大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

福岡高等裁判所 昭和55年(う)257号 判決 1980年9月30日

被告人 谷崎勇

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金三万円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金二、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

理由

控訴の趣意は、検察官安部利光名義の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は、弁護人池永滿提出の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。

所論は、要するに、本件は、被告人の運転する普通乗用自動車(以下、被告人車という。)が、交差点で先行の被害者串尾国洋の運転する普通乗用自動車(以下、串尾車という。)を追い越そうとして、道路右側部分に進出したため、右折を開始した串尾車に衝突した事故であり、同所付近は追い越しのための右側はみ出し通行が禁止された場所で、かつ串尾車が交差点で中央に寄り減速していたので、同車の右折が十分予測しうる状況にあつたから、被告人には追い越しを差し控えるべき注意義務があり、右違反の過失があることが明らかである、しかるに原判決が、右側はみ出し通行を禁止する理由を対向車両との関係で事故を招くおそれにあるとし、また交差点での追越し禁止の理由については交差道路からの進出車両との関係で事故を招くおそれがあるからであるとして、被告人の右注意義務違反につき本件事故との相当因果関係を否定し、さらに当時串尾車が右折するかも知れないことを窺わせるような事情があつたことは認められないとして、被告人に過失を認めず無罪を言い渡したのは、事実を誤認し、その結果注意義務に関する判断を誤つたものであり、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は破棄を免れないというにある。

所論にかんがみ、記録を精査し、かつ当審における事実取調の結果に徴して、問題点を検討してみるに、まず衝突現場は、被告人らが進行して来た往復車線合わせて幅員約六・七メートルの道路に、その進行方向にむかつて右側にある間口が約一〇メートルの柿原団地に通じる道路の入口がT字型に交差した交差点の中で、被告人は、時速約三〇キロメートルというかなり遅い速度で走行する串尾車に、右交差点の手前五、六百メートルの地点で追いつき、その後は同車に追随して自車を運転し、衝突地点の手前約二〇メートルの所で時速約四〇キロメートルに加速して、右にハンドルを切り反対車線に進出し、串尾車の追い越しにかかつたところ、その直後に串尾車が団地入口の方に右折を開始したため、両車が交差点内の反対車線上で衝突したこと、串尾車は右折前それまでの速度から毎時五ないし一〇キロメートル程度減速し、道路中央線寄りに進行してはいたが、右折の合図をしたかどうかは疑わしく、右折に際して被告人車に対する注意は何ら払わなかつたこと、同所は交差点であるから、その手前三〇メートルの範囲内での追い越しが道交法で禁止されているほか、その附近一帯は福岡県公安委員会の設置した道路標識によつても追い越しのためのはみ出し通行が禁止されていること、また被告人車が本件交差点に接近して来る場合、右手に前記の団地入口があることは、その約三〇メートル手前で気付き得る状況にあつたこと等の事実は、被告人も格別争つておらず、証拠上も疑いのない事実であると認められる。

これらの事情を基にして考えると、追い越しのためのはみ出し通行が道路標識によつて禁止された場所では、主に対向車輛との衝突などの事故を防止する趣旨でこれが禁止されていると説く原審の判断は相当と思われるが、本件のような交差点での追い越しを禁ずる法意は、交差点が交差道路からの進入車があることはもちろんのこと、交差道路への右折車の存在も当然考慮に入れられているのであつて、これら多方向から多方向へ進行する車輛で混雑することが予想される場所での追い越し行為が特に危険性が大きいためであると解するのが相当である。このことは右折車の側から見ると、より一層明らかである。何故なら右折車の運転者としては、その注意力の大部分を対向車または右側道路からの進入車その他横断歩行者等の有無やこれらとの安全の確認に向けるのがむしろ通常であり、後続車に対する安全の確認は、その運転者の側で交通法規を守り、これを無視した無暴な追い越しはしないものと信頼して運転すれば足りるとさえ言えるからである。したがつて、交差点内で右側部分にはみ出しての追い越しとなるような運転行為は、自動車運転者として絶対にしてはならない基本的注意義務であるといわなければならない。ちなみに本件では、前叙のとおり、交差点であることが認識しうる場所で、串尾車が道路中央に寄つて、多少なりとも減速に移つていたことは明らかであり、かような状況に徴すれば、同車がたとえ右折の合図をしなかつたとしても、右折する蓋然性が全然なかつたとは言い切れず、追い越しをしてはならなかつたことは言うまでもない。したがつて、右と異なる判断のもとに、被告人の過失を否定した原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認があり、破棄を免れない。論旨は理由がある。

そこで刑訴法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書に則りさらに次のとおり自判する。

(罪となるべき事実)

被告人は、自動車運転の業務に従事するものであるが、昭和五四年一〇月三一日午後一時一〇分ころ、普通乗用自動車を運転し福岡県田川郡大任町大字今任原二三番地先の交通整理の行われていない交差点を、赤村方面から柿原方面に向け進行するに際し、先行の串尾国洋(当時三六年)運転の普通乗用自動車をその右側方から追い越そうとしたが、同所はT字路交差点で、同車が道路中央に寄り進行しており、右折しないとも限らないので、このような場所での追い越しを厳に差し控えるべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、時速約四〇キロメートルの速度で、漫然道路右側にはみ出て同交差点内で追い越そうとした過失により、折柄右折しはじめた同車右後輪部に自車左前部を衝突させ、よつて右串尾に加療約一〇日間を要する右肩右腰挫傷の傷害を、同車に同乗していた米丸年一(当時三二年)に加療約一週間を要する右側腰部下腿部挫傷の傷害を、自車に同乗させていた二場好美(当時一九年)に加療約四日間を要する頭部打撲、右下腿打撲等の傷害を各負わせたものである。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)

被告人の判示各所為は、それぞれ刑法二一一条前段、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するが、右は一個の行為で三個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条により一罪として犯情の最も重い串尾国洋に対する罪の刑で処断することとし、所定刑中罰金刑を選択し、その所定金額の範囲内で被告人を罰金三万円に処することとし、右罰金を完納することができないときは、同法一八条により金二、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置し、刑訴法一八一条一項但書を適用して、当審における訴訟費用は被告人に負担させないこととして、主文のとおり判決する。

(裁判官 安仁屋賢精 斎藤精一 桑原昭熙)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例