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福岡高等裁判所 昭和55年(う)387号 判決 1984年9月04日

本籍《省略》

住居《省略》

無職 荒木虎美

昭和二年三月九日生

右の者に対する殺人、恐喝未遂、恐喝被告事件について、昭和五五年三月二八日大分地方裁判所が言い渡した判決に対し被告人並びに原審弁護人山本草平、同徳田靖之及び同小林達也からそれぞれ適法な控訴の申立てがあったので、当裁判所は、検察官吉川壽純出席のうえ審理し、次のとおり判決する。

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人田中義信、同小野山裕治、同有馬毅が連名で差し出した控訴趣意書及び控訴趣意補充書、並びに被告人が差し出した控訴趣意書及び控訴趣意書補足説明書と題する書面に記載されたとおりであり、これに対する答弁は検察官が差し出した答弁書に記載されたとおりであるから、これらを引用し、これに対し次のとおり判断する。

弁護人らの控訴趣意並びに被告人の控訴趣意中原判示第一の殺人の事実に関する事実誤認(弁護人ら及び被告人の、事実誤認の主張の一部に付帯する訴訟手続の法令違反、理由不備ないし理由のくいちがいの主張を含む)の各論旨について

各所論はいずれも要するに、原判決は、被告人が、かねて交通事故を装って被保険者を殺害し巨額の保険金を騙取しようと企て、殺害対象にする者を物色し、昭和四九年一一月一七日午後一〇時過ぎ頃、かねての殺害計画を実行すべく、原判示ニッサンサニー普通乗用自動車助手席に荒木玉子(以下「玉子」という。)を、後部座席に荒木祐子(以下「祐子」という。)及び荒木涼子(以下「涼子」という。)を乗車させたまま同車を運転して別府国際観光港(以下「観光港」という。)第三埠頭(以下「第三埠頭」という。)の原判示岸壁から海中に突入させて、玉子、祐子及び涼子を同車もろとも海底に転落させ、よって直ちに右三名を溺死させて殺害したと認定するが、右は誤認である。同車は玉子がこれを運転し、被告人は同車の助手席に乗車していたものであって、同車の海中転落は事故にすぎない。原判決は証拠の評価又は取捨選択を誤り、事実を誤認したものであり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、破棄されるべきである、というのである。

しかし、原判決の挙示する関係証拠によれば、原判示第一の罪となるべき事実はこれを認めるに十分である。

そして、右証拠に荒木國光の司法警察員に対する供述調書、証人江守一郎、同堀内数及び同五十嵐毅の当審公判廷における各供述、証人江守一郎に対する当裁判所の尋問調書五通、当審鑑定人江守一郎、同堀内数がそれぞれ作成した各鑑定書、旭硝子株式会社加工硝子部技術課主任技師五十嵐毅作成の鑑定書、当裁判所の検証調書五通、検察事務官作成の昭和五八年一〇月二七日付捜査報告書、司法警察員作成の昭和四九年一二月二九日付実況見分調書、荒木國光作成の任意提出書、司法警察員作成の昭和四九年一二月二一日付領置調書、押収してあるハンマー一本(当庁昭和五五年押第二六号の3)、ニッサンサニー四三年型普通乗用自動車一台(同号の7)及び灰皿一個(同号の38)を加えて検討すれば、

(運転者の確定に関する事実について)

1  原判決二四頁一〇行目から五一頁六行目まで、五五頁一行目から六二頁九行目一六字まで、六三頁二行目から一一六頁一一行目まで(但し、一〇七二頁の別紙F図の(側面図)左端の数字「28」を削除し、一〇六頁六行目に「検三号」とあるのを「検三三号」と改め、一一六頁五、六行目に「右(外側)斜め上から左(内側方向)斜め下に向け約四五度の傾きを持って」とあるのを「左(内側)斜め上から右(外側方向)斜め下に向け」と改める。)、一一九頁三、四行目(但し、同四行目の「斜走せる」の前に「左上がりに」を加える。)、一二一頁八行目から同頁一一行目まで(但し、同八行目の「(膝蓋骨」から同一〇行目の「相当する部分)」までを削除する。)、一二三頁六行目から一四四頁九行目一二字まで(但し、一四四頁六行目一六字から同九行目一〇字までを削除する。)、一四四頁一二行目から一四七頁九行目まで、一四九頁七行目から一五二頁八行目まで(但し、一五二頁五行目の「、割れた」から同八行目の「が十分考えられるところであ」までを削除する。)、一五三頁八行目から一五九頁一行目まで、一六〇頁四行目から一六一頁七行目まで、一六三頁一行目から同四行目まで、一六七頁六行目から一七四頁二行目までの事実、

2  原判決一〇三一頁一二行目から一〇四二頁五行目までの事実、

3  本件車両が、本件岸壁を離岸した当時、祐子は同車運転席後部に、涼子は同車助手席後部に乗車していたこと、

4  本件車両の海面着水時の衝撃は、同車が剛体壁に時速約一五キロメートルで衝突した程度のものであるから、同車が路上において制動を施し、あるいは曲進した場合の同車の加速度に比し桁違いに大きいが、同車のフロントガラスは右着水時の衝撃では割れないこと(当審鑑定人江守一郎が現地において三号車による実車実験をしたときに着水時にフロントガラスが割れたのは、同車助手席に乗せた被告人とほぼ同体格のダミーが着水の衝撃により前傾し、その頭部が右ガラスにあたってこれを破壊したためであり、また、警察庁科学警察研究所主催の自動車の海中転落実験の際、実験車三台ともフロントガラスが割れたのは後記9の理由に基づくものにすぎない。なお、右のフロントガラスの硬度ないし強度は、製造後約五、六年を経過した頃約五ないし六パーセント減弱し、約一〇年を経過した頃約一〇パーセント減弱するにすぎず、それ以降は殆ど変化しない。)、

5(一)  本件車両の損傷の部位及びその程度は前叙(原判決五九頁六行目から一〇八頁一二行目まで)のとおりであるが、とりわけ、車両左前部が右前部よりも大きく損傷し、フードの前端に近い部分は横一文字に曲損し、ラジエーターが後方に移動し、エンジン冷却用のファンと接触しているが、ラジエーターそのものはそれほど大きな損傷を被っていないこと、

(二)  本件車両の離岸時の飛翔速度は時速約三五キロメートルであったこと、

(三)  本件車両のガラス破片の散乱地点は別紙図面中「ガラス破片の散乱」と表示した地点であり、その散乱の中心は岸壁から約六・九メートルであるが、ガラス破片の散乱位置は本件車両が走行してきたコースの延長線からかなり左に外れており、ガラス破片散乱地点の中心と同車両が離岸した地点(別紙図面点を一応の離岸地点として示す。但し、同地点は右点より若干東方のピット寄りであった可能性がある。以下同じ。)とを結んで逆延長すると、休息所南端付近に向かうから、本件車両が離岸地点からガラス破片の散乱地点に飛翔するような走行をしたのであれば、一旦車両を停止し、向きを変えて飛翔しなければならなくなるし、また、北方から南方に向かう道路を南進してガラス破片の散乱地点に向かうことはピットが障害になってできないこと、

(四)  車両が本件におけるように岸壁に対して斜めに交差している道路を走行した後、岸壁から直角に転落するためには、約二五度その進行方向を左に変えなくてはならず、そのためには少なくとも岸壁の八メートル以上手前から急ハンドルを左に切って約一・八メートル横移動をしなければならないが、本件車両はそのような走行方法をとらず、前記別紙図面の点から離岸したこと、

(五)  車両が岸壁に対し右斜めに落下すると、わずかではあるが左車輪の方が右車輪よりも早く路面からの支持を失う(先ず、左前車輪が右前車輪より先に接地を失い、次いで、左後車輪が右後車輪より先に接地を失う。)ため、右車輪が路面から離れるまでは、車両を左回転させるモーメントが働き、車両は着水時に前部を下にし、わずかに左に傾いた形で水面に突入すること、

(六)  本件車両は原判決添付第二図の乙(3)道路(以下「原判示乙(3)道路」という。)に沿って南進し、岸壁に対し約六五度の角度をもって右斜めに飛翔したため、着水時には左にわずかにローリングし、左前端が先ず抵抗を受けて前部を左に振り、しかも着水時の衝撃ではフロントガラスは割れず、着水後暫くの間水面に浮かんでいたので、その間着水点から(着水前の運動方向の延長線よりも)かなり左前方に移動したこと、

6(一)(1) 運転席及び助手席シートの止め金はレールから外れ、いずれのシートも単に手で押すだけで前傾する状態となっていること、

(2) 助手席シートの前傾フック状止め金に噛み合うレールの部分が引きちぎられ、上方に持ち上がっているのに反し、運転席側の前傾止め金とこれが噛み合うレールの部分には、破壊状態は見られないので、助手席シートは前傾止め金が入った状態で前方に強い力で押され、その部分が破壊されたものであること、

(二) 前部座席の前傾止め金は約八〇キログラムの力が加わらなければ破壊されないものであって、一般に人が車両を運転し、ロック制動をかけても、車両の最大減速度は〇・六五gを超えないから、右急制動のため後部座席乗員が前に飛び出し背もたれに当たったとしても、四〇キログラム程度の力しか背もたれにはかからず、止め機構が破損することはないこと(他面から言えば、急制動をかけただけで前席背もたれが外れたのでは危険この上ないから、車両メーカーもその程度の衝撃に耐えうるような設計をしていることはむしろ当然であること)、

7(一)  本件車両の飛翔(離陸)開始後着水するまでの時間tは、落下高さをyとした場合に、であるから、この関係にy(埠頭道路表面から海水面までの高さ)=1.7m,g=9.8m/sec2を代入すると、着水までの時間は約〇・六秒となること、

(二)  車両が離岸後着水するまで自由落下している約〇・六秒間、乗員は自重を感ぜず、椅子から離れもせず、車両と相対位置を全く変えずに運動すること、

(三)  車両が岸壁に対し右斜めに飛翔すると、車両はわずかに左にロールし、左前部から着水するが、その場合でも、車両が岸壁に対し直角に飛翔した場合でも、車両運動、衝撃加速度の大きさ及び着水後の沈没などには殆ど影響しないので、着水時における乗員の運動はほぼ同じであること、

(四)  車両乗員の車両に対する衝突直後の相対運動の方向は、衝突により車両に加わった衝撃力と逆方向であるが、すべての乗員が車両に対して同じ方向に相対的に運動すること、

(五)  本件車両が着水したときに受ける衝撃による加速度は、車両の水平方向後方に向かって約四g、車両の上方に向かって約三・五gであるから、衝撃を予測し、意識的に身構えない限り、すべての乗員は着水時に車両に対し前方から約四〇度下方に向かって運動するところ、乗員はシートに座っているから、下方に向かう加速度は座席によって妨げられ、乗員はほぼ車両前方に向かって運動し、上半身など下からの支えのない部分は下方に向かった加速度を受けるため、前屈運動を起こしながら前方に運動すること、

(六)  右のように、着水時における車両の最大減速度は約四gであるが、一般に人が車両を運転している場合の車両の加速度、減速度は〇・一五ないし〇・二gであって、これが〇・三gになるとかなり荒っぽい運転であると感じるようになり、また、全車輪をロックして急制動をかけた場合や急カーブを曲がってタイヤが横滑りを起こしているときの最大加速度は乾燥した舗装路面の場合約〇・六五g、湿潤した舗装路面の場合にはこれより低いこと、

従って、本件車両が着水時に受けた最大減速度は桁違いに大きいもので、同車両乗員が負傷した時期は着水時以外にありえず、しかもその加速度は前後と上下方向が主で、左右方向の加速度は殆どないところ、上下方向の加速度は上に向いているため右乗員を着水時にシートに押しつけるにすぎないから、右乗員は前後方向の加速度により相対的に車両に対して前方に飛翔して車両内部に二次衝突するから負傷するものであって、右乗員が当たって負傷をする車両内部の面はすべて車両の後方に向かって露出している面で、左右に向かった面で怪我をすることはありえず、玉子の両膝付近の創傷はいずれも本件車両運転席においては生じえないものであること、

(七)  従って、衝撃を予期して身構えない限り、着水時の衝撃により、運転者はステアリングホイールに胸のみずおち付近を打ちつけ、助手席乗員はダッシュボード又は荷物棚に衝突し、殊に両膝付近が荷物棚に衝突し、後部座席乗員は前席背もたれに衝突すること、

(八)  玉子の胸のみずおち付近には全く負傷が存在しないのに反し、同女の両膝付近には前示のような四個の創傷が存在し、本件車両荷物棚には前示(原判決七一頁八行目以下)のような二箇所の凹みが存在すること、

(九)  車両乗員が車両内部にあたる場合に受ける衝撃力は、車両の着水時における前後方向の減速度が約四gであるから、体重の約四倍の力となるところ、後部座席にいた祐子、涼子の体重はそれぞれ約四五・六キログラムと約四六・二キログラムであるから、前部座席背もたれに同人らがひとりひとり別々に衝突したとすると約一八〇キログラムの力が加わったことになること、

(一〇)  前部座席の前傾止め金は約八〇キログラムの力が加わると破壊されてそれが噛んでいるレールから外れるから、前席乗員が余程身構えて背もたれを支えない限り、着水時における後部座席乗員の前方運動により前席止め金は破壊されるのであって、前席乗員が怪我をしないためには、自分自身の体重の約四倍の衝撃力と、その約〇・三秒後に背もたれに二次衝突する後部座席乗員の体重の約四倍の力とをともに支えなければならないこと、

(一一)  本件車両助手席後部に乗車していた涼子は額に負傷していること、

(一二)  従って、涼子は右助手席背もたれに強く衝突して背もたれ止め金を破壊し、また、助手席乗員は前傾した右背もたれとダッシュボードとの間に挾まれて居住空間がなくなるため、必然的に傷害を受けたものであること、

(一三)  本件車両が着水したときに受ける衝撃は剛体壁に時速約一五キロメートルで衝突した程度のものであるから、同車の運転者が転落を予期して身構え、着水時に両手と両足を同時にハンドルとフロアに密着して突っ張れば、当然耐えられる程度のものであり、同人はこれによって着水時の衝撃による自分自身の慣性も後部座席乗員の飛んでくるショックも支えて、背もたれの前傾を防ぎ、全く負傷しないことが可能であること、

(一四)  被告人は本件により負傷らしい負傷もせずに車外に脱出したこと、

8(一)  本件車両乗員の頭部が同車フロントガラスに衝突して同ガラスを破壊するときの衝撃加速度は一五g程度の大きなものであるから、その場合は同人の頭部前面又は顔面にはかなりの損傷を被るはずであるのに、玉子はそのような負傷をしていないばかりか、およそ顔面の凸部において負傷を受けず、その凹部に小さいガラス破片による表皮のみの創傷を受けているにとどまること、

(二)  身長一四七センチメートルの玉子が本件車両助手席に乗車していれば、同女は着水時の衝撃によりダッシュボードに衝突するが、その頭部はフロントガラスに届かず、これに衝突しないため、同ガラスは割れないこと、

(三)  フロントガラスが割れないと着水時に大量の水が車内に浸入することがないので、車両は着水後一旦水面に起き上がり、暫く水平の姿勢を保つものであって、ボンネットの上に乗員が乗る(その場合は車両前部が急に前傾するから同車のフロントガラスがないとそこから急速に海水が浸入してきて同車は急激に沈没する。)などの操作が加えられない限り、着水後車体全体が水面下に沈むまでに約一分を要するが、本件車両はそれよりずっと早く水没したこと、

9  着水時にフロントガラスが割れるかどうかにより、車両の沈没する速度は大幅に異ること{原判決が一二六頁一〇行目以下において摘示する、警察庁科学警察研究所主催の自動車の海中転落実験結果によれば、実験車三台(一号車ないし三号車)とも前輪の着水から車体の水没までの時間は一五秒前後であるが、これは右一号車及び二号車では、着水後約〇・六秒後に車体が急激に立ち上がった際助手席のシート及びシートバックが急激に前傾し、そのヘッドレストレイントが衝突してフロントガラスが割れたためであり、右三号車では着水後前のめりになった助手席の身長一六六・七センチメートルのダミー頭部が衝突してフロントガラスが割れたためである。また、同実験ではダミー唯一体しか乗せておらず、他の乗員の代りには砂袋を乗せ、しかも砂袋は動かないように座席に固定されていたのであるから、乗員同士がどのように負傷生成に影響を及ぼし合うかを明らかにすることはできない。従って、同実験結果を実際の事故と結びつけるには、極めて注意深い考察を加える必要がある。なお、本件当時、付近の岸壁で魚釣りをしていた石原光夫は同人の検察官に対する供述調書において、「本件車両が海面に突っ込んでから同車が完全に海面下に沈むまでの時間は五、六秒位後であったと思います。」と供述し、右同様魚釣をしていた石原武司(石原光夫の兄)は同人の検察官に対する供述調書において「本件車両の前部が海面に突っ込んでアアと思っているうちに前部の方から沈んで行き後部のテールランプが海面に沈んで見えなくなりぶくぶくと白い泡が立つのが見え(た)」と供述している。しかしながら、当審鑑定人江守一郎作成の鑑定書、証人江守一郎の当審公判廷における供述、江守一郎に対する当裁判所の尋問調書五通、司法警察員作成の昭和四九年一二月三〇日付「自動車の海中転落実験結果報告」と題する書面、警察庁技官柏谷一弥ほか二名作成の鑑定書及び長野国憲の検察官に対する供述調書によると、本件車両が海面に突っ込んでから同車が完全に海面下に沈むまでの時間が五、六秒位であったものとは到底認め難く、車両が転落して海面に浮いていた時間のように瞬間的事象に関する供述は、たとえ車両が転落することを予知していた場合でも極めて不正確であり、まして予期しない出来事が起こった場合には一層不正確なものであることが明らかであるから、石原光夫の右供述中右時間が五、六秒位であったとする部分は採用することができない}、

10  本件車両が離岸してから着水するまでの時間は約〇・六秒、着水して衝撃力が加わる時間は約〇・五秒であるところ、人間には反応遅れがあり、何か事が起こることを予期している場合、例えば一〇〇メートル競走のスタートでピストルが鳴るということを知っている場合でも、ピストルが鳴ってから行動を起こし始めるまでに約〇・二秒かかり、予期していない場合には何が起こったかを発見するまでに約二秒かかるから、転落を予め知っていない限り、乗員はみな着水前に身構えることは不可能であること、

11  本件当時、本件車両内にハンマー一本(当庁昭和五五年押第二六号の3。以下「本件ハンマー」という。)が存在していたこと、

12  本件後、本件車両を海中から引きあげた際、フロントガラスは完全に破壊されており、しかも、これは内部からの打撃によって破壊されたものであり、また、同車両内にダッシュボード上の灰皿(当庁昭和五五年押第二六号の38)は存在せず、右灰皿はその後本件現場付近の海底から発見されたこと、

13  本件車両のダッシュボードの灰皿枠(運転席から車両の前方に向かって)手前部分には数個の傷痕が存在し、また、フロントガラスのモウルディング(右ガラスを外側から止めている枠)は中央部においてつなぎ目から分離して、(運転席から車両の前方に向かって)右側はその先端が前方へ折れ曲がっており、その折れ曲がる直近の裏側にあるゴム部分には強い打撃痕跡が残り、モウルディング中央の止め金具(クリップ)もはずれてしまっていること、

14  本件車両着水時の前記衝撃により同車ダッシュボードは中央付近においてV字型(逆三角形、すなわち、三角形の頂点が下方にできる形態。)に陥没したように変形したので、左右に灰皿を固定していたばね力が変形し、灰皿は衝撃を受けて上方に押し上げられダッシュボードから逸脱したこと、{当審鑑定人江守一郎作成の鑑定書と証人江守一郎に対する当裁判所の尋問調書(昭和五八年五月一七日施行の分)中の右認定に反する部分は、当審鑑定人堀内数作成の鑑定書と証人堀内数の当審公判廷における供述(速記録によるもの)と対比して信用できない。}、

15  右13のダッシュボードの傷痕は、灰皿逸脱後まもなく同車乗員の誰かが運転席から本件ハンマーを右手に持ち、左肩上方から右肩の前方に向け、同車フロントガラスの中央よりやや運転席前の部分を打撃して破壊すべく二、三回打撃を加えたが、同ガラスは割れず、右ハンマーが同ガラス面より反発され、同ハンマーの先端部(釘抜き部)や中央部がダッシュボードの灰皿枠手前部分に二、三回激突して同部分にきずをつけた{当審証人江守一郎作成の鑑定書と証人江守一郎に対する当裁判所の尋問調書(昭和五八年五月一七日施行の分)中の右認定に反する部分は、当審鑑定人堀内数作成の鑑定書と証人堀内数の当審公判廷における供述(速記録によるもの)と対比して信用できない。}ものであり、モウルディング中央の止め金具がはずれたのは、その後同人が右ハンマーによって右同様の方法でフロントガラスに二、三回打撃を加えてこれを割り、更に同人によって右ハンマーが上方から振りおろされた際同ハンマー底部がフロントガラスのモウルディング中央部のすぐ(運転席から車両の前方に向かって)右側部分を打撃した(ハンマーが振りおろされるときにハンマーが移動する面とモウルディングの表面とが交差する角度が九〇度に近いときはハンマー底部によるモウルディング上の打撃痕跡は同底部の円周に近い形状になるが、右角度が小さいときはハンマー底部によるモウルディング上の打撃痕跡は直線に近い形状になる。)ためであること、

を認めることができる。

右事実を総合すると、無傷であった被告人が本件車両助手席に乗車していたことはありえず、同席には玉子が乗車していたこと、本件車両を運転していたものは被告人であり、しかも、被告人は運転を誤って転落したものではなく、予定のコースを走行し、予期したうえ同車を海中に突入させ、同車の着水時に両手と両足を同時にハンドルとフロアに密着させ突っ張って着水時の衝撃による自分自身の慣性と後部座席の祐子が飛んできたショックとを支え、その後同車フロントガラスをハンマーで割ったうえ、右フロントガラスのあった場所から車外に脱出したものであることが明らかである。

なお、前記の科学警察研究所主催の自動車の海中転落実験結果によれば、同実験に供した実験車両三台の灰皿はいずれも右転落実験によってダッシュボードから逸脱しなかったことが認められるけれども、関係証拠によれば、右実験車両は三台とも岸壁面に対して垂直に離岸したものであるのに対し、本件車両は岸壁面に対し約六五度の角度をもって右斜に離岸し、左車輪の方が先に接地を失ったため、車両が少し左に回転して車両の左前端から先に着水し、車体にねじりが加わったものであって、両者は灰皿の逸脱条件を異にするから、前者の実験結果によって、前記14の認定を左右することはできない。

