福岡高等裁判所 昭和55年(う)587号 判決
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【説明】
死刑判決の宣告については、近時、一部の裁判所において特に慎重な傾向がみられ中には、事実上死刑を選択すべきでないとする考え方もみられるようである(そのような事例として、いわゆる連続射殺事件についての控訴審判決〔東京高判昭56.8.21本誌四五二号一六八頁〕、遊興費欲しさに通行人をナイフで襲い、二名を殺害し一名に重傷を負わせた事件についての東京高判昭56.6.10本誌四五五号一六六頁)。しかし右の連続射殺事件についての前掲判決についてのコメントにもあるように、被害者複数の強盗殺人事件については、死刑判決が言渡され確定するにいたった事例は同種事案においてはむしろ大多数を占めている。本件の事実関係の詳細については、参考として掲載した一審判決認定に係る罪となるべき事実によられたいが、本件被告人は、強盗殺人一件(被害者一名)、強盗傷人一件(被害者一名)、強盗一件(被害者一名)のほか、各地で詐欺事犯を重ね、その間にあつて、内妻の知人である旅館経営者が女手一つで育てたその娘(一五才)を、誘拐した上、その処置に窮して殺害し、その死体を遺棄した上、更に同女が生存しているものとみせかけて、右旅館経営者から金員を騙取する等の犯行を重ねたものである。一、二審判決とも、死刑の選択については慎重であるべきであるとしつつ、犯行の態様及び被告人の犯罪性向の強さ等を考慮し死刑の宣告もやむなしとしたものであるが、特に本判決が、一般論として、「凶悪犯が続発し、善良なる市民に生命の脅威を与える現実の社会と、死刑の強い威嚇力を是認し、これを以て極悪非道の犯罪に対処すべしとする現行刑法の要請とを直視するならば、その予定する極限的な刑事責任に対して、これを適用することも必要にして妥当なことである」と判示している点、当然といえば当然の判旨であるともいえようが、前述のような傾向のみられる中で注目に値いしよう。
参考のため一審判決の決定事実及び量刑についての判示もあわせ掲載する。
【判旨】
弁護人の控訴趣意第二点及び被告人の控訴趣意(いずれも量刑不当)について
所論はいずれも要するに、本件につき被告人に対し死刑を選択して処断した原判決の刑の量定は犯情の評価を誤り不当に重いというのである。
そこで、記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも加え、これらに現われる犯情にかんがみ、原判決の科刑の当否を検討するに、
被告人は原判示のように昭和五三年八月から翌五四年五月までの九か月間に、詐欺一三件、住居侵入・強盗一件、誘拐二件、殺人、死体遺棄各一件、住居侵入・強盗傷人一件、窃盗三件、強盗殺人一件を累行したものであるが、とりわけ
原判示第四ないし第七の一連の犯行にあつては、被告人は原判示第一の一ないし三のように柳本明己から合計一五〇万円の現金を騙取し、右犯行により指名手配されて内妻三木多喜子と逃亡生活を続けるうち宿泊先に困り、多喜子の知人である古川節子の好意により同女が経営する綿屋旅館に長期宿泊滞在中、同女の長女古川明子が中学三年で高校進学を希望しているのを知るや、原判示のとおり「東京のTBSテレビ局に足立という企画局次長がいるが、足立夫婦には娘がいないから明子ちやんを預つて家事手伝いをさせながら東京の高校に通学させてくれることになつている」などと全く虚構の事実を申し向け、更に知人に頼み足立と名乗らせて同旅館に電話させるなどして節子及び明子を欺罔したうえ、明子を二度にわたつて節子のもとから連れ出しで誘拐し、諸所を転々と連れ回るうち、明子が被告人の前記虚言に気づきはじめ、被告人のもとから離れる素振りを示したことなどから、明子らを欺き通す見込みがなくなると同時に明子を足手纏いに感じ、自己の犯行が発覚することなどをおそれ、同女を殺害するほかないと決意し、原判示雑木林内に同女を誘い込み、いきなり同女の頸部を両手で絞扼して殺害し、そのうえ犯行を隠蔽するため明子の死体を発見しにくい場所に運び、あたかも暴漢に襲われたかの如くパンティをずり下げるなどの偽装工作をして同女の死体を遺棄し、その足で綿屋旅館に戻り、なに食わぬ顔をして節子に対し明子を無事足立方に送り届けたと告げて欺き、引続き一月程同旅館に平然と居坐り、剰えその間明子のことを口実にするなどして四回にわたり現金合計二一万八〇〇〇円を騙取しているのである。尤も所論は、明子殺害の右の動機に関する原判決の認定を争い、真実の殺害の動機は、明子が被告人と一緒に暮したいと言い出し、これが聞き入れられなければ、被告人のことを警察などに告げると言つたからであるというのであり、被告人の司法警察員及び検察官に対する関係各供述書並びに原審及び当審における各供述中には、右に沿う供述部分も存するけれども、明子が被告人から殺害される前に三井グリーンランドの落書帳に「はやく帰りたいよ。どこでもいいからぬけ出したいよ。あんなおじちやんと一緒はいやだ」と書いていること等の関係証拠に現われる情況に徴すれば、明子に被告人と一緒に暮らしたいという気持ちがあつたとは認めがたく、むしろ被告人を怖れ被告人のもとを離れることを望んでいたことが看取されるのであつて、被告人の右供述部分は到底措信できず、右所論は理由がない。