方式の安全性を十分に確認したとする被告人の供述はいずれの点から検討しても理由がなく、同方式下における装置の運転操作によつて供給熱量を安全に増加させることはできず、却つてカネミ方式に変更後の脱臭サイクル、予熱終末油温あるいはカネクロールの流量、流速等がいずれもカネクロールの過熱分解を招来する要因となつていたことは否定し難いところである。

のみならず、2の冒頭に認定したとおり脱臭缶三缶時を通じて使用された新加熱炉では、三和設計の旧加熱炉に比較して熱量供給の効果が最も高い第一輻射部が縮少され、その効果の低い対流部が拡大された結果として供述熱量が低下し、そのため加熱炉の焚き過ぎを促したほか、加熱炉バーナー焚口から第一輻射部加熱管まで及び同焚口から橋壁までの間隔がいずれも狭められた結果、バーナー火炎が加熱管に直接接触する機会が多くなつて局部加熱の原因となり、また加熱管の管径を1.5インチに拡大したり、右加熱管の上部に過熱蒸気用パイプを二段にわたつて設置するなどの改変を加えたことも供給熱量の低下を招来して加熱炉の焚き過ぎとカネクロールの過熱分解を促進する原因となり、その他加熱炉バーナーの燃焼方法を過熱防止のため採用されていた断続燃焼方式から連続燃焼方式に改めたが、三和で採用していたサーモスタットによるカネクロール温度の制御の如き自動制御の方式は採用されなかつたこと、三和方式で予定されていた加熱時間帯における攪拌用水蒸気の吹込みを実施しなかつたこと、同業の製油業者らが実施していた脱臭缶蛇管表面に対する清掃(油の重合物の取除きなど)の不行届き等によつて缶外側(油側)の汚れ抵抗を増大せしめて脱臭缶における伝熱効率を低下させたこと、またカネクロールの分解により析出した炭素の一部が加熱炉内加熱管の内壁に付着堆積して形成した炭素の層(スケール)が管内側の汚れ抵抗となつて加熱管の伝熱効率を低下させたこと等もそれぞれ加熱炉の焚き過ぎと局部過熱をもたらす要因となつたものである。

そして、前記のとおり被告人のなした安全性の検討、確認がすべて理由がないばかりか、安全上最も重要な意味を有するカネクロールの最高境膜温度に関して被告人が何ら配慮しなかつたことは被告人の原審公判廷における供述(一一六回公判分)自体によつて明らかであり、被告人が各種設計の変更をしたり、いわゆる一炉三缶によるカネミ方式の運転操作をしたりしたことは、被告人に工学的知識、素養が欠如することを示すものであり(九大第一次鑑定分)、設計計算を考慮したとは思えない全くの思いつき的変更(原審証人宗像健の三七回、五九回公判供述)と評さざるを得ないものであつて、上記したところを総合して考察すれば、カネミ方式の運転下で発生する脱塩酸量を定量的に明らかにするまでもなく、同方式のもとにおける腐食雰囲気は三和方式のもとにおけるそれに比して格段に厳しいものであつたことが肯認される。

これに対し、所論は、仮りにカネミ方式下でカネクロールの過熱分解が促進されたとしても、蛇管頂部に形成されるエアポケット内に滞留しうる塩化水素ガス量には限度があつて、一定量以上の同ガスは外気中に排出されてしまうのであるから、カネクロールの過熱分解により発生する塩化水素ガスの量の増加に比例して蛇管の腐食雰囲気が増大強化されるわけではないというのである。

しかし、エアポケット内に滞留する塩化水素ガス量はエアポケットの広さと同ガス量の相関関係で決まる筈であり(原審証人菊田米男の供述((一三二回公判分))によれば、エアポケットはカネクロールの流量、圧力、温度、粘性や蛇管の実勾配、真円度あるいはカネクロールバルブの操作方法等の関係によつて広さや範囲が変化し、これを計数的に明らかにすることは困難であることが認められる。)、その関係の如何によつては、所論の如く塩化水素ガスが外気中に排出される場合のあることはこれを否定できないが、カネミ方式が三和方式に比較して強い腐食雰囲気を有していたというのは、三和方式に比べて境膜温度が高く、ために塩化水素ガスの発生がより多量であつたことを意味するものであつて、発生した塩化水素ガスのすべてがエアポケット内に滞留して蛇管腐食の生成に寄与したとするものではないのであるから、所論は理由がない。

(三)  以上の次第で、三和方式とカネミ方式の間には腐食雰囲気の強さの程度において格段の差異があり、カネミ方式が極めて強い雰囲気を有していたうえに、その腐食雰囲気が本件蛇管に作用した期間も、三和方式が昭和三七年一〇月一一日ごろから昭和三九年一月二二日ころまでの一年三か月余の運転期間で、その間カネクロール事故が発生していないのに対し、カネミ方式は一炉三缶として昭和三九年一月二三日ころから昭和四二年九月五日ころまでの間及び同年一一月二七日ころから同年一二月五日ころまでの約三年八か月間に及んでいて、カネミ方式による運転操作が格段に長期であつたこと、さらに腐食は顕微鏡的にみれば極めて遅い速度で毎日進行するが、本件貫通孔に達するまでには少くとも年単位の経過を要するものとされていること(原審証人徳永洋一の三三回、五五回公判廷各供述)を考慮すると、本件腐食貫通孔はカネミ方式による一炉三缶の運転開始以降に形成されたと認めるのが相当であり、三和方式による運転が右形成に影響があつたことを否定することができないにしても、前記のとおりその程度は微弱で到底それだけでは前記孔形成の直接の原因とはなりえなかつたものと認められ、もとより、これによつてカネミ独自の右運転操作と本件腐食貫通孔の生成ひいては本件油症事件の発生との間の因果関係が中断されるべき理由とはなりえない。

そうしてみると、カネミ方式による運転操作と本件蛇管腐食貫通孔の形成ひいては本件油症事件の発生の間に因果関係の存在を肯定した原判決に誤りはなく、その他記録を精査し当審における事実取り調べの結果を参酌しても原判決に所論の如き事実誤認があることを発見することができない。論旨は理由がない。

三  蛇管腐食の予見可能性に関する事実誤認について

所論は多岐に亘るが、要するに、原判決は、被告人が本件六号脱臭缶蛇管に腐食貫通孔が生成することを予見することが可能であつたと認定したが、被告人には本件蛇管の材質上の点からも、また本件蛇管腐食の機序の点からもその予見可能性はなかつたもので、原判決は事実を誤認したものである、というのである。そして、

蛇管の材質上の点からみた腐食の予見可能性の論旨(控訴趣意書三の(一))は、要するに、本件蛇管に生じた腐食貫通孔は粒界腐食によるものであるが、被告人は設計者岩田文男から本件蛇管の材質はSUS33ステンレス鋼であると説明され、同鋼はその材質上塩酸や塩基によつても粒界腐食することはないものであるから、同蛇管は実用上腐食することはないと信じていたものであり、したがつて本件蛇管が腐食することの予見可能性はなかつた。しかるに、原判決は、被告人がカネミの本社工場でコンデンサーや冷却缶の各ステンレス管が冷却用の海水によつて腐食したのを経験したこと及び被告人の原審公判廷における供述中の「SUS33鋼でも腐食をいくらかは起こすということは知つていた」との部分などから予見可能性を肯定したが、被告人の右経験事実は当該各ステンレス管の材質(耐食性の劣るSUS27と推定。)及び腐食環境(海水)の二点において本件蛇管腐食の場合と全く条件を異にするので、本件と同一次元で比較できないし、また被告人の右供述部分はこれを全体的かつ合理的に解釈すれば、カネミにおける工場現場の基準を離れて絶対的基準から考えれば腐食しないものとは思わないという趣旨であつて、供述の重点はむしろ工場の実用上のレベルでは腐食しないという認識の方に置かれていたものであるというのであり、