(被告人の走行状況について)

原判決が一〇四三頁から一〇六一頁までに摘示するとおり

1  本件当時、第三埠頭先の海面は、広告塔のネオンサインや、第二埠頭の東南方に停泊中の船舶の灯が反射して光っていたため、本件車両の前照灯の照射と相いまって、最後のカーブを曲がった地点から、僅かではあるが、既に光っている海面の一部が見え、岸壁に近づくにつれて視野に入る海面の範囲が拡がり、岸壁先端まで約三〇メートルの地点に至れば、海面は大きく視野に飛び込んでくる状況にあったこと、

2  本件当時、本件車両の運転者は、右の最後のカーブを曲がった地点から既に原判決添付図面第三図に駐車していた石原武司の自動車のテールランプが本件車両の前照灯を浴びて赤く反射しているのを視認することができ、更に、岸壁に近づくにつれて前照灯に照らし出される右第三図Pにあるピットや、同図、にいた石原兄弟の姿をも視認することができ、また、同時に対岸にある右照明等が反射して光っている海面や全船室照明中の船舶が次第に大きくなって視野に飛び込んでくるので、岸壁路面と海面との識別は極めて容易であったこと、

3  本件現場付近の地形に照らし、国道一〇号線から進入してきた本件車両の運転者が第三埠頭の本件現場へ出る方向を錯覚するおそれはなく、被告人は本件直前に少なくとも三回は本件現場の第三埠頭を自動車で走行していたから、現場の地理には通じていたこと、

4  本件車両が国道一〇号線から第三埠頭の離岸地点まで走行した距離は僅か約三〇〇メートルに過ぎないが、本件車両の運転者はこの短い距離と短い時間の間に四回もハンドルを大きく切って運転しているわけであるから、その間十分に注意力を働かせて運転していたこと、

5  本件車両は原判示乙(3)道路に沿って南進し、前記第三図の基点P点のピットと同図A点の石原光夫が釣をしていた地点との間の約七・七〇メートルの区間中央付近から離岸したこと、

を認めることができる。

右事実と前示「(運転者の確定に関する事実について)」の項で摘示した事実とを総合すると、被告人は前記ピットなどに接触するのを避けるべく、同ピットと前記石原光夫との間の丁度真中辺りを目指して本件車両のハンドルを操作し南進(直進)してきたものであることが明らかである。

(被告人の結婚及び養子縁組状況について)

原判決が七〇九頁四行目から八〇六頁九行目までに摘示するとおり、

1  被告人は、昭和四八年六月以降自治委員等五人に子供は大変好きだから母子家庭の人と結婚したいなどと申し向け、母子家庭の紹介を依頼してこれを物色し、同年七月中旬頃玉子(昭和八年七月一四日生)母子の紹介を受け、同年八月ころから玉子母子に接近し、自己の近親に玉子を紹介したり、玉子との結婚を知らせたりすることなく、また、結婚式を挙げたり、披露宴をしたり、家族内で内祝をしたりすることもなく、昭和四九年八月一日、玉子を伴って別府市役所亀川出張所に赴き、被告人の妹N子及びその夫Nに無断で同夫婦を保証人とし、山口姓であった被告人が玉子の姓の荒木姓を名乗る形の婚姻届を提出して同女と結婚するとともに、それと同時に同女の子である荒木太郎(昭和三五年一月二三日生。以下「太郎」という。)、祐子(昭和三七年一月二三日生)及び涼子(昭和三九年一月六日生)との養子縁組届も提出して太郎ら三名を自己の養子とし、その後も原判示山本勝己方借家に住んでいた玉子らとは別居し、それまでどおり一人で原判示乙ビルに住み、玉子や太郎らと一緒に食事をとることや家族団欒のひとときを過ごすことさえもなく、夫婦関係を持つ際も、従来と同様夜間電話で玉子を右乙ビルに呼び出すという状態であり、同年一〇月一三日頃宮崎に、同年一一月三日日田に、同月一〇日四国にドライブに行ったりしたほかは、日頃から父親として子供達の中に溶け込もうとするような態度もとらず、例えば、同年一〇月六日涼子の通っていた上人小学校で運動会があったときでも、玉子母子の席には寄りつかないで、原判示のような関係のI子と連れ立って被告人の妹であるN子家族の席で一緒に見物し昼食を取るという有様であったこと、

2  被告人は、玉子と結婚した後においても、

(一)  昭和四八年夏過から肉体関係を持っていたY子(昭和三年三月二八日生)の経営する「Yの家」食堂に食事に行くことも多く、同四九年九月二九日頃には関門大橋に、同年一〇月末か一一月初め頃には日田の九酔渓に、同女をドライブに連れて行くなど本件発生当時まで同女とは親しく交際を続け、その間被告人は同女と関門大橋にドライブに行った数日後頃の夜原判示乙(3)道路から本件現場のフェリー岸壁に向けて走行し、その先端直前で急に右ハンドルを切って急停車するという極めて危険な運転をし、本件の発生する四、五日前の昼頃、同女が欲しがっていた時価約一万八〇〇〇円のブルーインコ一羽を入れた籠を持って同女方を訪れ、同女に対し、「交通事故でもあったときは、形見としてあげるよ。」と言ってこれを預け、

(二)  昭和四八年九月頃から肉体関係を持っていた人妻Q子(昭和四年六月一三日生)との関係を続け、同女が子供を夫の許に帰した昭和四九年八月上旬頃からは同女よりその住居の原判示□□ビルの鍵を受け取り、以前にもまして頻繁に同女の部屋に出入りし、泊って行くこともあり、同年一〇月七日頃同女から同女名義の家屋の権利証、同女の印鑑、預金通帳等を預かった際、これらを茶色の大型封筒に納めながら、「この封筒は自分の車のトランクに入れて置く。袋の外にQ子と名前と住所も書いて置き、妹と姪によく分るように言って置くので、自分に万一のことが起きたらもらいなさい。」と言ったので、Q子が不審に思い、「万一のこととは。」と聞き返したところ、「交通事故なんかよくあるじゃないか。」と答え、

(三)  昭和四九年四月以来旧交をあたためていた、指宿電報電話局交換手のI子(昭和一一年一月一一日生)方を昭和四九年八月四日にも訪れて一泊し、翌五日同女と車で長崎鼻に行き、同所で落ち合った被告人の妹N夫婦やその子供達にI子を紹介したうえ、同日の夕方指宿市のホテル「白水館」のプールサイドで同女に対し、「これを記念に取って置いてくれ。結婚するときはもっと立派な指輪をあげるから、受け取っといてくれ。」と言って同女と被告人の各頭文字が刻まれた金の指輪及びプラチナの指輪各一個(当庁昭和五五年押第二六号の三七)を同女に贈り、同月一一日同市の喫茶兼お好み焼屋「やまびこ」で、同女やその同僚の野間直美、中村まり子、佐々木知子、水迫節子らを馳走した際、野間直美らに対し、「I子さんに結婚を申し込んでいるが、まだうんと言ってくれない。」、「結婚しても、I子さんが仕事をしたければ、今の仕事を続けてもいいし、辞めてもいい。」などと、I子と結婚したいという被告人の気持を熱心に語り、同月二四日頃被告人方を訪れた同女から、先に贈った前記指輪二個の代りに男物腕時計を贈られ、同年一〇月六日には別府市を訪れた同女と一緒に、N夫婦の子供及び涼子の通っている上人小学校の運動会を同夫婦のところで見物したりし同月一六日指宿電報電話局に赴いた際I子から同女の上司愛甲進局長に対し自己を同女の結婚相手として紹介され、同月二九日車で別府市に来た同女とともに耶馬溪、羅漢寺、青の洞門などをドライブし、同年一一月一日同女及びその同僚吉満フミ子とともに鐘乳洞を見物したりしながら佐伯市に出、そこで同女と別れてI子とともに別府市に戻り、翌二日車で同女を指宿に送るなどし、その間同女に対し玉子と結婚していることを隠し続けたこと

を認めることができる。

(保険の加入状況について)

原判決が八〇九頁一〇行目から九六一頁六行目までに摘示するとおり、

1  被告人は、玉子との婚姻届及び太郎らとの養子縁組届提出前、

(一)  被告人が母子家庭の物色を始めた頃である、昭和四八年六月一三日頃、同和火災海上保険株式会社代理店脇清治方を訪れ、同人に対し、基本契約が一〇〇万円の対物賠償、付帯契約が一名につき五〇〇万円、一事故につき二五〇〇万円の最高額の搭乗者傷害の自動車保険一口の加入を申し込み、月掛保険料二二二〇円を支払ったり、

(二)  被告人が母子家庭の物色を始めてまもない同年七月頃、東京生命保険相互会社大分支社別府支部に赴いて、同支部長浜田信也に対し、大型保障の保険について教えて欲しいと依頼し、同人から災害死亡時に満期時の二〇倍の保険金の受け取れる同社では最高倍率のグランド保障保険について説明を受けたうえ、小学生二名の子供を各一〇〇〇万円から一五〇〇万円の保険に入れたいと申し出たりしたこと、

2  被告人は、玉子との婚姻届及び太郎らとの養子縁組届提出後まもない、

(一)  昭和四九年九月二日住友生命保険相互会社大分支社別府支部を訪れ、同支部長佐藤豊彦に対し、

(1) 被保険者祐子、満期までの期間二〇年、満期時の保険金三〇〇万円、普通死亡時の保険金一五〇〇万円、災害死亡時の保険金三〇〇〇万円、保険料月額一万八五七〇円、受取人B子、太郎、涼子、

(2) 被保険者太郎、満期までの期間三〇年、満期時の保険金三〇〇万円、普通死亡時の保険金一五〇〇万円、災害死亡時の保険金三〇〇〇万円、保険料月額一万四五八〇円、受取人B子、祐子、涼子、

(3) 被保険者涼子、満期までの期間二〇年、満期時の保険金三〇〇万円、普通死亡時の保険金一五〇〇万円、災害死亡時の保険金三〇〇〇万円、保険料月額一万八三九〇円、受取人B子、太郎、祐子

とする三口の災害倍額保障定期付養老保険の加入を申し込み、その月額保険料合計五万一五四〇円を支払った後、右会社の承諾により右各保険契約の成立をみ、同年一一月五日同支部に赴いて右(1)及び(2)の同年一〇月分の右各保険料を支払い、右(3)の契約については同社の事務処理が遅れたので、同社において契約成立日を同年一〇月一日と改め、加入申込時に受領済の同年九月分の保険料を同年一〇月分に充当したが、その間保険証書の送付が遅れたため、同年一〇月二八日頃同支部に出向いて、「まだ涼子の証書が届かないが、これはどうしたことか。証券がなければ、お客は保険を掛けていても何も証明するものがないではないか。」などと文句を述べ、

(二)  同年八月頃千代田生命保険相互会社別府中央支部に電話をかけ、同支部事務員高橋京子から、同社では災害死亡時に満期時の二一倍の保険金が受け取れる保険が最高倍率のものであることなどの説明を受けるや、同女に対し「最高一億五〇〇〇万まで加入できるか。」と尋ね、

(三)  同年九月九日朝日生命保険相互会社別府営業所に赴き、同営業所長園田スミ子に対し、被保険者太郎、満期までの期間二五年、満期時の保険金三〇〇万円、普通死亡時の保険金一五〇〇万円、災害死亡時の保険金三〇〇〇万円、保険料月額一万四七〇〇円、受取人B子(三分の一)、祐子(三分の一)、涼子(三分の一)とする「エース八〇保険(傷害、入院給付金付)」一口の加入を申し込み、保険料一万四七〇〇円を支払ったが、右本社において、被告人が被保険者にならず子供が被保険者になっていることなどの不審点があるとして審査を重ね、保険証書の送付も遅れていたところ、同年一〇月中旬頃、右営業所を訪れ、右園田に対し、「こんなに証券が遅れるようであれば、万一死亡した場合には保険金の支払も直ぐしてくれないだろう。だから、契約を取り消すので、一回目に払った金を返してくれ。」と申し入れ、その後右申入れを承諾した同社から同年一一月五日同営業所において右保険料の返還を受け、

(四)  同年九月一〇日協栄生命保険株式会社大分支社別府支部に赴き、同支部長徳広信男に対し、

(1) 被保険者涼子、満期までの期間三〇年、満期時の保険金三〇〇万円、普通死亡時の保険金一五〇〇万円、災害死亡時の保険金三〇〇〇万円、保険料月額一万五〇〇円、受取人B子(五割)、祐子(五割)

(2) 被保険者祐子、満期までの期間三〇年、満期時の保険金三〇〇万円、普通死亡時の保険金一五〇〇万円、災害死亡時の保険金三〇〇〇万円、保険料月額一万五〇〇円、受取人B子(五割)、涼子(五割)とする二口の災害割増特約付特別養老保険の加入を申し込み、月額保険料合計二万一〇〇〇円を支払った後、右会社の承諾により右各保険契約の成立をみ、同年一〇月二三日右支部に赴いて同月分の右各保険料を支払い、

(五)  同年九月一三日大同生命保険相互会社大分支社鶴見支部を訪れ、同支部長吉武スミエらに対し、

(1) 契約者玉子、被保険者玉子、満期までの期間一〇年、満期時の保険金なし(掛捨て)、普通死亡時の保険金二〇〇〇万円、災害死亡時の保険金四〇〇〇万円、保険料月額一万七二六〇円、受取人B子、涼子、

(2) 契約者B子、被保険者涼子、満期までの期間一〇年、満期時の保険金なし(掛捨て)、普通死亡時の保険金一〇〇〇万円、災害死亡時の保険金二〇〇〇万円、保険料月額六二四八円、受取人B子、祐子、

(3) 契約者B子、被保険者祐子、満期までの期間一〇年、満期時の保険金なし(掛捨て)、普通死亡時の保険金一〇〇〇万円、災害死亡時の保険金二〇〇〇万円、保険料月額六二四八円、受取人B子、涼子

とする三口の典型的な保障型保険である定期保険の加入を申し込み、「各受取人の受取割合は入れなくてもよい。もし三人(玉子、祐子及び涼子)が一緒に死ねば、自動的にB子が受け取ることになるじゃないか。」と申し向けたり、「もしこの三人(被保険者)が死んだ場合、この判でそれぞれの保険金が取れるかね。」と尋ねたりした後、右会社の承諾により右各保険契約の成立をみ、同年一〇月二二日右支部に赴いて同月分の各保険料を支払い、

(六)  同年九月上旬頃、同和火災海上保険株式会社代理店脇清治方に再び赴いて、同人に対し、被保険者を祐子、涼子及びB子に、保険金額を各一〇〇〇万円に、受取人を祐子が被保険者の場合涼子及びB子に、涼子が被保険者の場合祐子及びB子に、B子が被保険者の場合祐子及び涼子にした三口の交通事故傷害保険の加入を申し込むつもりで、被保険者等を記載したメモを右脇に手渡したが、約一年前に一旦締結した自動車保険の保険料を支払わず被告人の方から途中で右契約を解消しておきながら、再度積極的に保険に加入しようとしている被告人の態度に不審を抱いた右脇から、被告人の右保険加入の申込を断るつもりで、「私どもの会社は調査が厳しく、引き受けるかどうか福岡の支店と禀議する。」旨申し向けられたため、「ああそうですか。」と言い残して帰り、

(七)  同年九月頃、再び東京生命保険相互会社大分支社別府支部に赴いて、同支部長浜田信也に対し、「子供二人に各三〇〇〇万円位の保険を掛けたい。」、「他社では子供も高倍率の保険に入れるのに、何故東京生命では入れないのか。」と申し向けるなどしたうえ退去し、その約三〇分後に右浜田に電話をかけ、「第一生命では子供でも高倍率型の保険に入れるのに、どうして東京生命では入れないのか。」と尋ねるなどし、

(八)  同年九月頃から何回となく大東京火災海上保険株式会社代理店小路勇方に電話し、同人から自動車保険全般について説明を受け、同年一〇月初め頃同人に対し電話で、「一億五〇〇〇万円の搭乗者傷害保険に加入したい。」、「一億五〇〇〇万円の搭乗者傷害保険に加入させてくれるなら、一〇〇〇万円の交通事故傷害保険に入ってよい。」などと申し向け、同日右小路方を訪問する時間を打ち合わせたうえ同人方に赴いたが、被告人を警戒していた右小路がわざと外出し家を留守にしていたため、「あれほど待っておれと言っていたのに。」と憤慨して帰り、その後同年一一月初め頃までの間、三、四回電話で右小路に対し、「一億五〇〇〇万円の搭乗者傷害保険に入りたい。」、「一社保険に入ったが、それでは額が少ないのでまだ入りたい。」などと申し向けたが、右小路から取り合ってもらえず、

(九)  同年一〇月二日第一生命保険相互会社大分支社別府支部に赴いて同支部長広石数夫らに対し、「家内はこれまで保険には一つも入っていない。」と嘘を言って、契約者B子、被保険者玉子、満期までの期間六〇歳まで(一九年)、満期時の保険金二〇〇万円、普通死亡時の保険金三〇〇〇万円、災害死亡時の保険金六〇〇〇万円、保険料月額三万一二二〇円、受取人B子(五割)、涼子(五割)とする特別終生安泰保険一口の加入を申し込み、月掛保険料三万一二二〇円を支払った後、右会社の承諾により右保険契約の成立をみたが、同月一八日頃、右支部に赴いて右広石に対し、「家族全員が死亡した場合、例えば家族全員が乗った飛行機が墜落したような場合、受取人がいなくなる。」として「現在の受取人に代る第二受取人を証書に裏書してくれ。」などと申し向け、同月三一日右支部において翌月二五日が払込期日となっている第二回目の保険料を「あるときに差し上げておく。」と言って払い込み、

(一〇)  同年九月中旬頃から明治生命保険相互会社大分支社別府営業所に電話又は来訪して、保険金の最高額や保険料などを問い合わせ、同月二〇日頃、直接同営業所に赴いて、同営業所長井隼義郎に対し、契約者玉子、被保険者玉子、満期までの期間五五歳まで払込、八〇歳満期、満期時の保険金三〇〇万円、普通死亡時の保険金三〇〇〇万円、災害死亡時の保険金六〇〇〇万円、保険料月額三万一二〇〇円、受取人B子、祐子、涼子(共同受取)とする「ダイヤモンド保険ゴールド」一口に加入したい旨申し入れたが、右井隼において、被告人がいわゆる飛び込みの客で被保険者を連れてきていないうえ、被告人の説明によると被保険者が月収約六万円しかないというのに、保険料月額三万一二〇〇円もの保険に加入したいとしていることなどの不審を抱いたため、右申込を受け付けず、

(一一)  同年一〇月一日、三井生命保険相互会社大分支社別府支部に赴いて、同支部長衛藤文洋に依頼し、災害死亡時に満期時の三〇倍の保険金を受け取れる同社では最高倍率の大型保障保険である「大樹三〇」保険の説明を受けるや、「私は沢山加入しているから必要はない。」旨嘘を言って、契約者B子、被保険者玉子、満期時の保険金二〇〇万円、普通死亡時の保険金三〇〇〇万円、災害死亡時の保険金六〇〇〇万円、保険料月額三万三六〇〇円とする「大樹三〇」保険一口に加入したい旨申し入れたが、右衛藤において、被告人がいわゆる飛び込みの客であるうえ、家庭の主婦を被保険者とする保険としては高額過ぎることなどに不審を抱き、右加入申込を受け付けたくないと考え、「今ちょっと忙しいので、改めて私共の方から伺います。」と告げ、

(一二)  同年一〇月一二日、安田火災海上保険株式会社別府営業所に赴いて、同営業所営業係馬場明に対し、

(1) 契約者玉子、被保険自動車本件車両、主契約対物賠償一〇〇万円、付帯契約搭乗者傷害一名につき五〇〇万円、一事故につき二五〇〇万円、保険期間一年間、保険料年額三万三七二〇円(二八一〇円ずつ一二回払)、

(2) 契約者B子、被保険者涼子、保険期間一年間保険金額一〇〇〇万円、保険料年額八〇〇〇円、受取人B子、

(3) 契約者B子、被保険者祐子、保険期間一年間、保険金額一〇〇〇万円、保険料年額八〇〇〇円、受取人B子、

とする自動車保険一口及び交通事故傷害保険二口の加入を申し込み、保険料合計二万一六二〇円(自動車保険の分は二か月分)を支払った後、右会社の承諾により右各保険契約の成立をみたが、右加入申込の際、交通事故傷害保険に入院給付特約を付けない理由について、「わざと交通事故を起こして入院し、保険金を騙し取るような悪い奴だと思われては困る。」旨申し向け、

(一三)  同年一一月五日、千代田火災海上保険株式会社代理店内田健生方に赴いて、同人に対し、

(1) 被保険自動車本件車両、主契約対人一〇〇〇万円、付帯契約搭乗者一名につき五〇〇万円、一事故につき二五〇〇万円、保険期間一年、保険料年額二万九八二〇円(四九七〇円ずつ六回払)、

(2) 被保険者被告人、保険期間一年、保険金額一〇〇〇万円、保険料年額八〇〇〇円、受取人B子

とする自動車保険一口及び交通事故傷害保険一口の加入を申し込み、保険料合計一万二九七〇円を支払った後、同社の承諾により右各保険契約の成立をみたこと、

3  被告人は、当時継続的な定収入は全くなく、殊に昭和四九年九月以降においては収入自体も殆どなくなったのはもとより、右各保険契約締結当時将来確実に又は蓋然的に見込まれる収入もなく、本件により逮捕された昭和四九年一二月一一日当時には約二七万円の銀行預金と所持金三万六四六三円程度を有したにすぎなかったこと、

を認めることができる。

右事実によれば、

(1)  玉子、祐子及び涼子の三人が本件車両に同乗中交通災害により同時に死亡した場合の保険金総額は、実に三億一〇〇〇万円(玉子分一億一〇〇〇万円、祐子分一億円、涼子分一億円)という膨大な額に達し、受取分の内訳は、被告人の姪で養女であるB子を受取人とする保険金受取分一億四〇〇〇万円、祐子及び涼子の相続人としての被告人の保険金受取分一億四〇〇〇万円、搭乗者保険に関する玉子の相続人としての被告人の受取分三三三万三三三四円、太郎を受取人とする保険金受取分二〇〇〇万円、搭乗者保険に関する玉子の相続人としての太郎の受取分六六六万六六六六円であり、被告人とB子の受取分は合計約二億八〇〇〇万円で、太郎の受取分約二七〇〇万円の約一〇倍になっており、保険料は月額合計一四万八一一円(生命保険の分だけで月額合計一三万三五一六円)に達していること、