また弁護人の所論によれば、被告人は昭和五四年三月一八日ころ東京で知人から覚せい剤ビニール袋入り四ないし五袋(各袋に耳かき五、六杯分の覚せい剤在中)を注射器と共に買い受け、同日以降連日のように右覚せい剤を注射し、前記古川明子を殺害した当日の朝も、鈴鹿旅館の洗面所と三井グリーンランドのトイレで各一回注射しているので、もともと長期の逃亡生活により精神状態に支障を来していたのに加え、右の覚せい剤使用により一段と刺戟と反応にアンバランスを生じ易い状態に陥り、右明子殺害の犯行に結びついたというのであり、被告人は当審になつて右覚せい剤の譲受け及び使用について所論に沿う供述をするが、しかし、被告人は捜査過程はもちろん原審においても右のごとき覚せい剤の譲受け及び使用については全く供述しておらず、当審に至つてはじめてそのような供述をするものであること、右覚せい剤の入手先に関する被告人の供述は曖昧であり、また被告人と行動を共にしていた三木多喜子その他の関係人も被告人が本件犯行当時覚せい剤を使用していた旨の供述を全くしていないこと等に徴すると、被告人の覚せい剤使用に関する当審における供述は俄かに借信し難く、他に所論のように被告人が古川明子殺害当時覚せい剤を使用していた事実を認めるに足る証拠はないので、覚せい剤の薬理作用が被告人の右明子に対する殺意の形成に影響していたかの如き所論は前提を欠き採用するに由ないものである。
次に、原判示第一四の強盗殺人の犯行にあつては、被告人が金銭に窮した末金借のため、知人の田中慶子を訪ねた際、同女が留守で同女の義母田中ハツエ(当時七五歳)と暫時雑談をして辞去した後、右田中方には高齢の右ハツエが一人で留守番をしていて他に家人がいなかつたことを奇貨とし、窃盗の目的で右田中方に引返し、同家屋内に侵入して、同家北側寝室付近で金品を物色中に右田中ハツエに発見され、同家南側八畳の仏間において同女から腰に抱きつかれたうえ「ぬすつと、ぬすつと、誰か来てはいよ」などと大声で叫ばれたため、とつさに同女を殺害して金品を強取しようと決意し、いきなり同女をその場に仰向けに押し倒し、同女の顔面に掛ふとんをかぶせ同女の上に馬乗りになり、右掛ふとんの上から両手で同女の顔面部分を強く押えつけて呼吸ができないようにして同女を失神させたのち、同女が左手指にはめていた同女所有の指環二個(時価合計約二〇〇〇円相当)を抜き取り、更に、同女が蘇生しないよう同女の足元付近にあつたビニール製電気コードを手に取りこれを二重にして同女の頸部に二周巻きつけて強く絞めたうえその両端を結び、その頃同室内で同女を窒息死させて殺害し、引続き同家屋内を物色して同女ほか二名所有の現金合計約一万一一〇〇円及び金製ネックレスほか九点(時価合計約八万一五〇〇円相当)を強取し、その際犯行の発覚を遅らせるため右ハツエの死体を前記仏間の仏壇下の地袋内に押し込んで隠蔽して逃走したものである。なお、被告人の所論にして弁護人の釈明によれば、情状として田中ハツエに対する殺意は確定的のものではなかつたかの如くいうのであるけれども、原判決が「(弁護人及び被告人の主張に対する判断)第二の一」で説示するとおり、その殺害の方法、とりわけ仮死状態からの蘇生をおそれて、電気コードで頸部を二重に強く締めたうえ、その両端をひとえ結びにして、更にすごき結びにして容易に解けないようにしていたことに徴しても、被告人が右ハツエに対し確定的殺意を有していたことは否定できないところである。
更に、前示中田まつ代に対する強盗は、女性の一人住いを狙つた深夜の計画的犯行であり、原判示第九の強盗傷人も、夜間の計画的犯行にして、しかも兇器(包丁)を使用し、被害者清田顕義(当時六九歳)に対し加療約一七日間を要する左側胸部切創等の傷害を負わせたものであつて、いずれも悪性の強い強盗又は強盗傷人の事案である。
ところで、右の説示にも現われる如く、誘拐殺人等の関係において被告人は、虚言を弄して一五歳の古川明了を誘拐して諸所を連れ回り、巧みにその母親を欺いて金員を騙取していたが、明子に疑われ始め、右母子を欺き通す見込みがなくなり、明子の処置に窮するや、山中に連れ出して無残にも同女を殺害したうえ、暴漢に凌辱を受けたような姿にしてその死体を放置し、平然として母節子方に居坐つて明子を口実に金員の騙取を繰返しているのであつて、犯行はまことに冷酷無慈悲であると同時に狡猾きわまる所業であり、被告人に騙されて連れ出されたうえ、何の落度もないのに生命を奪われた明子の無念さは察するに余りがあり、しかも、殺害されてから約五か月間山林内に放置されて風雨に晒され、泥土の中で白骨と化していたのであつて、その末期はあまりにも悲惨である。また、女手一つで明子を育てその将来を楽しみにしていた母親節子の受けた精神的打撃と悲しみも極めて大きく、被告人に対し極刑を望んでいるのである。
