大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

福岡高等裁判所 昭和53年(ネ)211号 判決 1984年3月16日

一審原告ら(控訴人兼被控訴人。ただし、井藤良二は控訴人、渡邊瑠璃子は被控訴人)の表示

別紙〔一〕一審原告ら目録記載のとおり<省略>

右一審原告ら訴訟代理人

内田茂雄

田邊匡彦

小泉幸雄

河野善一郎

高木健康

池永満

塩塚節夫

辻本育子

竹中敏彦

戸田隆俊

中原重紀

下田泰

多加喜悦男

諫山博

渡邊和也

南谷知成

木梨芳繁

千場茂勝

角銅立身

上田國廣

山原和生

井貫武亮

松本洋一

出雲敏夫

小島肇

林田賢一

坂口孝治

横山茂樹

梨木作次郎

長谷川正浩

登野城安俊

梶原守光

大国和江

吉野高幸

島内政人

馬奈木昭雄

中村照美

土田嘉平

石松美智子

豊田誠

塙悟

山下道子

中尾晴一

外一六名

井上繁行

一審被告(被控訴人)

加藤三之輔

右訴訟代理人

尾山正義

有村武久

清原雅彦

山崎辰雄

一審被告(被控訴人)

北九州市

右代表者市長

谷伍平

右訴訟代理人

松永初平

二村正己

同指定代理人

伊藤幸夫

外六名

一審被告(被控訴人)

右代表者法務大臣

住栄作

右指定代理人

鹿内清三

外七名

右北九州市、国両名指定代理人

冨永環

外二名

一審被告(控訴人兼被控訴人)

鐘淵化学工業株式会社

右代表者

大澤孝

右訴訟代理人

荻野益三郎

白石健三

松浦武

丹羽教裕

塚本宏明

石川正

谷本二郎

西村寿男

藤巻次雄

国谷史朗

主文

一  一審原告ら(一審原告井藤良二、同渡邊瑠璃子を除く)の一審被告加藤三之輔、同鐘淵化学工業株式会社(以下「一審被告鐘化」という)、同国に対する控訴及び一審被告鐘化の控訴に基づき、原判決中右関係部分を次のとおり変更する。

1  一審原告ら(ただし、一審原告井藤良二及び一審被告加藤三之輔関係では一審原告大川点順こと梁女を除く)に対し、一審被告加藤三之輔、同鐘化は、各自別紙〔七〕認容金額一覧表中の「認容金額(一)」欄記載の各金員及びこれに対する昭和四三年一一月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を、一審被告国は、同一覧表中の「認容金額(二)」欄記載の各金員及びこれに対する同日から支払済みまで年五分の割合による金員を各支払え。

2  右一審原告らの右一審被告らに対するその余の請求(請求拡張分を含む)を棄却する。

二  右一審原告らと一審被告鐘化関係において、その控訴に基づいて右変更にかからない右一審原、被告らの控訴は、いずれもこれを棄却する。

三  一審原告井藤良二の一審被告らに対する控訴並びに同一審原告、一審原告渡邊瑠璃子を除く一審原告らの一審被告北九州市に対する控訴及び拡張請求を、いずれも棄却する。

四  訴訟費用は、一審原告ら(ただし、一審原告井藤良二及び一審被告加藤三之輔関係では一審原告大川点順こと梁女、一審被告加藤三之輔、同国、同北九州市関係では一審原告渡邊瑠璃子を除く)と一審被告加藤三之輔、同鐘化、同国との間に生じた分は、第一、二審を通じてこれを四分し、その一を右一審原告らの、その余を右一審被告らの負担とし、右一審原告らと一審被告北九州市との間に生じた控訴費用は右一審原告らの負担とし、一審原告井藤良二の控訴費用は同一審原告の負担とする。

五  この判決第一項1は、一審被告鐘化についてはその七割、一審被告国及び加藤三之輔については全額につき仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一一審原告ら(一審原告渡邊瑠璃子を除く)

1控訴の趣旨

原判決を次のとおり変更する。

(一) 一審被告らは、各自右一審原告らに対し、別紙〔三〕請求債権額一覧表記載の金員及びこれに対する昭和四三年一一月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

(二) 訴訟費用は第一、二審とも一審被告らの負担とする。

との判決並びに(一)項について仮執行宣言の申立

2一審被告鐘化の控訴について

(一) 本件控訴を棄却する。

(二) 控訴費用は一審被告鐘化の負担とする。

との判決

二一審被告鐘化

1控訴の趣旨

(一) 原判決中一審被告鐘化敗訴部分を取り消す。

(二) 一審原告(ただし一審原告井藤良二を除く)らの請求を棄却する。

(三) 訴訟費用は第一、二審とも右一審原告らの負担とする。

との判決

2一審原告ら(一審原告渡邊瑠璃子を除く)の控訴について

(一) 本件控訴を棄却する。

(二) 控訴費用は右一審原告らの負担とする。

との判決

三その余の一審被告ら

1本件控訴を棄却する。

2控訴費用は一審原告(一審原告渡邊瑠璃子を除く)らの負担とする。

との判決

第二  当事者の主張<省略>

第三  証拠<省略>

理由

(当事者双方から提出された書証のうち成立に争いのある書証については、別紙〔五〕「真正に成立を認めた証拠目録」中の真正に成立を認めた証拠欄記載の各証拠によつてそれぞれの成立を認める。以下書証を引用する場合は、単に書証番号のみを掲記することとする。)

第一  当事者

当事者については、原判決理由説示(原判決a48頁八行目からa54頁一七行目まで)と同一であるからこれを引用する。

第二  本件油症事件の発生の経緯と概況について

油症患者発見の経緯、一審被告国、同北九州市並びに福岡県の油症調査、油症研究班の成立とその油症に関する調査活動、被害の状況等については、原判決理由説示「第二 カネミライスオイル中毒症(油症)発生の経緯と概況」(原判決a54頁一八行目からa70頁末行まで)のとおりであるからこれを引用する(但し、原判決a55頁一六行目に「塚本」とあるのを「塚元」と訂正する)。

第三  本件油症事故の原因解明について

一  カネミ倉庫におけるライスオイルの製造工程とカネクロールについて

カネミ倉庫におけるライスオイルの製造工程(原判決a71頁二行目からa75頁三行目まで)、カネクロールの概念(原判決a75頁四行目からa80頁一〇行目まで)、PCBの毒性(原判決a80頁一一行目からa83頁七行目まで)及びカネミ倉庫での脱臭装置の増設経過(原判決a83頁二〇行目からa86頁二〇行目まで)については、いずれも原判決理由説示と同一であるからこれを引用する。

二  カネクロールの混入経路について

本件油症事件は、カネミ倉庫がライスオイル製造の脱臭工程で使用していたカネクロール四〇〇がライスオイルに混入したため発生したものであるが、右カネクロール四〇〇の混入経路について、一審原告らは、六号脱臭缶内のカネクロール蛇管に腐食孔(ピンホール)が生じ、右ピンホールには日ごろ充填物がつまつていたところ、昭和四二年暮ごろ修理した際に衝撃等のため欠落し、昭和四三年一月三一日同号缶の試運転開始以来同年二月上旬にかけて右ピンホールからカネクロールが漏出混入したと主張する(以下「ピンホール説」という)。

これに対して、一審被告鐘化は、原審において、同号缶の内部にある内筒外側の加熱パイプのフランジからカネクロールの漏洩が起こつたものと主張していたが、当審で右主張を撤回し、事故原因について、昭和四三年一月二九日一号脱臭缶の隔測温度計保護管先端の熔融工事をした際、カネミ倉庫の従業員権田由松の工作ミスによつて、同号缶内のカネクロール蛇管に孔をあけ、その孔からカネクロールが食用油中に漏出したものであるが、カネミ倉庫が右カネクロールの混入した汚染油を一旦回収タンクに回収したものの、正常油と混合しながら再脱臭を行い、右再脱臭油を点検することなく出荷した結果、本件事故が発生したと主張する(以下「工作ミス説」という)ので、この点について以下検討する。

三  ピンホール説と工作ミス説

1ピンホール説は九大鑑定と六号缶におけるピンホールの存在を根拠とするものであるが、右ピンホール説の概要については原判決理由説示(原判決a86頁二二行目からa92頁二行目まで及び同a94頁一五行目からa95頁一四行目まで)と同一であるからこれを引用する。

2工作ミス説は、右ピンホール説ではピンホールの開孔、閉塞についての科学的論拠を欠き、カネクロールが一時に大量に漏出したこと、それをカネミ倉庫の従業員が看過したこと等を合理的に説明することができないとして主張されたものであるが、まず、右主張を裏付ける直接的な証拠としてカネミ倉庫の元脱臭係長樋口広次をめぐる一連の証拠、つまり丙第一〇四三号証(丙第一六四一号証は同じもの、加藤八千代の講演記録並びに引用の書簡についてと題するものの公正証書)中に資料として添付された樋口広次から加藤八千代に宛てた手紙、丙第一〇四二号証(弁護士松浦武と樋口広次の対談記録の公正証書)並びに当審証人樋口広次の証言が存在するので以下右各証拠について検討する。

(一) 樋口広次は、当審で証人として尋問されたが、工作ミスに関連する事項についての質問に対しては、終始沈黙してなに一つ答えなかつた。

右証人尋問に先立ち、弁護士松浦武、一審被告鐘化の総務部長佐藤宏夫が右樋口と面接し、右面接の一部始終を録音テープに取り、これを再現したものが丙第一〇四二号証の対談記録であるが(丙第一六五三号証によれば、右対談記録は松浦弁護士が樋口本人の承諾をえないまま秘密裡にテープに採取したものである)、長時間に亘る対談の中で、樋口は松浦弁護士の積極的な誘導に対してあいまいなどうとでも取れる言葉でこれに応じていることが多く、事故の原因について自らの発言に責任を負わなければならないような決定的な事柄は、なに一つ自分の方から発言していないのであつて、工作ミス説の概要を把握するためには、前記丙第一〇四三号証中の手紙及び丙第一六五三号証(松浦武の小倉二陣証人尋問調書)を参酌しなければ、その意味を十分捕捉することができないのである。

前示のように、対談の様子を秘密裡にテープに採取され、密室の中で殆んど対談の相手方以外の者を顧慮する必要がないとみられる場合においてさえ、状況の説明について、なおこのような発言に止つていることに徴すると、そのまま素直に信憑性を首肯することができないものと言うべきである。

(二) そこで、樋口広次が加藤八千代に宛てた手紙について仔細に検討してみるに、右手紙は昭和五五年七月一二日付と同年九月一一日付の二通が存在し、後者の手紙中には工作ミス説を詳述した①ないし⑨と番号を付された部分と①ないし⑥と番号を付された別便かとも思われる部分とがあるが、右工作ミス説を詳述した部分は、多少の誤字、脱字はあるもののかなり難しい漢字を使用して工作ミス説の経過を理路整然と述べているのに対して、別便かとも思われる部分においては、多少難しい漢字については、カシツ(過失)、レイグう(冷遇)、ケイジ(刑事)、ジサツシャ(自殺者)せき人(責任)というような使い方になつており、その著しい差異と丙第一六四六号証により、樋口がカネミ倉庫に入社する際に世話をした二摩初が、樋口さんは余り字を知らないのでと述べていることが認められることに照らしても、右工作ミス説の記述が本人の記憶に基づいてそのまま記載されたものかどうか些か疑問なしとせざるをえない。

(三) また、<証拠>によれば、樋口広次は昭和四三年一一月以降数ケ月に亘つてカネミ油症における業務上過失傷害被疑事件の被疑者としての取調べを受け、カネミ倉庫から加藤社長、森本工場長のほかに一介の脱臭係長に過ぎない自分だけが被疑者とされたのに対して、担当責任者の一人とも言うべき自見精製課長補佐や同僚の川野英一がその追及を免れているうえ、今津研究室長からも事故の原因が樋口の脱臭缶の空だきに由来するのではないかと責められ、いたく憤激していたことが窺われるところ、樋口がこの時点で工作ミスの実態を知つていたとすれば、自分に対する不当な責任の追及を免れるため、ただちに自分としては関わりのない工作ミスに言及するのがむしろ自然のことではないかと思われるのに対し、現在に至つてどうして今さら工作ミスに関する供述ないし加藤八千代に対する手紙を書くようになつたのか、そのいきさつについても容易に納得し難いものがある。

