福岡高等裁判所 昭和54年(ネ)422号 判決 1980年10月23日
控訴人
正栄運送有限会社
右代表者
紫法子
右訴訟代理人
角銅立身
外三名
被控訴人
高橋梨影子
右訴訟代理人
岩永金次郎
主文
一 原判決を取消す。
二 被控訴人の請求を棄却する。
三 訴訟費用は第一、二審を通じ被控訴人の負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 控訴人
主文同旨
二 被控訴人
1 本件控訴を棄却する。
2 控訴費用は控訴人の負担とする。
3 原判決中仮執行免脱宣言部分を取消し、又はその担保額を三〇〇万円に変更する。
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 被控訴人は、次の約束手形二通を現に所持している。
(イ)金額 二〇〇万円
満期 昭和五三年三月三〇日
支払地 田川市
支払場所 田川信用金庫東支店
振出日 同年一月二〇日
振出地 田川市
振出入 (有)むらさき商事運輸
取締役会長 紫光
受取人 高橋梨影子
(ロ)金額 一〇〇万円
満期 昭和五三年四月一〇日
振出日 同年一月二五日
その他の記載事項は、(イ)の手形のそれに同じ。
2 控訴人は、次の理由により、本件手形について振出人としての責任を負うべきである。
(一) 控訴人は、昭和五三年七月六日、商号を現在の正栄運送有限会社に変更したが、それまでは有限会社むらさき商事と称していた。
(二) 控訴人は、貨物自動車運送事業を唯一の営業目的とする会社であり、右振出人欄の(有)むらさき商事運輸は、控訴人が有限会社むらさき商事と称していた当時常用していた名称である。
(三) 本件手形は、紫光が控訴人を表示するものとして右通称を用いて訴外松本土木工業こと松本護に振出交付し(但し、受取人欄は白地)、その後土木建設請負業を営む訴外高橋一義を経て同人の妻である被控訴人がこれを取得し、受取人欄を前記のとおり補充したものである。
(四) そして、紫光は、控訴人の取締役会長であり、取締役会長は、有限会社法三二条、商法二六二条にいう「会社ヲ代表スル権限ヲ有スルモノト認ムベキ名称ヲ附シタル取締役」に該当し、被控訴人および前主高橋一義は、本件手形取得の際紫光が代表権のない取締役であることを全く知らなかつた。
(五) 仮に紫光が振出したものでないとするならば、本件手形は、当時控訴人が代表取締役であつた紫春義が控訴人のため右通称及び取締役会長紫光名義を用いて振出したものである。
3 被控訴人は、(イ)の手形を満期に、(ロ)の手形を満期後である昭和五三年一二月一三日に各支払場所に呈示した。
4 よつて、被控訴人は控訴人に対し、手形金合計三〇〇万円及びうち(イ)の手形金二〇〇万円に対しては満期である昭和五三年三月三〇日から支払済みまで手形法所定の年六分の割合により利息金の支払を、うち(ロ)の手形金一〇〇万円に対しては本件支払命令送達の日の翌日である同年一二月二八日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を、それぞれ求める。
二 請求原因に対する答弁
1 請求原因1の事実は認める。
2 同2の(一)の事実は認める。(二)ないし(五)の各事実は否認する。本件手形を作成したのは、次のとおり松本護である。すなわち、紫光は、金融業を営むものであるが、実弟紫春義の紹介により松本護から昭和五二年一二月と翌五三年一月の二度金融の申出を受けた。しかし、同人とは初対面であり、担保の提供もなかつたので、二度とも右申出に応じなかつた。ところが、二度目に紫光の事務所に来たときと推測されるが、松本護は、同所で紫光の手形用紙四枚を盗み、その振出人欄に同人のゴム印等を冒捺するなどして本件手形二通を含む約束手形四通(額面合計六〇〇万円)を偽造したものである。
控訴人は、トラック七台、従業員九名により貨物運送業を営むものであり、紫春義が単独で経営している会社であつて、紫光は、その取締役に名を連ねてはいるが、名目上のものにすぎず、控訴会社の経営に関与したことは全くない。
3 同3の事実は不知。
三 抗弁
1 重大な過失
被控訴人は、紫光が代表権を有しないことを知らなかつたことについて次のとおり重大な過失があつたので、商法二六二条にいう「第三者」に該当しない。