次に、田中ハツエに対する強盗殺人の犯行も、当初から強盗や殺害を意図したものではなかつたとはいえ、同女に発見され大声を出されるなどするや、忽ち豹変し、同女を殺害して金品を強取しようと決意し、前示の如く呼吸ができないようにして同女を失神させたうえ、蘇生をおそれて電気コードで絞殺したものであつて、その犯行の態様は極めて兇暴にして残忍であり、他人の生命を奪うことに対し何の躊躇もみられないのである。他面、被害者自身の無念さはいうまでもなく、その遺族に与えた悲嘆は大きく、その被害感情は今尚少しも冷めず、被告人に極刑を希望しているのである。しかして、これらの兇悪事件が犯行の地域社会に与えた恐怖と衝撃は極めて大きく、とくに、誘拐殺人の現場はいまなお囲いを作つて立ち入りを避けるほど怖れられている現状である。
翻つて、被告人のこれまでの行状をみるに、昭和三〇年九月二二日有印私文書偽造、同行使、詐欺罪で懲役一年六月、三年間執行猶予に、同三八年一〇月三一日詐欺、私文書偽造、同行使、詐欺未遂罪で懲役一年、三年間保護観察付執行猶予に、同四二年一〇月九日詐欺、詐欺未遂、銃砲刀剣類所持等取締法違反の罪により懲役五年に、同四八年六月一二日詐欺、窃盗、横領罪により懲役三年に各処せられたにも拘らず、その行状は少しも改善されず、前刑の仮出獄後二年余りで、本件各犯行を累行するに至つたものであり、被告人の犯罪性向は、狡猾で虚言癖のあるほかに冷酷残忍な性癖と相俟つてますます深化し詐欺を中心とした財産犯だけのものから、財産犯的なものが絡む殺人罪や強盗ないし強盗殺人罪等の兇悪な重罪を犯すように兇暴化し、その矯正はもはや絶望的なものと認められる。
かくして、被告人の本件犯行全体に対する刑事責任は極めて重大であり、とりわけ右の誘拐殺人や強盗殺人にみられる残忍な犯行態様並びに兇悪非道な行為状況、二名の人命を奪つても何の悛巡もみせない強い悪性と反社会的な危険性、右の殺害及び殺害後における冷酷で狡猾な行動、被害者の遺族の心情や犯行の社会的影響、その他被告人の性格や前科などの諸般の情状にかんがみるときは、その刑事責任は刑法の予定する極限的なものであり、被告人が被害者の亡霊に悩まされ、その冥福を祈る心境に変り、被告人の心底にも人間的心情がみられることなど所論の被告人に利益な事情を十分に考慮しても、極刑を以てのぞんだ原判決の科刑を不当とすることはできないところである。
なお、弁護人の所論は、生命の尊貴を強調し、死刑は廃止さるべき運命にあり、その適用については慎重を期し、能う限りこれを差し控えるべきところ、原判決は犯行の結果のみに目を奪われて、安易に死刑を科したと非難するのである。なるほど、死刑の適用が特に慎重でなければならないことは所論のとおりであるが、原判決もその趣旨に則つて科刑していることが十分看取できるのである。しかし、前示のとおり被告人の刑事責任はあまりにも大きく、その罪責を償うためには、もはや極刑に依るの外ないとするものである。また所論の如く、死刑の威嚇による犯罪の防止を必要としない将来の社会を想定することは可能であり、かつ死刑の一般予防力を過信することは相当でないとしても、兇悪犯が続発し、善良なる市民に生命の脅威を与える現実の社会と、死刑の強い威嚇力を是認し、これを以て極悪非道の犯罪に対処すべしとする現行刑法の要請とを直視するならば、その予定する極限的な刑事責任に対して、これを適用することも必要にして妥当なことである。
以上の次第であるから、原判決が被告人に対し死刑を選択して処断したことはまことにやむを得ないところであつて、これを不当とする事由を発見することができない。論旨はいずれも理由がない。
(平田勝雅 吉永忠 池田憲義)
《参考・原審判決理由抄》
(罪となるべき事実)
被告人は、福岡県嘉穂郡二瀬町で出生し、その後家族とともに熊本県玉名郡横島町に移り住み、同地の尋常高等小学校を卒業して、日雇人夫、土工などをした後、一七歳ころから二六歳ころまで旅回りの劇団の一員として役者などをしていたが、その間園田潁子と知り合い、二二歳ころ同女と結婚して横島町内で家庭を持ち、役者をやめて後は同町内であさり貝の採取等をして生活し、同女との間に四人の子供も生まれたが、昭和三〇年九月に詐欺事件等で懲役一年六月(執行猶予付)の刑、昭和三八年一〇月に詐欺事件等で懲役一年(保護観察付執行猶予付)の刑にそれぞれ処せられ、さらに昭和四二年一〇月に詐欺事件等で懲役五年の刑に処せられて服役し、その後昭和四八年六月にも詐欺事件等で懲役三年の刑に処せられて服役するなどして犯行を重ね、家庭にも落ち着かず、土工などをしながら各地を転々として生活するようになつたため、右潁子とも協議離婚をしたが、昭和五三年一月ころ、旅行先の大分県玖珠郡のホテルで働いていた三木多喜子と知り合い、同女と同居するようになり、同年三月末ころ、同女とともに、和歌山県海草郡下津町に居住する実姉平田都を頼つて同地に行き、同所でアパートを借りて右多喜子と同棲しながら、同年七月中旬から同町内の有限会社柳本建設に土工として働き生活していたものであるが
第一 自己が土工として働いていた右柳本建設代表取締役柳本明己から、昭和五三年八月中旬ころ、同社の従業員の内林和夫が金融業者上田栄三らに対して負つていた多額の借金返済等の解決方法について相談を受けたのを奇貨に、自己は暴力団員と交際はなく、かつ、暴力団員を仲介者にして右借金につき右上田と交渉して解決してやる意思がないのに、これがあるように装い、交渉金等の名目で金員を騙取しようと企て