(四) しかも、丙第一九九号証、第二〇五号証のカネミ倉庫の鉄工係日誌中に同年一月二九日隔測温度計保護管先端の孔の拡張工事について何ら記載が存しない。

3  ついで、工作ミス説のその他の論拠について検討する。

(一) 一審被告鐘化は、工作ミス説を裏付ける証拠の一つとしてカネミ倉庫における操業記録の改ざんと右操業記録を分析すると、カネミ倉庫では昭和四三年一月二九日から同月末まで脱臭工程の異常操業(操業停止)が生じており、これは同月二九日に異変の原因が発生したことを示すものであると主張する。

丙第四四号証(試験日報、昭和四三年一月分)、第四六号証(同、同年二月分)、第四八号証(精製日報、昭和四三年度分)、第六二号証(ウインター日誌、昭和四三年一―三月分)を点検すると、たしかにかなりの箇所に書きかえ、書き加えた形跡が認められ、また丙第一六三九号証によれば森本工場長は丙第四八号証中の同月末における記載を後日書き加えたことを認め、丙第五七号証によれば二摩初は丙第四六号証中の脱臭缶番号の記載を⑥とあるのを①と書きかえたことを認めているところであり、すでに捜査の過程で右記録の改ざんが問題とされていたものであるが、右改ざんの事実は認められたもののその動機、経過についてははつきりせず、本件全証拠によるもこれをつまびらかにすることができない。

そして、これらの書き直し、書き加えの部分は書きなぞり、或いは抹消して書き加える等一見して書き直した形跡を窺わしめるものがかなりの部分を占め、さらに関連記録と対照するとたやすくその改ざんを指摘しうるのであつて、もし一審被告鐘化の主張するようにカネミ倉庫が会社ぐるみで行つた工作ミスを隠蔽するための大がかりな帳簿の改ざん行為であるとすれば、このように痕跡の比較的明らかな改ざん行為をどうしてあえてなしたのか納得し難いところである。

しかも、<証拠>によると昭和四三年一月二七日の脱臭油の抜き取り検査の酸価は0.133、0.247であつて、これはカネミ倉庫の製品規格として定めている通常の脱臭油の酸価がサラダ油で0.06以下、白絞油で0.1以下とされているのに比較してはるかに高い数値が示され酸価の異常がみられ、また<証拠>によると、同月二八日は日曜日で脱臭作業は停止している筈であるのに脱臭係員樋口広次、平林雅秋、三田次男の三名が夕方まで勤務したことになつており、通常の事態とは若干異るものが予想され、右操業記録の改ざん等に異常なものがあつたとしても、このことから直ちに同月二九日に事故が発生したものと断定することは出来ないものである(右のことから、一審被告鐘化は同月二七日に事故が発生したものと一度は考えていたものであるが、ピンホール説によつても工作ミス説によつてもどうしてこういう事態が生じたのか説明のつきにくい事柄である)。

(二) 次に、一審被告鐘化は、後記事故ダーク油中のカネクロールの化学的組成がカネミ倉庫で使用中のカネクロールよりも低沸点成分が少く、むしろ高沸点成分が多いパターンを示しているのでピンホール説では右組成を説明しえず、工作ミス説によつてのみ可能であるとする。

<証拠>によれば、事故ダーク油中のカネクロールの化学的組成は本来のカネクロールのそれとほぼ類似しているが、厳密に言うと本来のカネクロールよりも稍低沸点成分(三、四塩化物)が少く相対的に高沸点成分(五塩化物)が多くなつているパターンを示していることが認められる。

<証拠>によれば、カネミ倉庫では脱臭工程で生じた飛沫油、あわ油等をダーク油に混ぜていたことが認められるところ(これに反する森本工場長の飛沫油やセパレータ油は原油に戻し、あわ油は海に流していた旨の丙第二〇二号証、第二〇三号証の記載は措信しない)、甲第二七号証によれば、飛沫油中のカネクロールは本来のカネクロールに比較し稍低沸点部分が多く、あわ油やセパレータ油中のそれはさらに低沸点部分が多く含まれていることが認められ、飛沫油やあわ油をダーク油に混入したとすれば低沸点部分が多いパターンを示す筈ではないかとの疑問が生じる。

しかしながら、他方、前掲証拠によれば、脱臭過程でカネクロールが食用油に混入しそのまま脱臭工程を経たとすれば、脱臭油中のカネクロール濃度は第一回の脱臭操作で約一二分の一に減少し、低沸点成分も顕著に減少を示すのに対し、本件食用油中に混入していたカネクロールの成分は低沸点部分は顕著に少く殆んど高沸点の五塩化物を主成分とするものに変質していたことが認められ、右事実に照らすと、工作ミス説では工作ミスによつて脱臭工程中にカネクロールの混入した食用油を一旦回収したうえ、その一部をダーク油にその他を食用油に混入したと言うのであるから、再度の脱臭をしたかどうかはともかく、第一回目の脱臭工程を経たことによつてダーク油中のカネクロールの成分は低沸点部分が著しく減少している筈であるのに、ダーク油中のカネクロールのパターンはかえつて本来のカネクロールに類似し稍その低沸点部分が少いパターンを示しているのであつて、これをもつて工作ミス説の論拠とすることは当を得ないと言うべきである(事故ダーク油中のカネクロールの化学的組成について、ピンホール説によつても工作ミス説によつてもその由来するところを合理的に説明するのは困難である)。

(三) 一審被告鐘化は、カネミ倉庫はダーク油事件が発生するや少からぬ量の食用油をひそかに回収していたものであつて、このことはカネミ倉庫がカネクロール汚染油の存在を知つていたことの証左であると主張する。

<証拠>によれば、昭和四三年二月下旬から同年三月上旬にかけて粕屋食糧販売協同組合を始め各業者から相当量の返品がなされていることが認められるが、本件全証拠によるも右返品がカネミ倉庫からの回収に応じてなされたものと認むべき証拠もない。

また、一審被告鐘化は、右返品が同年二月二六日から増えていること並びに同月二四日カネミ倉庫で部課長会議が開催されていることに着目し、右部課長会議と返品との間に密接な関連があるとみるべきであると指摘するが、単なる臆測にしかすぎず、右関連性を窺わしめる証拠もない。

しかも、右の主張は加藤三之輔社長が工作ミスによる事故原因を知つて部課長会議を開催したことを前提とするところ、丙第一六三一号証によると、油脂の専門家である神力達夫は、かねて個人的に親しく交際していた加藤三之輔から一度事故現場を見て事故原因について意見を聞かせて欲しいとの依頼を受け、昭和四三年一二月二五日カネミ倉庫に赴き押収中の六号脱臭缶を右加藤の案内により見分したことが認められ、右事実に比照すると、加藤三之輔が工作ミスによる事故原因を了知していたものとは到底認め難く、右加藤が当初から右事故原因を承知していたとする丙第一〇四三号証の記載は措信できない。

4一審被告鐘化は、九大鑑定ではピンホールが何故数日間だけ開孔しその後は閉孔したのか、とくに閉塞の可能性について科学的な論証を欠く推論にすぎないと非難する。

右孔の開閉、とくに閉塞の可能性について九大鑑定がその論拠とするところは、原判決理由説示(原判決a94頁一五行目から同95頁一四行目まで、及び同a96頁五行目の「九大鑑定は」から同頁九行目まで)と同一であるからこれを引用する。

右のとおり、九大鑑定は一応相当の試験、実験を行つて右可能性を推論しているものであつて、単に右推論が現実に可能となるかどうかをカネミ倉庫の営業運転中と同一条件下での実験をしていないからと言つて(そういつた実験が当時可能であつたかどうかも不明である)、これを科学的論証ないし厳密に実験を欠く推論として排斥することができないのは言うまでもない。<証拠>もなんら右認定を左右しえない。

5  ところで、本件油症事件においては、僅か数日間のうちにきわめて大量のカネクロールが漏出しているのであつて、その量について正確に判定することは困難であるが、一応<証拠>によると、事故食用油中のカネクロールの量は約二〇ないし三〇キログラムと推算され、脱臭による蒸散残留率は一二分の一であるから漏出総量は二四〇ないし三六〇キログラムと算定され、蒸散残留率を低くみて一〇分の一とすると二〇〇ないし三〇〇キログラムとなる。

このように大量のカネクロールが食用油中に漏出したとすれば、脱臭缶の真空度が上らないなど脱臭装置の異変が生じたり(このことは甲第二七号証により窺われる)、カネクロールの異常減量をきたし、右脱臭作業に従事する係員は当然そのことを知りえたのでないかとの疑問を生ずるところである。

原審証人三田次男は昭和四三年一月三一日六号脱臭缶の真空テストに立会い、テストの関係でカネクロールの運転を途中でとめて地下タンクに戻した記憶はあるが、当日カネクロールの補給をしたことは記憶していないと供述するのであるが、丙第一六五〇号証によると、同日、三油興業株式会社九州営業所は、カネミ倉庫の依頼を受けて、一旦日新蛋白工業株式会社に納入していた五〇キログラムと吉富製薬株式会社から借受けた二五〇キログラムのカネクロールを合わせてカネミ倉庫に納入していることが認められ、このあわただしいとも言うべき補給状況からみても右の疑念は拭いきれないものがある。

6  工作ミス説は、右のような疑問を解消するのに巧みな説明が可能ではあるが、前記のように直接的な証拠であるべき樋口広次をめぐる一連の証拠並びに加藤八千代の公正証書がいずれも信憑力を欠き、丙第一六四〇号証もにわかにこれを措信することができず、ピンホール説を覆すにたるだけの証拠に乏しい。

そしてこれに、一号脱臭缶の復元作業にもとづき一号脱臭缶温度計保護管先端をアークで孔あけ作業を行つた場合相対する蛇管に孔をあける確率はきわめて高いものである旨の鑑定人菊田米男の鑑定や、昭和四三年二月中に同号缶が運転休止していたこと(このことは丙第一六五五号証の一、二により窺われる)及び事故ダーク油の出荷日(丁第四〇号証)が同年二月七日と一四日に限られているが、ピンホールから漏出したカネクロールの混入であれば、その前後の出荷ダーク油にもカネクロールが混入しているはずとの点を加え、考慮しても、なおピンホール説を凌駕しうる程の合理的な証拠が存在するものとは認めることができないのであつて、本件カネクロールの混入経路についてはピンホールによるものと認めるのが相当である。

第四  カネミ倉庫と一審被告加藤の責任について

一カネミ倉庫の責任については、原判決理由説示(原判決a101頁七行目からa116頁八行目まで)のとおりであるからこれを引用する。

二一審原告らは、一審被告加藤に民法七一五条二項のいわゆる代理監督者責任がある旨主張する。

ところで、代理監督者責任は、ある事業で働く被用者がその事業の執行について第三者に損害を加えたとき、その使用者とは別に事実上使用者に代つて被用者の選任、監督をなす者に対して認められる責任であるが、これは厳格に特定の被用者の不法行為に限定することなく、広く従業員の人的組織全体の不法行為についても適用があると解するのが相当である。

<証拠>によれば、加藤三之輔は昭和二七年カネミ倉庫の前身であるカネミ糧穀株式会社の代表取締役に就任し、以後カネミ倉庫の代表者としてその職に在つたものであるが、昭和三六年カネミ倉庫が三和油脂株式会社から米糖油精製装置を導入した際製油部担当の取締役と本社原油抽出精製工場の工場長とを兼任し、昭和四〇年一一月には森本義人に本社工場長の地位を譲つたものの、その後も担当取締役として右森本の直属の上司であり、工場の操業、管理、資金を要する施設の増設、変更等についての決裁は右加藤及び同人の父で会長の職に在つた加藤平太郎によつて行われていたことが認められ、右事実によれば、一審被告加藤は昭和四三年二月当時すでに工事長の地位を離れていたが、森本工場長を始めとする製油部門の人的組織体を使用者に代つて現実に指揮監督する地位にあつたものと認めるべきであり、カネミ倉庫の前記過失は右人的組織体の過失と評することができるから、民法七一五条二項の責任を負うべきものである。