(2)  被告人は昭和四九年九月一〇日以降はいずれも太郎を被保険者及び保険金受取人から除外して右各生命保険契約を締結していること、

(3)  被告人は貯蓄型保険契約を嫌い、終始、死亡時に高倍率の保障を受けられる保障型保険契約を締結することのみを専ら意図してこれを締結していたこと、

(4)  被告人が本件当時締結していた右保険契約は一四個(一四口)に達するほか、被告人はそれ以前にも七個の保険契約を締結しようとしていたこと、

(5)  右各保険契約においては、昭和四九年一一月五日に締結した前記2の(一三)のものを除き、いずれも、一家の経済的支柱となるべき被告人を被保険者とせず、経済的収入のない養子らである太郎、祐子及び涼子、又は経済的収入の乏しい妻玉子を被保険者とし、しかも、ただひとつ被告人ひとりを被保険者とする右2の(一三)の(2)の保険契約の受取人はB子のみとしていること、

(6)  右各保険契約を締結した被告人の資産、収入状況は、前記3のとおり極めて乏しいものであったこと、

(7)  被告人は右各保険契約をいずれも他から勧誘を受けることなく、自発的に保険会社に出向いて締結していること、

(8)  被告人が右各保険契約を締結する際、保険会社の職員に対してした質問はいずれも被保険者が死亡した場合のものに集中し、また被保険者ら、又は被保険者及び受取人が同時に死亡した場合を数回問題としていること

がいずれも原判示第一の殺人の事実認定に当っての独立の積極的な徴憑となるものであって、被告人は、一家の経済生活の不安定を除去、軽減するという生命保険制度本来の趣旨以外の意図をもって、殊に昭和四九年九月一〇日以降は、玉子、祐子及び涼子の三人が同時に死亡した場合実質的に被告人が多額な保険金の大部分を入手することができる目的をもって右各保険契約を締結したことが明らかである。

(本件車両の購入その他の状況について)

原判決が九六三頁から一〇二八頁までに摘示するとおり、

1  被告人は玉子と結婚した直後、子供を被保険者とする保険の検討を始めたのと同じ昭和四九年八月初め頃、別府市内の自動車修理業大津モータースこと大津敬久方を訪れ、同人に対し、先ず軽四輪乗用自動車の物色を依頼し、次いでその約一週間後の同月七、八日頃再び同人方に赴き、普通乗用自動車の購入を申し入れ、同人から本件車両とカローラ一一〇〇CCの二台を見せられ、同月二〇日頃本件車両に試乗したうえこれを購入することとし、同月三一日代金七万円を支払い、同年九月三日車の所有名義を玉子とする登録手続を了し、同月五、六日頃、一人分のシートベルトを右大津方に持参し、本件車両運転席への取付を依頼し、同人から、本件車両にシートベルト取付用の金具がついておらず、取付が面倒なため、「この型の車にはシートベルトを取り付けなくてもいいんですよ。それに取付の金具がついていないから難しいんですよ。」と説明されるや、「女が運転するから危険防止のためにつける。とにかく取り付けられるところに取り付けてくれ。」とあくまで取付を求めたので、同人においてその翌日頃半日がかりで被告人が持参したシートベルトの一端を運転席端の金具に取り付け、他の一端をプロペラシャフトの覆い金具の横に穴をあけて取り付け、漸く装置し、その後被告人の持参したタイヤ三本を本件車両のタイヤ三本と取り替え、同月九、一〇日頃本件車両を被告人に引き渡した。しかし、被告人は約二か月間は自己において使用し、玉子には結婚後被告人所有のダイハツフェロー(軽四輪乗用自動車)を通勤用として使用させ、同年一一月七日頃(本件発生の一〇日前頃)になってやっと同女に本件車両を通勤用として使用させ始め、先に被告人が自己において使用する車両として代金三〇万円ないし三五万円で購入したコロナマークⅡにも、養女のB子に代金二六万円で買い与えたマツダファミリアにも搭乗者傷害付自動車保険契約を締結していないのに、その間購入後三か月後には車検切れとなる本件車両につき、前叙のとおり、搭乗者一人につき五〇〇万円、一事故につき二五〇〇万円の搭乗者傷害保険付自動車保険契約二口を締結したこと、

2  引き揚げられた本件車両の床面の排水孔は全部で八箇所存在するところ、主要な排水孔といえる前部各シート前方の二個と後部座席左右各前方二個合計四個(いずれも二・五センチメートル径)の排水孔のゴム栓がはずされ、これが後部トランクの工具袋から発見されたこと、

3  被告人は本件当日ドライブに行くのを嫌がる祐子に対し度を過ぎる脅しを加えて同女をドライブに連れ出したこと、

4  被告人はドライブの終わりに本件現場に立ち寄った理由を、玉子が当夜大分の夜景を見たい旨言い出したからであると弁解しているけれども、玉子は別府市の住民であって、大分の夜景などその気になれば何時でも見ることができるばかりでなく、気温も一三・八度(当日午後九時における別府市の気温)以下の薄ら寒いときに、しかも、当日は既に火の山などから関門海峡の美景を堪能し、裏門司や下関の港も眺め、長距離ドライブを終えようとする間際に、まして、自宅へ帰る交差点を通り過ぎ、わざわざ二キロメートルも先の本件現場に赴いてまで、玉子がそれ程美景とも思えない大分の夜景を見ることに執着したうえ、その目的地である本件現場に接近するや、被告人は眼をつぶり、玉子は時速約三五キロメートルの速度で第三埠頭駐車場の周囲の道路を回ったというのも余りに不自然であって、異常であること、

5  被告人は、本件前に養女のB子宛に「遺言状」と表書した封書を自己の前記コロナマークⅡのトランク内の紙箱中に保険証書等の書類とともに入れておき、本件当日は同車を同女の居住する佐藤アパートの駐車場に駐車しておき、本件発生後、N運転の車で被告人が保護収容されていた内田病院に駆けつけた養女のB子に対し、「大丈夫だから心配しないで早く帰りなさい。車のトランクの中に紙箱があるからそれをおじさん(N)に預けなさい。」と指示して直ぐに帰らせ、当日(昭和四九年一一月一七日)午後一一時五〇分頃内田病院から別府警察署に出頭する際、同病院受付の電話で、B子に対し、「さっき預けた箱の中に遺書と書いた白い封筒があるから読まずに直ぐ焼きなさい。」と指示したこと、

6  被告人は、本件発生から僅か約五時間後の昭和四九年一一月一八日午前三時頃、妹のN子方を訪れ、外からガラス窓を叩いて就寝中の右N子を起こし、同女に対し「実はあんた達に隠していたことがある。」と言って、被告人が玉子と結婚して荒木姓になっていること及びN夫婦が婚姻届の保証人になっていることを打ち明けるとともに、「人から聞かれたらそのようにしておいてくれ。」と言ってすぐ立ち去ったこと、

7  被告人は、別府警察署での二度目の事情聴取を終えた同日午前七時過ぎ頃、再びN子方を訪れ、同日の朝刊の記事を読んで初めて被告人が玉子と結婚していることを知って驚き同家に駆けつけていたB子に対し、「お前の名前で荒木さんの家族に保険を掛けているから。」と話し、同月二〇日午前九時頃、N子に電話し、「第一生命、安田火災、大同生命にB子が保険を掛けているから、B子に箱の中の保険証書を見ておくように伝えてほしい。」旨指示し、同月二一日又は同月二二日の午後六時頃、B子方を訪れ、同女に対し、「警察から保険のことで尋ねられたら、玉子さんに受取人になってくれと言われたが、受取人だけになるのは嫌だから契約者にもなり保険料も自分で払っていたと話した方がよい。」と指示したこと

を認めることができる。

(犯行計画について)

1  原判決が五四八頁五行目から五八一頁一〇行目までに摘示するとおり、被告人は、昭和四九年七月一八日、Lに対し、「近いうちに荒木玉子と結婚し、荒木姓に入籍する。子供もいるが、子供とは養子縁組をする。」などと申し向けたうえ、保険金目当てに自動車の海中転落事故を装った殺人事件を起こし、一儲けすることを企図しているとして、「いちかばちか自分の身を賭けてしなければ金儲けはできない。車や人に保険を掛けて海に飛び込むのが確実な金儲けだ。飛び込んで自分が助かってくれば保険金が入る。」旨洩らし、それとともに、保険を掛ける相手方について、「家族全員に保険を掛ける。」旨、保険金額についても、「何千万何億と掛ける。成功したらLに、五、六千万はやる。」旨、掛金について、「多少なりとも呼び水を入れんことには大きな金儲けはできない。呼び水の金といっても馬鹿にならない。十四、五万から二〇万円位要る。借りてでも掛ける。保険金が取れれば返すことは容易い。」旨、保険金の受取人について、「受取人は従兄弟かはとこの名義にすればいい。自分を受取人名義にすれば世間が怪しむ。」旨、また、自動車を運転し海中に飛び込むことの危険性について、「自分より体力の劣る人間は助からないだろう。自分は一〇のうち二つか三つ助かる可能性がある。」旨、右計画の具体的内容についても縷々説明し、第三埠頭フェリー桟橋付近の岸壁において、「Lさん、助手席ドアを半ドア(少し開けた状態)にしておいて、車のハンドルを右に切った場合(助手席に乗っている人が)左側に寄って車の外に飛び出る。ハンドルを左に切ればその反対になる。」旨説明するとともに、実際に同岸壁端から一メートルもないところで急に右ハンドルを切るという危険な運転をしてみせ、その際右Lにおいて少し開けておいた助手席ドアが全開しそうになったが、同人が握って開くのを防ぐのを見るや、「(同様にして急に左ハンドルを切れば)運転席ドアが開くはずだ。」と説明し、海中に飛び込む直前に右のように運転すれば、車を運転している被告人が右側に寄り、開いた運転席ドアから脱出できるとして、犯行計画を実行した場合の被告人の脱出の可能性を右Lに示唆し、同月二七日、右Lを車に乗せ第三埠頭に立ち寄り、フェリー待合室の周辺道路を一巡したこと、

2  原判決が六八八頁一一行目から六九七頁四行目までに摘示するとおり、被告人は昭和四九年三月末か同年四月初め頃金を借りに乙ビルにきたVに対し、「生命保険の詐欺がよい。犯罪者じゃろうが掛金だけを掛けておけば(保険金)が取れる。」と言って、保険金詐欺目的の殺人事件を企図していることを洩らし、掛金について、「それもそう長く掛けなくてもよい。短期間掛けておけばそれでよい。」旨、保険を掛ける相手方について、「身内以外で情の移らない者がよい。後で心配しなくてすむような者がよい。自分の力で簡単に殺せる人で抵抗しない人がよい。」、「保険を掛ける相手は誰がよいか見つけてくれ。」などと話して、右犯行計画に対する協力を求める一方、殺害方法について、「相手を殺し絶対に自分が助かる方法でなければいかん。」、殺害の場所について、「自分が死んだりする危険な場所は避け安全な場所を選ぶ。知らん土地は危いのでよく知った土地でやる。高い所とか危険な場所ではやらない。」などと話し、右Vに現金五万円を渡したこと

を認めることができる。

(結び)

以上認定した、被告人の結婚及び養子縁組状況、保険の加入状況、本件車両の購入状況及び排水孔の状況、本件当時における本件車両の運転者が被告人であったこと及び被告人の同車走行状況、本件前後における被告人の言動等を総合すれば、被告人は、交通事故を装って被保険者を殺害し巨額の保険金を騙取しようと企図し、殺害対象にする者を物色するうち、同殺害対象である被保険者とする意図をもって、昭和四九年八月一日、玉子と結婚し、その子供達三名と養子縁組を結んだ後、その後まもなく同年九月二日から同年一一月五日までの間に、玉子、祐子及び涼子が本件車両に同乗中交通災害により同時に死亡した場合の保険金総額が三億一〇〇〇万円にものぼる生命保険又は搭乗者傷害保険あるいは交通事故傷害保険契約を締結したうえ、同月一七日ドライブと称して本件車両に玉子、祐子及び涼子を乗せて連れ出し、同日午後一〇時過ぎ頃、かねての殺害計画を実行すべく、同車助手席に玉子、後部座席に祐子及び涼子を乗車させたまま同車を運転して原判示岸壁から海中に突入させて、玉子、祐子及び涼子を同車もろとも海底に転落させ、よって直ちに右三名を溺死させて殺害した事実を肯認するに十分である。

被告人の原審及び当審公判廷における各供述、被告人の司法警察員に対する昭和四九年一一月二〇日付、同年一二月一二日付、同月二〇日付各供述調書、被告人の検察官に対する同月一三日付、同月二六日付、同月二九日付(二通)、同月三〇日付及び昭和五〇年一月二日付各供述調書中右認定に反する部分は、いずれも前記認定事実と対比して信用することができない。

これに反し、弁護人ら及び被告人は、以下の各所論において、それぞれ主張する理由(但しいずれも要約)に照らし、右は誤認であるというのである。

よって、所論指摘の各事由にかんがみ、以下これにつき順次吟味する。

(運転者の確定に関する所論について)

1  玉子の両膝の創傷の成因に関し、弁護人らの所論は、

(一)  本件車両は離岸直前左に約三〇度転進して岸壁に向かい、かつ、岸壁面から左に約八〇度の角度をもって離岸し、車体の左側から先に離岸し、車体は左側から着水したため、助手席乗員は車体に対し右前方向に回転運動を起こして前進していたはずであるから、玉子の右膝蓋骨上縁部二個の皮下出血は、本件車両助手席前荷物棚(以下「荷物棚」という。)下縁部右側のくぼみ部分と衝突して生じたものではない。

(二)  原判決は、「玉子の右膝蓋骨上縁部二個の皮下出血中左斜め下のものが二センチ×一センチの大きさで二センチの長い方はやや左斜め上から右斜め下に斜行し、それから五ミリメートルも離れていない膝上の方に同様の傾きを持って平行するもう一個の二センチ×五ミリの傷が認められるような状態となったことについては次の二点が考えられる。第一点は、右膝が左斜め前に前進する過程で、上下動も含む瞬間的な衝撃の複雑さにより、固定された下縁部下に二度瞬間的に打撲したのではないかという点であり、第二点は、右二個の傷の位置が膝を折り曲げると膝蓋骨の骨の一部によりやや高く僅かの凹凸を伴いつつ隆起する部分にあるという点である。いずれにせよ、傷が二個であることは疑問はあるが、下縁部右側の凹みに損傷の深さのピークが二つ接近して存在することに意味があれば関連性を有する可能性を指摘しておく。また、第二点の理由は、二個の傷の長さが五センチないし七センチの幅を持つ下縁部右側凹み部分と接触しながら、ともに二センチの長さの皮下出血しか生じなかった根拠ともなり得ると思われる。何故なら、右二個の傷のある部分は、スカートによって通常覆われている箇所であるから、膝上が擦過的かつ打撲的に下縁部と衝突した場合、接触箇所ないし凹み部分は割合広くなっても、皮下出血は膝のやや隆起した部分にしか生じないという現象は、十分生じ得る可能性のあることと思われるからである。」と認定するが、右は証拠に基づかずに認定したもので、単なる推論にすぎず、その推論も全く合理的根拠を欠く。

(三)  玉子の左膝蓋骨内縁の傷は荷物棚下縁部左側のくぼみ部分と衝突して生じたものではない。何故なら、(1)助手席乗員は前記(一)の如く運動していたほか、(2)玉子の右傷は二・〇センチ×一・二センチの皮下出血であるが、荷物棚下縁部左側のくぼみ部分の幅は約七センチメートルであるから、右両者は符合しないのであり、(3)助手席乗員は原判決が推定するように、やや左前方を向いていて、両膝も自然に左に傾いていた姿勢にあったとは限らず、(4)玉子の左膝蓋骨内縁部が荷物棚下縁部左側と衝突したのであれば、傷はもっと重いはずであるからである。

(四)  原判決は、玉子の右膝蓋骨下の皮下出血は、本件車両が着水したときの衝撃とは全く切り離された、同女の絶命寸前のもがきによるものであると認定するが、右は誤認である。右のように認定することのできる証拠はなく、右は単なる推論であり、その推論も合理的根拠を欠く。

というのであり、被告人の所論は、

(五)  原判決は、第二章第二節第四の一ないし五において、玉子の右膝蓋骨上縁部二個の皮下出血は、玉子が本件車両の離岸時にやや左前方を向き、両膝も左に傾けていたため、その右膝が左斜め前に擦過的な動きを伴いつつ打撲的に前進し、本件車両の海中転落時に、荷物棚下縁部右側の凹み部分を下からこすりあげるようにこれと衝突して生じ、玉子の左膝蓋骨内縁の皮下出血は、荷物棚下縁部左側の凹み部分と衝突して生じたものであると認定するが、右は誤認である。すなわち、

(1) 玉子の遺体の傷が本件事故の際に本件車両の車内構造物に当たって生じたものであることの確証がないのに、玉子の遺体の傷と同車の車内構造物とを対比しても、全く意味をなさない。

(2) 玉子の右膝蓋骨上縁部の皮下出血は上下二箇所にあるところ、荷物棚の下縁はやや丸みを帯びて座席方向に張り出しておるので、これに玉子の右膝が原判示のように当たったとしても、上下どちらか一個の傷しか生じないのであり、もう一個の右皮下出血が如何にして発生したかを説明することができない。

(3) 本件車両の乗員に負傷をもたらすにたる衝撃は同車の海面着水時の衝撃以外になく、同衝撃の方向はほぼ前方向であるから、同車床面から三八センチメートルの高さにある荷物棚下縁部の縁に玉子が右膝を打ち当てるとすれば、中ヒールを履いた玉子の膝の高さが約四五センチメートルであるところから、それはその膝が同車の前進方向と平行に打ち当てるか、あるいは、斜め上からのしかかるようにして打ち当てるしかないのであって、その膝が下から上へこすりあげるようにして衝突することはない。

(4) 玉子が右膝蓋骨上縁部に受けた傷害は、皮下出血であって擦過傷ではなく、表皮剥離も伴っていないのであるから、右膝が擦過的な動きを伴って衝突して生じたものではない。

(5) 玉子の右膝蓋骨上縁部二個の皮下出血のうち下部の二・〇センチ×一・〇センチのものは、本件車両の離岸時に玉子の膝が左に傾いていた状態では、その右膝の右外側方向にある荷物棚下縁部の縁にあたることはありえない。

(6) 右膝が擦過的、かつ打撲的に衝突することはありえず、一回の衝撃で右膝蓋骨上縁部に約五ミリメートルも離れて独立の二個の皮下出血が生ずることもありえない。

(7) 玉子の右膝が荷物棚下縁部を下からこすりあげるように擦過的にこれと衝突したのであれば、約一センチメートルと約〇・五センチメートルの極めて幅の狭い皮下出血が約五ミリも離れた個所に各別に生ずることはありえず、もっと幅の広くて長い擦過傷が右膝蓋骨上から大腿部にかけてできるはずであるのに、そのような傷は生じていない。

(8) 玉子の右膝蓋骨上縁部二個の皮下出血のうちいずれか一方のもの、及び同女の右膝蓋骨下縁より直下約五センチメートルの部の皮下出血は本件車両助手席においては生じえないものである。

(9) 玉子の左膝蓋骨内側の皮下出血は内側にやや高く斜走ているのであるから、原判示のように、玉子の左膝が内側(右側)から外側(左側)に向かって斜めに荷物棚下縁部にあたるはずはない。

(10) 荷物棚下縁部の二箇所の凹みのうち、右側のものは深さの最大値三ミリメートル、幅約一五センチメートルであって、凹の山が二箇所もあり、左側のものは深さの最大値約二・二ミリメートル、幅約七センチメートルであるから、それらはいずれも玉子の膝のような丸みの小さいものが当たってできたものではなく、もっと丸みの大きいものか、あるいは横長な物体があたってできたものである

というのである。

よって、右各主張を検討するに、

(イ)(a) 右1の(一)及び同(三)の(1)につき、前示「(運転者の確定に関する事実について)」の5の(三)ないし(六)において述べたように、本件車両は、離岸直前左に約三〇度転進して岸壁に向かい、かつ、岸壁面から左に約八〇度の角度をもって離岸したものではなく、原判示乙(3)道路に沿って南進し、岸壁に対し約六五度の角度をもって右斜めに飛翔離岸したものであり、かつ、右「(運転者の確定に関する事実について)」の7の(三)ないし(七)において述べたように、本件車両の着水時においても、助手席乗員は、同車の右前方向に運動していたものではなく、同車前方に向かって運動していたものである。従って、所論1の(一)及び同(三)の(1)はいずれも前提を欠いて失当である。

(b) 右1の(二)、同(三)の(3)、同(四)、同(五)の(7)につき、なるほど、原判決は、玉子の右膝蓋骨上縁部二個の皮下出血は、女が本件車両の離岸時にやや左前方を向き、両膝も左に傾けていたため、その右膝が左斜め前に擦過的な動きを伴いつつ打撲的に前進し、同車の海中転落時に荷物棚下縁部右側の凹み部分を下からこすりあげるようにこれと衝突して生じたものであり、右の二個の皮下出血は荷物棚下縁部に二度瞬間的に打撲したのではないかと認定し、また、玉子の右膝蓋骨下の皮下出血の成因を本件車両の着水時の衝撃とは全く切り離された同女の絶命寸前のもがきによるものと認定するのであるが、原判決の挙示する証拠はもとより、原審及び当審で取り調べたその他の証拠によっても、これらの点を原判示のとおり一義的に肯認することはできない。従って、原判決はこれらの点において証拠に基づかずに事実を認定したもので事実を誤認したものというほかはない。しかしながら、前記「(運転者の確定に関する事実について)」の7の(六)、(七)において述べたように、玉子の両膝付近の負傷について言えば、同女が両膝ともに膝付近に負傷していることが重要であって、その各負傷部位の高さが同女に中ヒールを履かせた状況において荷物棚の高さに一致するかどうか、及びその些細な衝突態様などの点は取り上げるにたりない。けだし、同女が座っていた状態、あるいは本件車両が離岸後着水するまでの無重力状態における同女の両足の動き如何によって、その衝突部位の高さ、衝突の態様等については多数の可能性が存在するところ、同女が座っていた状態、あるいは右の間の同女の両足の動きについては不確定要素が多過ぎるため、右各負傷部位の高さ及び衝突態様などは意味をなさないからである。そうすると、原判決における事実と証拠との前記不一致は些細なものであって理由不備にはあたらず、また、原判決の右の点の事実誤認は判決に影響を及ぼすものではない。