一 同年八月二〇日ころの午後四時ころ、和歌山県海草郡下津町大字丸田二〇六番地の三の柳本明己方において、同人に対し、その事実がないのに、すでに右上田と右借金の件で交渉を始めたように装い、「今日上田へ行つて来た。この金融屋の取立等は大阪の暴力団山口組の下にある健心会がやつている。健心会には殺されかけたときわしが助けてやつた宮古という男がおり、この男は健心会の若頭補佐をやつていてよう知つている。三〇万持つて行つたら全部話をつけてくれる。」等とうそを言つて、右柳本をその旨誤信させ、よつて、同月二二日ころ、同所において、同人から交渉金名下に現金三〇万円の交付を受けてこれを騙取した
二 同月二三日ころの午後八時ころ、右柳本方に大阪市内から電話をかけ、同人に対し、その事実がないのに、あたかも右借金の件を解決するため健心会関係者と交渉しているように装い、「いま大阪の健心会の経営する店で飲んでいる。三〇万円と言うていたけどあと二〇万円いる。送つてくれ。」等とうそを言つて、その旨右柳本を誤信させ、よつて、同人をして、同月二四日前記下津町大字丸田二二二番地の四の加茂郷郵便局から大阪市天王寺区上汐町六丁目一四番地天王寺郵便局へ、被告人あての電信為替で金額二〇万円を送金させたうえ、同日ころ、同所において、被告人が現金二〇万円を受け取つて交渉金名下にこれを騙取した
三 同年九月一〇日ころの午後六時ころ、右柳本方において、同人に対し、その事実がないのに、暴力団員を仲介者にして右上田と交渉したうえ内林の借金を自己が立替え支払つてきたように装い、かつ、自己が偽造した上田栄三作成名義の領収証を真正なもののように装つて示し、「今日大阪に行つて来た。大阪の前田という兄弟分に一〇〇万円借りて支払つてきた。上田は病院に入院していて、病院で領収証を書いてもらつた。借りた一〇〇万円はわいが持つていつて返してくる。」等とうそを言つて、右柳本をその旨誤信させ、よつて、同月一一日ころ、右柳本方において、同人から右立替金の支払名下に現金一〇〇万円の交付を受けてこれを騙取した
第二 右詐欺事件を起こして前記三木多喜子とともに和歌山を逃げ出したが、その後同事件で指名手配されていることを知り、九州各地や埼玉県などを転々として逃亡生活を続けた末、右騙取金もほとんど使い果したため、昭和五三年一一月初めころ、同女を伴い本籍地の横島町に戻り、先妻平田潁子方に身を寄せたが、いつまでも同女方に多喜子と一緒に居るわけにもいかず、また所持金もなくなつたので、借金をしようと知人宅をたずねたりしたが、金策もできないまま思案するうち、以前から知つている同町内で酒屋をしている中田まつ代が、一人暮しのうえ、小金をためているうわさも聞いていたことから、同女方に侵入して金品を強取しようと企て、同年一一月八日午後一一時ころ、熊本県玉名郡横島町大字横島四、二八五番地中田まつ代(当時五二歳)方の住宅の北側縁の下に故なく侵入し、その後茶の間床下で屋内の様子を窺つたうえ、翌九日午前四時三五分ころ、同家茶の間床下と土間の間の引戸を開けて屋内に入り、さらに西側六畳間寝室に至り、就寝中の同女の枕元付近に近づき、これに同女が気づくや、左手に持つた小型懐中電燈(昭和五四年押第一一五号の31)を照らしながら、右手に持つた刃物様のものを同女の顔面に突きつけ、「金を出せ。騒ぐと殺すぞ。」等と語気鋭く申し向け、起き上った同女の後方からえり首を掴み、右刃物様のものを同女の右ほほに当てるなどして屋内を案内させて金品を物色し、さらにネクタイ(同押号の32)で同女の両手を後手に緊縛するなどの暴行脅迫を加え、同女の反抗を抑圧し、同日午前五時前ころまでの間に、同女所有の現金約三万三、〇〇〇円を強取した。
第三 昭和五三年一一月二四日午後八時三〇分ころ、熊本県山鹿市熊入町七〇番地とらや旅館(経営者辻谷郁子)において、右辻谷に対し、宿泊飲食代金支払いの意思及び能力もないのに、これがあるように装い、右三木多喜子とともに数日間の宿泊方を申し込み、右辻谷をして宿泊後直ちに右代金の支払を受けられるものと誤信させ、よつて、同日から同年一二月一日午後三時ころまでの間宿泊飲食して、右宿泊飲食代金六万一〇〇円相当の宿泊の利便及び飲食物の提供を受け、もつて財物を編取し、かつ、財産上不法の利益を得た
第四 右のように宿泊場所にも困つて無銭宿泊などをしたあげく、昭和五三年一二月一八日ころ、右三木多喜子とともに、同女の以前からの知り合いである佐賀県小城郡牛津町大字砥川一二九番地で綿屋旅館を経営している古川節子(以下節子という。)を頼つて行き、同女に対し、「被告人は外国航路の船員をしているが、いま病気で下船しており、そのうちまた外国航路の船に乗ることになつているが、二人で住む家をさがしている。」等とうそを言つたうえ、前記指名手配のこともあつて被告人の氏名を河原尚人と偽つて、同日から同旅館に宿泊滞在するようになつたが、右節子は、数年前に実父及び内縁の夫を亡くし、その後は女手ひとつで右旅館を経営しながら、長女古川明子(昭和三八年七月一〇日生、当時一五歳、以下明子という。)及び長男古川昇平の養育にあたつてきたものであり、右多喜子とも知り合いで、被告人らが長期滞在していることもあつた心安さから、中学校三年に在学していた明子の高等学校進学等をひかえ、明子とともに被告人にも何かと相談などもするようになつたが、被告人は持ち前の虚言癖から、明子が未成年者であることを知りながら、昭和五四年一月中旬ころから同年三月一三日ころまでの間にかけ、右節子や明子に対し、真実は、東京に足立という知人はなく、同人方に明子を住まわせて高等学校に通学させる話などないのに、これがあるように装い、「東京のTBSテレビ局に足立という企画局次長がいて、私の小学校時代からの友人だが、この家には病気がちのおばあさんがいて足立夫婦には娘がいないことから明子ちやんを預つて家の手伝いをさせながら東京の高校に通学させてくれると言つている。高校は香蘭女学院高校で受験は形式だけで裏口入学させてくれることになつている。」等とうそを言い、さらに知人に頼み足立と名乗らせて同旅館に電話をかけさせるなどして、節子や明子を申し欺き、同女らをしてその旨誤信させ、節子をして明子を東京に住まわせる気を起こさせていたものであるところ、