第五  一審被告鐘化の責任について

一審被告鐘化の責任については、次のとおり付加、訂正するほか、原判決理由説示(原判決a117頁四行目から同a141頁三行目まで)のとおりであるからこれを引用する。

一原判決a126頁九行目から同a127頁一二行目までを次のとおり改める。「ところで、<証拠>によれば、米国政府PCB合同対策本部のメンバーであつたエドワード・J・バーガー・ジュニア及びジョン・L・バックリーらは、一九六八年の油症事件の時点以前においては、ポリ塩化ビフェニールの生物学的性質に関する知識は相対的に殆んどなく、しかもこの物質への暴露がどの程度健康に害をもたらすのかということは殆んど知られていなかつた、一九三〇年代及び一九四〇年代の間工業的施設におけるPCBの毒性作用に関する散発的な報告があつたけれども、工業上の取扱法や換気設備が改善されたことによつてかゝる報告は急激に減つてしまつた、また、本件油症発生前において、PCBは相対的に低い毒性を有しており、開放系用途に安全に使用でき、かつ開放系用途でPCBに接触してもなんら人間の健康に害を与えるものではないというのが専門家の全体的な意見であつたとその宣誓供述書において述べているところであり、元九州大学医学部教授で薬理学を専攻している田中潔は、ドリンカー論文について、ドリンカー論文が出されたことによつてPCBは低毒性であると一般に理解されるようになつたものであるが、ドリンカーはPCBの吸入実験を六週間続けたが生存ラットは外観上異常がなく殺して肝臓を調べても軽微な変化を見たにすぎない、とし、野村茂の研究についても、いわば亜急性実験であつて慢性実験を行つていないと問題点を指摘するのであるが、当の野村茂においては、PCBが動物や人間に毒性を発揮するうえで最も重要な性質は、その脂溶性と生体内の蓄積性で、油症のような著明で多彩な症状をもたらしたこの物質は急性物質を目印にして毒物の危険性を考える習慣にとらわれていた学界や行政に強い反省を喚起することになつた、と述べている。

以上の事実によれば、PCBの毒性として最も重要なものは、PCBの化学的特性である脂溶性、難分解性、安定性から来る蓄積毒性にほかならないのであるが、本件油症発生前におけるPCBの毒性に関する研究は、主としてドリンカー、野村論文に示されるように化学工場等の作業員の健康、産業衛生といつた観点から把握され、動物実験によるPCBの吸入、経皮による影響については検討されては来たが、急性ないしは亜急性実験の範囲に限られていたものであり、ドリンカーが一九三九年の論文において、塩化ビフェニールの毒性を示した一九三七年の報告を訂正して殆んど無毒であるとしたこともあつて、全体的にみるとPCBは危険性の高い物質とは考えられていなかつた。

しかし、右にみた研究が化学工場の作業員の労働衛生、環境衛生という見地からのものであり、かつは野村論文に見られるように不十分ながらも一応の警告がなされていたのであるから、一審被告鐘化は、わが国で他の企業に先き立つてPCBの生産を開始し、とりわけPCBを食品工業の熱媒体用として企業化するに当つては、それが人体に危険を及ぼすおそれの高い分野であるだけに、PCBの毒性について不十分な研究に満足することなく独自に動物実験を行つてその毒性の程度や生体に対する有害作用をたしかめ、又は他の研究機関に実験を委託するなどして安全性を確認し、その結果知りえたPCBの特性や取扱方法を需要者に周知徹底すべきであるのに、その労を惜しんでなんらの実験もなさなかつた。」

二原判決a133頁一四行目の「しかし」から同頁一六行目の「有していたものであり」までを「しかし、塩化ビフェニールの毒性については、一審被告鐘化も前記のとおり十分な調査研究はしていなかつたものの、有機塩素系化合物として毒性のあることは認識していたのである」と改める。

三原判決a140頁の一〇行目の次行に「4」として、次のとおり付加する。「一審被告鐘化は、カネミ倉庫にはカネクロールの大量漏出を知り、若しくは少くともこれを疑うべき事情にありながら食用油を出荷した過失があるので、一審被告鐘化がカネクロールの毒性について調査をすべき義務並びに情報提供の義務を怠つたとしても本件油症との間の因果関係は遮断される旨主張するので検討するに、本件全証拠によるも、カネミ倉庫がカネクロールの大量漏出を知つていたとの確証は存しないが、その疑いをさしはさむ余地は多分に存在するのであるけれども、これまで認定して来たように、もともと本件油症事故の発端は一審被告鐘化がPCBの毒性、安全性について十分調査、研究もせず、利潤追求のためにPCBを食品業界に熱媒体用として開発、提供し、これを販売するに当つても十分な警告を尽さなかつたことにあるので、大量漏出を知りうべきであつたのに放置したカネミ倉庫の過失はまことに重大であるが、これを全く予見しえない範囲のものとも言い難く、相当因果関係は存在するものと認めるべきである。

また、一審被告鐘化は、本件油症の原因物質がPCBそのものでなくカネミ倉庫が過熱したことにより生成したPCDF又はPCQであつて、当時PCBからこのような物質が生成されることは予想しえなかつたものであるから、一審被告鐘化にはこの点に関する調査研究義務もそれにもとづく警告義務もないと主張するが、<証拠>によれば、PCQはPCBが二分子結合したもので人体にとつて非常に吸収されにくいものであるが、毒性はPCBと大差ないものと言われ、PCDFについては原因のライスオイルからPCBの二〇〇分の一、約五ppm検出されているところその毒性はPCBのおよそ一〇〇倍位と考えられているが、油症の原因として基本となるのはやはりPCBであつて、それにこれらの新しい物質が加わり後記認定のように複雑な油症の経過を辿つたにとどまることが認められ、右事実からすれば、加熱を前提とする熱媒体の作用にカネミ倉庫の過熱が加わつたとしても、そのことによつて一審被告鐘化の責任がなんら左右されることがないことは言うまでもない。」

第六  一審被告国及び同北九州市の責任について

一一審原告らは、PCBは危険な物質であり、その危険性が予見されていたから、本件油症発生前に一審被告国は関係法令を駆使してPCBの大量生産、大量使用を規制すべき義務があるのに、これを怠り、かえつてPCBをJIS規格に設定することによつてその用途を拡大したもので、その懈怠は国家賠償法上違法であると主張する。

ところで、行政庁の権限不行使と国家賠償法一条一項の関係については、原判決理由説示(原判決a144頁四行目から一五行目まで、ただし五行目の「前記のとおり」を削除する)のとおりであるからこれを引用する。

前記認定のとおり、PCBの毒性について外国の先駆的文献はすでに環境汚染を通じて人体に影響を及ぼすことを指摘していたが、その認識は未だ一般のものとはならず、通常PCBは労働衛生上その取扱いに注意を要する物質と認識されていた程度であつて、この段階において、一審被告国がPCBの持つ人の健康に対する危険性の切迫した状況を容易に知るべきであつたとすることはできないし、また、一審被告国が一審原告ら主張のようにPCBをJIS規格に指定したこと(このことは争いがない)をもつて直ちに国が用途拡大を促進し本件油症の先行行為をなしたものと認めることも出来ない。

二  1食用油製造業が営業許可業種に指定されていなかつたことは争いがなく、<証拠>によれば、油症発生後の昭和四四年七月一五日に営業許可業種に追加指定となつたが、食用油製造業は、化学工業、食品製造工業技術の発展に伴い、昭和二九年ころから食用油製造工程中にPCBを始めとする有機化学薬品を熱媒体として使用するようになり、効率が高かつたので急速に業界に普及し始めたが、本件油症事件発生に至るまで食用油脂製造業界において食品事故が発生した例に乏しく、まして熱媒体の食品への混入といつた事故は予想外の事柄であつて熱媒体の使用により食用油脂混入の危険が切迫していると考えられる状況になかつたことが認められる。

したがつて、右切迫した状況にあることを前提とする一審原告らの第二の一の2の(二)の(2)及び同(3)の主張はいずれも採用することができない。

一審原告らは、わが国における大手製油業者の一つである吉原製油においても脱臭工程における熱媒体ダウサムオイルの食用油への混入事故が現実に度々発生しているものであつて、このことは原審証人水田勲の証言によつて明らかであると言うのであるが、同証人の証言によると、同証人が吉原製油の脱臭工場建築工事に従事中、試運転の段階で脱臭缶のジョイント部分、フランジの接合部分から二度ほど洩れたことがあるが、いずれも通常の脱臭工程中の事故ではなく、正常の脱臭工程中の事故を見聞したことはなかつたことが認められるのであつて、結局右認定をなんら左右するものではない。

2一審被告国及び同北九州市のカネミ倉庫に対する食品衛生法上の規制権限不行使の違法については、原判決理由説示(原判決a145頁九行目から同a152頁一七行目まで)のとおりであるからこれを引用する。

三  ダーク油事件について

1<証拠>によると、昭和四三年二月上旬から同年三月中旬にかけて西日本一帯に鶏(ブロイラー)の雛が大量に死亡するという事故が起こり、まもなく後記認定のとおりその原因は、配給飼料にカネミ倉庫製造にかかるダーク油を添付したことによるものであることが判明した。これがダーク油事件と言われるものであるが、その被害は広く西日本一帯に及び、約二〇〇万羽もの鶏が中毒症状に罹患し、約四〇万羽が死亡したが、死亡に至らない鶏もかなりの部分が生産を阻害され商品価値を失つたものとして処分された。福岡県下においては、罹患数一二万九一〇〇羽のうち死亡した鶏四万四六六〇羽、処分を受けた鶏六万四〇九〇羽と処分鶏が死亡鶏を上回る数字となつており、養鶏業者に大打撃を与える被害が発生した。

以上の事実を認めることができる。以下さらにダーク油事件の経過とこれに対する行政並びに関係者の対応について詳述する。

2<証拠>を綜合すると次の事実が認められる。

(一) 福岡肥飼検は、昭和四三年三月一四日鹿児島県蓄産課から、同県下のブロイラー団地で鶏のへい死事故が多発し、原因は不明ではあるが、おおよその原因は給餌している鶏の配合飼料にあるらしいとの電話連絡を受け、翌一五日右配合飼料を製造していた東急エビス産業株式会社九州工場の製造課長から、同社製造の配合飼料Sブロイラー、Sチックの二銘柄が右事故の原因と推定されるところ、右二銘柄が使用している他の銘柄と異る原料はカネミ倉庫のダーク油であることが判明したので、東急エビス産業としては同月九日から自発的に右二銘柄の生産と出荷を停止していること等について事情聴取を行つたうえ、改めて同社に対し当該飼料の生産と出荷の停止を指示すると共に顛末書の提出を求め、農林省蓄産局流通飼料課にその旨報告した。そして、同月一九日には問題になつた配合飼料の他の製造業者である林兼産業株式会社にも右同様事故の顛末書の提出を求めた。

(二) 福岡肥飼検は、農林省流通飼料課の指示を受け、同月一八日、九州及び山口の各県に対し、カネミ倉庫のダーク油を使用した前記配合飼料の使用停止並びに回収を指示すると共に同一飼料による再現試験の実施を依頼し、同月一九日には飼料課長矢幅雄二を鹿児島県に派遣して実情調査を行い、また同日東急エビス産業九州工場に係官を派遣して立入調査を行つた。

(三) ところで、福岡肥飼検は、肥料取締法と飼料の品質改善に関する法律に基づいて、流通している肥料及び飼料の検査を所轄しているものであつて、本来の職務権限としては農林大臣の指定している飼料生産工場に対して立入検査権が認められるにとどまり、カネミ倉庫に対しては、その業務が指定飼料の生産工場ではないため立入調査の権限がなかつたものであるが、カネミ倉庫に対する調査を実施しなければダーク油製造工程を含むダーク油の実態が全く不明であつたので、カネミ倉庫の事前の了解をえて現地実態調査の手続に踏み切り、同月二二日飼料課長矢幅雄二、同課係員水崎好成がカネミ倉庫本社工場で右実態調査を行つた。

これに先立ち、同肥飼検所長福島和は、矢幅課長に対し、ダーク油がどういうふうに生産され出荷されるか、またそれが実際に使用されるようになつた開発の状況についても十分調査してくるように指示した。

(四) 矢幅課長は右本社工場においてダーク油の原料、製造工程、保管等について説明を求めたところ、説明の衝に当つた森本工場長は、工場を一応全部見せたうえで説明しないとダーク油関係の部分だけを説明しても理解が困難であるということで簡単に全工程を説明し、次いでダーク油の占める位置、製造工程を説明したが、その際簡単なライスオイル(食用油)の製造工程図を矢幅課長に渡した。

そして、矢幅課長は森本工場長に対してダーク油を製造するまでにどういう薬品を使用しているかについて詳細に質問し、さらにダーク油以降の製造工程についても若干の質問をなした。矢幅課長はダーク油の製造工程を見て廻るうち食用油も同一原料により同一工程で製造されていることが判つたが、カネミ倉庫の方から食用油の方はダーク油とは全く関係がないという説明がなされたうえそれ以上触れたくない口振りであつたし、余り深く追及すると今回の調査の目的であるダーク油の調査に影響すると考え、また、矢幅自身の職務も餌の検査、飼料の調査を所管するものであつて食用油を所轄するものではないから、カネミ倉庫の方で関係ないという以上ことさらに関心を持つまでもないと思つて、結局あえて食用油の方には触れず、ダーク油の調査一本にしぼつた。