腐食の機序の点からみた蛇管腐食の予見可能性の論旨(控訴趣意書三の(二)及び(三))は、要するに、被告人はカネクロールカタログ(弁証第一〇号及び符第三七号)に、カネクロールは局部過熱等の事故で塩化水素ガスを発生するが、装置を腐食する心配はない旨記載されていることからも、また岩田文男から装置の腐食に関し何らの注意や警告が与えられなかつたことからも、本件蛇管が塩化水素ガスと水分によつて発生した塩酸により腐食されるということは考え及ぶこともできず、予見可能性がなかつた。しかるに、原判決は、(1)カタログの右記載は、第一にカネクロールの循環系内に水分が存在しない状態が確保されていること、第二にカネクロールの一時的、局部的な過熱によつて塩化水素ガスが発生する場合に限られること、以上二つの前提の上に成り立つものであるが、カネミの循環装置及びその運転方法はすべてカタログの予定する前提条件を欠いていること、(2)被告人は岩田文男から装置導入当初の技術指導を受けた際、カネクロールの分解防止の見地から温度を三〇〇度C以上にせず、主流温度は二五〇度Cとすべき旨の説明を受け、また従前の一炉二缶方式を一炉三缶に改めた際、同人から加熱炉に無理が来てオーバーヒートすることになる旨忠告を受けたこと、(3)被告人はカネミにおける実際の工程で、カネクロールを地下タンクに落すとき発生する蒸気や循環タンクから漏れるカネクロール蒸気の量が多かつたこと、循環タンクの空気抜きパイプが腐食したこと、カネクロール循環系路内に水分があつたのを経験したことなどから、被告人は本件蛇管腐食を予見することが可能であつたと認定した。しかしながら、右の(1)の水分に関していえば、カネミの循環装置が水分の浸入、排出に関する能力の点でカタログ記載のそれより劣つているとは考えられず、排気能力の点では数段優れているし、また過熱分解に関していえば、被告人はカタログが警戒すべき分解温度とする主流温度三二〇度C、最高境膜温度三四〇度Cにははるかに及ばない主流温度二五〇度Cないし二六〇度Cで平常使用されていると認識していたのであるから、被告人が装置腐食の心配がないと考えるのは当然である。右(2)につき、岩田がカネクロールの過熱分解について専ら関心を抱いたのは、伝熱効率の低下及び炭素析出による加熱炉管の閉塞の問題であつて、装置腐食の問題ではなかつた。岩田が最高境膜温度を低く押えるように装置を設計したのも同様の理由からであり、蛇管にSUS33ステンレス鋼を選んだのも、鉄錆びによる米ぬか油の着色防止のためであつたから、カネクロールの温度ないし過熱分解に関する岩田の指導や忠告をもつて本件蛇管腐食につき被告人の予見可能性を肯定することはできない。また右(8)の原判決が挙げる被告人の経験事実は、いずれも本件蛇管腐食の予見可能性を肯定する事情としては相当でないというのである。

よつて検討するに、原判決が、被告人は本件蛇管の腐食貫通孔の生成原因をなすカネクロールの過熱分解をもたらさないよう、適正に設計された基本条件に従つた適正な脱臭装置により、適正な運転操作をするなどし、もつて本件蛇管を腐食してカネクロールを米ぬか油中に漏出混入させるような事態の発生を回避すべき業務上の注意義務があつたのに、これを怠つた過失がある旨認定し、右注意義務を肯定する前提として、被告人は本件蛇管に腐食貫通孔を生じ開孔する虞れがあることを予見することが可能であつたと認定していることは所論のとおりである。

ところで、過失犯が成立するための要件である注意義務違反にいう注意義務とは、結果の発生を予見し、これを回避するために必要な措置をとるべき義務と解するのが相当であるから、右義務の有無を判断するに当つては、まず事故当時の行為者がその置かれた具体的状況下において果して結果の発生を予見することが可能であつたか否かが検討されなければならない。

そこで、所論にかんがみ、右観点から以下検討する。

1蛇管の材質及び腐食性に関する被告人の認識について。

原審証人徳永洋一(三二回、三三回、五五回公判分)、同向井喜彦(一三二回公判分)の各供述、同徳永洋一、同岩田文男(昭和四六年四月六日、同年一一月一五日、同年同月一六日付)に対する各尋問調書、被告人の原審公判廷における供述(一一二回、一二三回公判分)及び検察官に対する供述調書(昭和四四年一〇月九日、同年一二月三〇日、昭和四五年一月二六日、二七日、二八日付)、九大第一次鑑定書、九大第二次鑑定書、阪大鑑定書並びに押収してある脱臭缶設計図(符第三三号)によれば、本件蛇管の材質はSUS32鋼であり、しかも蛇管の立上り部に近い入口導管部にはJIS規格上要求される固溶化熱処理が十分に施されていたが、その余の部分には全く施されていないか、施されたとしても何の意味もない程度のものであつたこと、ところが、被告人は右事実を知らず、三和から脱臭装置を導入した当時、設計者岩田文男からその装置の脱臭缶蛇管には最高級の材質であるSUS33鋼が使われていて腐食の心配がなく、半永久的に使用できる旨の説明を受け、また岩田作成の説臭缶設計図(符第三三号)では蛇管にSUS13(その後の規格変更によるSUS33に相当。)を使用すべき旨特別の指示が記載されているのを確認していたこともあつて、六号脱臭缶の本件蛇管の材質もSUS33鋼と信じていたこと、SUS32鋼も33鋼も、いずれもクローム、ニッケル、モリブデン等を含有するステンレスで、同じオーステナイト系のSUS27鋼、28鋼に比して一段と耐食性が優れ、中でもSUS33鋼は32鋼に比して炭素の含有量が少ないためにオーステナイト粒界へのクローム炭化物の析出が少く、粒界腐食も生じにくいが、加熱の温度、時間などの点で厳しい腐食環境の下におかれると腐食を生じ、塩酸が加われば、それがない場合に比較して腐食はより容易になること、被告人は、かねてよりステンレス鋼が海水に弱く、船のシャフトにこれを使わないことを知つていたし、カネミの本社工場において、昭和三五年ころ抽出工程のコンデンサーに使用していた冷却用のステンレス管(SUS27鋼と認められる。)が、また昭和三七、八年ころ精製工程の冷却缶に使用していたステンレス管(SUS27鋼程度と認められる。)がそれぞれ海水で腐食したのを経験し、腐食の性質、種類や機序などは知らないまでも、SUS33鋼といえども塩酸や塩化物にかかれば腐食するものと認識していたことが認められる。