一 同年三月一三日ころ、右綿屋旅館において、節子及び明子に対し、「足立から香蘭女学院高校の試験が一七日の土曜と一九日の月曜日に予定されているから、一六日の卒業式が終つたらすぐ東京へ来るようにと言われた。」等とうそを言い、さらに同月一六日午前一一時ころ、「いま足立から電話があつて、明日の試験に間に合うように来てくれと言つてきた。」等とうそを言つて、節子及び明子を申し欺き、同女らをしてその旨誤信させ、同日昼ころ、明子を同旅館から連れ出し、同月二〇日午後一〇時ころ、同旅館に連れ帰るまでの間、同女を東京都台東区上野六丁目九番一九号株式会社法華クラブ上野駅前店等に宿泊させるなどして同都内及び大阪市内等を連れ回り、未成年者である明子を親権者である節子の保護のもとから離脱させて自己の支配下に置き、もつて、未成年者である明子を誘拐した
二 同月二〇日ころ、右綿屋旅館において、節子に対し、明子に東京で香蘭女学院高校やお茶の水高校を受験させたように装つたうえ、「足立が明子ちやんにおばあさんの世話を早くしてもらいたいと言つているので高校はお茶の水と決めた。」「足立の方から早く来てくれと言つて来ている。二四日ころにも来てくれと言つて来た。」等とうそを言つて、節子を申し欺き、同女をしてその旨誤信させ、同月二四日午前七時ころ、明子をふたたび同旅館から連れ出し、同月二八日夕方ころまでの間、同女を鹿児島市中央町七番三号ビジネスホテルガストフほか同市内のホテル及び熊本県玉名市内の旅館等に宿泊させるなどして鹿児島市内や玉名市内等を連れ回り、前同様未成年者である明子を親権者である節子の保護のもとから離脱させて自己の支配下に置き、もつて、未成年者である明子を誘拐した
第五 右のように節子や明子を欺き、明子を二度にわたり誘拐して方々を連れ回つたが、明子が被告人の上京の話がうそであることに気づき出し、被告人のもとから離れるそぶりを示したこと等から同女等をいつまでも欺き通す見込みはなく、右犯行内容が発覚することなどをおそれ、次第に明子が重荷になつてきて、その処置に窮し、このうえは同女を殺害するほかはないと決意し、昭和五四年三月二八日夕方、かねて付近の地理を知つていた人里離れた熊本県鹿本郡植木町大字轟字牛ケ迫二、七二三番地高永清所有の雑木林内に同女を誘い込み、同所において、同女の頸部を両手で強く絞扼して、その場で窒息死させ、もつて、同女を殺害した
第六 右日時ころ、殺害した明子の死体を同所から約六〇メートル離れた同町大字轟字牛ケ迫二、七二〇番地の一片山孝徳所有の雑木林内に運び、死体の上に付近の枯葉をかぶせるなどしてその場に放置し、もつて、同女の死体を遺棄した
第七 右明子を殺害した後、犯行当日の午後一一時ころ、明子を東京の足立方に送り届けたように装い、ふたたび右綿屋旅館に戻り、その後も滞在を続けていたが、前記のとおり、三木多喜子とも口裏を合わせ、宿泊当初から河原の偽名を使い外国航路の船員である旨偽つていたことからこれを利用し、あるいは節子が明子の右東京行きの件を疑つていないことからこれを利用して、節子から金員を騙取しようと企て
一 昭和五四年四月三日ころの午前一〇時ころ、右綿屋旅館において、節子に対し、その事実がなく、かつ、返済の意思及び能力もないのに、これがあるように装い、多喜子をして「河原は外国航路の船に乗るため、今日の昼から出かけて行く。」と言わせ、さらに情を知らない同女をして、「私も河原の退職金の前借り分が熊本の銀行に振り込まれているそうだから行つてこようと思う。すまないけれど交通費として五万円を貸してほしい。」等とうそを言わせて、節子をその旨誤信させ、よつて、そのころ同所において、節子から多喜子を介し、寸借名下に現金五万円の交付を受けてこれを騙取した
二 同月七日ころ、同所において、節子に対し、真実はすでに明子を殺害していて、その事実もないのに、「出航しようとしたところ、足立から無線で連絡があり、明子ちやんが妊娠しているという話をしたのでびつくりして出航を見合わせて帰つて来た。とりあえず節子さんも足立のところに行つたがいいよ。上京するなら金がいるが用意してくれ。一〇万円あまり用意すればあとはどうにかなるだろう。」等とうそを言つて、自己も節子と同行して上京するような態度を示し、同女をその旨誤信させ、よつて、そのころ同所において、同女から旅費等名下に現金一〇万円の交付を受けてこれを騙取した