右調査途中に、カネミ倉庫の代表取締役である一審被告加藤三之輔から食用油は生でそのまま飲むことができ安全であるという趣旨の発言がなされたことがあるが、右発言がどういう時にどういう状況でなされたかは明確でない。

(五) カネミ倉庫では、矢幅課長の右調査に対して、ダーク油はいつもと同じ製造工程で同じ原料を使用しているのでなんら異常はなく問題がない筈であると反発し、それに対し矢幅課長は、カネミ倉庫が製造したダーク油を混入した配合飼料によつて現実に事故が発生していると反論したが、加藤三之輔らは極力これを否定し、結局その原因については何の手がかりも掴めないまま右調査は終つた。

なお、カネミ倉庫は、ダーク油事件の原因がカネミ倉庫製造のダーク油に起因することが確定した同年七月一五日の時点においても、日本米油工業界の緊急中央技術委員会の席上で「事故原因は権威ある国家試験機関において科学的にダーク油によるものであることが判明したので敢えて反論するものではないが、数年来この種の事故は皆無であり、当該ダーク油も正常な製造工程により生産されていることからしてダーク油のみの毒性が原因であるとは今もつて考えられない」として抵抗の姿勢を示していた。

(六) 矢幅課長は福島所長に対し、右実態調査の結果についてダーク油の大まかな工程を把握したがその製造工程中にはなんら心配がないと報告し、その旨は福島所長から直ちに農林省流通飼料課に連絡された。

右調査の内容、結果については、福岡肥飼検から福岡県に正式には通知されなかつたが、その後矢幅課長から福岡県農政部の係官に対し非公式に実態調査の結果では食用油には危険を生じないであろうという情報が伝えられ、これが後日福岡県農政部が同県衛生部にダーク油事件の経緯を連絡しなかつた理由の一つに挙げられた。

(七) 福岡肥飼検は、農林省流通飼料課から原因毒物についての究明を命ぜられたが、同肥飼検は、分析業務としては飼料中の栄養成分についての分析、鑑定を主とするものであり、設備も乏しいので権威ある公的機関によつて判定して欲しいと流通飼料課に連絡したところ、同課から、畜産局衛生課と協議した結果ダーク油の毒物、原因物質の究明は家畜衛試に依頼することに決まつたので福岡肥飼検から正式に家畜衛試に病性鑑定を依頼するように、との指示を受け、同年三月二五日、家畜衛試に対し関係配合飼料及び原料(ダーク油)をそえて原因物質の究明を目的とした病性鑑定を依頼し、他方飼料製造業者二社に対しては、ダーク油を使用しないことを条件に、前記飼料の生産出荷停止を解除した。

(八) 右病性鑑定の依頼を受けた家畜衛試では、アイソトープ室長小華和忠が中心となり、その下に病理学研究室の堀内貞治、次いで勝屋茂實が鶏の病理解剖及び解剖後の病理組織学的検査を、生物物理研究室の小倉幸子が発光分析による有毒無機物質の検索を担当し、同年四月一七日から四週間に亘つて中雛を使用し、また製造月日が二月一五日に近接した鑑定材料を使用して中毒の再現試験を行つた結果、当該飼料及び配合飼料に使用されたダーク油の毒性が再現され、その臨床症状は九州地方において発生した中毒症状にきわめて良く類似し、食欲減退、活力低下、翼の下垂次いで腹水、食欲廃絶、嗜眠などが認められ、剖検所見も事故中毒鶏の症状に類似し心嚢水及び腹水の著増、胸腹部皮下の膠様化、出血、上頸部皮下の出血などが認められ、さらに発光分析による有毒性無機物質の検出については陰性で鉛、砒素、マンガン、カドミウム、銀、スズ、銅等は検出されなかつた。

そこで、小華和忠は、同年六月一四日、福岡肥飼検に対し右検査の結果に基づき病性鑑定回答書を提出したが、右回答書には右の検査の結果のほか、考察として、「シュミットルらの報告によると、本中毒と極めてよく類似した鶏の中毒がアメリカのジョージア、アラバマ、ノースカロライナ及びミシシッピーの各州に一九五七年に発生している。その際この毒成分の本態がほぼ明らかにされているが、非水溶性、耐熱性の成分である本病鑑例の毒成分と、アメリカで発生した中毒の毒成分とが全く同一であるかどうかは不明であるが、油肥製造工程中の無機性化合物の混入は一応否定されるので、油肥そのものの変質による中毒と考察される」と記載されていた。

ところで、小華和忠は当時農薬殊に有機塩素系のBHC、DDTの研究に従事していたものであり、そのころ有機塩素系化合物の検出にガスクロマトグラフィを使用することは専門家の間では一般的知見であつた。

(九) そして、右考察にいう油肥の変質がなされたかどうかを調べるについては、簡単な手続で一応の検査をすることもでき、さらに酸価、過酸化物の数値、カルボニール価、不けん化物の含有量の性状分析等検査すべき全項目に亘つて分析調査をしても、一週間か若干それを上廻る時間があれば容易に検査しうるのにかかわらず、家畜衛試では油肥の変質の存否についてなんらの化学分析、検査等は行つていなかつた。

このような杜撰な考察を導き出した理由として、小華和忠は、本鑑定を引受けた主な目的が再現試験にあつて、原因究明は副次的なものに過ぎず、この鑑定書を作成した段階ではすでに東急エビスの産業を始めとする飼料会社と養鶏業者との間の補償問題は一応解決しており、後日に残されている問題は各飼料会社からカネミ倉庫に対する損害賠償の問題だけであると聞いていたので、小華和忠個人としては事故の原因はカネミ倉庫製のダークオイルであるという鑑定をしてやれば十分というつもりで取り組んだのであつて、当初からチック・エディマの原因物質についてそこまで究明しようとする意思もなかつたので別段の検討もしていない、また、ダーク油の製造工程に問題はなかつたと聞いていたし、発光分析によつて無機性有毒化合物の混入が否定されたので、酸化によつて油脂が変成して中毒するという例が外国の文献にもあがつていたことから、油脂の変成とすると症状とはそれまでの経験で結びつかなかつたけれども、一応脂肪酸そのものが中毒物質に変成したものと推定したもので、結局変質の原因についてまでは考えなかつた、この鑑定書に記載されている「変質」というのは厳密に解釈すべきではなく、極く軽い意味に用いているものであつて、例えば医者でもかつて原因不明の病例について特異体質ということで逃げていた例があるが、本件の場合もそれに近い意味を持つているにすぎないと考えて欲しい、と述べている。

(一〇) 農林省畜産局では、家畜衛試の右鑑定結果によつて配合飼料に使用されていたダーク油が事故原因であることが明確になつたので、これでダーク油事件に対応する行政的処置をとることが可能になつたとして、昭和四三年六月一九日付で同局長名による「配合飼料の品質管理について」という通達を各都道府県知事に発し、今回の鶏の大量事故の原因がダーク油にあることが判明したが(当該ダーク油中に含まれている毒物についてはなお調査中である)、わが国の飼料事情が年々配合飼料に対する依存度を強めていることから、飼料製造工場における原料及び製品の品質管理は極めて重要であり、今後このような事故の再発を防止するため右品質管理の徹底を期するよう指導されたい、と指示したが、他方東急エビス産業及び林兼産業に対しては、文書をもつて製造管理、品質管理に一層配慮するよう注意を促した。

そして、流通飼料課係官福原進は、財団法人農林弘済会が発行し実際上同課において関連記事のとりまとめに当つている月刊誌「飼料検査」七月号(一九六八年第六二号)の時の動き欄で右通達の解説を行い、通達における品質管理の趣旨を各飼料会社や検査機関等に周知させるようにした。

(一一) 流通飼料課の鈴木惣八技官は、家畜衛試の鑑定書が出されてから間もなく、農林畜産試験場栄養部長の森本宏にそれとなしにこれからどうしたらよいのかと相談を持ちかけ、同人から油脂の専門家を集めて研究会でも作つてみたらどうかとの示唆を受け、ダーク油事件の毒物の原因追究と、これまで規格の定めがなかつた飼料用油脂の品質規格の制定を目的として油脂研究会を開催することにした。同年八月七日に農林省関係の食糧研究所、東海区水産研究所、畜産試験場、家畜衛生試験場、東京肥飼料検査所等から係官が集まり、右研究会の準備会を持つたが、この段階で既に家畜衛試の米村壽男からダーク油の事故原因は油脂の変敗ではないらしいとの発言がなされ、取りあえず食糧研究所の方で化学分析検査をしたところ油脂の変敗は否定されたので、前示シュミットルらの報告にあるアメリカで発生した鶏の浮腫中毒症(チック・エディマ)と本件鶏の症状とが類似するため、さらに家畜衛試でリーペルマン・ブルヒアルト法を利用して右チック・エディマの検出、毒物の検討に当ることとなつた。

そして、同年九月三日に第一回の研究会が開かれ、来日中のワイルダー博士を招いてアメリカのチック・エディマに関する講演を聴き、ついで第二回目を同年一〇月四日に開催したが、その際家畜衛試が実施したリーベルマン・ブルヒアルト反応の成績が報告され、結局チック・エディマに関する毒性物質の検出にはこの方法では不適当であるから他の方法によるべきであるという結論が出された。

その後、油脂研究会は本件油症の発生もあつてこれと言つた活動はしていない。

(一二) ところで、東急エビス産業では、同社中央研究所の甲賀清美が、同年三月一一日鶏の大量へい死の報告を受けて直ちに調査に着手し、日を経ずしてダーク油事件の事故原因が配合飼料設定のミスに係るものではなくカネミ倉庫のダーク油に起因するものと推定し、同月中旬以降ダーク油の毒成分について実験研究を開始した。

甲賀はまず事故配合飼料による鶏、雛の再現試験を実施すると共に事故に関連する文献を調査し、同年四、五月ころには、本件鶏の症状が一九五七年にアメリカで発生したチック・エディマ・ディジーズ(鶏、雛の心嚢水腫症)と呼ばれるブロイラー事故の症状と類似しており、それを惹起する原因物質の本体は不明でチック・エディマ・ファクターという名で呼ばれているにすぎないが、おおよそのところ有機塩素系化合物によるものであると考えられていることを知り、次いで前記再現試験の経過及び雛の剖検症例によつて、その症状が前記チック・エディマ・ディジーズに酷似していることが判明したので、ダーク油の毒成物質がいわゆるチック・エディマ・ファクターでないかと疑い、アメリカ分析化学会の公定分析法であるAOAC法のうち比較的やり易い生物試験法による実験を試みるとともに、他方同年六月初旬には、アメリカの大手の油脂メーカーであるプロクター・ギャンブル社に対し、チック・エディマ・ディジーズ事故の内容及び事故に対してどういう対応ないし品質管理をなしたかについて問い合わせていたところ、右実験の結果同年六月二〇日ころにはチック・テディマ・ファクターの存在を検索しえたが、このチック・エディマ・ファクターがアメリカで発生した事故の標的物質と同一であるかどうかは未だに不明であつた。そして、甲賀は同年七月一七日ころプロクター・ギャンブル社から前記問い合せに対する回答を入手し、AOAC法のうちガスクロマトグラフィを使用する化学分析法によつて標的物質を追求しようとしたが、当時東急エビス産業にはガスクロマトグラフィがなかつたので、新たに機械を発注しその到着を待つうち本件油症事件が発生した。

(一三) 厚生省国立予防衛生研究所で食品衛生部の主任研究官をしていた俣野景典は、業務のかたわらスパゲッテイの油の研究をしていたものであるが、同年八月一六日友人から参考のため借り受けた家畜衛試の病性鑑定書を一読した後、鶏がこれだけ死ねば常識的にみても精製食用油の方でも人体に害を及ぼすのではないかと思い、同月一九日流通飼料課の鈴木技官に電話して、農林省の方でよく検査していないようだから厚生省の方で検査してみたいのでダーク油を分けて欲しいと頼んだが、同技官からダーク油事件はすでに解決済みであるし、ダーク油そのものも廃棄処分にしたということで拒否された。

それで、俣野は同日厚生省に赴き、同省食品衛生課の杉山課長補佐に対し、ダーク油事件では精製油にも危険があるのではないかと注意を促した。

3以上の事実に照らし、ダーク油事件に対応した公務員がその処理を通じて食用油による被害発生の危険を予測しえたかどうか、結果回避の可能性があつたかどうかについて判断する。