2腐食雰囲気に関する被告人の認識について。

原審証人岩田文男に対する尋問調書(昭和四六年四月六日付、同年一一月一五日付)、被告人の原審公判廷における供述(一一一回、一一二回、一一四回、一二二回公判分)、カネクロールカタログ二通(弁証第一〇号及び符第三七号)によれば、被告人は、三和から脱臭装置を導入した当時、岩田文男から鐘渕化学工業株式会社(以下、鐘化という。)発行のカネクロールに関するカタログを示してカネクロールの性質などの説明を受け、さらに同人のすすめにより昭和三七年ころ弁証第一〇号のカタログを、昭和三九年ころ符第三七号のカタログをそれぞれ入手して閲読、検討したこと、右各カタログの記載によれば、カネクロールは高温においても金属に対する腐食がなく、使用材料の選定が極めて自由であると指摘する一方、カネクロールが塩素化合物であり、局部加熱(局部過熱の誤記と認める。)により塩化水素ガスが発生し、沸点近くで長く加熱すると微量を脱塩酸する傾向があるが、カネクロールの循環系内は高温かつ無水状態なので、塩化水素ガスは乾燥状態のまま排気口から外部に放出されて腐食の心配がない旨(弁証第一〇号、符第三七号)、また発生した塩化水素ガスは普通はエキスパンジョンタンクに誘導されて初めて外気に触れることとなり、この外気中の水分に接触して腐食の原因となるので、同タンクにはモイスチュアートラップを附するなど湿気が入らないようにし、同タンク以外の熱媒体装置全体を完全にカネクロールで満す必要がある旨(弁証第一〇号)、カネクロールの最高境膜温度を三四〇度C以下に押え、加熱炉バーナーの炎が加熱管に直接接触するようなことは絶対に避ける必要がある旨(符第三七号)を指摘し、循環装置の設計図(符第三七号―第二図、弁証第一〇号―第七図)を例示するが、その循環形式、構造をみてみると、いずれもカネクロールのストックタンク(熱媒ストレージタンク。カネミの地下タンクに相当する。)は密閉型のタンクで、カネクロールの出入りはバルブで調節される形式とされ、またエキスパンジョンタンク(膨張タンク。カネミの循環タンクに相当する。)は、分岐管をもつて循環系路から分離し、かつ循環系の最高所に位置するよう設計され、しかも分岐管の途中にループを設け、ループまでは保温するが、その上部及びエキスパンジョンタンクは裸とし、その構造上循環系内を貫流する高温で、粘度の低いカネクロールは、同タンク及び分岐管内の静止した低温で粘度の高いカネクロールによつて閉塞され、蒸発が防止されると同時に大気との接触、水分の混入が防止されることとなり、循環系内のカネクロールを密閉する効果を生ずる形式とされていて、その循環装置はいわゆる密閉型(弁証第一〇号―一一頁)の構造をなしていることが認められる。そして、右カタログの記載を慎重に閲読、検討すれば、装置腐食の心配がないというのは、原判決説示のとおり、装置内を完全に無水状態に保持すること及びカネクロールの過熱分解を生じない温度域で運転することという条件設定の下での説明であることが理解できるとともに、右記載はカネクロールが過熱分解すると塩化水素ガスを発生し、装置内に水分があると、この塩化水素ガスと水分が合して塩酸となり装置腐食を来たす危険があることを示唆、警告していることが肯認される。のみならず、原審証人岩田文男に対する尋問調書(昭和四六年四月五日、同年同月六日付)、被告人の原審公判廷における供述(一一一回、一一二回、一一六回、一二〇回、一二三回公判分)及び検察官に対する供述調書(昭和四四年一二月三〇日付、昭和四五年一月二六日、二七日、二八日付)によれば、岩田は前記カネクロールカタログの記載する最高境膜温度三四〇度Cに安全分を考慮してカネクロールの分解温度を三〇〇度Cと設定しており、被告人は装置導入の当時岩田からカネクロールは過熱分解するので境膜温度を三〇〇度C以上にはあげないよう、また主流温度は二六〇度(又は二四〇度)Cで使用しそれ以上にはあげないよう指導され(被告人の供述中、三〇〇度Cというのは主流温度の趣旨と思つたとの部分は措信できない。)、さらに脱臭缶三基目を増設した際、岩田から脱臭缶の三基運転は加熱炉に無理をすることとなつてカネクロールの過熱分解を来たすおそれがあり増缶は無理である旨の注意を与えられたことが認められ、その他装置導入のころ三和から交付を受けた作業指導書(符第三四号)には、カネクロールは温度二四〇度Cで脱臭缶に通す旨記載され、その後交付を受けた作業標準(符第五二号)には、装置の保守事項として、「カネクロールは二六〇度C以上に加熱してはならない。それ以上になると加熱炉内加熱パイプの管壁温度は三〇〇度Cとなり分解を起す。」旨、また装置の操作法として、「カネクロールが二五〇度Cになつたら重油油量調整目盛(バーナー)を一〇に戻し、炉のダンパーを三分の一閉める。カネクロール温度が二五五度Cを超える場合はバーナーを停止する。」旨が明記されるなど、被告人は装置の運転上生ずることのあるべきカネクロールの過熱や過熱分解に関して各種の情報の提供を受けていたことが認められる。一方、被告人は三和から導入した循環装置の形式、構造が前記カネクロールカタログ記載の循環装置設計図と異ること、特に導入にかかる装置の地下タンクと循環タンクがいずれも後記のとおり各タンク内においてカネクロールが大気を接する構造のいわゆる開放型であることを知悉していたことは関係証拠上明らかであり、原審証人樋口広次の供述(四二回公判分)、被告人の原審公判廷における供述(一一二回公判分)、樋口広次(昭和四四年一二月一一日付)、川野英一(昭和四五年一月一四日付)の検察官に対する各供述調書によれば、地下タンクにはその位置や構造の関係から雨水のしぶきや床面掃除の水が流入したり、循環ポンプから漏れた冷却用の水が、漏洩するカネクロールの回収用に設置された樋を通して流入したりなどして、かなりの頻度で地下タンク内に水が流入する事態があり、被告人は雨水のしぶきが流入するのを目撃し、また脱臭係員樋口から地下タンク内の水を柄杓で取り除いたとの報告を受けたこともあつて、カネクロールの循環系路に水分が存在することを十分に知悉していたものと認められる。しかも、原審証人岩田文男に対する尋問調書(昭和四四年四月五日、同年同月七日付)、同樋口広次の供述(四二回、四三回公判分)、被告人の原審公判廷における供述(一一二回公判分)に九大第二次鑑定書を総合すると、被告人は昭和三八年ころと昭和四三年三月ころの二回循環タンクの空気抜きパイプのつけ根付近に腐食孔が生じたのを経験したが、右腐食孔はカネクロールの過熱分解によつて生じた塩化水素ガスと水分によつて生成した塩酸の作用によつて形成されたことが推認され、以上の各事実を総合して考えると、被告人はカネミの本件装置内に塩酸が存在することの可能性を十分に認識しえたものというべきである。

3被告人の置かれた具体的状況について。

原審証人岩田文男(昭和四六年四月六日付)、同坂倉信雄(同年同月八日付)に対する各尋問調書、同福西良蔵、同梅田新蔵の各供述、原審相被告人加藤三之輔の原審公判廷における供述(一一七回、一二九回公判分)並びに検察官(昭和四五年二月二二日付)及び司法警察員(昭和四四年六月二五日付)に対する各供述調書、被告人の原審公判延における供述(一一一回、一一六回、一一九回、一二一回公判分)並びに検察官(昭和四四年一〇月八日付)及び司法警察員(昭和四三年一二月一二日付)に対する各供述調書、水野俊次(二通)、湊健次(昭和四三年一二月九日付)の司法警察員に対する各供述調書によると、被告人は、昭和一七年に旧満州大連市の官立甲種工業学校応用化学科を卒業し、満州石油株式会社、カネミ(昭和二三年から同二六年まで。当時の社名九州精米株式会社)その他数社の油脂関係の会社に勤務して食用油あるいは工業油の精製、研究等に携わり、昭和三〇年三月再びカネミ(当時の社名カネミ糧穀工業株式会社)に入社し、鉱物油の再生に従事したが、昭和三五年一〇月製油部工場課長補佐兼実験室長、同三六年四月三和からの装置導入による米ぬか油の精製開始に伴い精製工場主任を兼務し、同年一一月精製課長、同三七年一二月製油部長代理、同四〇年一一月製油部工場長兼精製課長を歴任し、同四三年六月精製課長を免ぜられ、本件油症事件の発覚当時本社工場長の地位にあつたものである。被告人が右工場長に就任するまでは代表取締役社長加藤三之輔がこれを兼任したが、同人は製油の技術面に暗く、技術面及びこれに関連する事項は製油部の長に委ねており、被告人は精製工場主任を兼務した昭和三六年四月以降、カネミの製油部の実質上の長として製油の最高責任者となり、社長の指揮のもとに米ぬか油の製造、精製施設や装置の維持、管理、従業員の指導、監督等を掌理していた。カネミは昭和四三年二月当時で資本金五〇〇〇万円、本社工場のほか、広島、大村、松山、多度津に工場を有し、総従業員数約四四〇名、米ぬか原油の総生産量は一か月当り約三三〇トンで全国約五〇社中の三ないし四位に位置し、製品は九州、四国、中国を中心として西日本一帯に広く市販されていた。被告人は三和からの装置導入に先立ち、カネミの創立者たる会長加藤平太郎から意見を求められ、参考的に装置の設計書を作成するよう指示されてこれを完成、提出したこともあるなど製油技術に関しその知識と長年の経験から相当の自信を持ち、前示のとおり当時すでにカネミにおける技術の最高責任者の地位にあつたが、さらに三和からの導入当時岩田やその他三和の技術者からの説明等を受け、前示作業指導書や作業標準の検討をなし、その後もカネミの嘱託となつた岩田の指導や同人との意見交換によつて益々技術上の知識と経験を深め、遂には自社製品が三和製品より品質的に優れているとの自信を抱き、却つてカネミの技術が三和に漏れるのを警戒するほどになり、導入後続けていた三和との間の製品に関するデーター交換も実益がないとして精製関係のデーターの送付を昭和三九年一月限りで一方的に中止し、三和の度重なる送付の要求や加藤社長のすすめも無視し、脱臭缶三基目を増設するに際しても、過熱を心配する岩田の警告にも拘わらず、自らの技術的検討によつて安全とし、以後増炉、増缶その他装置の各種改変、操作方法の変更等もすべて主として自らの技術的検討によりなしてきたことが認められる。

4同業者らの認識について。

本件脱臭装置の開発者であり、三和の技術部長を経て常務取締役(技術担当)となつた岩田文男がカネクロールの過熱分解により塩化水素ガスが発生し、水と合して塩酸を生成すること及びSUS33鋼を含めてステンレス鋼が塩酸によつて腐食することを認識していたことは前示のとおりである。また神林純一の検察官に対する供述調書によれば、同人は関東製油株式会社加須佐工場次長であり、熱媒体にカネクロールを使用して米ぬか油の抽出、精製作業に従事していたものであるが、カネクロールカタログを閲読して、カネクロールが塩素化合物であり、分解により塩化水素ガスを発生して危険であることを知り、またステンレス鋼も塩酸に弱くて腐食することを知つていたので、塩化水素ガスは水があればこれに溶けて塩酸となりステンレス内缶の腐食にも結びつくと考え、カネクロールの分解を避けるためその温度を絶対に三〇〇度C以上にあげないよう注意するとともに、カネクロール内に水の混入を避けるため、カネクロール缶の保管場所を水気のないところに選ぶなどしてその管理にも細心の配慮をしていたことが認められる。

5以上の事実を総合検討すれば、被告人が金属及びその腐食や化学機械に関する知識、経験に薄く、カネクロールの使用も初めての経験であつたことを考慮に入れても、被告人の学歴、長年に亘る製油に関する知識と経験及びカネミにおける製油の技術上の事項全般を掌理し、三和からの装置導入に当つては装置の構造、操作方法は勿論カネクロールの特性等に関しても十分検討し、さらにその後自らの技術的検討によつて装置の増設、改変、操作方法の変更等を推進した事実に加えるに、その職務が経口攝取により個人の生命、身体の安全、健康、衛生に直接影響する食用油の精製で、しかもその技術上の最高責任者であり、さらにその装置内において食用油とカネクロールがわずか肉厚二ミリメートルの蛇管を距てて相接する構造の装置の操作に関与する者として、慎重かつ細心の注意をもつてすれば、被告人は装置導入の当初から(脱臭缶三基目増設後はさらに強い可能性をもつて)カネクロールを過熱分解させるときは、発生した塩化水素ガスとカネクロール中に混入が予想される水分とが合して塩酸を生成し、その塩酸の作用で本件蛇管を腐食するに至るおそれがあることを理解することができたものと認められ、したがつて、本件蛇管の腐食は予見可能の範囲にあつたと解するのが相当である。