三 同月一九日ころ、同所において、節子に対し、その事実がなく、かつ、返済の意思及び能力もないのに、これがあるように装い、情を知らない多喜子をして、「熊本に行つて、三、三〇〇万円の小切手を現金に替えてくる。金が入つたら今までの分も合わせて全部返すから旅費を五万円貸してくれ。」等とうそを言わせて、節子をその旨誤信させ、よつて、そのころ同所において、同女から、多喜子を介し、寸借名下に現金五万円の交付を受けてこれを騙取した
四 同月二六日ころ、同所において、節子に対し、その事実がなく、かつ、返済の意思及び能力もないのに、これがあるように装い、「多喜子が、乗船する日を二一日と二七日を聞き違いをしていた。多喜子は、三、三〇〇万円を受け取り、東京の船会社の専務さん方にいる。二七、八日ころ帰つて来るだろう。そのとき借りている金は全部まとめて払う。東京までの旅費を一万八〇〇〇円位立替えてくれ。」等とうそを言つて、節子をその旨誤信させ、よつて、そのころ同所において、同女から、寸借名下に現金一万八、〇〇〇円の交付を受けてこれを騙取した
第八 昭和五四年四月二二日ころ、福岡県筑後市大字尾島三二一番地佐賀屋旅館において、下川勝義に対し、その事実がなく、かつ、返済の意思及び能力もないのに、これがあるように装い、「大川で家具を買つたが、一五万円ばかり足りないので貸してくれませんか。」等とうそを言つて、同人をその旨誤信させ、翌二三日ころ、右佐賀屋旅館において、同人から寸借名下に現金一五万円の交付を受けてこれを騙取した
第九 昭和五四年四月二六日ころ、右綿屋旅館を出て、その後は熊本市内の旅館に右三木多喜子とともに宿泊していたが、金銭に窮していたところ、昭和五四年四月三〇日午後九時ころ、熊本県鹿本郡植木町大字清水二、一六一番地清田顕義方付近を通りかかつた際、同人方の様子から同人方が老人の夫婦二人暮しであることを知つて、同家に押し入り金品を強取しようと決意し、同人らが就寝するのを待つたうえ、同日午後一一時二〇分ころ、同人方住宅の東側アルミサッシガラス戸を開けて同家屋内に故なく侵入し、右顕義(当時六九歳)及び同人の妻亀亥子(当時五五歳)が就寝中の四畳半の間において、右亀亥子の顔面に所携の包丁を突きつけ、「騒ぐと殺すぞ。」等と語気鋭く申し向けたが、これに気づいて目を覚ました右顕義が被告人の腰部に抱きついて抵抗するや、右包丁で同人の胸部等に切りつける等の暴行脅迫を加え、右両名の反抗を抑圧し、金品を強取しようとしたが、同人らに抵抗されたため右強取の目的を遂げなかつたものであるが、その際右暴行により右顕義に加療約一七日間を要する左側胸部切創等の傷害を負わせた
第一〇 昭和五四年五月一日午後一時ころ、熊本市沼山津二丁目五九番地の三山村芳範方から同市神水一丁目三四番地の二肥後銀行神水支店駐車場に行く途中の同市内を走行中の普通乗用自動車内において、右山村芳範に対し、所持金をすり取られた事実もなく、かつ、返済の意思及び能力もないのに、これがあるように装い、「すりに金をすられて旅館賃がないから貸してくれ。すりの親分を知つているので今晩親分を呼んで話をつけて金をとり返して返すから。」等とうそを言つて、同人をその旨誤信させ、よつて、そのころ、右駐車場に駐車中の同車内において、同人から寸借名下に現金三万円の交付を受けてこれを騙取した
第一一 昭和五四年五月二日午前一〇時二〇分ころ、右山村芳範方において、同人及び山村寿賀子所有の指輪二個、ネックレス二本、ネクタイピン二個、カフスボタン二組、電気カミソリ一個、運転免許証一通、身分証明書一通、印鑑登録証一通、キャッシュカード一通、名刺入れ一個、印鑑二個(時価合計約一〇万七、五〇〇円相当)を窃取した
第一二 三木多喜子と共謀のうえ
一 昭和五四年五月四日午後六時三〇分ころ、福岡県筑後市大字尾島三二一番地有限会社佐賀屋旅館(代表取締役坂井竹一)において、同旅館従業員の原正子に対し、宿泊飲食代金支払いの意思及び能力もないのに、これがあるように装い、数日間の宿泊方を申し込み、同女をして宿泊後直ちに右代金の支払を受けられるものと誤信させ、よつて、同日から同月九日午前七時ころまでの間宿泊飲食して、右宿泊飲食代金等九万一、〇八九円相当の宿泊の利便及び飲食物等の提供を受け、もつて、財物を騙取し、かつ、財産上不法の利益を得た
二 同月九日午前七時ころ、右佐賀屋旅館において、右坂井竹一管理の男物皮短靴及び婦人用サンダル各一足(時価合計約一万五〇〇円相当)を窃取した
三 同月一〇日午後五時ころ、熊本県玉名市中一、七四三番地ビジネス旅館鈴鹿(経営者田中敬子)において、右田中に対し、宿泊飲食代金支払いの意思及び能力もないのに、これがあるように装い、数日間の宿泊方を申し込み、同女をして宿泊後直ちに右代金の支払いを受けられるものと誤信させ、よつて、同日から同月一二日午前七時ころまでの間宿泊飲食して、右宿泊飲食代金等一万九、六七〇円相当の宿泊の利便及び飲食物等の提供を受け、もつて、財物を騙取し、かつ、財産上不法の利益を得た
第一三 昭和五四年五月一四日午後三時ころ、熊本県鹿本郡植木町大字轟の国鉄鹿児島本線田原坂駅下の小屋において、園田美恵子所有の自転車一台(時価約二万四、〇〇〇円相当)を窃取した
