福岡高等裁判所 昭和53年(ネ)194号 判決
以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。
【説明】
本判決は福岡地小倉支判昭53.2.9(本誌三六四号一四一頁)の控訴審判決である。事案の概要と問題点は右本誌と小堺「未熟児医療過誤訴訟の動向」(本誌四一五号二七頁)に詳しく紹介されているので省略するが、本判決は医師の注意義務判断の基準、眼底検査実施義務違反の存否等の問題点について第一審判決の判旨をほとんどそのまま踏襲するものである。
【判旨】
「原告らは、本件当時、未熟児の酸素療法に関連して本症発生の虞れが指摘され、さらに、これに対処する定期的ないし適宜的眼底検査が実施され、かつ、光凝固法などの有効性も少くとも大学付属病院段階で確認されていた状況にあつたのに、渡辺医師において、眼底検査の必要性の認識に基づいてより早期に眼科医の協力をえて、原告圭一朗、同圭二朗に対し、右眼底検査を実施しなかつたため、右両児が本症に罹患していることを看過し、その結果、右両児が薬物療法のほか光凝固法などの適切な治療を受けられずに失明するに至つたことにつき渡辺医師に過失がある旨主張し、被告は、被告病院において右両児に眼底検査その他の措置を講じなかつたことは認めるものの、その点に全く過失がない旨主張するので、以下検討する。
(一) 原告圭一朗、同圭二朗の主治医であつた渡辺医師が、右両児の入院保育中はもとより、昭和四四年八月七日両親の訴えをきいて初めて眼科の羽出山医師を紹介するまでの間、右両児の眼底検査を行わなかつたこと、それは渡辺医師が、未熟児網膜症という疾病があり、未熟児に対する酸素療法に関して発生するものであることは知つていたものの、右両児に発症の危険があるとは思い至らなかつたためであること、以上の事実は当事者間に争いがなく、原審及び当審における証人渡辺仁夫の証言によれば、同医師は、未熟児に酸素療法を行うにあたり、原告圭一朗、同圭二朗の場合のように、その濃度を四〇パーセント以下に制限すれば本症発症の虞れはないとの知見しか有しておらず、日頃から興味をもつていたアレルギーや気管支喘息関係は別として、医学雑誌など本症関係の記事を注意して読んだことはなく、まして眼科関係の雑誌など一度も見たことがなく、したがつて、本症の早期発見のため未熟児の定期的眼底検査を行う必要性のあることなど全く知らなかつたことが認められる。
(二) しかしながら、ここで問題になる眼底検査は、あくまで本症の治療の前提として必要なのであるから、効果的な治療方法が存在して、初めて眼底検査に意味があるものというべきである。
<証拠>によると、本件口頭弁論終結の時点において、本症の治療上有効なものとされているのは、光凝固法および昭和四七年東北大学の山下医師によつて報告された光凝固法と原理を同じくする冷凍凝固法のみであり、かねてから提唱されていた副腎皮質ホルモン、ACTH等の薬物療法は顧みられなくなつていることが認められる。
そして、前記のとおり、光凝固法が、我国において初めて公けにされたのは、昭和四三年四月発行された「臨眼」誌上における永田医師らの二症例の報告例であり、右永田医師らによつて四症例の追加症例が発表されたのが昭和四五年五月であつて、原告圭一朗、同圭二朗両児の住所地である北九州市に最も近い処で早期に光凝固法に取り組んだと考えられる九州大学医学部においてこれが試みられたのは、証人合屋長英、同大島健司の各証言によれば昭和四五年以降であることが認められ、原告圭一朗、同圭二朗の出生時である昭和四四年四月当時は、右の述べた永田医師の昭和四三年に発表した二症例しか公けにされておらない状況で、この最初の症例の追試の段階、それも追試早々の段階であつて、以上の事実よりすれば、当時、光凝固法は、未だ、一般の臨床医家の間では勿論、一流の治療機関である大学付属病院段階においてすら、有効な治療法として認識されるに至つてなかつたものというべきであるから、原告圭一朗、同圭二朗に対し、天理病院への転医措置を講ずることなどによつても、光凝固法の施行を期待することは到底無理であつた、といわざるをえない。
また、<証拠>を総合すれば、副腎皮質ホルモン等の薬剤が顧みられなくなつたのは、本症は自然寛解率が高く、副腎皮質ホルモン剤やACTHを投与した症例においても、この薬効で治癒したのか、自然治癒したのかは明らかでなく、このようなホルモン剤の投与には副作用の心配が常に働くうえ、前記のとおり本症に有効な治療法として光凝固法及び冷凍凝固法が開発されたためであるが、ホルモン剤投与による治療の効果は、完全に否定されたわけではないにしろ、積極的にこれを肯定する評価も殆ど与えられていないことが認められるから、渡辺医師において、原告圭一朗、同圭二朗に対し、本症の病変進行を阻止するため早期に右薬物療法を施すことを期待することも、これまた無理であつた、といわざるをえない。
したがつて、昭和四四年四、五月の段階において、渡辺医師が原告圭一朗、同圭二朗両児の眼底検査に思い至らなかつたことを重視し、同医師に対する責任追及の一端とするのは、当を得ないものというのほかはないが、念の為、一流と目される病院における眼底検査の実施状況をみると、後記(四)に認定のとおりである。」
<中略>
「(五) 以上により、本件当時、一般の臨床医家の間では勿論眼科学会においても、本症に対する有効な治療方法であると確実に認識されたものはなく、本症の治療を目的とする定期的眼底検査は、本症研究の先駆的病院を除いて、未だ一流の診療機関においても実施されるまでには至つてなかつたのであるから、渡辺医師が、原告圭一朗、同圭二朗両児に対して酸素療法を施した昭和四四年四月当時、眼底検査の必要性も知らなかつたためこれを実施せず、その結果、本症の発症を看過し、本症に何らの治療も施さなかつたとしても、これを非難することはできず、また、前記のとおり同年七月三日原告千鶴子から未だ両児が光に対する反応を示さない旨の訴えを受けた際、格別の措置をとらなかつた点についても、同様に非難することはできないものというほかはない。」
(斎藤次郎 原政俊 寒竹剛)