なお、原審証人入口外与作(石川油糧工業株式会社製造部長)、同岡田金雄(日本精米精油株式会社工場長)、同内藤實(日本精米精油株式会社製油係員)、同花輪久夫(三和油脂株式会社元工場長)の各供述、同佐藤源助(三和油脂株式会社元技術部長、製造部長)に対する尋問調書並びに高梨三男(元全国農村工業農業協同組合連合会平塚工場職長)の検察官及び司法警察員に対する各供述調書によれば、同人らはそれぞれ熱媒体にカネクロールを使用して米ぬか油の抽出、精製を業とする会社等の製油関係の監督的地位にある者あるいは従業員であるが、同人らのうちカネクロールの分解を知らなかつた者は勿論、これを知つていた者も塩酸の生成までは考え及ばず、右各人とも蛇管の腐食に関して格別に意識し、危惧したことはなかつたことが認められる。しかし、同人らの置かれた具体的状況はこれを仔細に検討するとき、被告人のそれと対比していずれも相当に相違することが認められるので、右事実は被告人の蛇管腐食に対する予見可能性を肯定する妨げとはならないというべきである。

6なお、所論にかんがみ次のとおり補足説明する。

(一)  装置内への水分の浸入及びその排出に関する所論について。

所論は、カネミの循環装置における水分の防止は、カタログ記載設計図の装置におけるそれより優れていたし、たとえ地下タンクのカネクロール表面に水玉が認められたことがあつたとしても、同タンクは循環系路外にあるからその水玉が当然に同系路に入ることにならず、カネクロールの汲み上げ用ポンプ吸入管の吸入口がカネクロール表面よりずつと下方の同タンク底辺近くに位置する関係からみても、右水玉が循環系路に汲み上げられる可能性はなく、またたとえ空気中に含まれる水分の微量がカネクロールに滲透することがあるとしても、被告人にはかかる専門的知識はなかつたのであるから、これらをもつて本件蛇管腐食を予見することはできないというのである。

なるほど、司法警察員作成の検証調書第一部、同第二部、同第四部、原審裁判所の検証調書(昭和四七年三月六日実施分)及び押収してある設計図綴(符第三五号)によればカネミの循環装置は、(1)循環タンクの上部に空気抜きパイプが設けられていて、装置内を循環するカネクロールが同タンク内において大気と接し、地下タンクもその上部が簡単な蓋の設置があるのみで開口していて、カネクロールは同タンク内でも大気と接する形式をなし、いわゆる解放型の構造となつており、その結果カネクロールの分解により発生した塩化水素ガスやカネクロール中に混入した水蒸気がいわゆる密閉型の循環装置に比して大気中に排出され易い関係にあつたことが認められ、また、(2)地下タンク内のカネクロールは、汲み上げ用の手動ポンプで一旦循環タンクに汲み上げられたうえ、循環ポンプにより循環系路を循環する形式となつていること及び右ポンプの吸入管の吸入口が地下タンクの底辺近くに位置し、同タンク内のカネクロールは下方から汲み上げられる形式となつていることが認められる。

しかしながら、右(1)についてみるに、カネミの循環装置の場合各種経路によつて地下タンク内にかなりの頻度で水分が流入していたと認むべきことは前示のとおりであり(これを否定する原審証人川野英一((一五回公判分))、同樋口広次((五七回公判分))の各供述は、前掲関係各証拠及び原審証人平川弘の供述に照らして措信しない。)、そのため水分をカネクロール中に混入する可能性が強いことは明らかであり、ひいては循環するカネクロール中の塩化水素ガスと水蒸気が蛇管上部のエアポケットに滞留し、同所において腐食雰囲気を形成する可能性も強く、したがつて、塩化水素ガスや水蒸気のうち大気中に排出されるのは右腐食雰囲気の形成に寄与しなかつた分に外ならないから、カタログ記載のストックタンク(熱媒ストレージタンク)よりも排気が容易であることを理由としてカネミの地下タンクの方が優れていることの論拠とするのは相当ではない。

また右(2)についてみるに、九大第一次鑑定書、阪大鑑定書及び原審証人宗像健の供述(五八回公判分)によれば、カネクロールには大気中に含まれる水分が微量ながら吸収、吸着することが認められ、さらに原審証人川野英一(五回、一三回、一四回公判分)及び同樋口広次(四一回、五七回、六〇回公判分)の各供述によれば、カネクロールは地下タンクで満杯になることはなく、通常その液面がタンクの中間辺り(加熱用蒸気パイプの最上部付近)に達する程度であり、これを汲み上げポンプ吸入管の吸入口が切れるようになるまで循環タンクに汲み上げていたこと、汲み上げに当たつては、誘いのためにカネクロールを柄杓で四、五杯ぐらいすくつてポンプに注入していたこと、カネクロールは自然蒸発や漏れなどで経常的に減少し、運転操業中にゲージ圧低下や油温上昇の不振がみられる都度補給していたこと、補給はカネクロールを地下タンクに注入し、これを汲み上げる方法でなしていたことがそれぞれ認められる。そうすると、地下タンク内に流入した水や大気中に含まれる水分はカネクロールに吸収、吸着し、あるいは攪拌、混合され、カネクロールとともに汲み上げ用ポンプの吸入管を通つて循環系路に入る可能性があることは否定し難いところである(このようにしてカネクロールとともに循環する水分が量的に微少であり、特に大気中から吸収、吸着する水分は極めて微量であることが窺われるけれども、原審証人徳永洋一の供述((五五回公判分))によれば、本件の場合これを定量的に明らかにすることはできないまでも、腐食するに足りるだけの水量が蛇管内に存在したことは確実であり、しかも塩化水素ガスは微量の水にも多量に溶解することが認められるので、たとえ水は微量であつても濃度の高い塩酸を生成し、強い腐食雰囲気を形成することが推認される。)そして、前記被告人の経歴その他に照らし格別の専門的知識を俟たずとも右のようなカネクロールとともに循環系路に水分が混入していることを予見しえたものと認められることは前認定のとおりである。

(二)  循環タンクの空気抜きパイプつけ根付近の腐食孔に関する所論について。

所論は、カネミの循環タンクの空気抜きパイプはステンレス管ではなくて普通のガス管であり、そのつけ根付近に生じた腐食孔も粒界腐食によるものではなくて鉄錆びの進行による腐食孔であつて、材質及び腐食の性質の点において本件の場合と全く条件を異にするから、被告人が右パイプのつけ根付近に腐食孔の形成を経験したことをもつては本件蛇管の腐食を予見することはできないというのである。

なるほど、右循環タンクの空気抜きパイプに生じた腐食が材質の点でも腐食の性質の点でも本件の場合と条件を異にするものであつたことは関係証拠上明らかである。しかし、原審証人岩田文男に対する尋問調書(昭和四六年四月五日、同年同月七日付)によれば、同人はこの腐食が普通の鉄錆びの進行による腐食に較べて程度が著るしい点から判断して、カネクロールの過熱分解によつて生じた塩化水素ガスと空気中に含まれる水分とが合して生成した塩酸の作用によるものとしていることが認められ、また九大第二次鑑定書によれば、同鑑定書は、水の成因は右と異りカネクロールとともに循環していた水蒸気が装置の運転停止時に空気抜きパイプの途中で凝縮して水となるものとみながらも、右腐食が水と塩化水素ガスが合して生成した塩酸の作用によるとする点においては右岩田と見解を同じくしているのであつて、右空気抜きパイプのつけ根付近に生じた腐食孔は装置内に塩酸の生成、存在を推認せしめるものであり、本件蛇管腐食の予見可能性を肯定しうる事情というべきである。

(三)  岩田文男が本件蛇管腐食を予見していなかつたとの所論について。

所論は、岩田がカネクロールの過熱分解について関心を抱き、最高境膜温度を低く押えようとしたのは、専ら伝熱効率の低下と炭素析出による加熱炉管閉塞を防止するためであり、脱臭缶蛇管にSUS33ステンレス鋼を選んだのも鉄錆びによる米ぬか油への着色を防止するためであつて、いずれも蛇管腐食を考慮したためではない。カネクロールの過熱分解に基因する蛇管の腐食ということは岩田にとつても予測できない事態であつた(仮りに予測できたとしても、同人はこれを被告人に告げて指導や忠告をしていない。)。したがつて、カネクロールの加熱温度や過熱分解に関する岩田の指導や忠告をもつて本件蛇管腐食に対する被告人の予見可能性を肯定するのは誤りであり、また化学工学の専門家である岩田にさえ予測できなかつた事柄について被告人の予見可能性を肯定するのは誤りであるというのである。