(c) 右1の(五)の(1)についていえば、前示「(運転者の確定に関する事実について)」の6、7において述べたように、本件車両の助手席乗員は同車の着水時の衝撃により必然的に傷害を受けたものであること、及びその際同人が本件車両の車内構造物と衝突した部位も認定することができるのであるから、玉子又は被告人のいずれが本件車両の助手席に乗車していたかを判断するにあたっては、玉子の遺体又は被告人の身体の各該当箇所に受傷が存するかどうか、及び本件車両の各該当箇所に損傷が存するかどうかを検討するのが相当であって、玉子の受傷部位と本件車両の車内構造物との衝突の有無を検討するにあたっては、必ずしも玉子の遺体に存した創傷が本件事故の際に同車の車内構造物に当たって生じたことを確定する必要はないのである。従って、右所論を是認することはできない。

(d) 右1の(五)の(2)についていえば、玉子の右膝蓋骨上縁部の二個の皮下出血中一個が荷物棚に衝突したことにより生じたものとして、残り一個が本件車両のいずれの部分と衝突して生じたものであるかを一義的に認定することのできないことは所論の指摘するとおりである。しかしながら、前叙のとおりこの点は些細なことであって取り上げるにたりないものである。

(e) 右1の(五)の(3)、(5)についていえば、前叙のように、玉子が座っていた状態、あるいは本件車両が離岸後着水するまでの無重力状態における同女の足の動き如何によって衝突態様等については多数の可能性が存在するのであるから、玉子の膝が荷物棚下縁部を下から上へこすり上げるように衝突することはありえないとか、あるいは、同女の右膝蓋骨上縁部の二個の皮下出血のうち下部のものは、同女が本件車両の離岸時に膝を左に傾けていた状態では、その右膝の右外側方向にある荷物棚下縁部の縁にあたることはありえないとまで断定することもできず、右所論も当をえないものである。

(f) 右1の(五)の(4)につき、表皮剥離を伴わない皮下出血であっても、必ずしもその受傷時に擦過的な動きを伴わなかったとすることはできないから、右所論はその前提を欠いて失当である。

(g) 右1の(五)の(6)につき、右膝が擦過的、かつ打撲的に衝突することはありえないとか、あるいは、一回の衝撃で右膝蓋骨上縁部に約五ミリメートルも離れて独立の二個の皮下出血を生ずることはありえないとか断定することはできないから、右所論は独自の見解であって、採用することができない。

(h) 右1の(三)の(2)、及び同(五)の(10)につき、本件車両の着水時の衝撃により玉子の膝が荷物棚に衝突して押しつけられたまま横にずれて移動することもありうるのであるから、荷物棚のくぼみ部分の幅が同女の膝付近の創傷の幅より広いこと、あるいは、荷物棚のくぼみ部分の幅が同女の膝を荷物棚に押しつけたときにその膝がこれと接触する部分の幅より広いことをもって、玉子の膝が荷物棚に右のように衝突したこと、及び荷物棚下縁部の二箇所の凹みが右衝突によってできたことを否定することはできず、右所論も是認することはできない。

(i) 右1の(三)の(4)につき、本件車両の着水時に玉子の右膝蓋骨内縁部と荷物棚とが衝突する衝撃力は、玉子が座っていた状態、本件車両の離岸後着水するまでの間における同女の左膝の動き如何等により差異を生ずるものであるから、同女の左膝蓋骨内縁部が荷物棚と衝突したのであれば同部位の創傷の程度は原判示のものよりもっと重いはずであるということはできず、右所論も採用の限りでない。

(j) 右1の(五)の(3)につき、前示「(運転者の確定に関する事実について)」の7において述べたように、助手席乗員はその両膝付近が荷物棚に衝突するものであり、しかも、その衝突の部位は助手席乗員の座っていた状態、本件車両の離岸後着水するまでの間における同人の膝の動き如何等により差異を生ずるものであるから、当時助手席に乗っていた玉子の右膝蓋骨上縁部二個の皮下出血のうちのいずれか一方のもの及び右膝蓋骨下縁直下の皮下出血が本件車両の助手席においては生じえないということはできず、かえって、右各創傷は本件車両運転席においては生じえないものであるから、右所論も当をえないものである。

(k) 右1の(五)の(9)につき、原判決は玉子の左膝蓋骨内側の皮下出血は左膝蓋骨の右下縁に沿いやや右斜め上に斜走していること、及び右の傷は同部位が荷物棚下縁部左側の凹み部分と衝突して生じたものと摘示しているにとどまるものであって、所論のように同女の左膝が内側(右側)から外側(左側)に向かって斜めに荷物棚下縁部にあたったと認定するものではないから、右所論は前提を欠いて失当である。

2  玉子の右上腕外側中央部の創傷の成因に関し、

(一)  弁護人らの所論は、原判決において、玉子の右上腕外側中央部の傷はダッシュパネル上縁部と衝突したものと推認しているが、右のように推認することはできない。何故なら、

(1) 玉子の右上腕外側中央部の創傷は、玉子が真正面の物体に衝突した場合ではなく、殆ど身体が右真横になった状態で衝突しないとできないところ、前記のように、助手席乗員は車体に対し右前方向に回転運動を起こして前進していたものであり、かつ車両着水時には車両の乗員は前方向に四・二ないし四・五gの大きな衝撃を受けていたものであるから、助手席乗員の身体が右真横になるまで回転することはなく、従って、助手席乗員の右腕外側中央部がダッシュパネル上縁部と衝突する可能性はなく、

(2) 本件車両ダッシュパネル上縁部には玉子の右上腕外側中央部が衝突したと認定できるような損傷の痕跡がない。もっとも、原判決によれば、ダッシュパネルは、もともと人体がこれに激突したときにも重大な損傷を受けることのないよう割合緩衝能力の高い材質が使用されているというのであるが、そうであればこれと衝突したとする玉子の右上腕外側中央部に右のような大きな出血が生じるはずがなく、逆に玉子の右傷害の程度の大きさを当時の衝撃力の強さによるとするならば、右衝突部分であるダッシュパネル上縁部に何の損傷も生じないはずはないからである。

というのであり、

(二)  被告人の所論は、原判決において、玉子の右上腕外側中央部の傷は助手席前ダッシュパネル上縁部と衝突して生じたものであると認定するが、右は誤認である。

というのである。

よって、右各主張を検討するに、

(ロ) なるほど、原判決は、玉子の右上腕外側中央部の創傷は同部位がダッシュパネルと衝突して生じたものであると認定するのであるが、原判決の挙示する証拠はもとより、原審及び当審で取り調べたその他の証拠によっても、右創傷が本件車両のラジオ選局つまみと衝突して生じた可能性を否定することはできず、右創傷の成因を原判示のとおり一義的に背認することはできない。従って、弁護人の右所論2の(一)の(1)のうち助手席乗員は同車の右前方向に回転運動を起こしていた旨の部分が失当であることは前叙のとおりであり、また、右所論2の(一)の(2)の立論も採用することはできないが、原判決は右の点において証拠に基づかずに事実を認定して事実を誤認したものというほかはない。しかしながら、同女の右上腕外側中央部が本件車両のどの部分と衝突したかの点は、不確定要素が多過ぎるため本件車両の運転者を確定するについて意味をなさないのであり、前記「(運転者の確定に関する事実について)」の7において述べたように、本件車両の助手席乗員及び玉子に関しては、いずれも両膝付近に負傷していること及び胸のみずおち付近に負傷の存在しないことが重要であって、同女の右上腕外側中央部の創傷が本件車両のどの部分と衝突したかの点は取り上げるにたりない。

そうすると、原判決の右事実誤認は判決に影響を及ぼすものではない。

3  玉子のその他の創傷、及び被告人が負傷らしい負傷をしていないことに関し、被告人の所論は、

(一)  玉子の遺体に存在した創傷のうち、胸部右乳頭より三・八センチメートル内方の皮下出血、右前腕外側の右肘付近の二条の擦過傷、右手背外側で小指の根部から約一・五センチメートル中心側の皮下出血は本件車両助手席においては生じえないものである。

(二)  原判決は、被告人が負傷らしい負傷をしていないことをもって当時被告人が本件車両を運転していた徴憑とするが、本件当時被告人は上体にはメリヤスシャツ、スポーツシャツ及び化繊綿入りジャンパーを着用し、下体にはメリヤスパッチ及び冬物の厚地ズボンを着用していたので、本件車両助手席の車内構造物に少々打ちあたったところで、身体の損傷など受けるはずがなく、腕力も玉子よりはるかに強いので転落着水時に無意識、発作的に助手席前のダッシュパネルを両手で支えれば、身体を車内前部構造物に激しく打ちあてたりすることもないのに反し、玉子は上体には薄い肌着と薄い白のブラウスを、下体には短かいタイトスカートとパンティストッキングを着用していたにすぎず、腰だけの二点ベルトをゆるくしか着用していなかったのであるから、被告人の身体に負傷がなく、玉子が転落時の衝撃で下肢をハンドルシャフトや窓の開閉把手等に打ちつけ、上体をハンドルに打ち当てて創傷を受けたとしても、不自然ではなく、被告人が負傷らしい負傷をしていないことをもって当時被告人が本件車両を運転していた徴憑とすることはできない。

というのである。

(ハ) しかしながら、

(a) 原審及び当審において取り調べた関係証拠を精査しても、玉子の遺体に存した創傷のうち、右所論(一)指摘のものが本件車両助手席においては生じえないことを窺うにたりる資料は全く存在しない。

(b) 前記「(運転者の確定に関する事実について)」の7、10において述べたように、衝撃を予期して身構えない限り、着水時の衝撃により本件車両の運転者はステアリングホイールに胸のみずおち付近を打ちつけ、助手席乗員はダッシュボード又は荷物棚に衝突し、殊に両膝付近が荷物棚に衝突し、後部座席乗員は前席背もたれに衝突するから、いずれも負傷を免れないものである一方、玉子の胸のみずおち付近には全く負傷が存在しないのに反し、同女の両膝付近には四個の創傷が、本件車両荷物棚には二箇所の凹みがそれぞれ存在し、しかも、玉子の両膝付近の創傷は本件車両運転席においては生じえないものであるから、たとえ、被告人が当時所論の衣類を着用していたとしても、被告人が負傷らしい負傷をしていないことは、被告人が本件車両を運転していた徴憑とするに十分である。

所論はいずれも独自の見解であって、採用するに由ないものである。

4  本件車両離岸時前後から同車両着水直後までの玉子の姿勢、身体の動き及び衝突状況に関し、弁護人らの所論は、原判決において、

「1 本件車両の離岸時前後の玉子の姿勢は、左肩、左上腕が助手席背もたれにもたれ、右肩が背もたれから離れて前へ出、体の正面が左斜に助手席ドア取付部方向を向き、両膝も上体に合わせ自然に左に傾いた状態にあった。

2 同車両の離岸後着水時までに、玉子は異変に気付き咄嗟に左手をダッシュパネル左端付近について支え、右上腕を体当りをするように胸の前に引いた。

3  着水時の激しい衝撃により、〇・一秒後に身体が前方に動き始め、左手は支えきれずに曲げられ、両膝が下縁部の方へ飛び出す過程で支えた左手を基点ないし半径として右回りで前方へと体が振られ、そのような動きの中で〇・三秒ないし〇・四秒後に左膝蓋骨内縁部が下縁部左側の凹みと、右膝蓋骨上縁部が下縁部右側の凹みとそれぞれ衝突して皮下出血を生じた。

4  続いて、右回りに振られつつ、〇・五秒ないし〇・六秒後に玉子の右上腕外側中央部がダッシュパネル上縁部と衝突し、玉子の同部位の皮下出血と筋膜下出血をもたらすに至った。その際、両膝は下縁部から離れ、より左側へ流れて行く姿勢となる。

5  右上腕外側中央部がダッシュパネル上縁部と衝突した瞬間ないしはその数瞬後、すなわち、フロントガラスが割れた〇・六二秒前後頃に頭部はフロントガラスに衝突し得る位置に動いてくる。」(三九八頁ないし四〇〇頁)

と認定するが右は誤認である。すなわち、右1に関し、前記のように、本件車両の離岸時前後の玉子の姿勢は、仮に同女が同車両助手席に乗っていたとしても、運転者の方に倒れかかる状態であったのであり、従って、また、玉子が右2のような動作をするはずはない。更に、玉子が右3ないし5のような動作をするはずがないことも前記のとおりである、というのである。

よって、右主張を検討するに、なるほど、原判決は右の点に関し、所論指摘のとおり認定するのであるが、原判決の挙示する証拠はもとより、原審及び当審で取り調べたその他の証拠によっても、これらの点(但し、玉子の左膝蓋骨内縁部が荷物棚下縁部左側と衝突して皮下出血を生じた点を除く。)を原判示のとおり一義的に肯認することはできない。従って、所論のうち離岸時前後の玉子の姿勢が運転者の方に倒れかかる状態であったとする点が失当であることは前叙のとおりであるが、原判決は右の点において証拠に基づかずに事実を認定したもので、事実を誤認したものというほかはない。

しかしながら、前記「(運転者の確定に関する事実について)」の項において述べたように、本件車両の運転者を確定するに関しては、前記(ハ)(b)において述べた事項等が重要であって、その他の玉子が本件車両離岸時前後においてどのような姿勢をとっていたか等の点は取り上げるにたりないものである。

そうすると、原判決の右事実誤認は判決に影響を及ぼすものではない。

5  被告人の所論は、

(一)  原判決において、「各シートとも前傾装置が破損し、スライドレール内側縁には、いずれも正常にセットされていた鉤状の止め金が衝撃を受けてはずれた際に生じたと推認される擦過痕様の切損が認められることである。これは着水時の衝撃が如何に大きなものであるかを一面物語るものと思われる。そして、さらに重視すべき事実は、運転席を前後に移動させるスライド(ロック)レバー固定止め金がレール固定溝によく嵌まっていなかったという点である。この二つの事実を総合すれば、少なくとも運転席シートについては、当初後方にセットされていたものが激しい着水時の衝撃により固定止め金が溝からはずれて前方に移動し、同時に、鉤状の止め金も引きちぎられるようにはずれて背もたれが急速に前傾したものと推認することが可能と思われる。」(五〇一頁四行目から五〇二頁八行目まで)、「事故の翌日の検証(検第五九号検証調書)の際に、身長一七一センチ、体重約七二キログラムの司法警察員がシートに正常に腰かけてベルトケッチ(金具)の脱着を試みたところ、左右ベルトは下腹部で完全に結合したが、昭和四九年一二月三日の実況見分時(検第六一号実況見分調書)に身長一五一センチ、体重四五キログラムの婦人交通指導員をモデルとして行なった装着実験では、ベルトの方がモデルの身体より約一五センチ長かった(検第六一号の写真No.61、No.62、証人大平正司の当公判廷における供述(第三三回公判、第二六冊)参照)。以上の点からみれば、本件発生当時のベルトの長さは右司法警察員とほぼ同体格の乗員に合わせてセットされていたと認められる。」(九七頁三行目から九八頁五行目まで)と認定するが、

(二)  各シートの前傾装置は、本件事故直後までは何ひとつ損傷していなかったものが、その後、原審の第一回(昭和五〇年一〇月二二日)の検証が行われるまでの間に、バネや各部品が潮水のためにさびついて作動しなくなったのである。このことは検第五九号、同第六一号、同第六三号の検証調書又は実況見分調書にこれが損傷している旨の記載がないことによって明らかである。スライドレール内側縁に擦過痕が存するのは、本件車両の前傾シートが本件事故前の約六年間に倒したり元に戻したりしている間に止め金と擦れ合って生じたものであり、本件着水時の衝撃により後方より前方へ移動する動きは生じない。また、右衝撃により運転席のシートの鉤状の止め金が引きちぎられるようにはずれて背もたれが急速に前傾することがなかったことは、検第三三号添付の写真No.1、No.2により明らかである。

(三)  更に、本件シートベルトの着用を試みた司法警察員は、被告人より身長が四・三センチ低いのに体重が六キログラムも多い肥満体であるから、決して被告人と同体格であるとはいえない。

というのである。

(ニ) しかしながら、

(a) なるほど、検第五九号(第三冊七九四丁以下)には右各シートの前傾装置が損傷している旨の記載は存しないが、同様にこれが損傷していない旨の記載も存しないのであるから、これをもって所論を裏付ける資料とすることはできない。検第六一号(第四冊八二二丁以下)八二九丁、八七〇丁裏ないし八七二丁表、及び検第六三号(第五冊八九六丁以下)九六四丁裏ないし九六五丁裏には、本件車両助手席左側のシートレールに二個の亀裂を生じている状況が記載され、又は写真で表示され、右検第六三号九六二丁裏及び九六三丁表には本件車両運転席取付金具右(外)側の固定止め金がよくはまっていない状況が撮影した写真で表示されているのである。検第三三号(第二冊四九四丁以下)添付の写真番号第一号及び第二号によっても、所論のように、本件車両の着水時の衝撃により、運転席のシートの鉤状の止め金が引きちぎられるようにはずれて背もたれが前傾したりなど全くしていなかった状況を窺うことができない。その他、原審及び当審において取り調べた関係証拠を精査しても、前記原判示の認定事実に反し、所論(二)に符合する事実を窺うにたりる資料はない。かえって、当審鑑定人江守一郎作成の鑑定書によれば、前記「(運転者の確定に関する事実について)」の項6において述べた事実を認めることができるのである。

(b) 関係証拠によれば、事故の翌日の検証(検第五九号検証調書)の際に、本件車両運転席においてベルトケッチの脱着を試み、これがその下腹部前で完全に結合した司法警察員真子義久の身長は一七一センチメートル、体重は七二ないし七三キログラム(第四三冊一二八〇五丁)であり、昭和四九年一二月三日の実況見分時(検第六一号実況見分調書)に、右運転席においてベルトケッチを着装させたところ、ベルトが約一五センチメートル長過ぎた交通指導員桑原節子の身長は一五一センチメートル、体重は四六キログラムであったのに対し、被告人の昭和五〇年一月九日当時の身長は一七五・三センチメートル、体重は六七キログラムであり(第四三冊一二〇八三丁)、玉子の本件当時の身長は一四七センチメートル、体重は約四五ないし五〇キログラムであったことが認められるが、他方被告人は原審第六三回公判期日において、本件当時の自己の体重は七三キログラム位であったと供述しているのである。

そうしてみると、なるほど右真子司法警察員は被告人に比し身長において約四・三センチメートル低く、体重において約五ないし六キログラム多かった可能性があることを否定することはできないものの、この程度の差異によって本件発生当時の右ベルトの長さが玉子ではなくて被告人に合わせてセットされていたことを否定することはできない。

なお、当審昭和五六年一〇月一四日付検証調書によれば、同年九月二五日に大分地方検察庁車庫内で施行された当審の検証の際、前記真子司法警察員によって実施されたときとほぼ同一の状況に調整して運転席シートベルトを被告人に着装させたところ、ベルトが長過ぎて一八・五センチメートルの余部を生じたことが認められるけれども、当時の被告人の体重等については記録上これを明らかにするものがないので、いまだ右結論を左右するに足りない。

従って、右所論も是認することはできない。

6(一)  弁護人らの所論は、

原判決は、本件発生の翌日別府警察署車庫で検証が行われた際、焦げ茶色中ヒール右片方(被告人及び弁護人はこれを左片方とするが、これは右片方の誤りである)が運転席後部の後部右側座席の前で発見され、男物茶色短靴右片方が助手席前車床で発見されたが、右の焦茶色中ヒール右片方は、大島英喬が助手席側から玉子の遺体を搬出しようとしたとき、運転席窓の一部開いたところから外に出ていた中ヒール履きの右足が引っかかって搬出できなかったため、右大島が石川昌利巡査に指示してこれを脱がせた後一時本件現場の岸壁に置き、他の捜査員が本件車両内に投入したものであり、また、右の男物茶色短靴右片方が本件車両離岸時から同車引揚時までどのような動きをしたかを推認するには余りにも不確定要素が多いものであるから、これらの右残存場所から玉子又は被告人の乗車位置を推認することはできないとし、更に、本件車両引揚時における玉子の遺体の位置から同女の乗車位置を推認することはできないと摘示する。

しかし、本件発生後の昭和四九年一一月一八日午後二時二〇分から別府警察署警察官により本件車両の検証がなされた際、同車両助手席前車床に男物茶色短靴右片方が存在し、かつ、運転席下に玉子のハイヒール左片方が存在していたこと、及び同車両を海中から引き揚げた際玉子の右足が運転席の窓から外に突き出ていたことからみて、本件車両が水没した際被告人は助手席に乗車し、玉子は運転席に乗車していたと推定される。

また、本件車両左側前部が同右側前部に比してその損傷が著しいことは、体重の重い被告人が車両の左側である助手席に乗車していた徴憑となる。

というのであり、

(二)  被告人の所論は、当時被告人が本件車両助手席に乗車し、玉子が同車両を運転していたことは、

(1) 本件車両を海中から引きあげた際、

① 玉子の遺体は運転席の窓から右足を突き出し、その下半身は運転席にあったこと、

② 同車両運転席床に玉子のえんじ色のブレザーコート一枚と左足の靴が存在したこと、

③ 同車両助手席に被告人の右足の靴が存在したこと、

④ 同車運転席シートの位置が玉子の足の長さに合わせた位置に固定され、被告人がこれに着席したのでは膝がハンドルシャフトにつかえて同車両を運転することができないこと、

⑤ 同車両左側前部が同車右側前部に比べて顕著に損傷していたことは、同車両が左側に傾いて海面に転落したこと、ひいて同車両左側に体重の重い被告人が乗車していたことを示していること、

(2) 自動車乗員が同車フロントガラスから脱出する場合には、前にハンドルのある運転席からよりも、前に邪魔物のない助手席からの方が脱出しやすく、かつ助手席に乗員がいるときは、運転席乗員が助手席乗員より先に脱出することは不可能であること

により明らかである、というのである。

(ホ) しかしながら、

(a) 関係証拠によれば、原判決が四八二頁八行目から四九六頁五行目までにおいて摘示するとおり(但し、四九一頁三行目に「第九冊」とあるのは「第三九冊」の誤記と認める。)、本件発生の翌日である昭和四九年一一月一八日午後二時二〇分から別府警察署車庫で本件車両の検証が行われた際、同車両内で発見された焦げ茶色中ヒール片方は左片方ではなく、右片方であり、かつ、この右片方は、本件発生当夜司法警察員大島英喬が海中から引き揚げられた本件車両助手席側から玉子の遺体を搬出しようとしたとき、運転席窓の一部開いたところから外に出ていた中ヒール履きの右足が引っかかって搬出できなかったため、右大島が石川昌利巡査に指示してこれを脱がせた後一時本件現場の岸壁に置き、その後他の捜査員が本件車両内に投入したものであること、本件発生の翌日前記検証が行われた際、同車運転席後部の後部右側座席の前で玉子のえんじ色のブレザーコート一枚が発見されたが、右ブレザーコートは本件発生当夜本件車両が海中から引き揚げられた際には本件車両助手席に存在したことを肯認するに十分である。