(イ) 被控訴人の夫である高橋一義は、土木建設請負業を営むものであり、松本護とは同人の元請負人として七、八年の付合いがあつた。松本護は、昭和五二年一〇月三一日と同年一一月三〇日の二回にわたり手形不渡を出して倒産した。当時、高橋一義は松本護に対して一〇〇〇万円以上の債権を有していたが、回収できたのは約三〇〇万円であり、七〇〇万円が回収不能となつた。
(ロ) 高橋一義は、過去幾度となく松本護の手形を割引いており、同人の手形入手先を熟知していた。
(ハ) 本件手形は、高橋一義にとつて、倒産した松本護が取引手形を所有しているわけがないこと、振出人欄の「(有)むらさき商事運輸」なるものが、松本護の過去の取引先でないこと、松本護が運輸会社に対し手形債権を有する理由がないことから、一見して融通手形と判るものであつた。
(ニ) 本件手形のうち(イ)の手形は、差替手形として交付されたものであり、(ロ)の手形について、高橋一義は六〇万円ないし八〇万円で割引いたと証言しているが、松本護が既に倒産していたことや多額の債権が残つていることを考えると、その真否は疑わしい。
(ホ) 「(有)むらさき商事運輸」の存在並びに信用度は、高橋一義にとつて全く未知のものであつた。
このように、本件手形は倒産した松本護から受け取つたものであること、明らかに融通手形と判るものであること、被控訴人にとつて控訴人は全く面識のない会社であつたこと、高橋一義は松本護に対して一〇〇〇万円にものぼる債権を有していたこと、従前の手形の差替え手形として提供されたものであること等の諸事情を総合すれば、被控訴人は、本件手形を取得するにあたり、商業登記簿謄本の閲覧若しくは会社への電話確認、取引銀行への照会等を行い、本件手形が真正に振出されたものであるか否か、紫光が代表権を有するものであるか否かの確認を行うべきである。
従つて、紫光の代表権を確認することなく本件手形を取得した被控訴人には、重大な過失があつたものというべきである。
2 権利濫用
被控訴人は、高橋一義に対しても松本護に対しても何らの実質的権利関係を有していない。従つて、かかる被控訴人が、本件手形の形式的所持人であることを理由に、振出人に対し手形金を請求するのは権利の濫用である。
四 抗弁に対する答弁
いずれも否認する。
第三 証拠関係<省略>
理由
一請求原因1のとおり振出人を(有)むらさき商事運輸取締役会長紫光と記載した本件手形を被控訴人が所持していること、同2の(一)のとおり控訴人の商号が変更され、本件手形振出当時有限会社むらさき商事であつたことは、当事者間に争いがない。
二そこで、本件手形を作成した者は誰であるかについてみるに、被控訴人は、紫光、しからずとすれば、当時控訴人の代表取締役であつた紫春義であると主張し、控訴人は、松本護が偽造したものであると主張する。
<証拠>中には、本件手形を松本護が偽造した旨の供述部分がある。
しかし、右供述部分は、にわかに採用し難く、むしろ、本件手形における紫光名下の印影が同人の印章によつて顕出されたものであることは、当事者間に争いがないこと、後述のとおり振出人の表示も紫光の所持にかかるゴム印によつてなされていること、<証拠>によると、本件手形の作成に使用された手形用紙は、金融業を営む紫光と取引金融機関との間の当座貸越契約に基づき、紫光個人が交付を受けたものであり、同人の所持、所有にかかるものであること紫光名下の右印影は、同人の実印によるものであることが認められ、かつ、<証拠>によると、松本護は、本件手形を借用した旨の借用証を作成しており、その宛名は「紫様」となつていること、紫光自身も松本護に対し、貸与した本件手形を返還するように催告していることが認められること、以上の諸事情を総合すると、本件手形は、紫光が作成したものと認めるのが相当である。
<証拠判断略>
そして、紫光に控訴人の手形を振出す権限のあつたことは、本件全証拠によるもこれを認めるに足りない。
三そこで、被控訴人は、紫光が控訴人のいわゆる表見取締役であるとして控訴人に本件手形の振出人としての責任がある旨主張するが、右責任を認めるには、まず、紫光が本件手形を振出人として控訴人を表示して振出したものであることを要するものと解するので、この点についてみる。