なるほど、原審証人岩田文男に対する尋問調書(昭和四六年四月七日、同年一一月一五日、同年同月一六日、同年同月一七日、昭和四七年三月二一日付)中には一応所論に副う供述部分が認められ、また前掲作業標準中にも蛇管の材質が米ぬか油への着色防止の見地から決定されたことが記載されていて、要するに、岩田がカネクロールの過熱分解や蛇管の材質等に配慮をした直接の動機は、過熱分解によつて析出した炭素が加熱炉管内に沈積して伝熱効率を低下させたり、さらに進んで同管を閉塞するという事態の発生防止することにあつて、装置の腐食ということは当面の配慮事項でなかつたことはこれを認めうるところである、しかしながら、岩田文男に対する前掲各尋問調書によれば、同人が腐食を当面考慮しなかつたのは、同人が設計した三和方式の装置及び操作方法によつて作業が実施されることを前提としてのことであり、その場合発生した塩化水素ガスは循環タンクの空気抜きパイプを通つて装置外に排出されると考えていたためであること、鉄分の溶解という点ではSUS12鋼と13鋼(それぞれ規格変更後のSUS32鋼と33鋼に相当する。)の間に変りはないのに、耐食性に優れた高級品SUS13鋼を特に選んだのは、右のとおり塩化水素ガスは殆んど大気中に排出されると考えながらも、なお万一の場合粒界腐食が起こらないとも限らないとの慎重な配慮をした結果であつたことが認められ(なお、原審証人徳永洋一の供述((五五回公判分))によれば、同鋼はもともと粒界腐食に対する耐食性の強いステンレス鋼の要請に応じて開発、製作されたものであることが認められる。)、さらに九大第二次鑑定書によれば、SUS33鋼を使用したことは注意深いと評価され、阪大鑑定書でも脱臭槽各部に同鋼を指定していることは正しく適切であると評価されていることが認められるのであつて、右事実に明らかなように、岩田は塩酸による装置の腐食を予測していなかつたわけではないから、所論はその前提を欠くこととなり、また被告人が岩田から特に塩酸による腐食ということを警告されなかつたとしても、被告人が諸般の事情からこれを予見することが可能であつたと認定するについて妨げとはならないというべきである。したがつて、所論もまた理由がないことに帰する。

(四)  過失犯における予見可能性に関する所論について。

所論は、過失犯における結果回避義務の前提となる予見可能性は、当該事件につき具体的に発生した因果関係及び結果についての予見可能性でなければならず、具体的事実と離れ、実際には生じなかつた因果関係や結果の予見可能性をもつてこれと置換することはできない。同様に行為者が当該事件について具体的に発生した因果関係や結果と異る不充分な、あるいは誤つた因果関係上の認識を有し、その誤解によれば結果の発生を予見しうるというような場合にも、その客観的事実に反する誤つた予見をもつて結果回避義務の前提とすることは許されない。本件の因果経過が固溶化熱処理の施されていないSUS32鋼を材質とする六号脱臭缶蛇管に塩酸が作用したことにあるとしても、被告人は本件蛇管の材質はSUS33鋼と信じていた。そして、SUS33鋼は実用レベルでは腐食しないし、また粒界腐食も生じないものであり、被告人の原審公判廷供述(一一二回公判分)中、SUS33鋼でも塩酸にかかれば腐食はいくらかおこすということは知つていたとの供述部分は誤りであつて(右供述の重点はSUS33鋼は実用レベルでは腐食しないと思つていたという点にある。)、かかる誤つた因果関係上の認識を基礎として結果発生の予見可能性を肯定することは許されないというのである。

よつて検討するに、過失犯における結果回避義務の前提となる予見可能性が、当該事件において具体的に発生した因果関係及び結果についての予見可能性でなければならないことは所論のとおりであり、これと異る因果関係及び結果についての予見可能性ということはそもそも無意味であつて、これと置換することが許されないことはいうまでもない。問題は、具体的に発生した因果関係の因果の経過を構成する事実の全部が予見可能であることを要するのか、その一部で足りるとすればどの範囲をどの程度に予見可能であることを要するかにあるが、この点に関しては、因果の経過を構成する事実の全部あるいは因果の具体的機序の細部まで予見する必要はなく、因果関係の基本的部分についての予見があれば足りると解するのが相当である。これを本件についてみるに、本件蛇管の腐食貫通孔は、前示のとおり蛇管の材質上及び熱処理上の欠陥すなわち本件蛇管が固溶化熱処理の施されていないSUS32鋼によつて作製されていたこと、右蛇管に対する強い腐食雰囲気の作用、すなわちカネクロールの過熱分解によつて発生した塩化水素ガスと蛇管内カネクロールに混在する水分と合して生成した塩酸が作用して粒界腐食を招来したことの二条件が寄与して形成されたと認められるが、そのうちの基本的部分は、本件蛇管がカネクロールの過熱分解によつて生成した塩酸の作用で腐食することにあり、この点の予見があれば、結果の予見可能性を肯定するに十分で、これを超えて腐食の経過、機序あるいは種類、性質等に関して認識する必要はなく、その認識の欠如があつたとしても予見可能性を肯定する妨げにはならないというべきである。そして、さきに認定した如く、被告人は本件蛇管の材質に関して誤解をし、ステンレス鋼腐食の機序や種類、性質に関して詳細を知らなかつたけれども、カネクロールの過熱分解によつて装置内に塩酸が生成する可能性があること及びSUS33鋼といえども塩酸によつて腐食することは知つており(なお、所論指摘の被告人の原審公判廷における供述部分は、SUS33鋼は工場の実用レベルでは腐食しないという認識と塩酸にかかれば腐食するという認識が併存するものと認められ、前者のみに供述の重点があると解するのは相当でないと思われる。そして、カネミにおける三号脱臭缶蛇管に腐食孔の存在が証明されないことに照らしても被告人の前者の認識は正しいし、後者の認識も誤りではない((ただ、耐食性の劣る他のステンレス鋼に比して温度や塩酸の濃度などの点で相当に強い腐食雰囲気を必要とする))のである。)、したがつて、本件蛇管腐食の予見可能性は十分肯定しうるのであるから、所論は理由がない。

そうしてみると、原判決が被告人の本件蛇管腐食に対する予見可能性を肯定した点に誤りはなく、その他記録を精査し当審における事実取り調べの結果を参酌しても原判決に所論の如き事実誤認があることを発見することができない。所論は理由がない。

四  蛇管の点検による結果回避措置に関する事実誤認について

所論は要するに、原判決は、被告人は本件六号脱臭缶蛇管が腐食又は機械的消耗、疲労等に基因する機械的損傷によつて穿孔を生じ、カネクロールが食用油中へ漏出混入することを十分予見できたし、また六号脱臭缶は外筒修理を終つて運転を再開した昭和四三年一月三一日から同年二月一四日までの間、蛇管の腐食貫通孔が開口していたので、その運転再開時に蛇管の各種点検を実施しておれば右貫通孔を発見でき、本件結果の発生を回避する有効適切な措置をとりえたのであるから、右点検検査を実施すべき注意義務があつたのに、これを怠つた過失がある旨認定する。しかし、被告人は本件六号脱臭缶蛇管がカネクロールの帯有する腐食雰囲気によつて穿孔するという事態を予見することはできず、また原判決は本件油症事件は粒界腐食による蛇管の貫通孔からのカネクロールの漏出混入を因果経過として発生した旨認定するのであるから、機械的損傷による蛇管の穿孔からの漏出混入に関する予見可能性を云々することは無意味であり、さらに昭和四三年一月三一日の時点では本件蛇管の腐食貫通孔の充填物は欠落しておらず、同孔は開口していなかつたものである。したがつて、被告人には蛇管腐食を予見して運転再開時に各種点検検査をすべき注意義務もこれを怠つた過失もなく、これら注意義務違反を認定した原判決は事実を誤認したものである、というのである。