(b) なるほど、被告人の茶色短靴右片方は本件発生の翌日前記検証が行われた際、同車両助手席車床で発見されたことは各所論の指摘するとおりであるが、原判決が四九六頁六行目から四九九頁五行目までにおいて指摘する事由、並びに、本件車両の着水後被告人が同車両運転席から脱出した位置、その際右短靴を履いていた被告人の右足がどのような動きをしたか等不確定要素が存在することを勘案すれば、前記事実をもって本件当時被告人が同車両助手席に乗車していた徴憑とすることはできないものというほかはない。

(c) 関係証拠によれば、なるほど、本件車両を海中から引き揚げた際、玉子の遺体は右足先を同車両運転席窓の十二、三センチメートル開いた隙間から外側に出し、腰部を同車両助手席と同運転席との間のシートの枕の位置付近にあたる天井部に位置させ、その上体を同車両助手席後部座席に位置させていたことが認められるけれども、他方、本件車両は着水後垂直に沈降し、その前部着底後暫くしてゆるやかに底部を上にし仰向けの形で倒れて屋根部を着底させるに至ったのであるが、その間の海水の流入、玉子らのもがき等により玉子の上体が後部座席に移動し、かつ玉子の死亡直前の無意識けいれん状態下でその右下肢が同車両運転席窓方向にのび、右窓の開いていた部分から右足先が外側に突き出た蓋然性もあるから、前記事実をもって本件当時玉子が同車両運転席に乗車していた徴憑とすることはできないものといわなければならない。

(d) なるほど、前記「(運転者の確定に関する事実について)」の5の(一)で述べたとおり、本件車両は左前部が右前部よりも大きく損傷していることは各所論の指摘するとおりであるが、関係証拠、殊に当審鑑定人江守一郎作成の鑑定書、証人江守一郎の当審公判廷における供述、証人江守一郎に対する当裁判所の尋問調書五通によれば、乗用車の車輪に装着されたばねのばね定数(単位長さだけばねを変形させるのに必要な荷重)は前後ばねとも約2kg/mmであり、車両の重心はほぼホイールベースの中間にあるから、前座席左右乗員の腰の中間付近であり、前座席乗員の車体中心線からの距離は、車体中心線から前後輪ばねまでの距離の約半分であるから、左右座席の乗員の体重差が仮に二〇キログラム(ちなみに、被告人と玉子との体重差は約二〇キログラム)であったとすると、体重の大きい側のばねには前後輪を合わせて約一〇キログラムだけ反対側の前後輪ばねより余計な荷重がかかり、体重の大きい側の一つのばねには約五キログラム余計な荷重がかかることになるので、車体は体重の大きな乗員が乗った側がスプリングの位置で約三・五ミリメートル余分に沈むが、本件車両のばね間距離が約一〇〇〇ミリメートルであることを考慮すると、車体は約〇・二〇度傾くにすぎず、この程度の乗員の体重差は車体のロール角に影響を及ぼすものではなく、また、本件車両が離岸後着水するまで自由落下している約〇・六秒間は無重力状態にあって、同車両乗員は同車両と相対位置を全く変えずに運動することが認められる。

従って、本件車両の左右の乗員の体重差により着水時に本件車両が傾くことはなく、本件車両の左前部が右前部よりも大きく損傷しているのは、前記「(運転者の確定に関する事実について)」の5で述べたとおり、本件車両が岸壁に対し約六五度の角度をもって右斜に飛翔したため、着水時に左にわずかにローリングし、わずかに左に傾いた状態で水面に突入したためであることが明らかである。

してみると、前記事実をもって本件車両左側に体重の重い被告人が乗車していた徴憑することはできない。

(e) なるほど、検第五九号の検証調書(第三冊七九四丁以下)第六項、検第六一号の実況見分調書(第四冊八二二丁以下)の添付写真No.48、同49によれば、本件車両を海中から引き揚げた翌日である昭和四九年一一月一八日の午後二時二〇分から別府警察署車庫で本件車両の検証が行われた際、本件車両運転席下側のシートレールは後端から五センチメートル前方の位置にあり、同車両助手席下側のシートレールは後端から六センチメートル前方の位置にあったことが認められるけれども、関係証拠によれば、前叙のように、本件車両が着水したときに受ける衝撃による加速度は車両の水平方向後方に向かって約四gという桁違いに大きいものであるうえ、これにより後部座席乗員は前席背もたれに衝突し、運転席及び助手席シートの止め金をレールから外したうえ、助手席シートの前傾フック状止め金に噛み合うレールの部分を引きちぎり、上方に持ち上げて破壊するほど、前席を前方に強い力で押していることが認められるのであるから、前記事実によって本件車両の離岸前における同車両運転席及び助手席の各シートの位置を推認することはできず、他に記録を精査し、当審における事実取調べの結果を検討してみても、被告人が所論(二)の(1)の④において指摘するように同車運転席シートの位置が玉子の足の長さに合わせた位置に固定されていた事実を窺わせる証跡はない。

(f) 関係証拠によれば、本件車両の着水後同車両運転席乗員がフロントガラスを割った後車外へ脱出する場合は、例えば、ハンドルを握っている手でちょっと体を引きつけると、頭部は元あったフロントガラスの上縁あたりに達するので、更に体を左にひねるように引きつけ、目前に迫ったワイパーの支点部あたりに手を掛けて体を引っ張るだけで簡単に車外へ脱出することができるのであって、格別困難を伴わないことが認められる。

従って、弁護人ら及び被告人の前記各所論はいずれも是認することができない。

7(一)  弁護人らの所論は、原判決が証拠とする証人森崎卯一郎(以下「森崎」という。)の原審における供述(以下「森崎証言」という。)は信用性がないのに、原判決は証拠の価値判断を誤り、これを挙示して原判示第一の殺人の罪となるべき事実を認定するものであるから、原判決には訴訟手続の法令違反、ひいては事実誤認の違法があるというのであり、その信用性を否定すべき事由として、

(1) 森崎証言は、事件直後に作成された同人の司法警察員及び検察官に対する各供述調書よりも約一年一〇か月後になされたものであるのに、右各供述調書より具体的であり、断定的であるのは、不自然、不合理である。

(2) (事件当日走行したコースと時刻について)

森崎は、「当日午後八時過頃妻の実家を出発し、国道二一三号線を通って同日午後九時四〇分頃日出警察署前を通り、そこから国道一〇号線に出て同日午後一〇時頃観光港付近を通過した」と供述しているが、同人が妻の実家を出発した時刻も、日出警察署前を通った時刻も、同人が観光港付近を通過した時刻とは独立に確定できるものではなく、右各時刻はいずれも同人が観光港付近を通過した時刻から逆算したものにすぎないところ、同人が観光港付近を通過した時刻自体、同人が同所から自宅に直行し、家に着いてからテレビのスイッチを入れ、暫くしてコマーシャルが始まったことから唐突にもその時刻を推論し、かつ、テレビを見て知った「事故時刻午後一〇時頃」を前提として、これから観光港付近を通過した時刻を割り出しているにすぎず、同人が同所を通過した時刻に関する供述は信用できない。

(3) (特にニッサンサニー車のことを記憶していた事情について)

本件車両は白っぽい車であり、森崎の知人の永富岩治(以下「永富」という。)が持っているニッサンサニー車(以下「永富車」という。)はブルーの車両であるから、日出交差点から新川交差点まで追従した森崎は、新川交差点に着くまでに本件車両が永富車ではないことを十分知っていたはずであるのに、森崎は検察官の主尋問において、新川交差点でニッサンサニー車が永富車に似ている、永富が運転しているのではないかと思って右ニッサンサニー車を見たと供述するものであって、不自然、不合理である。

また、原判決は、森崎がニッサンサニー車を注目するに至った事情として知人である永富の車両のことまで述べなかったのは、捜査段階では森崎自身本件と関わりを持つようになるのをなるべく避けたいという気持があったためと、右知人の名を出せば同人にも迷惑がかかることになるのではないかということを恐れたためであるという森崎の説明は別段不自然ではないと判示するが、仮に捜査段階では関わり合いになりたくなかったにしても、それは当初の段階のみであり、森崎の検察官に対する昭和四九年一二月二五日付供述調書では森崎が極めて詳細に供述しているところからみて、関わり合いになることは十分覚悟していたものであり、かつ森崎は同人の検察官に対する同年一二月二九日付供述調書では本件当日の状況を何故よく記憶しているかを聞かれているのに、永富車のことは何も供述していないのであり、それに単に車両の型が同じだからという理由で持主の永富の名前を出しても同人に何も迷惑をかけることはなく、また、森崎は昭和四九年一二月一三日小栗寿司で行われた忘年会において永富の名前を出しても同人に迷惑がかかることなど全く考えられないのに同人のことは一言も述べていないのであるから、森崎の前記説明は不自然である。

(4) (運転席を見通したときの状況について)

森崎は同人の司法警察員に対する供述調書においては「私の車は少しガラスが曇っており、相手の車と二枚のガラス越しに左を見ると……」と供述し、同人の検察官に対する昭和四九年一二月二五日付供述調書では「運転席のところのフロントガラスと助手席の窓のガラスを左手でふき、曇をとった」と供述し、原審公判廷においては「フロントガラスも左、右のドアのガラスも発進後運転をしながら全部湿った布でふいた」と供述して、段々と被告人に不利なように供述を変遷させている。それに、森崎が同人の検察官に対する昭和四九年一二月二五日付供述調書で「運転席のところのフロントガラス」だけをふいて助手席の前のフロンイガラスをふかなかったというのも不自然、不合理である。更に、森崎車助手席側窓ガラスの外側には水滴や泥水がついていたであろうし、ニッサンサニーの運転席側窓ガラスの外側にも水滴や泥水がついていたであろうし、同車にはヒーターがきいていたとしても、それだけでは内側の曇はとれないはずである。従って、父親参観に行ったかどうかすら忘れている人間が、雨の日の夜二枚の窓ガラスをとおし、しかもわずか二ないし三秒、利害関係のない人間を見ただけで、その人相や着衣を二週間後まで記憶しているのは不自然である。

(5) (運転者に関する説明について)

原判決は、森崎が、①本件発生数日後の夜自宅でテレビニュースを見ていたときの話と、②昭和四九年一二月一三日寿司店で忘年会をしたときの話とにおいて、いずれもニッサンサニー車の運転者の人相などにつき説明がなかったのは、その場の話題として目撃した時間などからみて目撃した車が本件車両であることに間違いないとしたうえで、あとは運転者が男だったか女だったかという点にしぼられ、従って、運転していたのは男だったということになれば、それ以上にその男の人相などにまでは話題が及ばなかっただけのように考えられる、としている(四五九頁)。

しかし、テレビニュースの場合、通常顔写真つきで放送するはずであり、恐らく本件の場合もそうであったと思われるところ、森崎は右①のテレビニュースを見ていたとき、テレビに向かって「嘘いうな。お前が運転しておって何いうか」と断定的に述べながら、運転者の人相につき会話がなかったというのは不自然である。

森崎の司法警察員に対する供述調書(昭和四九年一二月二一日付)においてニッサンサニー車の運転者の人相に関し説明がないのは、警察官が突然森崎の自宅に来て同人に事情を聴いたため、あらかじめ答の準備をしていなかったためである。

なお、原判決が「後述のとおり、森崎証言にいう着衣の色と被告人が当時着ていたと認められる着衣の色とは比較的よく似ているうえ、色の表現については人により違いがあり得ることなどを考え併せると、当時森崎は運転者の着衣の色についても彼なりに色彩表現をすることができるだけの観察をしていたものということができる」と判示しながら(四六三頁)、その後「そもそも当時被告人が昭和五〇年押第五七号符号8のジャンパーを着ていたという確証があるわけではない」(四七七―四七八頁)と判示しているのは、明らかに理由に食い違いがある。

(6) (森崎が目撃したニッサンサニー車と本件車両との同一性について)

① (時刻の点について)

原判決は本件事故発生時刻を午後一〇時過頃、それも午後一〇時に近い時刻頃になると認定するが、右は誤認であって、これは午後一〇時五分頃である。原判決は、森崎が観光港付近を通過した時刻が午後一〇時頃であるという同人の供述と符合させるため、本件事故発生時刻を午後一〇時過頃、それも午後一〇時に近い時刻頃としているのであるが、そうだとすれば、その時刻から別府警察署が本件事故につき一一〇番通報を受けた午後一〇時九分(記録二五二ないし二五五丁)までの八分ないし九分の間隔が埋められなければならない。

② (車両の特徴について)

原判決は、森崎が目撃した車両の右側面後部車輪の上あたりに長さ二センチメートル位、幅一センチメートル位の大きさの塗料のはげた所が二箇所位あったと供述している点について、「海中転落後の本件車両を撮影した写真で森崎証言にいう所(右後輪の上のボディのふくらんだ縁のあたり)を比較的大写しにしていると思われる写真である司法警察員作成の実況見分調書(検第六三号、第五冊)添付の写真25、26を見分するに、森崎証言にぴったり符合するような大きさの塗料のはげた所は見当らないのであるが、森崎証言にいうのよりは長めの形で縁に沿って塗料のはげている所が存する。従って、この長めの形で縁に沿って塗料のはげている所は転落前はもっと短い部分に分れていたのかも知れず(それが転落の際の衝撃や摩擦などで写真のように拡がった。)、森崎は、それを見て右のように証言しているのではないかと推量する余地がある。或いはまた、森崎が検察官の再主尋問に対して述べているように、右証言部分は必ずしも確かな記憶によるものではなく、泥土がはねてついていたのを塗料のはげた所と見誤ったのかも知れないと推量する余地もある。いずれにせよ、一部の細かい点についてやや不確かな認識に基づく記憶を証言しているところがあるからといって、直ちに目撃した車と本件車両との同一性に疑いを入れる程のものではない」と判示しているが、右は全く証拠によらない認定であって、単なる憶測にすぎない。

それに、森崎は同人の検察官に対する昭和四九年一二月二五日付供述調書において「サニーの右側面後部の下付近にところどころ塗料がはげ落ちている所がありましたので相当ポンコツだなと思いました」と供述しているのであるが、右にいう「ところどころ」とは多数を意味するのであるから、同供述は同人の原審における「二箇所位」という供述と相反する。

従って、森崎の供述は信用することができない。

③ (運転者の特徴について)

森崎は、被告人が当時着ていたジャンパーは国防色のちょっと濃いような色であったと供述するが、被告人の当時着ていたジャンパーは薄い卵色である。内田医師は、被告人の当時着ていたジャンパーは土色の薄い黄色であると供述するが、これは当時被告人はずぶ濡れであったので卵色が土色の薄い黄色であると知覚、表現されたものにすぎないばかりか、森崎のいう国防色のちょっと濃いような色というよりは、被告人のいう薄い卵色という表現に似ている。また、森崎は司法警察職員から取調べを受けた際、被告人の写真を見せられ、色についても誘導されたと推察することも可能である

ことなどを指摘し、

(二)  被告人の所論は、原判決が証拠とする森崎証言は信用性がないと主張し、その信用性を否定すべき事由として、

(1) 森崎証言は変転が多く、不自然、不合理である。

(2) 原判決は森崎の「日出警察署前を通過したのが九時四〇分頃であり、そのときは車に備えつけの時計を見た」との供述は時刻の点で信用できないとするが、それなら、同人の「家へ上がってテレビのスイッチを入れた時間が一〇時一〇分過ぎ頃であった」との供述及び「家についてからテレビのスイッチを入れるまで五分位かかっている」との供述も信用できる理由はない。

(3) 原判決は、森崎が特にニッサンサニー車のことを記憶していた事情について、知人の永富が本件車両と同型のニッサンサニー車を持っていたのは事実であるから、自動車の車種、型式などに興味をもっている森崎が、問題のニッサンサニー車を特に関心をもって見たということは極く自然な成行きであって、これにそう森崎の証言部分は十分信用することができる、という。

しかし、森崎の知人の永富の持っていたニッサンサニー車は車体の色がブルーであるので、森崎が同車と白っぽい本件車両とを見間違ったり、友人の車ではないかと思って注目し一五分間も追従したりするはずがない。

(4) 原判決は、森崎証言にいう目撃した車両の運転者の着衣の色と被告人が当時着ていたと認められる着衣の色は比較的よく似ている、確かに、森崎証言にいう国防色のちょっと濃いような色と被告人がいう薄い卵色とは必ずしも厳密には一致しないようであるが、色についての表現は人により違いがあるうえ、そもそも当時被告人が原庁昭和五〇年押第五七号符号8のジャンパー(これを薄い卵色と表現するかどうかも問題がないわけではない。)を着ていたという確証があるわけではない、むしろ、救助直後に救急車で運ばれた被告人を診察した内田医師によれば、被告人が当時着ていたのは土色の薄い黄色のジャンパーであった(内田正の司法警察員に対する供述調書)というのであって、これは若干濃淡の違いはあっても、森崎のいう色と比較的よく似ているといえる、と摘示する。

しかし、被告人が当夜着ていたものは、右符号8の薄い黄色のジャンパーであり、森崎証言にいう国防色のちょっと濃いような色とは明らかに異なるのである。

(5) 本件車両の運転席には三角窓がついているのに、森崎は目撃した車両に三角窓があったかどうか覚えていないと供述しているのである。

(6) 森崎は目撃した車両の「右後車輪の上のフェンダー部分に一センチ×二センチの大きさの塗装の剥げたところがあった」と供述しているが、本件車両にはそのような塗装の剥げたところは全く存しないことなどを指摘するのである。

(ヘ) しかしながら、

(a) 右(一)の(2)に関し、なるほど、森崎が当日妻の実家を出発した時刻も、日出警察署前を通った時刻も、森崎が観光港付近を通過した時刻とは独立に確定できるものではなく、右各時刻はいずれも同人が観光港付近を通過した時刻から逆算したものであり、同付が観光港付近を通過した時刻も、同人が同所から自宅に直行し、家に着いてからテレビのスイッチを入れるなどし、暫くしてコマーシャルが始まったことなどからその時刻を推論し、これら観光港付近を通過した時刻を割り出したものであることは所論の指摘するとおりであるが、関係証拠によれば、原判決が四二八頁一行目から四三七頁一一行目までに指摘する事実を肯認することができるのであって、同人がテレビを見て知った「事故時刻午後一〇時頃」を前提としてこれから観光港付近を通過した時刻を割り出していると断定するに足りる資料はない。而して、右事実によれば、右所論(一)の(2)は森崎が当日観光港付近を通過した時刻を午後一〇時ちょっと過頃であるとする森崎証言の信用性を否定すべき事由としては是認できないものである。

(b) 右(一)の(3)及び(二)の(3)に関し、関係証拠によれば、森崎は当日日出警察署前から観光港第三埠頭入口までの間白っぽいニッサンサニー車の後を追従したものであるが、当時知人の永富岩治の持っているニッサンサニー車は白っぽい色であると記憶し、かつ森崎において前車である右ニッサンサニー車が右永富の車に似ていると思ったのは亀川の新川交差点に進入した頃であることが認められる。そうしてみれば、右所論(一)の(3)の前段及び右所論(二)の(3)は、本件車両が白っぽい車であることを除いて前提を欠くことになり、森崎証言の信用性を否定すべき事由とすることはできない。

また、関係証拠によれば、森崎は鮮魚商を営んでいるものであるところ、さきに自分の子供がひき逃げにあった事件やあて逃げを目撃した事件について警察に届け出た結果、何回も長時間にわたり事情聴取をされて商売にも甚大な支障をきたしたうえ、肝心のひき逃げ犯人は検挙されないという苦い経験をもち、警察にも不満を抱いていたため、折から一二月の多忙な時期を控え、前記目撃状況については警察に届け出ないままにしていたものであり、たまたま森崎が本件当日本件車両を目撃したという話は同人の友人の口から洩れて捜査官の聞き込むところとなり、森崎は昭和四九年一二月に司法警察員及び検察官からそれぞれ事情聴取を受けたのであるが、その際司法警察員から事情聴取を受けた後検察官から呼出を受け、新聞記者の訪問も受けたため、妻から「ほらみない。あんたがいうから商売も何もできやしない。年末で忙しいときに、入り代り、立ち代り来るじゃないの。」などと苦情を言われたりもしたので、捜査官から問われることについて供述したぐらいで、右永富の名を出せば更に同人が呼出等を受けて同人の営む酒類販売業にも支障をきたし同人に迷惑が及ぶと考え、前記ニッサンサニー車が右永富の車に似ていると思ったことは供述しなかったものであり、森崎が昭和四九年一二月一三日小栗寿司で行われた忘年会において永富の名前を出さなかったのも、これを持ち出す必要が少しもなかったからであることが認められ、本件殺人事件の犯人であると考えられていた被告人の運転していた車両と見間違うような車両を知人が持っているとさらけ出すのは、特別の事情がない限り同人にとって迷惑であるとして憚られるのは、自然であっても、決して不自然ではない。してみると、森崎が検察官に対し右永富車のことを供述しなかったのは不自然であるとか、車の型が同じだからという理由で持主の永富の名前を出しても同人に何も迷惑をかけることはないとか、小栗寿司の忘年会で永富の名前を出しても同人に迷惑がかかることなど全く考えられないとかいう右所論(一)の(3)の後段も当を得ないものである。

(c) 右(一)の(4)に関し、関係証拠によれば、なるほど、森崎は昭和四九年一二月二一日司法警察員に対しては「私の車は少しガラスが曇っており相手の車と二枚のガラス越しに左を見ました」と供述し、同月二五日検察官に対しては「私の運転席の所のフロントガラスと助手席の窓のガラスをぼろ布で左手でふき、曇りを取りました」と供述し、原審においては「最初左をふき、前をふいて、上の方をふき、右をふいた。その一部は発進してからふいた」旨供述しているけれども、それは当初は前記経緯のもとでできるだけ本件とかかわり合いになりたくないと考えあいまいに供述していたにすぎなかったものが、事情聴取や証言の回を重ねて質問がより具体化するにつれ供述も真摯なものとなって明確化、具体化するに至ったものであり、森崎が検察官に対し右のとおり「運転席の所のフロントガラスをふきました」と供述したのは、「助手席と区別された運転席の所のフロントガラスをふきました」という趣旨ではなく、「後部座席と区別された、助手席を含む前部座席の所のフロントガラスをふきました」という趣旨であり、森崎は本件の二、三日後、テレビ及び新聞で本件の記事や被告人の顔写真を見てすぐ当日のことを思い出したものであることを認めることができる。もっとも、森崎は昭和四九年一二月二五日検察官に対し本件について供述したときは、本件当日午前八時過に子供の学校の父親参観に赴いたことを忘れていたので、同月二九日検察官に対しその旨追加供述をしているけれども、森崎にとって本件当日前記ニッサンサニー車及びその運転者を目撃した二、三日後にこれらに関する当時の記憶とテレビ及び新聞の右報道とを対照し、同人及び同車両が殺人事件の犯人及びその犯行の用に供された自動車であると知覚するに至った出来事は異常特別の体験であるから、その核心となる鮮明な印象は比較的長期間にわたってこれを記憶するのが通常であるのに反し、当日が父親参観日であったというような事柄は、日常的な出来事であって、印象は稀薄であり、記憶に保持されにくいものであることは明らかである。従って、森崎が右のように父親参観に行ったかどうかを忘れていたからといって、本件当日の前記ニッサンサニー車の運転者の人相や着衣を右各供述段階まで記憶していたことを不自然であるとすることはできない。また、記録を精査し、当審における事実取調べの結果を検討してみても、森崎の運転していた車両助手席側窓ガラスの外側や前記ニッサンサニーの運転席側窓ガラスの外側に水滴や泥水が付着し、あるいは同車運転席のガラスが曇っていたために、森崎が右ニッサンサニーの運転者の人相や着衣を知覚することが困難であったことを窺わせる証跡はない。そうすると、右所論(一)の(4)も当を得ないものである。