第一四 右のように次々と犯行を重ねたがいよいよ金銭に窮した結果、旅館代等を借り受けようと考え、昭和五四年五月一五日午後一時ころ、以前訪れたことのある熊本県玉名市大浜町汐見二、二四二番地田中隆人方に同人の妻田中慶子をたずねて行つたところ、同女が不在であつたので同女の義母田中ハツエ(当時七五歳)としばらく雑談をした後同家を出たが、同所付近でさらに金策について思案しているうち、右田中方は高齢の右ハツエが一人で留守番をしている他に家人がいないことから、同家に侵入して金品を窃取しても発見されずに済むものと考え、同日午後一時五〇分ころ、窃盗の目的で右田中方住宅の西側出入口から同家屋内に故なく侵入し、岡家北側寝室付近で金品を物色していたところ、右田中ハツエに発見されたうえ、同家南側八畳の仏間において、同女から腰に抱きつかれ、「ぬすつと、ぬすつと、誰か来てはいよ。」等と大声で叫ばれたため、とつさにこのうえは同女を殺害して金品を強取しようと決意し、いきなり同女をその場にあおむけに押し倒し、同女の顔面に同室内にあつた掛ふとん(同押号の16)をかぶせ、同女の上に馬乗りになつて、右掛ふとんの上から両手で同女の顔面部分を強く押えつけて、同女が呼吸できないようにして、同女を失神させ、その反抗を抑圧して、同女が左手指にはめていた同女所有の銀製指輪一個(同押号の2)(時価約一、〇〇〇円相当)及び金色丸型指輪一個(時価約一、〇〇〇円相当)を抜き取つて強取し、さらに同女が蘇生しないように同女の足元付近にあつたビニール製電気コード(同押号の15)を手をのばして取り、これを二重にして同女の頸部に二周巻きつけて強く絞め、その両端を右側頸前部で結び、そのころ同室内で同女を窒息死させて殺害し、引き続き同屋内を物色して、田中慶子所有の郵便積立貯金通帳一通、真珠指輪一個(同押号の3)(時価約三万円相当)、金製ネックレス一本(同押号の4)(時価約三万円相当)、べつこう製ネックレス一本(時価約一万円相当)、ブローチ二個(時価約五、〇〇〇円相当)、東京オリンピック記念一、〇〇〇円硬貨一個(同押号の6)、札幌オリンピック記念一〇〇円硬貨三個(同押号の7)、万国博覧会記念一〇〇円硬貨四個(同押号の8)、天皇在位五〇年記念一〇〇円硬貨一個(同押号の9)、五〇円硬貨(いずれも中央部に穴のあるもの)八個(同押号の10)、五〇円硬貨(いずれも中央部に穴のないもの)四個(同押号の11)、一〇〇円銀行券二枚(同押号の12)及び一〇円硬貨約五〇枚を、田中隆人所有のネクタイピンとカフスボタンの三点セット一組(時価約五、〇〇〇円相当)、男物腕時計一個(同押号の1)(時価約一、〇〇〇円相当)、肥後銀行総合口座通帳一冊(同押号の13は同通帳の破損したもの)及び黒色短靴一足(同押号の5)(時価約五〇〇円相当)を、田中ハツエ所有の現金約八、〇〇〇円を強取した
第一五 三木多喜子と共謀のうえ、昭和五四年五月一六日午後七時ころ、福岡県大牟田市小浜町一八九番地の五緒方清次方において、同人に対し、所持金をすりとられた事実はなく、かつ、返済する意思及び能力もないのに、これがあるように装い、被告人が「自分達はいま和歌山の方で国鉄関係の路線の下請の工事をしている。今日は横島の方に人夫を頼みに来たが、汽車の中で背広の内ポケットに入れていた一〇万入つた財布を、ポケットを切られてすりにやられてしまつた。旅費がなくて困つている。門司に友達がいるので門司まで行けば金はどうにか都合がつくと思うから、それまでの旅費を貸してくれませんか。」等とうそを言い、多喜子も「あんたが背広のポケットに入れるからこのようなことになるたい。私が持つていればすりにやられることもなかつたでしようが。」等とうそを言つて口裏を合わせ、右緒方をその旨誤信させ、よつて、そのころ同所において、同人から寸借名下に現金一万円の交付を受けてこれを騙取した
ものである。
(量刑の事情)
本件犯行は、被告人が和歌山県海草郡下津町の勤務先の会社の社長から合計一五〇万円を騙取した判示第一の一ないし三の事件を起し、その件で指名手配されて、内妻三木多喜子とともに、長期間にわたる逃亡生活を送つた昭和五三年八月二〇日ころから昭和五四年五月一六日ころまでの約九か月間に累行した住居侵入・強盗殺人一件、誘拐・殺人・死体遺棄一件、住居侵入・強盗傷人一件、住居侵入・強盗一件、窃盗三件、詐欺一三件を内容とする事案であつて、多数の人々の住居の平穏、身体の自由、財産の安全等を侵害したり危険に陥れたうえ、あまつさえ全地球よりも重いとされる尊い人命を二人までも奪い、直接の被害者らやその遺族に与えた衝撃の大きさはもとより、広く社会一般に与えた影響も大きい、まれにみる凶悪な事件である。とりわけ、判示第四の一、二、第五、第六、第七の誘拐・殺人・死体遺棄、詐欺の一連の犯行は、中学校卒業期の一五歳の少女を誘拐し、無残にも殺害したうえ、その死体を遺棄したもので、犯行態様自体きわめて残酷卑劣であるが、そのうえ本件においては、三木多喜子との逃亡生活も長くなつて、宿泊先にも困るような状況となり、多喜子のわずかのつてを頼つて行つた古川節子方において、同女の好意もあつて、長期宿泊滞在するうち、被告人はその生来の虚言癖から、同女らの善意を裏切り、都会生活に憧れを抱く明子及び母親として娘の将来の幸せについて強い関心を持つている節子に対して、自己の友人である足立なる人物は家庭も良く、教育環境も確かであるが、同人から明子の高等学校進学にも都合のいい上京の話がある旨全く架空の話を持ち出し、さらに知人に足立と名乗らせて電話をかけさせ、節子らをして、足