よつて検討するに、本件六号脱臭缶蛇管が腐食によつて穿孔する事態の予見可能性がないとの所論及び六号脱臭缶が外筒修理後運転を再開した昭和四三年一月三一日の時点で同缶蛇管の腐食貫通孔が開口していなかつたとの所論がいずれも理由がなく、右予見可能性を肯定すべきこと及び右時点で腐食貫通孔が開口していたと認むべきことは、さきに控訴趣意に対する判断第一点一及び三として説示のとおりであり、また原判決は粒界腐食による蛇管の貫通孔からのカネクロールの漏出混入を本件油症事件の因果経過と認定するのであるから、原判決が蛇管の機械的損傷による穿孔からの漏出混入の予見可能性を云々するのは無意味であるとの所論は、原判決を正しく把握したものといえず、その前提自体が正確性を欠き失当である。すなわち、原判決は理由中の第一の七の2(結果回避義務について)及び3(過失行為)において、六号脱臭缶修理後の運転再開に際し同缶内蛇管に対する点検検査の注意義務違反の過失を認定するに当り、被告人は、カネクロールの分解によつて発生する塩化水素ガスと水分が結合して生ずる塩酸の作用により蛇管に腐食貫通孔を生成する虞れがあること及び同脱臭缶の外筒修理、改造を外注した際の各種衝撃等の物理的作用によつて蛇管に欠陥ないし異常を生じることをそれぞれ予見することができたとして予見可能性を肯定するとともに、右腐食による欠陥生成作用と右修理時の衝撃等が相俟つて、蛇管にカネクロールを漏出しうる程度の欠陥あるいは異常を生じる可能性があることを予見できたとして、右欠陥個所からのカネクロールの米ぬか油中への漏出混入を未然に防止するため蛇管自体の点検検査を行つて蛇管の欠陥を確認すべき注意義務があつたもので、被告人は右注意義務を怠つた点において過失がある旨判示し、さらに、第三の二の2の(二)(脱臭缶蛇管の所謂「機械的損傷」によるカネクロールの漏出の予見可能性について)において、本件油症事件の因果経過の主要部分は、(1)カネクロールの過熱分解により生じた塩酸による六号脱臭缶蛇管の腐食貫通孔の生成及び(2)同脱臭缶外筒の取替修理に伴う各種作業において同蛇管に加わつた各種の衝撃等によつて、たまたま孔充填物により閉塞されていた右貫通孔の充填物が欠落したことによる同孔の開口という二個の因果経過の複合により、循環中のカネクロールが右蛇管の貫通孔から同脱臭缶内槽内の米ぬか油中に漏出混入したことにあり、右(1)の因果経過に対応する措置として、右経過による腐食貫通孔の生成を予見し、いわゆる適正な装置、操作による使用運転、すなわちカネクロールの過熱分解を招来するが如きことのない運転を実施することであり、右(2)の困果経過に対応する措置としては、前記修理の際に右腐食及び各種の衝撃等によつて蛇管に欠陥が生じることのあることを予見し、右蛇管の欠陥の発見等に努めることである旨説示する。右に明らかな如く、原判決は、本件の因果経過として塩酸による腐食貫通孔の生成を挙げるが、それのみではなく、脱臭缶修理に伴う各種衝撃等による貫通孔の開口との複合をいうものである。そして、右各種衝撃等(これが所論のいう機械的損傷の範囲に属するとみうるであろう。)による蛇管の欠陥生成(充填物の欠落による貫通孔の開口。)の予見可能性は、右(2)の因果経過に関するものとして意味を有することが明らかであるから、これを無意味とする所論は理由がない(なお、原判決は第三の三の2の(一)((脱臭缶蛇管の定期的日常的点検について))において、本件脱臭缶は「高温、内外差圧の存在化学物質の使用、薄い蛇管肉厚、スチーム吹込みによる激しい振動等々や、これらにより蛇管に加わる所謂繰返し応力、膨張伸縮、疲労衰弱等により、蛇管管壁や突き合わせ溶接部分等に亀裂、腐食等の欠陥を生じ、或いは、振動に伴う摩擦によつて穿孔を生じることが十分予測されたのである。」と説示して、腐食以外のいわゆる機械的損傷によつて穿孔が生じることの予見可能性を肯定するが、右はその認定した過失とは別個の蛇管に対する定期的日常的点検義務違反による過失の存否に関して説示するものであり、しかも原判決は結果的には同義務違反の過失の成立を否定していることが明らかであるから、所論が右説示部分を把えて事実誤認をいうのも理由がない。)。

また、所論は、原判決が本件蛇管に対する定期的日常的点検義務違反の過失を否定した結論は正当であるが、右結論に至るまでの論理過程には納得し難いとして縷々論述するが、右は過失の成立を否定した場合に関するから、いずれも事実誤認にいう事実に該当せず、また判決に影響する場合でもない。

以上の次第で、所論が結果回避義務違反の過失に関し事実誤認として主張するところはすべて理由がなく、その他記録を精査し、当審における事実調べの結果を参酌しても、原判決に所論の如き事実誤認があることを発見することができない。論旨もまた理由がない。

五  カネクロールの有害性についての予見可能性に関する事実誤認について

所論は要するに、原判決は、被告人に対し本件業務上の過失を認定するにあたり、結果回避義務を認める前提として、熱媒体カネクロールの毒性の予見可能性を肯定したが、一般的にカネクロールなどの工業薬(用)品即ち有害とする上位概念がないのは勿論、本件油症事件の発生当時において、カネクロールの毒性はその製造業者や学者、研究者あるいは油脂業界の関係者にも知られておらず、カネクロールガスの人体への刺激的影響があつたからといつて、直ちに毒性と結びつくものでもない。もし、カネクロールが有害と考えるならば、作業環境においてカネクロールが何らかの方法で経口攝取される可能性を否定できないのであるから、これを製造する鐘化は、カネクロールカタログにその旨注意を記載すべきであるのに、何らその点の記載はなく、むしろ安全性の記載が中心をなしているので、カネクロールカタログはカネクロールの毒性に関し情報提供をするものではない。したがつて、旧制工業学校の応用化学科を出た程度の初歩的知識しかない被告人には、カネクロールの毒性についての予見可能性を肯定することはできないのに、原判決は、本件結果発住の状況に目を奪われ、当時のカネクロールの毒性に関する認識状況について実質的顧慮を欠いた結果予見可能性を肯定したもので、事実を誤認したものである、というのである。

よつて、検討するに、

(1)  原審証人吉村英敏に対する尋問調書(昭和四七年九月一三日付)、同竹下安日児(八六回公判分)、同中山貞雄、同榊原寅雄の各供述、松岡昭の検察官に対する供述調書、第六八回国会衆議院公害対策並びに環境保全特別委員会科学技術振興対策特別委員会連合審査会議録第一号写及びカネクロールカタログ二通(符第三七号及び弁証第一〇号)によれば、カネクロールは、鐘化が芳香族ジフェニールに塩素を結合させて生成した塩素化合物ポリ塩化ジフェニール(PCB又はPCD。以下PCBという。)の商品名であつて、塩素の結合数により三塩化、四塩化、五塩化、六塩化等の種類があり、カネミが熱媒体として使用したカネクロール四〇〇は四塩化ジフェニールであつたこと、本件油症事件の発生当時、PCBは熱安定性、不燃性、非腐食性等の特性があるとされ、右種類に応じて広く各種用途に使用されたが、大別して熱媒体用、電気用(トランス油、コンデンサー油など。)及び感圧紙用が主たる用途とされていたこと、ところで、PCBの毒性は、まさに本件油症事件の発生を契機として広く認識されるに至つたもので、それまでは文献的に多少のものがあつた程度に止まり、塩素化合物が通常毒性を伴うものであり、PCBは勿論、PCBと化学構造、性質も類似する塩素化合物で一時期人畜への安全性が強調され広く使用されたDDTやBHCといえども毒性を否定できないものとされるが、このような知識は当時においては限られた一部の学者や研究者が有するのみで、一般には無知、無関心であつたこと、いわんやPCBは工業用品としての用途の関係から、皮膚への付着やガスの吸入などにより人体に経皮的、経気的に攝取、接触することはあつても、経口的に攝取されるのは異例のことで、曽つてそのような事例の報告例もなく、ためにこれを経口攝取した場合の毒性が問題とされたことは皆無の状況で、鐘化作成の前記カネクロールカタログ二通にも、カネクロールが芳香族ジフェニールの塩素化合物として若干の毒性がある旨指摘して皮膚への付着やガスの吸入等の具体的事実に関する注意事項を記載しながら、経口攝取した場合の毒性や対策等については何ら言及していないことが認められる。一方、