(一)  食品衛生法上の権限の行使、不行使が、行政庁の自由裁量に委ねられていると解すべきことは、前記のとおりであるが、現在の社会においては、食品が利潤追求という企業論理のもとに、その工場における製造工程において、多くの化学合成物質を添加剤あるいは副資材として使用して大量に生産され、複雑な流通経路を経て広範囲に販売され、他方消費者においてその安全性を確める術を持たないことに着目するとき、その安全性確保につき、食品製造業者に極めて高度な注意義務を負わせるべき法規制が存するとはいえ、これを企業の自主規制に委ねていては、安全性の確保になお欠けるところがあることは、前記森永砒素ミルク事件や砒素醤油事件を想起するまでもなく考えられるところであるから、行政庁は、飲食に起因する衛生上の危害の発生を防止するについて積極的な行政責任を負うものというべく、食品製造には絶対的安全性が要求され、一旦事故が発生すれば大量発生の可能性が存するのであるから、もしその安全性を疑うべき具体的徴表が存するときは勿論、それに連なる蓋然性の高い事象が存する場合は、行政庁はもはや自由裁量の余地はなく、規制権限を予防的に行使する法律上の義務を負うものというべきである。

そして、食品の生産流通を職務とする農林省係官が、自己の職務を独自に執行中であつても、その過程で右のような食品の安全性を疑うような事実を探知し、食品の安全性について相当な疑いがあれば、食品衛生業務を本来の職務としないとはいえこれを所管の厚生省等に通報し、もつて権限行使についての端緒を提供する義務を負うものと解すべきである。けだし、複雑多様化した現代社会の仕組みの中で、自己本来の職務の殻にとじこもり、その範囲外のこととして等閑視し、行政庁相互間の有機的連携に意を用いなくては、食品の安全を十分に確保することは困難であり、右の程度の義務を課したとしても甚だしい負担となるものではないからである。

このような観点から以下検討を加える。

(1) 福岡肥飼検は鶏のへい死事故の原因がカネミ倉庫のダーク油にあるということを突きとめ、ダーク油についての知識、経験がなくその実態が全く不明であつたのでカネミ倉庫の承諾のもとに現地実態調査を行つたものであるが、右調査に当つた同肥飼検の矢幅課長は、カネミ倉庫本社工場で製造工程の説明を受けて工場を見廻るうち、ダーク油と食用油とは米ぬかという同一原料を使用して途中まで同一工場の同一工程で製造されて行くことを理解したのであるから、このような場合通常人であれば、ダーク油に現実に危険が発生している以上食用油にもなんらかの危険が発生しているのではないかとの危惧感を抱くのがむしろ通常のことであり、矢幅自身においても右と同程度の不安感を有していたふしが十分窺えるところ、矢幅課長は、右ダーク油の調査中にカネミ倉庫側からの反発が強く、いつもの工程と同じであるからダーク油には異常がない筈だと主張されたうえ、食用油は安全である趣旨の発言があつて、これには触れて貰いたくない意向が歴然としていたので、結局自己の職務権限が餌の品質改善、検査に関する事項に限られており、それを超えて食用油の安全についてまで殊更関心を持つまでもないと思いあえてその解明に立ち入らなかつたというのである。

しかしながら、本件鶏のへい死事故が、工場で大量に生産されるダーク油、それも或る特定の時期に出荷された分に起因することが確実視され、事故病鶏の症状からも事故ダーク油に毒性のある異物の混入がまず想定さるべき事案であるのに、カネミ倉庫の説明としては、通常の工程どおり製造しているので問題はない筈だというのみであつて、事故原因の究明にはなんらの手がかりもえられていなかつたのであるから、このような状況のもとで、本件鶏のへい死事故の規模態様(当時事故は終熄していたものの、それは事故ダーク油混入餌の給餌を止めたことによる)を合せ考えると、食用油の安全性についての危惧感は、納得のいく事情の説明もなく、ただカネミ倉庫のダーク油同様「食用油は大丈夫だ」という一言で拭い去られる性質のものではなく、少しの関心でも示せば、むしろ相当程度の高い疑いを抱く方向に進むのが当然である。それなのに、同課長が食用油の安全性に一応の危惧の念を抱きながら、右のようにその疑いを深めなかつたとすれば、それは自己の職務範囲外のこととしてあえて関心を向けなかつたことによるものと思われるが、このような態度こそが問題であつて、当然相当な疑いを投げかけるべきなのにあえてこれに目をつぶつたと評するのほかはなく、結局食用油の安全性について疑いがある旨の食品衛生行政庁への通報義務があるのにこれを怠つたものというべきである。

(2) そして、右実態調査の結果を報告するには、事故ダーク油についてはその事故原因解明の手がかりすらえられなかつたことと、食用油についてもその安全性について疑いが存する旨を骨子とすべきなのに、矢幅課長は、ダーク油の大まかの製造工程を把握したが、その工程にはなんら心配はない旨福島所長に事実と異る報告をし、その報告を受けた同所長もこれを鵜呑みにして直ちにその旨農林省流通飼料課に報告しているけれども、もともと矢幅課長にはダーク油についての知識は殆んどなかつたのであり、福島所長もこのことを知悉していたものであるから、福岡肥飼検においても、右報告の内容を少し意を用いて検討し、同課長に事情をただせば、その調査の結果は、油脂について専門的知識を持ち合せない同課長らに多くを期待することは無理であつて、同課長らによつては何一つ事故原因の究明ができていないことが容易に判明しえた筈である。そうすると、事故ダーク油の原因究明についての対応も自ずと異なり、これを究明するとすれば、食糧庁油脂課等の専門家による実地調査も当然考慮されたであろうし、それがきつかけで食用油にも危険が及んでいるのではないかということが浮び上る機会がなかつたとはいえない。

(3) 加うるに、矢幅課長は、軽率にもダーク油の製造工程にはなんら問題はなく、食用油にも危険がない旨福岡県農政部の係官に非公式とはいえ情報を提供した。

以上のとおり、福岡肥飼検の係官は、食用油の安全性について疑いがある旨食品衛生行政庁への通報義務を怠つたばかりでなく、その知識経験もなく、確認する術も知らないのに、ダーク油の製造工程にはなんら問題がなく、食用油にも危険性がない旨の誤つた情報を提供し、いよいよもつて、早期の段階での食用油の安全性について調査、検討すべき機会を失わせた。

(4) 仮りに、昭和四三年三月下旬に福岡肥飼検から食品衛生行政の担当機関に通報がなされていたとすれば、同機関もダーク油事故の類が食用油にも及んでいるのではないかという不安を抱くのは必定で、そうすれば食品衛生担当機関において、食品衛生法一七条に基づきカネミ倉庫に必要な報告を求め、カネミ倉庫の任意の協力がえられなくとも、カネミ倉庫に臨んでダーク油と食用油の関連、帳簿書類を検査し、事故ダーク油出荷の時期とほぼ同時期に出荷された食用油の行先を追跡し、これを回収することはさして困難ではなかつた(このことは当審証人森本義人の証言によつて認められる)と思われるから、これを動物に与えて試してみれば、食用油中にも事故ダーク油と同じ様な有害物質が存在することが、適切な措置をとれば食用油回収期間を二週間、動物による毒性試験期間を四週間(家畜衛試の中雛による再現試験が着手後四週間を要している)とみて遅くとも同年五月中旬には判明しえた筈であつて(その有害物質がなんであるのか、どうして混入したのか等の究明は後日長い困難な探索が続くとしても)、食用油中に有害物質の存在が判明した以上、食品衛生行政において、この有害な食用油の回収、販売停止等の措置を直ちに講じるとともに、既にこれを購入使用している一般市民に対して警告を発すれば、今日の情報社会に鑑みるとき、遅くとも同年六月以降はその摂取を防止でき、本件油症被害の拡大を阻止することができたものと認めることができる。

(5) これに対して、一審被告国は、矢幅課長のカネミ倉庫立入調査の時点では食用油に異常があるとの情報は入手していなかつたのでカネミ倉庫に対する追及が不十分であつたのも止むをえない旨主張するが、食用油に異常があるとの業界関係者からの情報提供がなければ食用油の安全を調査することまでは及び難いと考えるのであれば、むしろそのように考えて来た態度こそ問題であると言わざるをえず、右主張は到底採用し難い。

(二) (1) 家畜衛試で中心的役割を占めていた小華和忠は、鶏、雛の再現試験を行つた結果事故の原因がダーク油にあつたことを確定したが、その際アメリカの文献等に本件鶏の中毒と極めて類似したチック・エディマ・ディジーズと呼ばれる症状があること、右症状を惹きおこす物質の本体は不明であつてチック・エディマ・ファクターと呼ばれていることに一応注目しながら、それについては全く検討せず、無機性有毒化合物の混入が一応否定されたというだけで、直ちに油脂そのものの変質による中毒と考察される旨の結論を導きだしており、その間には論理の飛躍があることが明らかなばかりでなく、変質の有無については一週間余の日時があればその検査ができるのにこれもなさないで誤つた結論を導きだしている。

小華和は、右考察を導き出す過程として、すでに補償問題は解決がついており、カネミ倉庫のダーク油が原因であるとの国の鑑定を出せばそれですべて決着がつくと判断して一応の回答を出したと言うのであるが、他方東急エビス産業の甲賀清美が昭和四三年四、五月ころいち早くアメリカで発生したチック・エディマ・ディジーズに着目し、実験の結果本件鶏の症状がそれと酷似する症例であることを確認し、以後原因物質の究明に当り、同年六月二〇日ころにはチック・エディマ・ファクターの存在を検索するまで至り、標的物質の検索にはかなり困難があつて結局本件油症発生までには成果をあげるには至らなかつたが、着実にその検討を進めて行つたことに対比すると、国の研究機関である家畜衛試で、しかもBHC、DDT等有機塩素系農薬の研究に従事していた小華和が、チック・エディマ・ファクターを追及していれば、その専門である有機塩素系化合物を検索するのもそう困難ではなかつたのではないかと思われるのに、あえてこの点の追及を怠り、どうしてこのようになおざりな鑑定が出されるようになつたのか納得のいかないところである。

(2) そこで、家畜衛試がこのような杜撰としか言いようのない鑑定の仕方をせず、真正面から真剣に鑑定と取り組んでいたとすれば、全く別の結論、考察が出され、それに基づいて本件の経過とは違つた行政の対応がなされたと推測するのはさして難くはない。

つまり、小華和自身が考察したようにアメリカでチック・エディマ・ファクターと呼ばれる不明の原因物質があり、この存在を地道に追いかけておれば、同人の学識経験に照らし、実験上からも遅くとも同年五月末ころまでには有機塩素系化合物の存在まで辿りつくことが可能であつたと推認できる。

それから先標的物質の確定に至るまでには長い困難な道程が必要であろうけれども、家畜衛試の役割としては、ダーク油中に有機塩素系化合物が存在し、これが原因と思われるとの鑑定がなされればそれで十分であり、別段難きを強いるものではないと考える。

右のような結論が出され、警告が発せられれば、ダーク油中に有機塩素系化合物が含まれているということは極めて異常な事柄であり、そうすると鶏のへい死に結びつくのはもちろん人体にとつても有害なものである虞れが強いから、必ずやダーク油中にどうして有機塩素系化合物が含有されているのか、他の製造工程とりわけ精製食用油には問題がないのかといつたことが疑問となつて来ざるをえないのであつて、食用油の安全性について疑いがあるとして当然食品衛生行政庁への通報がなされたはずである。そして、前同様の食用油に対する対策がなされたとすると、遅くとも同年七月末までには有毒な食用油の摂取を防止しえたはずである。

そうすると、小華和は、研究者として誠実に鑑定を尽すべき義務を怠り、カネミ倉庫のダーク油が悪いとさえ言えばそれですべて問題は決着するものと速断してなおざりな鑑定をしたことにより、問題をカネミ倉庫の品質管理の拙劣さにすりかえ、かえつてダーク油事件の解明を困難なものとし、前示福岡肥飼検の場合と同様、国をして食用油の安全性に着目しその危険性を回避する機会を失わせたものといわざるをえない。

(3) ところで、一審被告国は、家畜衛試の右鑑定は事故原因究明のためのものではなく、単に再現試験を目的とするにすぎない旨主張するので、これを検討するに、これに沿う当審証人小華和忠の証言も存するけれども、同証言によつても、結局は家畜衛試としては事故原因究明まで引き受けたかも知れないが、小華和個人としては自分の能力、守備範囲をはるかに超えた原因究明についてまで引き受ける意思はないので、あくまで再現試験の範囲内でしか鑑定を引き受けたおぼえはないというにとどまるばかりか、証言を重ねて行くうちに次第に鑑定の主体、時期にこだわり、家畜衛試と小華和忠個人とを明確に区別するに至つたいきさつが認められ、これと、前認定のとおり、単に再現試験であれば福岡肥飼検が九州、山口各県に指示した再現試験で十分まかなえるところ、事故再発防止のため、原因究明を兼ねて家畜衛試に病性鑑定を依頼した経緯とを対比すると、到底採用の限りではない。