1 もし、控訴人において本件手形振出当時(有)むらさき商事運輸という名称(以下「本件名称」という。)を常用していたものであるならば、紫光は、控訴人を振出人として表示して本件手形を振出したものといえるもので、被控訴人もその旨主張する。
なるほど、<証拠>によると、控訴人は、貨物自動車運送事業を営む会社であり(昭和五一年一月七日設立登記)、その意味において、本件名称は、いわば控訴人の営業活動の実態を如実に反映しているといえること、前記紫光は、控訴人の取締役であり、かつ、当時本件名称等を刻んだゴム印(本件手形の振出人欄に捺印されているもの。以下「本件ゴム印」という。)を所持していたことが認められる。
しかしながら、本件名称ないしゴム印が本件(本件手形二通と同時に振出された他の約束手形二通を含む。)以外の取引に使用されたという証拠はなく、まして本件名称が控訴人の営業上の名称として取引上一般に認められていたことは、本件全証拠によるもこれを認めるに足りない。
2 進んで、控訴人が本件名称を常用していなかつたとして、本件手形は、紫光が控訴人を表示するものとして本件名称を用いて振出したものであるか否かについて検討を加える。
控訴人の旧商号と本件名称とは極めて類似しており、むしろ本件名称の方が控訴人の営業活動の実態により即応しているとさえいえること、紫光は、控訴人の取締役であること等前述の諸事情を考慮すると、その限りでは、本件名称は、控訴人を表示するものとして使用されたかの如くである。
しかしながら、
(1) 前述のとおり、控訴人が自己を表示するものとして本件名称を用いて取引をしたことは、証拠上本件以外に実例がない。
(2) 本件手形についてみても、(イ)既にみたとおり、手形用紙も紫光名下の印影も控訴人のものではなく、紫光個人のものであり、控訴人が右手形用紙と同種のものをかつて使用したことがあるとか、本件手形の支払場所である田川信用金庫と信用取引があつたとかいう証拠は全く見当らない。(ロ)<証拠>によると、本件ゴム印に彫られた本件名称の住所地は、控訴人のそれではなく、紫光個人のそれであり、電話番号も、三つのうち二つは紫光個人のもので、最後の一つが控訴人のものであることが認められる。
(3) 紫光が控訴人の取締役であつたことは、前述のとおりであるが、取締役会長の点については、事実そうであつたとする証拠はなく、紫光がそのように自称することを控訴人において許諾していたという証拠もない。むしろ、<証拠>によると、控訴人は、紫光の実弟である紫春義が経営する会社であり、紫光は、個人で金融業を営むものであつて、取締役といつても名目上のものにすぎず、控訴人の経営に関与していなかつたことが認められる。
(4) <証拠>によると、本件手形は、紫光から松本護へ、同人から被控訴人の夫高橋一義へ、同人から被控訴人へと流通したものと認められるところ、控訴人と松本護との間に控訴人が本件手形を振出すべき原因関係があつたことは、本件全証拠によるもこれを認めるに足りない。
(5) これに対し、<証拠>によると、紫光は、本件手形が振出されたころ、紫春義の紹介により、松本護から金融の申込を受けたことが認められ、右事実と、前述のとおり、松本護において、控訴人あてではなく、紫あてに本件手形の借用証を差入れている事実、紫光も個人として松本護にその返還を求める催告書を出している事実とを総合すると、むしろ紫光は個人として松本護に対し、融資の一方法として本件手形を貸与したものと推認される。<証拠判例略>
(6) 以上のとおりであり、紫光が本件ゴム印を所持していた点について、「手紙にでも使おうと思つて、はつたりで造つた。」と原審及び当審証人紫光の供述は、必ずしも釈然としないが、さりとて、本件ゴム印と控訴人とを積極的に結びつける的確な証拠もない。
右(1)ないし(6)の事実関係のもとでは、本件名称は、控訴人を表示するものとして使用されたと認めることはできない。
四以上のとおりであつて、被控訴人の請求は、その余を判断するまでもなく、理由のないことが明らかであり、これと結論を異にする原判決は失当であつて、本件控訴は理由があるから、原判決を取消し、被控訴人の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(矢頭直哉 権藤義臣 小長光馨一)