(2)  原審証人岩田文男(八通)、同佐藤源助、同居鶴庄三郎、同岡田金雄、同入口外与作に対する各尋問調書、同川野英一(五回公判分)、同樋口広次(四三回公判分)、同三田次男(六一回公判分)、同内藤實の各供述、川野英一(昭和四四年一〇月八日付)、樋口広次(同年一一月五日付)、三田次男(同年一二月六日付)、居鶴庄三郎、高梨三男、神林純一の検察官に対する各供述調書、萩生田徳四郎(同年五月二六日付)、居鶴庄三郎(同日付)、恒吉正則の司法警察員に対する各供述調書、被告人の原審公判廷における供述(一一五回、一二二回、一二六回、一二九回、一三〇回公判分)並びに検察官(昭和四四年一〇月九日付、昭和四五年一月三日付)及び司法警察員(昭和四四年六月三日付、同月二七日付)に対する各供述調書によれば、熱媒体にカネクロールを使用した三和の脱臭装置は、同社技術部長岩田文男の設計、開発にかかり、カネミは昭和三六年に三和から右脱臭装置を導入し、右岩田や三和の脱臭担当従業員らの技術指導を受けたものであるところ、岩田はカネクロールを採用するに当り、その毒性に関し、鐘化の関係者から動物実験の結果全く支障がなかつた旨聞くと同時にカネクロールの蒸気を大量に吸うと肝臓に悪いと聞き、カタログの記載も読んでカネクロールに多少の毒性があることを知つており、食べてよいものとは思わず、食品中への混入は防止しなければならないと思つていたが、本件油症事件にみられるほどの毒性があるとまでは知らなかつたこと、また作業現場でカネクロールを実際に取り扱つた三和及びカネミの従業員その他同じ油脂業の従業員らも、概ねカネクロールの付着による皮膚の痒みあるいはカネクロールガスによる各種刺激や症状を経験し、それなりに人体に有害であることを感知しており、殊に右居鶴庄三郎(三和の元工場長)及び萩生田徳四郎(三和の元脱臭係従業員)は、それぞれカネクロールが食用油中に混入して人体に経口攝取された場合の有害性を思い、右神林純一(関東製油株式会社加須佐工場次長)も経口攝取された場合に下痢程度の障害は招来するものと考えていたが、これら各人も本件油症事件にみられるほどの毒性は全く予測していなかつたこと、さらに、被告人は前記脱臭装置の導入に際し、塩素化合物であるカネクロールの毒性に一応の懸念を抱き岩田にこれを問い合わせたところ、岩田から毒性はないが高温加熱したときは分解により塩化水素ガスが発生する旨の注意を受け、前記カネクロールカタログの閲読や脱臭作業現場における使用経験からもカネクロール自体に若干の毒性があるものと認識し、飲めばガソリン等飲用の場合と同様に下痢をきたしたりして体によくないとは思つていたが、やはり本件油症事件にみられるほどの毒性があるとまでは知らなかつたことが認められる。

以上の事実によれば、本件油症事件の発生当時、PCBの毒性に対する認識は一般に極めて低い状況にあり、殊にこれを経口攝取した場合の毒性については曽つて議論されたこともなく、経口攝取に関する先例ともいうべき本件油症事件が生起するまでは、被告人もその他の関係者もすべてカネクロールに本件被害の結果を惹起するほどの毒性があるとまでは知らなかつたことが明らかであつて、PCBの毒性の予見可能性ということを具体的な本件被害を惹起する毒性の予見可能性の意味でみるときは、被告人がこれを予測することは客観的にも不可能であつたといわなければならない。しかしながら、右毒性の予見可能性の問題は、結果回避義務を認める前提としての予見可能性、換言すれば、カネクロールに関しどの程度の毒性を予見したときに結果回避義務を肯定するのが相当であるかの問題に外ならない。そして、一般的にいえば、物質の有する毒性はその物質により複雑多彩な内容が考えられるが、右毒性の内容に未知の部分が多ければ多いほどその物質を使用することによつて生起する結果を具体的に予測することができない反面、生命や身体に対する危険感、危惧感は増大する関係にあると考えられるから、このような場合、結果に対する因果の機序や被害の態様、程度などの詳細を逐一具体的に予測することまで要求するのは相当でない。しかしながら他面、何事かは特定できないがある種の危険が絶無であるとして無視するわけにはいかないという程度の漠然たる不安感、危惧感を感じる程度では足りず、少くとも身体の生理的機能を障害するに至ることの予測は必要とし、かつ、これをもつて足りると解するのが相当である。そうしてみると、カネクロールは食品自体でないことは勿論、食品添加物でもなく、熱媒体に使用される工業用品かつ化学合成物質であり、体内攝取の無害性が証明されていない物質であつて、工業用品即毒物と断定することはできないとしても、かかる物質を体内に経口攝取することは生物の本能としてあるいは経験に基づく常識として身体の生理的機能に不良の障害を来たす危険性があるものと予測するのはむしろ当然のことというべきである。のみならず、被告人は、カネクロールを経皮的、経気的に攝取、接触した場合の毒性に関しては経験上すでに知悉していたし、カネクロールカタログの毒性に関する前記記載も閲読了知しており、これらの事実をもつて、カネクロールを経口攝取した場合の毒性に関する情報の提供ないし警告たる意味を有するものと理解し、読み取るべきものと認めうるのであつて、このように解しても、食品製造業を営む会社の工場長であり、かつ製造技術面の最高責任者の地位にある被告人に対しては決して過酷な要求をするものではなく、しかも被告人が体内攝取の場合に下痢をする程度の不良の影響力があることを予測していた事実をも併せ考えるときは、被告人において、カネクロールが経口攝取された場合、身体の生理的機能を障害するほどの毒性を有することを予見することは十分に可能であつたものというべきである。

これに対し所論は、前記カネクロールカタログは、カネクロールの安全性の記載が中心をなしていて、経口攝取した場合の毒性に関して情報提供の機能を有するものではないというのである。そこで、前記カタログ(符第三七号)の記載を見てみると、「運転及び保守管理上の注意」欄において、「取扱の安全」と表示し、「カネクロールは芳香族ジフェニールの塩素化物でありますので、若干の毒性を持つていますが、実用上ほとんど問題になりません。しかし、下記の点に注意していただく必要があります。(1)皮膚に附着した時は石鹸にて洗えば完全におちます。(2)熱いカネクロールに触れ、火傷した時は普通の火傷の手当で結構です。(3)カネクロールの大量の蒸気に長時間曝され、吸気することは有害です。カネクロールの熱媒装置は普通密閉型で、従業員がカネクロールの蒸気に触れる機会はほとんどなく、全く安全であります。もし匂いがする時は装置の欠陥を早急に補修することが必要であります。」と記載されており、前記弁証第一〇号のカタログも同旨の内容であることが認められる。そして、右記載が何れもカネクロールの安全性を強調していることは所論のとおりであるけれども、安全性といつても絶対的ではなく、右(1)、(2)、(3)の具体的注意事項を遵守する必要があること及びその安全性は実用上即ち作業実施上におけるものであることを明らかにしており、したがつて、作業実施上当然に予測される経皮的、経気的な攝取、接触の場合の毒性を従摘していることは否定できず、しかも、本文の冒頭に毒性の存在を記載し、経口摂取の場合の毒性を否定する部分が全くない記載形式に徴すれば、右カタログの記載が経口摂取した場合の毒性に関しても情報提供の機能を有することを肯認しうるのであつて、所論の如く、右記載を安全性の面のみで一面的に把えることにより、毒性に関して情報提供の機能を有することを否定するのは相当でない。

そうしてみると、原判決がカネクロールの有害性に関する予見可能性を肯定した点に誤りはなく、その他記録を精査し当審における事実取り調べの結果を参酌しても、原判決に所論の如き事実誤認があることを発見することができない。論旨もまた理由がない。

控訴趣意第二点(量刑不当)について。

所論は、被告人を禁錮一年六月の刑に処した原判決の量刑は不当に重いというのである。

そこで、記録を精査し、当審における事実取り調べの結果をも参酌して検討するに、本件は、人が食用に常用する米ぬか油を精製するに当り、精製工程において熱媒体として使用される塩素化合物たるカネクロールを同油中に混入するに至らしめ、右混入により汚染された米ぬか油を広く市販して一般消費者に経口攝取させた結果、合計八九一名に対しPCBによる有機塩素中毒症(いわゆる油症)に罹患させ傷害を負わせたものである。そして、本件過失の態様をみるに、カネクロールが米ぬか油中に漏出混入したのは、カネクロールが循環する蛇管に生じた腐食貫通孔を通してであり、右腐食貫通孔はカネクロールの過熱分解によつて生じた塩化水素ガスと、循環装置内の水分とが合して生成した塩酸が蛇管の管壁に作用して形成したものであり、右カネクロールの過熱分解を招いた原因は、カネミにおける脱臭装置の各種改造、変更と操作方法の変更の結果であるところ、被告人はカネミの本社工場長として、また同社における米ぬか油精製の技術面に最も精通した最高責任者として、右装置の改変や操作方法の変更は、実質的にはすべて被告人において検討し決定したものであり、その際安全性の技術的検討が一応なされたものもあつたが、それは極めて皮相的な検討に止まり、不十分かつ不完全であり、それにもかかわらず、そのまま装置の改変や操作方法の変更をした結果、本件腐食貫通孔を形成するに至つたものである。次に、右貫通孔は装置運転の過程において、油の重合物など蛇管内外の各種物質によつて逐次充填、閉塞されていたが、六号脱臭缶の修理とそれに伴う各種衝撃等により充填物の欠落、亀裂の発生、多孔質化等のいずれかを生じて開孔状態となつたのに、昭和四三年一月三一日の同缶の運転再開に当り、蛇管に対する点検、検査を実施しないまま運転して右開孔個所からカネクロールを米ぬか油中に漏出混入させ、また当時カネクロール量の計量、把握に関して格別の管理態勢をとらず、その結果右漏出によるカネクロールの異常減少の事態を看過してカネクロールの混入した米ぬか油を出荷せしめ、ここに本件油症の被害を惹起するに至つたものである。一方、被害の状況をみるに、傷害の態様や程度あるいはこれが被害者らに及ぼした影響は多様であるが、ほぼ共通して多くみられる症例としては、顔面その他全身的にあらわれる大小さまざまの腫瘍の発症や皮膚、歯ぐき、爪等の色素沈着、変色などの皮膚症状、目やにの増加やこれに伴う視力の低下などの眼症状、頭痛及び頭重、腹痛、関節痛、手足のしびれ感等の神経症状あるいは全身倦怠、易疲労性などであり、その結果は歩行等の日常生活、仕事や夫婦生活等にも困難をきたすものがあり、就職や結婚を断念するものも多く、夫婦や家族間に不和、あつれきが生じ、「黒い赤ちやん」と呼ばれる新生児油症の悲劇が発生し、そのため妊娠、出産を恐怖し断念するものもあり、外観の著変により自己疎外観や厭世観に陥るものも多く、いわれなき中傷や猜疑を受けて苦しむなど、前記症状のもたらす身体的、精神的影響や生活破壊は著しいものがあり、また症状のうちには一部軽快したものも認められるが、一般的には頑固な症状や後遺症が残り、曽つて経験したことのないPCB中毒として適切な治療方法がないこともあつて陥る絶望感と将来に対する不安感にも著しいものがあり、しかも家族発症の形態が多いために悲惨さが倍加されることとなつており、その影響するところは計り知れないものがあつて、これら諸事実にかんがみるとき、被告人の刑事責任は極めて重大なものがあるといわなければならない。