さらに一審被告国は、家畜衛試がAOAC法を採用して実験をなしたとしても到底PCBに行きつかないのでなんら鑑定には非難に値する点はない旨主張するが、標的物質であるPCBに辿り着くことが困難なことはその主張のとおりであるけれども、家畜衛試の鑑定が問題とされるのはまさに誠実にその義務を尽せば有機塩素系化合物の存在に辿りつくことも可能で警告を発することが出来たのにそれを怠り、なおざりな鑑定をした点にあるのであつて、PCBまで解明しなかつたことを非難するものではないから、右主張は採用できない。

(三) (1)  以上の次第であるから、ダーク油事件に対応した公務員がそれぞれの義務を尽していれば、食用油による被害発生の危険性を十分予測することができ、国がこれに基づいて直ちに食品衛生法上の規制権限を行使し、適切な措置を採つていれば、本件油症被害の拡大を、本件油症発生の経緯、油症の特質に照らし総じて少なくとも三割は阻止することができたものというべく、一審被告国はその義務を果たさなかつたものとして、一審原告らに対し国家賠償法一条一項に基づき、前記加害行為者に認められる後記損害の全部義務の三割の範囲において、これと不真正連帯の関係に立つ損害賠償義務があるものと認めるべきである。

(2) 一審被告北九州市については、本件油症発生の危険を予見することが可能であつたとは認められないから、この点に関する一審原告らの主張は理由がない。

第七  損害について

一  油症の病像について

<証拠>を綜合すると、次の事実が認められる。

1油症は、加熱されたカネクロール(PCBなど)の混入した米糠油を直接経口摂取し、或いは経口摂取した母親から胎盤又は母乳を通じて摂取することによつて亜急性に発症した中毒疾患である。

2(油症患者とその診断基準の変遷)

(一) 油症の臨床症状はまず皮膚粘膜症状としてきわめて顕著にあらわれたが、当初はその症状のすさまじさに目を奪われて他の症状などは稍軽視された感もあり、また内科的症状や臨床的検査所見に特異的、客観的な所見が乏しかつたこともあつて、油症の急性中毒期(初期)に作られた油症診断基準(昭和四三年一〇月、原判決a60頁)は皮膚症状を中心とし、その症度も皮膚の症度がそのまま油症自体の症度であるかのように取り扱われていた。

(二) しかし、油症発生後数年を経過して油症が慢性期に移行すると、初期には激しかつた皮膚粘膜症状は次第に軽快の徴候が認められるようになつたが、一方臨床的には全身倦怠、食欲不振、不定の腹痛、頭痛ないし頭重感などの不定愁訴、手足のしびれ感、疼痛などの末梢神経症状、せきとたんの呼吸器症状などの内科的症状が年とともに前景に出て来て、前記診断基準が次第に現状に即しないものとなつて来たことや、そのころから血液中のPCBを定量して診断に役立てることが可能になつたことから、そういつた有力な検査成績や研究の成果を取り入れ、昭和四七年一〇月二六日油症診断基準の改訂がなされた(原判決a70頁)。

(三) その後、油症治療研究班は、昭和五一年六月一四日左記のとおり第三次の改訂を補遺の形でなした。これは急性期のみに見られた関節部の腫れと疼痛を省き、前記(二)の診断基準の検査成績から特徴性のない血液所見を省いて、油症に特徴的とみられる血清γ―GTPの増加と血清ビリルビンの減少を加えたにとどまり、内容的には第二次改訂基準との間に大きな変革はない。

(四) 昭和四三年の発症以来一五年にも及ぶ歳月の中で、届出がなされた被害者の数は一万二六二九人にのぼり、国が把握している確症患者の数も昭和四五年三月現在で一、〇一五名、昭和四八年九月現在で一、二〇〇名、昭和五〇年四月現在で一、二九一名、昭和五三年現在で一、六八四名、昭和五四年一二月現在で一、六九六名、昭和五七年現在で一、七八六名となつており、この確症患者の総数は油症に関する研究の結果、有力な検査の開発が進むにつれてさらに増加して行くものと思われる。

3(油症の現状と治療法)

(一) 油症は一般に全身的に多彩な自覚症状がみられ、他覚的には皮膚粘膜所見を主とするものであつて、油症治療研究班が中心になつて油症患者のこのような多彩な症状の病理機序と治療方法の解明を求めて、長年に亘つて動物実験や患者の体内組織の各種検査の実施に取り組み、かなりの成果をあげて来たけれども未だに病理機序について解明しえない部分が多く、有効な治療方法も開発されるに至つていない。

油症診断基準(昭和51年6月14日補遣)油症治療研究班

油症の診断基準としては、昭和47年10月26日に改訂された基準があるが、その後の時間の経過とともに症状と所見の変化がみられるので、現時点においては、次のような診断基準によることが妥当と考えられる。

・発病条件

PCBの混入したカネミ米ぬか油を摂取していること。

油症母親を介して子にPCBが移行する場合もある。多くの場合家族発生がみられる。

・重要な所見

1. ?瘡様皮疹

顔面、臀部、その他間擦部などにみられる黒色面皰、面皰に炎症所見の加ったもの、および粥状内容物をもつ皮下嚢胞とそれらの化膿傾向。

2. 色素沈着

顔面、眼瞼結膜、歯肉、指趾爪などの色素沈着(いわゆる“ブラックベイビー”をふくむ)

3. マイボーム腺分泌過多

4. 血液PCBの性状および濃度の異常

・参考となる症状と所見

1. 自覚症状

1)全身倦怠感

2)頭重ないし頭痛

3)四肢のパレステジア(異常感覚)

4)眼脂過多

5)せき、たん

6)不定の腹痛

7)月経の変化

2. 他覚的所見

1)気管支炎所見

2)爪の変形

3)粘液嚢炎

4)血清中性脂肪の増加

5)血清γ?GTP

6)血清ビリルビンの減少

7)新生児のSFD(Small-For-Dates Baby)

8)小児では、成長抑制および歯牙異常(永久歯の萠出遅延)

1. 以上の発病条件と症状、所見を参考にし、受診者の年齢および時間的経過を考慮のうえ、総合的に診断する。

2. この診断基準は、油症であるか否かについての判断の基準を示したものであって、必ずしも油症の重症度とは関係ない。

3. 血液PCBの性状と濃度の異状については、地域差職業などを考慮する必要がある。

(二) しかも、油症の症状は一般的、経年的に軽減しつつあるものの一五年の歳月をかけてもなお消滅するに至らず、また、血中PCBの分析をみるに、血中PCBのガスクロマトグラムパターンを

(1) 油症患者に特有のものをAパターン

(2) それに近いものをBパターン

(3) 一般人(健常者)と区別がつけられないものをCパターン

の三つのパターンに分けた場合、油症患者の九五パーセントがAないしBパターンに属するのであるが、血中PCBの濃度が時日の経過とともに低下傾向がみられ現在では一般人と同じレベルの者も多いのに対して、右血中PCBのパターンそのものは容易に変動しないのであつて時日の経過にも拘らず不変の傾向を示している。このことはPCBの代謝、毒性ひいては油症の病態の複雑さを物語るものである。

(三) 治療の方針としては、体内にあるPCBの排泄を促進することが最も重要なことであるが、PCBが高度の安定性、難分解性、脂溶性、非水溶性、蓄積性といつた性質を有する化学物質であるため、一旦体内に入ると脂肪組織とかたく結合して体外に自然排泄することが困難である。今のところ、サルのPCB中毒実験による還元型ダルタチオン、コレスチラミンの実験効果が期待される程度にとどまり、原因物質を急速に代謝、排泄させ得るような根本的な治療法に到達していないのが現状である。

この関係で最も強力なPCB移動法、排泄促進方法として注目されたのが絶食療法である。都志診療所で油症患者に対し絶食療法を実施した結果によると、頭痛などの神経症状に対しては初期はもちろん中期においても著明に好転する例がみられたが、皮膚症状に対しては発病後三、四年ころまでにはかなり著明な改善、軽快がみられたものの、その後は年月が経つに従つて難治の傾向を示しもはや一回の絶食では著明な好転は期待できなくなつている。油症に対し絶食療法が効果があるとされたのは、結局臓器内の脂肪に沈着していたPCBが絶食によつて排泄を促がされ、また、飢餓という強烈な刺戟と新陳代謝の大変調が自律神経、ホルモン系に強い影響を与えたためと思われる。

(四) 油症の原因物質であるカネミライスオイルの分析が進行するにつれて、PCB加熱による変性物質の存在が問題とされるようになり、やがてPCBの誘導体であるPCDF(ポリ塩化ジベンゾフラン)及びPCQ(ポリ塩化クオーターフェニール)などが検出されたが、これらの物質はPCBに比較すると遥かに高い毒性を有するものと認められ、油症が当初の予想に反し重い症状と長い経過を辿つて来たのはこれらの変性物質の作用によるものではないかと考えられる。

(五) 合併症の治療に当つては、油症患者において神経、内分泌障害、酵素誘導などの所見がみられるため合併症を生じ易く、また合併症が重症化する傾向があるので、慎重な態度が必要であるが、中高年令者では加令と共に他の疾患を合併するものがみられ、その経過判定には複雑困難な場合もある。

4(ドーズ・レスポンスについて)

(一) 中毒性物質の体内摂取によつて発病する中毒性疾患では、おおむね摂取量と症状との間にドーズ・レスポンスすなわち原因物質の摂取量に応じて中毒症状が発生し、その症度が決定される、という薬理学の原則がある。

右のような摂取量と生体反応の相関関係についての薬理学の原則を油症に適用して考えると、PCBは本来機能的、可逆的障害物質であり、油症の本態は人体の脂質代謝異常と肝臓における薬物代謝の誘導にあるから、皮膚のにきびが二次的に化膿して深部組織に及びはん痕を残すといつた一部の器質的変化を除き、一時的な可逆的機能的変調を主とするものである。したがつて、体内に摂取したPCBは減る一方で再び増えることはないから、病気としては徐々に軽快して行くか急によくなるかいずれにしても軽くなるばかりで、必ずいつかは全治する筈である。ただ、大量のPCBが体内に入つた人は、排泄が非常に遅いために生存中に全治しえなかつたということはありうるし、体力低下に伴ういろいろの合併症併発のおそれがある。しかし、それさえなければ理論的にはいつかは治りうる病気である、とされるのである。

(二) 右の薬理学からの主張は、田中潔元九州大学教授の強調されるところであり、恐らく巨視的、理論的立場に立てば異論をさしはさむ余地はないものと思われる。

しかし、同時にこれまで公私の医療機関、油症研究治療班の懸命の努力にも拘らず、発症以来一五年の長きに及んでもなお未だに病理機序についても解明しえない部分が多く治療方法も未確立であることを考えると、巨視的、基礎理論的にみれば一時的な機能的変調にすぎず、時の経過により全治しえない筈はないとしても、この未知の疾病のため長年に亘つて悩み苦しんで来た患者にとつては、現在この瞬間を健康に生きて行くことこそ願つて止まないものであり、近い将来に完治しうる保障もないまま、自分は果して生きている間に全治しうるのかと思い惑うその不安と悩みに対し率直に耳を傾けなければならないものと考える。

そして、その苦しみや合併症併発に対する不安等の中で次第に募つて行く症状があつたとしてもこれを一概に心因性だとして油症とのつながりを否定しさることは十分な説得力を持つものではない。

まさしく、以上のような不安と辛抱の長い年月こそが油症患者にとつて特徴的なものであつたと言つても過言ではない。

二  症状各論

油症にとつて特異的であり、かつ重要と思われる症状について前掲証拠にもとづいて若干発症以来の推移を検討してみる。

1  皮膚症状

(一) 皮膚症状は他の疾病に類のない油症に最も特異的な症状であるが、皮膚症状に先行して眼症状(眼脂増加、上眼瞼浮腫)があらわれ、次いで皮膚症状と共に多彩な全身症状があらわれて来るという経過を辿つたものが多い。