立なる人物が実在し、被告人の話が真実であると信じ込ませ、あるいは自から明子が当時在学していた中学校を訪れ、校長に対しても親族であると称して明子の生活について関心を持ちその将来を心配しているかのように装う等種々の工作を施し、明子を二度にわたつて節子のもとから連れ出して誘拐し、明子が被告人の上京の話がうそであることに気づき出し、被告人のもとから離れるそぶりを示したこと等から、もはや明子や節子らを欺き通す見込みがなくなり、次第に明子が重荷になつて、その処置に窮し、ついには殺害を決意し、草深い雑木林の中に同女を誘い込んでその首を絞めつけて窒息死させたうえ、殺害した同女の死体を発見しにくい所に運び、自己の犯行を隠ぺいするため、暴漢に襲われたように装つてパンティ等をずり下げる等の偽装工作をして、死体を遺棄したものであつて、その犯情はきわめて悪質で、真に残忍、無慈悲であり、しかも、被告人はその足で綿屋旅館に戻り、節子に対し、明子を無事足立方に届けてきたなどと、なに食わぬ顔でうそを言つて信用させ、引続き約一か月間同旅館に宿泊滞在し続け、この間、明子を口実にする等して節子から四回にわたり金銭を騙取しているものであつて、そこには、根強く救い難い被告人の自己中心的、反社会的人格を看取することができる。明子の遺体は犯行後約五か月間知る人とてない草深き雑木林内に放置されて風雨に晒され、発見された時には泥土の中に白骨と化していた状態であつて、夢多き少女の末期としては真に悲惨というほか他に表わすべき言葉がなく、その無念さは察するに余りがある。また、女手ひとつで明子及び昇平の二人の子供を養育しその成長に大きな期待をかけてきた母親節子の悲しみも大きく、被告人に対し強くその極刑を望んでいる。次に判示第一四の住居侵入、強盗殺人の犯行は、被告人はその後も無銭宿泊等を重ねてきたが、いよいよ金銭に窮し、判示の経過を経て、被害者田中ハツエ方に侵入し、同女に発見されて大声を出されるに及んでとつさに同女を殺害して金品を強取しようと決意し、高齢の同女を押し倒して同女の顔面に掛ふとんをかぶせ馬乗りになつて掛ふとんの上から同女の顔面部分を強く押えつけて失神させ、失神中の同女が指にはめていた指輪二個を抜き取り、さらに同女が蘇生することをおそれてその頸部に電気コードを前記の方法で巻きつけて絞殺したうえ、室内を物色して金品を奪取し、さらに仏壇下の地袋の中にその死体を隠匿して犯行の発覚を遅らせる工作をするなどしたものであつて、その犯行の態様はきわめて兇悪、残忍、非道であり、そこには二人目の生命を奪うことへの逡巡やおののきは全く存在しないのであり、ここにも被告人の強固な反社会的人格を看取することができる。被害者田中ハツエの遺族に与えた悲しみも大きく同人らも被告人の極刑を望んでいる。被告人の前科が詐欺、窃盗等の財産犯罪であつたことに比すれば、本件各犯行は殺人あるいは傷害の結果を伴なう重大事犯が多く、被告人の反社会的な人格態度は、前刑の服役等によつても、何等矯正されておらず、かえつて、その性格的なゆがみはさらに深化していることが窺われ、被告人の反規範的、反社会的人格態度は更生が極めて困難な状況に立ち至つているものと認められる。
本件は、右のように、その事案の性質が極めて重大であることに鑑み、当裁判所は慎重に審理を重ね、被告人の弁解にも虚心に耳を傾け、被告人にとつて有利な情状の発見に努め、殊に被告人は昭和五一年六月一一日に前記(2)の前科の刑で仮出獄後約二年余りの期間は犯罪に走ることもなく比較的平穏に過ごしてきたものであり、昭和五三年三月末ころ、三木多喜子と共に実姉平田都を頼つて和歌山県に移り住んでからは多喜子と共に土工をする等して貧しいながらも正業による生活の楽しさを味わつていたが、不幸にも実姉と多喜子との折合が悪くなり、九州に帰るべく、資金をつくるため勤務先の会社の社長から詐欺を働いたことが契機となつて、本件各犯行を敢行するに至つたものであり、立直るきざしを見せていた被告人に対し肉親が今少しの愛情と配慮をもつて接することができなかつたかと惜しまれ、また、逃亡生活の過程においても、右のような殺人、強盗殺人という重大事案を犯す前に何度も自首の機会があつたのであり、多喜子もこれを勧めていたのであつて、被告人に勇気ある決断力があつたらと惜しまれるところであり、さらに当公判廷において、被告人が、被害者の霊に日夜悩まされており、拘置所で毎朝お経を唱えてその霊を慰めており、一日も早く審理を終わつて一身をもつて罪を償ないたいなどと供述することもあり、被告人の心底にはなお人間性の一端が残つていると認められることなど、被告人にとつて有利と思われる一切の事情を検討し、弁護人の慎重な判断を望む旨の所論にも十分耳を傾け、また、死刑が、国家権力によるとはいえ、何物にも代え難い人間の生命を剥奪するものである性質に鑑み、その適用については慎重のうえにも慎重を期し、能う限りこれを差し控えるべきものであるとの考えに立つたうえ、被告人に対する量刑について十分検討してみたのであるが、これまで説示してきたことを含め、被告人の生活歴、環境、性格、素行、本件各犯行の動機、態様、結果、犯行後の状況、被害者の遺族の心情、社会的影響、被告人の前科等諸般の情状に照らすと、不幸にして、被告人に対しては極刑をもつて臨む以外にないと思料する。