所論は、カネクロールのメーカーである鐘化及び本件脱臭装置のメーカーである三和の両社は、そのユーザーであるカネミないし被告人に対し、それらの使用、管理に関して適切な情報の提供や装置管理の指導をしていれば、本件事故の発生は回避しえた筈であつて、これを怠つた両社の責任こそ重大であるのに比し、被告人の過失の程度は軽く、被告人に対してのみ刑責を問うのは刑の衡平を失するというのである。

なるほど、カネクロールの毒性に関し、鏡化作成の前示カタログはカネクロールを経口攝取した場合の毒性については何ら言及せず、全体としてカネクロールの安全性を強調する記載となつていて、ユーザーに対し使用上の安易感を抱かせる結果となつていることは明らかなところである。また本件脱臭装置中の循環装置についてみるに、それがいわゆる解放型をなしていて水分の混入が容易な形式をなし、本件蛇管の上部にいわゆるエアポケットを形成し、そこに腐食環境が形成される構造をなし、本件蛇管の材質に設計者たる岩田の指定したSUS33鋼よりも耐食性の劣るSUS32鋼が固溶化熱処理も不備のまま使用されるなど、装置の形式、構造、材質の各面における不適切ないし欠陥が存在し、しかも一炉二缶の三和方式による運転操作のもとでもほぼ恒常的に脱塩酸が生じていたと認められるのであつて、以上にみる如く、本件油症事件発生の背景には被告人としては如何ともなし難い鐘化や三和の手落ちが存在したことは否定し難いところである。のみならず、装置の設計開発者たる岩田においても、カネクロールの性状についての被告人に対する指導や説明が必しも適切でなく、また一炉三缶による運転については予め被告人の企画を知つたのであるから、カネクロールの過熱分解や装置腐食の危険性を知り、粒界腐食による万一の場合まで懸念して蛇管の材質選定にも配慮をしたものとして、ことは食品たる米ぬか油の精製に関係し、ひいては不特定多数人の健康、安全に関係する事項であることは明らかであるから、被告人に対し増缶の危険である所以を具体的かつ詳細に説明して適切な指導、助言を与え、被告人に過誤があればその匡正に努めるべきであつたのに、単にカネクロールの過熱分解のおそれがある旨を指摘したに止まつたことは遺憾であつたといわざるをえない。しかしながら、そのために被告人の刑事責任を過少に評価することは許されない。すなわち、食品の一般消費者は、他に情報の提供がない限り五官の作用によつて食品の有害性を判別する以外に有害食品に対する防備手段を有しないのであつて、食品製造業者は、その提供する食品の安全性を保障して供給すべきであり、したがつて、食品製造に従事する者は、食品の製造に当り、その安全性の検討について慎重で細心な態度を持し、万一これにいささかでも疑念を生じる事項があるときは徹底的にこれを究明し、安全性の確認ができてはじめて製造すべきことはいうまでもないところである。ところで、カネクロールは食品や食品添加物でないのは勿論、食品に混入させて使用するような用途は全くなく、カネミにおいては熱媒体としての用途上、肉厚二ミリメートルの蛇管々壁を距てて食品たる米ぬか油と相接する関係にあり、塩素化合物で工業用品たる性質上これが食用油中に混入して経口攝取されるような事態の発生は厳に避くべきことである。しかして、カネミは米ぬか油の製造、販売高において同業界屈指の会社であり、被告人は前示のとおり同社における米ぬか油精製の技術面における最高責任者の地位にあつたものである。したがつて、被告人は自己の右地位、立場を十分に自覚し、装置の改変や操作方法の変更等に当つては安全性の検討に万全を期し、自己の足りないところは本件装置の開発設計者でカネミの技術嘱託でもある岩田あるいはその他専門家の意見を徴し、指導を受けるなど慎重な方策をとり、よつて適正な脱臭装置により適正な運転操作を行い、もつて蛇管の腐食によりカネクロールが米ぬか油中へ漏出混入するような事態が発生することを回避すべき業務上の注意義務があつたのに、右地位、立場に対する自覚や配慮を欠き、右注意義務を怠つたものである。すなわち、被告人はカネミにおける精製の開始後、良質な米ぬか油の製造が可能になつたこともあつて、自己の能力を過信し、三和や岩田を軽視するようになり、作業上の便宜や生産の経済性を重視して、化学工学的見地からの安全性の検討が不十分のまま安易に装置の改変や操作方法の変更等をなし、脱臭缶一基を増設して一炉三缶方式にするに当つても、折角岩田からカネクロールの過熱分解の警告を与えられながら、同人にその理由や対策を聞くなどの配慮をすることもなく、却つて自己の見解を固持し、三缶運転が駄目な時は予備缶にする考えである旨告げて岩田の消極的同意を得、増缶とそれによる操業を強行してしまつたものであつて、その間の経緯には食品製造に従事する者として要求される慎重かつ細心な態度は窺い知ることができない。のみならず、六号脱臭缶修理後の運転再開に当つての蛇管に対する点検義務違反についても、蛇管に対する定期的ないし日常の点検による腐食貫通孔の発見が困難であつたから、運転再開に当つての点検は特に必要であつたのに、これを怠つた結果貫通孔の開孔状態を発見すべき絶好の機会を逸したものであり、またカネクロール量の計量、把握によりその異常減少を確認すべき注意義務違反についても、右計量、把握には決して高度な設備や技術、能力を要するものではなく、地下タンク内の量をメジャーで測り、記帳し、計算するなど比較的簡単な方法で足り、カネクロールを熱媒体として使用する同業者はその装置がカネミと同様のものであるか否かに関係なく広くかかる計量、把握を実行していたのに被告人はこれを怠つたもので、これら義務違反の結果として、本件油症の被害を惹起したことを考慮すると、被告人の刑責は極めて重大であつて、鐘化や三和あるいは岩田の手落ちを理由として被告人の過失の程度や刑責が軽いとする所論はとうてい採用することができない。

ところで、被告人はこれまで全く前科もなく真面目に過ごし、長年油脂業界で働きそれなりに社会に貢献してきたものであるのに、本件の発生により、多年に亘つて築いた名誉と信用を一挙に失墜し、カネミにおける本社工場長の地位を失い、家族ともども逼塞した生活を余儀なくされ、すでに相当の社会的制裁も受けており、カネミにおいて一部の被害者との間に示談金を支払つて示談を成立させ、民事第一審の各敗訴判決にも服することとし、これに対する控訴を断念して被害者の治療と慰藉に力を注ぎ、右治療費や示談金はカネミの規模からみて少なからぬ出捐額に達しており、原判決後も治療費の出捐を続けていて、一部被害者から嘆願書をもつて被告人に対する宥怨の意思も表明されるに至つたことが認められる。しかし、被告人の過失の態様、程度は重大にして、その及ぼした各種影響は余りにも深刻、悲惨かつ広範であり、カネミや被告人の努力にもかかわらず被害者らに対する慰藉も必しも十分とは言い難く、一部を除き被害者らの被害感情は今なお払拭することができない状況にあり、これらの事実に徴すれば、被告人に有利な前記諸事情その他所論の諸事情を十分に参酌しても、原判決の被告人に対する刑の量定は相当であつて、これを不当とする事由を発見することができない。論旨は理由がない。<後略>

(生田謙二 畑地昭祖 矢野清美)

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