(二) 皮膚症状の主たるものとして瘡様皮疹、毛孔の著明化、色素沈着等がみられた。

(1)  瘡様皮疹

全身とくに頬、耳介、耳後部、腹部、そけい部、外陰部等に発生する帽針頭大から豌豆大位の蒼白色ないし麦わら色の面皰様皮疹で、症状が進むと膿様のものが袋の形になる嚢胞を形成し、押すとチーズ状のものが出て来る。容易に炎症或いは化膿をおこし疼痛を伴うが、嚢胞状のものは薬物等の移行が抑制されるため他の化膿性疾患に比べると炎症が治りにくいので、初期の段階で重症例の治癒はきわめて困難であつた。急性期の皮膚症状で最大の特色とみられたのが嚢胞形成であるが、三、四年経過すると激減し、その後は一部(耳介、耳後部、外陰部、臀部)に残つているにすぎない。しかし、重症者にあつては瘡様皮疹が治癒した後にも瘢痕(あばた)を残している例が多い。

(2) 毛孔の著明化

毛孔が開きそこに角化物がつまつて黒点となつて見える状態で、わきの下、そけい部等に多かつた。大部分の症例では三、四年で消失したが、一部の重症者は最近まで持続していた。

(3) 色素沈着等

爪において顕著であるが、顔面、歯肉、結膜、口唇においても認められた。年月と共に減少し現在では大部分の症例では消失している。

なお、当初色素沈着と共に爪の変形とくに拇指爪の扁平化が認められる場合があり、爪が変形して爪床にくいこみその痛みのため爪をはぎ取る必要があることが多かつた。

そのほか、少数ではあるが頭髪の脱毛を訴える者もあつた。

(三) 油症発生後これまでの皮膚症状の推移を要約すれば、

(1) 皮膚症状は全体的に減少、軽快の傾向を辿つている。

(2) 初期にはなかつた新しい皮疹の出現はなく、皮疹の数や程度の変化と各種の皮疹のバランスの変化がおこつているにすぎない。

ということになる。ここで留意しなければならないのは、血中PCBパターンとの関係で、重症例はAパターンで始まるのであるが、皮疹が改善して重症度○となつてもパターンはやはりAのままで持続していることであつて、外見上は治癒したように見えてもこのような点からは完治していないと言うことが出来る、とされている点である。

2  眼の症状

(一) 眼の症状は油症の初期症状として著明であり、典型例では起床時に開瞼できない程の著しい眼脂の増加と眼瞼の浮腫、結膜の充血、異和感、視力低下などを自覚症状として訴える者が多く、また他覚的所見としては瞼板腺(マイボーム腺)の分泌亢進と結膜への色素沈着がみられた。このうち主訴となつている視力低下(視力障害)の多くは眼脂の増加による一過性霧視及び屈折異常によるもので、眼科的異常所見は認められなかつた。また、自覚症状も現在では専ら眼脂増加が訴えられるだけで、その程度も起床時に自覚するという例が多い。その後瞼板腺病変は軽快しているが色素沈着はなお残存している例が多い。

(二) このように現在では眼症状も軽快し、きわめて軽微な所見を呈するようになつたが、一方ではなお瞼板腺圧迫排出物中のPCB濃度は血液中のそれのおおよそ一〇倍を示している。このことは瞼板腺にPCBが集り易いこと及び依然として瞼板腺になんらかの異変を生ぜしめていることを示唆しているものと認められる。

3  頭痛(頭重感)

(一) 油症患者において頭痛を訴える頻度は高く、頭全体とくに後頭部や両側頭部をしめつけるようにして持続性、非拍動性、非発作性の鈍痛があり、ひどい場合は殆んど毎日、しかも一日中続くと訴える例もある。年令的には一五才未満と一五才以上とを比較すると一五才以上がはるかに高い。年月の経過と共に皮膚症状が軽快するのに比べて慢性期に至つても頭痛、手足のしびれ感、全身倦怠感が残存し、かえつて前景に立つようになつたが、中でも頭痛はしばしば油症患者の主訴となつており、昭和四七年以来診断基準にも採り上げられた。

(二) 油症の頭痛に対しては鎮痛剤等の薬剤は殆んど効果がなく、有効な薬剤がない点が一つの特徴である。

眼底、四肢、脳波等の神経内科的検査によるも積極的に頭痛の原因となる異常所見を見出すことができず、血中PCBの濃度やパターンとも一切無関係であることや、一五才未満の子供には頭痛の訴え率が低く絶食療法による著効例がみられること等から機能的要因による緊張性ないし心因性の頭痛ではないかとも考えられるが、はつきりした事は未だ判つていない。

4  胃腸症状

(一) 油症患者の訴えの中には不定の腹痛、下痢、悪心等の胃腸症状があり、中でも不定の腹痛は空腹時とか食後とかいつた定時ではなく突然起きる激しい腹痛であつて、下痢症状を伴うことも多く、患者のうちかなりの数の者がこれを経験し、日常生活に支障をきたす原因の一つに数えあげており、昭和四七年診断基準もこれを採り上げている。

しかし、レントゲン検査などの臨床検査によつても胃炎とか胃潰瘍といつた器質的障害は認められず、ただ胃腸の運動亢進という所見が認められたにとどまり、死亡患者の解剖所見からも腸管や腸間膜に異常を見出せなかつた。そこでこの腹痛は胃腸の過敏症ないし胃腸を支配する自律神経系の調節機能の障害によるものではないかと説明するむきもあるが、未だ仮説にとどまつている段階である。

(二) また、油症患者の腹痛をポルフィリン症と関連づける説もあるが、それも確定的に関係があるとしたものではなく、ポルフィリン症が存在する可能性を疑つたにすぎず、その診断については、尿の検査をすれば色の変化及びポルフィリン誘導体が存在することによつてたやすく判明するのに、これまでになされた油症患者の尿検査の中には該当するような検査結果は見当らないので否定的に解される。

5  呼吸器症状

(一) 油症患者の多くは皮膚症状とほぼ同時期から呼吸器症状が出現し、昭和四五年七月までの調査では患者二〇三名中四〇パーセントにたん、せきがみられ、三〇ないし四〇パーセントに胸部レントゲン所見として線状影、網状影が認められ、さらに一〇パーセントの例症として小葉性或いは無気肺性陰影が加わつているのが認められたが、これらの症状は慢性気管支炎類似のものとされた。

これは、腸から吸収された脂質の七〇ないし八〇パーセントが腸管を経て肺に達するが、肺が活発な脂質代謝を行つているため、PCBが肺の脂質代謝経路を通つて末梢気道から肺胞表面にかけて排泄され、たんとして喀出されることにより、PCBの排出経路となつていることに由来する。したがつて、初期の段階では患者にたんが多く気道への感染を受け易いこともあつて呼吸器症状が治癒しにくい状態であつた。

(二) 呼吸器症状と血中PCB濃度との間には相関関係があり(血中PCBパターンとの間には関連性は見出せない)、その後血中PCB濃度が低下するにつれて呼吸器症状も全体として改善傾向が見出される。しかし、血中PCB濃度が高い患者において慢性気道感染症の状態が約半数も存在しており、しかも緑濃菌感染の頻度が高くなる傾向にあるので、今後の観察が必要とされる。

6  油症児について

(一) 油症児として特に問題とされるのは、油症の母親から生れ、PCBが胎盤を通して移行した結果出生のときから特異な症状を呈する経胎盤油症児と、母親が汚染油を摂取して油症となり、PCBが母乳を通じて移行した結果油症となつた経母乳油症児である。

(二) 経胎盤油症児は、在胎週数に比較して生下時体重が小さく、出生時全身皮膚への異常色素沈着(灰色がかつた暗褐色)がみられたため、「黒い赤ちやん」と呼ばれ、PCBが世代をこえて発症するものとして世間の耳目を集めた。そのほか、皮膚の乾燥と落屑、眼脂の増加、歯肉部の異常肥大と凹凸状態がみられ、これらが特徴としてあげられる。母親がカネミライスオイル(汚染油)の摂取を止めて数年を経た後になつてもこの「黒い赤ちやん」の出生は続き、PCBの恐しさを示している。

その後の経過観察によると、黒皮の症状(色素沈着)は生後二、三ケ月で軽快、消褪し、出生後の発育も男児の体重が標準値より小さいが標準発育曲線にほぼ平行して増加し、運動機能、精神面の遅れも別段みられなかつた。また、昭和五〇年長崎県五島地区で行つた健診の結果では、受診者全員が標準偏差値の範囲に入り正常の成長発育を示しているとの結果が出された。本来の成長曲線に戻つたものとして、いわゆるキャッチアップ現象が油症児にも認められたものとされている。

また、経母乳油症児は、母乳中のPCB濃度が著しく高くそれが濃縮されるため重症になるのではないかと心配されて来た。それを明らかにする研究成果はみられないが、血中PCQレベルの分析を通じてPCQは母胎内暴露(胎盤を通して胎児に移行すること)よりも母乳を通じての暴露の方が問題であるとするむきもある。経母乳油症児も成長が抑制され、身体、体重とも増加が止まつたが、昭和五〇年長崎県五島地区で行われた小、中学校の健診の結果では八ないし一〇才の男子には未だ成長抑制の傾向があるが、全体としては健常児との間に有意の差はみられないとの結果が出された。

しかし、他方では両者を通じて乳歯が抜けても永久歯が生えるのが著しく遅れたり、歯の根元を欠く歯牙異常の例が多くみられ、これらの成長抑制が一時的なものと言えるかどうかこれからも観察し見守つて行く必要がある。

三  油症患者の死亡について

1一審原告らは、別紙〔四〕死亡油症患者一覧表記載の死亡者について油症罹患とそれらの者の死亡とは因果関係があるものとして生存者と異なる慰藉料を年令別による一率加算方式により請求するので、その死因、因果関係等について検討する。

右死亡者らの死因が後記樋口サキを除き油症そのものが死因でなかつたことは一審原告の主張自体からも明らかである。これを疫学的にみるに、<証拠>によれば、昭和五五年五月末現在の油症患者の死亡数は八五名で、その死因は悪性新生物二三名全死亡者に対する割合は二七パーセント、心疾患二二名で25.8パーセント、脳血管疾患一一名で12.9パーセントであり、一方昭和五四年度の日本人の死亡統計からすると、悪性新生物による死亡者の全死亡者に対する割合は22.7パーセント、脳血管疾患が二三パーセント、心疾患が16.2パーセントとなつており、その間に特異的なものとして有意差を見出すことはできない。

また、死亡率について考察するに、一審被告国は昭和四四年から昭和五四年までの日本人の死亡率の平均は年間人口一、〇〇〇対比で6.43であるのに対し昭和五三年一二月現在の油症患者数一、六八四名を基礎として計算した死亡率は4.2となるので油症患者の死亡率は日本人全体より低いと指摘するが、その計算の当否はしばらくおくとしても、油症患者の死亡率が日本人全体の死亡率と比較して有意差を示しとくに高いと認めるべき証拠はない。

2ところで<証拠>によれば、樋口サキが昭和四八年三月三一日愛風会朔病院で死亡した際、同病院の医師朔淳一は右サキの死亡診断書に死因として「カネミ油症」と記載したこと、それは同人が脳脊髄障害のため意識低下と両下肢の麻痺があらわれ衰弱死したものであつたが、朔淳一において、サキがカネミ油症患者であるため死因として(一)カネミ油症(二)カネミ油症兼動脈硬化症(三)動脈硬化症の三つの病名を考えたうえ、動脈硬化症がカネミ油症のため促進されないとは否定できないので死亡診断書の死因欄に「カネミ油症」と記載したことが認められる。

右の事実によれば、朔淳一医師は樋口サキの直接の死因を動脈硬化症と判定したが、同人が油症患者であることから油症のために動脈硬化症が促進されないとは否定できないという趣旨で「カネミ油症」と記載したというにとどまり、直截に同人の死亡とPCBとの因果関係を肯定したものとは到底認め難く、その他右サキの死亡がカネミ油症にもとづくものであることを首肯するにたりる証拠はない。

3<証拠>によれば、油症患者死亡者の平均年令は64.6才であつて、老人で気管支拡張症というような基礎疾患を持つている者に対して油症に罹患したことがなんらかの負荷因子となつて慢性の気管支炎が悪化する可能性を否定することはできないが、油症が原因となつて死亡したという確証はなく、各死亡者の死因と油症との間の因果関係は不明と言わざるをえない。

一審原告らは、死亡者のうち少くとも原因不明の症状で急死した三吉基博、壊疽の悪化によつて右足を切断し衰弱死した大川渡の場合には油症が死に直結したことは明らかであるとし、それに沿うかのような原審証人梅田玄勝の証言も存するが、これは現段階でははつきり確認しえないとする原審証人平山千里の証言並びに前掲証拠に照らし措信することができない。