(d) 右(一)の(5)に関し、関係証拠によれば、森崎が本件の数日後本件を報道するテレビニュースを見、妻のいるそばで被告人の顔を映しているテレビに向かい、「嘘を言うな。お前が運転しておって、何言うか。」と述べたところ、妻から「あんたは見たんかえ。見もせんことを言うなえ、あんた。」と言われたので、「見らんのに、そげんことが言えるのか。」と述べると、妻が「へえ。」と言ったこと、森崎は司法警察員に対する供述調書(昭和四九年一二月二一日付)において前記ニッサンサニーの運転者の人相につき、「私のように髪はオールバックにしたような長顔の男」と供述していることが認められる。而して、森崎とその妻との右の会話の遣り取りに徴すれば、森崎はその妻から当日被告人が本件ニッサンサニーを運転しているのを見たかどうかを問われたにとどまり、その人相については問われなかったので、人相については述べなかったものであることが明らかであり、これをもって不自然であるとすることはできない。また、原判文によれば、原判決が四六三頁五、六行目においていう「後述のとおり」とは、所論の「そもそも当時被告人が昭和五〇年押第五七号符号8のジャンパーを着ていたという確証があるわけではない」(四七七頁一一行目ないし四七八頁二行目)という部分を指すものではなく、四七八頁三行目ないし九行目にいう「救助直後に救急車で選ばれた被告人を診察した内田医師によれば、被告人が当時着ていたのは土色の薄い黄色のジャンパーであったというのであって、これは、若干濃淡の違いはあっても、森崎のいう色と比較的よく似ているといえるのである。」という部分を指すものであることが明らかである。従って、原判決には所論のような理由の食い違いはない。してみると、右所論(一)の(5)も是認することができない。

(e) 右(一)の(6)の①に関し、関係証拠によれば、本件車両は当日国道一〇号線から第三埠頭の離岸地点まで約三〇〇メートルを走行し、離岸して海面に着水後約数十秒して車体全体が水面下に沈み、その後被告人が海面に浮上し、「助けて下さい。」と言い、石原武司が被告人に「こっちへ来い。」と申し向けたのに対し、「どっちか。」と尋ねたので、石原武司が石原光夫に「ライトを照らしてやれ。」と命じ、同人が折から釣竿の穂先を照していたライトを取って被告人の方を照らすと、被告人が「助けて下さい。」と三度位言いながら岸の方へゆっくり泳いでくるや、石原武司が魚をすくうたぶを持って来て、その網の方を被告人に差し出して掴まらせたうえ、右岸壁東方の階段までゆっくり連れて行きかけると、付近でこれを目撃した長野国憲が鞭目信子とともに付近に駐車していた乗用自動車に戻ってこれを運転し、別府ドライブイン前まで赴き、同所の公衆電話で同日午後一〇時八、九分頃一一〇番通報をしたことが認められる。而して、右事実によれば、本件車両の海面転落時刻は原判示の午後一〇時過頃、それも午後一〇時に近い時刻頃(これは午後一〇時過であって、午後一〇時五分より前の時刻頃の意と解される。)であることを否定することはできない。

右(一)の(6)の②に関し、原判決の推量するところは、原判決の挙示する証拠及び経験則によって推認することができるものであるから、前記判示をもって証拠に基づかない認定であるとすることはできず、また、「ところどころ」とは「あちこち」の意味であって、必ずしも三箇所以上の多数を意味するものではないから、森崎の検察官に対する昭和四九年一二月二五日付供述調書における「ところどころ」という供述部分が、森崎証言における「二箇所位」という供述部分と相反するということもできない。

右(一)の(6)の③及び右(二)の(4)のに関し、当時被告人が当庁昭和五五年押第二六号(原庁昭和五〇年押第五七号)符号8のジャンパーを着ていた確証があるわけでないことは原判決の指摘するとおりであるばかりでなく、そもそも色彩は反射光その他の環境的条件によって微妙に変化して見えてきたりするため、色彩についての供述は一般に不精確なものが多いのであるから、森崎証言における被告人の着衣に関する供述部分が他の関係証拠と右各所論が指摘する程度に食い違っているからといって、森崎の前示車両及びその運転者の同一性に関する核心部分の供述の信用性を否定する事由とすることはできない。なお、記録を精査し、当審における事実取調べの結果を検討してみても、森崎が司法警察職員から事情聴取を受けた際所論のような誘導を受けた形跡を見出すことはできない。

従って、右所論(一)の(6)及び右所論(二)の(4)も是認することはできない。

(f) 右(二)の(2)に関し、原判決が森崎証言における「日出警察署前を通過したのが午後九時四〇分頃」であるという供述部分を採用できないとする理由は原判決の四三八頁三行目ないし四四〇頁一一行目において摘示するとおりであり、同証言における「家にあがってテレビのスイッチを入れた時間が午後一〇時一〇分過頃であった」、及び「家に着いてからテレビのスイッチを入れるまで四、五分ぐらいかかっている」との各供述部分は、前叙のように、右の日出警察署前を通過したのが午後九時四〇分頃であることを前提として割り出したものではなく、これとは別個独立の根拠に基づいて割り出したものであることが明らかである。

そうすると、右所論(二)の(2)は当を得ないものである。

(g) 右(二)の(5)に関し、なるほど、関係証拠によれば、本件車両の運転席には三角窓がついているのに、森崎は前記ニッサンサニーに三角窓がついていたかどうかを記憶していなかったことが認められるけれども、人の知覚及び記憶は断片的、選択的であって、脱落している部分のあることは避けがたいことであるから、右の程度の知覚及び記憶の脱落があることをもって、森崎の前示車両及びその運転者の同一性に関する核心部分の供述の信用性を否定することはできない。

(h) 右(二)の(6)に関しては、原判決が四七二頁一二行目から四七六頁二行目までにおいて摘示する理由により、同所論指摘の事由によって森崎証言の右核心部分の供述の信用性を否定することはできない。

(i) 右(一)の(1)及び右(二)の(1)に関し、関係証拠によれば、森崎の供述は、前記(b)、(c)において述べた経緯のもとで、当初は簡単又はあいまいであったものが、後に具体的又は明確なものとなっていったことが認められるけれども、森崎証言の核心部分は具体的で詳細に個々の点にわたるものであり、前示のように各所論指摘の部分はもとより、その他においてもこれを子細に検討しても、不自然、不合理な点は少しもない。

(j) 以上のとおりであって、森崎証言は関係証拠に現われた個々の客観的状況ともよく整合し、矛盾その他信用性を阻害すべき事由を発見することができないので、原判決が右証言を措信したことは相当というべきである。

従って、前記各所論はいずれも採用することができない。

(被告人の結婚、養子縁組、保険の加入、及び本件車両の購入その他の各状況に関する被告人の所論について)

所論は、

1  原判決は、「被告人は、母子家庭を物色して玉子母子を知るや、積極的に玉子に接近して結婚を申し込み、次いで同女を性急に促して同女との婚姻届、太郎、祐子及び涼子との養子縁組届を提出させたのであるが、その後の被告人と玉子母子との生活の実態をみると、結婚や養子縁組とは名のみで、身内にはこれを隠していたうえ、玉子母子とは同居しなかった」とか、「被告人が本件発生時までに締結していた保険契約関係によれば、玉子、祐子及び涼子の三人が本件車両に同乗中交通災害により同時に死亡した場合の保険金総額は、三億一〇〇〇万円(玉子分一億一〇〇〇万円、祐子分一億円、涼子分一億円)に達する」とか、「被告人は、玉子と結婚した直後の昭和四九年八月初め頃、別府市内の自動車修理業兼中古車販売業大津モータースこと大津敬久方を訪れ、同人に対し、先ず軽四輪乗用自動車の物色を依頼し、次いでその約一週間後の同月七、八日頃再び同人方に赴いて、今度は普通乗用自動車の購入を申し入れたところ、同人から本件車両(車検は同年一二月一四日まで)とカローラ一一〇〇CC(車検は同年九月七日まで)の二台(いずれも売価七万円)を見せられた。そこで、被告人は同年八月二〇日頃本件車両に試乗したうえこれを購入することとし、同月三一日代金七万円を支払い同年九月三日車の所有名義を荒木玉子とする登録手続を了した。次いで、被告人は、同月五、六日頃、一人分のシートベルトを大津方に持参し、本件車両の運転席への取付を依頼した。これに対し、大津が、本件車両にはシートベルト装着用の金具がついておらず、取付が面倒なので『この型の車にはシートベルトを取り付けなくてもいいんですよ。それに取付の金具がついていないから難しいんですよ。』と説明したが、被告人は、『女が運転するから危険防止のためにつける。とにかく取り付けられるところに取り付けてくれ。』とあくまで取付を求めた。そこで、大津は、その翌日頃半日がかりで被告人が持参したシートベルトの一端を運転席端の金具に取り付け、他の一端をプロペラシャフトの覆い金具の横に穴をあけて取り付け、漸く装着した。」とかの事実をもって、被告人が保険金詐取目的の殺人計画の準備としてなしたこと、あるいは、本件車両を海中に飛び込ませ右計画を敢行した場合のことを念頭に置き、そのときの着水衝撃から身を守るための準備であることの徴憑であるとするが、これらはいずれも被告人の適法な私生活行為に言い掛かりをつけるものであって、不当である。

2  原判決は、「被告人は、本件保険料の支払能力については、主に右の速途不明金に着目し、『検察官が立証しただけでも七〇〇万円程の現金が残っていたのだから、自分はあと一年間、昭和五〇年暮頃までは収入を得る必要がなく、一か月一四万円位の保険料は容易に支払うことができた』旨弁解している。しかしながら、右の収支状況は、捜査官が関係証拠により裏付けの得られたところを収支一覧表にまとめたものであって、被告人が主張するように使途不明金がそっくりそのまま被告人の手許に残っていることを意味するものでないことは勿論である。すなわち、右一覧表に支出として掲げてある主なものは、土地代、家賃、光熱費、電話代、水道代、自動車購入費、ガソリン代、Y子のため物品を購入した代金、Vに与えた小遣銭、B子に与えた生活費、玉子方の生活費及び保険料等であって、被告人自身の食費(Y子経営の「Yの家」食堂での食費を除く)を中心とする生活費、I子らとの交際費、その他諸雑費等は計上されていないのである。(中略)昭和四九年一〇月一二日五万円を、同年一一月二五日一〇万円をそれぞれQ子の預金通帳から同女に無断で引き出して費消した……」と認定するが、司法警察員作成の「荒木虎美の収支状況捜査について」と題する書面(第八冊一四八八丁以下の検第二五四号)中の収支一覧表には被告人の食費、生活費、交際費等合計二二八万一五四七円が計上されており、またQ子名義の右預金は被告人のものであるから、以上はいずれも事実誤認である

というのである。

(ト) しかしながら、

(a)  右1に関し、間接事実(徴憑)は、要証事実に関連し、これを推断させるものであることを特徴とするものであって、所論が前提とするように違法行為であることを要するものではない。

而して、前叙のように異常な、被告人の結婚及び養子縁組状況、保険の加入状況等は、被告人が右結婚、養子縁組、保険加入等を原判示保険金詐欺目的の殺人計画の準備としてなしたものであることを推断させ、また、被告人が大津敬久をして本件車両に前示のとおりシートベルトを取り付けさせたことは、被告人が本件車両を海中に飛び込ませ右計画を敢行した場合のことを念頭に置き、そのときの着水衝撃から身を守るための準備としてなしたものであることを推断させるものである。

従って、原判決がこれらの間接事実をもって右各要証事実の徴憑としたことは相当である。

(b)  右2に関し、原判決は、所論指摘の収支一覧表には、被告人がY子経営の「Yの家」食堂で食事をした食費以外の被告人自身の食費を中心とする生活費、I子らとの交際費、その他諸雑費等は計上されていないと摘示している(原判決九三〇頁二行目から一一行目まで)のに対し、被告人の右主張は右収支一覧表のどの部分を指摘するのか不明であって、特定性、具体性を欠くばかりでなく、右収支一覧表によれば、これには、原判決が摘示するとおり、被告人が昭和四八年九月から昭和四九年一〇月まで右「Yの家」食堂で食事をした合計一二万四〇〇〇円の食費以外の被告人自身の食費を中心とする生活費、I子らとの交際費、その他諸雑費等は計上されていないことが明らかであり、また、Q子の検察官に対する昭和四九年一二月二三日付(検第一四四号、第三〇冊)及び同五〇年二月三日付(検第一四七号、第三〇冊)各供述調書によれば、所論にかかるQ子名義の預金は同女が夫Q夫と別居した際同人からもらった金員の一部を預金したものであって、同女の所有に属することが明らかである。

従って、右所論1、2はいずれも当をえないものである。

(犯行計画に関する所論について)

1  弁護人らの所論は、原判決が証拠とする原審証人L(以下「L」という。)の供述(以下「L証言」という。)には信用性がないと主張し、その信用性を否定すべき事由として、

(一)  被告人は、Lが供述するように、宮崎刑務所内においてケネディの交通事故の発生状況、内容及び保険について話したことはない。

(1) Lは、宮崎刑務所において服役中、同じく同所で服役中であった被告人から雑役夫を通じてケネディ事件を掲載した週刊誌の差入れを受けた昭和四六年以降、入浴や運動の際被告人からケネディ事件の話をされたと供述しているけれども、

① 被告人がLと同時に右刑務所に服役した期間である昭和四六年一一月から昭和四七年一一月までの間右週刊誌を所持していたことは極めて疑問であり、また、雑役夫が監視の目を盗んで在監者に週刊誌を差し入れることがあるとは考えられず、現に被告人がLにこれを差し入れたことはない。

② Lが右期間中被告人と同時に運動したことはなく、また、被告人が運動場で運動中その傍の舎房の在監者と話を交すことは厳しい監視を受けて不可能であった。

③ 刑務所の入浴につき独居拘禁者に対しては一人一槽の浴槽が使用されていたから、独居拘禁者であったLが入浴中に被告人と話を交すことはありえず、浴場入口ですれ違うときでも挨拶程度の声を交すことができるにすぎない。

(2) 原判決の判示するように、被告人が右刑務所考査房において、保険金殺人事件の事前準備の一環として保険に関心を示したことはない。

(3) Lは、昭和四九年七月一八日と同月二七日にも被告人がケネディ事件の内容を話題にしたと供述するが、同供述は前記刑務所在監中に被告人がLに対しケネディ事件の話をしたことを前提とするものであるところ、その事実が存在しないのであるから、右一八日と右二七日のこともLの嘘言というべきである。

(二)  被告人はLと親密な関係にはなく、同人に殺人計画を打ち明けたことはない。

原判決は、被告人とLは、昭和四三年八月二七日から同年九月二日までの七日間宮崎刑務所拘置監第二二房において同房者として過ごしたことを機に親しくなったものであるが、その間被告人はLに対し、広瀬茂(以下「広瀬」という。)を殺害しその財産を奪うことの協力を求めたところ、Lも、被告人がいうように広瀬が悪い人物で、同人を殺害することにより金儲けができるなら被告人の計画に加担してもよいと考え、「私もそれに体を賭けよう。」と言って協力することを約束し、二人の舎房が別になった後は、主として運動時間に互いに接近した機会をとらえ、右計画の手はずや、実行方法について話し合い、先に出所することになる被告人がその道具及びLの住家を用意してLの出所を待つことにしたものの、被告人は、Lが出所後自己の旅行中に自宅を訪ねてきたことを昭和四九年七月一四日に知った際には、既に広瀬殺害に関する計画を実行する必要や意欲を失い、Lの援助や加担を必要とする事情もなくなっていたので、Lが同月一八日に乙ビルに訪ねてきた際、Lに対し、「広瀬は今病院に入院しており、明日、あさっても知れない体だから、手をかけるまでもなく、放っておいても死ぬだろう。」と言って被告人自身既に右計画を取りやめるに至っていたことの弁解をするとともに、「他の金儲けをしよう」と話を変え、「近いうちに荒木玉子と結婚し、荒木姓に入籍する。子供もいるが、子供とは養子縁組をする。」旨説明し、被告人自身は保険金目当てに自動車の海中転落事故を装った殺人事件を起こし、一儲けすることを企図しているとして、「イチかバチか自分の身を賭けてしなければ金儲けはできない。車や人に保険を掛けて海に飛び込むのが確実な金儲けだ。飛び込んで自分が助かってくれば保険金が入る。」旨洩らし、それとともに、保険を掛ける相手方について、「家族全員に保険を掛ける。」旨、保険金額についても、「何千万、何億と掛ける。成功したらLに五、六千万はやる。」旨、掛金について、「多少なりとも呼び水を入れんことには大きな金儲けはできない。呼び水の金といっても馬鹿にならない。一四、五万から二〇万円位要る。借りてでも掛ける。保険金が取れれば返すことは容易い。」旨、保険金の受取人にさいて、「受取人は従兄弟かはとこの名義にすればよい。自分を受取人名義にすれば世間が怪しむ。」旨、また、自動車を運転し海中に飛び込むことの危険性について、「自分より体力の劣る人間は助からないだろう。自分は一〇のうち二つか三つ助かる可能性がある。」旨、右計画の具体的内容についても縷々説明し、また、Lを自動車に乗せ広瀬方前まで案内する途中、先ず別府国際観光港第一埠頭入口付近の花壇横に車を停め、自動車を運転して海中に飛び込んだ場合の被告人の脱出可能性について話し、第三埠頭フェリー桟橋付近の岸壁においてLに対し、「助手席ドアを半ドア(少し開けた状態)にしておいて、車のハンドルを右に切った場合(助手席に乗っている人が)左側に寄って車の外に飛び出る。ハンドルを左にきればその反対になる。」旨説明するとともに、実際に同岸壁端から一メートルもないところで急に右ハンドルをきるという危険な運転をしてみせ、開いた運転席ドアから脱出できるとして、犯行計画を実行した場合の被告人の脱出の可能性をLに示唆し、同年七月二六日もLと会って、被告人運転の自動車で西大分の「花月」という元遊郭前を通った後、翌二七日に会うことを約束し、同日約束どおりLと会い、Lを車に乗せ、広瀬宅前まで案内する途中観光港第三埠頭に立ち寄った際、前記七月一八日と同じようなことが話題になったが、Lが車ごと川の中に転落したときの体験として、偶々車内に工具を積んでいたので、その工具でガラスを割って脱出した旨説明したところ、自ら「ハンマーか何かで叩けば割れるだろうが。」と話し、同年八月一二日も自宅でLと会い立話をした事実を認定するが、右にそうL証言は、被告人とLとが昭和四三年八月二七日から同年九月二日までの七日間宮崎の刑務所拘置監第二二房において同房者として過ごしたこと、及びLが出所後昭和四九年七月一八日に乙ビルに被告人を訪ねたことを除き信用性がない。

何故なら、

(1) 被告人がLと初めて知り合ったのは、宮崎刑務所の考査房で同居していた昭和四三年八月二七日であり、右両名が同刑務所考査房に同居していたのは同日から同年九月二日までの七日間であるところ、わずか七日間に、他の同房者数名がいる中で、殺人という重大な犯行計画をすすんで打ち明けるほど親密な関係が形成されていた契機が存在しない。

(2) Lが宮崎刑務所で被告人と同時に運動をしたことはなく、たとえ被告人と同じ時間帯に同じ運動場に出ていたとしても、二人の間は区分しあって、一対一の看守の監視の下におかれ、私語は厳禁されていたので、特別親密な関係にもない二人が反則まで犯して話を交すことはありえない。

(3) 広瀬は慢性気管支炎と心臓病で昭和四八年三月から入院し、Lが乙ビルの被告人宅を訪ねてきた昭和四九年七月一八日当時、被告人は広瀬の病気は重く、やがて死亡するだろうと判断していたのであるから、もし被告人が原判決の認定したような広瀬に対する犯行計画を真実持っていたとすれば、自らも死亡する高度の危険性を有する本件の如き犯行を計画するよりも、広瀬の入院、不在を利用して、実行意思を有していたLと共同で直ちに広瀬の財産を取り返すべく犯行を実行したか、さもなくば、広瀬の死亡をまって所期の目的を果そうと計画を立て直すのがむしろ犯行計画を立てるに至った動機と目的並びに経緯から推して被告人のとるべき自然な態度である。このように広瀬を殺害しなくても、財産を奪うことが可能な状況に変わってきたことを考えるとき、もし原審が認定するように被告人に真実広瀬に対する犯行計画があるとすれば、財産を奪うという必要や意欲がなくなることはありえないことである。

(4) もし被告人が本件犯行計画を真実持っていたとすれば、妻と子供を殺害し、保険金三億一千万円の詐取を企図したことで極刑と溺死の危険を賭けた恐るべき残酷な、前代未聞の犯行計画は、当然細心の注意をもって立案され、諸事万端にわたり慎重な取り計らいがなされよう。犯行計画の立案と犯罪の実行が単独で可能であれば、共犯者を誘い込むことが犯行計画者にとって百害あって一利もないことは明白である。ただ不信感や警戒心を抱いていないという程度の消極的信頼関係にとどまる者を、共犯者に誘い込むことがないことも明らかである。

ところで、原判決は、本件犯行の手はずや分担方法について二人の間で具体的な相談がなされた形跡や、被告人の方からLの具体的な役割や分担を指示しながら同人の援助を求めるような言動をとったということも特に窺われないのであるが、これはもともと被告人においてLを右計画に積極的に加担させようという程の考えまでもなく、また、右計画を打ち明けられた際のLの反応としてもアクアラングでもつけておかなければ自分の命が危ないといった意見にみられるように消極的な態度があったことによるものであるとみることができ、特に不自然ともいえないと摘示する。