したがつて、各死亡者らの死亡と油症との間に因果関係があることを前提に、死亡者に対し一率加算を求める一審原告らの主張は採用することができない。

四  症状鑑定について

当審において、一審原告ら油症患者全員に対して、油症による障害の程度並びに軽快の推移、死亡者に対しては死亡と油症との因果関係並びに死亡に至るまでの油症による障害の程度及びその推移についての症状鑑定を行つた。

九州大学医学部教授占部治邦を代表世話人とする一一人の鑑定人によつて一審原告らの患者カード、油症患者検診票、カルテ等に一審原告本人らの陳述書を加えたものを基礎資料として症状鑑定が行われたが、この鑑定に当つては、内科、歯科、皮膚科、神経科、眼科、産婦人科、小児科並びに血中PCB濃度分析の各専門分野から鑑定人が選ばれ、これまでの診断の経緯に鑑み皮膚症状と内科的症状とを二つの大きな柱として、各分野ごとにそれぞれ概括的な診断基準を設け、それらの基準に沿つて各鑑定人が各患者毎の全資料を点検して、一応のランク付けをなし、さらにそれを鑑定人会議で検討する手続をふんだ。そして、その結果次のような症度の分類がなされ、これにもとづいて鑑定書記載の各一審原告ら油症患者のランク付けがなされた。

症度4(重症) 常時医療を要し、日常生活においてしばしば休養を要するもの

症度3(中等症) 症度4と症度2の中間の程度のもの

症度2(軽症) 日常生活に支障はないが、なお若干の症状を有するもの

症度1 ほとんど症状のないもの

なお、提出された資料が乏しく、鑑定人の過半数が症度の判定ができないとしたものを鑑定不能ということにした。

五  症度と慰藉料額の算定について

1一審原告らは、本訴において、一審原告らが被つた損害は社会的、家庭的、経済的、精神的などすべてを包括する総体として把握すべきであり、請求する金額は右総体の僅か一部にすぎず、また、全体としての症度についてランク付けをすることができないから一審原告らの年令に応じ死者については二、三〇〇万円ないし三、〇〇〇万円、生存者については一、八〇〇万円ないし二、五〇〇万円を包括的、一律的に慰藉料として請求すると主張するのであるが、できる限り一審原告らの損害を個別的に考慮、認定すべきものであることは、「本件損害賠償請求事件において、損害の基礎とすべきものは原則として被害を受けた程度、基本的には各患者の症度によるものであり、各一審原告らの症状に応じて症度を分類することは可能である」と付加するほか、原判決理由説示(原判決a156頁一九行目の「しかしながら」から同a157頁の一二行目まで)と同一であるからこれを引用する。

2本件においては、すでに認定したように人の生命を維持して行く上に不可欠であり、しかも誰もが絶対に安全であると信じていた食用油中に毒物が混入して惹起された事件であり、一審原告ら被害者にとつてはこれを避けようとしても避けることができなかつたものであつてなんらの過失もなかつたことが特徴的である。

そこで、当裁判所としては、発症以来原審判決に至るまでの一審原告ら各人の症状は原判決別紙〔一〇〕油症原告被害認定一覧表のとおりであるからこれを引用し、原審判決後現在に至るまでの症状は別紙〔六〕油症患者被害認定一覧表中の「当審において新たに認定に供した証拠」欄記載の証拠によつて、同表中の「原判決に付加訂正すべき主な症状等」欄記載の付加訂正すべき症状及び特記事項の存在を認定し、これに前記本件の特殊事情を考察し、次のとおりの基準によつて慰藉料額を算定する。すなわち、油症患者に対する症度区分は基本として重症、中症、軽症、ごく軽い症状の四段階に分類するが、さきに認定したとおり、油症患者が発症以来一五年に及ぶ歳月の中で軽快の傾向にあるものの一部の症例においては依然として頑固な症状が継続し、生活に支障をきたすところがあるので、それらの症状を有する者を特別にそれぞれ最も重い症状、中症の上、軽症の上として格付け勘案することにした。

そうすると前記症度に応じて慰藉料の額は

最も重い症状 一、二〇〇万円

重症 一、〇〇〇万円

中症の上 八〇〇万円

中症 七〇〇万円

軽症の上 六〇〇万円

軽症 五〇〇万円

ごく軽い症状 四〇〇万円

と定めるのが相当である。

ただし、油症発生後の病状とくに長期又は難度の入院歴、現在に至るまでの生活状況、生活破壊の程度等を考慮し、右症度分類による基準額によつては未だその損害を補完するにたりないと認められる特段の事由がある者についてはその事情に応じ加算することとした。

3なお、鑑定不能者の取り扱いについては、証拠がないものとして最低のランク付けを行うという考え方もありうると思われるが、前認定のとおり、油症が家族発生であり、同一家族内での血中PCBパターンの一致率も非常に高いので、少くとも認定時期が同一又は近接している者においては、同一家族内で勤務の都合、学業、健康状態等により汚染油の摂取量が著しく異なる等特別の事情のない限り、出来るだけ他の家族構成員の症度を参考にし、これを控え目に認定して行くこととした。

4以上により、一審原告ら各人の本件油症被害による慰藉料額は(死亡油症患者の相続関係等は後記六認定のとおり)別紙〔七〕認容金額一覧表記載の「慰藉料額」欄記載の金額をもつて相当と認める。

六  死亡油症患者の相続関係等について

死亡した油症患者の相続関係等はつぎのとおり付加、訂正するほか原判決理由説示(原判決a161頁一八行目から二二行目の「認められる。」まで)と同一であるからこれを引用する。

氏名の訂正

一審原告らのうち、一審原告ら主張にかかる一審原告らが、婚姻等によりその主張のとおり氏名を改めたことは、弁論の全趣旨により認められる。

2当審における主張変更分

(一)  一審原告北島オリエについての債権譲渡に関しては、<証拠>によれば、その主張のとおりの債権譲渡、その通知の事実を認めることができる。

(二)  弁論の全趣旨によれば、油症患者池田久江は一審原告ら主張の日に死亡し、同人の相続人として一審原告主張の四名のほか、同人の養子上本一恵がいることが認められる。

よつて、一審原告池田聰は、右久江の夫として同人の権利の三分の一を、その余の右一審原告らは右久江の子として同人の権利の六分の一ずつを、相続した事実が認められる。

3当審において新たに主張された権利の承継

(一) 一審原告ら主張の油症患者ら及び樋口泰滋、渡辺アイが、その主張の日に死亡したことは当事者間に争いがない。弁論の全趣旨によると、第二の一の3の(三)の(2)太田成春、同(3)井上孝子、同(19)泉分敏雄、同(20)水谷ツルを除くその余の油症患者らにつき、一審原告主張のとおり相続が開始したことが認められる。

(二)  油症患者太田成春については、<証拠>により、一審原告主張のとおり権利の承継があつたことが認められる。

(三)  油症患者井上孝子については、弁論の全趣旨によれば、同人の相続人として一審原告ら主張の三名のほか、同人と前夫角谷勲間の長男角谷雄二がいることが認められる。

よつて、一審原告井上泰幸は、右孝子の夫として同人の権利の三分の一を、その余の右一審原告らは、右孝子の子として同人の権利の九分の二ずつを相続したことが認められる。

(四)  油症患者泉谷敏雄については、<証拠>によれば、一審原告主張のとおりの相続が開始し、さらに遺産分割協議により、一審原告泉谷政子が油症患者泉谷敏雄の権利の全部を承継したことが認められる。

(五)  油症患者水谷ツルについては、弁論の全趣旨によれば、同人の相続人として一審原告ら主張の五名のほか、同人と前夫中村護間の長男中村茂夫がいることが認められる。

よつて、右一審原告ら五名は、右ツルの子として、同人の権利の六分の一ずつを相続したことが認められる。

4相続債権の譲渡

一審原告北島オリエについて、<証拠>によれば、同人は亡北島秋夫の共同相続人である山崎郁子、渡邉唯子、北島醇二、北島誠之、北島諄三、北島篤から、昭和四七年一月三一日亡秋夫の本件損害賠償債権のうち、右六名の取得した各相続分の譲渡を受け、右六名は昭和五八年二月二六日債務者である一審被告らに対し債権譲渡の通知をし、右通知はそのころ同被告らに到達したことが認められる。

七  一審被告加藤三之輔の一部弁済の主張について

一審被告加藤は、カネミ倉庫が原判決別紙〔五〕原告別支払明細一覧氏名欄記載の一審原告らに対し同表記載のとおり治療費、交通費、見舞番、仮払金をそれぞれ支払い、同別紙〔六〕死亡者別支払明細一覧表記載の死亡者に対しても同様に金員をそれぞれ支払つた旨主張し、<証拠>によるとカネミ倉庫は治療費、交通費、仮払金、見舞金等の名目で同表記載の金員を支払つたことが認められるけれども、その項目の詳細について必ずしも明白ではなく、これらのものを直ちに本件慰藉料債権の一部弁済と認めて損害認定額から控除するのは相当でないものと考えるので、右主張は採用できない。

八  一審被告鐘化の分割責任について

一審被告鐘化は、予備的主張として、仮に鐘化の行為が油症事故の発生に寄与したと認められるとしても、その寄与度はきわめて僅少であるから、その寄与の割合に応じた責任すなわち分割責任を負うべきであると主張するが、右主張は鐘化のいわゆる工作ミス説を前提に主張しているものと解されるところ、前叙のとおり工作ミス説にはピンホール説を覆すにたりるだけの合理性に乏しく、これを採用することができず、鐘化の責任は、カネクロール四〇〇という新しい化学物質を製造、販売する者が当然なすべき注意義務を怠つたことにより本件事故の端緒を作つたものであつて、到底僅少な責任と言うべき筋合のものではないから、公平の原則によつて損害賠償責任を減縮すべきいわれはない。

したがつて、右主張は採用することができない。

九  一審原告井藤良二の請求について

一審原告井藤良二は、長女亜希子が胎児性油症児として出生したため、同人の父として固有の精神的損害を受けたとして、その慰藉料を請求するが、その請求は理由がないので同一審原告の控訴を棄却すべきであるが、その理由は原判決理由説示(原判決a163頁一行目から一三行目まで)のとおりであるからこれを引用する。

一〇  弁護士費用

弁論の全趣旨によれば、一審原告らは一審原告ら訴訟代理人である各弁護士に本件訴訟の提起、追行を委任し、右代理人らが本件一、二審を通じて訴訟活動を行つて来たことが認められ、本件訴訟の難易、特異性、原告数七〇〇人にも及ぶ集団訴訟であること並びに請求認容額等を考慮し、それぞれ認容した慰藉料額の約五パーセントにあたる別紙〔七〕認容金額一覧表中の「弁護士費用」欄の各金員をもつて各一審原告ら(一審原告井藤良二を除く)の本件事故と相当因果関係にある損害と認めるべきである。

第八  結論

以上の次第であるから、一審原告ら(ただし、一審原告井藤良二及び一審被告加藤三之輔に対する関係で一審原告大川点順こと梁女を除く)の本訴請求は、一審被告加藤三之輔、同鐘化に対する関係においては、別紙〔七〕認容金額一覧表「認容金額(一)」欄記載の金額及びこれに対する本件不法行為の後であることが明らかな昭和四三年一一月一日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の不真正連帯支払を求める限度で、一審被告国に対する関係においては、右金額の三割に当る同表「認容金額(二)」欄記載の金額及びこれに対する同日以降同一の割合による遅延損害金につき右一審被告加藤三之輔、同鐘化と不真正連帯支払を求める限度で正当であるが、その余はいずれも失当といわねばならず、また右一審原告らの一審被告北九州市に対する本訴請求、一審原告井藤良二の本訴請求はいずれも理由がないものといわねばならない。

よつて、右と趣旨を異にする一審原告ら(一審原告井藤良二及び一審被告加藤三之輔に対する関係で一審原告大川点順こと梁女を除く)と一審被告加藤三之輔、同鐘化、同国に関する原判決部分を、当審の認容額が原審の認容額を上廻る一審原告については該一審原告の控訴に基づき、それを下廻る一審原告については一審被告鐘化の控訴に基づき主文第一項1、2のとおり変更し、右一審原告らと一審被告鐘化関係において、その控訴に基づいて右変更にかからない右一審原、被告らの控訴はいずれも理由がないからこれを棄却し、一審原告井藤良二及び同一審原告、一審原告渡邊瑠璃子を除く一審原告らと一審被告北九州市に関する原判決はいずれも正当であるから、一審原告井藤良二の控訴並びに右一審原告らの一審被告北九州市に対する控訴及び拡張請求を棄却し、訴訟費用の負担について民訴法九五条、九六条、八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(美山和義 谷水央 足立昭二)

別紙〔一〕ないし〔六〕<省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例