しかし、第一埠頭入口付近の花壇横において、Lが右のように犯行計画に消極的で、加担する意思がないことを被告人が読みとっていたとすれば、第三埠頭フェリー桟橋付近の岸壁において、被告人がLに対し前示のように説明をするとともに、危険な運転をしてみせ、犯行計画を実行した場合の被告人の脱出の可能性を示唆する必要が何故あったのか極めて疑問である。のみならず、同様の犯行計画を企図していることを更に同月二七日わざわざ観光港まで行ってLに洩らす必要が何故あったのかも疑問である。

(5) 原判決は、Lの原審第二一回公判における主尋問の段階での証言をみると、Lは宮崎刑務所出所後に被告人と再会した際、被告人から広瀬を殺害する必要がない旨説明を受けるとともに、「他の金儲けをしよう。」と誘いかけられた旨証言しながら、検察官からその内容について尋問をうけるや、宮崎刑務所での同房時に被告人との間で交通事故に関する保険の話が出たとか、被告人がVに会うかと言い出したとか、広瀬方ががら空きなので泥棒に入るよう勧めたとか意識的に尋問事項とは余り関係のない事柄を答えたり、結局、他の金儲けの話というのが交通事故に関する保険の話であることを証言しながらも、その具体的内容について尋ねられて、「保険に掛かっておれば、車の事故で向こうからぶっつけられたりしたときも、補償と中古車やったら新車に代る、その程度の話でした。」と中途半端な答をしたり、或は、「海中に車の車体ごと落ちる、乗っている人に保険を掛けるという話であった。」旨証言する一方で、その証言中に刑務所在監中の広瀬殺害に関する話を意図的に介在させ、証言内容を暖昧にすることに努めたりしていたのであって、右のようなLの証言中にも、被告人をかばい不利益な証言を避けようとする態度が実際にもみてとれるのである、と摘示する。

しかし、Lは同人の検察官に対する昭和四九年一二月二七日付供述調書において、罪もない女と子供が死んだということに考えさせられることがあって捜査に協力する旨供述しているのであるから、本件について被告人をかばうはずがなく、また、ダイナマイトを用いて広瀬を殺害し、財物を奪取しようとまで計画したLが憐憫に動かされるとは思えないのであるから、Lの罪もない女子供が死んだということに考えさせられることがあったという供述も信用性はない。Lは被告人から期待した利益にあずからず、反って邪魔者扱いにされた仕打ちに対する不満と反感から思いつく限りの嘘言を並べたものである。

(6) 原判決は、L証言によれば、保険金詐取目的の犯行計画の具体的内容についても、被保険者、保険金額、掛金及び受取人などのほか、自動車の海中転落事故死を装って殺害するという殺害方法まで打ち明けられたというのであるが、その証言内容は具体的且つ詳細であり、何よりも実際の事実、Lが読んだ可能性のある昭和四九年一一月一九日付及び同月二一日付の各毎日新聞の記事では全く報道されておらず、被告人から聞かなければ分らない事柄に極めてよく符合しているのであって、被告人が第三埠頭で急ハンドルをきる運転をしてみせたという件をも併せ考えると、極めて説得的であって、真実体験した者でなければ語れないのではないかと考えられると摘示する。

しかし、Lの原審公判廷における供述中原判示事実に符合する部分は、Lの検察官に対する供述調書と大きく食い違っているばかりでなく、Lは同人が目を通したと思われる昭和四九年一一月一九日付及び同月二一日付の各毎日新聞の記事によっても、以上の知識を得るのに十分である。

(7) 原判決はL証言を信用した事由の一つとして、

① Lは第三埠頭から第二埠頭に行く道は「ゴタゴタ工事をしているようで通れなかった」旨当時の事実に符合する証言をしているところ、右護岸工事については、Lの証言後検察官が捜査をした結果判明したものであって、L証言には真実第三埠頭に行った者でなければ指摘できないような事実についての証言が存すること、

② Lは被告人が第三埠頭に行く前に第一埠頭入口付近の花壇の横に立ち寄り、同所で第三埠頭の方を指さし、「ここで以前車が海に飛び込んだ。」と説明してくれたので、その方向を見ると燈台が見えた旨証言しているが、右状況は同所付近の状況によく似ており、しかもLは昭和四九年一二月二二日検察官から事情聴取された際、被告人と立ち寄ったという第一埠頭入口付近の状況を図面に作成しているところ、この図面も同所付近の状況と花壇の位置や形状等の点においてよく似ているのであるが、Lはもともと別府市の地理に不案内であったうえ、宮崎刑務所を出所した後のLの行動をみても、同人が被告人と一緒に行ったとしている他に観光港に立ち寄ったという形跡もないのに、捜査官に同行して観光港に行った昭和五〇年一月より前にすでにほぼ正確な第一埠頭入口付近の図面を書いていることは、真実被告人に案内されて第一埠頭入口付近に立ち寄ったことを如実に物語っていること

③ Lは、相川検察官の取調べの際、被告人が急ハンドルをきってみせたという第三埠頭フェリー桟橋付近の地形を図面に書いているが、被告人が急ハンドルをきってみせたフェリー桟橋付近の岸壁が国道一〇号線から第三埠頭に入って直ぐのところに位置しているという基本的な位置関係は、むしろ実際とも符合しているのであり、この点はL証言の信用性を裏付けるものであること、

④ L証言によると、Lは「昭和四九年七月二六日被告人運転の車で大分駅まで行く途中に花月というところを通ったが、その際被告人からそこが元遊郭の跡であると説明をうけた。」というのであるが、右説明の内容は実際に被告人にその場所に連れて行かれ説明をうけなければLには分らない事柄であると思われるのであり、その位置からしても、もともと地理不案内のLが一人で行ったとは考え難いのは勿論、同人一人では特に行く必要のないところであって、このことに徴しても、右七月二六日に関するL証言の信用性は高いこと、

⑤ L証言をみると、Lは第二四回公判に至って、昭和四九年七月二七日ピットや待合室を目にした記憶も残っておる旨証言しているところ、ピットについては同人の相川検察官に対する供述調書写に添付の図面に実際に画かれており、待合室についても、「田舎のバス停というか粗削りで倉庫みたいなところで、被告人からフェリーの待合室と聞いたが、それにしては貧弱だと思った。」旨極めて印象的な証言をしていることからみて、Lがピットや待合室の記憶を有していたことはほぼ確実なところと思われ、しかも、第三埠頭丙道路先フェリー岸壁には実際にピットが埋められており、待合室の状況もL証言と符合していることを併せ考えると、Lは実際に第三埠頭でピットや待合室を目にしその記憶を有していたこと、

⑥ L証言によれば、第三埠頭で周辺道路を一巡してから広瀬方前まで行く途中、国鉄のガードの手前で被告人が左側の家を指さし、「ここが有名な山本先生の家で息子さんもまた弁護士をしている。」と説明したりしたうえ広瀬方前まで案内してくれたというのであるが、山本先生の家を説明した件の如きはLにとっては被告人から聞かなければ到底分らない事柄であると同時に、右のような説明は実際にその家を目の前にしてなされた説明であろうと思われ、更に、Lは当日広瀬方や広瀬の病床を訪ねているのであるが、広瀬方の所在も被告人に案内されて知ったものと考えるのが自然であるのに加え、Lが広瀬方や広瀬の病床を訪ねて行った動機もそれなりに首肯できるところであること

を指摘するけれども、Lは少くとも昭和四九年七月一二日出所した翌日の同月一三日、同月一四日、同月一七日、同月一八日、同月一九日、同月二五日、同月二六日、同月二七日、同年八月一一日、同月一二日の一〇日間別府市に滞在していたものであり、別府駅から観光港までの距離は成人男子の足で約二五分のものであり、被告人が住んでいた照波園町の乙ビルから観光港までの距離も右と同程度であるところ、窃盗を思い立って広瀬宅に行き、偽名を使い広瀬の入院先に出かけるまでして盗みを働こうとするほどの物欲と行動力があり、累犯窃盗の前科を持つLには、右一〇日間ひとりその周辺を徘回し、行動範囲内にある観光港や花月や山本弁護士宅の周辺を漫歩した可能性があるばかりでなく、Lは他に二人の検察官と昭和五〇年一月頃と同五二年一月頃の二回にわたり観光港に出向いていた際これらの場所及びその地の状況を知り得た可能性もあるのであるから、原判決指摘の各事由によっては証人Lの原審公判廷における供述の信用性を是認することはできない。

(三)  Lの日記帳は信用できない。

(1) 原判決は、Lが昭和五〇年九月一六日から同年一二月一日までL日記の仮出を受けて手許に置いた理由を、先に宮崎地方裁判所でうけた有罪判決に不満な点があったので、これを検討するためであると摘示しているが、右の不満な点と右日記帳とがどのように有意の関連性を持つのかを明らかにしなければ、右理由の説明としては不十分である。

(2) 原判決は、右日記帳の仮出時期がすでに同年九月一〇日宇都宮検察官から取調べを受け詳細な供述をした後であることからしても、それまでの捜査官の取調べのときに格別同日記帳に関心を示さなかったLが、その時期になってわざわざ日記帳の仮出を受け、被告人に関係する部分の記載に工作を加えたと考えるにしては、その事情や理由が乏しいと摘示しているが、むしろ逆であって、宇都宮検察官に対する供述調書が作成された後の仮出であることに問題がある。すなわち、Lはそれまでに作成された他の検察官に対する供述調書においては、昭和四九年七月二七日の出来事について供述しながら、宇都宮検察官に対する供述調書においては、同日の出来事については一言も触れていないのである。他方、Lは原審第二四回公判期日において、突如として昭和四九年七月二七日も同月一八日に通った観光港を被告人運転の自動車で通り、被告人からフェリーの待合所のこと、ケネディ事件や保険のこと、海中転落や、ハンマー、アクアラングなどの話を聞いた旨供述し、前記日記を掲げて右供述の正しさを裏付けようとするに至ったものであり、現に右日記中昭和四九年七月の一八頁部分は他の頁と比較して特異な記載方法を取っているのであって、Lは一旦宇都宮検察官以外の他の検察官に対し昭和四九年七月二七日の出来事について供述した以上、これに合わせるべく日記の記載内容に手を加えたものである。

(3) 原判決は、L証言によれば、Lは昭和五一年一二月一三日にもL日記の仮出を受けているが(その後同人が第二一回公判及び第二二回公判に証人として出廷するにあたり宮崎刑務所から移監されるのに伴って、昭和五二年一月一九日同人に還付され、右公判終了後宮崎刑務所に移監されるとともに同月二八日右日記帳も領置された)、そのときも先に仮出を受けたときと同様の理由で他の書類と一括して仮出を受けたというのであり、しかも同人は第二一回公判でも被告人と会ったという日時などについて曖昧な証言しかできなかったのであるから、このことに照らしても、仮出を受けてはいたが、右日記帳に被告人に関係する記載部分があることに関心を払わなかったのは勿論、見もしなかったとみる方が自然である、と摘示するが、日記に関心を払っていても曖昧な証言は可能であり、Lの原審第二四回公判期日における供述のように日記の記載内容に信用性を持たせる目的で証言を曖昧にすることも可能であるから、原判決の右摘示を是認することはできない。

(四)  Lは思惑と期待を裏切られ、被告人に対し反感を抱いていた。

すなわち、Lは宮崎刑務所在監中、被告人の話から、広瀬の件で成功すれば五、六千万円の金が手に入ると期待していたところ、出所後被告人からこれを裏切られたばかりか、邪魔者扱いにされ、昭和四九年七月一八日から被告人に対する不満とやり場のない気持で、別府市をはじめ大分市、北九州市、湯布院、日田市、はては宮崎県内まで所在なく彷徨し、働きもしないうちに、同年九月八日詐欺の被疑事実により逮捕されたため、被告人に対し計り知れない不満と反感を抱き、思いつくかぎりの虚偽を並べたものである

ことを指摘し、

2  被告人の所論は、原判決が証拠とするL証言には信用性がないと主張し、その信用性を否定すべき事由として、

(一)  宮崎刑務所においては運動時間中やその他の時間中に被告人とLとの交話の可能性はなく、また、被告人はLと観光港に同行したことはないこと、

(二)  Lは同人が被告人に乗せてもらったという自動車にクーラーがついていたかどうか、三角窓があったかどうか、同車がツードアであったかフォードアであったかについて記憶していないこと、

(三)  被告人がLに重大な犯罪計画を話さねばならぬ理由が一つもないこと、

を指摘するのである。

(チ) しかしながら、

(a) 右1の(一)の(1)の③に関していえば、Lは入浴時の会話の機会は入浴の行き帰りに通り合わせたときであると供述しているにすぎないから、右所論は前提を欠いて失当である。その他の右1の(一)及び2の(一)前段の各所論指摘の事実は、被告人が原審において供述するほかにこれを窺うにたりる証拠がなく、被告人の右供述部分は、原審第二七回公判調書中の証人梶谷信義の供述部分、当審受命裁判官の証人梶谷信義に対する尋問調書、当審第三回公判調書中の証人高瀬諭の供述部分及び前記L証言と対比してたやすく措信できず、かえってL証言を除く前記諸証拠によれば、L証言の関係部分を一概に信用し難いものとすることができない。

従って、右所論1の(一)及び2の(一)前段を是認することはできない。

(b) 右1の(二)に関し、

(1) 関係証拠によれば、犯罪行為の中でも懲役刑に服するような反社会的行為をしてきた者達の集まる刑務所という閉鎖的、特殊環境においては、同房者数名の面前でいわゆる恰好や景気のいい事をいいながらそのうちの特定の者に犯罪計画を打ち明けて意思の連絡をはかることが行われることは間間あることであって、決して不自然ではないことが認められる。

(2) 関係証拠によれば、当時宮崎刑務所において服役囚が運動を行うとき看守は目の届く範囲内にいるが、囚人同志の雑談は概ね制止していなかったものであって、Lは被告人とともに運動をした機会に何回となく被告人と会話をしたことが認められる。

(3) 関係証拠によれば、広瀬は昭和四八年八月二九日から慢性気管支炎、肺気腫、虚血心臓病、慢性胃炎、大腸過敏症、変形性脊椎症等のため別府市亀川の国立別府病院に入院して治療を受け、昭和五〇年八月九日急性心不全により死亡したものであるが、同人は原判示「(罪となるべき事実)」第二の一行目ないし三行目記載の各土地を同判示の宅地造成契約期間経過後処分したものであり、被告人は昭和四七年一一月三日に宮崎刑務所を出所した後昭和四八年までの間に右事実と他に広瀬から奪うことのできる、見るべき資産のないことを知るに至ったことを認めることができるのであるから、被告人が自らも死亡するかも知れない危険性のある本件犯行を計画しなくとも、広瀬の死亡を待つなどして同人から相当額に達する資産を奪うことができたことを前提とする右所論1の(二)の(3)は前提を欠くものである。

(4) 関係証拠によれば、被告人はその実現には周到な計画と準備等を必要とする前代未聞の犯行を企図していたものであるから、気がおけず、適切な参考意見を聞かせてくれるかも知れない者に計画を打ち明けてその反応を見たり、その参考意見を聞いてみたかったりしていたものであり、他方三億円以上の保険金を受け取る目的をもって自ら命がけで右犯行を行う以上、成功すればその祝として右犯行を打ち明けたLに右保険金の中から五、六千万円をやってよいと考え、その約束をしていたものであるから、他日Lから右計画を打ち明けたことを他に洩らされるおそれはないものと考えていたことが認められるのであって、所論のように単独で実行可能な本件犯行の計画をLに洩らすことが不自然であるとは考えられない。

(5) 関係証拠によれば、Lは自己と親密な交流関係にあった被告人をかばう気持と、本件により罪もない女子供が死亡したということに考えさせられる気持との間で気持を揺れ動かせていたものであり、広瀬に関しては被告人によって広瀬が悪い人物であると思い込まされていたことが認められるのであるから、所論1の(二)の(5)のように、Lにおいて罪もない女子供が死亡したということに考えさせられることがあって捜査に協力した以上、本件について被告人をかばうはずがないとか、Lが悪い人物であると思い込んでいる広瀬を殺害して財物を奪取する計画を被告人とともに立てていたからといって、罪もない女子供が死亡したという本件について考えさせられたりするはずがないとかいうことはできない。また、記録を精査し、当審における事実取調べの結果を検討してみても、Lが被告人から期待した利益にあずからなかったり、あるいは取り立てて邪魔者扱いにされたり、又は、そのために被告人に関し思いつく限りの嘘言を並べたてようと思うに至ったことを窺わせる証跡はない。

(6) 関係証拠によれば、原判決が五八七頁一行目から五九五頁八行目まで、及び六〇一頁一〇行目から六〇四頁二行目までに指摘する事由が認められるのであって、右事実によれば、右所論1の(二)の(6)のようにL証言中原判示供述部分がLの検察官に対する供述調書と食い違っていることをもって前者の信用性を否定することはできず、また、Lが昭和四九年一一月一九日付及び同月二一日付の各毎日新聞の記事によって原判示の知識を得ることができたとすることもできない。

(7) 記録を精査し、当審における事実取調べの結果を検討してみても、被告人が昭和四九年七月一八日と同月二七日にLと観光港に同行したことを否定することはできず、所論が1の(二)の(7)において指摘するように、Lがひとり徘徊して観光港や花月や山本弁護士宅の周辺を漫歩したり、二人の検察官と二回にわたり観光港に出向いた際これらの場所及び状況を知りえたことを窺わせる形跡はない。

従って、右所論1の(二)及び2の(一)後段を是認することはできない。

(c) 右1の(三)に関し、

(1) 原判文によれば、原判決は六七一頁一二行目から六七二頁四行目まで、及び六七九頁九行目から六八〇頁三行目までにおいて、「L日記は、Lが詐欺事件により昭和四九年九月八日逮捕されると同時に押収され、昭和五〇年八月二六日右詐欺事件等の判決が確定し同日から宮崎刑務所で服役することになった後は同刑務所で領置されていたものである」、「Lは、昭和五〇年九月一六日から同年一二月一日までL日記の仮出を受けて手許に置くとともに、その間新たな記入をしたことを認めているが、同人の証言を子細にみると、先に宮崎地方裁判所でうけた有罪判決に不満な点があったので、これを検討するために他の関係書類と一括して仮出を受けた」と摘示していることが明らかであるから、Lは右有罪判決に不満な点があったので、これを検討するため、日記帳だけの仮出を受けたのではなく、他の関係書類と一括して、要するに自己の所持していた書類等一切の仮出を受けたと摘示しているものというべきである。而して、右によれば、Lが日記帳の仮出を受けた理由は、右の不満な点と日記帳とがどのように有意の関連性を持つのかを明らかにしなくとも、明らかであるといわなければならない。

(2) 関係証拠によれば、Lの日記帳の昭和四九年七月分を記帳した頁(一八丁表)のうち、同月一二日欄の一部と、翌一三日欄の記載だけが鉛筆書きのままであること、同月一五日欄には既に記載ずみのところに一行分の細長い紙が貼られ新たに書き直されていること、同月二五日欄の下の四行にわたり同日の行動とは直接関係のない事項が、周囲の文字よりも大きな文字で記入されていること、その他一旦は鉛筆で記載されていたのが消されボールペンで書き直された跡や、筆圧痕だけが残されているところがあることなど、若干乱れた記載部分も見受けられるが、右一二日欄で鉛筆で書いた部分は二、三日後位にLが書き、一五日欄に上から紙を貼ったのは、つまってきたない字になり行が多くなったため、必要がないと思ってLがその当時上から貼ったものであり、鉛筆書きのままの部分や、鉛筆で書いた部分をボールペンでなぞった部分、空白欄にその頁の該当日の行動とは直接関係のない事項が周囲の文字よりも大きな文字で記入されている部分は右日記帳の他の部分にも多数存在し、筆圧痕だけが残されているところは右日記帳の他の部分にも散見されることが認められるのであって、右七月分の記載が格別特異であるとは認められない。その他記録を精査し、当審における事実取調べの結果を検討してみても、所論1の(三)の(2)のような目的でLが右日記の記載内容に手を加えた証跡を見出すことはできない。

(3) 記録を精査し、当審における事実取調べの結果を検討してみても、所論1の(三)の(3)のようにLが右日記に関心を払いながら殊更曖昧な証言をしたとか、右日記の記載内容に信用性を持たせる目的で証言を曖昧にしたとかいう形跡を発見することはできない。

従って、右所論1の(三)も当を得ないものである。

(d) 右1の(四)に関し、記録を精査し、当審における事実取調べの結果を検討してみても、Lが宮崎刑務所在監中被告人の話から広瀬の件で成功すれば五、六千万円の金が手に入ると期待していたとか、昭和四九年七月一八日から被告人に対する不満とやり場のない気持で彷徨したとか、被告人に対し計り知れない不満と反感を抱いていたとかいう証跡を見出すことはできない。のみならず、原判決が六〇〇頁五行目から六〇七頁五行目までに摘示するとおりの事由により、Lが被告人に対し殊更虚偽の事実を証言しなければならない程の恨みを抱くに至ったとは到底考えられないのである。

(e) 右2の(二)に関していえば、なるほど関係証拠によれば、Lは同人が被告人に乗せてもらったという自動車にクーラーがついていたかどうか、三角窓があったかどうか、同車がツードアであったかフォードアであったかについて記憶していないことが認められるけれども、人の知覚及び記憶は断片的、選択的であって、脱落している部分のあることは避けがたいことであるから、右の程度の知覚及び記憶の脱落があることをもって、L証言の本件犯行計画に関する核心部分の信用性を否定することはできない。

(f) 右2の(三)に関しては、前記(チ)の(b)の(4)において述べたところと同一の理由により、右所論を是認することはできない。

(g) 翻ってみるに、原判決が証拠とするL証言の核心部分は、いずれも具体的で詳細に個々の点にわたるものであり、前示のように各所論指摘の部分はもちろんその他においてもこれを子細に検討しても、不自然な点は少しもなく、関係証拠に現われた個々の客観的状況とも整合し、矛盾その他信用性を阻害すべき事由を発見することができないので、原判決が右証言を措信したことは相当というべきである。

従って、前記各所論はいずれも採用することができない。

3  弁護人らの所論は、原判決が証拠とするV(以下「V」という。)の検察官に対する供述調書中、被告人はVに対し宮崎刑務所で、「刑務所を出たら一発勝負を賭けた仕事をする。」、「小さなことで何度も刑務所に入れられるようなことではつまらん。大きなことをして儲けなければつまらん。」とか、「広瀬という奴と共同で土地関係の仕事をしていたが、広瀬が自分の知らぬ間にその土地を広瀬の名前にしてしまったので、広瀬に恨みがある。広瀬を殺して金を取ろうと思う。どんな方法が一番いいか。完全犯罪はどうすればいいか。」などと申し向け、宮崎刑務所出所後も、「広瀬という奴はどうも面白くない。広瀬をやらんといかん。いい知恵はなかろうか。あんたは口も固いし力もあるから力を貸してくれ。」と言って協力を求めたり、「生命保険の詐欺がよい。犯罪者じゃろうが掛金だけを掛けておけば(保険金が)取れる。」とか、掛金について、「それもそう長く掛けなくてもよい。短期間掛けておけばそれでよい。」旨、保険を掛ける相手方について、「身内以外で情の移らない者がよい。後で心配しなくてすむような者がよい。自分の力で簡単に殺せる人で抵抗しない人がよい。」旨、「保険を掛ける相手は誰がよいか見つけてくれ。」とか、「相手を殺し絶対に自分が助かる方法でなければいかん。」とか、殺害の場所について、「自分が死んだりする危険な場所は避け安全な場所を選ぶ。」などと話し、Vは被告人が右犯行計画に加勢させようとしているのではないかと警戒し、豊後高田市に引っ越し被告人との連絡を断つに至った、との供述部分は信用性がないと主張し、その信用性を否定すべき事由として、

(一)  原判決は、供述がなされたときの状況について、時期的にみれば、検察官の取調べに対する供述は昭和五〇年二月一七日になされているのに対し、公判廷における供述は昭和五二年五月二〇日になされているので、検察官の取調べに対して供述したときの方が記憶がより鮮明な時期であったものと思われると摘示している。

しかし、早い時期の供述の方が記憶が鮮明であることは当然のことであるから、供述の時期の前後をもって特信情況を判断するのであれば、伝聞法則の例外として信用性の情況的保障を要求した法の趣旨に反する。そのうえ、Vは、広瀬を殺す件や、完全犯罪や、保険金詐欺の内容の話については、明確に創作であると断言しているのであって、原審公判廷の供述時記憶の曖昧さがなかったことが明白であるから、右摘示は不当である。

(二)  原判決は、被告人とVとの交際関係に照らせば、Vは被告人に恩義を感じていることはあっても恨みに思うわけは全くないのであるから、被告人に不利益な事実については、それが真実であっても供述することを避けようとこそすれ、ことさら虚偽の事実を創作してまで供述するとは到底思われないし、Vは検察官から事情を聴取された際、別段捜査の対象になるような事件を起こしていたわけではなく、また、捜査官に特に迎合しなければならないような立場に置かれていたわけでもないのであるから、この面からみても、捜査官にことさら迎合して虚偽の事実を取り混ぜ供述するとは到底思われないと摘示する。

しかし、Vは昭和二二年生れで、少年期に傷害、強盗等の罪により懲役四年以上六年以下に処せられ、昭和四九年六月頃から同年八月豊前高田で逮捕されるまで覚せい剤中毒になり、覚せい剤取締法違反、銃砲刀剣類所持等取締法違反被告事件について千葉地方裁判所に起訴される等の経歴をもち、捜査権力に対し卑屈な心を持ち、権力に媚態を売る性格上の弱点を持っているものであるから、本件の取調べを受けた際の捜査官の発問や事件の内容説明で暗示を受け、これと自己がテレビ、新聞、週刊誌によってえた知識とを相乗して、検察官に対し自己の体験から遠く離れたことや、全く体験しないことを体験し、記憶しているかの如く装って供述したものであり、Vが被告人から前後五回にわたり合計金十数万円を受け取っていたことによって、右の供述経過を左右することはできない。

(三)  原判決は、Vの検察官の取調べに対する供述内容は具体的かつ詳細であるうえ、話の筋道としても自然で無理がなく、虚偽の事実を取り混ぜ創作したような形跡はうかがわれず、ことに保険金詐欺に関する件の話などは、真実これを聞いた者でなければ語れないであろうと思われる程具体的で迫真的な面をもっていると摘示する。

しかし、他面供述が具体的かつ詳細であればある程、推測と想像が働き供述者の体験事実からかけ離れ、言葉だけがひとり歩きする危険性を包蔵するものであるところ、Vが宮崎刑務所で服役中被告人と接触交流できたのは、主として運動の機会をとらえてのことであり、しかも、独居房の二人が仮に同時に運動に出ることがあっても、看守の監視下に置かれているので、挨拶程度の交話はできても、広瀬を殺害する件とか、完全犯罪や死体処理の話や、保険金詐欺を内容とする話などはできないものであり、Vは取調べを受けた当時、マスメディアによって本件犯罪に関する豊富な情報をえていた折から、前科を重ねた者として権力に媚態を売る卑しい根性が顕現し、捜査官に迎合し、推理を働かせた創作を検察官に供述したものである。

(四)  原判決は、Vが原審公判廷において、当初「断片的な記憶はあるが、細部にわたる詳しいことは覚えていない。覚えているところははっきり言えるが、曖昧なところが多い。」という趣旨の断りをしたうえで、記憶にあるところは記憶に従い、はっきりしないところははっきりしないとして供述していたが、広瀬殺害の件とか死体処理の話、さらには保険金詐取目的の犯行計画の話などについて質問されるようになるや、被告人に不利益だと思われる事柄についてはすべて一律に創作であると断定するようになり、真摯に記憶を喚起しようと努める態度にも欠け、むしろ不自然さが目立っていると摘示する。

しかし、このような原判決の態度は、裁判所のもつ目的に反する供述をする者は、真摯に記憶を喚起しようと努めない者だと決めつけるようなもので、洞察を欠いた感情論の謗りを免れない

ことを指摘し、

4  被告人の所論は、原判決が証拠とするVの検察官に対する供述調書に関し、被告人がLやVに重大な犯罪計画を話さねばならぬ理由が一つもないことを理由にその信用性を否定するものである。

(リ) しかしながら、

(a)  右3の(一)に関し、原判決六九九頁七行目から七〇七頁一二行目までによれば、原判決はVの検察官に対する供述調書を措信するについて、同供述とVの原審公判廷における供述(以下「V証言」という。)との各供述時期の前後のみを理由としているものではなく、V証言時の同人の記憶が薄らいでいること、V証言が不自然、不誠実であることなどを理由としていることが明らかであり、関係証拠によっても原判決が右において具体的に摘示する事由を明認することができるのであるから、右所論3の(一)は前提を欠いて失当である。

(b)  右3の(二)に関し、なるほど関係証拠によれば、Vは昭和二二年一〇月一八日生れで、昭和四二年八月一一日頃傷害、強盗等の罪により懲役四年以上六年以下に処せられ、昭和四九年六月頃から同年八月に逮捕されるまで覚せい剤の自己使用を続け、その後原審において供述するまでの間に覚せい剤取締法違反、銃砲刀剣類所持等取締法違反被告事件について千葉地方裁判所に起訴される等の経歴をもつことが認められるけれども、記録を精査し、当審における事実取調べの結果を検討してみても、右所論のようにVが検察官に対し自己の体験から遠く離れたことや、全く体験しないことを体験し、記憶しているかの如く装って供述した形跡を見出すことはできない。

従って、右所論3の(二)を是認することはできない。

(c)  右3の(三)に関し、関係証拠によれば、当時宮崎刑務所において服役囚が運動を行うとき看守は目の届く範囲内にいるが、囚人同志の雑談は概ね制止していなかったものであって、Vは被告人とともに運動をした機会に何回となく被告人と会話をしたことが認められ、その際に犯罪に関する話をすることができなかったことを窺わせる形跡はない。また、Vが所論のように検察官に迎合し、推理を働かせて創作を供述したことは、Vが原審において供述するほかにこれを窺うにたりる証拠がなく、右供述部分はその他のV証言、Vの検察官及び司法警察員(二通)に対する各供述調書、その他原判決が七〇〇頁八行目から七〇七頁一二行目までにおいて説示するところと対比してたやすく信用することができないものである。

(d)  右3の(四)に関し、関係証拠によれば、Vは原審において、「私は被告人には非常にお世話になっています。」、「当時被告人に対し恨みは毛頭ございません。」と供述する一方、「具体的に保険金、今回の事件について触れているところは、私の創作推理を混じえたと思います。思いますじゃなくてそうです。」、「今回の事件に触れているところは私の推測であります。」、「私の創作とでも、そういうふうにしとって下さい。」などと供述し、捜査官に対し被告人に不利益な供述をしたことについては「私の心の中に警察官に迎合するというようなちょっといやらしい気持があったと思います。」と供述するほか、他に特段の理由を供述していないことが認められるのであるから、前記のV証言は原判決が摘示するように不自然であるというほかはない。

従って、右所論3の(四)も是認することができない。

(e)  右4の所論に関し、関係証拠によれば、被告人はその実現には周到な計画と準備等を必要とする前代未聞の犯行を企図していたものであるから、気がおけず、適切な参考意見を聞かせてくれるかも知れない者に計画を打ち明けてその反応を見たり、その参考意見を聞いてみたかったりしていたものであることが認められる。

そうすると、右所論4も当をえないものである。

(f)  翻ってみるに、原判決が証拠とするVの検察官に対する供述調書は、具体的で詳細に個々の点にわたるものであり、前叙のように各所論指摘の部分はもちろんその他においても、これを子細に検討しても、不自然なところは少しもなく、関係証拠に現われた個々の客観的状況とも整合し、矛盾その他信用性を阻害すべき事由を発見することができないので、原判決が右供述調書を措信したことは相当というべきである。

従って、前記各所論もいずれも採用することができない。

また、弁護人ら及び被告人は以上のほかにもあれこれ主張するのであるが、原審取調べの証拠並びに当審における事実取調べの結果を検討しても、原判決の原判示第一の「(罪となるべき事実)」として認定したところを動かすにたるものはなく、その他記録を精査しても、原判決に判決に影響を及ぼすような事実誤認を発見することはできない。各論旨はいずれも理由がない。

弁護人らの控訴趣意並びに被告人の控訴趣意中原判示第二の恐喝未遂の事実に関する事実誤認及び訴訟手続の法令違反(弁護人らはこのほかに法令適用の誤りをも主張するけれども、何ら具体的な主張をなさないから、これをもって独立の控訴趣意と認めることはできない。)の各論旨について

弁護人らの所論は、要するに、原判決は、原判示第二の事実について、(一)被告人には別府市大字鉄輪字峯本八五八番六及び同所同番一六の二筆の土地に対し何らの権利もなかったのに、(二)被告人が(1)昭和四八年一一月三日頃から翌昭和四九年二月一一日頃までの間、前後約二十数回にわたり、C子方に赴き、或いは同女方に電話をかけて、同女らの身体、財産等にどのような危害が加えられるかも知れないと畏怖させ、(2)水上刑事の名をかたり電話で脅迫したと認定するが、右はいずれも事実を誤認したものである。被告人は広瀬との間で右土地を含む土地につき昭和四〇年七月七日宅地造成契約を締結し、その後同契約を一部変更して同契約の存続期間を一〇年とし、その結果被告人は同土地に対する実質的支配権を獲得し、広瀬は同土地を被告人の承諾なくして他に移転しえなくなったものであり、そのため被告人は同土地につき不動産処分禁止仮処分決定を得たものである。のみならず、原判決が証拠とする証人C子の原審公判廷における供述(以下「C子証言」という。)及び科学警察研究所警察庁技官木島清次作成の鑑定書は信用性がないのに、原判決は証拠の価値判断を誤り、これらを挙示して前者により右(二)の(1)の事実を、後者により右(二)の(2)の事実をそれぞれ認定するものであるから、原判決には訴訟手続の法令違反がある。而して、右違反又は誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかである、というのである。

被告人の所論は、要するに、原判決は、原判示第二の事実について、被告人は右第二の三筆の土地に対する権利を全て失ったのに、その一部である二筆の土地を広瀬に欺し取られたと因縁をつけ、C子から右各土地の権利証か土地そのもの、或いは土地代相当の現金を喝取しようと企て、同女に対し、大分警察署水上刑事の名をかたるなどして脅迫したと認定するが、右は誤認である。右各土地はいずれも被告人の権利に属し、被告人はC子らに対しその返還交渉を行ったにすぎない。原判決は信用性のないC子証言及び押収してあるソニー録音テープ一本(当庁昭和五五年押第二六号の二七)を措信して右事実を認定するものであるから、原判決は証拠の評価又は取捨選択を誤り、事実を誤認したものである、というのである。

そこで、先ず各所論指摘のC子証言、科学警察研究所警察庁技官木島清次作成の鑑定書及び押収してある右ソニー録音テープの信用性について検討すべきところ、被告人の所論は、

1  C子証言には信用性がないと主張し、その信用性を否定すべき事由として、

(一)  C子は、「昭和四八年一〇月三一日に大分警察署に相談に行った」とか、「その後相談に行ったとき刑事さんから『録音テープでも取れ』と言われたので、同年一一月五日より被告人からの電話の録音テープを取った」とか、「警察にそう指示されるまで、電話の録音テープを取ったことなどはない」とか供述しているが、司法警察員作成の昭和五四年一月二四日付「照会書に対する調査復命について」と題する書面によれば、同女が大分警察署に右事件の訴えを行ったのは昭和四八年一一月一〇日夕方六時五〇分頃、一一〇番電話によったのが初めてであり、同女が大分警察署に直接相談に出頭してきたのはその翌日が初めてであったことが認められること、

(二)  同女は原審第五一回公判調書中の同証人の証言速記録59、61、276、410ないし427項において、昭和四八年一一月一〇日大分警察署に一一〇番電話をかけたときには、被告人が若い男二、三人を連れてきていたので、玄関の戸を開けずに警察に一一〇番電話をしたと供述しているが、証人渡辺俊英の原審公判廷における供述によれば、昭和四八年一一月一〇日夕方七時過頃、一一〇番電話によってC子方へ行って見たところ、被告人が一人でC子方前路上に静かに立っていただけで他には誰もいなかったことが認められること、

(三)  同女は「昭和四八年一二月一日の午後七時半頃にも大分警察署に訴えに行った」と供述しているが、前記「照会書に対する調査復命について」と題する書面及び司法警察員作成の昭和五四年三月九日付回答書によれば、同女が大分警察署にきたのは昭和四八年中は一一月一一日と同月一六日の二度だけであり、同年一二月一日には同署にきていないことが認められること

を指摘し、

2  前記ソニー録音テープには信用性がないと主張し、その信用性を否定すべき事由として、右録音テープは電話のベルの音から録音されていることからみて、電話のベルが鳴っている時点で既にその電話をかけてきた相手が分っていること、従って、あらかじめその相手と打ち合わせ演出をしているものであること、及び同女が被告人を陥れるために誰かと通謀して被告人の声帯模写の方法により偽造したものであること

を指摘するのである。

よって、右各主張を検討するに、

(1)  右1の(一)につき、所論援用の司法警察員作成の昭和五四年一月二四日付「照会書に対する調査復命について」と題する書面(第三六冊一〇〇九八丁)によっては、昭和四八年一一月一〇日午後六時五〇分、大分警察署に、C子から「詳しくは西大分派出所に連絡をしていますが、男がおどしにきています。『書類を出せ。玄関をあけろ。』と言いますが、私一人で恐ろしいのですぐきて下さい。」との一一〇番電話がはいったこと、及び大分警察署刑事課保管の当直日誌昭和四八年一一月一一日分に「午前九時三〇分から同一一時、生活相談、下八幡のC某女が土地ブローカーの山口虎彦から脅されるとの届出があったが土地の民事上の問題と思われたので納得させて帰宅せしめた。取扱者水上」と記載されていることを認めうるにとどまり、同女が大分警察署に対し原判示第二の事件の訴えを行ったのは右一一〇番電話をかけたのが初めてであり、或いは同女が大分警察署に直接相談に出頭してきたのは右一一日が初めてであったことを認めることはできない。

(2)  右1の(二)に関し、所論援用の証言速記録はもとより、C子証言によっては、所論指摘の事実を認めることはできず、証人渡辺俊英の原審公判廷における供述によっても、大分警察署西大分派出所勤務の警察官渡辺俊英が、昭和四八年一一月一〇日夕方、大分警察署より一一〇番電話により、知らない男がきて玄関の戸を叩いたり、大声を上げたりして困るという通報を受けた旨の連絡を受け、C子方に赴いたところ、被告人がひとりで同女方玄関前路上に立っていた事実を認めうるにとどまり、それより前の状況も被告人指摘のとおりであったことを認めることはできない。

(3)  右1の(三)に関し、所論援用の前記「照会書に対する調査復命について」と題する書面及び司法警察員作成の昭和五四年三月九日付回答書(第三九冊一〇七九八の一丁)によっては、前記当直日誌昭和四八年一一月一一日分に前示記載があり、当直日誌同月一六日分に「午前八時二五分から同九時四五分、いやがらせの届出、大分市大久保七組C子(四九歳)から『以前知り合いの山口という男から子供の名義にしている土地の権利書を返せということから子供を誘拐したり硫酸をかけると言って脅される』との届出あり、関係書類作成、取扱者芝尾、竹中、吉田」と記載されているが、同当直日誌のうち同年一〇月三〇日から同年一一月九日までと同年一二月一日の分についてC子の氏名の記入はなされていないことを認めうるにとどまり、同女が右の一一日と一六日以外に大分警察署に赴いたことがないことまでを認めることはできない。

(4)  右2に関し、関係証拠によれば、被告人は昭和四八年一一月三日頃から昭和四九年二月一一日頃までの間、前後約二十数回にわたりC子方に赴き、或いは同女方に電話をかけていたものであるから、前記ソニー録音テープに録音のなされた昭和四九年二月六日頃は同女において同女宅の電話のベルが鳴った時点でそれが被告人からのものであることを予期することができたことが認められ、また、被告人以外に被告人の声帯を模写したうえ大分警察署水上刑事の名をかたり、原判示第二の「(罪となるべき事実)」に摘示されたような電話をかける動機等を有する者は全くこれを窺うことができない。而して、右事実によれば、右録音テープに電話のベルの音から録取されていることをもって、あらかじめその相手方と打ち合わせて演出をしているものであるということはできない。また、記録を精査しても、C子が被告人を陥れるために誰かと通謀して被告人の声帯模写の方法によりこれを偽造した証跡を発見することはできない。

翻ってみるに、原判決が証拠とするC子証言は、具体的で詳細に個々の点にわたるものであり、前叙のように被告人の所論指摘の部分はもちろんその他においてもこれを子細に検討しても、不自然なところは少しもなく、関係事実とも整合性を有し、矛盾その他信用性を阻害すべき事由を発見することができず、また、前記木島清次作成の鑑定書及び前示ソニー録音テープについてもいずれも信用性を阻害すべき事由は何ら認められないので、原判決が右各証拠を措信したことは相当というべきである。

而して、右各証拠を含む原判決挙示の関係証拠によれば、原判示第二の罪となるべき事実はこれを認めるに十分である。

被告人の原審公判廷における供述、被告人の司法警察員に対する昭和四九年五月一〇日付、同年六月二〇日付、同年一二月一二日付、昭和五〇年一月七日付各供述調書、被告人の司法巡査に対する昭和五〇年一月六日付供述調書、被告人の検察官に対する同年二月二五日付供述調書二通中右認定に反する部分は、いずれも前掲証拠と対比し信用することができず、その他記録を精査しても、原判決の訴訟手続の法令違反や事実誤認を発見することはできない。各論旨はいずれも理由がない。

弁護人らの控訴趣意並びに被告人の控訴趣意中原判示第三の恐喝の事実に関する事実誤認(弁護人らはこのほか抽象的に訴訟手続の法令違反、法令適用の誤りをも主張するけれども、何ら具体的主張をなさないから、これをもって独立の控訴趣意と認めることはできない。)の各論旨について

弁護人らの所論は要するに、原判決は、原判示第三の事実について、被告人が末田哲夫(以下「末田」という。)を脅迫して同人を畏怖させた事実を認定するが、右は誤認であり、通常の金銭消費貸借にすぎない。そのことは末田が谷口吉之助(以下「谷口」という。)を介して被告人に借用証書と引き換えに現金二〇万円を交付していること、及び末田はその後被告人から話のあった土地の売買の斡旋のため、被告人に連絡もせず現地調査に赴いていることによって明らかである。原判決は事実を誤認したものであり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかである、というのである。

被告人の所論は要するに、原判決は、原判示第三の事実について、被告人が末田から現金二〇万円を喝取したことを認定するが、右は事実を誤認するものであり、これは尋常の金銭消費貸借にすぎないものである、というのである。

しかし、原判決の挙示する関係証拠によると、

1  末田は当時農業を営んでいたものであって、金融業者ではなく、被告人と親しい間柄にあったこともなく、また、被告人に対し金員を貸与してやらねばならない義理や負担を負ったこともなく、当初被告人の金員借用申込を断っていたこと、

2  被告人は末田に対し、原判示第三のとおり、「八年ばかり宮崎の刑務所に入っており、出てきたばかりだ。あんたに世話してもらった鉄輪の土地は面積が足りなかった。あんたにも責任がある。この土地を買ってくれ。買えなければ金を貸してくれ。」、「自分は満洲で人を殺したことがある。死体に石をつけて湖か海に沈めたら全然分らん。」、「金に困っているので、五〇万円貸してくれ。子供がどうなっても俺は責任を持たんぞ。あんたが財産を全部処分しても、取り返しのつかないことになっても知らんぞ。」などと申し向けて脅迫し、同人を畏怖させ、同人から谷口を介し現金二〇万円の交付を受けたこと、

3  末田が被告人との間で谷口を介し借用証書と引き換えに現金二〇万円の授受をしたのは、第三者を立てて金員の授受を明確にしておこうと考えたためであって、末田はどうせ右金員が返済されることはないと観念していたこと、

4  末田は右金員が返済されることはないと観念したものの、被告人から話のあった土地の世話でもできたならば、あるいは返えして貰えるのではなかろうかと考えて右土地の現場を見に行ったこと、

5  右金員は返済期日までに返済されなかったのはもとより、現在に至るまで返済されていないこと、

以上の各事実を認めることができるのであって、右各事実を総合すると、右金員の交付をもって通常の金銭消費貸借と認めることはできず、原判示第三の事実を優に肯認することができる。

被告人の原審公判廷における供述、被告人の検察官に対する昭和五〇年二月二五日付(七丁のもの)供述調書中右認定に反する部分は、いずれも前記認定事実と対比して信用することができず、その他記録を精査しても、原判決に各所論のような事実の誤認があることを見出すことはできない。各論旨はいずれも理由がない。

(結論)

そこで、刑訴法三九六条により、本件控訴を棄却し、当審の訴訟費用は同法一八一条一項但書を適用し、これを被告人に負担させないこととして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 山本茂 裁判官 池田憲義 裁判官 松尾家臣)

<以下省略>

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